2012年2月28日火曜日
Un week-end pour le Japon
あまりにも早くてびっくりしてしまいます。
前回のブログ記事更新からまもなく半年が経とうとしているのでしょうか?
皆さん、お元気ですか?
この半年でどんなことがありましたか?
私自身、この一年で起きたこと、たくさんのネタをためてきていますので、
いつの日か、またゆっくりと皆さんに届けれる日が来ることを期待しつつ、
今日はとり急ぎ、私の今一番の最新情報と言えば、これ。
フランス語しかありませんが、どうぞご覧ください。
http://www.unweekendpourlejapon.fr/
仕事のことはもちろんながら、私がこの一年、何に時間とエネルギーをかけてきたか、少し垣間見れると思います。
それではまた。
2011年9月6日火曜日
ごえんのわ
9月5日月曜日には、学校も再開。子供たちは担当の先生の発表、新しいクラスメートとの出会いにどきどきしながら学校に行きました。2カ月に及ぶヴァカンスの後ですから、「新年度」という感覚も強いものです。日本では過ぎ去った一年と新年度を隔てる休みがたったの2週間ですし、大人には春休みもなにもないですからね。逆に日本では卒業式、入学式などがきちんとあるし、桜をバックに「出会いと別れの春」というセンチメンタルな面からの影響が、「新年度」を感じさせてるのかなと思います。
さて、すっかり更新ペースが落ちてしまっているこのブログですが、私のモンペリエ生活では、あいかわらず次から次へと出来事が起きています。その勢いは被災者支援団体を立ち上げてからは、もう怒涛のごとし。毎日がジェットコースター状態です。
私が当初計画はしてなかったこと、想定はもちろん、期待も何もしてなかったことが次から次へとやってきます。いいことも悪いことも。
でもまあ、悪いこととは言っても、いくつか難しい課題が降りかかってきただけで、全体的にみたら圧倒的にポジティブなできごとばかり。
けれど、たとえポジティブな流れだとは言っても、あまりに速い流れだったり、すごく大きな流れだということが見るからにしてわかる場合、ちょっと慎重にならざるを得ない時もあります。
そこでふと立ち止まって自分に聞く。「この流れに乗るの?それともちょっと立ち止まって冷静に考えてみる?」と。
だって流れに乗ってしまったら、その川はさらに勢いを増したり、川幅がぐっと広がっていくかもしれないから。一度そうなってしまったら、その流れから出るのは簡単なようで簡単ではない。何かしらの代償を払わなければ簡単には止められないでしょう。
けれど気がついてみれば、人間、動けば動くだけたくさんの出来事が訪れるというのは当然のことです。動けば動くだけたくさんの人に出会う。たくさんの人に出会えば出会うだけ、また次の話が舞い込んでくる。
もうネズミ算式です。
我ながら「なんでこんなすごい展開をするんだろう、、、」とおもしろくなる時がありますが、考えてみれば、結局は自分が最初にしたアクションが、これら全てを引き起こしてるんですね。
まあ当たり前の話ですが、私があの時「よし、じゃあまあフランスにしよっかな、、、」と思ったり、「モンペリエ良さそうじゃん。」と感じたり、「フランス語に苦しまなくていい気楽な授業がいい!」と判断したことや、「プロのミュージシャンと接する機会を得るために、一歩出てみた方がいい。」とひらめきがきたこと、、、。そんな全ての要所要所での自分の判断が、今日、私をとりまく全ての出来事につながってるんですね。
ブログのタイトルはごえんのわですが、「ご縁」はともあれ、「わ」は「輪」と「和」で選びきれなくて、平仮名のまま意図的に残したのでした。
ただいま私の「ご縁のわ」は、広がる一方。しかもすごい速さで広がっています。
この6か月で、ものすごい数の人々と出会いました。現在進行中ですから、ものすごい数の人と出会っています、という方が正しいですね。その人たちそれぞれと信頼関係が築け初めて、友情を感じ始めた時、「ああ、この人とはこうして出会うことになってたってことなんだな。」と感じます。そこに男女の違いも年齢の違いもありません。そして、もちろん国籍、文化の違いもありません。
相変わらず、私には「運命」という言葉はなんだか大げさでしっくりきませんが、「出会うことになってた」、つまり、ご縁があったってことですね。
たくさんの出会い、そしてご縁。大事にしていきたいと思っています。
2011年8月6日土曜日
新しい大冒険!
すっかりご無沙汰してしまいました。
前回の記事のアップから今日までの4カ月以上の間何をしていたかというと、いつも以上に仕事仕事仕事だったことも事実なのですが、ただでさえ十分に忙しかったところに、私は新たに大きな活動を加えてしまいました。
自分でもどうやったのかもうわかりませんが、休日もめったとなく、食べる時間も寝る時間もなくなった驚異のスケジュールをなんとかやりこなしてシーズンの終わりまで持ちこたえ、おかげさまでこの私も晴れて夏のバカンスに入りました。せめてここで一言だけでも近況報告をしておきたいと思って、本日の久々のアップになります。
さて、新たな大きな活動というのは何か。
それは前回の記事で行った呼び掛けに端を発した、東日本大震災の被災者支援のボランティア活動なのです。
私はこれまで、モンペリエの日本人とはあまり出会うこともなく、たまたま知り合う機会を得た人たちとごくごく限られた中で接してきていたのですが、震災発生から数日後に、そのごくわずかな数人の方に呼び掛けのメールをし、それぞれ周囲の方にメールを回して下さいとお願いしたのです。すると、驚くほどの速さでネットワークは広がりました。
もちろん、私は私で日本人サイドと並行して自分の同僚や友人、周囲のフランス人に話をしました。
すると話はあれよあれよいうまに広がり膨らみ、わずか数日で数十人の方が賛同の声をあげてくださり、本格的に支援活動をするならきちんとした組織を作った方がいいという周囲の勧めも受けて、震災から10日後には非営利民間団体であるアソシエーションを立ち上げることに至ったのです。
その名も「Association Solidarité Japon 34」。

アソシエーションというのが、まあ非営利の団体のことで、ソリダリテというのは「助け合い」のような言葉で、34というのは、モンペリエがあるエロ―県の県番号なのです。
モンペリエという街の名前を入れてしまっては、範囲がモンペリエだけに限られてしまう。実際モンペリエというのは小さいもので、私が働く音楽学校のある範囲なんかはモンペリエではないのです。そんなところから、せめてエロ―県全体をベースのエリアとして考えたシンプルなネーミングです。
略してASJ34(笑)
以来、支援を呼び掛ける活動とともに、皆さんからの信用を得られる団体になるべく、様々な行政上の手続きなどを同時進行で行ってきました。
この「日本の被災者のために何かをしたい!」という思いだけでつながったたくさんの人たちとの出会い。私の「ごえんのわ」はまた爆発的に広がりました。
そもそも、モンペリエは日本と縁もゆかりもなかった街で、日本人も数年前まで少なかったのです。しかも日本は世界超経済大国のひとつ。モンペリエの庶民の経済状況は厳しく、そんな豊かな、しかも遠くの国の支援までとてもしてられないでしょうから、こんな街で日本の被災者支援を行っても反応は厳しいかも知れないという覚悟もしたうえでの活動開始でした。
しかし、この4ヶ月間、精力的にできる限りの活動を展開した結果、たくさんの人々から想いが寄せられ、これまでにすでに200万円を超える金額が集まりました。
もちろん、一人でも1億円とかポイと簡単に寄付で来てしまう億万長者と比較したら微々たる金額です。でも日本となんの関係もない、しかも地球の裏側の地方都市モンペリエから、ほんの数カ月で200万円が日本の被災者のもとに届けられるというのは、私たちにとってとてもうれしい満足のできるものです。
しかも、私たちの活動はこれで終わりではありません。
この震災の被害の規模があのようなものなだけに、最初から復興の道が長いものになることはわかっていました。私たちは長期的な支援を送ることができる団体へと成長していきたいのです。
当然のことではありますが、世界のニュースは毎日めまぐるしく変わります。震災発生後の数日は、フランスのテレビでも東北のことばかりを繰り返し流していました。衝撃的な映像はフランス人にも強い印象を与えました。でも数週間後にはもう、メディアは東北のことを話さなくなりました。
しかも「日本は豊かな国だから一人でなんとかできるだろう」という一般的な考えを前に、私たちが長期的な支援が必要だと思って呼び掛けを行うには、その理由を明確に打ち出さなくいてはいけません。
そのためには、まず被災者の生活状況をこちらの人に知ってもらうこと。そのための情報をフランス語でまとめて提供すること。
口でいうのは簡単ですが、実際にするには労力のかかる作業です。こういう時、言葉の壁は本当に大きいですね。現実的にこの作業ができる能力を持つ人は限られ、しかもボランティアとしてやる気のある人、さらにはやる時間が現実的にとれる人、ボランティア活動のためにそこまでのエネルギーを費やす気がある人、、、、実際にはそう簡単には見つかりません。
でも、支援といっても何ができるのか、何をすべきなのか、集まってくれた皆さんと一緒にじっくり考えながら、たとえ小さくても、実際に形となった支援を被災者のもとに送れるよう、がんばっていきたいと思っています。この4カ月の間には、もう本当にたくさんのことを経験しました。毎日が人生の勉強でした。
これまでに知らなかった人たちと一気に知り合い、「被災者のために」という気持ちだけを共通項として一緒に活動をすると決めたのです。しかしやはり人間は人それぞれ。フランス人と日本人、そしてそれ以外の国の出身の人だって輪に入ってくれています。言葉、文化、宗教、政治観などなど、何をとってもみんなそれぞれ違う人の集団。
私は言いだしっぺで発起人ということもあって、会の代表を務めさせてもらっていますが、会の中をまとめるということ、そして会の外とのコンタクトをとるということは一筋縄には行きません。しかも私も本職をこなしながらの限られた時間を最大限に使っての活動。時間が十分にとれないと、もっと丁寧に対応ができるはずのこともできないものです。本当に何から何をとっても、人生の勉強になります。
皆さんに報告したいこと、伝えたいことは、今まで以上に増えてしまいました。いくらでもネタがあるので、これから先、時間を見つけてはちょこちょことお伝えしていきたいと思います。
最後になりますが、私たちの会のサイトはこちら :
http://solidaritejapon34.org/Welcome
サイトの充実を目指して、日々努力を続けています。
私たちはフランスにいるので、フランス語がメインですが、英語と日本語も加えた3カ国語のサイトにするためにもがんばっているところです。時間があったらぜひのぞいてみてください。
先程、34はエロ―県を意味するとは説明しましたが、私たちの活動はエロ―県に限定されたものではありません。エロ―県から想いを発信しているというだけ。
実際、すでに日本に住むメンバー、日本に住む協力者も少しずつですが得ています。お互いに情報交換することで、具体的な支援の形が見えてくるものだと思っています。
私たちの気持ちを分かち合ってくれる人、活動に賛同してくれる人がいたら、どうぞ私たちの輪に加わってください!
2011年3月18日金曜日
モンペリエとその周辺にお住まいの日本人の皆さんへ
巨大地震、巨大津波、そして原発事故。
あまりの惨劇に言葉もありません。
でも、こんなときだからこそ、たとえわずかでも何かすることがあるはずだと思い立ち、私はここモンペリエで被災者支援活動への協力呼びかけを始めました。わずか二日目のことです。
現在すでに、ネットワークづくりが着々と進んでいるのですが、もしもこのブログに立ち寄られる方で、賛同してくださる方がいればと思い、今日は、モンペリエとその周辺に住む日本人の皆さまへの呼びかけ文のコピーを載せさせていただきます。
実際にはもちろん本名で行いましたが、ブログ上ではいつもの仮名で失礼させていただきます。
◇◇◇◇◇
初めまして。私は2002年よりモンペリエで生活し、モンペリエの音楽界、また音楽教育界で活動をしているleonardoといいます。
この度、東日本大震災の大惨事を受け、始めはただただ愕然とし、被害のあまりのひどさに胸を痛めるよりほかなかったのですが、時間とともに状況がますます厳しくなっていくのを見るにつれ、やはりここはたとえわずかなことであっても、何かをするべきだろうと思うに至りました。
日本から遠く離れたところにいる身で、一体どんなことができるのかと模索する中、モンペリエの日本人の手によるチャリティーコンサートか何か、チャリティーイベントを開催できるのではないかと思い立ったのです。皆さんの中にも、すでに募金をするなどでアクションを起こされた方もいらっしゃるかと思いますが、ここモンペリエで日本人コミュニティーによる主催、あるいは日本人コミュニティーが運営に関わるという形で、行動をおこすことには大きな意義があると思ったのです。
イベントを実行、開催するのは簡単ではないとは思いますが、金曜日の震災発生以来、フランス人の友人、知人からたくさんの気遣いと励ましのメッセージをもらい、モンペリエの人々の日本の被災者を思う気持ちの強さを感じました。きっとモンペリエからも何かができるはずだと確信しています。パリやロンドン、ニューヨークといった都市とは違い、モンペリエはフランスの一地方都市に過ぎませんが、今やこの町で暮らしている日本人の数も相当なものだと思います。すでにいくつかの日仏アソシエーションや日本人のグループが存在しているとは思いますが、それぞれのグループの枠を超えて、モンペリエの日本人コミュニティーが一体となれば、被災者への支援も、よりまとまった形で届けることが可能かもしれないと思ったのです。
私自身、モンペリエの音楽・オペラ界に身をおいていることもありまして、私の当初の企画は、国籍を問わずに、ミュージシャン、歌手、そして俳優やダンサーの方たちを含め、ボランティアで参加出演してくれるアーティストを募り、ステージの運営をサポートしてくれるテクニシャンも有志を募って、チャリティーコンサートを開催、運営するというものでした。このイベントへの個人の参加の呼びかけだけでなく、モンペリエのオペラ座、オーケストラ、そして様々な合唱団や音楽学校、テアトルやダンスのカンパニーといった団体にイベントの共催の呼びかけ、そして様々な芸術のイベント会場における募金への呼びかけもするつもりです。イベントに関しましては、会場と日程さえ確保ができれば、参加者の数とプログラムの内容に応じて、一回だけではなく、いくつかのイベントをすることも可能になるかもしれません。
私自身のスケジュールのことを考えても、明日あさってに今すぐ実行実現というのは不可能なのですが、惨事が惨事なだけに、被害は長期化するでしょうし、支援も長期にわたって必要になるとの見通しのうえでの計画です。このイベントの実現、運営、そして大規模な募金活動のために、日本人の皆さんのサポートを頂ければうれしいです。
もうすでに、先日の私のとっさの呼びかけにも数多くの方が応えてくださり、参加、協力を申し出て下さっています。また、街頭での義捐金呼びかけの計画をたてている方、あるいは、すでに何らかのイベントの計画を進めていらっしゃる方もいらっしゃいます。そういった方々と皆が協力しあって、役割分担をしながら、日本人コミュニティー全体が一丸なったかたちで募金活動が行えるといいなと思っています。各人、あるいは各グループがそれぞれ行うのももちろんいいですが、モンペリエ在住の日本人コミュニティーが一体となり、また、モンペリエの人々に働きかけて、モンペリエから被災者のもとへ、まとまった形で気持ちを届けることができたら、いっそう良いのではないかと思うのです。
募金活動、チャリティー活動というと、日仏問わず、必ずといっていいほど、その団体の信頼性と送金の確実性、そしてお金の有益な使われ方が問われます。私たちは大きな既存団体とは違いますが、今回行動をとる理由と目的、願いに関しては、皆、一致していると思いますので、それぞれのグループの枠を超えた大きなネットワーク(例えば「東日本大震災支援グループ / de Montpellier au Japon」仮名)を結成して、皆が一体となった効果的な活動ができればと思います。また、それぞれの方、あるいはグループが企画する募金活動やチャリティーイベントも、内容や日時の情報を共有して、各人が参加協力したいイベントを選んで、その活動に加われるような体制を作ることができたらいいのではないかと思っています。この考えに対しての賛同が頂ければ、具体的な活動内容、そして役割分担についての話し合いに移ることができます。皆さんから幅広い御意見を頂けたら幸いです。
この一連の動きに賛同してくださる方、参加を希望される方は、下記のメールアドレスまでご連絡ください。どうぞよろしくお願いします。
soutien.japon.mtp@gmail.com
2011年2月28日月曜日
みんなハーフ
日本人にとって日本人であるということは、文化、言葉、国籍をひっくるめた日本人という民族のアイデンティティーを象徴する大事なことだと思うのですが、現代のフランス人にとって、フランス人であるということは「フランスで暮らす者」という認識にすぎないことがよくあります。
もちろん同じフランス人でも、保守派やナショナリストの人にとったら、日本人が考えるように、文化、言葉、国籍をひっくるめて、昔からフランスに住む家系の真正なフランス人とそうでないフランス人を区別する考えが主流です。そういった意味では、「日本人はすごいナショナリストだ。」という批判も、あながちウソではないと思ってしまいます。
日本社会でも、ここ数年、在日外国人の数が増えたとか、国際結婚が急激に増えたとか変化は見られますが、フランス社会の現状と比べたら、圧倒的に数のレベルが違うことがよくわかります。
ここフランスでは、民族、人種が混ざっていて当たり前と言えるでしょう。
その証拠に、私がここで出会った人々の多くが、両親のうちのいずれかが外国出身だったりします。
中でも圧倒的に多いのが、フランス―イタリアカップルの子供。そして、フランス―スペイン、フランス―イギリス、フランス―アルジェリア、フランス―チュニジア、フランス―アメリカ、フランス―アルゼンチン、フランス―ドイツ、フランス―オーストリア、フランス―トルコなどなど、例をあげていてはキリがありません。
はっきり言って、みんなハーフみたいなもんです。
それから、私自身が今のところフランスで暮らす日本人のように、外国人としてフランスで生活する人々の数もすごいものです。
私はモンペリエで生活をしていて、さまざまな国の出身の人々と出会いました。下手をしたら、日本にいたままでは耳にすることもなかったような国の人や、地図上で正確に場所を把握できない国の人もたくさんいます。そして、その出身国は世界各国に及びます。ヨーロッパ諸国はもちろん、アフリカ諸国、中東諸国、中央アジア諸国、スカンジナビアから北米、南米、そしてアジアとオセアニア圏の人々。
まさに世界中から来た人々が、フランスで暮らしています。
この点が、日本社会との決定的な違いの一つでしょうね。
そんなことから、私はモンペリエというフランスの一地方都市にすぎない街で暮らしていながら、「世界」をとても身近に感じているのです。
今年一緒に仕事をしている演出家のトニーは、スウェーデン人のお母さんとオーストリア系イタリア人のお父さんをもつ人。ヴェネチアに家をかまえているしイタリア語をしゃべるからイタリア人だと思いがちですが、じつはスウェーデン語はもちろん、数カ国語を操る人で、多国籍文化をもつ多国籍人と言える人です。
その点、私がお世話になってるTさんもそんな感じ。日本とフランスのハーフだけど、イタリア生活経験が25年に及んでいたから、日本、フランス、イタリアの3国の文化が彼の人となりを形成していて、多国籍人です。
最近一緒に仕事をしている振付師のレオナルドは、名字と名前からしてイタリア人と思いがちですが、実は単に彼のおじいさんがイタリア人だったというだけで、彼本人はアルゼンチン生まれのアルゼンチン育ち。彼はフランス語がとても堪能なので、彼を前にすると彼はイタリア系フランス人だと言われてもなんの違和感もありません。
こんな人々と接していると、日本人である私は生粋の日本人で、なんか単一単色な感じがするなあ、豊かさにかけるなあ、なんて思ってしまうこの頃でした。。。
2011年2月27日日曜日
27日間どころか、、、
ふと、昨年の今頃のブログ記事を見ていたら、「27日間耐久・・・」というのがありました。
健康が一番、スケジュール管理をちゃんとしないと、、、という趣旨だったわけですが、その意思はどこへやら。なんと2011年、私は8週間休日なしのノンストップをしてしまいました。つまり27日の倍以上の56日間。。。
幸い、昨日がその56日目で、無事に持ちこたえて終了したわけなのですが、これは二度とするもんじゃないですね。ってあたりまえか。(笑)
疲れた、しんどいを通り越して、気力体力ともに腐ったトウフみたい。ってどんなの?って感じですが、ここ二週間は不覚にも、ピアノのレッスン中に居眠りをしてしまってました!
生徒になにか言って、弾かせながら一瞬目を閉じたらもう最後。ス~ッと寝入ってしまうんですね。
あらあら。
次回のための宿題ノートに書いてる字も、もうへばったミミズのよう!
「ああ、これでは生徒も気がついちゃう!」とあせって目が覚めたらいいんですが、もうどうにもコントロールできなくて、、、という日が何日かありました。
わけもなく立ち上がってみたり、さりげなく自分の足をつねってみたり、アメをなめたり、水を飲んだり、それはもうできる限りのことをしたんですが、睡魔には勝てず。
生徒は挙動不審のleonardoと思っていたことでしょう。
送り迎えに来る生徒の親御さんにも、「あれ、leonardo、お疲れですか?」とか、「疲れが全身に出てますね、、、」とか、「なんかぼーっとしてますね、leonardo」とか言ってきて、やっぱり腐ったトウフのような姿をしてたんでしょうね、私。
反省です。
とにもかくにも、やっぱり健康が一番。
こんなに疲れていては、周囲に蔓延する菌をすぐ拾ってしまう。
この1月、2月、モンペリエではインフルエンザとガストロ(お腹の風邪?)が混ざったような、かなりキツくてやっかいな菌が猛威をふるっていました。私はダウンしないように自己防衛対策をしてはいましたが、毎日のように、持ちこたえてはまた別の誰かから菌をもらって、、、の繰り返しでした。
こんなことではいかん。
仕事柄、私の周辺ではすでに来シーズン、つまり2011-2012の話がでてきています。そこで私も早々と、どうしたら自分のスケジュールをうまく管理できるようになるのか、、、と考えております。
う~ん。。。
2011年1月30日日曜日
みっしぇる~~
お伝えしたいエピソードがいくつかあるのですが、今日はそんな出会いの中の一つ、私がすっかりその人のファンになっちゃった話です。
その人とは11月末に出会いました。
オペラjrにとって、今シーズンの最初のコンサートを間近に控えたころ、今年度のために新たに迎えた2人の合唱指導者のうちの1人、しかも皆から評価され期待を寄せられているVが、病気発症が判明して、急きょ手術・治療を受けるためにお休みすることになってしまったのです。
9月以降、コンサートはVが中心となって準備をしてきていて、もちろんコンサートでも彼がプログラムの半分を指揮することになっていました。が、お医者さんに宣告された手術予定日は残念ながらコンサート当日。当然、誰が代わりに指揮をするのかという議論になりました。
が、そこでV自らが私たちに「○○に頼んでみる。」と提案してきたのです。
この○○さん、私は名前しか知らなかったのですが、60歳を超え、フランス音楽界では大ベテランで優秀なトップミュージシャンの一人として認識されている大物。バリトン歌手であり、パリ国立コンセルヴァトワールやラジオフランス児童合唱団でも長年指導をした人で、今日は経験豊富な合唱指導者・指揮者としても活躍しています。大物なだけに各地を飛び回るハードなスケジュールの持ち主。そんな人がモンペリエの子供・若者を指揮するために、わざわざ足を運んでくれるのか?とちょっと疑った私。
実はVは、フランスの南西地域であるプロヴァンス・アルプス・コート・ダ・ジュール地方の(Provence Alpes Côte d'Azur)合唱団で、○○さんのアシスタント指揮を長年務めていて、二人は信頼と友情で結ばれた間柄。
Vに深刻な病気が判明して、Vたっての依頼ということで、友情の名の下、この方はちょっと無理をしてスケジュール調整をし、金曜日から水曜日までを私たちのために空けるという決断をしてくださったのです。
出会う前からして、「へぇ~、またそんな大物の人と出会うきっかけをもらっちゃって、私ってラッキー。」と感じた私。いざ、入院を翌日に控えたVの立ち会いのもと、私はこの方と出会いました。
その方はミッシェル・ピクマル氏(Michel PIQUEMAL)。
この日は若者グループLe Groupe Vocalの練習の日で、ピクマル氏はまずはお手並み拝見というか、歌声を聞いて様子をみるという感じで、椅子にどっかりと座っていました。
彼は体格は大きくないのですが、ずっしりと落ち着いて口数は少なく、鋭い目で様子を観察していました。
そんな大物を前に、私はまだ若造だし外国人だし、ただのピアニストだし、大人しく静かにしていようと思っていたのですが、入院と治療のためにしばらく会えなくなるVに、和紙で作った折り鶴をプレゼントしたところ、それを見たピクマル氏が、「君、飛行機は作れるのか?」と聞いてきました。
「え?飛行機?あの一番簡単な飛行機のことですか?だったらもちろん!」と私が得意げに応えると、「すごくよく飛ぶやつだぞ?」と言ってくるので、「え、私の知ってるのは普通のシンプルなやつですけど、まあ良く飛ぶときは飛ぶし、飛ばないときは飛ばないし、、、。」とか返事してると、横からVが「leonardoの飛行機はどうせまた適当なやつだろう?」とからかってきました。
そこでピクマル氏が「俺の飛行機の作り方を見せてやるよ!」と言って、紙をちぎって、もくもくと真剣に折り紙にとりかかりました。
案の定、私たち誰もが知ってるあの紙飛行機ではなくって、なにやらあちこち折り返して真剣に作っていらっしゃいます。最後には端っこをちぎって何やら重さ調整をしてから、サッと紙飛行機をとばしました。するとさすが!よく飛ぶやつとおっしゃったとおり、彼の飛行機はなめらかに空をきってよく飛びました。
このひょんな出来事から、静かに控えめにしていようと思っていた私はすでに態度転換。
気がついたら「今日の思い出にこの飛行機にサインしてください!」と頼んでました。
彼は微笑みながら、飛行機にト音記号とか書いて飾り付けをしたうえ、grosse bises(英語ではbig kiss ですかね)と書いてサインしてくれました。
このやりとりですっかりうちとけた私たち。
この日の夜はVも含めて一緒に食べに行き、翌日からは土曜日、日曜日ともに一日中、3つのグループと練習し、月曜日にはコンサートを迎えました。12月にブログの記事でもアップしたコンサートのことです。
ピクマル氏が緊急のピンチヒッターとして指揮をしてくれたのは、ドビュッシー1曲とラクマニノフ3曲、そしてゴスペルの影響を受けたアメリカの合唱曲3曲とアメリカの現代女性作曲家の曲。
いずれもフィーリングと自由さが大事な作品ばかり。単に四拍子で規則的にずっと続くような曲とは全然違います。これまでの練習でVは彼個人のフィーリングで合唱を指揮してきました。ですから若者たちにはその色がついてしまっています。ピクマル氏はその色を感じとって尊重しつつも、自分のカラーでぐいぐい引っ張って行ってくれました。さすが子供、若者というのは順応性に富んでいるものです。彼らはしっかりと彼の要求に応えて行きました。
しかしピアノ伴奏で行うコンサートですから私の役目も大事。長いイントロで曲のムード、色はできてしまいますから。でも幸い、彼が行った変更、変化に私にとって居心地の悪いものは一瞬たりとなく、彼の要求に素直に自然に応えることができました。
なんといってもそれは彼が本物大物ミュージシャンだから。彼とのたった数日間のコラボレーションで、カリスマ性とはどういうものか、オーラとはどういうものかというのを改めて感じさせてもらいました。言葉は少なくとも、彼の呼吸で、彼のジェスチャーで、こちらは感じとれてしまうのです。共演者に、そして聞き手に何かを伝えることができる人というのは、こういう人のことを言うんだな、と深く感じました。
紙飛行機事件から、向こうはすぐに気さくなしゃべり方であるチュトワイエをしてきてくれましたが、私が自分は若造だし、、、と思って彼にヴヴォワイエでしゃべってしまうと、向こうもまたヴヴォワイエになったりして、どうもちょっぴり照れてぎこちない2日間を過ごしました。
が、月曜日の午後に一つ目のコンサートを終えたあと、お互いがっちりとハグしてビズしてメルシーとブラヴォーを言い合うと、彼が「助けてくれてほんとありがとう。君はすごく柔軟だね。うれしくなっちゃうよ。」と言ってくれたものだから、私は有頂天。ちょっぴり改まって「チュトワイエしても大丈夫だった?」と一言聞くと、「何言ってんの、もちろんだよ!」とニッコリしてくれました。
この日の夜のコンサートも無事に終了。
今年度頭からのドタバタスケジュールと様々な問題のせいで、このコンサートのでき具合はいったいどんなものになってしまうのやら、、、と私は真剣に心配していましたから、ピクマル氏が音楽性を吹き込んでくれて、エネルギーとカリスマ性で若者たちに魔法をかけてくれたおかげで、どんなに助かったことか。夜は午後のコンサートよりもだいぶいい出来で、みんな満足。
私たちは舞台上でがっちりと手をとりあってハグ。
一緒に共演すると、何かが通じ合うというのは本当のこと。
誰とでもというわけではなくって、ふと、ある人と一緒に演奏していて、一緒に呼吸して同じ一つのものを作り出す瞬間を感じるときがあるんです。息が合う、波長が合う、ということなんでしょうね。
お互い年齢も人種も文化も違うわけですが、このピクマル氏との出会い、共演は私にとってとびっきりうれしい出来事となりました。
もう「みっしぇる~~~!!」状態。一人ファンクラブ結成です。
この後、オペラjrのディレクターであるジェロームを含め、みんなで食事に行きました。
実はジェロームとミッシェルは20年以上前からお互いに知っている仲。そもそもヴァレリーの代わりを探していたジェロームにVを推薦したのはミッシェルだったのです。3人の男の間にある音楽と友情のつながりに感謝する夜でした。
となりに座ったミッシェルと私。ふと彼は、「俺の飛行機の作り方伝授しておかないと!」と言いだして、テーブルに敷いてある紙をちぎって、「真似をして同じのつくりな!」と言い、レストランの片隅で即席折り紙教室が始まりました。そして一緒に紙飛行機をレストラン内で飛ばす二人。
ふふふ。大物ミュージシャンは私の紙飛行機仲間。
3つ目のコンサートが水曜日に残っていたわけですが、彼はパリの区立コンセルヴァトワールでのレッスンと、彼がディレクターと指揮を務めるパリ地方合唱団のコンサートのリハーサルがあるために、翌日の火曜日早朝6時のTGVでパリに帰り、オペラjrのコンサートのために水曜日の午後モンペリエの戻ってきてくれるというスケジュールで一時お別れ。
本当にありがたいこと。
私はいつものようにこうしてモンペリエに住み、向こうの大物ミュージシャンが片道3時間半のTGVで移動をして、ハードスケジュールをこなしながら一緒に共演してくれる。
一生ものの思い出となる、素敵な出会いでした。
そしてみっしぇるネタは続きます。。。