2009年8月30日日曜日

夜のお散歩 in Sète

連日猛暑で苦しかった先週、日曜日に暑さがおさまってからの夕方、友達と海辺の町セート sète にドライブ散歩に出かけてきました。

何度かこのブログでも出てきているセートはモンペリエから西に45キロほどいった港町。海岸線と入り江の間にある小高い丘モン・サン・クレールSt. Mont Saint Clair があります。今回、まだ上ったことがないという友人に景色をみせるために、まずはセートが一望できるスポットに上がりました。といっても車で上がれちゃうのでラクラクです。かなり急な斜面をあがるので車にはがんばってもらいましたが。

そこで見れるのがこちらの景色。


セートの港。


セートの街。



そして内陸方面には入り江があって、その向こうにはなだらかな丘が続いています。



ほんとにここはいつきても気持ちのよい景色。
質は悪いけど体感してもらうためにパノラマビデオをどうぞ。




丘から下るとすぐに港につきます。



その横にあるのが、最近ご紹介した海辺のコンサート施設。thèâtre de la mèr。



実はこの日のお出かけの目的は、このテアトルのとなりにあるバー・レストランで、食事ではなくってアイスクリームを食べることだったんです。



ほら、巨大パフェ。



周囲からはおいしそうな料理のにおいが漂ってくるなか、私たちはタパスとよばれるおつまみとパフェを食べて満足。久しぶりのパフェでした。

レストランを出てから街へお散歩に。

実はこの日、セートでは最大のお祭りの時期だったんです。ただでさえバカンス客が多いのに、お祭りの見物客も合わせてすごい人、人、人。



さて、そのお祭りというのはサン・ルイ Saint-Louis。
ヨーロッパには船の上で落とし合いのバトルをするジュットゥ joute と呼ばれる伝統的なゲームがあり、地方によって微妙にルールやしきたりが違うのですが、モンペリエ周辺では海が近いこともあってジュットゥの伝統がとても盛んに受け伝えられていて、由緒格式ある本格的ジュットゥといった感じ。パラバスなど海辺のあちこちの街で行われています。
そしてここセートがそのメッカ。

このポスターにある写真で様子がわかるでしょうか?



8人くらいの手によって漕がれる大きなボートで、最後尾は水面から2メートルくらいの高さに上がっていて、そこに盾とやりをもった人がたち、二隻の船同士でその落とし合いをするのです。

セートの毎年8月末に行われるのが Grand Prix de la Saint Louis と呼ばれる大会。なんと1743年から毎年行われてきているのです。しかもこの競技の世界では非公式の世界大会と認識されているくらいに大々的なもの。

この日セートに行ったのはこれを見るためではなかったのに、タイムリーにまだ夜の競技が行われていました。





セートの中心を流れる運河カナル・ロワイヤルが会場で、両岸には観覧席がもうけられています。まるで日本のみこし行列や踊りの行列を観覧するのと同じ。




負けた人が飛んで水面に落ちていくのが見えましたか?

勝負が決まって大盛り上がりになったところで、突然照明が消えてしまいました。
みんな突然のことで演出でわざとかと一瞬思いましたが、なんのことはない。不具合でのトラブル。こんな大事なときに照明が消えるなんて、日本ではありえない。さすがフランス。。。復旧がすぐにできずに、反暗闇の中でパフォーマンスが行われました。



戦い合った二隻の船が、ぴったりとくっついて回転させるんです。しかもスピードがどんどん上がっていく。漕いでいる人たちのすごいわざですね。

両岸の観覧席とともに橋も特等席。

とてもすてきな光景でした。

外国人観光客も多く、セート周辺住民の見物客も多く、老若男女、国籍を問わずにたくさんの人が夜遅くまで街に出ている様子は、「夏の祭り」の雰囲気ですごく開放的でした。

運河沿いにはいろんな屋台やスタンドがでていて、こどもの目をひくものを売ってる人もたくさん。

なにやら全身ピカピカ光らせてるお兄さんを発見。

そういえば、私も小さいときこういう光ったものを欲しがったなー。

あめやキャラメル、グミ系のおかしやさん。

こっちの子供はこういうおかしを全部まとめてボンボン(おかし)と呼ぶんですけど、ちょっとそのドギツイ色に日本人は躊躇してしまうんです。

夜23時過ぎてもレストランは超満員、バーも賑わって、運河からそれた横道ですらすごい人出でした。


こんな大賑わいのセートは見たことがなかったので、新しい印象。
夏の夜。お祭りの夜。開放的だけど、なんとなくもうすぐ夏が終わることを感じる夜でした。

2009年8月28日金曜日

旅の記録 : 国境の山々をぬけて

ニースからトリノへの移動の日。

ヴェンチミリアの街をぶらりと歩き、軽いお昼ごはんにパンを買ってから、駅に戻りました。

ここは国境の駅なだけあって、イタリアの鉄道とフランスの鉄道の車両が見られます。




これはフランスの鉄道SNCFの地方路線の車両。車両には地方の名前と紋章が記されてるんですが、こっちの車両にはモナコ公国の名前が見られました。


独立国とはいえ、モナコ公国はSNCFに共同参加してるわけです。

駅のホームでパンをかじりながら行き交う人を眺めているうちに、私ののる電車がやってきました。
比較的きれいな上の写真の車両とは違って、かなり年季の入った古い列車。しかもたったの2両編成。国境の山岳地帯を走るこの路線は、本数は少ないし車両も少ないということで、中は満員。結局座れない人もいましたが、私は運良くイタリア人の男の子とそのおばあさんの向かいに座ることができました。

この路線はイタリア領土のヴァンチミリアを出発してから、一度フランス領土に入り、テンデtende というところで再びイタリアに入って、イタリア北部の街 クネオcuneo まで走る路線です。冬はスキー場、夏場は山岳ハイキングを楽しむ人でにぎわうようで、この日も完全装備の本格的ハイキングをする人たちの姿が見られました。年齢も様々、国籍も様々。


また、私のようにクネオ で乗り換えてその先のトリノに向かう人もけっこういました。ほとんどがイタリア人旅行客ですけど、わけあってこの路線を選んでる一種の「ツウ」の人たちでした。安いからか、景色が楽しめるからか。



テンデ で再びイタリアに入るまで、線路も通過する駅もSNCFの路線ですが、この路線を運行してるのはイタリアの鉄道Trenitalia。車掌さんもイタリア人で、車内放送もイタリア語しかありません。




私はこの日、イタリアに入る一日目で、私のイタリア語もまだまだ封印されたままで、「すみません」と「ありがとう」と「さようなら」ぐらいしか口から出てこなかった。そのため私はフランス語と下手な英語しかしゃべれない。向かいに座ったおばあさんは徹底的にイタリア語しかしゃべらないけれど、道中、寒過ぎる冷房のことや重すぎる荷物のことなどについてちょっとおしゃべりをしました。

古い車両のくせにフルパワーでかけてくれてる冷房があまりに強すぎて、ついには私が車掌さんに「寒いから冷房止めてくれますか?」と頼むことに。でも、ここでも私はフランス語で、車掌さんはイタリア語の会話です。お互い似ている単語などを頼りに、なんとか相手の言いたいことがわかるといった感じ。

山深いイタリアの街で、おばあさんと男の子は降りて行ったのですが、降り際に男の子が「アリベデルチ!」 (さようなら)とにっこり笑って去っていってほんといかわいかったのですが、それでもまだ私のイタリア語は眠ったままで火がついていませんでした。これが旅をしているうちに徐々にエンジンがかかっていくのだからおもしろいもんです。


イタリア領土に入ると電車は平野部に入っていき、クネオ に到着。ヴェンチミリアからは2時間弱の旅でしたが、私は景色を楽しんでまったく長く感じませんでした。

電車がちょっと遅れたために、私を含め乗り換える人たちはあせりましたが、乗り継ぎの電車が向い側のホームで待っていたからラッキー。問題なく乗り換えをし、電車もすぐに出発しました。

山岳地帯では明るい太陽の光が輝いていたのに、平野部におりてくると見事な曇り空。



進めば進むほど空は暗くなっていき、目的地のトリノについた時は雨。。。
雨の中のトリノ中央駅。


クネオからトリノ からは1時間半の旅でした。

それにしても山越えのコースはよかったですよ。
そうでなければニースからジェノバまで海岸線にそってかなりの距離を走ってから、電車を乗り換えてトリノまでまた山側にひきかえすようなコースが一番主要幹線ですから、スピードは出るだろうけど、かなり大周りになりますから。それはそれで地中海がずっと見れて楽しいんですけど、たまには景色を変えて楽しむのも正解です。

トリノに到着したのが15時半。
駅近くのホテルでチェックインして、雨の中というのがちょっと残念ですが街歩きに出かけました。

2009年8月23日日曜日

マリー・アントワネット

もともと歴史好きというせいか、普通のフランス人よりも私の方がマリー・アントワネットの人生について詳しく知っていたということをしってなんかおかしく感じた私。

もしかしたら、私よりも卑弥呼の人生に詳しいフランス人がいたりするかもしれないけれど、それは研究者よねえ、、と思ったり。

でも、フランスで生活して7年目にしていえることは、「やっぱりフランス人は日本について何も知らない。」ということ。私も日本人の一般意識・知識調査をしたわけじゃないから大きなことは言えないけれど、日本人にとってのフランスという国とフランス人にとっての日本という国に対する距離感が、同じレベルではないことだけは確かです。

フランス人にとったら日本はまだまだ「日出国」で、「極東」で、地の果ての国なんですね。

「日出国」なんていって聖徳太子の時代かと思われるかもしれませんが、フランス人が日本について語る時、日常的に使われる言い方なんですよ。フランス語でEmpire du Soleil levant といいます。

日本の歴史についてなんて、普通に教養がある人が知ってることといえば、「天皇」が存在することと、第二次世界大戦でドイツと同盟を結んでいたことくらい?たまに「将軍」という名称をしっている人もいますが、それが何をさすのかはいまいちわかっていなかったりする。そんな風だから歴史上の人物の名前を挙げられるひとなんてめったにいない。日本武道の愛好家が「宮本武蔵」と口にする程度。

ところで普通の日本人はどれくらいフランスの歴史について知ってるんでしょうか。

マリー・アントワネットを例に、ここでちょっとひまつぶしクイズをしてみましょう。

①マリー・アントワネットが嫁いだのは?
②彼女の実家は?
③彼女の母親は誰?
④彼女はどんな最期を迎えた?
⑤彼女が暮らした宮殿は?
⑥彼女の夫の趣味は?
⑦彼女が愛したはなれの建物はなんと呼ばれる建物?
⑧彼女の愛人の名前は?
⑨この愛人はどこの国の人?
⑩当初宮廷で彼女とライバル争いをした人は?
⑪彼女が友人と慕ってひいきした夫人は?
⑫逃亡失敗のできごとは何事件と呼ばれている?

これくらいの質問にはさらっと答えられる人が結構いるんじゃないかと思うんですがどうでしょう。

今回のスペクタクル「c'était Marie-Antoinette」で、ストーリーのもととなったのは、フランスのマリー・アントワネット研究家の一人者 エヴリン・ルヴェール Evelyne Lever が2006年に発表した「C'était Marie-Antoinette」でした。






彼女は2005年には実存するマリー・アントワネットの書簡をまとめて出版していて、この手紙をもとに、ストーリーを組立てました。
幸いにも、数多くの手紙が発見、保管されているんです。

例えば、母マリア・テレジアや兄ヨゼフ2世からの手紙。ルイ16世との間になかなか世継ができないことで、「ちゃんと夫に好かれるように振舞っているのか?」とか、「気をひくために努力しているのか?」とか、「夜通し踊り続けて何をしているんだ!」とかいう、お説教の手紙がかなりあるんですね。
ルイ16世の性的身体的問題については、ルイ16世と妻の兄であるヨゼフ2世がマンツーマンで話しをし、ことこまかくアドバイスをしたことなんかは有名なエピソードです。
その他、処刑台に向かうマリー・アントワネットが、最後に自分の娘にあてて書いた手紙もあります。あいにく娘がこの手紙を読んだのは何年もたってからのことでしたが。

フランス人の中には、この本のおかげで彼女の人生について知ったという人も多いわけですが、私はなぜか、どこかで読み物を通して知ったのか、テレビで特集か何かを見て知ったのか、今回のこのスペクタクルに関わって新しく知った事実はこれといってありませんでした。

でも一方、マリー・アントワネットと音楽についての面では新しく知ること、把握することがたくさんありました。

マリー・アントワネットは大の音楽好きで知られています。小さい頃からハープやクラブサンを習い、自分で作曲もしていたそうです。残念ながら彼女が書いた楽譜のほとんどは革命時に燃やされてしまったそうですが、数曲の歌が見つかったとか。
しかもすごいことに、「ベルサイユのばら」の作者で、声楽の勉強をした池田理代子さんがマリー・アントワネットの曲を収録したCDを発表されたのだという。こうなるとフランス人もほんとにびっくりですね。

マリー・アントワネットは小さい頃からオペラやバレエにも親しみ、自分自らオペラの中の役に扮して歌ったり演じたりしていて、プチトリアノンの横には「王妃の劇場」を作り、そこでも親しい仲間たちと楽しんだそうです。

マリー・アントワネットの時代の音楽というと、すぐにどんな音楽か頭に浮かんでこない私ですが、かろうじて、ちびっこモーツァルトがマリア・テレジアの宮殿で御前演奏を行い、当時7歳だったマリー・アントワネットに「僕のお嫁さんになってください!」とプロポーズしたというエピソードを知っていて、マリー・アントワネットとモーツァルトが同時期に生きたということだけは把握できていました。

ヴェルサイユ宮殿ときくと、「ああ確か音楽史でヴェルサイユ楽派とかいうのがあったな~。」とか、「リュリやラモー、クープランあたりがこの時代の人かな~?」という程度の知識。
厳密に音楽史的にいえば、マリー・アントワネットが成人したころには、もう古典派の時代になっていて、ルイ16世のおじいさんで有名な太陽王ルイ14世の時代に活躍した音楽家たちが、リュリやクープランだったわけです。


今回のスペクタクルで使われた音楽の作曲家の名前を挙げてみると、

ジャン=フィリップ・ラモー 
Jean-Philippe Rameau 1683-1764
クリストフ・ヴィリバルト・グルック 
Christoph Willibald von Gluck 1714-1787
アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ 
André-Ernest-Modeste Grétry 1741-1813
ニコロ・ピッチンニ 
Niccolo Piccinni 1728-1800
アントニオ・サッキーニ 
Antonio Sacchini 1730-1786
アントニオ・サリエリ 
Antonio Salieri 1750-1825
ヴォルフガング=アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791

マリー・アントワネットが生きたのは1755年から1793年ですから、彼女の時代に活躍した音楽家たちであることは一目瞭然。モーツァルトなんて一歳違いで二人して若く亡くなってますから本当に同時代同世代の二人なんですね。どの作曲家にしても、オペラというジャンルの発展に貢献した人たちであるという共通点があります。しかもこの作曲家たちは単に王妃と同時代なだけでなくて、実際にマリー・アントワネットと親交のあった人たちなんです。

例えば、ラモーはヴェルサイユ宮殿でフランス王室作曲家という名誉あるポストを務めていた人。イタリア人であるニコロ・ピッチンニは、マリー・アントワネットによってパリに招かれた作曲家です。

でもなかでも一番王妃とつながりが深かったのはグルックです。彼はマリア・テレジアの宮廷楽長を務めていて、幼いマリー・アントワネットにハープやクラブサンのレッスンをした人物なんです。しかも、フランスへの嫁入りの際には音楽教師としてパリまで同行してきたのです。

グルックの作品に有名なオペラ「オルフェとエウリディーチェ」がありますが、マリー・アントワネットがこのオペラをお気に入りだったというのも無理ありませんね。
しかもこのグルックは、オペラの改革を行ったとして、音楽史の中でとても重要な作曲家なんです。

私はこの時代のオペラのことなんてほとんど知りませんでしたが、今回このスペクタクルに参加したおかげで、いろいろ聞いてみよう、勉強してみようというきっかけをもらいました。

一口に音楽といっても、一口にクラシック音楽といっても、そのジャンルや時代を切り口にして扉が開かれ、そこからまた数えられない名曲がまだまだあることを知るものですね。いやはや。

2009年8月21日金曜日

旅の記録 : Ventimiglia ヴェンチミリア

イタリア旅行の二日目。

9時にホテルを出て北イタリアの街トリノを目指しました。




ニースからイタリアに向かう電車は海岸にそって走ります。エズ Eze、モナコ公国 Monaco、 マントンン Menton、など観光名所を各駅でとまりながら、1時間ほどでフランス―イタリア国境の町 ヴェンチミリア Ventimiglia につきました。フランス語ではヴァンチミッユ Vintimille とよばれる街。


今回の旅で、私はトリノで一泊する計画をたてのたのですが、普通に駅でニース―トリノ間の切符を買おうとすれば、ニースからジェノバまで出て、また山方面に向かうというルートが決められてしまいます。

でも私はインターネットでいろいろと調べているうちに、ジェノバには出ずに、国境の山岳地帯をとおる電車の路線があるのを知りました。スピードはゆっくりだろうけど、この暑い夏に涼しい山中を走っていくのはさぞ快適だろうと思って、このルートをとろうと自分の中では決定。

でも、モンペリエの駅の窓口で訪ねると、やっぱりニースからトリノへはジェノバ経由の、しかも50ユーロくらいはするチケットしかないと言ってきた。


「え~、ヴェンチミリアで乗り換えて山の中を走っていく電車があるのをインターネットでみたんですけど。」と一応言ってみるものの、窓口のお兄さんは「いや~、僕のもつ情報にはないです。」と結論づける。普通に感じのいいお兄さんがコンピューターで調べながらそう言うんだから、まあ仕方がない。

「ちょっとまた自分で見てみます。」と言ってモンペリエでは切符を買いませんでした。


で、ニースに着いてから、ニースの駅の窓口で今度はベテランのおばちゃん相手に説明。


「ヴェンチミリアで乗り換えて、国境の山の中を走っていくルートでトリノまで行きたいんですけど。。。」と言うと、おばさんは「ああ、わかったわ。あのルートね。」と言って25ユーロのローカル路線のチケットをくれました。


ほらやっぱり。自分の見た情報で正しかった。


こういうことがあるから、日本人旅行者に強くアドバイスしますが、自分の力で下調べして、そのとおりになるまであきらめずに頑張ってください!相手のいうことをうのみにしないこと!下手したら働いているフランス人よりもこっちの方が把握してたり、なんてことが多々ありますから(笑:いったいどんな国なんだって感じですね。)

というわけで、希望通りのルートを手に入れ、ヴェンチミリアで電車の乗り換え。待ち時間が一時間以上あったものだから、駅を離れて海辺まで歩いてみました。



この日は曇り空だったのがちょっと残念。でも国境という目には見えないラインを超えるだけで違う国にいるというのが実感できて私はうきうき。マルシェの前を通ったりすると、微妙に売られているものが違うのに気が付きます。そして物価もかなり低くなってる。



気取るところのない全くの自然体でおばあさんやおじいさんが街のあちこちで世間話をしてて、日常の風景っていいなーと思わされました。

私が歩いたのは駅と海岸線の間のわずか5500~1000メートル。それでも地中海とイタリアの雰囲気満点です。



海岸線から山もすぐ近くで、あそこを通る電車に乗るんだろうなと勝手に想像してわくわく。


この橋をわたった向こう側に、ホテルや民宿が集中してあるようです。





ビーチまで出てみると、海岸線にそってフランスの地が見えます。

島国日本に生まれ育った者にとっては、こういうなんでもない風景が特別にみえちゃいます。そんなことないですか?




地球の世界市民とかって考えをもつときには国境というものは不要にも思えるけど、文化や言語などをベースにしてまとめられたグループを一つの国ってとらえるときには、やっぱり国境は必要な気がします。

パスポートチェックなど全くなし、使うお金は同じユーロ。でもトンネルを抜けて辿りついた町ではイタリア語を話す人たちが生活していました。

国境を超えるって、私にとっては何度やってもわくわくしちゃう楽しみの一つです。

2009年8月20日木曜日

恐るべしcanicule

canicule (カニキュル)というのはフランス語で猛暑のこと。


ただいま南フランスでは猛暑の熱波で厳しい日が続いています。
日中の日向では40度なんて軽くこしてしまって、ほんとに暑い。
月曜日は17時の日影でまだ35度ありましたから。。。


日本の猛暑と比べて、湿度が低い分だけましだと思いがちですが、でもこの暑さは厳しい。
私の家には冷房どころか扇風機もなく、、、。

夜も暑いというのはつらいですね。


カニキュルというには定義はないけれど、
①高い気温が数日間続く
②夜になっても気温が下がらない
ときにあてはまると言われます。

具体的には南フランスでいうと、日中気温が35度以上で夜になっても20度以下にならない状態のこと。


日射病、熱中症を防ぐために、子供たちには太陽が照ってる間は外で遊ばないように、とか、帽子とサングラスを必ずみにつけるように、とか、スポーツ愛好家にも日中屋外でのスポーツを控えるように、とか、毎日呼びかけがされています。


この暑さのせいもあってか、小さい時から脳貧血もちの私は久しぶりに倒れてしまいました。火曜日の朝、仕事場で。
ピアノを弾いてる最中だったからぎりぎりまで我慢しようとしたのが失敗。立ち上がって「気分が悪いからちょっと5分ちょうだい。」と言ったすぐあと、気を失ったようで、床にあおむけになってるところへ声をかけられて気が付きました。
数秒間だとは思うけど確かに気を失ったようです。でも、長年の慣れのおかげか、小さい頃からばった~ん!と派手に倒れてきた経験から学んだのか、今回はまるで自分から横になったかのように静かにゆっくりと倒れたようです。

今週はオペラjrで外部の未経験者を対象にしたスタージュをしているので、お互いよく知らない子供たちの前で倒れて、さぞ、びっくりさせてしまったことでしょう。ごめんねー。

ピアノのすぐ横に倒れた私はそのまま30分近く横にならせてもらいました。


「おうちに帰って休んでおいで。」と言ってもらったものの、家に帰るエネルギーとピアノにまた向かうエネルギーは似たようなもんだと思って、結局一時間近く休ませてもらった後、またピアノに向かって仕事を終えました。



昨日、今日はそれでも多少風が出てきたのでちょっと助かっています。でももうちょっと気温が下がってくれるといいんだけどな。。。


これまでに歴史的な大猛暑となったのが2003年の夏のこと。私にとっては初めてのフランスの夏で、あんなに暑くなってびっくりしちゃった思い出があります。
フランス各地で歴史的最高気温を記録して、冷房とか設備していない老人ホームなどで亡くなってしまう老人が続出したのです。


「あの夏を越す暑さだ。」とはまだ誰も言っていなくて、「あの夏に匹敵するくらいの猛暑?」とか言いはじめていたら、昨日はまた記録的最高気温が発表されました。

トゥールーズの近くのアルビという街で日中の日向の瞬間最高記録46.5度!!

ええ!大丈夫なんですか?っていう気温ですよね。
もちろん、年中こんな気温の土地もこの地球上にはあるのは事実ですが、、、。

ああ、明らかに温暖化現象が進んでいますね。

フランスでも都市部の高温化問題について話されていますが、日本の都市に比べたらまだまだなんてことはない。日本の街を思い出したら、そりゃ気温も下がらないよ、、と思えるものばかりですからね。全オフィス、全店舗、全家庭にエアコンがついているような状況で、さらにアスファルト道路だらけ、どこもかしこも街灯があって、ネオンが一晩中光っていて、コンピューターやらゲームやらビデオやら、電化製品での遊びが氾濫してて、そして車の排気ガス、、、。

この日本の街の状況に比べたら、フランスで今の都市の規模、都市の状況ですでに都市部の高温化問題について真剣に対処しているというのはいいことだと思います。
例えば都市部への車の乗り入れ数を制限しようという考えとか。車乗り入れ禁止とかいう実現はまだすぐにはできないかもしれないけれど、各都市でトラムウェイと郊外から車で来る人のための駐車場をセットでお得な値段にするとかの行いは、もう数年前から盛んになっています。

それから世界的エコロジー運動の呼びかけで、ある日ある時間になったら電気を消しましょう、というのに応じて実行する人がかなりいます。その間はろうそくで過ごすのです。

日本の街でもこういうことが実行できたら、かなり大きな省エネになると思うんですけどね。

日本では選挙ムードのようですが、エコロジーを最大スローガンに訴える党とか候補者がもっとでてきて、もっと認められて、もっと活動できるようになるといいのになと思うこのごろです。

2009年8月18日火曜日

旅の記録 : Nice ニース

さて、ぼちぼちと12日間のイタリア旅行の記録を始めたいと思います。

いろいろ迷ったあげくに今回も電車で行くことにしたんですが、隣の国とはいえ、モンペリエからイタリア国境までは意外と遠いんです。電車で一番便がいいものを選んでも4時間以上は楽にかかる。そのため、今回はイタリアに入る前にまずニースに寄ってみることにしました。

世界的観光地のニース。そのせいもあってか、私はあまり興味もなく、あまり惹かれない街。一度だけ用事で行ったことがあるのですが、市内をゆっくり回ったことはなかったんです。

でも唯一、以前から行ってみたいと思っていたところがありました。それはシャガールの美術館。日本人に人気がある画家の一人ですね。

スーツケースをひきずる弱い腕を痛めすぎないように、駅前のホテルに泊まることにして、ニースの半日観光をしました。

こちらがNice Ville の駅。



シャガールの美術館は、線路をはさんで海とは反対側の高台にあります。
バスでもいけますが、私は断然歩き派。
東京の下町を思い出させるような坂道をあがっていきました。




高台の一帯はシミエという閑静な高級住宅地になっていて、入口にマルク・シャガール国立美術館があります。



入場券を買おうとしたら、なんとラッキーなことにこの日は入場無料。
フランスでは国立の美術館では毎月最初の日曜日が入場無料なので、きっとそのおかげ。



実は私が美術館に行くのは数年ぶりでとても久しぶりのこと。
でも入ってすぐに、来て大正解だと思いました。
白い壁のシンプルな内部に、シャガール色が広がっていましたから。

シャガールの青。

シャガールの緑。




シャガールの赤。




シャガールの黄色。

壁のモザイク画。見学者はガラス越しにこの絵を見るのですが、最初から自然な太陽の光の具合も計算に入っており、池に反射して見えるモザイク画のことを考慮してあったそうです。


そして音楽をする者にとってはあこがれの空間がこのホール。シャガールのステンドグラスを通って入る光が、なんとも言えない魔法のような青を作っています。

私は以前に友達からこのホールの存在を聞いていたから見逃さずにすみましたが、休憩スペースの裏手にひっそりとあるので、これから行く方は要注意。


このほか、絵や直筆の手紙などが展示されていて、シャガールの人生について知ることができました。

本当に来て大正解。

じつはこの美術館からもう少し行った同じ地区内に、マティスの美術館もあるのですが、時間的なことを考えて今回は断念しました。

他の見学者が次々とバスに乗り込むのを横目に、私はてくてくと歩いて海岸線を目指すことにしました。

モンペリエでは見ない、なにやらゴージャス感ただよう建物がいっぱいです。


大通りをずっと下って行って、15分ほどでガリバルディ広場に出ました。

この広場から海岸線の間にあるエリアがvieux Niceとい呼ばれる旧市街地です。
私にとっての第二の目的地はここでした。
足を踏み入れてすぐに実感。まるで京都の錦通りみたい!

錦通りのおつけもの屋さんのように、こちらには香辛料の店などがあります。
ニースの街は1860年にトリノ条約でフランスに併合されるまでは、イタリアのサルディニア王国の街でした。そのため、旧市街の街の色はイタリアの色。肌色やベージュ色といった暖色系の色が壁を彩っています。
旧市街地の街並みを楽しんだ後、私が目指したのは私の旅行ではお馴染み、「町で一番高いところ」でした。
海岸沿いの丘の上に、昔のお城跡地が公園となってあるんです。そこに行くには丘の裏手である旧市街地からひたする階段を昇るか、海岸側にある便利なものを使うかの二通り。
足が痛くなってきた私が選んだのは、海岸側の便利なもの。
それがこちら。
Ascenseurと書かれていますが、これはエレベーターのこと。
0.9ユーロ払ったら、エレベーターが丘の上まで運んでくれるんです。
お年寄りやハンディキャップをもった人のためにはとてもいいアイディアですが、私のような無精者も多いもんです。
エレベーターから出て海岸を見渡すとこの景色。
ニースの街が見渡せます。ニースのおもしろいところは、町とビーチが一体となっているところでしょうか。
この高台の公園は、ニース市民のいこいの場所のようです。子供向けの遊具もたくさんありました。
ニースの歴史は古代ギリシャ時代までさかのぼるようで、当時「ニカイア」と呼ばれる人々が交易をおこなっていたのがこの土地で、それがニースの街の名前の由来となりました。
このお城跡の場所には、紀元前から要塞のようなものが築かれ、中世にはお城が立てられ、ニースの街といえば、このお城と城下町である丘のふもとの旧市街地だったそうです。以来、プロヴァンス公爵、サヴォワ伯爵などが住む城として栄えました。
丘からビーチとは反対側の景色はというと、こちら。
ニースの港です。
リッチなヨットが並ぶこの港周辺もハイソな高級エリアです。
私が数年前に用事でニースに来たというのは、実はこのエリアに住む、とある作曲家の奥さんに会うためでした。今思い出すと、ずいぶん昔の話のようで懐かしい。
この日は天気に恵まれ、青い空と青い海、ニースらしい景色がみれて大満足でした。
上りはエレベーターで楽をした私も、下りは階段で下りました。
この丘を利用してジョギングする人もたくさんいるようで、汗をかきながら階段を走って上ったり下りたりしている人を見ていると、まだまだ若いくせにエレベーターを使っているような人との体型の違いはこういうところから生まれるのだなと、妙に納得してしまいました。
ビーチで楽しむ人たちを見ながら、ニースと言ったらここという場所「イギリス人の散歩道」まで行きました。
この時点でもう18時は過ぎていましたが、まだまだたくさんの人出で、ゆっくり散歩する人、サイクリングする人、ローラボードやスケートでスポーツする人、べンチに座っておしゃべりする人などなど、みんながそれぞれの夕方を過ごしていました。

私はショッピングエリアをぷらぷらと歩きながら、ホテルに戻ることにしました。




この町で感じたことは、シーズンがシーズンなだけに、本当に世界的観光地だということ。街を歩いていて耳に入ってきた言語の数は知れず。。。
やっぱりモンペリエとは全然違う雰囲気ですね。