2009年12月20日日曜日

日本里帰り

今日も気温は低くて、朝なんて全国各地で氷点下。そして雪。

英仏海峡のトンネルでユーロスターが止まっちゃったとか、飛行機の欠航も相次ぎ、ニース付近では局所的な雪のせいで高速道路がつまっちゃったり、ホームレスの人が亡くなったりと、クリスマスを目前にこちらはどこもかしこも荒れ模様。特にこの週末はクリスマスを家族と過ごすための里帰りラッシュのスタートだったから大混乱。

そんなニュースを見ながら、実は自分も明日の飛行機のことを心配しています。
というのも、滞在許可証発行が遅れたために間近になっての決定となったのですが、この年末を日本で過ごすために私も里帰りすることにしたのです。
で、出発は明日月曜日。
モンペリエから飛行機にのってパリで乗り換えて大阪までの直行便にしました。ここ数日パリのシャルル・ド・ゴール空港は雪のために混乱しているので、ちゃんと日本まで明日いけるかがちょっと心配。どうやら長距離便は保証してるみたいですが、国内便や近距離の便はのきなみキャンセルが出ていたようです。明日はどうなるやら。
まあ、安全のために遅れが出たりキャンセルが出たりするのは仕方ないことですけどね。

今回の日本滞在は二週間と短いのですが、2年半ぶりの日本を満喫したいと思います。なんといっても日本のお正月は6年ぶり!楽しみ楽しみ。

フランス語で「帰る」というのをrentrer (ラントレ)と言うので、私は「帰省する」という意味で、「J'ai décidé de rentrer au japon pour passer les fêtes là-bas !」(年末を向こうで過ごすために日本に帰ることにしたの!)と周囲の人に言ったのですが、今回おもしろかったのが、rentrer を一時的な帰省ではなくて、完全帰国を決めたと解釈した人が多くて、みんな一瞬にして真剣な顔で「えっ。。。」とドッキリしてくれたこと。「えっ。でも帰ってくるんでしょう?」と尋ねてくる人はもちろん、「えっ。。。」で固まっちゃってるままの人に私があわてて「え~、バカンスを故郷で過ごすって意味だよ~!」というと、みんな「あ~、なんだ~!!いなくなっちゃうのかと思った!!」と言ってくれる。親しい人だけなく、ピアノの生徒の親までもがマジでドッキリしてくれる様子をみると、私がこちらで生活しているというのを、周囲の人が一時的なことではなくて、私がこちらで地に足をつけて生活しているととらえてくれてるんだなと感じさせられました。彼らにとったら、私が日本にいくことは単純にaller (行く)やpartir(発つ)であって、日本からこちらに戻ってくるときのことをrentrer (帰る)と思っているのですから。

私自身としては、モンペリエの友人たちには「いってきま~す!」という気分で、でも日本に着いたらついたで「ただいま~!」の気分ですね。そして年明けにモンペリエに戻って活動を再開するときにも「ただいま~!」となると思います。

2年半ぶりに家族や友達のもとへ帰る私に、みんなが「満喫しておいで!」と言ってくれました。このシチュエーションは初めてじゃないわけだけど、なんだかみんなの表情、言葉に気持ちがこもってるのを感じました。私のこちらでの生活が8年目を迎えていること、二年半ぶりの日本だということで、「里帰り」のもつ意味も内容も少しずつ変わってきているということでしょうね。

前回帰国した時は電車の切符の買い方がよくわからなくて、となりにいたお兄ちゃんに尋ねたっけ。。。
今のハイテクニッポンの様子を聞くと、また浦島太郎みたいな気分になるかもしれません。
それも楽しみです。

2009年12月18日金曜日

こちら氷点下

寒いです寒いです。

ただいまフランス全土を大寒波がおそっています。
モンペリを含めた地中海沿岸地域だけ免れていますが、その他は北も西も雪、雪、雪。
雪はまだ降っていないモンペリエですが、気温はめっきりさがって、水曜日の朝は氷点下になり、午後1時をまわっても外気温がゼロでした。寒いはずだ~。

街はすっかりノエル(クリスマス)モード。
コメディ広場のクリスマスマーケットは年々規模が大きくなっていっていて、今年もにぎわっています。


今年は写真でごらんのように、巨大ツリーの場所がちょっと変わりました。今まではオペラ座コメディの目の前だったんですけど、今シーズンからオペラ座の正面窓ガラスにシーズンの宣伝映像を流しているんです。きっと、その映像がクリスマスの間もちゃんと見えるように、まぶしく輝くツリーは遠ざけられたんでしょうね。
クリスマスと言えば、フランスでも「すっかり商業化されてしまって、、、」と嘆く声が聞こえますが、やっぱりそれでもプレゼントを選んだり贈ったりもらったりして楽しいものです。
私も友達やピアノの生徒にささやかなプレゼントを用意し、友達や生徒からはプレゼントをもらい、大好きなチョコの特大パックをもらったりしちゃいました。ひひひ。やばいです。

2009年12月14日月曜日

真心いっぱいの傑作

去年の秋ごろの話。

冬が近づくにつれて「なにかあったかくしてくれるものが欲しいな~。」と思っていたのです。例えば大きなプーケかポンチョか。ピアノのレッスンをしてるときは数時間基本的にイスに座ってるだけでじっとしているので、すごく寒いんですね。ただでさえ、日本ではありえない悪条件で労働している私。毎年のことながら、病気になるかならないかの戦いを、レッスン室のせいでしています。

で、ある日、編み物縫物なんでも上手な友達Aさんに何気に聞いてみました。「ね~ね~、ポンチョとか注文してみてもいい?」って。
というのもAさんはこの趣味であり特技である洋裁を仕事とすべく思案模索しているので、お友達価格とはいえ私が支払うという前提でだったら、何か作ってくれるかな~と思ったからです。

彼女は「ポンチョなんて大作はまだしたことがないけど、やってみたいと思ってたし、お試し試作ということでよければ、、、」と引き受けてくれました。彼女が調べてモデルなんかを提案してくれて、毛糸も一緒に選びに行って、何も現実を知らない私は「(去年の)年末には出来上がるのかな?」なんて思ってたんです。

ところが、ポンチョというのは大きな作品で、彼女が選んでくれたデザイン・モデルはとてもハイレベルな本格的作品だといことを後になって私は理解したのです。
実は私、セーターを頼まずにポンチョを頼んだわけですが、セーターを編むのは大変だという認識が一応あって、一方「ポンチョというのはマフラーを数枚分つなぎ合わしたようなもの」というすごい誤解をしていたんです。太めの毛糸でざっくざっくと編んでいったらできあがると簡単に考えていたんです。
Aさんが「遅くってごめんね~。」とか言い出したからふと考えてみると、彼女のアドバイスに従って私が選んだ毛糸はどちらかと言うと細かった。しかも彼女が選んだデザインの編み目はとってもキメの細かい複雑なものだった。かろうじて、私は全部一色同じでいいからといったのがよかったけど、とにかくとてもおしゃれで高級上質の品を注文してしまっていたことに、あとになって気がつきました。

それからは、Aさんが「遅くて申し訳ない、、、」とか「ごめんね、もう春になっちゃったね」とか言うたびに、「変な大作を頼んでしまって、さぞや気になってるだろうし、気も重くなってるだろうしごめんよ~!」と謝りっぱなしになり、ちょっぴり罪悪感と後悔がおそってきました。
夏になるともうお互い笑い話として、「まあ次の冬が終わるまでには渡せるかな~、もらえるかな~」と言い合っていたけど、私としては負担をかけてはいけないと思って、忘れたわけじゃないけど話題にはださなくなっていました。

そこへ、今年の11月になったころ、Aさんから「ポンチョできたからお届けにいきたい。」と言ってきてくれたのです。思いがけずに「すでに完成」という言葉を聞いて驚き喜ぶ私。しかもうちまで届けてくれるというから、こちらも恐縮しつつ、楽しみにしていました。

「ちょっと間違えちゃったところがあるんだけど。。。」と遠慮がちに見せてくれた完成品を見て、私は息をのみました。だってすごいんだもん。

ほら、こちらです。




この重量感を感じてもらえるでしょうか?

首の部分がタートルみたいにもなるし、この微妙なカーブ具合といい、そりゃマフラーのつなぎ合わせなだけなわけがない!
そして編み目も何種類もあって、模様がしっかりとあって、etc.etc.
しかも羽織ってみるとあったかいのなんのって。

一体どれだけの時間をかけて、どれだけの忍耐と苦労をもって作ってくれたのでしょうか。
最初からお友達価格とは言っていたけど、やっぱり費やしてくれた時間を考えるだけでもそれなりには代金を払わないとこちらが恐縮していまいます。だから私が毛糸の材料費は別で、「こんだけでは少ないだろうけど、、、」と言って差し出したお金を見て、Aさんは「そんなの多すぎるよ!」と言って受け取り拒否してきたのです。といっても、彼女の労働時間を考えたらほんとに不当な料金を提示したんですよ私。で、二人であーだこーだとやりあいをしましたが、結局、Aさんの「ほんとにほんとに、そんなにいいから。」というセリフに私がおれて、ありがたく超超お友達価格でこの特製お手製上質ポンチョを受け取ったのでした。

一年前に取り掛かり始めてくれたAさん。
このポンチョのおかげで、彼女は旦那さんのセーター作りにとりかかれず、私は旦那さんにも「私が先にすごいもの注文しちゃったばっかりにセーターお預けになってごめんね~。申し訳ない。。。」と平謝り。

私自身は縫物は必要に応じてすることはあるとしても、手編みで何かを、しかも誰かのために編むなんてしたことないし、やってみようと思ったことすらない。お恥ずかしながら。

市販の機械大量生産のセーターなんかとは違って、手編みというのはやっぱり手編み。普通に買えばとても立派な値段です。それをしっかりと根気よく編んでくれたどころか、私のために編んでくれたかと思うと、その真心愛情に感動しちゃいました。

これでもうピアノのレッスンのときに「寒いよ~。。。」と身体をふるわすこともなくなるし、しかも生徒たちに羽織って見せて「これ友達が手編みでしてくれたんだよ~。」と自慢できちゃう。楽しみです。

この真心には、私なりの私ならではの何かでお返しをしないとね。

2009年12月8日火曜日

Musicien engagé

11月21日と22日、Le choeur symphonique の「ドイツレクイエム」の練習ウィークエンドの二回目がありました。


私は21日土曜日、朝10時から17時半までオペラjrの集中練習があったのですが、夕食をさっさとすませて20時から、この「ドイツレクイエム」の練習に参加。

もちろん疲れてぼ~っとしてるわけですが、指揮者エルヴェ・ニケ氏(Hervé Niquet)を前にすると「めっちゃ疲れてます~。」なんて言えない。というのも、彼のスケジュールこそ超超ハードだからです。そもそも、土曜日の練習が夜20時からだけというプランニングを見るからして、ニケ氏は朝からどこかで仕事があったからという理由がうかがえる。最近はレコーディングの仕事も山盛りだと言っていたから、パリでそういった仕事があったのかなと私は勝手に解釈していました。


一ケ月ぶりに会うなり、ニケ氏は「こんばんは!」と日本語で言ってきた。
おっ、前回は夜でも「こんにちは」と言っていたのに進歩している。「あ、すごい。マスターしてる!」と言うと、「ちょっとは努力してるんだよ。」とのこと。


さて、150人の合唱メンバーを前にニケ氏はおもむろに練習開始。

普通の人にとったら土曜日の夜20時から23時の練習なんて、なかなかエンジンが入らないもの。でもニケ氏は容赦なく、というか、当然だけどボルテージ高くがんがんぶっ飛ばす。反感を買ってしまいそうなことも容赦なく言ってしまうのがこの人。たまには反感どころかひんしゅくを買ってしまいそうなことも言ってしまう。もちろん笑いもとってるけど、下手すると笑いでは毒舌のフォローが聞かなかったりする。そんなときは私も隣で苦笑い。。。

でもなにより要求度の高さというのがすごいと思う。
プロのオーケストラを指揮する場合だってエネルギーが肝心だけど、音楽愛好家のアマチュアの人を前に、いかに自分がエネルギーを出しつくしているのかを、身をもって見てもらってそれに応えてもらおうというわけ。だけどそれにしてもすごい。難しい要求にアマチュアの人が「そんなの無理だよ。」で止まってしまったらだめなわけで、くらいついてもらわないとだめ。あの手この手を使って要求にこたえてもらうのが目的。そしてアマチュアなだけに、どうやってその要求に達っせるのかという指導が必要。理解してもらえるように、納得してもらえるように指導しながら要求していくのです。しかも短時間で結果にありつかないといけない。


そもそもこの日、彼はスイスのバーゼルから飛行機を二つ乗り継いでモンペリエにやってきたそうな。しかもバーゼルではオペラの練習真っ最中で、中日の土日休みを利用してこうしてモンペリエに仕事に来たのです。なんというバイタリティ。なんというエネルギー。

「今朝は5時半に起きて飛行機乗り継いでやって来たんだよ~。」としんどそうに言うマエストロを前にすると、「私は家から徒歩10分のところで10時から17時半まで仕事して疲れてるんです~。」とはとても言えません。


「ドイツレクイエム」というのは本当に密の濃い作品で、演奏するには一秒とも気を抜けるとこがなく最初から最後まで真剣なエネルギーを要する作品。

アマチュアさんでは難しくて当然。

でもマエストロは要求する。

ほんの集中力も問題なんだと。ほんのエネルギーの問題なんだと。



「あなたたちは現実がわかってない。現実世界から完全にはずれたところにいる。」と言って説明するのは、まずプロのオーケストラとともに演奏できることの貴重さ。そしてその環境には莫大な費用がかかっていること。オーケストラの団員と歌手のソリスト二人の給料とギャラがどれだけかという話。そして一つのコンサートを行うのにどれだけの人がかかわって、どれだけのお金が動くのかという話。同時にここでポカをしたらもう二度とそのチャンスはもらえないこと。ニケ氏としては、結果が出せないとLe choeur symphonique が消滅するだけでなく、彼のオーケストラLe concert spirituel だってモンペリエのシーズンにもう呼ばれなくなるし、彼自身が招待指揮者として呼ばれなくなるという危機感をもっての仕事。2000人以上収容のホールのチケットはすでに完売近く売れているということ。そしてそのお客さんはだれもアマチュアだからというレベルを期待してはいないということ。ブラームスの「ドイツレクイエム」を聞きたくてチケットを買っているのだということ。そしてブラームスへの尊敬の念、彼の作品への驚嘆と敬意。そしてetc. etc.。


ニケ氏は自分が立ち上げたバロック音楽のオーケストラと合唱団Le concert spirituelを指揮しているのですが、そのグループのために自分がしてることの80パーセントは政治だという。資金集め、支援あつめのためには政治との交渉が第一。とくにフランスのような政府が文化・芸術を守り、育てている国では、政治がものを言うのです。
最近、日本では同じようですが、今後、政府の財政調整の中で文化・芸術を支援する費用が大幅に削減されていくことが目に見えています。そのこともあって、ニケ氏はオーケストラがなくなる日、オペラ座がなくなる日を現実にとらえてないと、なくなってしまってからではもう遅いという。


ニケ氏はミュージシャンであると同時に、バロック音楽を研究する音楽学者でもあります。その双方を同時にこなして各方面で高い評価を得ている人なわけですが、彼の発言を聞いていると、それだけでなくて「音楽」というのものために戦っている人だなあと思いました。


そういえば、普段から私はミュージシャンというのは人類の文化遺産を守るための活動だと認識していました。音楽というのは、医学とかと違って人類にとって絶対必要なものではありません。でもだからこそ守る活動をしなかったら、過去の作品はいつのまにか忘れ去られてなくなってしまうものでしょう。


フランス語にはengager (アンガジェ)という動詞があって、名詞化するとengagement。日本語訳すると約束、契約、または参加、投資、投入などいろいろ言葉が見つかりますが、要は真剣に取り組むということ。再帰動詞s'engagerを使えば責任をもって取り組んでいる姿を表せます。仕事においても、何かの行事においても、さらにはカップルの真剣な向き合いにだってあてはまります。

有名な歌手や俳優で人道政治的な活動をしている人がいますが、そういった人を表すのにも使える言葉。ニケ氏を見ていると、musicien engagé だなあと思いました。

彼のスケジュールを見ていると普通の人とは全く違う暮らしをしているし、彼が放出するエネルギーを目の当たりにすると普通の人とは全く違うということがよくわかりますが、それもこれも彼が生活を「音楽」に捧げているからなんですね。

彼の活動で共感するというかいいなあと思うところは、教育活動というか普及活動にも熱心なところ。もともと音楽を理解する人たちだけを相手にするのではなくて、若者だったり愛好家の一般人の人たちを指導して一緒に音楽を共有しようとするスタンスが感じられます。

すでにLe choeur symphonique の人たちは、たとえ「口が悪い人」とかいう印象をもっている人ですら、高いレベルを目指して取り組むことをこの3年間で身をもって習い、その結果を肌で感じているはず。それだけでもすごい成果だと思います。だから私も心からLe choeur symphonique の今回のコンサートの成功と来シーズンへの存続・続行を願っているしだいです。

土曜日3時間、日曜日5時間半の練習を終えると、ニケ氏は呼び寄せたタクシーに飛び乗り、モンペリエ空港に向かってパリ経由でスイスのバーゼルへと戻って行きました。翌日朝からはまた連日オペラの練習、そして本番がまっているのです。

走り去るタクシーの後姿を見ながら、「こうやって人生を送る人達が実際にいるわけなんだよね。。。」と思った私でした。

2009年12月6日日曜日

友の晴れ舞台

11月1日に私が強行でリヨンに行ったのは、私のフランスでの大事な友達レイラの晴れ舞台を見に行くため。


レイラというのは、2002年10月、フランスに来て数日後の私が大学で出会った女の子。私より2歳年下で、当時まだ声楽の勉強を真剣に初めて間もなかった彼女だけど、すごく深くて丸みのあるとてもいい声を持っていました。誰が聞いてもインパクトの強い印象を受け、「何かを持ってる」と感じさせる歌手でした。大学のオプション授業「室内楽」で私と彼女はドゥオを組み、この授業の担当教師でモンペリエオーケストラのフルート奏者でもあるレニエ氏の全面応援&サポートを受けた私たちは、一年間の間、大学内のことある機会で演奏させてもらい、名誉博士号授与式のセレモニーでも演奏させてもらいました。
当時、まだフランス語も片言で下手っぴだったであろう私ですが、彼女とは気が合って、息が合って、プライベートの時間も一緒に過ごし、花の貧乏学生同士らしくささやかながらいろんなことをしました。涙が出るほどお腹をかかえて笑いあったりできるいい友達でした。


その後、2003年には修士論文執筆とともに、私は仕事をし始めてハードな生活に入り、彼女は彼女で本格的に声楽の勉強に没頭し、セートの小さなコンセルバトワールからリヨンの国立高等コンセルバトワールに直接入学するという快挙をなし、リヨン生活を始めました。

4年間の学業を終え、去年の6月に優秀な成績で卒業。
これからどんな活躍をするのかと私も楽しみにしていたところ、さっそくとある演劇のオーディションで抜擢され、パリの劇場で数カ月にわたる公演に参加したのです。

その劇作品と言うのが、大オペラ歌手マリア・カラスが最後におこなったジュリアード音楽院でのマスタークラスを舞台にしたその名も「マスタークラス」。これまでにいろいろな賞を得てきた有名な作品です。主演女優もこれまでにいろんな人が演じてきました。
今回、レイラが参加する舞台でマリア・カラス役を務めるのは、女優であり歌手であり、フランス人なら誰もが知っているマリー・ラフォレ。日本人なら知ってる人は知ってるだろうけど、アラン・ドロンで有名な「太陽がいっぱい」の相手役をした人であります。大きな目が印象的な人。

この「マスタークラス」では、マリア・カラスの回想シーンが多いのですが、マスタークラスなだけに、受講生が登場します。声楽の道を志す若者たちなわけですが、その中の一人の役として、レイラは歌も歌い役も演じるのです。


彼らのパリ公演は大成功をし、主演のマリー・ラフォレは毎年フランス演劇界が選ぶ最優秀主演賞に選ばれました。
そして数ヶ月間のパリ公演を終えてから、フランスの地方公演が始まったのです。

私はもちろんパリ公演に駆けつけたかったのですが、スケジュール上無理だったので断念しましたが、何が何でもどこかの公演を見なくては私の気持ちもおさまりません。レイラから情報をもらったり、インターネットで検索して、だいたいの場所と日程を調べました。でも結局南フランスのほうにはあまりこないよう。ボルドーとかストラスブールとかリール公演では遠くていけません。
そこで見つけたのがリヨン公演。しかもトゥッサンのバカンス中。幸い私も仕事がちょっと軽くなる時だったこともあり、11月1日のリヨン最終公演の日に行くことを決めたのでした。


お昼前にモンペリエを出てTGVでリヨンへ。その日の午後、レイラと久しぶりの再会をしたのは先日のリヨンの記事で書いたとおりです。その日はレイラのお姉さんファチアも彼女に会うためにモンペリエからリヨンまで来ていて、3人でレイラが出演のために劇場に向かうまでの間、レイラが滞在していたアパートでおしゃべりに花をさかせたのでした。
レイラの家庭はアルジェリア出身の両親のもと、4人のお姉さんとお兄さんが一人いる大家族なんですが、2002年当時、レイラと仲良くなった私は彼女の兄弟全員にも紹介してもらってよくしてもらってました。とくにこのファチアは上から二番目のお姉さんなんですが、当時彼女が文学で博士論文執筆中の学生をしていて、私がフランス語で修士論文を書いたときに添削や訂正をしてくれたのは彼女なのです。
レイラともファチアともゆっくりとしゃべったのは2年ぶりなのに、まったく違和感なく、昨日までも普通におしゃべりしていたかのように、しっくりきました。
でも2006年ごろまでは連絡とったり会ったりできていたのに、そのあと連絡無精になってしまってここ2、3年は私はすっかり仕事に没頭してしまっていたのだなあと気づき反省。


まあ、ともあれ、レイラの舞台を見に来たわけではなかったファチアも、特別に妹が手配した招待券で私と一緒に見に行くことになりました。


向かったのはリヨンの中心地にある歴史ある劇場Téâtre de Tête d'Or。
20時45分開演にむけて、たくさんの人がもう集まっていました。







マスタ―クラスのポスターがこちら。








出演はマリア・カラスと受講者3人、そして伴奏ピアニストとスタジオの用務員の5人だけ。
実はこの伴奏ピアニスト役のフレッド氏というのが、Helilladeのエレーヌと普段から一緒によく仕事をしているピアニストで、あの「ビスタンクラック」で私が代理を務めたのは彼だったんです。
お互い名前は前から聞いていたけど、今回、こうして初顔合わせ。


舞台は休憩はさんで3時間の作品。
ほとんどの部分がカラスの回想シーンです。

レイラは田舎からきたうぶな若い女の子役。ベッリーニのアリアで受講しにきたけれど、最初の一言で「それじゃダメよ。」とすぐ止められてなかなか歌わせてもらえない役。
それでも最後には一曲通して歌わせてもらえるのですが、歌い終わってレイラはお客さんから拍手喝さいを浴びていました。私も彼女の声をソロで聞くのは実に5年ぶりなんです。でも彼女の声の特質を保ったまま、しっかりトレーニングされた声へと成長していました。「がんばったんだなー。」と思って私も感無量。拍手を浴びる友達の姿がうれしかったり誇りに思えたり。

主演のマリー・ラフォレも圧巻。
実は今年70歳を迎えた大ベテランの彼女。
存在感がすごいし、そして迫力ある声がすごい。
70歳であんなことができるというのは、やっぱり一般人とはまるで違いますね。
エネルギーを費やすということを知っている人だけが出せるエネルギーというのでしょうか。
舞台終了後、彼女は客の熱心なスタンディングオベーションを受けていました。



さて、出演者の友人ということで舞台終了後の舞台裏に通してもらった私。
レイラの控室で彼女が有名なマンガ「アステリックスとオベリックス」を持ってきていたことに気がつき、私は大笑い。だって、華やかな舞台にでる女優兼歌手なのに、こんな子供向けマンガを控室まで持ってきて読んでるだなんて。。。
そういえば、彼女、昔からどっかおかしなところがあった子でした。お年頃かと思えば変な上下つなぎのパジャマを着てたり。っとプライベートネタをあかすと怒られますが。
とまあ、レイラらしいから記念に写真を撮らせてもらいました。もう貧乏学生のころとは違います。彼女も華やかさに磨きがかかってきました。






この後、マリー・ラフォレに紹介された私。「ブラボー!」といいながらほっぺにキスのビズをしました私。フランスに来てからやたらと有名人と接する機会を得ている私ですが、今回はビズです。あはは。

出演者たちと一緒に控室から出た私ですが、劇場のロビーでは観客たちがサインや写真を求めるために待っていました。3時間の大舞台のあとで疲れているだろうに、気さくにサインに応じていましたよマリーさん。こういうところもすごいなあと思います。






この後、0時はもう回っていたわけだけど、またレイラのアパートに戻ってお茶をしておしゃべり。私は翌日朝10時からの仕事のために朝一のTGVでモンペリエに帰るし、レイラも午前中にパリに戻る。だからハードスケジュールになるのはわかってるけど、やっぱり久しぶりの再会だからなごり惜しいものです。

しまいには雨が激しく降ってきて、真夜中の2時過ぎにホテルに戻る私を途中まで見送ってきたレイラとローヌ川にかかる橋の上でさよなら。

レイラはこの舞台の地方公演の終了後は、これまた超大物演出家との仕事が決まっているのです。本当にこれからが楽しみです。


お互い「身体に気をつけてがんばるんだよ~!」と言って別れました。

友の晴れ舞台を見れて大満足。
ハードスケジュールだけど、来ることに決めて本当に正解。よかった。