2009年7月31日金曜日

おじいちゃんのマスタークラス

おじいちゃんだなんて呼んで失礼きわまりない私ですが、私はもうチッコリーニの大ファン。

日曜日のコンサートで魔法にかかってしまいました。

コンサートでは一言も発することなく、ピアノの音だけで語ってくれたおじいちゃんですが、そこからは彼の人間性があふれていました。

それでも実際におじいちゃんはどんなことを言ってくれるのか、実際に語るおじいちゃんを確かめてみたくて、今週4日間にわたって行われた彼のマスタークラスに連日仕事の合間の時間の限り通いました。

http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/2009/master/PLAQUETTE_masterclass09_web.pdf

アルド・チッコリーニのマスタークラス。これもラジオフランスのフェスティバルの一環で、2006年から行われているんです。4日間で8人の受講者がそれぞれ二回のレッスンを受けます。聴講するのは無料。なんという恵まれた話でしょう。巨匠の教えをこんな風にして聴けるなんて。
私は2006年当初から気にしていきたいいきたいと思いつつも、朝起きれなかったり猛暑で昼間外に出るのをしぶったりしてで行かなかったんです。なんと情けない話。。。

対象となるのは若手コンサーティストとしてデビューしようとしているハイレベルの学生か、すでにデビューしてキャリアを積んで行こうとしている若手ピアニスト。世界中の若者が対象となっています。受講者は350ユーロを参加費用として払いますが、2回の公開個人レッスンを受けることができ、4日間の練習室はフェスティバルから与えられ、さらに期間中のフェスティバルのコンサートの招待券をプレゼントしてもらえます。応募者の中から書類と録音審査があって選ばれているようです。

ユーロと円を今のレートで換算すると5万円くらいだと思いますが、現実的にこちらの物価で考えたら4万円弱くらいです。はっきりいって日本の相場よりずっとか安い。破格ですよね。

この受講料で巨匠のアドバイスをもらえる。そして聴講するのは無料というのもすごい話です。

会場はモンペリエの市立図書館 Médiathèque centrale Emile Zola にあるオディトリウム。よく作家などを招いての講演会とかに使われている場所です。私がここにいくのは初めて。

入るとすぐに、かわいらしい携帯を切りましょうのマナー呼びかけがライトで床に照らし出されているのが目に入ります。






そしてホールに入ってびっくり。予想もしていなかったきれいな立派なホールだったからです。壇上になった客席と大きなスクリーンと2台のスタインウェイのピアノ。

CORUM以外にもこんな施設があっただなんて。モンペリエの公共施設の充実ぶりにはもう脱帽です。

さて、おじいちゃんの登場で暖かい拍手がわきおこりました。
コンサートが終わってから1日の休養を終えて、マスタークラス初日の火曜日。朝10時開始です。

黄色いポロシャツで現れたおじいちゃん。
彼にとったら孫の年齢の受講者たちを私たちに紹介してくれます。




レッスンの様子をビデオで撮影していて、それをスクリーンに映し出してくれるので、鍵盤の上の様子も拡大されてよく見えるんです。



受講者8人はみんな若い。もう私と同じ世代の人たちではありません。。。

チッコリーニがイタリア生まれの巨匠ということで、イタリア人受講者が二人、5人はパリで学ぶ若者たち。フランス人、アルバニア人、中国人、そして韓国人の女の子。そしてあともう一人が地元モンペリエの現役高校生。




おじいちゃんはじっくりと若者を見ながら演奏を聴きます。そして何かコメントしたいときは優しい表情と優しい口調で若者に語りかけます。

「Tu sais ?」 知ってるかい?と切り出して、テンポの指示の解釈や作曲者の意図についてなんかを説明してくれます。





若くてやる気満々のヴィルトゥオーゾたちはなにかにつけて早く弾く傾向がありますが、そんなときはおじいちゃんは

「何やってるんだいおまえ?」とでもいいそうな怒った顔をして若者の顔を覗き込みます。

これがほんとにおどけてて、でも愛情たっぷりで聴衆の笑いを誘っていました。



ときには受講者に説明したあと、さらに噛み砕いて聴衆のために説明しなおしてくれました。


さて、受講者の中で人気を集めていた子の一人は地元モンペリエのダヴィッドくん。モンペリエのコンセルヴァトワールで学んできた現役高校生。今回の参加者で最年少者です。おじいちゃんにとったらひ孫と言ってもいいくらいの年齢です。彼は9月にパリの国立コンセルヴァトワール入学が決まっていて、私も彼のことは前々から「すごく良く弾けるヴェトナム系の男の子」として評判を聞いていました。たしか5年くらいまえに実際に彼をコンセルヴァトワールで見かけたことも。
彼がおじいちゃんおマスタークラスを受けるのはこれで3回目だとか。
おじいちゃんもこのまだ若い男の子に「とってもいいものをたくさんもってるよ。」と言っていました。

このマスタークラスで聴講者が感激しきりなのは、おじいちゃんのアドバイスがきけるだけなく、おじいちゃんが時々弾いてくれるところ。






歩いているとき、しゃべっているときは年齢とおりのおじいちゃんぶりですが、いったんピアノを弾き出すと「どこからこのエネルギーと若さがくるんだろう?」と思うほどの軽やかぶり。
そして粒ぞろいのハイレベルな生徒たちにもかかわらず、やっぱりおじいちゃんが弾くと音色が違うところがすごい。受講生の中には本当にハイレベルで今すぐ国際舞台で活躍できる子が(実際にすでにしてる場合もありますが)数人いましたが、その彼とですらやっぱり音色の違いが明らかでした。

まろやかな音。おじいちゃんの人柄と私の好みの音ともうそのまんまぴったりくる。


8人の受講者の中で観客の熱狂をまきおこしたのは中国人のDuanduan Hao。とっても大きな19歳。彼はもうすでにジュネーブ国際コンクールで優勝しているんですが、こうやって巨匠の教えをこいにきている姿勢が高感度大。

ぶっとい腕で圧倒的なテクニックを見せてくれました。どんな難曲もものともしない完璧さで聴衆のボルテージも急上昇。

私個人的にはフォルテのときでももうちょっとまろやかな音がいいな~なんて、厳しい注文をつけてしまいましたが、聴衆は、そしておじいちゃんも最大級の賛辞を贈りました。

一日目に彼はヒナステラのソナタ一番を弾きましたが、弾き終わった彼におじいちゃんは

「Bravo ! c'est tres bien.」とほほ笑みました。

教えをこおうと思ってたドゥアンドゥアン君は

「何か足りないところなど、、、?」と聞くと、おじいちゃんは

「Absolument pas! 」 全くないよ。と答えて優しく微笑みました。


その後、ドゥアンドゥアン君はショパンを一曲弾きましたが、おじいちゃんはその演奏後にちょっとアドバイスを与えたあと、素晴らしい賛辞を彼におくったのです。





おじいちゃんが言ったのは、

「君はまるで本物のポーランド人のようにショパンを弾いてる。」ということ。

この言葉には中国人の彼もぐっと胸にきたでしょうね。


マスタ―クラス三日目、私は仕事のために残念ながら行けなかったのですが、会場で一緒におしゃべりしたマダムが教えてくれたことには、おじいちゃんはさらなる賛辞をドゥアンドゥアン君に送ったというのです。
というのも、チャイコフスキーのピアノコンチェルトをおじいちゃんの伴奏で、二人で全楽章弾いてくれて、観客のボルテージは最高潮に高まったといいます。

そうでしょうね...なんというものを逃してしまったんでしょう、この私。

そしてこの日、おじいちゃんは観客に向かって、

「この中国の若者は私が聴きたいと思っている通りの音楽を弾いてくれる。こんなアーティストは100年に一人しかいませんよ。」と言ったんだそうです。

巨匠にこの言葉をもらって、ドゥアンドゥアン君も感激ひとしおだったでしょうね。


しかもおじいちゃんは

「今のコンチェルトで、たったの一音だって彼ははずしませんでしたよ。」とも付け加えたそうです。

83歳と19歳の共演。あ~、その場にいたかった!

おじいちゃんがどんなふうに教えるか、どんなことを言うかを確かめてみたくて足を運んだ私ですが、私の予想通り、期待通り、期待以上のあたたかいおじいちゃんでした。
どんな感じかというと、まるで「宮崎アニメにでてくるやさしくてあったかいおばあちゃんキャラのほほ笑む顔」がそのまま現実になって目の前にいるって感じです。伝わりますか?


もう長年ピアノソロの曲を勉強していない私ですが、おじいちゃんのこのマスタ―クラス、私も受けてみたいなと思ってしまいました。

そんなことを思う私の前で、大胆にも直談判で教えをこう人物が登場。しかもおじいちゃんがそれに応じた!

そんな私のジェラシーを引き起こさせた人物というのは、なんと7歳の男の子。

マスタ―クラス終了後の人影が減ったところで、おじいちゃんの前で曲を弾き始めました。


はっきりいって、日本や中国には彼よりもっともっと上手に弾ける7歳がたくさんいると思いますが、「あ、音をちゃんと聞いて感じて弾いてるな。」と思えるところがいくつもありました。おじいちゃんはやさしく律儀に全曲聴いてあげて、男の子のママを呼んで「とてもいい感受性をもっていますよ。」と言っていました。

83歳の巨匠と7歳の男の子。

この微笑ましいシーンにプロのカメラマンもシャッターチャンスだといわんばかりにシャッターをきっていました。

こんなマスタークラスが無料で聴講できるなんて信じられないと思いませんか?

ああ、おじいちゃん。どうか身体に気をつけて来年もモンペリエに来てくださいね。

2009年7月30日木曜日

ボリス・ベレゾフスキー様

27日の月曜日の20時のコンサートは日本でも人気の高いピアニスト、 ボリス・ベレゾフスキー Boris Berezovsky とブリジット・エンゲラー Brigitte Engerer のピアノドュオでした。


ベレゾフスキーはモスクワ音楽院で学んだロシア人ピアニスト。1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝し、その演奏は審査員と聴衆を圧倒させたエピソードで有名です。彼ももう40歳になっています。若手新鋭ピアニストの衝撃デビューから時もたち、今やすっかり熟成された中堅世代になった感じです。
一方のエンゲラーはパリ音楽院とモスクワ音楽院で学んだ人。彼女は長いキャリアをもつ実力派ベテランピアニスト。


この二人は皆が驚く超絶技巧のヴィルトゥオーゾでありながら、アンサンブルにもとても興味をもっているようで、室内楽や伴奏の演奏活動をとても熱心にしています。そしてピアノドュオも積極的に行っていて、この二人でコンビを組んでCD録音や世界各地でのコンサートもしています。

さて、私がこのコンサートに行ったのは、まずベレゾフスキーの演奏を一度生で聞いてみたかったというのと、プログラムに私の大好きなボロディン作曲の「ダッタン人の踊り」があったからです。この日も招待券を頂いて、私の席に向かってみると、そこは前から6列目の得々特等席でした。なんせ王様クリング氏が座る列ですから。。。

ちょっと恐縮してしまいましたが、周りをみてみると顔をしっている新聞批評家たちもこのエリアに座っていました。プレス関係者のための席でもあるってことですね。


さて、この席からはなんの苦労もなくアーティストの顔がよくみえます。演奏中の表情もよく見えます。エンゲラーはベテランおばちゃん(といっては失礼だけど)なだけあって、肝の座った感じでとてもおもしろかったです。というのも譜めくり担当の人がちょっとミスしかけたときの、「ちょっと待って、まだよ!」という感じや、「このページは自分でするわ。」と言ったりするときの表情がとても豊かで観客の笑いをさそっていました。



プログラムは「ダッタン人の踊り」のほか、ラフマニノフの二台のピアノのための組曲一番、そしてリストのハンガリー狂詩曲の連弾バージョンやメフィストワルツの2台ピアノバージョンなどでした。

さて、この二人、本当に圧倒的な技術力ですごいスピードとすごい迫力なんですが、それだけではない「深さ」がありました。二人がフォルテで弾くとオーケストラをうわまってるんじゃないかと思うほどの音量音響で息をのむほどですが、二人がピアノ(弱く)弾くところはデリケートで優しい音で、そのコントラストがとっても豊かでした。

そして二人とも私の嫌いな意味不明の過剰表現(顔の表情や体の動き、体のゆれ、腕の過剰な動き)が全くなくて、とても正統派で深みのある豊かな音楽でした。いわゆる「本物」と言われるタイプのアーティストですね。


ベレゾフスキーはとても大きな体で、それが年を加えてさらに恰幅がよくなったというか大きなくまさんのような感じもしますが、これまでにいろんなインタビュー記事などを読んで感じていた真面目で内向的な人柄というのがそのままの感じでとても好感がもてました。って、私がえらそうにいう立場ではありませんが、彼の演奏、そしてオーラともにとても素敵でした。


内容の濃いプログラムに加えて、なりやまない拍手にこたえた彼らは、なんと4曲もアンコール曲を弾いてくれました。そんなにアンコール曲を準備していたわけではなくて、楽譜をめくりながら「あ、これにしよう。」とか「あ、これはパス。」といったところを見せてくれて、観客も楽しませてもらいました。

超人的テクニック爆発の曲、旋律豊かな歌う曲、どれをとっても息がぴったりで、文字通り観客を圧倒。

スーパーピアニストでありながら、こうしてアンサンブル活動も熱心にしているところもとても素敵だと思います。「共有」することに喜びを感じていることがよくわかりますからね。







今回のフェスティバルで私はピアニストのコンサート4つに行くことができました。普段、根本的に私は「作曲家ありき」的な考えをもっているので、演奏家というものにあんまり興味をもってないんです。そのため「どの演奏家のどの演奏がいい」といった議論には参加できないタイプなんですが、今回4つのコンサートを立て続けに聞いて、私の好み、私なりの考え嗜好が改めてよくわかりました。4つのコンサートというのはジャン・イヴ・ティボデー、ラベック姉妹、アルド・チッコリーニ、そしてこのベレゾフスキーとエンゲラーのコンサートです。私の好みでいうと、おじいちゃんチッコリーニがもう別格、別世界ですが、このベレゾフスキーの演奏は深みがあって「蔵人」的なものを感じていいなーと思いました。それに比べるとティボデーの演奏、ラベック姉妹の演奏ともに、テクニック抜群で華やかな演奏なんですが、ちょっと否定的な言い方をすると「軽い?」という感が否めないかなとは思います。そんなこと言っても彼らはジャズとか好きだし、それぞれの曲のスタイルに適する演奏スタイルがあるわけだから当然なんですけどね。

数日間で世界一流レベルのピアニストの演奏を聞けて、しかもタダで、しかも特等席で、なんという贅沢をさせていただいたんでしょうか。私もピアノ弾きのはしくれ。勉強になりました。

ありがとうございます。

2009年7月28日火曜日

Des tubes... rien que des tubes

ラジオフランスのフェスティバルのレポートが続いています。

24日金曜日の夜には、22時からモンペリエの新市街地アンチゴーンにある半円形の芝生の広場「Place de l'Europe」でモンペリエ・オーケストラによるコンサートが行われました。
夜の野外コンサート、しかも無料です。

ここはギリシャ建築を意識した建物で統一されている地域で、この広場をギリシャの石造りの建物を思わせるきれいなマンションが囲んでいます。外観からではとてもマンションには思えない建物。
この広場の先には川が流れていて、川沿いにレストランが何件かあります。
その手間に設けられた大きな特設ステージが舞台。フルオーケストラがのるステージですから大きいものです。そして広場の芝生一面に音楽好きの市民が座って、星のしたでのクラシック野外コンサートを楽しみました。

22時ぎりぎりに会場に向かった私ですが、たくさんの人が会場に向かっていることに気が付き、やっぱりみんな音楽が好きなんだなとわかりました。
そして会場についたらびっくり。思っていた以上のたくさんの人が芝生一面を覆っていたのですから。




おかげでステージはご覧のように遠く。。。

でも老若男女問わずに集まった人々をみていると私もうれしくなりました。


この日、モンペリエ・オーケストラを指揮するのはアラン・アルティノグル Alain Altinoglu 。モンペリエ・オーケストラの首席客演指揮者です。私も一緒に仕事をしたことが何度かありますが、彼は33歳。ちょっぴりちっちゃくて黒いウェーブのかかった髪がトレードマークのかわいい人です。「僕、アラン。」とでもいいそうなキュートな人で、とてもフレンドリーだし、男性女性を問わず、皆から好かれる人ですが、その年齢にして、そのキャリアはすでにすごい人。また改めて彼のことを記事にしたいと思います。

彼の指揮と曲紹介をもって、ソプラノ歌手とテノール歌手も招いての超有名曲オンパレードのプログラムでした。

コンサートのタイトルは「 des tubes... rien que des tubes」。 つまり「ヒット曲。ヒット曲ばっかり」です。
入場無料の星空の下でのコンサートですから、対象は「一般市民」なのです。その一般市民にクラシック音楽に触れてもらおう、クラシック音楽を楽しんでもらおうという意志と目的がはっきりした行いです。




オペラからはビゼーの「カルメン」、プッチーニの「ラ・ボエーム」、ヴェルディの「椿姫」、オーケストラ曲からはヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」、ハチャトリアンの「剣の舞」といった誰もが耳にしたことがある曲が続きました。

微笑ましいことに、お客さんは知っている曲が流れだすとメロディーを口ずさんだりします。



それからなかなかいい選曲だなと思ったのには、カタラーニのオペラやショスタコヴィッチによる曲がオリジナルの「tea for two」など。みんな作曲家や曲名は知らないけど、映画の中で使われたりしていて耳にしたことがある曲を演奏してくれました。

はっきり言って私にとったら「有名曲過ぎてベタベタすぎるんじゃないの?」と思ってしまいそうなプログラムでしたが、一般市民のためのコンサートということで、周りにいるお客さんの反応をみていたら、みんなが本当に楽しんでいるのがわかり、本当に私もうれしくなりました。そして彼らが普段はクラシックのコンサートには足を運んでいない人たちであることも見てとれて、お決まり中のお決まりのような有名曲なわけですが、それぞれの曲が流れだすと、誰かれともなく「あ~、これ知ってる!」といった反応で、体を揺らしたりメロディーを口ずさんだりしていました。

一般市民はこういうのを待っているんですね。みんなやっぱり音楽が好きなんだ。

なんらかの形でこの日にこういうコンサートがあるという情報を得た人が皆集まってきていたという感じです。

5000人は軽く集まっていたんじゃないでしょうか。

こういうことを計画するアイディアをもち、実行するフェスティバルのディレクター、ルネ・クリング氏はやっぱりすごいと思います。

指揮者のアランもお客さんに言っていましたが、ナショナルオーケストラがこういう形で野外で無料コンサートをするのはとてもめずらしいことです。でも同時にミュージシャンの側にとっても、普段コンサートホールやオペラ座に足を運ばない人とも音楽を共有したいという願いがあるので、こういう形でこのコンサートが実現するのがうれしいといっていました。

On a la chance ! 私たちはついている!の言葉どおり。

そして私からみて本当の意味でのラッキーぶりは、ここモンペリエでは雨天の心配をせずに、この季節に毎晩のように野外コンサートができているということ。実際に、ジャズのコンサートにしろ、この人のコンサートにしろ、「雨天の場合は、、、、」といったことは一切予定されていません。もし最悪雨が降ってしまった場合には中止ということになるのでしょうが、ほとんど雨のために中止になったということを聞いたことはありません。

ラッキーですね。モンペリエ市民。

2009年7月26日日曜日

ありがとう! 現役最高齢のマエストロ Ciccolini

26日の日曜日、実はいまさっきコンサートから帰ってきました。

御年83歳のピアノの巨匠、アルド・チッコリーニ Aldo Ciccolini のピアノソロのコンサートです。

彼もフェスティバルには毎年、普段のシーズン中のモンペリエ・オーケストラのコンサートにもかなり来ているので、モンペリエの音楽ファンには親しみのある人。ナポリ生まれのイタリア人ですが、フランスに帰化しています。ドビュッシーやサティなど、20世紀のフランスピアノ音楽を熱心に演奏してきた人です。彼にとったら、彼が若い時にまだ現役で活躍していた作曲家たちですもんね。本当のコンテンポラリーだったわけです。

でも何がすごいって、83歳で現役だということが素晴らしい。

行きたい行きたいと毎年気にかけながら、やっとのことで生の演奏を聴けることになりました。しかもフェスティバルが始まってすぐに、招待券をお願いして頂いた2席。二階バルコニー席の最前列。特等席です。

コンサート開始のアナウンスでは、「体調不良にもかかわらず、このコンサートを行ってくださるチッコリーニ氏に感謝申し上げます。」と述べられました。

そうなんです、今日の彼は肺炎を患っていた病み上がりかまだ病の真っただ中なのか、ラジオのコンサート中継生放送を本人がキャンセルしてくれと頼んだほど。

舞台に現れた彼は、83歳という年を感じさせるし、あまり体調万全というわけではなさそうな様子でした。Corum の大ホールSalle Berlioz の大きな舞台の真中に置かれたグランドピアノまで、結構距離があります。

マエストロはおじいちゃんらしく、おっちらおっちらとゆっくり歩きます。

でも、演奏が始まるともう83歳のおじいちゃんはどこにいるのか。とっても軽やかで優しい音でモーツァルトのソナタを二曲弾いてくれました。
一曲目は子守唄とトルコ行進曲で超有名な11番。二曲目は私が高校時代に試験の課題曲で勉強した13番。

おじいちゃんは無駄な動きや無駄な過剰表現なんか一切なく、でもとっても若々しいなめらかなピアノを弾いてくれます。

そして演奏後には、大きなホールに観客に向かって、3方向にそれぞれ律儀にお辞儀をしてくれます。





この前半二曲で観客はすでに感無量。

熱心なファンなのでしょう。一回席のステージ前にすわっていた女性が花束を手渡そうとスタージ下まで歩み寄りました。おじいちゃんはトコトコトコとゆっくり彼女に歩み寄って花束を受け取りました。
とってもあたたまる光景。

これを持って第一部が終了。

20分の休憩をはさんでからはプログラム変更にともないドビュッシーのプレリュードでした。

すごい俊敏な動き、時にはとっても華やかな音。そしてとにかくなめらかなんです。

もう観客は大感動。83歳のおじいちゃんの演奏とは思えない若々しさに衝撃を受けてます。

しかもこのプログラムを当然のように全曲暗譜で弾いてくれました。

暗譜で演奏って、私ももう久しくしていません。。。
脱帽です。

そして「Simple is best 」で正解だと教えてくれる彼の演奏。
表現を誇張する身体の動きはまるでなし。ビジュアル的に過剰な表現はゼロ。
そんなのなくたって音が語ってくれますからね。

私はこれまでにそんなに数多くのクラシック音楽のコンサートに行ったわけではないのですが、今日の彼の演奏にはドカ~んとやられてしまいました。もう感極まるとはこのこと。生まれて初めて、2000人のお客さんがいる会場で真っ先にというタイミングで立ち上がってしまいました。

スタンディングオベーション。

私だけじゃなくて、あちらこちらで誰からともなく立ち上がり、大部分の人がスタンディングオベーションで拍手喝采を送りました。

はっきりいって、83歳のこのエネルギーあふれる演奏の後で、イスに深々と腰かけたまま拍手を送るなんて「失礼だ!ありえない!」という私のとっさの自然な反応でした。

私の感動具合も今までで一番に達していますが、会場の拍手の熱烈さも今までで一番かも。

そこからはみんなの感動はもちろん、83歳という年齢の彼の演奏への驚嘆で敬意があふれているように感じました。



大観衆に応えておじいちゃんはすぐさまアンコール曲を弾いてくれました。

恥ずかしながら私の知らない曲でした。限りなくショパンのスタイルに近かったのですが、聞いたことがなかった曲でした。ここでマエストロの音はさらに透明感をまして、力強くもあり暖かくもあり。プログラムにあった曲の演奏よりももっと若々しく調子にのっている!

これで観衆はもう大感動。

スタンディングオベーションとブラボーの嵐で、マエストロにお礼を伝えます。

するとするとマエストロは次のアンコール曲に向かってくれました。

私も大好きなグラナドスの曲。

スペインの色が最高。観客はますます引き込まれて、割れるような拍手。

スタンディングオベーション。

そしてそしてなんとマエストロは親指を立てて、「イエ~イ」のサインか、それか「あともう一曲」のサインか定かではありませんが、またすぐにピアノに向かって3曲目のアンコール曲を弾いてくれました。

おじいちゃんはもう肺炎もなんのその。なんてサービスぶり。

自分のピアノでの演奏と観客の喜びようを見て、すっかり元気になったのではないでしょうか。

3曲目のアンコール曲のあと、2回もカーテンコールに応じてくれて、コンサートは終了しました。

大感動してスタンディングオベーションで手が痛くなっても大拍手をする私の隣で、友人のAさんは座ったままだったけれど、高校生になるまで真面目に熱心にピアノを習っていた彼女が言いました。

「この世のものとは思えない演奏だった。。。。。」


楽屋にいって握手してほしかったけど、おじいちゃんには休んでもらいたい気持ちもあって楽屋侵入はしませんでした。

今日のコンサートで胸打たれたのは、チッコリーニの演奏とともに、彼と同じくらいの年齢であろう杖をついたおじいさんが、その杖を振りかざすようにして大きな拍手を送ってる姿。

83歳でも現役でいられる人はこの世にそうとはいない。ましては83歳で演奏現役のアーティストはそういない。 しかも「現役」という名で演奏をする巨匠はいるとしても、楽器演奏は肉体的能力によるもので、どうしても年とともに衰えるものだと思っていました。でも83歳のチッコリーニは、衰えるどころか正確なタッチで生き生きとした演奏をしてくれるのです。

今夜のマエストロは80歳の観客にも元気を与えただろうし、20歳の若者にも元気を与えたことでしょう。

普段、仕事で取り組んでいる最中以外、クラシック音楽のことを口にすることがめったにない私、人の演奏がどうだとかめったに口にすることがない私ですが、感想を述べずにはいられないコンサートでした。

いろいろな環境、状況が重なってか、チッコリーニは日本での知名度があまりないように思います。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、リヒテル、グールド、などなどスーパースター級の今はすでに亡くなった巨匠たち、アルゲリッチ、ポリーニ、アシュケナージとか、今も活躍中のスターたちも含め、名前を挙げだしたら何人か出てきます。ファンにも好き好みはあるでしょうが、みんな知名度が高いです。彼らと比べると、チッコリーニの名前は日本ではメジャーではないように思います。

でも、この高齢にかかわらず、まだ来日コンサートの予定があるのならば、皆さんにぜひぜひお勧めします。アルド・チッコリーニ。

私も何がよかった、あれがこうだったとかタラタラと語るつもりはありません。聴くしかありません。彼の演奏が生で聞けるチャンスがあるなら、本当にチャンスを逃さずに聞きにいってみてください。

今晩のコンサート、きっとこれからずっと心に残るであろうコンサートです。

2009年7月25日土曜日

モンゴルの風

22日水曜日の夜22時から、ラヴェリュンヌのお城の公園で、モンゴルの民族楽器と独特な歌唱方法で演奏するグループ「Huun Huur Tu」のコンサートがありました。




これもラジオフランスのフェスティバルの一環で、モンペリエの周辺地域で毎晩いろいろなコンサートが無料で行われているのです。



モンゴルのあの二種類の声を同時に出す独特な発声方法、歌唱方法はテレビなどで見たことがある人が多いと思いますが、私も生で実際に聞くのはこれが初めて。

低くてすごく響く声をのばしながらも、高音では別のメロディーを一人の人が歌うのですからとっても興味深い。フランス人にとったらモンゴルというのは全くの異国ですから、この発声方法を以前に聞いたことがあった人はあまりいなかったみたいで、みんな真剣に、そしてあっけにとられて聞き入っていました。





楽器の方も、たいこをはじめとしたパーカッション、笛、そして弦楽器とそろい、4人のミュージシャンが弾いて歌っての演奏をしてくれました。

民族音楽というのは不思議なもので、本当にその土地の風景、土地の空気、土地の色が感じられるのです。彼らの音楽を聞いていると果てしなく広がる草原とそこに吹く風が感じられました。「大自然」を感じさせてくれる音楽なんです。

その点、日本の民族音楽ってお祭りの和太鼓以外、歌にしろ楽器にしろ、どちらかというと街の人々を感じさせるスタイルだな~と思いますがどうでしょうか。

モンゴルの風を感じながら日本の民族音楽を思い浮かべてみたのですが、ピ~ヒャララ系のお祭りの音楽か、雅楽のスタイル化された音楽か、のどちらかしか思い浮かびませんでした。

彼らは民族衣装をみにつけて現れ、「モンゴル草原の音楽」と名をうってのコンサートでしたが、厳密にはロシア連邦の一国であるトゥバ共和国の出身の人だということです。顔つきも体つきも完全にモンゴルの人でしたが、ロシア語を話しロシア連邦の人だというのを聞くと、ロシアという国の大きさと、国土の政治的な区分の仕方の不思議を感じました。

アジア人である私からみたら、このミュージシャンたちはアジア人ですからね。まあロシアという国がそれだけ大きいということにつきますが。。。


この日の夜は気持ちよく吹く風があったのですが、ラヴェリュンヌのお城の庭には巨大なプラタナスの木が茂り、その下でのコンサートでした。

プラタナスの間を吹く風を感じながら、モンゴル草原を感じさせる音楽を聴き、なんともぜいたくな素敵な空間を味わうことができました。

このミュージシャンたちは、もうアメリカでも演奏をしているようですが、今回こうしてラングドック・ルシオン地方を巡演していて、モンゴルの音楽をロシア国籍の彼らがフランス人に聞かせるというのは、国境を超えたすてきな交流だなと思いました。

こんな点でも、このラジオフランスのフェスティバルはたいしたもんだと思います。

2009年7月24日金曜日

ラベック姉妹はフランス国籍だった?!

ラベック姉妹というのは国際舞台で活躍する美人姉妹ピアニスト。ピアノデュオのレパートリー普及のために精力的に活動しています。


モンペリエ・ラジオフランスのフェスティバルにはこのところほとんど毎年来ているアーティスト。今年は3日目の夜と6日目の夜、さらには7日目はカルカッソンヌで、豪華に3つのプログラムをひっさげてきてくれました。


私は6日目の夜、ラベック姉妹とリュクサンブール・オーケストラ・フィルハーモニーの演奏を聴きに行きました。フェスティバルから招待券をいただいちゃって「ふふふ。」な気分です。


実はラベック姉妹は私にとって思い出のあるアーティスト。

小さいときに家族と大阪のホールでコンサートを聞いたのです。

今から25年くらい前?何歳のときか覚えていないけれど、私にとってインターナショナルレベルのアーティストを見たのはこれが初めてだったと思う。どこのホールかも覚えていないけれど、舞台サイドの客席から見下ろして聞いたというのはよく覚えています。

二人そろって美人なところや、ガーシュインをはじめとしたジャズっぽい曲をかっこよく弾くレーパートリーで知られるから、一般ウケしやすい、、、とちょっと批判的な目で見る人もいるだろうけど、そんなことはない、やっぱり世界第一線で活躍するアーティストですね。そこへ「二人揃って美人」というおまけがくるって感じかな。



さて、プログラムはドビュッシーの「オーケストラのための交響組曲 春」ではじまり、次いでラベック姉妹による編曲で、オーケストラと2台のピアノによる「ラプソディー・イン・ブルー」、そして休憩をはさんでからドボルザークの交響曲第7番でした。


この日は人気のあるアーティストと人気のある曲目がそろったものだから、会場は満席。CORUMの大ホールSalle Berlioz はサイドのボックス席も一番上の階までぎっしり。







小さいときに生演奏を聴いて以来、何度も二人の写真は見てきたけれど、動いているところを見るのはこれが二度目。「ラプソディー・イン・ブルー」をかっこよく、しかも息ぴったりで弾いてくれて、お客さんは大喜び。







「何も用意して来ていないので、ラプソディー・イン・ブルーの一部をもう一度弾きます。」と言ってアンコールに応えてくれました。それからもカーテン・コールは鳴りやまず、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」を弾いてくれました。


二人の息がぴったりなのも印象的ですが、私を驚かせたのは二人の性格の違い。といっても本当の性格がどうかまでは知りませんが、人柄の違いが演奏スタイルにすっかり現れていて、ここまで違うのか、ということがとても強く印象に残りました。

赤いドレスのカティアがお姉さんで左手のピアノに、紫のドレスのマリエルが妹で右側のピアノにつきましたが、お姉さんカティアの激しく派手なパフォーマンスのすごいこと。ジャズとかが大好きな感じがよくわかります。一方、妹マリエルの方は「きちんとした人」という印象を残す演奏スタイル。で、良く見てみたら顔つきもだいぶ違うんですね。お姉さんの方が派手で華やかで奔放さと情熱の激しさを感じさせる

顔。妹さんの方は落ちついた真面目な優しい人という感じがします。

姉妹だからといっても、ずっと一緒に活動していても、やっぱり人柄は違うんだなとおもしろいと思いました。



ところで、なぜか私の頭には彼女たちはカナダ人だとインプットされていたんですが、実はフランス人なんですね!

スペインとの国境付近を出身地とする彼女たち。

アンコール曲を紹介してくれたときに、「わ~、フランス語がめっちゃ上手だなあ。」とアホなことを思った私なのでした。それもそのはず、フランス人じゃん。



彼女たちのサイトを見てみると、小さいときの写真とかも載っていました。かわいいです。

http://www.labeque.com/


彼女たちの2つのアンコール曲のあとも鳴りやまない拍手を静めるために、20分の休憩に入りました。


私もロビーに出て知り合いとしゃべったりしていると、何やら拍手が沸き起こり騒がしくなりました。なんだなんだと思って見てみると、地元モンペリエのクラシック音楽専門のレコード屋さんが、アーティストのサインいりCDという企画で、ロビーにラベック姉妹を迎えてサイン会をはじめたのです。




今さっき演奏し終えたばかりの二人がもう服を着替えてお客さんに応じています。やっぱりアーティスト業って大変ですね。
私は人の合間をぬって、写真だけパチリ。




二人とも素敵な笑顔でサインに応じていました。

今日のコンサートはプログラム、演奏ともにお客さん大満足。私も満足。
招待券というのも、私から頼んでもらったんですけどね。ちょっとずうずうしくしてみてよかった。だって別にずうずうしい行為ではなかったみたいだから、大正解。ありがとう。

2009年7月20日月曜日

Bonjour Mr. Gérard Depardieu

ラジオフランスのフェスティバル7日目の夜、フランス映画界のスター中のスター、大物中の大物が登場しました。

その方はジェラール・ドパルデュー。

                          © M.Ginot


1970年から今日にいたるまで、トリュフォー作品など数多くの映画に出演し、好き嫌いはともかくフランス人なら誰もがみとめる歴史に残る名優です。フランス映画をあまり知らない日本人でも、彼はハリウッド映画にもかなり出ているので見たことはあるでしょう。私が記憶しているところだけでもアメリカ映画に「コロンブス」や「鉄仮面」などがあります。

昨年、30代の若さで亡くなった個性派俳優ギヨーム・ドパルデューは彼の息子。
絶大な影響力を持つ父と強い個性をもった息子の間の確執は絶えず、マスコミが喜ぶような話には尽きませんでした。でも、さらなる活躍が期待されていた息子を突然失い、ドパルデューの失望憔悴の様子は周囲の人々から伝えられています。


この日のプログラムで、ジャック・オッフェンバックが作曲した劇音楽が演奏され、そのナレーション役として4人の俳優さんが出演したのです。

軽くて楽しいオペレッタで有名なオッフェンバックですが、「La Haine」(恨み)というタイトルでサラドゥVictorien Sardouが書いたイタリアルネッサンス時代の混乱の時代を舞台に描かれた演劇のために音楽を作曲したのです。この劇作家サラドゥは「トスカ」の作者でもあります。作曲されたのは1874年のことで、全曲とナレーションが演奏されるのはこれが世界初演。まさに隠されていた作品がよみがえるという感じですね。


出演する4人の俳優さんの中には、ドパルデューだけでなく、もう一人の大物がいます。それはファニー・アルダン Fanny Ardant。 こちらもフランス人なら誰もが知っている大女優。低い声が個性的で迫力のある、とても味のある語り方をする俳優さんです。彼女も出演した映画作品は数知れずなので、フランス映画ファンの人なら必ず知っていますよね。

ドパルデューも今年60歳。そしてなんとアルダンも同じ60歳。ですが、すらっとひきしまった姿はとても若々しくきれいで、「あ~、これが女優スタイルとでもいうものか、、、」と思い知らされました。サングラスをかけているとまるで40代後半の人に見えましたから。

あとの二人もドイツ人とフランス人の名前の知れた個性派若手女優さんたち。

プログラムの前半にはグルリットManfred Gurlitt の「Trois discours politiques pour baryton, choeur d'homme et orchestre 」(バリトンと男声合唱とオーケストラのための三つの政治演説)(1946)が演奏され、休憩をはさんだ後半に「La Haine」が演奏されました。

私は前半の「三つの政治演説」の字幕操作を担当したので、前日の練習から参加。

土曜日の朝9時半から練習が始まったのですが、王様ドパルデューはアルダンと共に11時頃御到着。
ブログでもおなじみの演出家スカルピタ氏はドパルデューの親友と自称する人で、いつもはトップの座につくスカルピタ氏が、まるでドパルデューとアルダンの付き人であるかのように、かいがいしく付きまとわって登場。

まあ、「親友」というのも嘘ではなくて、昨年息子ギヨームをなくしたばかりのドパルデューとともにクリスマス休暇を過ごし、悲しみを共有しているので、実際にとても親しくしているようです。

この土曜日の朝の練習は、彼らが遅刻してきたために、オーケストラは一通り通したけれど俳優のメイン二人は大したこともせずに終了。

私は午後の仕事の前にお昼を食べるためにそそくさと出て行こうと急いでいました。

すると、CORUMの出口のところで階段を下りて行った私と、エレベーターを使って降りてきた彼ら御一行がはち合わせ。

大物の御一行ではあるけど、何げにスルーっと通り過ぎていこうとすると予定外に声がかかりました。

「Ah~ leonardo !! 」

振り向くと声をかけたのはスカルピタ氏。

ご機嫌がいいのだか、私の手をとって 「Ça va leonardo ?」と言ってきてくれました。

「ええ、元気ですよ。ありがとうございます。あなたは?」なんて聞き返しているうちに、スカルピタが大物御一行にむかって、「見てみて!彼女は僕のコレペティなんだ。leonardo。」と私のことを紹介してくれちゃいました。私も調子が狂いますが、「どうも~、Bonjour ~」とごあいさつ。するとドパルデュー氏もアルダン氏も「あ~、コレペティか~。Bonjour !」 ととてもにこやかな笑顔で返してくれました。

続いてスカルピタ氏が「彼女は日本人だから『ありがとう』と言わないといけないんだ。」とかなんとか言うもんだから、ドパルデュー氏も「そうそう、『ありがとうだ。』」とかいい、やっぱりフランス人は日本のことたいして知らないよな~と感じながら手を振ってお見送りをしました。

こんなふうに世界的大物とあいさつをしている自分がおもしろいもんだと、てくてくと自宅までのわずか徒歩10分の距離を歩きながら思いました。

実は私が実物のドパルデューを見るのはこれが3回目。彼はスカルピタ氏やクリング氏とのつながりもあって、モンペリエのオペラやオーケストラに度々出演しにきているからです。だから私がモンペリエに来てからこれがすでに少なくとも3回目か4回目。
彼はこの地方にいくつかの大きなワイン農園を経営しているし、モンペリエの街に立派なアパルトマンを持っているとか。

彼は間違いなく名優ですが、大物すぎて、そして実際の体格が大きすぎて(あの胸囲は驚異的ですよ、ほんと)、正直言って遠目に見ているとあまり素敵ではないんです。といってもファンの方には怒られますが、彼は今さら緊張するとかってことはないだろうし、リラックスしているってこともあって、練習中の舞台上での立ち居振る舞いがあまりスマートで素敵というタイプではないんです。

が、このとき「Bonjour !」といって見せてくれた笑顔はとても自然で、さわやかと言ってもいいくらいの好感のもてる笑顔でした。となりにいたファニー・アルダン氏もサングラス越しではあったけれど、とても若々しくてキュートな笑顔でした。

世界に名をはせるスターたちの一瞬の表情に「おや、やっぱり意外と素敵?」と思ったもんです。

さて、翌日の日曜日は14時から通しリハーサル。
このときは報道陣の数も結構いて、テレビ局と新聞関係者が撮影するなかでのリハーサルとなりました。

ドパルデュー氏とアルダン氏は終始にこやか。





休憩中には写真攻撃にあうドパルデュー氏ですが、とても快く応じていました。




関係者しかいないはずの会場ですが、この写真に写っているお姉さんは、どうもいても部外者。きっと芸能関係かなにかの人かしら。。。

このコンサートには例のラトヴィア・ラジオ合唱団がまたも出演していますが、彼らにとってもドパルデューは大物スター。合唱団のメンバーもかなり熱心に写真をとっていました。




ファニー・アルダンの立ち姿ですが、年齢を感じさせないきれいな足でまいっちゃいますよね。 て、おじさんみたいなこと言ってますが、本当にきれいでした。

このリハーサル中、実はまるで喜劇のようなシーンが何度も見られました。

というのは、世界初演の作品ですから、CD発売されるかどうかはともかく、録音して記録に残したい指揮者さんはかなりナーバスになっていて、時間もあまりないことですから、「とにかくみなさん静かにしてくださいね。録音してますから。」と何度も何度も言っていた。

それなのに、舞台と客席の間をいったりきたりするスタッフの数は知れず、そのたびに足音や、椅子の音、床がきしむ音、ドアの音が響き、指揮者はどんどんナーバスになっていきました。音がするたびに、指揮をしながらも客席に振り返って怒っている指揮者。しかも、一番動きまわっている人というのが王様クリング氏とスカルピタ氏。

スカルピタ氏は、舞台の上のドパルデューとアルダン氏がいかに美しく見えるかということに気をまわしていますから、照明の具合だの微妙な椅子の向きだの、まるでスタイリストかマネージャーかと思う割れるほどあれこれと気をつかいます。

そしてクリング氏はクリング氏で、「字幕がよく見えないぞ!」と言ったり、「照明の具合がよくないぞ。」と言ったり、なんやかんや言って 動きまわる。



ついに指揮者もぷっつんきて、「ありえない!」と怒る。
そして真剣勝負の通しリハーサルができないとわかった彼は、結局、何かあるたびに演奏を中断して、最後の指示や注文をミュージシャンにつけはじめました。

そうなると、スカルピタ氏はとまらない。クリング氏の耳元であれやこれやと言って、ついに王様も了承。二人して大手を上げながら指揮者に演奏を止めさせました。
王様を前に指揮者もぷっつんしてますが、どうやらスカルピタが譜面台のせいで彼らの顔が見えないとクレームをつけたよう。王様とスカルピタ自らが4人の譜面台を取り除き始めました。

そんなこんなで演奏は中断しまくり。

音がしないように万全の注意をしている他の人たちも、気をつけているのに間の悪いタイミングで椅子がきしんでしまったり、ドアの音が遠くからひびいてしまったり、ぷっつんきてる指揮者を思うと、みんな失笑してしまわざるを得ないコメディー状態でした。

さて、本番は日曜日の夜20時。


私は前半しかお役目がなかったので、休憩中にホール内に潜入して後半はゆっくりとお客さんにまじって演奏を聴きました。

オッフェンバックの音楽が、まるで今日の映画音楽のようになじみやすく素敵で、私はとても気にいりました。そしてやっぱり名優たちのナレーションには迫力があります。
演奏終了後、鳴りやまない大拍手に迎えられて、ドパルデューたちも長い間聴衆に応えていました。

さて、コンサート終了後、舞台裏から帰ろうと通りかかったら、やっぱりドパルデューたち目当てで控室に向かう人は多い。
しかも、一応一般のお客さんは立ち入れないことになっているので、舞台裏までやってくるのはなんらかの関係者。オペラやら舞台の世界で働く人々にとっても、やっぱりドパルデューとアルダンは特別な大物。ついついみんなミーハー行為い走っちゃうんですね。
私は特別にファンではないし、「昨日挨拶してもらったし、まあ楽屋にまで行くことはないや。」と思って帰ろうとしたら、そこへ私もちょっと加わってる「C'était Marie-Antoinette」のチームがそろって登場。「Ah~ leonardo !」と言いながら、みんなすっかりミーハーな表情でドパルデューの楽屋に向かっていきます。
「あ、それなら私も!」と彼らの後をついていった私。

そしたらかなりの人が順番待ちをしていました。
ま、待つのはもういいやと思って、写真だけパチリ。


本番の直後だけど、二人とも心よく対応しているところが印象的でした。

そしてやっぱり笑えるのはスカルピタ氏。
今日の彼はまるでマネージャーのよう。もう離れません。でもそれは聴衆よりも誰よりも、きっとスカルピタがファニー・アルダンの美しさと演技力にほれ込んでるからなんでしょうね。





こんな感じでフェスティバル7日目が終わりました。

2009年7月19日日曜日

Carmina Burana in Théâtre de la Mer

7月16日の木曜日、夜21時半からモンペリエのとなり街セート Sète で「カルミナ・ブラーナ」の2回目のコンサートがありました。この前お話したように、フェスティバルがラングドック・ルシオン地方の各地でコンサートを行う活動の一環です。前日にはマンドゥMende でしているのですが、ちょっと遠いこともあって私は聞きに行けませんでした。

この日はフェスティバルから招待券を用意して頂き、19時半までの仕事が終わってから車でセートに向かいました。

コンサートの会場はThéâtre de la Mer。訳して「海の劇場」ですが、文字通りなんです。

実は私も前々から行きたい行きたいと思っていた場所で、今回初めて行くきっかけができて大喜び。

残念ながらこの日は曇り空になってしまいましたが、いかに「海の・・・」通りかお見せします!

まず、セートの港街を通り過ぎて西側に行くと、海岸線にそってきれいな遊歩道が設けられているのですが、




その手前にあるのがTéâtre de la Mer。

 




要塞のような雰囲気の石造りの壁が印象的です。






城壁のような壁にそってぐるっと回ると入口があります。



そして中に入ると、、、






じゃじゃ~ん!
海に面した野外劇場なのです。

客席に座ると、舞台の向こう側には果てしなく広がる青い海。





青い空と青い地中海を見ながら音楽を楽しむって、なんて贅沢な設定なんでしょうか。

日が落ち始めるのを待って21時半がコンサート開始時刻。
コンサートをしているうちに青色から群青色に変わるこの時間帯。最高です。





舞台の向こう側に船が写ってるのが見えますか?
時にはカモメが空を舞い、時には船の汽笛が聞こえ、ゆったりと移動する船が見えます。

私は時間ぎりぎりに着いたために、一番てっぺんの遠い席に座りましたが、すばらしい見晴らしでした。






コンサートはというと、演奏が終わるや否や誰からともなくスタンディング・オベーションがおき、拍手喝采の大成功でした。
練習に参加した私が個人的に言えることは、この野外のステージではマイクで音をひろってスピーカーから鳴らすほか仕方がないのですが、私がいた一番上の席では遠すぎるために生の音、生の歌声が聴くことができなくて、すべてスピーカーを通しての音でした。そのために、ステージ上で演奏されている音楽を直接感じることができなくて、なんだかテレビでライブ映像をみているような錯覚に陥りました。
火曜日にモンペリエのCORUMのリハーサル室で練習を行った時には、ラトヴィア・ラジオ合唱団の声の迫力に圧倒されて、みんな息を合わせて緊張感あふれる演奏に心がわくわく肌がぞくぞく しましたが、その体感がこの日のコンサートで感じられなかったのが残念。
でも、それは私が遠い席に座ったからであって、ステージ前の正面席に座った人たちは、迫力に圧倒され肌がぞくぞくくる感動を味わったようなので、素晴らしい演奏だったことには間違いないようです。だからこそあんなスタンディング・オベーションが起きたんですからね。

オペラjrの子どもたちはこれで2008-2009年度の活動を終え、晴れてバカンスになります。

10人ほどをのぞき、全くの初心者だらけの新しいグループでの一年間でしたが、驚くような進歩、成長をしてくれました。この「カルミナ・ブラーナ」のアカペラ部分を聞けば、音程の正確さも驚くくらい。
感心!

たった3日間の練習で、120人近い数の演奏者をまとめたエリン氏にもブラボー!

念願の劇場で素敵な演奏を聞けて、大満足の夜でした。

2009年7月16日木曜日

かっこいい~!! le 14 juillet

7月14日はフランス革命の日。

ル・キャトルーズ・ジュイエは毎年フランスが国をあげての盛大なセレモニーを繰り広げる祝日です。シャンゼリゼ通りをフランスの軍隊、兵士とともに大統領がパレードをするのがお決まり。
この日はいくつものテレビ局がパレードの様子を競って生中継します。

私は仕事に行く前の昼過ぎに、ちょっぴりテレビをつけてパレードの様子を見てみることにしました。すると大統領のシャンゼリゼパレードなんかはとっくに終わっていて、ちょうどパレードの後半が始まるところでした。
個人的にサルコジ氏は好きじゃないし、何気なくつけただけのテレビでしたが、とあるものに釘づけになってしまいました。
画像は悪いですが、これなら著作権うんぬんの問題もないだろうと思って、テレビ越しにとった写真でご報告。





パレードの後半は、パリの上空を横切る戦闘機の上空パレードではじまりました。青・白・赤のトリコロール色の煙が青い空に映えます。

戦闘機が整然と並んでいくつかのグループが通ったあと、登場したのがパラシュート隊でした。

訓練に訓練を重ねたプロ中のプロ8人による降下が行われたのですが、あまりのかっこよさに私はテレビにくぎづけ。
彼らはパリの上空2500メートルから数秒間隔でそれぞれがダイビング。それを上空から移すカメラ映像からは、パリの青い空を舞うパラシュートが映し出されました。






さて、この彼ら、よく見ていると、単に風任せなのではなくて、みとごに操縦していることがわかりました。












高度を下げるための動きと、うまく風にのってすごいスピードで水平移動する動きの違いが明らかなんです。










しかも水平移動するときのスピードの速いこと。
私はこんなの見たことがなかったのでびっくり。
まるで猛スピードを出すバイクのような早さです。

そして一口にパリ上空とは言っても、広いエリア。
いったいどこに着陸するのかな、、、と気にしてみていると、、、










なんとなんと、コンコルド広場に設置された大統領たちが並ぶ中央の特別観覧席前への着陸をしっかりとコントロールして、まるで飛行機が滑走路に降り立つみたいに、ピンポイントで着陸してきたのです。










コンコルド広場のこの向きで、、、










ほら、大統領の目の前で着陸。







すごいです!!

私はパラシュートというものは、だいたいの着陸エリアは目指しているけれど、風の気流任せ的な要素が強いと思ってたんですね。
ところがどっこい、降りると決めたところにこんな正確に降りてくるだなんて。

でももちろん、テレビ中継でも何度も繰り返し説明されましたが、彼らは新鋭中の新鋭パラシュート隊、すごいトレーニングを積んだエリートグループで、世界トップのレベルを誇るとか。

これをみて私は「かっこいい==!」と興奮。

しかもしかも8人目は女性だったんです。




降り立ったのは金髪のかわいらしい女性兵士。
ああ、なんてキュートでかっこいいんでしょう。

世の中いろいろな職業がありますが、「プロ中のプロ」というのはこういった特別な技術をマスタ―した人のことをいうんだな~と実感しました。
8人のパラシュート隊、ブラボー!!です。

2009年7月15日水曜日

ハプニング発生!!

ラジオフランスのフェスティバル初日の夜のコンサートは、有名なオペラ作曲家ベッリーニの知られざる作品「ザイーラ」Zaira のコンサート形式による演奏でした。

1829年に作曲されたこのオペラは、10作品のオペラを作曲したベッリーニの5つ目のオペラ。でも当時の初演から、なぜかほとんど演奏されることなく今日に至ったのです。ほとんどタイトルすら知られていません。

フェスティバルのディレクター、クリング氏は知られていない作品、知られていない作曲家などにスポットをあてることに積極的で、こうして知られざる作品がプログラムに組まれているのはとても意義があることだなあと感心。

「ザイーラ」は十字軍遠征の時代のエルサレムが舞台のドラマ。現地のスルタンの捕虜となったフランス人の娘ザイーラを主人公としたストーリー。みなしごだと思っていた彼女がフランス貴族である父親と再会、その父の死、ある人物の正体が実の兄だと判明、でもそのことを知らずにザイラを妻にしたいと思っていたスルタンの激しい嫉妬のために最後を迎えるザイラ、そして事実を知ったスルタンは自ら命を絶つ、、、という100パーセント悲劇です。
タイトルロールを歌うのはアルバニア出身の若いソプラノ歌手エルモネラ・ヤホErmonela Jaho。そしてその周りはアルメニア出身のメゾ・ソプラノ歌手ヴァルドゥイ・アブラハムヤンをはじめ、イタリア人テノール歌手、中国人バス歌手、韓国人バリトン歌手、そして地元モンペリエテーノール歌手とメゾソプラノ歌手の二人が出演しました。オケはモンペリエ・ナショナル・オーケストラ、そして合唱は「カルミナ・ブラーナ」にも参加したラトヴィア・ラジオ合唱団です。そしてこのすべてを率いるのはイタリア人若手指揮者エンリケ・マッツォラ氏。こう見るだけでもインターナショナルな顔ぶれですね。

このマッツォラ氏は、かなり頻繁にモンペリエで指揮をするし、去年のフェスティバルではオペラjrの子供たちも共演しました。彼のことをまたいつか別くちでお話したいと思います。

さて、このオペラが演出なしのコンサート形式で演奏され、私は字幕操作担当で参加しました。
場所はCORUMの大ホール。私は二階席奥にある音声ミキサー室でひとりぼっちの仕事。ここはガラスでしっかりとホールから隔離されているので、演奏が生で直接聞くことができません。いつもマイクで拾われてスピーカーから流れる音で仕事をするのです。

でもこの日は、コンサートがラジオフランスで中継生放送ということで、私の横にあるスピーカーからは、同じくホール内の別のミキサー室にいるアナウンサーによるラジオの生放送が入ってきていました。コンサートのために仕事をしていながら、同じホールにいながら、私はラジオの音を聞いて仕事をするという変なコンディション。
作品の紹介や歌手の紹介など、生中継なだけにミュージシャンたちの舞台入場のタイミングなんかとばっちりで、舞台を見ながら生中継のアナウンスを耳にするのも、これもまたおもしろい体験かなと思って仕事がスタートしました。

全2幕のこのオペラは第一幕が一時間ちょっと。二幕が一時間弱です。

さて、コンサートは順調に進行し、一幕の終盤にさしかかったころ、私が聞いている音声が一瞬悪くなったかと思ったら、大きな音で二人の女性の会話が入ってきました。電話か無線かで会話している感じ。この音がすごくはっきりと大きな音で入ってきたために、私は進行中の歌が聞き取りにくくなってしまい、「やばい!」と思いました。

が、何がやばいって、そのことよりも生中継のラジオであるところから、コンサートとは全く関係のない二人の女性のプライベートのやりとりが聞こえてきていることです。「え?これどうなってんの?みんなに聞こえてるの?私だけ?それとも会場でも聞こえてるの?ラジオは?」と私は一人で思いっきりドキドキ。

でも私は進行中の音楽からはずれないように全神経を集中させて楽譜を追っている最中だし、しかも私は一人ぼっち。誰かに知らせようにも知らせる手段も瞬間もない。

一人っきりりで「ええ!?これって大問題発生中なんじゃないの?!」とパニックになりつつ、何十秒間か続いた会話が終わるのをドキドキしながら待っていました。


で、1幕が終わったところで隣の部屋にいた音声のテクニシャンが、「どう?順調だった?」と声をかけに来てくれたから、「え=!ていうか、何が起きたの?!」と問う私。そしたら彼はラジオからの音声を聞いていたわけじゃないから、やっぱり何も気づいてなかったみたいで、私の発言を受けて、「電波がひっかかっちゃんたんだよ。気をつけるように言ってくるよ。」と、冷静なのかのん気なのか微妙な感じで、「ホールやラジオには影響ないと思うよ、、、」と言い残していきました。


しかし私の予感はあたっていたのです。


2幕の終了後にまた声をかけにきてくれた彼が、「やっぱりさっきの、電波にのっちゃんたんだって。『もう二度と起きません!』って言ってたけど、あいつらかなり参ってた。」と言う。


そりゃあそうでしょう。


だってオペラ、しかも悲劇のオペラの真っ最中に、「ねえ〇〇、さっき言ってた話、やっぱりこうしようよ、・・・一緒に〇〇みんなでしようよ。・・・・」なんて会話が全国生放送で流れてしまったんだから、そりゃあやばいでしょう。

しかも声の主は生放送中のアナウンサーご本人だったのです。

でも驚くことに、番組終了際にも詫びの一言がありませんでした。
「テクニックトラブルで、、、」とか言うかと思ったのに何もなし。アナウンサーは何事もなかったかのように、コンサートの終了で拍手喝采を受ける歌手や指揮者の様子を伝え、さらには「モンペリエから生放送でした。みなさん今後一週間の間、インタネットのサイト上でこのコンサートをお楽しみいただくことができます。それではよい夜を。」としめくくったのでした。

これは何事もなかったかのようにするのがスマートと判断したのかしないのか。

日本だったら「責任者は誰だ!」的な大騒ぎをしてお詫びを何度もいれるところですよね。

こんなところでまた文化、慣習の違いを感じたのでした。

まあ、コンサートは成功。華々しくフェスティバルの一夜目が幕を閉じました。

裏話ですが、今回の出演者の中にモンペリエのコンセルヴァトワールで勉強中の20歳過ぎくらいの学生さんがメゾ・ソプラノで出ていました。とてもいい響きで歌い、ラジオ放送のアナウンサーも「モンペリエで勉強中のとても若いメゾ・ソプラノ歌手が、、、」とコメントしていたので、きっと彼女にとったら大きな飛躍となるコンサートとなったと思います。

彼女は一年ほど前に、たまたまラッキーなめぐり合わせでクリング氏に目をとめてもらったラッキーガール。今シーズンのモンペリエオーケストラのコンサートで、何度か歌うチャンスを与えてもらっていました。でも実際、モンペリエのコンセルヴァトワールで現在勉強中というには驚くほどの成熟した響きをもっています。実力と運とを併せ持った人がすすんでいける世界。彼女は今のところ、大きな学歴もコンクール歴もないままに大舞台にたつ機会を得たけれど、きっと今後も順調にすすんでいくことでしょう。

そんなこんなで、華やかな舞台裏ラジオ生放送のあちゃちゃハプニングの報告でした。

2009年7月14日火曜日

Le Festival de Radio France et Montpellier Languedoc-Roussillon 25ème

13日の月曜日、毎年恒例のラジオフランスのフェスティバルが開幕しました。






2週間にわたって、クラシックの国際的大物ミュージシャンによるコンサートを中心に、若手演奏家のコンサートやジャズのコンサート、さらにはレゲエやテクノ、民族音楽などの無料コンサートがあちこちで行われます。


サイトはこちら。 http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/index.php



南仏の一地方都市にすぎないモンペリエでこの大規模なフェステイバルが1985年に創設されたのは、ひとえにルネ・クリングRené Koering氏とジョルジュ・フレッシュGeorges Frêche氏の力のおかげ。クリング氏というのは、現在、モンペリエのオーケストラとオペラ座の音楽総監督を務め、私たちが王様、または帝王と呼ぶ人ですが、この人、ただ単に権力があるというのではなくて、それなりにすごい経験と実績がある人なのです。

彼は作曲家ですが、1974年からラジオフランスの音楽専門チャンネルFrance Music フランス・ミュージックのプロデューサを務め、1981年にはこのチャンネルのディレクターとなりました。

そんななかでモンペリエの超超大物社会党政治家であるジョルジュ・フレッシュ氏とタイアップするきっかげが生まれ、1985年にフェスティバルが誕生しました。

このジョルジュ・フレッシュという人がまたすごい人で、賛否の論議はともかく、モンペリエという街が発展できたのはこの人のおかげです。社会党の大物でありながら地方政治にすべてをささげた感じの人。1977年から2004年までの27年間にもわたって、モンペリエの市長を務め、現在はラングドッグ・ルシオン地方のトップの座におさまっています。この人の場合、王様とか帝王という範囲を超えて、「モンペリエのルイ14世」なんて陰で呼ばれています。

この二人のタイアップのおかげで、フェスティバルとモンペリエ、そしてモンペリエの音楽界は共に急成長をしました。クリング氏は1990年にモンペリエのオーケストラのディレクターになって、彼の力のおかげでこのオーケストラはナショナル(国立)のタイトルをかかげることができるようになりました。2001年からはクリング氏はオペラ座のディレクターも兼任するようになり、オペラ座もナショナルの称号を得ているのはいうまでもありません。彼のラジオフランスでのポストもさらに上がり、1チャンネルのディレクターから、ラジオフランス全体の音楽ディレクターとなられました。
そんな背景もあって、彼個人が持つアーティスト・ネットワークはすごいものです。指揮者、ピアニスト、ヴァイオリニスト、歌手、オーケストラ、何に関したって世界中の一流アーティストと個人的にコンタクトがあるわけです。そのおかげで、このフェスティバルでは立ち上げ当初から贅沢な顔ぶれがそろうことになったのです。

フェスティバルが始まったのが1985年。モンペリエは少しずつ成長をとげ、1995年から2005年の間の10年間で人口は爆発的に急増。モンペリエの街にトラムなどが開通し、TGVがパリから3時間で乗り入れるようになったことも全部ジョルジュ・フレッシュのおかげ。さらには、CORUMやシャトー・ドーなどのたくさんの充実したコンサートホール施設が建設されたのも、クリング氏とフレッシュ氏二人のおかげ。

あっぱれですね。


ラジオフランスと言うのはパリに本部がある元公共ラジオ放送局(今では半民半官状態といえるのかな?)で、主なラジオチャンネルだけで7つあり、二つのオーケストラ Orchestre national de France(フランス国立管弦楽団)とOrchestre philharmonique de radio france(フランス放送フィルハーモニー管弦楽団)をかかえていて、合唱団Le Choeur de radio france、さらには児童合唱団の学校la maîtrise de radio franceまであります。まさにフランスの音楽界をリードする大きな組織なのです。


私は家ではラジオを聴く習慣がありませんが、フランス人は結構聞いています。ニュースなんかはラジオで聞いている人がかなり多いくらい。知識人を招いての討論形式の番組とかもかなり根強い人気があります。私がラジオを聴くのは車を運転するとき。そしてその時は必ずラジオフランスのチャンネルの一つであるFIPを聞いています。ジャズとクラシックを中心にいろんな音楽が聞けて、しかも無駄なDJのおしゃべりがないのです。ほんとにお気に入りのラジオ局。フランスに住んでる人、おススメですよ!

ラジオフランスのサイトはこちら http://www.radiofrance.fr/



今年のフェスティバルのサイトでは、王様クリング氏自らが合成映像の中、プログラムの紹介をしています。さらに今年の目玉作品「C'était Marie-Antoinette」企画・演出したジャン=ポール・スカルピタ氏も、この作品の紹介をしています。

実は、まもなく70歳を迎えるクリング氏は2年後に引退することを決め、2ヶ月前に自分の後継者にスカルピタ氏を選んだということを公式に発表しました。ですからこのページでは新旧二人のディレクターがしゃべっているのでおもしろいかも。

http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/2009/videos-festival.php



またギャラリーフォト Galerie Photos をクリックすると、25年間の軌跡が写真で見れるようになっています。たくさんの大物演奏家が参加してきたことがよくわかりますが、1985年にはタンゴの王様ピアソラが来てたことがわかり私もびっくり。25年という時間の歴史を感じますね。

http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/2009/galerie-1985-2008.php



この2週間にわたるフェスティバルのために、ラジオフランスのチームがまるごとモンペリエにやってきて、すべてのコンサートをラジオで放送します。中には中継生放送もあります。

毎日あちらこちらで何かしらしているので、舞台裏は大変。CORUMだけでも大ホールSalle Berlioz と 中ホールSalle Pasteur、そして講演会や映画上映をする Salle Einstein があり、リハーサル室などを含め、複数の場所で練習、ゲネプロ(最終通しけいこ)、本番が同時に行われます。ここにさらに Chateau d'O なんかの野外コンサート施設や広場でのコンサートなんかもあるわけですから、動員しているスタッフの数はかなりのもの。ラジオフランスのチームとモンペリエのCORUMなどのチーム、そして臨時のスタッフが総動員で運営しています。

ハイレベルのコンサートが家の近くでたくさん行われるわけだから、私も仕事の合間をぬって、熱心にコンサート通いをしようと思います。
これから二週間の間、フェスティバルのレポートをお楽しみに。

2009年7月13日月曜日

一日中「カルミナ・ブラーナ」 with 、、、

今年のラジオフランスのフェスティバルには、オペラjrの子供たちChoeur d'enfants がカール・オルフCarl Orff 作曲の 「カルミナ・ブラーナ」Carmina Burana に参加します。

このフェスティバルでは、モンペリエだけでなくラングドック・ルシオン地方のあちらこちらでコンサートをしようという試みが年々積極的に行われていて、この「カルミナ・ブラーナ」もそんな枠組みの中で公演されます。コンサートは二回。15日水曜にモンペリエの北部セヴェンヌ地方のマンドゥMendeで、16日木曜には港町セートSète にての公演。

私はオペラjrの子供たちの準備に取り組んだので、彼らが歌う3曲だけは知っていました。が、ラジオフランスのフェスティバル側から指揮者と合唱団とソリストたちの練習ピアニストを務めてほしいと頼まれたので、12日の日曜日は一日中「カルミナ・ブラーナ」の練習でした。

さてこの曲、タイトルを聞いてぴんとこない人も、曲を聞いたら絶対に一度はどこかで聞いたことがある有名な曲です。野性的で迫力満点のオープニングとラストの曲は、テレビや映画でしょっちゅう使われていますからね。
合唱やソロを混ぜながら、歌なしのオーケストラ演奏だけの部分も含め30曲近い曲があります。そのほとんどが曲中で何度も拍子やテンポが変わる変拍子。しかもすさまじいスピードの曲がたくさん。ピアノで弾くには難しいところが一杯。はたして私の腕はもちこたえられるのか、、、と心配でした。

普段、土壇場で初見演奏とか直前で仕事を頼まれることに慣れてしまっている私ですが、この「カルミナ・ブラーナ」に関してはわざわざパリから5月末に速達で楽譜を送ってもらっていたんです。でも、そのほかの緊急の仕事に追われているうちに約束の日を迎えてしまいました。
どんな人か知らない指揮者のもとで一日中練習。しかもこのハイスピードの曲。
だいぶ不安感があったにもかかわらず、こういうタイプの曲は私が練習するとどんどん腕を痛めて何もできなくなるパターンなので、もう練習もそこそこ、CDを繰り返し聞いてテンポの変化を頭にたたきこむ方法でいどみました。そのテンポの変化だって、指揮者によるわけですからもう挑むしかない。

12日の日曜日。朝はオペラjrの子供たちと指揮者だけの練習。だから私もいつものメンバーとともにリラックスして指揮者の登場を待っていました。

そこへ現れたのがベンジャミン・エリン氏 Benjamin ELLIN。若くて大きなイギリス人指揮者。着くなり彼はもう汗だく状態。

「僕はマンチェスターの出身なので、この暑さが大変!」という彼。先週までは35度とかでつらかったけど、ここ2、3日は30度まで気温が下がっているので、私たちには「涼しい」と感じられる温度。かわいそうに北部出身の彼は完全に参ってる様子。

11時の約束のために余裕をもって来た彼でしたが、もう子供たちがスタンバイしている様子をみて、すぐさま練習を始めました。ヴァレリーとともに厳しく練習してきたおかげで、エリン氏も子供たちのできばえに驚いて大満足の様子。エリン氏は片言のフランス語で子供たちに指示をしましたが、アメリカ滞在経験もあるヴァレリーは問題なく英会話ができるので、この時はほとんど英語ですみました。

さて、オペラjrのみんなはこれで帰っていき、午後は指揮者と私と合唱団とによる練習。約束の14時に練習会場に行くと、合唱団がいない!合唱団はラトヴィア・ラジオの一団。このところ毎年フェスティバルにやってきて、その正確さと迫力でいつも圧倒させてくれるハイレベルの合唱団です。取り組み態度もまじめだし、そんな彼らが約束の時間になっても、時間を過ぎても現れないことに私は驚きました。

エリン氏はどんな合唱団で、どこから来た合唱団かも把握していなくて、状況がさっぱりわからない様子。それなら「私がちょっとフェスティバルの運営スタッフに電話してみます。」と言ったところへスタッフが登場。運営・管理を実質的にこなす3人組がやってきて、「問題が発生しました。彼らは時間を間違えたみたい。。。」と言う。しかも私は驚いたけど、この3人、英語をあまり話せないみたい。だからフランス語がほとんどしゃべれないエリン氏は、フランス語で説明を受けてもあまりよくわからない感じ。なんとか合唱団は約束の14時に来れないこと、そのあとに予定されていたソリストとの練習をずらして合唱団には16時に来てもらおうということで了承しました。謝るスタッフに対し、エリン氏は「問題ないよ。大丈夫だよ。」と優しい反応。

そんなわけでエリン氏と私の二人は16時まで時間がぽっかり空いてしまいました。お互い「ピアノで練習したかったらどうぞ。」と譲りあいつつ、私は腕の事情により今弾くと状況は悪化すると判断していたので、「私はもう弾きませんからどうぞどうぞ。」とグランドピアノとリハーサル室を彼に残すことにしました。でもやっぱりこんな時はおしゃべりですよね。彼の片言のフランス語と私の下手な英語を混ぜながら30分ちかくおしゃべりをしました。

話を聞いて、私は「指揮者の生活」の実態を垣間見て驚いてしまいました。

まず、彼はどんな合唱団とどんなソリストと、そしてどんなミュージシャンと演奏するのか知らないまま来たということ。今回はオーケストラではなくて、2台のピアノとたくさんのパーカッションというバージョンで演奏されますが、もちろんどういった編成で、、とかいうことは把握しているけれど、ソリストのこととか誰一人知らないといいます。そこで、実際はこれが当然なのでしょうけど、すべてはフェスティバル側が人選をし、プログラムを決めているので、指揮者も選ばれた一人にすぎないということです。フェスティバル側が選んだミュージシャンが約束の時間に集結し、わずか3日間で練習をして本番を迎える。改めて考えると、これってすごい仕事だと思います。

一緒に演奏するということは微妙なタイミングとかが最重要で、お互いを信頼できなかったら本番なんて迎えられません。しかもよりによって「カルミナ・ブラーナ」という難曲!すごいスピードでの変拍子や、連続して曲を演奏する部分や、微妙な呼吸の間をとる場合、たっぷり時間をとる場合、など場合によりけりで、そういったタイミングをみんなが了承してしっかりと把握していないと大変なことになります。

それを統率するのが指揮者の仕事。指揮者が自分の音楽観、アイディアを提案して、時には説明して歌手やミュージシャンを納得させなければいけません。だからそんな指揮者にとって一番求められる能力は、音楽云々の前に「コミュニケーション能力」だと私は思います。それはたとえ話す言語が違うミュージシャン同士だとしても。

そして、皆がその指揮者を信頼して「よい演奏をしよう」と思わせる何かがないと、いい演奏はできません。だから音楽的知識や指揮さばきなんかのテクニック的なことに関しては、「この人はわかっている。」と思わせるだけのものが背景にあれば、それは現れるものです。それだからこそみんなも信頼する。オーケストラのミュージシャンや合唱団はまだしも、オペラの歌手という人たちはかなりキャラの強い人たちが多いわけで、そんな人たちをまとめるのだって簡単ではないですよね。

モンペリエに来てから指揮者の仕事ぶりを間近でみるようになって、彼らの知識量のすごさと仕事量のすさまじさに驚かされるとともに、「どんな人間であるか。」が一番のカギなように思っていました。

今回、こうしてイギリスを代表する若手指揮者ベンジャミン・エリン氏と一日一緒に仕事をしましたが、子供たちとの練習、ラトヴィアから来た合唱団との練習、そしてフランス人ソプラノ歌手、アメリカ人バリトン歌手との練習を通じ、この人は真面目でおだやかで、とてもわかりやすい指揮をするし、正確な指示を出し丁寧に説明をするうえ、おおらかな人間性を感じたので、これからどんどん活躍していくに違いない!と思いました。

合唱団がくるまでの間おしゃべりをしている中で彼のしていることを語ってくれましたが、彼はロンドンを拠点にこれまでのところイギリス、リュクサンブール、ロシアで指揮をすることが多いとのことです。そして今がフランスデビューの大事な時期。そのためにフランス語をきちんと話せるようになりたいといって、私にフランス語のワンポイントレッスンをさせました。

彼は指揮だけでなく作曲もしているとのこと。「僕にとっては両方とも大事なんだ。」と言っていました。そして彼のプロモーション用のCDを私にプレゼントしてくれました。指揮をし、作曲をし、というのは演奏するだけの人とは違って本当のミュージシャンだな~とつくづく思います。

それだけでも忙しいだろうに、彼はロンドンにある音楽学校のディレクターを務めているといいました。音楽を子供や若者に広げたいという情熱から、子供や若者でオーケストラができるような学校と、もう一つ、貧困層の家庭の子供たちがたくさんいる地区での音楽学校と、二つの学校を率いているようです。そして聴衆とやりとりのあるコンサートなんかも熱心にしているようで、教育的コンサートもたくさんしていると言っていました。

彼は29歳。私がとあるイタリア人指揮者のことを「彼はまだ若い。」と言ったもんだから、「彼は何歳?」と聞いてきて、「35歳くらいかな~?」と答えると、「僕は大きいし髪の毛も薄いから老けて見えるけど、自分は29歳です。」と言ってきました。フランス人には完全ハゲの人もたくさんいるから、「髪の毛もうすいし、、、」という表現がなんか日本人みたいで意外でぷぷっときましたが、「あなたは落ち着いてるからじゃない?でもだいたい年相応に見えるよ。」と言っておきました。

穏やかな表情の裏には、勉強熱心でハードにたくさんの仕事をこなしている生活があるんだろうな、と思うと信じられないくらいです。

この日、私はまぬけなミスもちょっとしてしまいましたが、無事に練習ピアニストの任務を果たすことができました。

リトヴィアの合唱団なんてウォーミング・アップの時点で、その迫力に私も指揮者も圧倒されたし、ソプラノ歌手は若くてきれいなお姉さんで、まるで芸能人のような立ち居振る舞いでしたが、歌い出すとすごくきれいな高音にびっくりしてしまったし、バリトン歌手もさわやかでかつプロフェッショナルで、歌い出すとこれまたすごいハイレベルで、たくさんの「わくわく」をもらいました。

私みたいななんちゃってピアニストがモンペリエで生活しつつ、家から徒歩10分の場所で、こうして世界各地からやってくる一流ミュージシャンたちとの練習に参加するなんて、それこそ驚きだなーと思った私です。

家に帰ってからベンジャミン・エリン氏についてインターネットをのぞいてみたら、たくさんのページがでてきました。彼のオフィシャルサイトも見つけたので、興味ある人は覗いてみてください。

http://www.benjaminellin.com/

今のところイギリスとロシアが中心ですが、これからフランスでも活躍の場を広げていき、間もなくドイツでだって始まるだろうし、その先にはアメリカも待っているだろうし、いつかは日本もかな?

応援します!

2009年7月12日日曜日

とっさのイタリア語会話

予定外の緊急仕事だった「ジェロルスタイン大公夫人」の練習で私にとっての最後の日、任務を果してふわ~っと気を抜いて「さあ、ちょっとのんびりしよう。」と思ったところへ、またも緊急の仕事が入りました。

留守録に「また頼みたい仕事があるんだけど。。。」とオペラ座のTさん。
話を聞いてみると、ラジオフランスのフェスティバルの今年の目玉作品「C'était Marie-Antoinette」(マリー・アントワネットを題材にしたスペクタクル)の練習で、何日間かもう一人コレペティが必要だということ。

このブログでも何度も名前が出ているジャン=ポール・スカルピタ氏Jean=Paul SCARPITTA の独自のアイディアによる構成で、マリー・アントワネット役の俳優と数人の歌手とコーラスによって、マリー・アントワネットの時代の音楽を混ぜてオペラチックにまとめられるスペクタクル。マリ・アントワネットのセリフと、彼女の心情を表わす音楽、あるいは当時の状況を表す音楽が4人のオペラ歌手によって歌われます。
全くのオリジナルですからどんな感じになるんだろうと 興味があった作品だったから、いつものように自分で務まるかという不安はありながら、この製作の準備に参加できるのならうれしい話なのでさせてもらうことにしました。幸い、彼らが私を必要とする日程が私の予定にぴったりはまりOK。

このスペクタクルはフェスティバルの最後、29日と30日にオペラ座コメディで公演が予定されています。
音楽の選曲もスカルピタ氏によるもので、彼にアドバイスを与えたイタリアバロック音楽の有名指揮者ファビオ・ビオンディ氏Fabio BIONDI率いるバロック・オーケストラ「ユーロパ・ギャラント Europa Galante」 が演奏。

練習は7月7日に始まり、私の役目は7月9日から7月29日の本番までの間に4日間。私にとっての開始日である7月9日にマエストロ・ビオンディ氏がやってきます。そのため、それまでの3日間はビオンディ氏が信頼しているコレペティのシモーネ・ジョルダーノ氏が伴奏を務め、歌手たちの指導も行っていました。
このスペクタクルで使われるのは20数曲。うち、私が聞いたことがある音楽はたったの2曲。。。私は9日にダンサーや俳優さんの舞台稽古での伴奏を務めないといけないので、それまでに曲のテンポ、曲のつなぎ方なんかを把握しておかないといけません。
知っている曲が2曲という情けない現実の中、私にできることは譜を読んでおくことと、できる限りジョルダーノ氏が弾くのを聞いて、テンポなんかを頭に入れておくことだけでした。

そのため、私は7月7日の練習初日から参加。そしてジョルダーノ氏の周りをうろちょろして、とあるごとに質問とかをしたのでした。

そして問題となったのが、このジョルダーノ氏はフランス語を話さないイタリア人だということ。
簡単な英語ならしゃべれると言ってきたので、私と彼は簡単な英会話でコミュニケーションをとりました。が、スカルピタ氏や歌手たち、そしてオペラ座のスタッフたちはみんなイタリア語が使えるんです。はっきりいって私だけ疎外感。しかも私にとっては個人的にショックが大きい。だって学生時代に私が一番好きで、一番勉強していた外国語はなにをかくそうイタリア語だったのだから!!

みんなのようにイタリア語でジョルダーノ氏と会話できない自分にショック。

イタリア語というのは日本人にとったら一番身近な発音形態をもつ言語で、聞こえてくる音が全部簡単にひらがなで書き表せると言っていいほど、私たちには自然に発音できる言語。しかもそれなりに勉強したから聞き覚えのある単語もあるし、今やフランス語とはラテン系ということで似たような言葉もたくさんあって何を意味するか想像ができる単語が一杯。
だからイタリア語の会話を聞いていると、何をいってるのかほとんど推測がつく。だから相づちは打てる。日本語でだったりフランス語でだったり英語もまぜて。なのに言いたいことは何も言えない歯がゆさと悲しさ。

このとっさのイタリア語会話で私が言えたことは、、、

「こんにちは!」 ボンジョルノ
「やあ!」 チャオ
「ありがとう!」 グラッチェ
「どうぞ」 プレーゴ
「私の名前は○○です。」 ミキアーモ・・

そしてなんとか記憶を振り絞って出てきたのが

「わかりました!」 カピートです。

ああ、イタリア語をすっかり忘れてしまった自分が悲しい。
今回のことで、やっぱり私が好きな外国語はイタリア語だと再確認。

どちらにしろオペラの世界で仕事をしたければ、イタリア語を操れるかどうかは必要不可欠ということはわかっていました。そのこともあって、つい最近、日本に残してきたイタリア語教材を親に送ってくれと頼んだところ。

ジョルダーノさんとの出会いで一気にモチベーションがあがりました。
勉強するぞ、イタリア語!

2009年7月10日金曜日

La Grande Duchesse de Gérolstein

先日、緊急の仕事としてお伝えしたオッフェンバックのオペラ「La Grande Duchesse de Gérolstein」(ジェロルスタイン大公夫人)のプロダクションが7月7日から本番を迎えました。




場所はモンペリエの北西エリアにあるシャトー・ドー Chateau d'O にある野外コンサート施設。毎年夏のフェスティバルの時期にここで私も大好きなジャズの無料コンサートがあって、このブログでもお伝えしたと思いますがその場所です。

ここで毎年この季節に屋外でオペレッタやミュージカルを楽しもうという趣旨で立ち上げられたのがフォリー・ドー Folies d'O という組織。指揮者のJ・P氏をディレクターとし、発足から3年目となりました。失礼ながら私がその存在を知ったのは、今年の5月ごろでしたが、モンペリエの7月の行事の一つとして着々と地をかためていっているようです。

今回私はケガをしたコレペティさんの代理として、緊急でプロダクションに参加し、「これでいいん?」と心配もしましたが、完全初見でのピンチヒッターという状況を知る人たちからはたくさんの「ブラボー」と「メルシー」のねぎらいの言葉を頂いて、まあ大変だったけど、こういう状況下での貴重なよい経験をさせてもらってよかったと思います。
結果的には、私ともう一人、合唱の練習準備をしてきたピアニストのVとでスケジュールを分け合い、オーケストラがやってくる7月2日までを乗り越えました。

歌手のソリストたちやダンサーの中には、ハイレベルでかつとてもプロフェッショナルでありながら、とても気持ちのいい人たちもいて、そんな人たちと知り合えて一緒に仕事できたのはほんとよかったです。

オペラの練習伴奏ピアニストのことを日本ではコレペティと呼びますが、フランス語ではChef de chant シェフ・ドゥ・ション。この職業のピアニストは指揮者のもとで伴奏するだけでなく、歌手たちをトレーニングしてサポートする大事な役目があります。そのため、一つのオペラのプロダクションの準備の中で、歌手たちとコレペティはとても密な関係で一緒に練習を重ねて、舞台を仕上げていくのです。今回のプロダクションでは、そのコレペティが突然来れなくなり、しかも代わりに来た人は一人ではなく、日によって違うピアニストという状況になったので、歌手たちとってはちょっと混乱を招く難しい状況だったことだろうと思います。ま、それも経験ですね。

本番で伴奏を務めるのはアヴィニョンのオーケストラ Orchestre Lyrique de Région Avignon Provence。私は役目から解放されて、初日の公演に招待券を頂いたのでのんびり気分で行かせてもらいました。

本番開始は21時半。
屋外ですから、日が落ちる時間と照明の効果を計算に入れてのスタート時間の設定なのです。

私が会場に着いた時の空はまだこんな明るい空。これで21時15分です。





この会場には、屋外ホールでありながら、ちゃんとオーケストラピットがあるところがすごい。




私は練習に参加したとはいっても、全体像を把握していなかったし、衣裳はごく一部しか見なかったし、私のピアノの位置からは歌手たちのやりとりが見えなかったので、一般のお客さんとほぼ同じ立場で舞台を楽しむことができました。

まず、しょっぱなから度肝を抜かれる予想外のスタート。ヘリコプターの爆音とともに、ダンサーや合唱の男性陣が皆、ゲリラ戦闘隊のように、舞台、客席、会場のあちらこちらから飛び出してきたのです。そしてオーケストラのコンサートマスターの指揮で、ワーグナーのワルキューレの有名な序曲の演奏が始まり、会場と舞台ではゲリラ隊が走りまわっているのですが、なんとその中に指揮者J・P 氏も混ざっていて、彼は頭まで黒いフードをかぶり、ゲリラ隊のリーダーのようないでたちで、水平タイプのアーチを手に指揮台まで走り出て来て、突然そのアーチから指揮棒を取り出して、指揮を振り出したんです。私の隣には彼の友人らしきカップルが座っていたのですが、J・P氏を知っている私と彼らは大笑い。はっきりいって、どんな演出にしたってここまでやる指揮者はそういないと思います。ああ、ビデオに撮ってみなさんに見せたかった!

そんな開始部分からノリノリの音楽と演出が続きます。一幕、休憩をはさんでから二幕と三幕の舞台は退屈することなく、楽しむことができました。オペレッタというのは軽めの音楽で喜劇の要素もりだくさんなところへ、今回の演出家 F・de C 氏はパロディもたくさん盛り込んで徹底的にコメディ路線でまとめあげました。もしかしたらやりすぎだと思った人もいたかもしれないけれど、私は夏の夜の屋外での心地よいスペクタクルを楽しませてもらって満足しました。

後半部分では、私が練習に参加していたときにはまだ挿入されていなかったけれど、マイケル・ジャクソンへのオマージュとして、スリラーの音楽とダンスがいれこまれていて、私には嫌な感じがしませんでした。アーティストたちからアーティストへの敬意の現れと感じたから。

一緒に練習をしたチームが晴れの舞台を迎え、なんなくとすべきことをこなし、しかも喜劇だから楽しんでやってるように感じられるのはいいもんですね。

オペレッタというのはしゃべりの部分が多く、歌手たちには役者としての能力が問われます。今回兵士フリッツ役を歌ったのはロイック・フェリックス Loïc Félix というアフリカ系フランス人のテノール歌手ですが、彼は私と同年代の人で、まっすぐで気持のよい人柄なうえに、技巧的に難しい曲のオンパレードを見事にこなす上に、コメディタッチの演じる部分もほんと上手にこなすから感心してしまいました。関心というのも失礼ですね。もうあちこちで活躍している人なので、今後の活躍がとても楽しみです。心から応援したいなと思う歌手さんでした。





この夜は満月で、涼しい風もあり、屋外でこうしてスペクタクルを楽しめるのは贅沢なものだなとつくづく思いました。



屋外でオペラなんてなかなか思いつかないし、実現も難しいけれど、この会場でこの時期にするというアイディア、なかなか成功ですね。
最後にちょっぴり余談を。。。
お恥ずかしながら、この公演までこのオペラタイトルも知らなかった私ですが、仕事の話が来て急きょストーリーとかも勉強しなくっちゃと思った私はインターネット上で驚きの事実を知ったのです。実はこのオペラ、明治12年(1879年)に日本で紹介され、浅草オペラなどで大ヒットを記録した作品だったのです。当時の日本タイトルは「ブン大将」。ブン大将というのは登場人物の一人なのですが、ちょっとまぬけでこっけいな役で、それにぴったりのおもしろいアリアがあるんです。それが明治当時の聴衆にうけたんですね。
ヨーロッパの人にとったら、日本人が西洋クラシック音楽をしたりオペラまですることに驚きを感じる人もたくさんいますが、それが明治時代となると驚きも倍増ですね。
音楽史の意外な一コマを知って、おもしろいなーと思いました。

2009年7月8日水曜日

Tour de France in Montpellier

7月7日の火曜日、モンペリエの街は「ツール・ド・フランス」として日本でも知られている自転車のレース、Tour de Franceで大盛り上がりでした。

世界最大規模のこの自転車レースでは、フランス全土を横断するコースが毎年新しく決められ、選手たちとそのサポートチーム、そして世界中からくる報道関係者が皆、3週間かけてフランス各地を移動していくことが特徴。
自転車競技というと、日本人にとったら競輪で行われるように、競技場内をぐるぐる回る短距離レースが主だけど、フランス人にとっては一般道路を走る長距離コースの方がメインで、自転車というのが一つのスポーツとしてとても普及していて、ちびっこでもスポーツの習い事に自転車というのが人気があり、若者にも熟年層にも、かなりハイレベルでサイクリングを愛好している人がたくさんいます。
Tour de France となると本当にフランス全土で盛り上がり、自転車というのはフランス人の間では国技と言っていいくらい皆に愛されているスポーツなのだということがわかります。

今年選ばれたコースは、7月4日土曜日にモナコ公国を出発し、7月26日日曜日にパリのシャンゼリゼ大通りでゴールインするというものです。ただ、全行程を自転車で行くのでなくて、ところどころ街を飛ばすので、バス移動や飛行機移動も含まれています。





スタート日には、モナコの街の中で15.5キロの短距離レースを行い、翌日はモナコからブリニョル Brignoles までの187キロの長距離、そして続いて3日目には、マルセイユ-グランド・モット間196.3キロを走破し、モンペリエまでやってきました。グランド・モット La Grande Motte というのはモンペリエから近い有名な観光ビーチです。

そして7日がモンペリエとその周辺でのレース。モンペリエにTour de France が来るのも毎年というわけではないので、街をあげての歓迎ムードです。この日、起伏にとんだ39キロのコースが設定され、チームごとのタイムを競うというレースが行われました。街の中心地コメディ広場を出発地点とし、グラベルGrabelsを通った後、私が働く音楽学校のエリアなのでこのブログでもおなじみのミュルビエル Murviel les Montpellier、ピニャン Pignan、ラヴェルンヌ Laverune を通って、ゴール地点はモンペリエの西エリアにある新しい総合競技場。

コースに選ばれた村では、住民参加のボランティアでTour de France に参加していました。例えばミュルビエルはこの日の行程の中でも山間コースであり、最高地点143メートルである大事なポイントエリア。取材にくる報道人も多く、France 2では番組内でこの村の住民を交えて村の紹介を行っていました。この村には古代ローマ時代の遺跡が残っているので、宣伝材料もたくさんあるのです。なんかこの番組をみていて、甲子園の時期にNHKで見られるふるさと紹介を思い出しちゃいました。ちょっぴりノスタルジー。


私はTour de France のレースの詳しいルールも知らないのだけど、仕事でオペラ座に向かった時に、いつもと違う賑わいを見せるコメディ広場を見て、「これはブログで報告しないと!」と思って、ついつい観光客してしまいました。



オペラ座の前がスタート地点。
特設ステージが設けられ、ステージ上では次々と出発する各チームを紹介したりして、会場を盛りげるアナウンサー兼DJのようなお兄さん。
応援する見物客や観光客とともにプロの報道関係者もたくさん。実況用にカメラもクレーンで設置されています。




この日のコメディ広場は、このスタート地点以外のエリアがすべてそれぞれのチームのために分けられていて、大型バスとともにテントをはってウォーミングアップをするエリアだったり、レース中の選手たちをサポートするための車などがスタンバイしていました。
中でも一番人を集めていたのはアスタナASTANAのチーム。ここには有名なアメリカ人選手ランス・アームストロングがいますからね。





私がコメディ広場を通ったのは15時前。この日、このアスタナチームの出発が最終で16時だったので、まだ選手たちは来てないよるでした。





出発がまもないチームの選手たちはご覧のようにウォーミングアップ。




そしてスタートを目前に控えたチームが、スタートラインで緊張の瞬間を待っています。


そしてスタートの瞬間をビデオにとってみました。




自転車とはいってもやっぱりプロのスピードというのは早いもんですね。

選手たちの後ろにはスペアの自転車などを積んだサポート隊が車ですぐについていきました。

しかし改めてレースのことを調べてみると、選手たちは連日200キロ近いコースを走破するなんてすごいですね。これがスポーツ選手たるゆえんなんだろうけど、マラソンともまた違って、3週間スタミナを維持させる能力の違いが勝者を決めるんでしょうね。

こんな感じで、この日は予定以外にTour de France の街バージョンを楽しめました。で、実は数年前にはモンペリエの郊外で田舎バージョンを楽しんだことがあるのです。そのため次回はちょっぴりその時の様子を報告したいと思います。