2009年10月30日金曜日

プロ根性なるもの

「ビスタンクラック」のコンサートでの仕事は、お客さんにはとても喜んでもらえたものの、私としてはちょっぴり悔しい不満の残るものとなり、何よりもすさまじい集中力を要したので、コンサート終了後数日たっても頭がぼ~っとしてしまう状態に陥りました。

さて、どんなコンディションで仕事をしたかたという話です。

まず、このオペラは14人の女性歌手とピアノのためにかかれた作品で、紡績工場で働く女性たちを管理するための規則をもとに1番から11番の曲に分かれています。すべて演奏して大体1時間半。

規則というと、たとえば「5時に起床」とか、「昼休みの時間と過ごし方」とか、「街に出かける特別許可証」とか、はてには「トイレに行く許可」とかまであります。そして規則をやぶると実家に帰る特別休暇が没収されてしまうとか。
厳しい労働環境が明らかになり、人権や女性や子供の労働に関して社会問題を扱っているオペラでもあります。

当初、私にこの仕事の話が来たときは、9月に二日間と10月のコンサート前日の練習が予定されていました。しかし財政難のせいで9月の練習が中止になったのです。Heliade だってプロの団体ですから、歌手たちは合同練習でいくらかの報酬を受けるからです。そして彼らもかなり頻繁にコンサートをあちこちでしているので、たくさんのプログラムを同時にかかえていて、「ビスタンクラック」の練習だけをしているのとは違います。
ただ、この「ビスタンクラック」プロジェクトは数年がかりの計画だということもあって、すでに彼らは部分部分ながらも公の舞台で発表してきていました。
まずプロジェクト発表のときに9番までの曲の抜粋で演奏しています。そして今年の2月には9番までのすべてが演出とともに舞台で発表されました。
そして聞いたとところによると、今年の6月ごろに、新しい10番と11番の譜読みをみんなでしたといいます。「譜読み」なので、準備が整っているわけではありません。ですから9月の練習は彼らにとったらこの新しい2曲をしっかりとまとめるという大事な目的がありました。それが中止になったので、彼らにとったら不安材料が残ったわけです、、、。

さて、私はというと?
私は昨年の秋、練習に参加した時に、5番と6番、そして7番と8番の練習につきそいました。が、この時わたしは完全な初見。楽譜が私に前もって渡されることも、練習中与えられることもなく、2日間が2回、その場で楽譜を見て直接弾いただけです。ですからゆっくりじっくり楽譜をみたことはありません。しかも1番から4番までは全く知らないし、9番から11番も全く知りませんでした。
今年の9月頭に9月の合同練習はなくなったと聞かされたので、それをカバーするためにもまずはすぐさま楽譜を送ってもらうこと(まだ楽譜すらもらってなかった!)と、音源を渡してほしいと頼みました。幸い、メンバーのBが2月の舞台を録音してたので1番から9番までの音源が手に入りました。

今はパリ住まいのエレーヌ(指揮者・指導者でリーダー)が9月中旬にモンペリエに来る予定があったので、そこで一度会って2時間、一緒にテンポなどの確認をしました。

そこからは完全に一人での準備。
10月10日のコンサートの前日、10月9日にしかみんなとの練習がないのですから。

ピアノ弾きとして生計をたてながらも、家で個人練習をするということが超少ない私。
その私が仕事の合間をぬって、かなりの時間このオペラのためにピアノに向かいました。
問題は、ピアニスティックではないピアノパート。機械の音を表したり、厳しい労働環境を表す音楽のため、激しい連打や猛スピードのパッセージがてんこもり。しかもピアノの最高音から最低音までかけめぐり、不規則な音列や不規則な拍子とリズム。まあ、「現代音楽」ですね。幸い和声的なベースがあったので、無調、不協和な部分はごくわずかでした。
私が自分で弾くのに好むタイプの音楽ではないはずですが、interestingだったのでいつのまにやら好きになっていました。
でもオクターブや和音の連打とかは私の身体を痛めます。練習しないといけないとはわかっていても、こういうパッセージを練習できる時間は身体能力的にとても限られているんです。そこでそれをカバーするために私がしたのは録音を聞きまくること。そして弾かずに楽譜を見ること。まさにイメトレですね。
これにはほんとにたくさんの時間をかけました。仕事に行く前も、仕事から帰ってからも。

こんなふうにそれなりの個人的努力をして、10月9日を迎えました。

この日、明らかなスケジュール調整のミスですが、私は昼にオペラ座でのコンサートの譜めくりを担当し、2時間半がついやされ、終わってからダッシュで家に帰って、車でセートに向かいました。
そう、唯一一回の練習はセートでだったのです。15時から夕食休憩をはさんで22時半まで。。。。。

皆にとって新しい10番と11番があるとはいっても、この日の最大の目的は私と初めて演奏するのだからそのために全体をとおしてあちこちの調整をするはずでした。

しかし、曲者は10番。
実は10番は14人の歌手それぞれに独立パートが与えられていて、14声合唱なのです。しかもここぞとばかりに無調やらもりだくさんで、まさに「混沌」としたものが表現されています。
この10番にてこずり、なんとなんとこの日の練習で10番と11番しかできなかったのです。

えぇ~~~!!

練習後半には作曲者ブデ氏も現れたのですが、翌日が本番とは誰も思えない状況なのは明らかでした。
22時半になってしまったので練習は終了しましたが、1番から9番までを私と一緒にしたことがないままコンサート当日を迎えるということに誰もが「うそだろ~!?」と不安を抱えたまま帰宅したことはいうまでもありません。

さて、セートからモンペリエに帰る時、メンバーの2人を乗せ、道を間違えた私はいつもよりも遠回りをし、家に帰ったのは23時半でした。

長時間座ったままだと体中に痛みが発生してしまう私。
コンサート前日夜にして、すでにオーバーヒートしてました。

そして当日。
前の記事で載せた写真のように秋晴れの青空にめぐまれました。
それはいいんだけど、これまた私が車を出さなくてはいけなかったのです。。。
他のメンバー3人を乗せてサン・ジャン・ド・ギャールまで1時間半。途中、素敵な景色も見かけましたが楽しむ暇はなし。
前日から座りっぱなしのためにあちこち痛い痛い。
コンサート会場の教会についたときには、もう疲れきってた私。

それからちょっとだけウォーミングアップと会場の音響をチェックしてから昼食。

そして14時から19時までの練習が始まりました。
今回、演出はなしとはいえ、ビデオ映像のタイミングのチェックや照明のチェックも入ります。みんな譜面台には一応ランプを備え付けてもらってるんですが、それでも私の譜面が見にくかったから、照明をあげてもらうように交渉したり。
オペラ全部の演奏時間が一時間半なのですから、ちょっとやりなおしたり、くりかえしたりしてたらあっというまに時間はたち、19時となりました。
日が落ちたあたの教会は寒い寒い。疲れと寒さで私は絶不調!!

このとき大問題が発覚。
この難しい音楽のために、私はエレーヌに誰か譜めくりの人を用意するように頼んでいました。そして念のため、Heliadeの事務を担当してるEにもその話をしておきました。そしたらEが「僕がやるよ。」と言ったので、私はすっかり彼を当てにして、コンサート当日、彼が現れるのを待っていたのです。そしたら練習が進んでも彼の姿がないではないですか。
そして19時になって私が質問。「ねえ、Eはこないの?」と。
そしたら彼は用事で今日は来れないというではないですか。「え、、、。彼が譜めくりすることになってたんだけど、、、、。」という私。そしてエレーヌはというと、私から譜めくりを用意するように頼まれたから、そのことを気にしてたけど対処していなかった。。。
「どうしよう!」とうところでそこは迷いもなくある人に白羽の矢が。
それはエレーヌのお母さんであるS。モンペリエの学生コーラスグループを指導したりしているミュージシャンです。私はざっと楽譜を見せながら説明。内心は「難しくて猛スピードの音楽だけどだいじょうぶかな、、」と不安もよぎってましたがほかに手はない。

なんといっても他にも問題だらけ。
練習中に2か所、なぜか皆と私がずれるところがあって、私にはその原因が理解ができなかったので、本来なら確認して問題を解決するわけです。しかし!その時間もない。皆は夕食に行き、私は食べるきにもならないからちょっとピアノに残り確認。そしてエレーヌと2、3、口頭で確認。
開場は20時ですが、寒いところにいてもしかたないし、レストランへいって2、3口かじった後は、温水で両手をしっかりとあたためました。
もうこれ以外に努力のしようがないという現実。みんなより先に教会に戻って準備。

お客さんはいっぱい。
満席完売のようです。

コンサート開始。

まず、私はピアノの前に座って新たな問題に気がつきました。
暗い。
練習中にはまだ外の日差しも多少なり入っていたけど、今は夜で暗幕がはりめぐらされ、私には楽譜のための小さなランプが楽譜の上にくっついてるだけ。
暗い。
鍵盤がよく見えないよ~!自分の手が見えないよ~!

しかしもう遅い。やるしかない。

音楽が始まってまもなくして、私は次の問題に気がつきました。
やっぱりSは音楽についていけてない~!!
こんな音楽を初見で譜めくりは、やっぱりミュージシャンだって難しかった。
私は自分自身必死で弾き、必死で指揮を見て、必死で皆と合うように全集中力を発揮している最中なのだけど、変なところでページをめくろうとするSに「まだ!」とか「早すぎる!」とか「まだ4小節ある!」とか叫ばなくてはいけなくなったのです。

。。。。。。

コンサート前の練習で理解ができなかった問題箇所が近づき、私は一層気をつけてましたが、やっぱりだめだった!私は確実に正確に拍にそっていただけに納得がいかない!なんで?
でも今これが本番!
やっぱり練習で問題解決しなかったから。。。
ああ、悔しい。

そんなこんなでさらに新しい問題。
譜めくりをしてくれたSは60歳を超えた人。猛スピードの音楽の譜めくりでいちいち立ち上がってくれません。私の横で座ったまま譜めくりをしようとしています。
でも私はピアノの最高音から最低音まで動き回って弾かなくてはいけません。ページをめくろうとのばす彼女の腕が私の前をさえぎって、「うわ~!邪魔です~!」楽譜が見にくけりゃ鍵盤も見えない!

。。。。。。


そんなこんなで必死になっていると事件は起きました。
腕を伸ばしているSがピアノのふたに肘を預けるようになって、私がそれを気にし始めていたのもつかのま、ずった腕のせいで鍵盤のふたが落ちたのです!
落ちたって、ピアノを弾いている真っ最中の私の手の上に!

。。。。。。

幸いバッターンと激しく落ちなかったからよかったものの、確かに私の手の上に落ちて痛かったの事実。
でもだからって演奏を中断することはできません。だって変拍子の猛スピードの曲。途中で落ちたらもうおしまいです。私は鍵盤のふたが落ちたって、多少ミスタッチをしたって、とにかく弾き続け、ふたも自分で持ち上げ元にももどし弾き続けました。

私のすぐ右手には観客がいます。
彼らは目の前に必死でピアノを弾きながら「まだ!」とか「早い!」とか譜めくりの人に叫び、挙句の果てにはふたが落ちてアクシデントに襲われているピアニストがいて、ちゃんと舞台全体の音楽が聞けているんでしょうか。。。
そんなことを考える余裕まででてきていたのか、私。

曲と曲の間は見えない鍵盤と自分の指の場所の確認をして過ぎていきました。
そして9番目の曲に。
この曲は「光」がテーマで、演出効果として照明が消されて、14人の歌手が手持ちライトをともします。それはそれはきれいなんですけど、私には大問題!
鍵盤がみえないどころか、指揮者のエレーヌがほとんど見えなくなった!
ぼや~っとシルエットが見えるだけ。

。。。。。。。。


なんて状況下で弾いているんでしょか、私は。

でも、こんなコンディション、現実とはいえ、会場のお客さんたちは息をのんで作品の中に入り込んでいるのが感じられました。
11番が終わり、照明が落ちました。
絶妙のタイミングで大拍手が起き、ブラボーの声も飛び交い、とても熱い反応でした。
作曲者ブデ氏も客席から出てきて大拍手を浴び、私も拍手をいただき、コンサートは終了しました。

前日の夜の練習をみて、ブデ氏も相当不安だったことでしょう。
あれに比べたらよくぞやったという出来です。みんな集中してやりきりました。
音楽的にとても美しい瞬間もあり。照明と演出でとても美しい瞬間あり。
お客さんの心にヒットしたようです。

1時間半の舞台。指揮者とピアニストにとては本当にノンストップです。エレーヌにとっても14人の歌手にとってもアドレナリンでっぱなしのコンサートだったことでしょう。11曲全部を初めて通してしたのが本番だったなんて。
まさに「最後までやりきったぞ!」という感じでしょうか。
でも、いつもならみんなでがんばったと感じられる舞台が常の私ですが、この時ばかりは私は人一倍大変だったと思ってしまいました。
メンバーの中の一人、アルト歌手で個人の活動もすごく好調のBが「今夜のleonardoはずばぬけていた。」と言ってくれて皆からのブラボーを促してくれて、このBの言葉がせめてものなぐさめ。Bは私が準備のために個人的にたくさん時間を費やしたということも気遣ってくれて、この人はわかっていると感じました。

ブラボーと言ってくれるみんなに、私は「アホなミスがもったいない~!」と反省。楽譜的に難しいところ、音楽的に難しいところもあの練習だけでなんとかみんなと合わせることができたのだから、それは私の練習方法が正しかったということ。それなのにあの練習中に解決できなかった部分がそのまま出ちゃって、、、。
まあみんなそれぞれがちょっとずつミスをしたというのが現実でしょうか。

私が「ピアノのふたが手に落ちたんよ~!」と報告するとみんな唖然。
そうよね、あり得ない話よね。
本番の演奏中にピアノのふたが手の上におちるなんて。

ああ、こんな状況化でのコンサートはもう勘弁です。

集中力とエネルギーという点で、今までで一番出しつくしたのではないでしょうか。
もともと報酬を得るためにした仕事ではなかったのですが、結果的に費やした時間とエネルギーと、コンサート後の疲労具合を見ると、あまりに割のあわない仕事でした。
こういうことも経験して、今後の仕事の選択方法の改良につながっていくのでしょうか。

ああ、疲れました!
このコンサート翌日に幸い一日オフの日があったのですが、疲れは回復できず、その後、20日間ノンストップでそのほかの仕事が連続しました。
10月10日の疲れがとれたのは10月28日になってからのことでした。

そんなこんなで私のコンサート記録・報告でした。

最後にSの一言を。

このぶっとばしのコンサートで私のすぐ横にいたのが、譜めくりをしてくれたこのS。
本番の途中で彼女が音楽についていけなくて、挙句の果てに私が「まだ早い!」とかいうからすっかりパニック状態になってしまっていたのを感じました。なんだか彼女にも悪かったなと思います。なんといっても彼女のミスでもないんですから。
あえて言うなら、こんな難しい曲をあまりにも余裕がないスケジュールの中でやろうとしたこと。

Sがコンサート終了後に言った言葉です。
「leonardo。なんて難しい仕事をこなしたことか!すごいプロ根性!」

2009年10月28日水曜日

ビスタンクラック in St. Jean du Gard

「ビスタンクラック」とはフランス語のオノマトペ。機織りのような機械の音を表します。

横文字にして「Bistanclac」。モンペリエ・オーケストラのトロンボーン奏者ブデ氏が作曲したオペラのタイトルでもあります。去年の秋ごろ、女性ボーカルアンサンブルのHeliadeの練習に参加したときの話を覚えてる方もいるでしょうか。一世紀前の紡績工場で働く女性たちの労働環境を題材としてとりあげた作品です。

Heliade にとったらこの「Bistanclac」は彼らのために作曲された本当のオリジナル作品であり、モンペリエ近郊の土地に根差した題材であり、女性や子供の労働環境、人権にテーマが及んでおり、数年をかけて作り上げる覚悟でとりかかった意欲作なのです。

Heliade のホームページでこのプロジェクトの説明スライドがあるので見てみてください。



プロジェクトが立ち上がった時に、彼らはまず作品のごく一部を舞台で演奏し、「ビスタンクラック・プロジェクト」として発表しました。そして今年の春には全オペラ11番までのうちの9番までをセートの劇場で発表しました。その後もB氏の作曲作業は続いて、全11番が完成。そしてこの10月に、このオペラの完成版の初のお披露目コンサートがおこなわれたのです。しかもオペラの題材となった紡績工場が実際にあった町St. Jean du Gardでの公演。大事なコンサートです。

Heliadeにはいつも演奏しているピアニストがいるのですが、今回のコンサートの日程に彼の都合が合いませんでした。

そのために声がかかったのがこの私。

去年の記事でも言いましたが、Heliadeのメンバーの多くは私がモンペリエに来た年に出会った人たち。そんな人たちと一度コンサートで共演するのはいい機会だと思ったので、私自身もなんとかスケジュール調整をして参加することを決めました。

9月に二日間の練習をもうけて、10月にはコンサート前日と当日の練習で本番を迎えるというスケジュールを伝えられていました。

しかし実際は諸事情によって厳しいことになったのです。。。
そのことはまた改めて詳しくお伝えするとして、今日はSt. Jean du Gard の様子を紹介することにします。

St. Jean du Gard というのは名前にあるようにガール県にあります。モンペリエのあるエロー県のお隣。県庁所在地のニームはモンペリエから東側にありますが、St. Jean du Gard となると北側に位置し、モンペリエからは車で一時間半のところです。

コンサートは10月10日土曜日。モンペリエからの移動は天気に恵まれて、青い空ときれいな自然の景色のなか気持のよいドライブとなりました。

コンサート会場は村の中のプロテスタント教会。





今回のコンサートはオラトリオバージョンということで、オペラとしての演出はなしのバージョンでした。が、単に歌手が並んでつったって歌うだけというのではあまりにも味気ないので、オペラバージョンで使われた映像と照明はそのまま使うことになりました。

そのため14人の歌手と指揮のエレーヌと私だけでなく、演出家のベラと映像担当者、さらに舞台設置のスタッフも参加。モンペリエ在住のものセート在住のもの、またそのほかのところからメンバーがこの教会で現地集合となりました。

かつて紡績業が重要な産業だったこの村にとって、今回の「Bistanclac」は村の歴史を語るオペラでもあります。市内のあちこちでコンサートの予告ポスターが見られました。


St. Jean du Gard の村はかなりの山間にあって、周辺はのどかな自然の景色です。



一世紀前もこのままの風景だったんじゃないかと思われる景色。



さて、教会の中に入ると、、、




舞台が設置され、正面には映像を映し出すためのスクリーン。



映像と照明がはえるように周囲には暗幕がはりめぐされていました。


このオペラの内容自体は過酷な労働条件を扱っているので暗く厳しく重いものです。そして演出はないとはいえ、映像と照明の効果によってもたらされる舞台効果は大きくて重要。このコンサートでの歌手たちは全員華やかなステージ衣装ではなくて、グレー色の作業着っぽい私服で統一するようにとの指示が演出家ベラから出ていました。



私たちは12時現地集合で昼食と夕食の間の5時間、練習を行いました。
20時に開場され、20時半に本番スタート。一時間半ほどのノンストップオペラ。

内容も重いし、観客はもちこたえるのかとちょっと気にかかっていましたが、結果は「感動」に包まれた聴衆の盛んな拍手喝さい。

この村で実際にあった物語が題材ということでしたが、聴衆の中には当時紡績工場で働いていた女性の娘や孫たちもいて、皆それぞれに思いをはせ、感無量になったとの感想をたくさんいただきました。

前にも言いましたが、interesting な音楽で、映像や照明を効果的に使った素敵な演出もそろい、とてもオリジナルでユニークな素敵な作品だと思うのですが、何よりも重要なのは紡績工場の規則をオペラのテーマに選んだブデ氏の発想でしょう。聴衆からの反応の声の中でも、そのアイディア、発想、そしてなによりもそれを実現、実行したブデ氏の取り組みをほめたたえる声がとても多く聞かれました。

ピアニストとして参加した私にもたくさんの方が「Bravo 」と声をかけてくれましたが、「Merci !」という声がたくさんかかったのが印象的でした。この村の住民にとったら特別な思いで受け止めてくれたんでしょうね。

そんなこんなで結果的には感動的な夜となったコンサート。


しかし関係者、出演者にとってはかなり厳しい現実状況の中のコンサートでした。そしてそれは今回限りのピンチヒッターで参加した私にとっては、人生の記録に残るであろう厳しいものだったのです。

その舞台裏の話をまた今度詳しくお伝えします。

2009年10月25日日曜日

Orage : 嵐 : 大雨、洪水、カミナリ、落雷 そして、、、

ずいぶんとブログが途絶えてしまっていました。

今日の話は10月8日の木曜日のこと。
とんだ災難がおきました。

この日、モンペリエ一帯をすさまじい大雨が襲いました。まずは午後にすごい勢いの土砂降り。夕方いったんは青空も顔を見せたのに、19時を過ぎるとまた突然の土砂降り。

この地方では秋ごろによく集中豪雨があるのですが、今年も例にもれずにそれが来た感じ。

普段はめったに雨が降らないのに、降り出すと半端じゃない降り方をし、「あ、これはくるな、、、。」と感じさせる雨。
そしてこの雨が降ると必ずといっていいほど起きるのが洪水。

川が氾濫して土砂が崩れて洪水、という本当の(?)洪水ではないけれど、モンペリエの洪水というのは、水はけがうまくできないがために町中が水たまりになる現象のこと。


私に言わせれば、「ここには十分な水はけシステムがなくて、路肩のドブなんかあってないようなもの。そのせいで毎年、毎回、大雨のたびに洪水をおこしてバカバカしい!」なんですけど、フランス人に言わせると、「水はけシステムはあるけれど、昔の沼地、湿地帯の上にできた街だから、地面の下にはもともと水がたくさん含まれていて、集中豪雨が起きると水の行き場がなくなるんだ。」らしい。

「どうだかねえ、」と正直思うけど、いずれにせよ、いとも簡単に水びたし、膝まで水につかってしまうくらいの洪水になるのが事実なんです。そしてトラムはストップし、道路も通行禁止になり、街がマヒするというパターン。


今回の大雨のとき、運悪く私は車で家に向かうところでした。

モンペリエ西の郊外から中心地に向かっていてちょうど21時半ごろでしたが、ヒヤヒヤドキドキしてしまうほどの集中豪雨。街に近付くにつれて嫌な予感がしてきたのですが、予感も的中。あっちもこっちもすごい水だまりができて、車のタイヤがすっかり使ってしまう深さまでに。道路の交差などで地下に下がっていく場所なんかは極力避けるとしても、普通の土地にある交差点なんかで深さ50センチを超える洪水状態を見ると、「も=!ドブ設備くらいしっかり作ろうよフランス人!」と叫びたくなる。

洪水状態のためか、いつも通る道が閉鎖されてしまっていたために、急きょ道順も変え、無事に自分の家まで辿りつけそうな道を選びながら走っていました。


すると歴史的地区間近にさしかかったところで前方の車が皆次々とUターンし始めました。「なんだなんだ?」と思って進んでみると、あらまあすごい光景。

上り坂がまるで川になったかのように水がどんぶらこと流れていて、こちら側に向かってざっぱ~んと押し寄せてきているのです。しかもゴミ収集箱やらゴミが一緒にこっちに向かって流れてきている。

さすがにこれは避けて方向転換をするのが賢明。


それぞれのドライバーがそれぞれの判断でう回路を探す感じ。

私も早く家に帰りたいけど残念ながら私が住む地区は地面の高さが低く、大雨のたびに洪水発生。ドキドキヒヤヒヤしながら時おり水の中を運転して帰りました。

私が家についたのは22時ごろ。雨はやや勢いを落としたのですが、20時からなりだしていた雷が激しくなってきました。連発する雷にかなり驚きながら、それなりにくつろぎの時間へ入ろうとしていました。パソコンがダメージを受けてはやはり困るので、コンセントを抜いて電源も切りました。

さて、大雨とはいってもせっかくの夜のくつろぎの時間。数日前から見れるようになった大量のチャンネルを利用しないこともないと思ってテレビをつけていました。雷が電化製品に危険なことは重々に承知していたけれど、テレビ周辺の機器は全部アンチカミナリのコンセントにつないでいるんです。テレビを買い替えた時に念のためと思って買ったアンチカミナリコンセント。わざわざ買ったのだから信用するのは当然のことです。

しかし、、、。

世間はそう甘くはないということらしい。

立て続けに私が住むマンションに雷が落ちたようなショックがあり、ライブボックス(フランステレコムの商品で、インターネットと電話とテレビのコントロールタワーとなるボックス)あたりで「バチっ!」といやな音がしました。

そうしたらテレビの画像がとまり、あらららら。問題発生。

落ち着いてライブボックスを見ると、電話回線とのシンクロができていないとのシグナル。雷がおそまってからパソコンをつけてみたけど、インターネット回線が切れてしまっている。う~ん。

一時的な問題か、地域的な問題か、私の家個人の問題かわかりませんが、まあこの日は疲れていたし、過密スケジュールの真っ只中だったので、この日はおとなしく寝ることにしました。

そしてここから腹立たしい戦いが始まったのでした。。。

2009年10月3日土曜日

二人はライバル イタリアのマエストロとフランスのマエストロ

久しぶりに7月のラジオフランスのフェスティバルのネタです。今日は「C'était Marie-Antoinette」の音楽面での裏話をちょっと。

このスペクタクルで指揮を務めたのは、イタリアバロック音楽の第一人者 ファビオ・ビオンディ氏。彼は1961年シチリア島のパレルモ生まれ。幼いころからヴァイオリニストとして才能を発揮し、1990年には古楽器のアンサンブル集団 Europagalante ユーロパギャラウントを立ち上げました。


サイトはこちら http://www.europagalante.com/

彼らはイタリアバロック音楽のレパートリーの新しい解釈などを取り入れた演奏で、いろいろな賞をもらっています。

一方、このスペクタクルのためにオーディションをして結成されたコーラスをまとめるChef de choeur (合唱指揮)を務めたのが、フランスバロック音楽の第一人者 エルヴェ・ニケ氏。前にこのブログでも日本では「鬼才」として紹介されているエピソードをお伝えした人。

1957年生まれのフランス人。ピアノ、チェンバロ、オルガンというあらゆる鍵盤楽器をマスターし、声楽もマスターし、作曲もし、パリ・オペラ座のコレペティとしてキャリアをスタートさせた方です。実際に歌手としてWilliam Christie ウィリアム・クリスティが率いる有名なバロック音楽集団 Les Arts Florissantsに参加していたこともあります。

ニケ氏はフランスバロック音楽の研究と復興のためにバロック楽器のアンサンブルとコーラスを立ち上げました。1987年に結成された彼のグループを Concert spirituel コンセール・スピリチュエルといいます。

サイトはこちら  http://concertspirituel.com/

このグループもいろいろな賞をもらっていて、ニケ氏の活動は音楽学観点からも様々な賞を受けています。2年前にグループ総動員で日本公演を果して、かなり話題になったようですね。

さて、この二人は年頃も似ていて、それぞれイタリアバロック音楽に活動を捧げたイタリア人とフランスバロック音楽に捧げたフランス人ということで、音楽界でのポジション取りがどうも似ていますよね。
最初私は、ビオンディ氏の指揮のもとでニケ氏が合唱指揮を務めると聞いた時、正直驚きました。で、二人は同じ分野で活躍する友人同士なのだと私は勝手に解釈をしておりました。

そしたらそんな話ではなくって、誰かがニケ氏にかなり無理やり頼み込んだということらしいのです。その誰かというのはきっと王様K氏のことでしょう。

で、普通に私たちが想像できるように、この二人は友人同士ではなくってライバルということになりますよね。
そんな二人が公演の総指揮と合唱指揮というポジションでともに働くというのは、どうもデリケートな話です。
二人とも超多忙な人たちだし、練習のスケジュールの面でも嘘か本当かは知りませんが二、三、あまり穏やかでない発言を裏で聞いたりもしました。

そんななかで私はというと、まず、コレペティさんの代わりにダンサーたちの練習ピアニストを担当することになり、照明さんのセッティングの練習も担当することになったことは以前のブログでお伝えしました。
しかし練習が進んでいくと、合唱の練習ピアニストも必要だということでそれも頼まれました。
つまりニケ氏のもとでのお仕事です。彼とは5月に一緒に仕事をした時に好感触だったので、厳しくて有名なニケ氏ですが、あまりドキドキすることなく練習の日を迎えました。逆に私がドキドキしていたのはニケ氏とビオンディ氏の関係だったりしました。

多忙なニケ氏は本番3日前の日曜と月曜の二日のみだけの参加。
日曜日が一日中、合唱のみの初めてであり一回きりの練習。月曜日がオーケストラ、合唱、歌手、俳優、ダンサーすべてが初めてそろっての通しリハーサル。この二日間だけでニケ氏は合唱をまとめあげました。

日曜日に私が練習会場にいくと、ニケ氏は「あれ、僕達を監視しにきたの?」と冗談をいいましたが、私が伴奏ピアニストとして雇われていたことは知らなかった様子。
「最初は僕がピアノ弾くから」と言って練習が始まり、初顔合わせで初練習でこれっきりという練習が行われました。

途中、舞台の方でオーケストラとの練習を終えたビオンディ氏が顔を出しに登場。
私が勝手に心配してた二人のマエストロの関係ですが、やっぱりここは大人でプロ。こんなところでライバル光線なんてとばさないし、二人とも相手の仕事を尊重してのやりとりでした。
月曜日にはニケ氏が「合唱はいい出来にまとめておいたから。ちょっとフランス流の香りをつけておいたけど、後は君が変えていいよ。」と言って別れを告げ、ビオンディ氏は「サポートと協力ありがとう。」とお礼をいう。

ニケ氏がたったの二日で合唱にテキパキと的確な指示を与えてまとめあげたところはさすが。実は私、彼の指揮のもとでピアノを弾くために雇われたんですけど、ピアノの腕も一流なニケ氏は、日曜日の練習の間、ずっとピアノに座ったままで作業を進めました。
メンバーで私一人がこれまでの舞台稽古に参加してきていたので、音楽のカットやそれぞれのテンポについて知っているのは私だけ。で、私はニケ氏の横に座ってえらそうにテンポなどの指示を与えておりました。私たちの練習の様子を、オペラ座のプロダクション・ディレクターであるKが見に来たんですが、私が全くピアノを弾いていないのを見た彼女には、あとで「leonardo 、テクニカル失業してたわね。。。」と一言突っつかれてしまいました。
ピアニストとして契約を交わしてお給料も頂いておきながら、まったくピアノに触らなかったことで、私はちょっと気がひけていましたがそれ以外は全く問題なくって、むしろ楽ちんでラッキ~ってなもの。ところがニケ氏はたいそう気にして、「自分がピアノに座りっぱなしでごめんね~。欲求不満になったでしょう。でも時間があまりなかったから、こうした方が効果的にできるもんだから。。。」と謝られてしまいました。「いえいえ全然気にしないでください。おかげで楽にさせてもらいましたから。」

実際、ニケ氏のような人の仕事ぶりをすぐ横で見ているだけでもとても勉強になるものです。それを私はお給料をいただきながらしてたなんてなんてラッキーな話。

さて、ニケ氏は本番を待たずして立ち去り、ゲネプロと2回の公演が残されました。で、ニケ氏は去り際に「三日とも、公演開始の一時間前に合唱のraccord (最終調整チェック)をleonardo やっといてくれる?」と言ってきて、事務の上の方とも話をつけて確定。
なんちゃってピアノ弾きの私ですが、ここはそれこそなんちゃってで合唱指揮という名目でraccord を任されることになっちゃいまして、契約もとりかわしました。
そうなると正直、「どうしたらいいかな?何を言ったら効果的かな?」と考えてしまいます。そこで私が考えたのはビオンディ氏の意見、意向を確認するということ。
ゲネプロが終わった後、彼の楽屋にのこのこっと出向いて、「ニケ氏はもういないので、私が後の調整をまかされました。何か気になったところや手直ししたいところはありますか?」と質問しました。すると彼は「すごくよかったよ。全体的にはもうほぼこのままでいい。2、3だけちょっと確認しておきたいことがあるけど、ほんの小さなことだよ。」と言うので、「明日、私たちは本番前にraccordをするんですけど、よかったら、、、。」と私が促すと、「パーフェクト!じゃあ僕も顔を出すよ。」と言ってくれました。

というわけで、公演初日はビオンディ氏の指示を直接あおぐことができました。
二日目は私が私なりに思ったことをいい、何箇所かちょっと確認して、任務終了!
って、本当に私みたいなんがこうして仕事させてもらって恐縮です。。。勉強しないといけないことが次から次へとくる。。。

でも合唱の出来はかなりよく、ニケ氏がオーディションをしてこの公演のためだけに集められたメンバーでしたが、彼もご満悦。よかったよかった。

こんな感じで、私にとっての「c'était Marie-Antoinette」は終わりました。

舞台セットや照明、衣裳に演出のスカルピタ氏独特の世界があふれていて、「美しい」舞台でした。
でもこの「C'était Marie-Antoinette」の舞台にかかわって印象に残ったことの一つが指揮者ビオンディ氏の人柄。

彼はシチリア人だからなのか、若くして世界を見てきた人だからなのか、とてもおおらかなんです。正直言って、音楽の世界で一流で活躍するミュージシャンでこういった感じの穏やかさをもった人にはあまり出あったことがありませんでした。すっかりファンになってしまったチッコリーニ氏のような人ともなると、やっぱり年齢と経験がありますから、穏やか人も多いですが、働き盛り、活動しまくりの年齢の人で、このビオンディ氏のようなおおらかさはめずらしいと言っていいでしょう。
的確で鋭くありながらも、彼は常に共演者、相手の立場を尊重し、話しあいももつことができる人でした。指揮者だけでなく、皆をまとめる立場となると、どうしても自分の考えを主張する面ばかりが目立つ人が多いものです。それはなにも批判的なことではなくって、皆を統率しないといけないのだから必要なことなのです。
でもビオンディ氏のスタンスからはもっと「分かち合う」というメッセージがあふれていたように思います。

彼の人柄からインパクトを受けたのは私だけではなくて、歌手や合唱のメンバー、照明や舞台マネージャーたちスタッフからも「彼のあの人柄といったら!」という称賛の声がたくさん聞かれました。

本番終了後、舞台裏ですれ違ったので「ブラボ~!」と私が声をかけると、「協力ありがとう。ほんとに。メルシー!」といってビズされました。いやー、私なんかにも感謝してくれて、私の方は「あなたのもとで仕事ができて光栄でした。」という気持ちでいっぱい。
私には貴重な出会い、貴重な経験となったのです。

この公演についてのメディアの反応がテレビや新聞で出ていましたが、つい最近になってFrance3のビデオを見つけました。もともとはFrance2 で番組をもうけるという話でしたが、私の知るところ、まだ放映はされていないようです。
次のビデオを見ていただくと、ゲネプロのときの舞台の様子が見れますし、スカルピタ氏やビオンディ氏のインタビューも入ってます。ビオンディ氏はイタリア人ですがフランス語を流暢に話します。彼の顔つき、話し方から彼の人柄が感じ取れるのではないかと思いますので、どうぞのぞいてみてください。

http://culturebox.france3.fr/all/13441/Natacha_R%E9gnier_est_Marie_Antoinette_pour_Jean-Paul_Scarpitta/?utm_source=player_embed&utm_medium=player_embed&utm_content=player_embed_legende&utm_campaign=player_exportable#/all/13441/Natacha_Régnier_est_Marie_Antoinette_pour_Jean-Paul_Scarpitta/


その他、写真や記事を見つけたのでここに貼っておきます。

フィガロ紙

http://www.lefigaro.fr/theatre/2009/07/31/03003-20090731ARTFIG00279-natacha-regnier-le-grand-theatre-de-marie-antoinette-.php

クラシック音楽のサイト

http://www.classiquenews.com/ecouter/lire_article.aspx?article=3111&identifiant=2009827NH7V66KTIYAN94MDZI4AE6LM8

2009年10月1日木曜日

シャトレ劇場の舞台に立つ

さて、モンペリエ・オペラ座の今シーズンのオープニングを飾るのが「魔笛」なわけですが、10月半ばのモンペリエ公演の前に、パリのシャトレ劇場での公演が最初に行われます。

今夜がその初日だったので、ちょっとまた「魔笛」ネタを。といっても私はモンペリエで留守番。。。

普通、オペラの舞台準備というのは3週間から4週間かけてみっちり練習を重ねた後に、ジェネラル(日本ではゲネプロと呼ぶ本番さながらの通しリハーサル)を行ない、本公演を迎えるスケジュールが組まれます。しかし今回の「魔笛」では、いろいろな理由も重なって、8月半ばから9月半ばに練習を行い、9月12日にモンペリエでジェネラルをしてから二週間なんにもなしで、次はパリ公演の直前にシャトレ劇場で二日間の練習とジェネラルを行うという奇妙なスケジュールとなりました。

しかも驚いたのは、舞台上での演出がかなり大がかりなのにもかかわらず、モンペリエのオペラ座のスタッフでパリに行くのはレジッサー・ジェネラル(舞台マネージャー)のTさんだけで、他のメンバー、大道具、小道具、舞台レジッサーたちは誰一人としてパリ公演に参加しないというのです。

つまり、パリに行くのは指揮者、ソリストはもちろん、モンペリエ・オーケストラ、モンペリエ・オペラ座の合唱団、実際に舞台にでる出演者だけということなのです。舞台裏に関わるすべてのスタッフは、シャトレ劇場のスタッフというわけです。そして演出と一体となった舞台進行をまとめるために、モンペリエからただ一人Tさんが行って現地のスタッフをまとめるのです。


出演者というと、もちろんクナーベン役のオペラjrのソリストたちもパリに行きます。というか、この前の土曜日にパリに向けて旅立ちました。

3人ずつのグループを2つ作ってありますから、6人が合唱指導のヴァレリーと世話係スタッフ二名とともに一週間のパリ生活。
見てておもしろいのは、フランスにおいて彼らは完全に地方の出身者であって、パリに行くというのは超お上りなことだということ。みんなはりきっちゃってはしゃいじゃってしょうがないという感じでした。

でもそれも当然ですね。

6人のうち4人は14歳、15歳で、まだ中学生。そんな子たちがパリのシャトレ劇場の舞台で歌うんですから。将来、「私はパリのシャトレ劇場でソロで歌ったことがある。」と言えてしまうんですよ。

オペラjrというのはコンセルヴァトワールのように学校教育とタイアップできる特別制度を認められた組織ではないので、普段からオペラjrのメンバーは、本番や本番前の練習のために学校を休んだり早退する必要がけっこうちょくちょくあります。で、オペラjrの成果と評判を認めて応援してくれる先生や学校長がいる一方で、不満をあらわにして何かとちくちく言ってくる学校もあります。

今回パリにいくために丸々一週間学校を休むメンバーの周辺には、心よく応援してくれる人が多かったようです。でもそれもそのはず。「シャトレ劇場」というのは、フランスで有数の伝統あるトップ劇場の一つなのです。

実は私、シャトレ劇場に行ったことがあって、しかも劇場の2階ロビーの大広間でピアノを弾いたことがあります!

なんて得意げに言えることでもなんでもなくって、2003年の冬、当時体の故障やいろんなことでピンチを迎えていた私がひょうんなことから某財団がシャトレ劇場で特別に設けている給費研修生というのに応募してみたのでした。事務のスタッフのお兄さんが劇場の裏出口まで荷物もって見送りに出てくれたりして、パリジャンはジェントルマンだわね~と感心したりしたものです。って、単に日本人好きだったのかもしれんけど。いや~、懐かしい話です。

話は「魔笛」に戻りまして、クナーベンの学校関係者が好意的なら、6人のメンバーの親にはもう一大事でしょう。6人にはシャトレ劇場でのゲネプロの招待券が2枚与えられるとのことで、ゲネプロも本公演も含め、親や家族たちもモンペリエからパリへ上る計画をたてていたようでした。

今回、選ばれた6人の中に一人だけ男の子Gがいました。彼は15歳。とてもきれいなのびのある声で、しかも演技力もピカ一。モンペリエでの練習中には演出のスカルピタ氏にもたいそう気に入られ、彼の大舞台を私たちも楽しみにしていたんですが、実はモンペリエでの舞台稽古の後半あたりから「おや?」と思うところがでてきました。それはモンペリエでのゲネプロの日にはもっとめだっていき、その「おや?」はパリに向かう数日前の練習の時にはさらに明らかなものとなってしまっていたのです。

それは声変わり。

15歳の男の子といえば、声変わりがきて当り前の時期。

クナーベン役の選抜を検討しているときからそのことは私たちもわかっていました。でも彼の歌声の調子がとてもいいことと、彼にこの大きなチャンスをつかんで欲しかったこともあって、リスクを承知で選んだのでした。リスクは承知だけど、もちろんこの「魔笛」が終わるまで持ちこたえてほしい!という強い願望つきで。

しかし現実は厳しい。半年前でも2週間後でもなく、ドンピシャでシャトレ劇場での公演の時期に声変わりが来てしまいました。。。まだ完全に声が変わってきたという段階ではないのですが、明らかに声が通らない音域ができてきてしまったのです。

指導者ヴァレリーもこのデリケートで大事な問題については本人にだいぶ前から話していたし、その場合には本番では歌えないことになるということも十分に説明してありました。
パリにいく直前の練習の日には5回に3回は声が飛んでしまう感じで、でも5回のうち2回は今まで通りの声が出たりしたので、まだもち直したりするのかという期待もあり、また、そんな直前にモンペリエ居残り命令を下すわけにもいかず、彼もみんなと予定どおりにパリに向かいました。

しかしパリに行って5日目の昨日、私が受けた知らせでは「彼は本当に声変わりに入ってしまった。」ということでした。だから残念だけど、彼はシャトレ劇場でもモンペリエでも、もう本番では歌えなくなってしまったということだと思います。2つのクナーベングループを作っておいたことが唯一の救い。こうなってはもう一つのグループで同じパートを歌う14歳のLがすべての公演で歌うことになります。それはそれで大丈夫かしら、、、。

G本人がどういうふうに受け止めているのかはわかりませんが、楽譜も読めない彼が真剣に取り組んで選ばれて、一流のプロたちに囲まれて練習したことは、誰もが経験できることではない貴重な財産だとはっきりとわかってくれているといいなと思った私です。

シャトレ劇場では今夜から日曜日の午後までで3公演が行われます。

フランスの一地方都市にすぎないモンペリエからの出張公演。パリの観衆、パリの音楽界、評論家、マスコミはどんな反応をするのでしょうか。土産話をきくのが楽しみです。