2009年11月29日日曜日

Concert Gabriel Fauré

11月24日火曜日と25日水曜日にオペラjrのGroupe Vocal がプログラムALLフォーレのコンサートを行いました。


先日の記事にもしたように、ガブリエル・フォーレGabriel Fauré は私にとって特別な思い入れのある好きな作曲家。その彼の音楽だけでのコンサートに参加するなんて、私にとってはうれしいことでした。必要な集中力やエネルギーの面ではそれなりの消耗があるものの、練習中も本番中も「やっぱり彼の音楽が一番や。」と思えてしまうのだから幸せな仕事ですね。

プログラムはこちら :

混声合唱
La Pavane 有名なパヴァーヌの合唱付き
Cantique de Jean Racine ラシーヌ雅歌
Madrigal マドリガル
Les Djinns ジン

女声合唱
La Messe des pêcheurs de Villerville からの抜粋で Gloria, Sanctus, O Salutaris
Le ruisseau 小川

そしてソリストがフォーレの歌曲を歌いました。
Le secret 秘密
Le papillon et la fleur 蝶と花
Les rose d'Ispahan イスファーンのバラ
Au bord de l'eau 水のほとりで
Après un rêve 夢のあとで

そしてソプラノとメゾのドゥオでPuisqu'ici-bas toute âme この地上ではどんな魂も

火曜日は中学校などのクラス向けのコンサートで、水曜日の夜が一般向けのコンサートでした。水曜日はおかげさまで完売満席御礼。この日はワイン製造農家のストライキが派手におこなわれていて、コメディ広場では大砲のような号砲の音が連発して穏やかでない空気だったんですが、私たちはフォーレの音楽一色。
お客さんの到着入場が遅かったせいか、コンサート開始は予定時刻を大幅に過ぎて19時20分ごろとなりました。

Gropue Vocal のメンバーは15歳から24歳。男の子9人と女の子15人。去年「ディドンとエネ」をやった世代です。メンバーに加わってまだ3カ月の子も2人いましたが、他のメンバーはもう数年前からオペラjrにいる子たち。そのかいもあって、Groupe Vocal はここ2,3年で質がぐっと向上しました。
音楽的に難しいフォーレの音楽というのは若者にとってとても難しい曲目です。でもメンバーみんなも「c'est beau.....」(美しい、、、、)と心底感じる音楽でのコンサートは気持ちがよく幸せなこと。

フランス語のbeauとかbelleって言葉は訳せば美しいとかきれいなとかって言葉になりますが、音楽に対して使う場合、うまい日本語訳があまり見つかりませんね。。。

今回、何がよかったかというと、一曲一曲が終わるたびに、会場のお客さんが「c'est beau....」と思って熱心に拍手してくれているのが感じられたこと。音楽自体の質とメンバーの歌の内容でみんながうっとり別の世界に入っているのが感じられました。フォーレファンの私としては大満足。

「軽くてきれいな音楽」と片付けられがちなフォーレの音楽ですが、今回のコンサートのおかげで、若者も大人も、アマチュアの音楽ファンもプロの音楽関係者も、みんながフォーレの音楽の上質さに改めて気がついたんじゃないでしょうか。

私がなんでそんなにフォーレが好きかというと、彼はわざとらしく効果を狙った派手なものを好まなかったのですが、そこがしっくりくるんです。音楽の世界にはテクニックの超絶技巧をひけらかすための曲とか、ドラマチックな効果をこれでもか~と狙った派手な曲とかたくさんありますけど、そういうのが好きな派手好みの人もいれば、地味で控えめだけど中身があるぞってのが好きな人もいるわけです。

コンサート終了後、聞きに来てくれた人達がみんなして「c'était vraiment beau !」と言ってくれました。アマチュアの人だけでなく、プロのミュージシャンや音楽関係者も「c'était vraiment beau」とか「c'était très fin」(上質、洗練されたの意味)と言ってくれて、私は満足感無量。

いつもコンサート後に「よかったよ!」といった言葉はよくもらいますが、こんなにも皆が口をそろえて「Beau」という言葉を使うのは意外とありません。本当に音楽美にあふれていたんでしょうね。
フォーレファン万歳!

2009年11月20日金曜日

え、紙っきれ?

10月6日の火曜日、県庁からの召喚状が来ました。


これが来ると、早朝の列並びはしなくていいけど、月曜日から金曜日の間の13時半から15時半の間が受付時間の「召喚状を持つ外国人」という枠組の中で対応されます。そして当然、これにも人数制限と時間制限があるわけで、私たちは13時半に作動し始める整理番号配布マシーンに向かって12時ごろから列を作るのです。。。


この限られた時間帯。はっきり普通に働いていればいくら滞在許可証が大事だといっても、いつでもかんでも県庁に出向けるわけではありません。
少なくとも私の場合、6日に召喚状を受け取ってから水曜日、木曜日、金曜日と時間の都合がつかずにいけませんでした。なんせあの「ビスタンクラック」のコンサートの時ですからね。


そう、この週は私にとってハードな仕事と落雷のトラブルと滞在許可証の問題のトリプルパンチの週となったのです。


私が県庁に行けたのは週が明けてからの月曜日。余裕に余裕をもって家を出て、12時前に県庁ロビーに入ると整理番号の機械の前には北アフリカ系の男性2人がすでに立っていました。
長いこと立っていることが苦手な私は人目をはばかることなく床に紙をしいて座りこみ、「ドイツレクイエム」のピアノスコア持参で頭の中で音を鳴らしてトレーニング。

担当窓口が13時半にあくとのことだけど、整理番号配布の機械は非情にも13時半まで動かない。その間、私たち「外国人」はひたすらつったって我慢。赤ちゃん連れの人、妊婦さん、病気っぽい人は列を離れて椅子に座ったりします。私たち外国人の間では一種の連帯感があって、お互いに励ましあう空気があります。
でもとにかく忍耐。いずれにせよ、待つしかないのですから。

13時半ちょうどに機械が動き出し、みんなそれぞれ番号札をとったら、今度は外国人窓口の方へ移動。そこにいくと少し長椅子があるので早くから並んでた人は椅子に座れます。ちょっと人間的扱いを受ける感じ。
しかし、そこからがまた長かった。10分たっても15分たっても窓口に担当者が来る気配がないのです。
そうなるとみんなイライラ。「おれたちを馬鹿にしてんのか?」ってなもんです。

13時50分が過ぎてようやく番号札1番の人が対応を受けました。
結構、進みが遅い。
みんながイライラして見ている中、総合受付のおばさんが割り込んできました。91歳のおじいさんが自分の書類のことで問い合わせにきたけれど、そんな高齢の人に「とにかく朝7時に列に並ばないとだめです!」とはとても言えない、と彼女は外国人担当者に訴えるのです。
やさしい行動ですよね。
でも同時に私はこのフランスらしい光景にちょっと笑えました。だって本当に人それぞれが個人の考えで行動するって象徴。私が前回総合受付で質問したときは、「とにかく朝7時に列に並びなさい。」だったわけで、数日後に別の人に質問したらちゃんとその場で情報をくれて、、、。おじいさんだってこのおばさんに当たってなかったら「とにかく朝並べ。」と言われていたはず。
私たち外国人の側も、この高齢のおじいさんを見て、「そりゃおじいさんを朝から外で並ばせるなんて非人間的だよね。」と思った人もいるだろうし、「その人だけ特別扱いするなんてずるい。私だって赤ちゃんがいて大変なんだから。」と思った人もいることでしょう。

このおじいさんは受付のおばさんの気遣いを受けたのいいものの、そのあと対応してもらえるまでかなりの時間たちっぱなしで待たされていました。それはそれで気の毒な。。。


さて、私の番になり、いざ窓口へ。

すると渡されたのはレセピセと呼ばれる3ヶ月間有効の仮滞在許可証。
15センチ四方くらいで公式のきれいな紙。でも私の証明写真がホッチキスで貼られているだけで、所詮は紙っきれ。

が~ん。。。

この日、10月12日でしたが、3ケ月有効というのは私の滞在許可証の期限に準じているので、1月12日までというわけではなく、しっかり12月22日までという。

。。。。。

はあ。
私、実は、この冬に日本に帰ろうと計画していたんです。
バカンス大国のフランスにあっても、私は仕事のスケジュール上、バカンスが自由にはとれなくって、8月の2週間か年末年始の数日間くらいのもの。でも今年の冬は私が変に臨時の単発仕事を引き受けなければ2週間弱の休みがとれそうだったのです。
しかも飛行機のチケットを調べていたら、めずらしいことにエアーフランスが一番安いのを出していて、モンペリエからパリ経由大阪の往復で960ユーロというのを見つけました。年末年始は夏と並んでトップシーズンですから、この時期にこの値段なら文句はありません。もうこのチケットに決めて支払いを確定しようかという寸前のところまで来ていたんです。

滞在許可証に関しては、たとえ10年カードをくれなくても1年カードをくれると思ってましたから。

ところがところが現実は厳しい。
もらったのはたった3ヶ月の紙っきれ。

このレセピセが12月22日までしか有効じゃないということですから、本物の滞在許可を貰えないと、12月22日以降外国からフランスにもどるときには単なるツーリストとしてしか入国できなくなります。私にとっては大事な問題。
だから窓口で質問しました。
「あの~、今日のところはこの紙切れですけど、後で結構さっさと本物のカードくれるってことですか?私、ちゃんと7月に書類を出してるわけだし。。。」と。
そしたらマダムは「いえ。書類の進行が遅れているから、おそらく12月22日ごろに次の知らせがいくと思います。」というではないですか。
「え~。私久しぶりにこの時期に日本に帰ろうと思ってたのに!」とごねると、「その日にちまでに帰ってくれば問題ないですよ。」とすました顔で言うから、「私の予定は年末を過ごすってことなんです。12月22日までに必ず次のカードをくれるっていうなら飛行機のチケットとれるけど。」とまたごねると、向こうはすました顔で「私には何も言えないわ。12月22日あたりとしか。あとはあなたが決めることよ。」とおっしゃる。

はあ。。。

毎年、滞在許可証の期限は9月24日とわかっていながら、それまでに更新が完了したことなんて7回のうち1回しかない。だから今回も12月22日までにもらえる確信なんてもてるわけがない。飛行機のチケットキャンセルとかは結局お金がかかってくるし、私の日本里帰り計画はいったんお流れとなったのです。

すでに疲れきった顔をしていた私。この日から会う人みんなに「聞いてよ~!!」とショックを爆発させたのは言うまでもありません。
「ドイツレクイエム」の練習で指揮者のエルヴェ・ニケ氏が「日本にはちょくちょく帰ってるの?」と聞いてきたときに、ついつい「ちょくちょくどころか、もう2年半帰ってないけど、それどころかひどいの!」とまくしたててしゃべっちゃいましたよ。

以来、会う人会う人はみんなが「で、県庁からなんか言ってきた?」と尋ねてくれるのですが、答えはもちろん「Non.」 
この国では期待して待っていても疲れるだけですから、私ももう日本行きは保留と言うよりはいったんお流れということにしました。だって、こうしてるうちに飛行機のチケット料金はどんどん変わっていく。。。例のエアフランスのチケットは300ユーロ上がって1240ユーロとなってしまいました。ああ。。。

音楽学校とオペラjrに加えて、この落雷、ビスタンクラック、県庁並び、そして超密度の濃い「ドイツレクイエム」の練習が連日続いて、ほんとに超超ハードでした、2009年10月。

2009年11月15日日曜日

私をフランスに向かわせた人

よく人に聞かれる質問に、「どうしてモンペリエに来たの?」というのがあります。

どうして私がモンペリエに来たのか、どうしてフランスに来たのかというのには、それなりに理由やきっかけがあって、現実的な面を考慮してとった判断やリサーチの結果など、いろんなことが関係しています。
かなり若いころから(小さいころから)「いつか海外で暮らす」とか「旅行ではなくて、たとえ短期間でも海外で生活する」ということを漠然と人生の計画に入れていた私ですが、考えや候補となった計画はいろいろあったうえで、私が決断したのは「2002年フランス留学」という計画。

語学留学という手段をとらず、ワーキングホリーデーの道も選ばず、さまざまなボランティア活動でもなく、音楽学の研究で大学院留学という選択をし、しかもアメリカでもイギリスでもイタリアでもなくてフランスを選んだわけですが、その進路選択にはある人物が大きく影響しています。

それは友人でも家族でも恩師でもなく、私の目をフランスに向かわせた人というのはガブリエル・フォーレ(1845-1924)。フランスの作曲家です。
私が日本のとある大学音楽学部をピアノ科で卒業してから、大学院で音楽学の勉強をしたいと思ったときに私が研究テーマに選んだのがこのフォーレ。理由はとても単純明快。「フォーレの音楽が好きだから。」
音楽を専門に勉強しておいて「好きだから。」という発言はとっても素人染みてるかもしれませんが、フォーレの音楽が一番心にしっくりきたんです。一般的にフォーレの音楽はフランスのサロン音楽とか、甘い音楽とかやさしいとか、とにかくソフトでエレガントなイメージをもたれていますが、彼だってシリアスで堅い音楽もたくさん作曲しています。しかし、やっぱりどれをとってもファーレならではの何かがあるんですね。で、私個人的に言うと、それは「区切りのない流れ。」でした。こんな漠然としたフィーリングをそのまま研究テーマにした私は、彼の室内楽作品を通して作曲技法の分析研究のようなものをして修士論文を提出しました。
音楽学の分野で、研究を一度するとその作品や作曲家から離れてしまう人が結構いる中で、私はそれからずっとフォーレの音楽が大好きです。

大学院を修了後、就職を含めて次の進路を考えた私。
そこで結局選んだのが「フランス6人組と映画音楽」という研究テーマでフランス大学院留学だったのです。
このテーマの発端はというと、もともと映画が好きで映画音楽がとても好きな私がある日、フォーレが生きていた時代に、映画のために作曲したクラシック作曲家がいたということに目を向けたことに始まります。もちろんフォーレ自身が作曲していてくれたらよかったんですが、残念ながらその記録はありません。でも、フォーレの弟子のラヴェルは映画のために作曲しています。
そもそも、私たちが「映画」と呼ぶものが誕生したのはフランス。
そんなあたりをいろいろほじっていたら、「フランス6人組と映画音楽」というテーマでフランスで研究するというプランが現実的に形をなしていったのでした。

そんなわけで、私がフランスに目を向けたのはフォーレのおかげ。

だって、もともとフランスという国には特別に興味もなかったし、多くの日本人が抱くようにフランスに「おしゃれな国」という憧れももっていなかった。国としてはイタリアに惹かれていました。

でも音楽学という研究分野のことや、大学研究機関のことや、都市の大きさとか物価のこと治安のこととか、いろいろ真面目に考えたうえで、「映画が誕生したフランスで映画のために作曲をしたフランス人作曲家について研究する」ことに決定したのでした。

なんでモンペリエかという話はまたの機会においておくとして、とにかく、私がフォーレの音楽を初めて知ったのが高校生のときで、かれこれ15年以上、ずっと好きだということになります。フランスに来てから日本にいた時はあまり知らなかった作曲家の作品にも触れる機会が増えて、私の知識レパートリーは増えましたが、それでもいまだに一番好きな作曲家はフォーレなんです。interestingな作品やiterestingな作曲家はいるとしても、その全作品を通して好きな作曲家はフォーレです。

フランスに来てからフランス人が歌うフォーレの歌曲やフランス人が演奏するフォーレのチェロの曲とかを聞くとなんだかうれしくなってしまう私でしたが、なんと今、オペラjrの若者グループ「Groupe Vocal」は11月末のコンサートのためにオールフォーレのプログラムを準備中なんです。 こんなことめったにないことです。

ことの発端は、バカンス前に合唱指導・指揮のヴァレリーと新年度のプログラムのことを話していたときのこと。彼女が「フォーレの『ジン』がやりたいんだよね。」と言ったんです。そこで「あ、ほんと?!フォーレは私の一番のお気に入りの作曲家なの。やろうやろう!私、日本でフォーレについて修士論文発表したし、彼の作品は全部知ってるよ。」と、とびついた私。すると彼女も「あ、そうなの?私もフォーレの音楽が大好き。」というではないですか。
ヴァレリーというのは、とてもエネルギッシュでカリスマもある華やかな女性なんですが、そんな彼女がフォーレを好きというのには、正直ちょっと驚きました。でもこれはうれしい驚き。

当初は「フォーレの作品をメインにしたプログラム」を考えていたのですが、結局、フォーレだけの音楽になりました。混声合唱の曲、女声合唱の曲、そしていくつか歌曲をいれて一時間弱のプログラムのできあがりです。一人の作曲家の作品のみでプログラムを作るって、ありそうで意外とめったにないんですよ。

この週末も集中練習をしてきましたが、いい音楽ですよ~。

ある日、彼らと練習し終えたとき、私が満面の笑みをうかべて「うれしい。」とつぶやいたから、ヴァレリーも「何々?どうしたの?leonardo なんでそんなにうれしいの?」と尋ねてきたけど、なんのことはない、私はフォーレの音楽ばかりのプログラムができてうれしかったのです。

フランス人フォーレが作曲した曲を歌うフランス人たちをピアノで伴奏するというだけでも、やっぱりうれしいのです。そんなところに私の素人感覚がまだまだ残っていますね。

コンサートまであと10日ほど。「好き」とか「うれしい」という単純な気持ちを大事にしたまま、お仕事としてきちんとよい成果が出るよう、準備をしようと思います。

2009年11月11日水曜日

某指揮者からのお誘い

モンペリエオーケストラのシーズン中のコンサートに、毎年一回か二回、合唱付きのプログラムがあります。歌うのはLe choeur symphonique (交響合唱団とでも訳しましょうか)という名の合唱団。

モンペリエにはオペラ座所属の合唱団は存在しますが、オーケストラとコンサートで歌うような合唱団は存在していませんでした。しかし実際、クラシック音楽のレパートリーにはオペラじゃなくってもたくさんの合唱付き音楽があるわけです。そこで、とあるミュージシャンが「モンペリエのオーケストラと一緒にコンサートができる合唱団を作ろう!」と立ち上がったのです。

しかし厳しい経済状況のなか、しかも単発のプログラムのために新しいプロの合唱団を作るなんてことはできません。そこで彼が考えたのは「既存のアマチュア合唱団を集めてトレーニングをし、レベルアップをはかってプロのオーケストラとコンサートができるように仕上げる。」というアイディア。彼は王様クリング氏の了解も得て、この合唱団が参加するプログラムをモンペリエオーケストラのシーズン内に入れ込むことに成功しました。

これまでにヴェートーベンの合唱付きの作品やマーラーの合唱付き交響曲、ドビュッシーの「サンセバスチャンの殉教」などを演奏し、すでに3年が過ぎました。今年度は彼らにとって4年目のシーズン。そこへ大きな大きな大曲をもってきました。今年の演目はブラームスのドイツ・レクイエム。

新シーズンのプログラムが決定してまもない今年の5月ごろ、私はこの合唱団立ち上げの張本人とお仕事をする機会を得ました。そこでうれしいお誘いを受けたのです。
「ねえ、僕と一緒にドイツ・レクイエムできない?」って。
その時は一応「はい。」とは返事したけど、詳しい話は一切しなかったし本当にそうなるかわからなかったのですが、今年の7月、再度この発起人と一緒に仕事をしました。すると彼はしっかりとこの話を覚えていて、「君に僕らと一緒にドイツ・レクイエムやってほしいんだけど。」と改めて言われました。そして今度はちゃんと事務的代表者の電話番号ももらい、「練習は秋に土日を使って何回か集中的にやる感じ。」との説明も受け、現実的な段取りが進みました。

土日ときくと、私にとっては詳しいスケジュールだけが気がかりだったのですが、事務代表者に電話をいれると「バカンス明けに改めて連絡します。」と言われたまま連絡はなく、9月半ばが過ぎました。

するとある日モンペリエ・オーケストラから電話がありました。

「マダムleonardo ? モンペリエオーケストラの事務ですけど、オペラjrからあなたの電話番号をもらって電話させてもらいました。実はムッシューエルヴェ・ニケが今年度1月にコンサートをするドイツ・レクイエムの伴奏ピアニストをマダムleonardoにやってもらいたいとおっしゃっているのですが、興味はおありですか?」と、なんともご丁寧な口調で言ってきたのです。
「Le choeur symphonique という130人の大合唱団との練習に参加してもらうことになるわけですが、、、。」というので、「はいはい、その話なら彼から話を聞いています。」と答え、「スケジュールが合い次第、参加したいですが、、、」と告げた。

そう、この合唱団を立ち上げた人というのはエルヴェ・ニケ氏。このブログでも何度か名前が出てきたフランスバロック音楽のスペシャリストといわれる指揮者です。彼自身が立ち上げたバロックオーケストラとコーラスとの活動以外に、彼はこうして普通のオーケストラを指揮し、ロマン派なんかの音楽も積極的に演奏しているのです。

今思えば、こんな人からの誘いに対し、「スケジュールが合えば、、、」なんて答え方はえらそうだったなあと思うのですが、私はオペラjrでは常任メンバーでもあるので、そう簡単に欠席したり代理を頼んだりできません。
ところが、事務の人に教えられたスケジュールは、ラッキーなことに私の空いてる時間帯にぴったりあてはまるではないですか。例えば、私が18時まで詰まってる日に対しては20時からとかで、まさにどんぴしゃり。私自身驚きながら、「あ、それなら大丈夫そうです。喜んでさせてもらいます!」と言いました。

私はLe choeur symphonique との契約を交わすと思っていたわけですが、モンペリエオーケストラのコンサートのために働くということで、雇い主はオーケストラということになるわけです。
そういえば、オーケストラと契約を交わすのが今回が初めて。
電話口の事務の人はあいかわらず丁寧に私を扱ってくれて、「CORUMの近くに来られることなんてありますか?もしなければ郵送しますが、、、」と言うので、「CORUMには毎週行きますよ。しかも私近くに住んでますから、よかったら事務所に立ち寄りますよ。」と提案しました。

そして数日が、CORUMの最上階にあるオーケストラの事務所に行きました。
そこで事務スタッフと対面。私の身分上の情報やら契約の確認をし、ドイツ・レクイエムの楽譜も貸し与えられました。

スケジュールはというと、10月に土日二日間にわたって12時間の集中練習、11月の土日には8時間半の集中練習。そしてコンサートがある1月の週に3日間オーケストラと練習して本番が二回。
もちろん合唱団のメンバーはそれぞれのグループが指導者とともに練習準備してくるわけで、ニケ氏が自ら全体の指導、まとめ調整をするわけです。私が当初想像していたのよりもニケ氏との練習が少ない。アマチュア合唱団とこれだけの練習で足りるのか?と驚いたけど、現実問題、ニケ氏は超多忙な人だから、そうそうモンペリエにも来れない。このスケジュールでなんとかしないといけないというのが本当のところなんでしょう。

私が楽譜をもらったのは9月半ば。最初の練習まで4週間ありました。
私の任務は練習のためなわけですから、1月に向けて改良するというのではなくて、最初の練習のときにすでに仕上がってないといけないわけです。
事務のスタッフは「それではがんばって!」と言ってくれましたが、当時の私には「ビスタンクラック」のことしか頭になくって、「ドイツ・レクイエムはまあなんとかなるかな、時間もあるし、、、」なんて思っちゃったんですね。

10月10日のビスタンクラックコンサートが終わってから、大慌てでドイツ・レクイエムの準備をしたのは言うまでもありません。しかもビスタンクラックコンサートの翌日日曜日から金曜日までのわずか6日間。この間、例のフランステレコム問題と滞在許可証問題をかかえ、私あっぷあっぷでした。

ニケ氏は厳しくって有名。

私は練習の前日にはオペラjrのヴァレリーに「うわ~、やばいよ~。明日ドイツレクイエムだよ~。」と嘆き、練習当日の朝はピアノの生徒が3分でも遅れてきたらピアノに向かって最後の悪あがきをしました。

そして15時。練習初日。

130人を超す合唱メンバーとニケ氏との対面。
さてさて、この話はまた今度。

2009年11月8日日曜日

lutte = 戦い

10月中旬、落雷があってからの12日間は、仕事がいろいろ重なって、滞在許可証の問題も発生して、ほんとに踏んだりけったりでした。


まず、カミナリでライブボックスがやられてしまった翌日、昼はオペラ座で譜めくりバイトをして、午後からセートにいってあの「ビスタンクラック」の練習でした。忙しかったわけですが14時ごろ、合間を見つけていざフランステレコムのサービスセンターに電話。ここから私のむなしい戦いが始まったのです。


イライラその1 : 日本だったら通話無料が当然のサービスセンターへの電話。こちらフランスでは当然のように通話料は各自払い。そこへフランステレコムは「フランステレコムの加入電話からの場合、担当者が電話口に出るまでの待ち時間は無料です。」と得意げに言っている。この日、電話をするとまず「電話が殺到しているので、今日一日混雑するみこみです。」との音声。そして「あなたの待ち時間は6分以上と推定されました。」と続く。
私はちょっと待ってみたけど、この忙しい日に電話口でぽけ~っとまってはおれんと思って断念。


イライラその2 : 金曜の夜、土曜の朝、土曜の夜と電話するけれど、いずれも「待ち時間は4分以上です。」とか「待ち時間は10分以上です。」とか言ってる。忙しいときにこれではやってられない。断念。


イライラその3 : コンサートも終了して、日曜日の昼間、やっとゆっくりと電話に専念することができました。待たされるのを覚悟でサービスセンターに電話。すると「待ち時間は6分以上です。」とおっしゃる。我慢大会を決め込み、電話を片手にぼ~っと待つ。5分たつ。10分たつ。12分たつ!電話口ではえんえんと「しばらくお待ちください。アドバイザーにおつなぎします。と繰り返し流れている。ふと自分はまぬけかという疑問が頭をよぎる。15分たつ。18分たつ!これはなんの我慢大会だろうかと不思議に思う。20分たつ。日本ではこんなことありえないと腹をたてながら我慢をする。待つ。25分がたった。

そこへようやく電話口の音声がかわって呼び出し音が聞こえた。

やっとのことでアドバイザーと電話がつながる。
「どうしましたか?」とムッシューは言う。私は「木曜日の夜からテレビも電話もインターネットもできなくなりました。モンペリエでひどい嵐があって雷もひどかったのでそのせいかと思うんですけど。ライブボックス自体は機能してるみたいでコンピューターと相互に連絡とれてるみたいなんですけど、電話回線とシンクロできてませんというサインがでてます。」と説明。
ムッシューは「調べてみましょう。ちょっと待ってもらえますか?」という。「ああ、また待つのか。。。我慢我慢。」とほんとに我慢を強いられる国。ムッシューはコンピュータを通して、私の家の回線を通ってライブボックスまでのシグナルの調査を行いました。「電話回線の分岐の問題があるみたいですね。あなたのライブボックスからの返答がありません。それではテクニシャンに現場で調べてもらうように指示を出します。遅くとも木曜日には解決するでしょう。」という。

「え~?木曜日?ほんとですか?そんなに遅いの?」と叫ぶ私。「いえいえ、最大遅くて木曜日ですから、早ければ火曜日には何らかの変化があると思います。」とおっしゃるムッシュー。
「ああ、これからまだ5日間待たないといけないのか。。。」とショックを受けながら、もうこれ以上は仕方がないから「めるし~」と言って電話を切りました。
この日のムッシューの言うことによれば、私の家の問題とか、私のライブボックスの問題ではなくて、地域的、あるいは私が住む建物の問題っぽい感じでした。


イライラその4 : 早ければ火曜日に、、とか言われたけどやっぱりなんの変化もなし。


イライラその5 : 水曜日の夕方、仕事の休憩時間に携帯電話の電源を入れると留守録が入っていた。「あの~、フランステレコムです。あなたの電話回線のチェックに行くんですけど、え~、今から現地に向かいますので。あなたの回線にアクセスできると期待して、、、。」とかなんとか言ってる。ていうか、誰も今日家に来るなんて言わなかったのに、なんでこの人は今私の家に向かってるというのか。私は仕事場にいるんですけど。。。意味不明。


イライラその6 : 水曜日の夜、仕事が終わって携帯をのぞくとメッセージが届いていた。「フランステレコムです。あなたのライブボックスのシグナルは正常です。もしも問題がまだ続くようでしたらアフターサービスのもとで約束をとりつけてください。」とか言ってる。
「わ、もしかして解決したの?やるじゃんフランステレコム意外と速いじゃん。」とうれしくなって家に帰る。
。。。ていうか、ライブボックス正常に動いてないみたいですけど。。。インターネットは依然接続不可能。
意味不明。


イライラその7 : その後夜中近くになって、サービスセンターに改めて電話をした。「待ち時間は4分以上です。」とか言われるけど我慢。するとアドバイザーが出てきた。しかしなんか変。このムッシューは私がしゃべる間、あいづちとかもなしで反応をしない。私は日曜日に電話で言われたことと今日の留守録のこと、携帯メッセージのことを話した。でも反応なし。だから私が「あの~、聞こえてます?」と聞くと、「ええ、聞いていますよ。」と言う。でも変な感じ。私がひと通りしゃべり終わると、「今から調べますからあなたの携帯電話の番号をください。こちらから連絡しなおします。」という。なんか変だなあと感じる。で、私が固定電話の番号と携帯番号を教える間、またこの人はずっと無言で無反応。「あの~、携帯番号も言いますよ?」と私がうながすと、「ええ、私はちゃんとあなたのこと聞いてますよ。」という。しかしどうも電話の向こう側で笑い声とか聞こえてくる。う~ん、夜中のサービスセンター、暇で担当者は遊んでるのだろうか、、、と感じる。特に私の担当者は遊んでるというよりも寝てるのか酔っぱらってるのかいっちゃってるのか、完全におかしい。

イライラその8 : この変なアドバイザー、不信感一杯で電話を切ったけれど、予感は的中。何分たっても一時間たっても翌朝になってもなんの連絡もなかった。私もブチ切れる。


イライラその9 : 我慢に我慢をし、木曜日の昼間でなんの連絡もないことを確認してからまたサービスセンターにかけなおす。「待ち時間は4分以上。」

担当者が出てきた。私は一連のことを話す。「なんせもう一週間が経過してますから!」

するとこのムッシューによれば、水曜日にチェックに来た人は私の町内、私の住む建物の調査をしたけど、どうやら私の家個人の問題と推測したらしく、そのために私の家に立ち寄って問題を調べようと思ったのではないか、ということでした。で、もちろん私が不在だったから何もできなかったわけです。それならなんで夜に「あなたのライブボックスは正常です。」とかいうメッセージがきたのか。

このムッシューは「あなたの家が問題の場合、テクニシャンと約束をとらないといけません。」という。私も「一週間たってからそういうなら最初からそう言ってよ!」とブチッ。しかも「ええっと一番近い約束で次の月曜日です。」という。「え~?!これから4日後?もっと早いのないんですか?」と聞くと「残念ながら一番早くて月曜日です。8時から13時までと13時から18時のどっちがいいですか?」と聞いてきた。え、ていうか何なんですかその大まかな時間帯は?!「もうちょっと幅をせばめてもらえませんか?8時から10時とか、、、?」と私が聞くと、「残念ながら実際にはテクニシャンがそれぞれスケジュールをたてるので、私からはこの二通りしか言えないんです。」という。「。。。。。8時から13時まで家で待機してないといけないのか。。。」私が嘆くとこのムッシューは「でも普通は10時ごろだと思いますよ。」と付け足す。でもみんなにそう言ってることになるし。

しかも「テクニシャンの診断により、修理代やらの説明がされます。」と付け加えられた。
「ええ?私が払うんですか?10日間以上お金払いっぱなしのまままともなサービスが受けれてないのに?」と叫ぶ私。するとムッシューも「いえいえ、それは診断によりけりです。」と弱腰。

ああ、有料の電話に有料のトラブル解決。こんなことを「カスタマーサービス」と言っていいのでしょうか?
なんなんだこの国は。


イライラその10 : 問題発生から12日が経過。日本だったらありえないでしょう?


約束をとった月曜日の朝。テクニシャンが8時にやってくるかもしれないということにそなえて待機。すると9時半ごろやってきた。
電話回線口やライブボックスをあれこれ調べた結果、「これはライブボックスがいかれてるせいですね。電話回線は正常なのに、ライブボックスを接続するととたんにおかしくなる。」という。
そこで彼が「ライブボックスを交換してください。」という。
先日の電話では費用は私もちのようなことを言われたから確認すると、「いえいえ、僕が無料交換の書類を作成しますから、それで大丈夫です。」という。
ただ「普通だったら僕が替えのライブボックスをストックに持ってたら、すぐあげて終了なんですけど、あまりにもトラブルが多くってストックがありません。配達サービスを頼むか、フランステレコムの店にいってもらうか、、、」と言われたので、一刻も早く問題を解決させたい私は「今からでもすぐに店に出向くからいいです。」という。

このテクニシャンはフレンドリーかつ仕事をちゃんとこなす感じの人でよかった。

私はすぐさまショッピングセンターにあるお店に向かう。
テクニシャンが「これとこれとこれを持って行ってください。後はまた新しい一式をくれるはずです。」と言ったのだけど、店ではライブボックス本体と電源アダプターと再インストールするためのCD-ROMしかくれなかった。つかさず「でもテクニシャンが一式全部くれるって言ってましたけど。」というと、「いやもうそれはしてません。今はこれだけしかあげません。」という。
ま、同じ会社のために働いていても人によって言うことが違うというのは、フランスの王道です。
こんなもんだと思ってさっさと家に帰りました。

イライラその11 : 早速新しいライブボックスをつないで再インストール。私のパソコンは日本製のためか、もともとオランジュのプログラムとは相性が悪く、スムーズに機能していなかったのだけど、やっぱり今回もそんな感じ。でもなんとか指示通りに作業を進める。

でも接続できない。

2回やりなおす。

でも接続できない。

私は機械音痴ではないので間違ってるはずはないのだけど。

でもやっぱりインターネットに接続できない。

「もしかして、ライブボックスのせいじゃなかったとか?」という疑問が頭をよぎったので、改めてサービスセンターに電話。ひと通りの事情を説明する。

すると今度のマダムは「新しいライブボックスと再インストールをした場合、特別な手順があるんです。今から説明しますから一緒に作業をすすめましょう。」という。

「っていうか、再インストールする人みんなに必要な特別な手順があるのなら、どこかしらにそれを明記してよ!」とブチッとくる。

10分ほどかけて彼女の言うとおりに操作して、なんとかインターネットに接続成功!
すごくうれしい私。マダムも客に感謝されて満足したようで、とても気分良く電話を切りました。

が、実は普段ワイヤレス接続をしていた私ですが、このマダムに「接続コードを使ってください。」と指示されて、なんとかインターネットにありついたのです。
後でゆっくり自分でワイヤレスにやりなおそうと思ったわけで、さっそく試してみると、、、。

接続できない。
コードでつながないとインターネットにつながらない。

。。。

でも12日間の不便を経験したので、とりあえずコード接続でもいいか、と思ってここで今回のフランステレコムとの戦いを一時終了させる。

この日からすでに3週間。忙しいからワイヤレスの問題にはとりかかっていません。

このフランス社会では、何か問題が起きたとき、それに対処するには莫大なエネルギーが必要です。なんでかって、時間がかかるし理解不可能な我慢をしいられるから。そのエネルギーと時間がないと、問題の対処にとりかかれないんです。。。
こういうとき、本当に痛感するのが「お客様は神様の国 日本。」との違いです。

ま、とりあえずインターネットが回復したことと、修理や交換の費用はかからなかったことで満足しないとだめですね。あとはサービスセンターへの通話料がいくらかかったのかという心配が残っていますが、、、。

2009年11月5日木曜日

Les Chevaliers du Zodiaque

先月、オランジュのテレビサービスの問題を解決したら、たくさんのチャンネルが見れるようになったという話をしましたが、本来は80チャンネルくらいのはずが、なぜか120チャンネル以上が楽しめたんです。

そんな中で、とある番組に気がつきました。

それは「Les Chevaliers du Zodiaque」。
日本のマンガアニメのフランス語タイトルです。Chevalier は「騎士」、Zodiaqueは「黄道12宮」のこと。どのマンガのことをいってるのかわかりますか?

実は、、、


じゃじゃ~ん。「聖闘士星矢」のことなんです。

実は私、かつてこのマンガのファンでした。なんせマンガ全巻もっていましたから。

このブログを見てくれている方では、このマンガをご存じの方と全く知らない方とにわかれると思いますが、このマンガのシリーズには「サンクチュアリ編」、「北欧ヒルダ編」、「ポセイドン編」、そして「ハデス編」とがあって、私が知る限り、日本のテレビ地上波ではポセイドン編までが放映されたと思います。

今回、私がフランスでオランジュのテレビサービスを利用できるようになって見つけたチャンネルの一つに、マンガ専門チャンネルがありました。そこでは一日中いろんなマンガを放送しているわけですが、すごいのが、「聖闘士星矢」のエピソードを3つ、一日に3回放送してたということ。しかも日曜日には私がマンガでしか見たことなかった「ハデス編」を放送してたんです。

私が番組に気がついたときに放送していたのが「サンクチュアリ編」でもクライマックスの一つ、いて座宮でのエピソード。


タイトル文字もそのまんま日本語が残されてるところがよい。

テーマソングもエンディングソングも日本語のままで、私はそれはそれは懐かしい時間を楽しんだのでした。
なんせ、私が東京に住んでいたころ、小学校中学年のころに見ていた番組なんですから!

しかしファンとしては許せないことが一つありました。

それはフランス語吹き替えの声優さんの声の悪さ!

声が悪いと言ってはなんだけど、まるでキャラと合っていない声なのです。かっこよく必死で戦っているところで、なんとも間の抜けた変な声でそれぞれの必殺技のタイトルを叫んだりしていて、とてもかっこ悪い、、、。


そしてちょっとショックだったのが、16歳禁ならぬ10歳禁マーク。日本のアニメは暴力シーンだらけで教育上よくないという声は、ここフランスではよく聞かれますが、それでもこのマンガ専門チャンネルで10歳禁マークが出ていたのはこの「聖闘士星矢」だけ。
あのドラゴンボールだって禁止マークなしなのに。。。

まあ、そんな感じで2、3、日本での放映とは違う点がありますが、そんなことは目をつぶるとして、とにかく、私は「聖闘士星矢」との再会に大喜び。私が「Les Chevaliers du Zodiaque」の大ファンだと知ってあきれるフランス人の友人を横目に、私は毎日熱心にこの番組をみるためにテレビの前に座ったのでした。

ストーリーはニセ教皇の正体が明かされるところまでいって、「サンクチュアリ編」は終了。そのまま「ヒルダ編」へと続きました。

毎日3本ずつ放映ですから、トントン拍子で進んでいきます。

忙しい中、眠い中、「この番組は逃せない!」と必死にテレビを見始めて10日がたったところで、不運が私を襲いました。

それは例の嵐の日。

実は嵐の中、仕事から家に帰宅した私は22時半からの「聖闘士星矢」を見始めていたのです。

外は激しいカミナリ。

でもこの前話したようにカミナリ対策のコンセントを使っているので安心しきってテレビを見ていたんです。そしたら、落雷の衝撃とともにライブボックスが「バチッ!」と言ったかと思うとテレビの画像が止まってしまいました。

う~ん。。。

嫌な予感がしましたが、この日は疲れていたし、落雷のせいだと結構あきらめよく寝ることにしました。が、実はすぐにインターネットとテレビが復旧しないとわかったときの私の落胆ぶりをわかってもらえるでしょうか。

「Chevaliers du Zodiaque」が見れなくなった、、、、と言って落ち込む私をみて友人はあきれ返っていました。

忙しい時期だったからこそ、夜22時半から寝る前に「聖闘士星矢」を見るのがちょっとした楽しみになっていたんです。それなのに。残念。

インターネットの復旧が遅れ、そうしているうちに「ヒルダ編」は終わり、「ポセイドン編」にストーリーは進んでいるだろうな~と思いながら、一日の早い復旧を祈っていたわけです。

そして12日後。
やっとのことでインターネットが復旧し、喜び勇んで私はテレビをつけました。

すると。

この「聖闘士星矢」をやっていたマンガ専門チャンネルが見れない。。。

「このチャンネルには加入登録されていません。」という表示がでるではないですか。

「あれ?2週間前には見れていたのに?」と首をかしげる私。

そこで落ち着いて映るチャンネルを数えてみると、今度はだいたい80チャンネルくらい。本来、見れるといわれている数のチャンネル数になっていました。
落雷の前の私は120以上はかるく超えるチャンネル数が見れていましたからね。
そう考えてみるとようやくわかりました。

テレビが見れるようになった当初、多分数多くのチャンネルがお楽しみご視聴サービスということで、無料で見れていたようなんです。この視聴期間が普通どれくらいの間なのかは知りませんが、落雷のせいでサービス終了のきっかけが与えられたみたいで悔しい~。

12日間、インターネットもテレビもなく、不便な生活をしたうえに、「聖闘士星矢」が見れなくなってしまいました。

ああ、つかの間の10日間の楽しみでした。。。

2009年11月4日水曜日

秋のリヨン

11月1日の日曜日は私にとって3週間ぶりの休日でした。

いつもならだら~っと過ごして終わるところですが、今回は違いました。
どうしても逃せないものがあったので、TGVに乗ってリヨンまで出かけることにしたんです。しかも月曜日の朝には10時からはずせない仕事があったので、月曜日の朝一番のTGVに乗って戻ってくるという計画。

リヨンはフランス第二の都市。地図で言うと、フランスの中央からちょっと右寄りのところに位置し、ローヌ川が街を流れます。
モンペリエからはTGVで1時間45分。たったそれだけの距離で、モンペリエとは全く違う雰囲気の街があるというところがフランスの面白いところ。私がリヨンを訪れたのは5回目ですが、秋に訪れたのはこれが初めてだったことや今までに訪れたことのなかった場所にも訪れて、ちょっと新しいリヨンを発見できた気にもなりました。今日はリヨンの街ぶらり散歩の様子をお伝えしたいと思います。

TGVでリヨンPart Dieu 駅についてから、まずはホテルに向かいました。私が選んだホテルはプレスク・イル(半島の意味)と呼ばれる、二つの川に挟まれた地区にあります。二つの川というか、ローヌ川がリヨンの街の中でローヌ川本流とサオーヌ川という支流との二手に分かれるんです。そしてこの半島部分がリヨンの中心地。
この日の夜、ホテルに戻るのが夜中になることがわかっていたことと、翌朝早くTGVに乗ることを考えて、立地条件と安さで選んだホテル。

ちょっぴり曇っていましたが、15時に散歩に出かけました。
ホテルを出るとすぐ、半島の向こう側サオーヌ川岸にはリヨンの街を見渡せる高台にあるフールヴィエール・ノートル・ダムが見えます。この教会はリヨンのシンボルの一つ。




プレスク・イルの地区を北に向かってあるくとリヨン市の第一区に入り、市役所などがあります。



私が今回リヨンに来たのは大事な友達に会うため。
待ち合わせの場所をリヨンの街の北側に位置するTete d'Or 公園としていたので、私はローヌ川沿いの散歩道を北上することにしました。



このエリアに来るのは今回が初めて。
ゆったりと流れるローヌ川沿いには、ゆったりとしたスペースの遊歩道が設けられていました。しかもサイクリングコースと歩行者コースと2車線。


この写真の右手のおじさんは、写真を撮り終えた私の目の前を通り過ぎる時、「かっこよく撮ってくれた?」なんて一言かけていく。そんなところはところ変わっても同じフランス人というところか。
家族連れ、カップル、若者グループなど、いろんな人たちとすれ違いましたが、確かに散歩するにはうってつけの場所です。しかもいろんな色の木が並んでいて、落ち葉舞い散る秋の散歩道でした。
そんなこんなで目的の公園に到着。

予想だにしていなかったパリリュクサンブール公園並の立派な門がありました。実はこの公園とっても大きいんです。私がたどり着いた入口は数ある門のうちの一つに過ぎません。
Parc de la Tete d'Or は訳して井の頭公園ならぬ金頭公園。
内部には湖とよんでいい大きさの池や動物園、植物園があります。
広い芝生のエリアも豊富で、とにかく広大な公園。
この日はバカンス中の日曜日ということもあってか、たくさんの人出でにぎわっていました。
私は小さいころ家族とよく行った東京のとある公園を思い出しました。

私と友達、大まかにこの公園で待ち合わせと言っていたのはいいけれど、広くって実際に落ち合うのは携帯電話で連絡をとりあいました。そして「じゃあ、ゾウの前ね!」なんて言い合うところは、久しぶりとはいっても私達らしい。
モンペリエよりも落ち着いた感じで清潔感もあるリヨンの町並み。
家族連れでにぎわう秋の公園で、無事に友達と再会を果たしました。