2010年4月30日金曜日

ホール

音楽学校の上級レベルの生徒たちによるコンサートのためのホール探しとピアノ探しに四苦八苦した結果、私たちがゲットしたのがLavérune のお城のホール。

これまでに何度かこのブログでも話題に出ている街Lavérune ラヴェリュンヌ。モンペリエの南西に位置し、音楽学校をサポートする6つの自治体の一つです。

ここにはChâteau des Evêques (直訳すれば司教たちの城)と呼ばれるお城があって、14世紀ごろからこの土地の領主たちの居城となっていました。フランス革命で国の所有物となり、その後一旦はお城を買い取った個人の所有となりましたが、現在はLavéruneの村役場が管理する公共施設となっています。

この役場が文化活動に熱心なことと、その担当者が音楽学校を長年サポートしてきた女性であったことから、私たちは無料でホールとグランドピアノを使わせてもらえることになったのです。

このお城には広々としたお庭があるのですが、南フランスでも有数のきれいなお庭といわれ、お散歩に来る人、ペタンクをするおじいさんたちがいて、市民から愛される憩いの場です。



私も実は春先から夏にかけての時期にここのお庭に来るのが好きです。背の高い木が並んでいて、強い日差しを和らげてくれるし、何より青空と木々の緑がなんともすがすがしい色合いで素敵なのです。

さて、コンサートで使わせてもらう部屋はお城の一角にあります。



この扉をくぐると大きならせん階段のあるロビーがあります。
階段をあがるとMusée Hofer Bury という現代絵画の美術館があるんです。



階段をあがらずに一階にあるのがSalon de musique (音楽の間)と呼ばれるお部屋。
普段から展示会やコンサートに使用されているお部屋です。
今回、私たちが使わせてもらうのもこのお部屋。



壁の装飾が見えますか?イタリア様式の広間なんです。la grande salle italienne とも呼ばれています。
壁なんかは昔のままだし、ご覧の通り2階まで吹き抜けとなっていて天井がすごく高くて、音響がいいというのを通り越して、すさまじく音が響いてしまいます。
でも、お客さんがたくさん入れば人がクッション効果をもたらして、響きが緩和されるという感じ。

写真は4月10日のコンサート前日に私が生徒と行った現地リハーサルの様子です。
普段、小学校の多目的ルームとかちょっとした体育館みたいなところでしか弾いたことがない生徒たちにとったら、このコンサート会場は画期的なサプライズ。
みんなこのホールで弾くこと、グランドピアノで弾けることを、目をキラキラさせながら喜んでいました。

日本のように設備の整ったホールで弾かせてあげることはとうてい無理のようですが、こんなヨーロピアンな歴史的な空間でピアノを弾くということは日本ではできないことですから、これはこれでラッキーなことかなと思いました。
コンサートの様子はまた改めてお伝えしますね。

2010年4月21日水曜日

アマーーーール!!

冒頭、オーケストラによるイントロのあと、母親が「アマーーーール!!」と呼ぶところから始まるこのオペラ。

メノッティ作曲のオペラ「Amahl and the night visitors」の公演が終了して、はや2週間になろうとしています。

昨年の9月から未経験者ばかりの新人新米グループAtelier de création と週一回の練習を始め、11月には演出家リシャールや振付師アンヌと出会い、Groupe Vocalのメンバーも練習に加わり、2月には衣装デザイナーのジャンヌと出会い、3月20日からはモンペリエ・オペラ座のスタッフが加わり、31日にはモンペリエ・オーケストラが加わり、4月6日、7日、9日に公演が行われ、7ヶ月に渡る冒険が幕を閉じました。

「冒険」はフランス語で「aventure アヴォンチュール」。

公演初日で照明デザイナーのダヴィッドと衣装デザイナーのジャンヌと別れ、公演最終日をもってリシャールともお別れ、そして新人集団Atelier de créationともお別れをしました。まさに一つのアヴォンチュールが終わったという感じです。

いつもの例にもれず、今回の冒険もいろんなトラブル、話題には事欠かず、喜び、怒り、不安、感動にあふれる密度の濃い7ヶ月でした。

公演が終わって賛否両論もちろんいろいろ感想は聞きましたが、大方の反応は「素敵だった!」です。夢があふれるというか、ファンタジーあふれる舞台で素敵だったという反応。
私も個人的に好きでした、この演出、そしてこの舞台。

いろいろと話題にしたいこともあるのですが、今日は写真とともに舞台の様子をざっとお伝えしたいと思います。

アマール役と母親役はダブルキャストで行ったので、写真にはそれぞれ二人ずつ別の子が写ってますのでご了承を。

「アマールと夜の訪問者たち」
オーケストラの演奏開始とともに幕が上がりました。

雪がちらつく中、松葉づえをたよってびっこをひきながら歩くアマールがいます。

この幕が上がる瞬間が私は大好きです。お客さんからすれば、幕の向こうに別世界が存在したわけで、この瞬間、お客さんからは夢の世界に入り込む「わ~。」という声にならない声や、「はっ。」という声にならない声があがり、それが実際にあちらこちらから聞こえるんです。スペクタクルの舞台がもつ魔法の力。私にとって大好きな瞬間の一つです。

満天の星空を見上げるアマール。



母と息子の貧しい二人暮らし。



夜になると二人は寄り添いあって寝ます。




突然ドアがノックされて目を覚ます二人。

東方の三博士が登場するシーンです。

三人は舞台後方にいるのですが、弱い照明でシルエットが見える程度。演出家リシャールはここで三人の顔のアップをビデオで舞台一面に映し出し、お客さんの笑いを誘っていました。



東方の三博士と言うとキリスト誕生にまつわる有名な登場人物で、普通なら知的で厳かな感じもあるキャラクターのはず。でもリシャールは、この三博士を三博士のふりをして民からの貢物をだましとる仲よしペテン師集団と設定しました。



三人を家に迎え入れると、母親はアマールに三人の邪魔をしないように言いつけて暖炉を暖める木を拾いに出かけます。

邪魔をするなと言われても、彼らに興味津津のアマールは次々と質問を投げかけます。




三博士は、作曲者メノッティのト書きに従って、バルタザールが黒人、メルキオールが白人、そしてカスパールはアジア人という設定です。



カスパールは耳が遠くてアマールの質問を「ええ?」と聞き返してばかり。
これも作曲者の意図です。




リシャール版の三博士はだまし儲けたお金を数えたりしてます。




アマールはカスパールがもつ魔法の小箱に興味津津。



そこへ母親が戻り、怒られるアマール。

三博士をもてなしたくてもアマール親子は貧しくて何もないので、母親はアマールに仲間の羊飼いたちにも何か捧げものを持ってきてもらうように声をかけに行かせます。

アマールが留守の間、三博士と母親の間で彼らが探し求める神の子についてのやりとりが美しい四重唱で歌われます。このオペラ中、一番よく書けていて一番感動的な曲ではないでしょうか。

そして羊飼いたちの登場。
合唱の登場です。4声からなる合唱パート。
まずはアカペラの曲で「みんな元気かい?」といった感じで仲間同士声をかけ合います。


続いてみんながお供え物をもってくる場面ですが、リシャール版ではみんな貧しくって何も捧げるものがないんだけど、、、、と言う設定。

みんな興味と怖さ半々で三博士を歓迎します。



合唱パートが二曲つづいた後、踊りのシーンに移ります。




たいていよくあるバージョンでは、コーラスが歌った後、ダンサーたちによるバレエに移るわけですが、オペラjrは全部やる!ので、合唱メンバーたちは二曲の歌のあとはダンスシーンへと続けていくのです。



ちょっと未開的野性的な味をつけて、というリシャールの要求にこたえたアンヌの振付。





この振付についても賛否両論いろいろ聞きましたが、関係者の一人としての私から見たこのシーンは、何がすごいかって、踊りの経験なんてないごく普通の若者たちを、身体表現の点でこのレベルにまで導き、若者らしいエネルギーをうまく使って五分間の踊りのシーンを堂々と演じさせたということ。

振付で使われたそれぞれのアイディアはもちろん、さすがだなあと思うところがあちこちありましたが、7ヶ月前にはまっすぐ立つ、まっすぐきれいに歩くことすら難しかった普通のいまどきの若者たちが、エネルギッシュで野性的でオリジナルなこのダンスシーンをやりきる姿をみて、私はただただほれぼれとしてしまってました。




三博士たちは、なんだか不気味な羊飼いの集団にどぎまぎしています。



フィギュアスケーター顔負けの回転技あり投げ技あり。



ヒップホップダンサー顔まけの連続早業ジェスチャーあり。

私はジェネラル・ピアノまで舞台下のピアノに向かっていたので、舞台上の様子がちゃんと見れてなかったんです。オーケストラが来てからの練習では、このバレエシーンを見るたびにわくわくしてました。



みんなが寝静まったあと、息子アマールを貧しい暮らしから救うために、ついつい宝の山に手をのばしてしまった母親。

三博士の付き人にすぐに見つかって捕らえられてしまいます。



母親役のN。去年の「ディドンとエネ」でも重要なベリンダ役をこなしたN。彼女の迫真の演技はすごいものです。実は彼女、女優志望でこの夏からパリに進出します。まだ17歳なのに、人とは何か違うオーラを放つ彼女。きっと世に出るに違いありません。




付き人と三博士から激しく非難される母親をアマールがかばいにきます。

「悪いのは僕でママは悪い人じゃないんだ!うそつきはこの僕で、ママは悪い人じゃないんだ!ママをぶたいないで!ママをぶったりしたら僕がお前を骨の髄までくだいてやる!お願いだからママをぶったりしないで!」というアマールのソロ。
この曲の終りでアマールは「お願いだから、、、。」と言って母親のそばで泣き崩れます。
アマール役の二人はまだ14歳で器用な演技テクニックなんかないだけに、子供の自然な弱さ不安定さがかえって劇的効果を増して、お客さんの心にぐっとくるシーンでした。


母親は許しを請い宝を返そうとしますが、三博士は「宝は返さなくてもよい。我々が探す神の子は宝など必要としないから。」といって、神の子がつくる夢の国について語ります。


この後、「せめてその神の子に僕の松葉えづえを贈りたい」とアマールが言ったところで奇跡が起こります。

なんとアマールは普通に歩けるようになったのです。

実はこの奇跡について、リシャールは奇跡なんてないという設定を行い、夜、夢遊病状態のアマールは実は松葉づえなしでも普通に歩いているというシーンをオペラの前半で見せています。
でも、それはちょっと見ててもわかりにくいんじゃないかな~~~という微妙な演出でした。

ともあれ、アマールは歩けるようになり、三博士たちの旅に加わることになりました。

リシャール版では三博士たちはペテン師なわけで、アマールもお金を稼ぐ一団に加わったというわけです。愛する息子を旅立たせる母親はもちろん複雑な思い。「身体には気をつけなさいね。」と声をかけますが、遠く立ち去る息子の後ろ姿を悲しそうにずっと見続けるのでした、、、、。

そして幕が静かに下ります。

The End。


一つの舞台作品をこんなふうにはしょってお伝えするのは無理がありますが、どうでしょうか。
やっぱりArt vivant 生きた芸術ですからね。生でその空間にいて体験体感してもらうのが一番です。
結果的にはこの舞台の演奏時間はたったの45分。
あっという間の45分です。

お客さんは夢の世界に入り、カーテンが下りるのと同時に夢からさめる。

3公演ともブラボーが飛び、熱心な拍手がいつまでも続いていました。

オペラjrの公演としてはもちろんのこと、この舞台は一つの作品として大成功を収めたと思います。演出や舞台照明にたいしても、新聞などの批評も好意的なものばかりでした。私を含め、オーケストラに対する不満を抱いた人はだいぶいましたが、、、、。またその話も今度。

本当の素人を含めた普通の若者が数カ月かけて取り組んだ成果。舞台のために働くそれぞれのプロたちが能力を出しあって作り上げた舞台。これがたったの3公演だけで終わりというのはなんとももったいない話です。
またいつかどこかで再演ということになるのかならないのか。
そんな話も含めて、お伝えしたいことはいっぱいですので、またの機会をお待ちください。

2010年4月14日水曜日

Piano à queue

Piano à queue (ピアノ・ア・ク)というのはグランドピアノのこと。

日本では、ごく一般の人の家にグランドピアノがあるというのはめずらしいとは言っても、誰だってどこらかしらでグランドピアノを見たことはあるでしょう。学校の音楽室、あるいは体育館にはたいていグランドピアノがありましたもんね。


かたや日本でプロの音楽家、あるいは音楽を専門に志す人の間では、ピアノと言えばグランドピアノというのがごくあたりまえのこと。音楽教室、ピアノの先生の家、音大、音高にはグランドピアノがあるのが当たり前で、ほとんどの人が大学受験前までに親が自宅にグランドピアノを買ってくれる、さらには防音システムまで整えてくれる、というビップ待遇を受けて練習に励むのが普通です。遅くても音大入学を機にグランドピアノを買ってもらうという感じでしょうか。


アップライトピアノのことをフランス語ではpiano droitと言いますが、一昔前、日本のどの家庭でもアップライトピアノをみかける、と言ってしまえるほど、女の子はピアノを習う、ちょっとでもピアノを習う子はアップライトピアノを買ってもらうという時代がありましたよね。


とにかく、日本にはヤマハとカワイという二大メーカーがあるおかげもあって、ピアノの普及率が抜群にいいのです。

プロのミュージシャンで某T芸大ピアノ科出身のとある人は、「家庭が裕福ではなかったから、大学受験もアップライトピアノで準備したし、大学に入ってからもアップライトピアノだった。代わりに先生の家で練習させてくれたり、大学で優遇してもらえた。」と言っていたのを聞いたことがあります。戦後の時代ならまだしも、彼は現在40歳代。こんな例は日本の音楽界では本当にめずらしい例でしょう。

私自身、自分のためにピアノを買ってもらうとか防音の設備を整えてもらうとかはなかったけれど、母親がピアノをしていたので、私が生まれた最初っからグランドピアノが家にありました。私が最初に親しんだ楽器がグランドピアノだったのです。ピアノの個人レッスンを3歳から受け始めたのですが、先生とのレッスンも最初っからグランドピアノでしていました。それからというもの、グランドピアノで弾くのが当たり前、という環境の中にずっといました。

某市立高校の音楽科に進んでみたらならば、20室以上あるレッスン室すべてにグランドピアノが二台ずつ入っていて、コンサートサイズのグランドピアノも二台あって、全室冷暖房完備、完璧な防音システムなどなど、あらゆる面で完璧でした。しかも私立の学校じゃないんですよ。公立の高校でこの設備だったのです。その「完璧」が、当然のことであると思える環境にいたわけです。

笑えることに、最初のカルチャーショックは大学に行ってからのこと。某県の公立の大学だったのですが、こちらはぼろぼろの校舎。近代的な防音システムは一切なく、ところどころ、木製のとびらが二重になってる程度。それもそのはず、校舎のあちらこちらで雨漏りしてるところだったので、まさに財政難真っ只中の匂いがぷんぷんする学校だったのです。

それでもグランドピアノは学校中のあらゆるレッスン室にあって、ピアノ科のレッスン室にはもちろん二台ずつ。学校の中にコンサートサイズのグランドピアノもいくつかありました。唯一、学生が自由に練習できる練習室だけはアップライトピアノでした。そのことだけでも「超リッチ」な高校からきた私たちには「ド貧乏」、「設備不十分」に見えたものです。

このときは、日本の音大は私立と公立でこんなにも設備が違うんだ~。。。と勝手に想像して思い聞かせていました。

日本では音高、音大の外でも、グランドピアノを見かけることはしょっちゅうで、レストランやホテルでのピアノ弾きのバイトに行ったならば、そこにはもちろんグランドピアノがあるし、って感じで、やっぱり「人前でピアノを弾く=グランドピアノを弾く」という図式が日本にはあると思います。

ところが、フランスに来て、そんな図式はあっさりと崩壊したのでした。

最初のショックは、私が今働く音楽学校に初めて足を踏み入れた時。

古~い建物の一室にアップライトピアノがあるだけで、そのピアノ自体古くて質のいいものじゃなかったけれど、なにより部屋がボロボロ。。。。。
冷暖房がどうのこうの、防音がどうのこうのなんて話す必要もないくらい、もうボロボロ。ドアはしっかり閉まらずすきまだらけ、壁紙は一部はがれて床には汚らしい古いカーペットが、、、、、。

「極貧」の匂いがぷんぷんする音楽学校でした。(笑)

そして次にわかったことは、ピアノを習う生徒のほとんどが家に本当のピアノ、つまりアップライトピアノを持っていないということでした。クラビノーヴァのような電気ピアノをもっていればまだしも、鍵盤数も少ない半分おもちゃのようなキーボードを使ってる子も数人いました。

また、使用する楽譜に関しても違いが。私はある先生の産休の代理でやってきたのですが、生徒たちがもっていた楽譜はほとんどがコピーの楽譜。楽譜は高いから、年に何冊も買えない、というのです。(レッスン数が少なくて、レッスン時間が短くて、一年で学べる量が少ないというのもありますが、、、。)

とにかく、なにからなにまでが日本での常識とは違いました。

ま、この音楽学校はモンペリエの郊外にある極貧学校だから、ここが特別なんだろう、、と思いたかった私ですが、このショックはコンセルヴァトワールの様子を見て決定的となりました。

モンペリエの旧市街地の中心にあるモンペリエのコンセルヴァトワール。音楽とダンスを学ぶための教育施設で、入学試験や進級試験がありますが、ちびっこから28歳くらいまでが学べます。
古い建物を校舎にしているので、レッスン室の形も広さも部屋によって違います。もちろん防音設備はどこの部屋にもありませんでした。おかしなことに事務系の部屋は冷暖房完備できれいでしたが、、、。
ピアノ科の先生の部屋にあるピアノも部屋によってそれぞれで、一番格の高い先生(?)の部屋にはグランドピアノが二台ありましたが、他の先生の部屋にはグランドピアノ一台とアップライトが一台だったり、単にグランドピアノが1台あるだけだったり、まちまちです。
他の楽器の先生の部屋にはアップライトが一台あるだけ。しかもこのアップライトピアノ、日本人が見慣れているアップライトよりも一回り小さく、本当に箱型サイズでタッチもおかしく痛んだ感じのするピアノがほとんど。

そしてそして、こちらに来てこれが当たり前なんだとわかったことは、ピアノの椅子がないということ。日本ではピアノとその椅子はワンセットでいつも一緒ですよね。椅子の高さを調節することは、ピアニストにとってとても大事なこと。でも、こちらではピアノだけがぽつんとあって、椅子はその辺にある普通の椅子を持ってきて使ったりするのです。
このことは何もコンセルヴァトワールだけのことじゃなくって、モンペリエの近代総合ホール施設CORUMでも同じことです。

「フランスではこうなのか、、、、。」と無理やり言い聞かせて、私も長い間、高さがまるで合ってない普通の椅子に座ったり、椅子を2個3個積み重ねて、不安定な状態でピアノを弾いたりしてきました。

グランドピアノといえば、コンセルヴァトワールの最上学年の生徒ですら、自宅にはグランドピアノはもっていません。みんなアップライトピアノだけ。そのため、みんな学校で練習するのです。
生徒だけでなく、伴奏ピアニストとしてヨーロッパ中で活躍しているピアノ伴奏科の先生ですら、単身赴任先のモンペリエのアパートにはアップライトピアノを入れてるだけでした。

私がモンペリエでこれまでに出会った人で、家にグランドピアノをもっていると言ったのは4人だけ。一人は大学の音楽学部教授、もう一人は音楽学校で私が産休代理を務めたピアノの先生。どうやら旦那さんが高給取りだそうで、結婚後にグランドピアノをプレゼントしてくれたそうな。あとの二人は音楽愛好家の50歳代の女性で、ピアノは小さいころから習っていたので、趣味にしてはなかなかそこそこの腕前を持っている人たち。他に仕事を持っている彼女たちは仕事で稼いだお金で40歳前後にグランドピアノを購入したと言ってました。

ま、そんなわけでこちらではグランドピアノに簡単にはお目にかかれません。

それにしても日本とフランスにはいろいろと違いがありますね。ピアノ全般の普及率なんて天と地の差。グランドピアノなんて、フランスではプロを目指す人の間でも簡単には手が及ばないリッチで贅沢な代物。
日本人で音楽を志す人のほとんどが海外に出て勉強を続けるわけですが、技術的には日本人のレベルのほうが格段上だったり、一般人の間での音楽普及率も日本のほうが断然上だったり、おもしろいもんです。


さてさて、なんで今日この話題だったかというと、小さいころからグランドピアノに慣れ親しんできた私から見たら、やっぱりピアノというのはグランドピアノなのであって、アップライトピアノや電気ピアノというのは指先のテクニックや読譜の練習用にすぎないと思うのです。ピアノを鳴らす、ピアノを響かせる、音色がどうのとかいうのはやっぱりグランドピアノで学ぶことだと思うのです。

音楽学校でピアノを教え始めて7年目になるのですが、教え方や曲の選び方、生徒との接し方なんかは自分なりにあれこれ考えて工夫もして、私のやり方が確立でき始めてきたところです。そのかいもあってか、私とピアノを習って6年とか7年という年数になってきた生徒たちには、その進歩と成長がはっきり表れてきて、教えてるこっちもうれしくなることが多いのです。

そんな中で唯一残念なことが、このピアノの話。

音楽学校ではあんまり質がいいとも言えないアップライトピアノでレッスンしてますが、発表会などをするときも、小学校の多目的室にあるアップライトピアノでするか、あるいは他の場所でするときはたいてい電気キーボードを持ち込んでするんです。

当初は私も、「フランスではこれが普通か、、、、」と言い聞かせていたんですが、やっぱりそうはいきません。初心者ならまだしも、上達してきた生徒たちにキーボードで弾かせるなんて、生徒もやる気がでないだろうし、こっちも生徒に申し訳ない気持ちがしてしまうんです。
去年の秋には、私の生徒がドビュッシーの「ゴリーウォークのケークウォーク」と映画「ピアノレッスン」のテーマ曲をこのキーボードで弾き、私は正直「。。。。。。。」と半分怒りと情けなさで悶々としていました。
それからというもの、「せっかく練習もがんばってして上達してきた生徒にキーボードで弾かせるなんてもう嫌だ~~!!」宣言をして、何か手立てはないか、と画策をなってきたのです。

そこへ、今年は新たに「それぞれの楽器でレベルの進んだ生徒たちだけでコンサートをしよう。」という企画話がもちあがりました。
私のクラスは学校1、2を争う大所帯だし、レベルが進んだ中高生を何人もかかえてますから、必然的にこのコンサートの企画には私も加わりました。
普段とは違う場所で、、、という音楽学校の意向もあり、ピニャンPigan に新しくできた図書館のロビーでしよう!ということになりました。昔の鉄道の駅を改築してできた建物で、天井が高くて一面のガラス窓のおかげで明るい日差しのなかでとても素敵な場所だと聞いていました。

しかし!問題は、そこにはピアノがないということ。

重度の財政難にあるこの音楽学校にはアップライトピアノをレンタルする予算すらありません。そこでピニャンの役場に費用をまかなってもらうよう依頼しましたが、残念ながら却下。。。それならばということで、ある人がアップライトピアノを無償で貸してくれると申し出てくれたのですが、私は正直、フランスで見かけるアップライトピアノというのは中にはピアノとは呼びにくい代物もあるので、アップライトピアノならなんでもいいというわけではない、クラビノーヴァのほうがずっとかましということもある、といって慎重姿勢を見せました。私がそのピアノを試しにいって返事をするというのでもよかったわけですが、忙しくって時間に余裕がないうえに、もしも状態の悪いピアノだった場合、善意で申し出てくれてる人に丁寧にお断りするのもなんだかなあ、、、と思ってあーだのこーだの言っていました。

すると音楽学校がいつもお世話になってる楽器屋さんが、クラビノーヴァを無償で貸してくれるという申し出をしてくれたのです。

ほんとお金がないところには、こうやって善意のサポートの声が出てくるところがありがたいことなんですが、判断をもとめられた私は正直言って困ってしまいました。

本当だったら、ちゃんと設備のととのったホールでグランドピアノでコンサートをさせてあげたいというのが私の希望。日本だったらごくごく当然のことです。おちびちゃんの初心者ばっかりの音楽教室だってそうしてます。
日本では設備に恵まれているだけでなく、発表会参加費というのを別に払いますからね。参加費、お写真代、先生への花束代だのなんだのって。
そんなこと、こちらではありえないんです。「そもそもの音楽学校登録料が高いのにさらに何かあるごとになんて払ってられない。」というわけです。その、音楽学校登録料というのは、実は日本人からみたら、それ一ヶ月分じゃない?という安さなんですから、もう日仏比較はしてられません。

私はもうとにかくうんざり。

日本とフランスで政治の方針が違うとはいえ、教育方針が違うとはいえ、家庭における収入と支出のやりくりの考えが違うとはいえ、「お金がない、お金がないって、ほんとにどこまでお金がないの~~~!!」って叫んじゃいますよ。

でも、私の嘆きを理解してくれた人はたくさんいたのです。

まず、私の同僚でヴァイオリンの先生であるマチアスは「leonardo の生徒にクラビノーヴァで弾かせるのはどうかと思うよ。。。」と言ってくれ、私の生徒のママで本人もチェロを習い、音楽学校の運営にボランティアで協力してくれてるドラは、とあるアイディアを出してくれました。
それは私たちの音楽学校の教室がある村の一つ、Lavérune ( ラヴェリュンヌ)のお城にあるピアノの持ち主に直談判するというもの。
私たちの音楽学校がまたがる7つの村の中で唯一、お城の中に普段からコンサートに使用されている部屋を保有する村ラヴェリュンヌ。コンサートだけでなく講演会、展示会などにもよく利用される部屋なので、予約は年度初めまでにしないといけないと聞いていました。
さらにここに古いグランドピアノがあるらしい、というのは知っていました。
ドラによると、このピアノはラヴェリュンヌの所有ではなくて、とある人からレンタルしているのだそうです。
で、このとある人というのが、モンペリエにアトリエをかまえるピアノ調律師兼修復士さんであるH氏。私も知っている方の旦那さんです。
H氏は会員多数のピアノ愛好家のアソシエーションを率いていて、単なるピアノコンサートだけでなく、ピアノ弾き比べレクチャーやピアノの構造についてのレクチャーなんかを熱心にしてらっしゃいます。
ドラもこの会のメンバー。
ある日、この会の集まりのあと、ドラはH氏に直接、音楽学校の状況とピアノの必要性を説明して協力をもとめてくれたのです。ありがたいことにH氏は快諾してくれて、無償でこのピアノを私たちに使わせてくれることをOKしてくれたのです。続いてドラはこのことをラヴェリュンヌの村役場に伝えて、部屋とピアノともどもを使わせてくれないかと頼んでくれたのです。
ラヴェリュンヌの村役場で文化芸術を担当しているのはデビー。彼女は音楽学校が誕生した初期から数年前までずっと、現在のドラと同じようにボランティアで学校の運営をサポートしてきてくれた人。
ホールが使用可能な日を教えてくれただけでなく、その日の数日前に他のコンサートのためにこのピアノが調律がされることになるとまで教えてくれました。
こうしてすべてがそろいました。
みんなの善意で、みんなの好意で、超貧乏音楽学校の生徒たちがグランドピアノで弾くという夢のような話が現実化するのです。
すごいことになってきました。
こうなったからにはこのコンサートの運営に積極的に関わらないといけません。いつのまにやら、このコンサートの企画準備の指揮は私が務めるようになりました。
参加者の決定、プログラムの決定、練習の日程組み、当日の段取りなど、私がイニシアティブをとってやりました。
みんなの好意がうれしかったのと責任感から自然と行ったこと。
ただ、問題は一つ。
それはオペラjrの「アマール~」の本番と同じ週にこのコンサートを行うということ。つまりアマールの練習の大詰めとコンサートの準備を同時進行させないといけないということ。さらに、例のピアノトリオをこのコンサートで弾くと決めたもんだから、その練習もしないといけない。生徒がコンサートで弾く曲もちょっと背伸びさせる挑戦型の曲を選んだので、しっかりとめんどうをみないといけません。
どれも大事で一つも軽んじられない状況に陥った私は、空いてる限りの時間を使って生徒の練習をし、
晴れて過密スケジュールの新記録を作ってしまいました。
5週間休みなし。。。。。。
その話はまた今度しますが、とにかく、すべては生徒にグランドピアノで弾く機会をあげるため!
そのまぼろしのグランドピアノはこちら!





アンティーク風で素敵なピアノでしょう?

また追ってコンサートの話もお伝えします。

2010年4月11日日曜日

Piano Trio de Shostakovich

去年の秋ごろ、音楽学校の同僚でヴァイオリンの先生であるマチアスから「leonardo、僕らと一緒にショスタコヴィッチのピアノトリオをやらない?」と誘われました。同じく同僚でチェロの先生であるマリーと彼は、ある日ラジオから流れてきたこの曲を聞いて「やるっきゃない!」と思ったのだそうです。
で、ピアノは誰が?というところで、「もちろんloenardoでしょう!」、と思って声をかけてくれたのでした。
私はこの曲を知らなかったのですが、「ショスタコヴィッチの音楽のピアノパートは私にはきついだろうなあ、、、」という不安がよぎったのが事実です。
でも、室内楽というのは私が好きなジャンル。学生時代からたくさんの楽器の伴奏をして、コンチェルトやソナタのピアノパートは弾いてきましたが、本当の意味で対等に室内楽を楽しめたのは、モンペリエのコンセルヴァトワールの室内楽科に登録した2年間だけでした。しかも、当時の私が大学での授業や仕事に追われて忙しくしてたために、大規模な編成のグループには参加できず、チェロ、バスーン、そしてフルートとのそれぞれドゥオとして組ませてもらったので、ピアノトリオやピアノカルテットに本当に取り組んだことはなかったのです。

そこへヴァイオリニストとチェリストからのお誘い。
そりゃ、「OK!」と返事して当然です。

「せっかくやるからには、音楽学校のコンサートかなにかで演奏する機会を作ろうね!」と言って楽譜を受け取りました。




早速CDを聞いたり、ちょろっと弾いてみたりしてました。かっこいい曲なのですが、正直言って自分が弾くにはどうもピンと来ていませんでした。

これが去年の秋のお話。

それから12月に入って、とある日の夜。仕事が終わってから留守録を聞くと、マリーから「今、マチアスと二人で譜読みしてたんだけど、ピアノと一緒だとどうなるかな?と思って、leonardoがもし時間あったら一緒に譜読みしたいなと思ったの。連絡ちょうだい!」とのこと。残念ながらその時はもう23時で、「ごめんね~。」しか言えなかったわけですが、その後私が日本に帰省したりしたもんだから、年は変わって2010年1月。

仕事で忙しくしてて譜読みすらろくにしないまま2月。

でも音楽学校の4月のコンサートで弾くことにしようということは決定したので、そろそろ練習せんとだめでしょう、、、という気になったのが2月のバカンス明け。

で、いざ3人で練習しようと思っても、3人ともそれぞれいろんなところでの仕事をかけもちでしてるもんだから、なかなか予定が合いません。やっとのことで見つけた時間が3月18日の木曜日の21時から。
音楽学校でのコンサートは4月10日に決まったので、1か月切ってるわけです。

1回目の練習の約束を決めてから、3人それぞれ個人練習をドタバタとしたのでしょう。
この木曜日の夜、各自仕事を終えてから、St.Georges の教室に集合しました。

「じゃあ、やってみる?!」てな感じで、第一回。

ショスタコヴィッチのピアノトリオ第一番 作品8。
13分くらいの単一楽章からなる作品です。
まさにロシア色。でも激しい部分あり、空中を浮遊するような部分あり、スコットランド音楽みたいな部分ありで、いろんなキャラクターが一曲の中におさまっていて、とっても充実した音楽です。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれのパートに、強烈に激しく16分音符が不規則に並ぶ音型のパッセージがあるんですけど、3人が3人ともうまく弾けなくって「ギャー!」とか叫びながら格闘。

周囲には民家が並び、防音もなにもない古い家の一室にある教室での夜間練習。
激しい音楽がご近所さんにはまる聞こえだったことでしょう。

「弾けないよ~!」というところは一杯あるものの、楽しくって気がついたら23時過ぎ。

そんな感じで第一回目の合わせは「、、、というわけで、各自練習しましょう。。。」という感じだったわけですが、反省よりも不安よりも、「この曲カッコイイ!!」という思いが断然もりあがってきたのです。

仕事ですっかりオペラや合唱団との演奏の専門の道に傾いていた私にとっては、久しぶりの室内楽。久しぶりの器楽奏者とのアンサンブル。そして久しぶりの純音楽です。
マチアスは、ヴァイオリンを教える傍ら、録音スタジオをかまえて忙しくしてる人。マリーはチェロを教える傍ら、ロック歌手のグループのバックでチェロを演奏したり、ハープとフルートとのグループを結成しえて演奏活動をしています。そんな彼らにとっても、久しぶりの室内楽、久しぶりのクラシック音楽、そしてピアノと演奏するのも久しぶりのことだったのです。

そのため3人ともすっかりうれしくなってしまいました。やる気満々になってしまいました。
お互いに忙しいわけですが、一週間に一回の練習を設定して、4月10日のコンサートに向かってきました。

この時期、私はめちゃくちゃ忙しかったわけですが、さらにピアノトリオのこの練習が加わったために、この上なく忙しくなってしまってたんです。
でも、その気になれば練習時間とかはとれるんだ、ということに気がついた私。
これまでもピアノトリオとかやりたい!って思ってたんですが、「時間がなくって、、、」と言う理由で重い腰を上げずにいた私。
でも、オペラのプロダクションの時期に入って毎日6時間練習に参加してても、朝から夜遅くまでピアノのレッスンに走りまわってても、ちょこっとの個人練習と週一回の合同練習ができたわけです。

コンサートで人前で弾くわけだからそれなりの形にしないと、、というのはもちろんありましたが、ギャラも何もないボランティア的な自発的行為。それでも3人で練習を重ねたのは、純粋に楽しいから、うれしいから。
こんなことってもしかして初めて?

改めて考えると、今の私の仕事は、もっぱら指揮者のもとでのピアノ演奏がメインです。
その指揮者の求める音楽に応えてなんぼ、指揮者のテンポに合わせてなんぼの職業です。そこでは私は自分なりに音楽を感じて表現して、それが指揮者の描くものとぴったり合えば喜んでもらえる、評価してもらえる、というところもあります。が、「私はこう感じるけどどう?」的な私からの提案はありません。

一方、以前の私がしてたのはヴァイオリンやクラリネットなどの器楽奏者のピアノ伴奏。お互いの呼吸が合うように聴きあって、フィーリングを感じあって練習をし、演奏してきたわけですが、どの場面も、試験やオーディションのために頼まれてしていたこと。

これまでに何度かだけは、お互いに好きな曲をドゥオやトリオでトライみたいなこともしましたが、その時は初見大会みたいに楽しんだだけでした。

だから、好きで楽しくて、しかも練習を重ねるというのは、実はこれが初めてのことなのかもしれないんです。
お互い聴きあって呼吸を合わせていく。テンポのことなんかは意見を出し合って決める。
これが対等に作り上げる音楽ってやつですね。

ショスタコヴィッチのピアノトリオ第一番。
聴けば聴くほど味がわかってきて、どんどん好きになりました。
技術的には「なんでこんな音型にしたんだ~!?」と叫びたくなる難しい個所がいくつもありますが、音楽的には自然と形が作れていく。

ほんとかっこよくてドラマチックできれいな部分もある素敵な曲です。

しかも、後になってわかった衝撃の事実。

ショスタコヴィッチは17歳でこの曲を作曲したんです!

どういう人間がこういう音楽を17歳で書けるのか?!

音楽の才能に関しても、感情の表現の仕方にしたって、普通、17歳がこんなことできるか?!

戦争の恐怖がはびこる社会情勢が生み出すものなのか、それとも誰かに激しく恋してる17歳がこういうものを生み出すのか、はたまた単に天才なのか。

皆さんもぜひ聞いてみたください。

4月10日のコンサートの様子はまた後日お伝えしますが、只今leonardoは室内楽モードに入ってますという報告でした。

今後、このまま室内楽熱がフィーバーしていく予感大です。