2010年3月31日水曜日

Amahl and the Night Visitors アマールと夜の訪問者たち

私が最近めちゃくちゃ忙しくしてる理由の一つが、来週公演本番を迎えるオペラ「アマールと夜の訪問者たち」の練習。私はこのプロダクションでコレペティを務めています。3月20日からは金曜日を除き毎日6時間の舞台稽古を重ねてきました。

そして昨夜、オーケストラとの練習開始を前にした最後のピアノリハーサルであるGénérale piano が行われ、私の大事な任務も半ば完了。ということで、ちょっと一息ついてるわけです。

このオペラ、原題は英語で「Amahl and the night visitors」で、フランス語タイトルは「Amahl et les visitors du soir」です。

片足が不自由な貧しい羊飼いの少年アマールが主人公です。明るく夢見がちな彼には作り話をするという悪い癖があります。ある日、キリスト誕生のエピソードで有名な東方の三賢者が現れて、「外に3人の王様がいるよ!」と言うアマールに、「もう作り話はいい加減にしなさい!」と怒る母親。けれども実際に3人の姿を目にし彼女は驚きます。賢者たちは「神の子の誕生を告げる星を追ってここまできた。」と言い、「まだ旅は続くのだけれども一晩だけ休ませてくれないか。」と頼むので、アマールの母親は「貧しくて何もない我が家ですが、、、。」と家に通す。そこへ羊飼いたちが賢者たちにお供え物を持って集まってきます。おもてなしの宴も終わり、皆が疲れて寝静まったころ、三賢者がもつ金銀財宝の山をじっとみつめる母親。神の子への贈り物である宝の山ですが、「この貧しさから抜け出せるのなら。ほんのちょっとぐらい、、、」と金貨に手をのばしたところ、賢者の付き人に見つかります。そこへ母親をかばいにくるアマール、許しを乞う母親、神の子は宝など必要としないからもっていきなさいと言う賢者。「私たちも待ち望んでいた神の子に何か贈るものすらない、、、。」と嘆く母親。そこへアマールが「僕の松葉づえを贈ろうよ!」と言った瞬間、奇跡が起こる、、、、。というのがあらすじです。

当初、フランス語上演をするか原語上演にするか議論されたんですけど、歌詞のフランス語訳がいまいちだったことが決め手となり、私たちは英語上演の翻訳字幕付きで公演を行うことにしました。

この作品はイタリア出身でありアメリカで生活をした作曲家ジャン=カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti 1911-2007)が1951年に作曲した全一幕のオペラです。台本も彼が書いています。テレビ放送のために作られた作品で、今日、アメリカではクリスマスシーズンの定番オペラとして親しまれています。その作品を春真っ盛りの4月にするので、私の英会話の先生でアメリカ人のヴィッキーは「なんて季節はずれなことするの?!」と大笑いしてました。

さて、この音楽、簡単に言ってしまえばクラシックだけどクラシック過ぎない音楽とでもいいますか、とても耳に心地よい音楽で私は大好きです。メロディアスな部分とちょっとオリエンタルな音色もあって聴く者を飽きさせません。いつも同じ曲ばかり練習するというのはうんざりしてきて当然のことですが、私は飽きることなく毎回喜びをもって弾いてましたからうれしいことです。

このオペラの演奏時間は約50分。この作品をモンペリエ・オペラ座がオペラjrとの共同制作で公演するのです。日程は4月6日の火曜日、7日の水曜日、そして9日の金曜日の三公演。本番での伴奏はモンペリエ・オーケストラ。指揮はジェローム・ピウモン氏(Jérôme Pillement)です。実はこの彼、昨年秋にオペラjrの新ディレクターに就任した人です。これまでにフランス各地はもちろん、西ヨーロッパや北アフリカ、中国なんかで指揮を振ってる指揮者さんです。私は去年の6月、野外公演のオペラのコレペティの代役ピンチヒッターで呼ばれたときに、一緒に仕事をさせてもらったことがあります。

この舞台がオペラjrの今年度の超目玉作品の一つではあるのですが、参加するのはこのプロジェクトのためにだけ一般募集された若者15人のグループと、オペラjrの中心グループであるGroupe Vocal(26人) による合同メンバー。一般募集のグループはAtelier de création と呼ばれ、審査・オーディション一切なしで集まった15人。歌経験、舞台経験ゼロの初心者集団です。

この作品では主人公のアマールとその母親、そして東方の三賢者とその使いがソリストとして登場します。合唱は羊飼いたち。作品中4分ほどの踊りのシーンがあって、普通は歌う羊飼いたちと踊る羊飼いたちはそれぞれ、歌手とダンサーが務めますが、オペラjrではすべて自らする!ソリストに選ばれた子たちを除いたメンバー全員が、歌いあり踊りありの舞台に挑むのです。合唱パートは4曲しかないとはいえ、ほとんどがアカペラ。正直難しいです。

Atelier de création の彼らとは9月から週に一回と月に一回の集中練習を重ねてきましたが、初心者相手と言うのはやっぱり勝手が違いますね。発声の仕方、身のこなし方からなにからなにまで何も知らない、そこら辺にいるごく普通の子たちであるその彼らに与えられるのがあまりに大きな舞台なので、こちらもどうしたって要求過多になってしまいますもん。

一方、Groupe Vocal の子たちはもともとオーディションを通って入会しているうえ、オペラjrのメンバーになってすでに数年が経ってる子たちがほとんど。例のテレビ出演経験にしろ、とにかくもう舞台に慣れています。そして何より歌うのが好き、踊るのも好き、演じるのが好き!というこたちばかり。彼らは9月からいろいろなプロジェクトを抱えながらの参加なので、はっきり言って「アマール」のためにしてきた練習はほんのわずか。月一回の集中練習と2月末の一週間の集中練習のみでした。

このようにレベルの差が大きい2つのグループですが、うまいこと融合して、経験豊富なGroupe Vocalのメンバーが初心者グループを上手にサポートして共に 舞台作りに励んでいます。

この若者たちをとりまく私たちスタッフについてもまたいずれお話したいのですが、まずは演出家だけでもご紹介しておきたいと思います。まだ30代後半の若い俳優さん、リシャール・ミトゥ氏(Richard Mitou)が演出を務めます。彼は昨年このブログでもとりあげた現代オペラ「Affaire étrangère」で演出を務めた人。リアリズムを重視する面とファンタジーいっぱいの面をうまく融合させるスタイルをもった人だな~、というのが私の個人的感想。舞台にそそぐ情熱あふれる彼の演出は素敵です。彼が集めた仲間が衣装と照明美術を担当し、舞台美術はモンペリエ音楽界の王様クリング氏の息子殿が務めます。(本人はこう呼ばれるのが嫌だろうけど、、、。)ここにダンスの振付師も加わり、オペラjrの合唱指導のヴァレリー、私がコレペティで参加し、残りの音声、照明、メイク、小道具、大道具etc のスタッフはモンペリエ・オペラ座のチームです。

例年、オペラjrとモンペリエ・オペラ座の共同制作はバカンス中に舞台稽古をするようにスケジュールを組み、バカンス明けに本番を迎えるというのが定番だったのですが、今回はモンペリエ・オーケストラとのスケジュール調整のため、バカンス前に本番ということになってしまいました。何が問題かと言うと、参加する子供や若者は学校が普通にある時期に連日練習が入ってしまうということです。3月20日から最後の公演が4月9日ですからその間のほぼ3週間、午前中は学校に行き、午後は学校を欠席して午後から練習、宿題をこなしつつも夜も練習で家に帰るのは23時というスケジュール。しかも土日も練習。この三週間で休みは金曜日が一回、本番初日前の日曜日と祝日、そして最終公演日前日の一日だけ。ほんとにフル回転です。

そのために私たちの心配は彼らの疲労。プロとは違って、歌うということの加減の仕方をまだ身につけていない彼らですから、下手に繰り返し歌って声が潰れてはもともこもない。そして集中力の使い過ぎによる疲労だってあります。

音楽面でこなすべきこと、要求されることに加え、演出面で要求されることの情報量は膨大です。プロのオペラ歌手にとっても大変なことですからね。

そして一番の敵は緊張と不安からくるストレス。ソリストであっても、合唱のメンバーであっても、やっぱりこんな舞台にたつというのは非日常のことですから、いくら「歌が大好き!」と言う子でも、内にたまって増大していくストレスはちょっとやそっとじゃありません。毎年こういう目玉プロジェクトでは、毎回のことながら必ず何人かはある日突然たまってたものが爆発して涙をみせます。そこらへんもうまいことサポートしながら誘導していくのが、私たち大人でありプロのスタッフの大事な役目の一つでもあります。

今回の舞台ではアマール役と母親役が二人ずつ選ばれ、それぞれのペアによるダブルキャストで公演を行います。公開ゲネプロと公演一夜を務めるペアと、学校相手の教育的コンサートの枠組みで行われる公演と最終日を務めるペアにわりあてられました。

アマール役を務めるのはオペラjrの児童合唱グループle Choeur d'enfants のメンバーである14歳の男の子Vと15歳の女の子L。母親役はle Groupe Vocal から去年ディドンとエネでも準主役のベリンダ役を務めた16歳のNとディドンの代役を務めた20歳のB。

このダブルキャストの選択のために、練習時間は半分に目減りしたようなもの。限られた練習スケジュールの中で、どちらのペアにも十分な時間を与えないとだめですからね。

このダブルキャストのために、昨日のジェネラルピアノも2回行ったんです。ジェネラルピアノというのは、本番直前にやってくるオーケストラとの練習開始を前にしたピアノリハーサルの最終段階であると同時に、衣装とメイクも含め、すべてを本番通りに通すという意味で、スタッフにとっては重要なリハーサル。衣装やメイクの準備にかかるタイムスケジュールの調整はもちろん、舞台照明に対して衣装やメイクのバランスなど、細かいところまでチェックが入れられます。

実は私、昨日当日まで通しを二回するとは知らされていませんでした。このオペラの上演時間が50分弱というのは幸いでしたが、それでも50分の本番を休憩挟んだだけで二回通すというのは集中力の面でかなり疲れるものです。私なんて20時から一度通しをして練習終了予定時間の23時より大幅に早く終わって家に帰れるぞ^^、だなんてとんでもない見込み違いをしていたもんですから、19時ごろに2回ぶっつづけの事実を聞かされ「ええ~~~==聞いてないよ~~~!」と騒いだもんです。

このところのたまってる疲労のせいで腕はパンパン、まるで丸太ん棒のようで悲鳴をあげていましたが、好きな曲というのが救いともなり、なんとか任務遂行できました。リハーサルの最後にはスタッフ全員から拍手と歓声をもらいました。私は「どーもー」なんて日本語で返してました。

翌日からはオーケストラが登場しますから、音楽面ではまたガラッと状況がかわります。オーケストラとの練習は2日間で行われたのち、プレ・ジェネラル(いわゆるゲネプロの全段階)とジェネラル(日本ではドイツ流にゲネプロと呼ばれる最終通しリハーサル)が一日ずつあります。まずは一刻も早く歌い手がオーケストラの音に慣れないといけません。ピアノ伴奏で練習してる間、使ってるのはオーケストラの楽譜をピアノ用にアレンジされたものにすぎませんから、やっぱり音としてはだいぶ変わってきます。

私もコレペティとして練習ピアニストの任務は完了したわけですが、ここからはホールの客席から音量のバランス、テンポのバランスなどのチェックをしていくのが私の役目でもあります。そのためみんなとは最後まで一緒。

今回の舞台、去年の「ディドンとエネ」とは全く違うスタイルですが、私は演出も衣装も照明も好きです。

特には演出は演出家の個人的解釈、意見がとりこまれていて、アメリカでクリスマスの定番として知られるこのオペラに新しい一面を与えています。そもそもはキリスト教色の強いストーリーですからね。私がインターネット上で見る限り、アメリカでの公演も日本で行われた公演も、どれをみてもなんだかクリスマスのキリストにまつわる舞台劇みたいな感じで、どうもピンときません。でも私たちの演出家リシャールは普通の人々の「貧しい生活」に焦点を置き、東方の三賢者も実は三賢者の御一行を名乗って詐欺・ペテン行動をしながら旅を続ける一行に設定しています。そして最後の奇跡の場面も、「奇跡なんて存在しない。」という超リアリズムの主張をしています。ここら辺が聴衆にはどれくらい伝わるのか、、、というあたりが見ものでもあります。

オペラjrのメンバーもこれまでよく練習重ね、それぞれが進歩してきました。あとはさっきも書いたように緊張やストレスにどう対処していくか。たとえばアマール役の14歳のVは、一週間前ぐらいがとてもよかった。声ものびてたし自然な子供らしい声でとっても素敵でした。でも昨日、今日は疲れもたまってて、ちょっといまいち。これからどうもちなおしていくか。

プロじゃないだけに、その日その日で出来具合が違う彼ら。関係者としてはスリリングな状況ですが、練習成果を発揮してくれることだけを祈ってます。

子供からお年寄りまで楽しめるスペクタクルになることは間違いないと思います。モンペリエ周辺にお住まいの方、どうぞ聴きに来てくださいな。

チケット情報はこちら http://www.opera-montpellier.com/francais/rep_amahl.html

それではまた後日追って舞台風景などをお伝えします。

2010年3月26日金曜日

お花見 in montpellier

この季節になると、日本のサイトで「特集 お花見!」とかいうのを見るたびに日本の四季が恋しくなってしまう私ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

例年に比べて一段と寒さが厳しく、雨の日もとても多かった今年の冬ですが、2週間前の大雪が最後の締めくくりだったようで、ここ一週間で気温が上がり始め、今日は気持ちのいい快晴となりました。



これこそモンペリエの空の色!
ついに春到来ですね!

このブログもちょっぴり間があいてしまいましたが、実はハードスケジュールのためにへたれ気味な私。

近頃になって、結局27日間ノンストップで仕事をするというのがノーマルなことになってしまっていることに気がつきました。とにかく今年度のスケジュール調整は失敗したようです。フランスでは春先から6月の年度末、シーズン末に向けて、どこもかしこも行事の目白押し。そのため私も只今また超ハードスケジュールと格闘中で、正直疲れています。。。

そんな中、友人に誘われて、先週、平日の昼間に息抜きがてらお花見に行ってきました。
場所は、昨年お花がいっぱいの公園として紹介したメリック公園(Méric)。
前の時とは時期が違うので見れるお花は一緒ではありませんが、この日の私たちの目的はこの花。



桜のようでしょう?

実は、私がモンペリエに来て初めて迎えた春、街のあちらこちらでみかけるこの木を見て、「あれ~、意外と日本の桜ってフランスでも見れるんだ~。」と驚きつつも喜んでいたものです。
しかし、数年たってからこれは桜の木ではないということが発覚。
フランス人に「これはアーモンドの木だよ。」と言われて初めて知ったのです。

でもたとえ私が植物にうといとしても、とても似てるでしょう?

この日のお花見さんぽでもこんな立派な木を見つけました。


こうなると本当に日本のお花見。
ついつい「この木の下でシートひいてお弁当とビールで楽しんじゃう?!」という気になっちゃいます。
フランス人はそんなことは思いつかないんでしょうかね。
ま、「昼間っから花一面の木の下でお酒」っていう発想が、アジア人固有の発想なんでしょうね。

この公園はモンペリエ市の端っこにあるのですが、となりの街カステルノーとの境には川がながれ、公園の裏手はお散歩やジョギングコースとして市民に愛されているエリアです。
前々から話には聞いていたのですが、私がこの川沿いまで行くのはこの日が初めて!



仕事の合間をぬっての短いお散歩でしたが、太陽の光と花の香りと水の音によって、心に栄養をもらったのを感じました。
もともと「モンペリエは年中穏やかな気候で快晴ばかり。」と聞いていたのに、今年の冬の気候はまるでよその国みたいでしたからね。
仕事ばっかりしてないで、たまにはこうして心身のリフレッシュと心の栄養補充にでかけないとな、と思ったお花見散歩でした。

2010年3月13日土曜日

コスモポリタンな夜

先週行われた、イギリスの若手指揮者ベンジャミン・エリンくんのコンサートの後のこと。

ロシア・東ヨーロッパの現代曲ばかりの難しいプログラムにも関わらず、CORUMの中型ホールSalle pasteur は満席。お客さんは熱心に聴き入り、ベンジャミンとミュージシャンに熱烈な拍手を送り、コンサートは大成功に終わりました。

たった二日の練習でよくこんなプログラムをこなしたな~。聞いてるだけでどんだけの集中力とエネルギーが消耗されたかよくわかったわ。。。と思いながら、指揮者さんの楽屋を訪ねました。ミュージシャンや関係者が祝福やお別れの言葉をかけあって、さらには熱心な音楽ファンがサインを求めに来ていたりして、いつもどおりの舞台裏の風景。

そこにはこの日、自分の作品が演奏されるためにサンクトペテルブルクからかけつけたロシア人作曲家アレクサンダー・ラドヴィロビッチ氏(Alexander RADVILOVICH)もいて、ベンジャミンと熱心に話ていました。

ベンジャミンと先日会ったときに、コンサート後にもしかしてオフィシアルなカクテルパーティーがモンペリエ・オーケストラから準備されてるかもしれないから、私はそのあとで合流して一緒に食べに行くか飲みに行こうという話にはなってました。が、意外と主催者は淡白で、この日はカクテルパーティーも何もなし。

一方、この日演奏した弦楽オーケストラ「Orchestre de catalogne」のメンバーは、彼らの間ですでに打ち上げの段取りを決めていました。

そこへ指揮者ベンジャミンと作曲家ラドヴィロヴィッチ氏は自然な流れで「よかったら一緒にどうぞ!」と声をかけられました。これはさすがに私は全くの部外者だし、ここでさよならしようか、、、と思ったところへ、「leonardo も一緒に!」とベンジャミンが一声入れてくれて、「え~?!お邪魔になってもいけないし、、、」と私がびっくりしていると、オーケストラの代表者さんは、「とんでもない、どうぞどうぞ。」と迎え入れてくれました。

そんなわけで、なんちゃってleonardo は指揮者さんの友人ということで、この日のコンサート打ち上げにまぜてもらったのでした。

言われた場所はコメディー広場近くのレストラン。

ベンジャミンの宿に荷物を置きに寄ってからレストランに向かって、他のみなさんと合流。

私は誰一人知らないしツテもつながりもないわけだから、最初はちょっとウロウロ、控えめにしながらどこに座ったらいいのやら、、、と落ち着かずにいました。

すると、オーケストラの代表者さんが、誰がどこに座るべきかを考えて私たちを誘導してくれました。やっぱり指揮者が真ん中、作曲家さんと指揮者の友人(私)がその両となり、そしてオーケストラの代表者さん二人がその向かいに座り、周りをミュージシャンが固めるといった感じ。

ここからがおもしろかったんです。なんで座る席を考えないといけなかったかというと、この日そろったメンバーがかなりの多国籍集団だったからなんです。

まず、このOrchestre de Catalogne というのは、フランスとスペインの国境のカタルーニャ地方に根差して音楽活動をする目的で誕生しているだけあって、メンバーはフランス人とスペイン人がメイン。中にフランス語を全くしゃべらない人が二人いました。

ここへイギリス人である指揮者ベンジャミンが加わります。今やあちこち飛び回って活躍してるだけあって、フランス語、ドイツ語、ロシア語の基礎的会話はもうできちゃいます。

作曲家のラドヴィロヴィッチ氏はサンクトペテルブルク在住で、ロシア語とドイツ語がしゃべれる。英語はほんの少々。                                                                               

オーケストラのメンバーのほとんどは25歳から35歳くらいの若手で、リヨン国立高等音楽院の卒業者が多いとのことでした。そんな中に一人だけ年配(60歳近い)のロシア人がいました。彼は数年前からスペインに住んでいるので、ロシア語とスペイン語がしゃべれる。でも英語は全くダメだと。もう一人、フランス語がしゃべれないというのは私の年くらいの男の子。東ヨーロッパ出身のようですが、英語、スペイン語、ドイツ語やら数ヶ国語がペラペラなのに、フランス語だけはゼロだそうです。

そして私は日本語!とフランス語とあやしい英語。

オーケストラの芸術監督を務めるB氏は英語が得意ではない様。代わりにオーケストラの理事長を務めるCさんは英語とスペイン語ができる。彼女は「自分の英語に磨きをかけるために英語でしゃべってもいいかしら?」とベンジャミンに聞くほど。

こんな顔ぶれがちゃんとコミュニケーションとれるようにと、という配慮から、座る席を前もって考えたのでした。

私の右側にはロシア語ができるというヴィオラ奏者が座りました。なぜかというと、その向かいにはロシア語とスペイン語しかしゃべらないムッシューがいるから。作曲家さんと彼、ロシア人同士がしゃべる分にはいいけれど、他の人としゃべるには、誰かがスペイン語で通訳しないとコミュニケーションがとれません。

そんなこんなで一つのテーブルの上で数ヶ国語が飛び交う状況になったのです。

私にとってロシア語というのは全くの未知の世界。私のとなりのヴィオアラ奏者はまだ若いのに上手にロシア語をしゃべる。すっかりインパクトを受けた私は「どこでロシア語を身につけたの?」と聞きました。そしたら彼の奥さんがアルメニア人で、「アルメニアではロシア語がほぼ共通語のように使われているから、どうせならと思ってロシア語を勉強したんだ。」と説明してくれました。

すると本人がアルメニア人だという女の子もいました。アルメニアという国自体私には未知の世界。その子と日本人の私はフランス語で会話をする。

ベンジャミンはかなり進歩してきたフランス語でがんばってしゃべりますが、ミュージシャンの中にはとっても英語が上手な人たちもいます。そんな彼らは英語で会話します。そんな姿を見ているとまだまだ外国人英語のレベル「中の下」の私は情けなさを痛感。でもいい刺激を受けました。

自分自身おしゃべりしつつ、またみんなのおしゃべりややりとりを眺めながら、なんだかうれしくなるひと時でした。というのも、この日のメンバーは年齢も25歳の若い子から30代後半までをメインにしつつ、45歳くらいのCさん、50代後半なのがB氏とロシア人二人と幅があって、国籍も言葉も年齢も違う人たちが「音楽」というものだけをつながりにこうして出会ったりするんだな~というのがとっても素敵なことに思えたからです。

また私にとったら、モンペリエ出身でモンペリエで勉強を終え、そのままモンペリエで仕事をしている人たちとは違って、フランスではパリとならんで音楽部門最高峰であるリヨンの国立高等音楽院を出た優秀で若いミュージシャンの一同とこうして接する機会をもてたのはよかったです。みんな競争をくぐりぬけてきたというのを感じさせる面もあるし、ごくごく普通の人たちという面もあるしで、普段こうして大勢と一度に接する機会がないような人達でしたからね。

作曲家のラドヴィロヴィッチさんと私は英語で会話。彼も国も違い年も離れたミュージシャンとの思いがけない交流を心から楽しんでいるようでした。

私自身、もっと年を重ねたときに、自分よりも20歳若い人たちとどういう風に接するんだろう、、、と想像してみたり。

この日の私なんて全くの部外者だったにも関わらず、みなさん優しくフレンドリーな人たちで、私がピアノ弾きということをきっかけにおしゃべりは広がりました。しかも、私が今回のコンサートでチェレスタ奏者として共演していたかもしれないのに!ということにはみんなが「え~!なんでそう決まらなかったんだろう!」と残念がってくれました。

オペラjrのことなんかはほとんどの人が知ってたし、CさんとB氏に至っては、去年、オペラjrの女の子たちだけでペルゴレージの「スタバトマーテル」のコンサートをペルピニャンの近くでしたときの、そのコンサートの主催者が彼らだったということが判明。それなら話は早い。

さらに私が「いつのまにかモンペリエではオペラの世界に入り込んでオペラの方向に専門化しかかってて、それはそれでいいことだけど、器楽奏者と演奏する機会がほとんどないのが残念だったりもする、、、」とか言うと、「いつか共演できるといいね!」と言って名刺をくださったり。

予定外の飛び入りをした私ですが、いつの間にやら自然と楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

さらには食事の支払いのときになると、Cさんが指揮者のベンジャミンと作曲家さんと私の分をごちそうご招待してくれたんです。ベンジャミンたちにはまだ自然な流れとは言え、私は完全なétranger (外国人+見知らぬ人)だったのですからこれには私も恐縮しまくり。私ときたら、レストランに向かうときは「お昼もレストラんでしっかり食べちゃったからお腹がすいてないんだ~。何か軽いものだけ、、、。」とか言ってたくせに、行った店が牛肉をメインとするレストランだったことから、しっかりお肉料理を食べ、さらにはデザートまで食べていたのですから。

ほんとありがとうございました!

メンバーの中には、この日のうちに車でリヨンに帰る人などもいて、食事をせずにアペリティフだけ飲んでさよならする人、食事してからさよならする人などがいました。いずれにせよ、モンペリエ在住は私だけであって、この日のメンバー全員が翌日にはそれぞれ自分の住む街に帰っていくのです。

コンサート終了後の打ち上げ+名残惜しさもあってか、残ったメンバーはレストランを出てカフェに移動。一杯、2杯飲みながらおしゃべりは尽きず、結局カフェの閉店をもってお開きとなりました。

翌日ロンドンに帰るベンジャミン、翌日サンクトペテルブルクに帰る作曲家、翌日バルセロナに帰るロシア人、翌日ぺルピニャンに帰るCさんとB氏。そしてリヨン、パリへとそれぞれ帰っていくミュージシャンたち。

私一人がモンペリエに残るのです。

私はいつものように歩いて家に帰り、翌日からまたいつもの活動をモンペリエでするわけですが、そんな私が動かずともこうして一つ、また一つと出会いが訪れる。

「一期一会」という日本の名言を思ったコスモポリタンな夜でした。

2010年3月10日水曜日

逃してしまったチェレスタデビュー!

今から3週間前のこと。

オペラjrで一日中、4月頭に公演予定のメノッティのオペラ「アマルと夜の訪問者たち」(Amahl and the nignt visitors)に向けての集中練習に参加していた私は、18時に仕事が終わってから携帯電話の電源を入れました。
するとそこにはモンペリエ・オーケストラのマネージャーさんからの留守録メッセージが残っていました。
留守録の時刻は14時。

彼は「3月頭のコンサートでチェレスタ奏者が必要なんですが、あなた興味ありますか?招待ということで我々がお迎えするカタルーニャ・オーケストラの演奏なんですが、チェレスタのパッセージがあるんです。興味あったらどうぞ至急お電話ください。詳しい説明をしますから。」と言って、携帯電話の番号まで残してくれてました。

みなさんはチェレスタって何か知ってますか?
見た目は小さなアップライトピアノもしくはオルガンみたいな形をしている鍵盤楽器なんですが、オルゴールのような音がする楽器です。たまにオーケストラの作品で使用される楽器。
私はもちろん!今までに弾いたことがありません。(笑)
これは初めてチェレスタを弾く機会=コンサートで弾く機会=オーケストラに混ざって弾く機会!

これはまた大きな話がきたもんです。

それにしても3月頭のカタルーニャ・オーケストラのコンサートって何か聞き覚えが、、、、。

そうです。イギリス人指揮者ベンジャミンくんが指揮するコンサートではないですか。

去年のラジオフランスのフェスティバルに続いて、彼にとって二回目のモンペリエでのコンサートに関わる仕事の話がくるというのも何かのご縁。

このメッセージを聞いたとき、私は仕事を終えて仲間とカフェで一杯飲んでいました。
すかさず自分のスケジュールを確認すると、3月頭は連日オペラjrとの仕事が入ってる。
でも、チェレスタを演奏する機会!オーケストラに入って演奏する機会!しかもあのベンジャミンのコンサート。はっきり言ってやるべき理由がそろってる。
そこで、目の前にいたヴァレリーにお伺いをたてました。

「あのね、3月頭の金曜日、土曜日あたり、ちょっと不参加さえてもらってもいい?」

するとヴァレリーは、「え、leonardo どこ行くの?どっか行くの?」と尋ねられて事情を説明。

私のオペラjrとの契約内容はちょっと特殊なもの。私は一応彼らのベースとなるスケジュールには沿って参加することにはなってるんですが、同時に後から足されたり加わったりする日時がいっぱいあって、そのたびに私はオペラjrのためにスケジュールを調整する。そのため、私はちょっとお互いさまのつもりで臨時でやってみたい仕事の話が入ると、ヴァレリーたちの了解を得てからその仕事を引き受けるという方法でやってきていました。

「オーケストラでチェレスタを弾く。」という話にヴァレリーはとっても理解を示してくれて、「誰もがねらってるような仕事なんだから、やるべきよ!」とまで言ってくれました。
やっぱりそういう仕事に声をかけてもらえるということだけでもラッキーで貴重なこと。
私自身は、毎回オペラjrのスケジュールとの兼ね合いに頭を悩まし、あまりよそで仕事たくさんしてもひんしゅくを買うだろうし、、、と、臨時で仕事の話が来るたびに、ヴァレリーにお伺いするか、もう今回はやめとくか、、、と迷うものでした。
でも、この日のヴァレリーのはっきりした後押しにすっきりして、早速オーケストラのマネージャーさんの携帯に電話をしました。

この時18時半。

私が「leonardo です。さっきのメッセージ聴いて電話させてもらいました。チェレスタの話で、、、。」と言いだすと、彼は「あ~、ごめんなさい!実はね、我々すごく急いでいたものだから、次の人に電話してOKとのことだったから、もうその人に決まってしまいました。」と言う。

「え==!!ほんとですか?!もう後遅しなんですね?!ああ残念!」とついつい本音で叫んでしまいました。

すると彼は「でもね、実は正直言ってあなたに電話するか迷ったんですよ。だってあなたかなり忙しくしてるでしょう。特にオペラjrと。どんなリズムで仕事されてるんですか?」と聞かれてしまいました。「特にオペラjrは金曜日とかでしょう?我々のコンサートはたいてい金曜の夜ですからね。」と。

確かに。

最近、コンサートの譜めくりの仕事とか何度か頼まれたけど、全部「仕事で空いてません。」と返事をしてしまってました。

彼もすでによく把握してらっしゃる。。。

しかし!今回の話はスケジュール調整をする覚悟でチェレスタは弾きたかった!

そこで私は彼に説明をしました。「自分に興味のあるお話をいただいたときには、音楽学校の仕事は自分でなんとか調整しますし、オペラjrにはお伺いをたてて了承を得たらするようにしてるんです。私はフルタイムの契約というわけではないですし、たいてい彼らも理解を示してくれるし、、、。もちろんコンサートとかスペクタクルの直前とかだったら、私もお伺いすらたてませんけど。」と。

そしたら彼は「あ~、そうやって時々は身柄を自由にさせてもらえるのだったらいいですね!これからは迷わずにあなたに電話します。」と言ってくれたのです。

オペラ座のスタッフとはもう気心が知れた仲になってますが、オーケストラの事務とはまだつきあいも浅く、仕事上のやりとりが始まったばかりの関係。そんななか、今回彼にこうやって自分の状況を説明できたのはいい機会でした。

ただただ逃した話が今回はとっても残念!!
思わず指揮者ベンジャミンくんにも「ちょっと聞いてよ~~~!」とメールしてしまいました。
彼も「うそ~!なんて残念な話だ!」とびっくり。

14時のメッセージに18時半にかけなおしたのが遅すぎたんです!
ということは、今後、携帯電話を切らずにピアノの袖において仕事をするか?!

ああ。悔やまれるできごとでした。

まあ、確かに彼らがチェレスタ奏者を見つけるのに急いでいたというのももっとも。コンサートまで2週間ちょっとだったわけですから。

今回のことでこういう仕事はやりたがってる人は山ほどいるという現実が改めて見え、自分の中での優先順位のつけかたにちょっと方向が見えてきました。
やっぱり人生、いつもどこでも選択をしなくてはいけないもんですよね。
あれもこれもとかかえこんでいては結局いつかはラチがあかなくなってくる。

今後の仕事の仕方、仕事の選択、スケジュールの調整方法に悩む中、自分のスタンスははっきりとさせていかないとな~と学んだのでした。

2010年3月8日月曜日

あっという間の雪景色

急激な気温の変化、気候の変化にはもう慣れっこのモンペリエですが、またも異常気象を感じさせる天気となりました。

なんと昨日から今日にかけて、南フランス一帯が大雪注意報が出るほどの雪にみまわれたのです。南仏ですよ。もう3月ですよ。異常ですよね。
しかも昨日の気候の変化は急激でした。

お休みの日曜日だった昨日、朝方帰宅をしたもんだからゆっくり寝て起きて、午後になってから友達に誘われて海辺散歩にでかけてきました。
時々雲に隠れるとは言ってもモンペリエらしい青空に恵まれて、ビーチを歩きながらのおしゃべり散歩。ただ、ここ数日でまた気温が下がったうえに風が結構きつかったので、お散歩は小一時間ほどで終了。モンペリエに戻ってお茶しておしゃべりをしてました。
で、「アルプスの方は昨夜雪が降ったんだって」、とかの話題も出てたところ、ちょうどラジオで「ピレネー山脈の地方で大雪の恐れ、、、」と言ったから、「わ~、雪か~、信じられないね~。」と驚きつつ、他人事のように聞いていました。

で、自分の家に帰ったのが18時。
ちょっと風が冷たいけれど、普通の空の色をしていました。

まったりと過ごすこと数時間。
20時のニュースで、南フランスの西側一帯に大雪の恐れがあると呼びかけていました。「へ~。」と思いながらまた数時間。

そこでふと、「そういえば日曜日の夜とはいえど、今日はやたらと外が静かだな。」ということに気がつきました。
夜だけどめずらしく雨戸をあけて外の様子を見る私。

そしてびっくり。

なんとなんと完全な雪景色にと変わっていたのです。



改めてニュースをつけてみたら、モンペリエの周辺、複数の県で大雪注意報が出てるではないですか。
うん、納得。
車の屋根の雪なんかみたら13、4センチは軽く積ってます。これは私がモンペリエで生活するようになってからの最高レベルの積雪です。地面の積り方を見ても、いつものモンペリエの雪とは全然違う密度の濃い色をしてますもんね。
いや~、驚きました。
だって、つい数時間前にビーチに行って青空と太陽の下、お散歩してきたんだから。
                                                                                      
3月7日のこの雪。
どうやら春はもうちょっと先みたいです。

2010年3月7日日曜日

ベンジャミン再び!

去年の夏、ラジオフランスのフェスティバルで出会い、仕事を一緒にさせてもらった若手イギリス人指揮者ベンジャミン・エリンくん(Benjamin Ellin)が今週モンペリエにやってきました。
今週末行われる近現代音楽のコンサート・シリーズの中の土曜日のコンサートを指揮するためです。

前々から「モンペリエにまた行くよ!」と知らせてくれて互いに会えそうな時間をみてあったので、水曜日の夜に再会となりました。
お互いの近況報告から始めたわけですが、いやはや、彼の活躍ぶりには驚かされます。
去年の夏のブログにも書きましたが、彼は今日では希有な作曲家&指揮者。しかもすごいことに、そのどちらの活動においても着々にインターナショナルなデビュー+活動を広げているんです。

ざっと紹介するとして、指揮者としてはすでにイギリス各地はもちろん、ロシア、イタリア、リュクサンブール、フランスで指揮をしていて、この先北米にも進出予定。で、なんと日本デビューも決まったそうです!
群馬交響楽団との共演。その誕生秘話が映画やテレビのドキュメンタリーでとりあげられたりしたオーケストラですね。今年の9月にとっても密度の濃い曲目でのデビューです。

プログラムの案内のサイトはこちら
http://www.gunkyo.com/cteiki.php?NE=2010

日本の演奏家、そして音楽ファンにどう受け止められるのか。楽しみですね。

そんなふうにあちこち飛び回る活動をしながらも、ヨークシャー州にあるスレイスウェイト(Slaithwaite)の演奏団体のディレクターもしていて、定期演奏会などの指揮をしています。

かたや、作曲家としての彼の活動はさらにめざましいものがあります。
すでにあちこちから作品の委嘱をされていますが、去年、世界的に有名なアメリカのバーロー賞を勝ち取ったことで、ニューヨーク・フィルハーモニーの首席トロンボーン奏者のための作品を作曲して、それが来年4月ニューヨークで初演されることが決まっています。他の作品のカナダでの初演も数ヵ月後に控えているし、この夏、フランスのとあるフェスティバルでも彼の作品が演奏される予定です。

演奏家の道以上に厳しいものがある作曲家への道。作曲家を志して本当にそれで生計をたてれるまでに至る人が実際いったい何人いるのでしょうかというこの世の中で、彼の年齢であちらこちらから委嘱を受けるというのはすごいことだと思います。

しかし、正直言って、彼とおしゃべりをしているとその実感がわきません。
私はまるでかつて仲のよかった同級生が今や立派なミュージシャンとなって再会した、みたいな感覚でおしゃべりしてしまっていますから。

しかも彼は教育者としても熱心に活動をしていて、若者やミュージシャンの卵たちに積極的に関わっていっています。
そのため大都市ロンドンにある二つの学校でディレクターを務めています。

そんな大活躍のベンジャミンを前にして、思わず聞いてみたくなってしまった私の質問。
「一体どうやって日々生活しているの?」

だってただでさえ仕事がいっぱいなのに、各地を旅行する生活で、かつ、作曲にじっくりとりくむ時間も必要なんですから。
単純かつ根本的な私の質問に彼も苦笑してましたが、ま、少しずつ選択を迫られていくということでしょう。彼のように各地から声がかけられると、どうしたって、常時常勤のポストを保つのには無理がでてきますから。
幸い、彼には優秀で心強いマネージャーがついています。パリに事務所をもつ音楽事務所で、名だたる音楽家たちを抱えるスーパー音楽事務所の一つ。音楽家と音楽マネージメントの関係は、マンガ「のだめ」でもかいまみれると思いますが、とても大事な関係です。

そのマネージャーさんのおかげもあって、ほんと、めざましい活躍のベンジャミン。
私よりも若い彼の近況報告を聞きながら、私は「わお~!」、「すご~い!」、「やったね~!」の連発。ほんと驚かされてしまいます。

ま、すべては彼のオープンマインドでポジティブな姿勢から生まれてるのでしょうが、この活躍ぶりも今回新たに知った彼のエピソードを聞いて納得。

実は彼、かの有名なイギリス皇太子チャールズ王子からのサポートを受けていました。そんなビッグスポンサーがなぜついたのか?好奇心旺盛な私はついつい質問してしまいました。「イギリスのプリンスって、あのチャールズでしょう?!」みたいに。

すると返事はこうでした。
「実は自分で彼に手紙を書いたんだ。」って。

今から数年前、彼がまだ学生だったころ。音楽の勉強を続けたくてもお金がなくて方法がみつからなかった。すでにいくつかの奨学金はもらっていたけれども、もっと勉強するには足りなかった。そこで皇太子に直接手紙を書いたんだ。「こういうことをしていますが、今後こういうことをしたい。」と。
もちろんダメでもともとと思ってたんだけど、ある日、大学に行ったら「あなたに電話が入ってますよ。」と言われて事務所に行ったら、バッキンガム宮殿からの電話だったんだ!

と思い出を語る彼。
いや~、すごい話ですよね。
親の援助を一身に受けて音楽の勉強を続ける人がいっぱいいますが、この彼の行動力。
この行動力、活動力に彼の成功の源があるんでしょうね。

でも、彼としゃべっていて、今、彼に起きていることはすでに「成功」と呼んでいいものではあるのだけれど、実際にはこれは今後のキャリアのスタートでしかない。
彼自身、こんなに忙しくなってきてしまってるけど、ありがたいことだし、今後これが続かないといけないし、さらに発展していかないといけない言っています。

私なんかはこれから先、彼が活動の場をますます広げて輝かしいキャリアを築いていってくれるよう、祈って応援するばかりです。

最後に、今回「さすがだな」と思わされたこと
それは彼の語学力。
大人数を相手にしたコミュニケーション能力については、昨年仕事で一緒させてもらったときに垣間見ていますが、数か月ぶりに会ってみて、彼のフランス語力の上達にはびっくり。たった数カ月で目を見張るものがありました。勉強するとは言っていましたが、彼の忙しい仕事のスケジュールを考えると、一体どうやって時間を見つけているのか。彼は謙虚にフランス語はまだまだダメ、イタリア語もドイツ語もロシア語も片言だけと言っていますが、今のフランス語はすでに片言の域を飛び越えています。

こうして世界を飛び回って、そのうち5、6ヶ国語はペラペラ自由自在に操るようになるんでしょうね。

指揮者には数ヶ国語を身につけることは必須でありますが、その過程を見ているとやっぱりすごい。

いやはや。
ベンジャミン、応援つづけます!

2010年3月3日水曜日

日仏比較1 : les femmes 女性

今日はひな祭りだったんですね!
なんの偶然かわかりませんが、今日はひな祭りともちょっと関係した話題です。
なんといってもひな祭りは女の子のお祭りですからね。

私がモンペリエで暮らし初めて早7年半。

今や海外で暮らす日本人は多く、国際結婚のカップルの数も急増して山ほどいる。以前は日本人が数人しかいなかったここモンペリエでも、日本人の数がここ3、4年で急増。2、3倍どころか10倍、20倍に増えた感じです。

フランスに住む日本人なんて、もうめずらしいことでもなんでもない時代。
でもやっぱり日本で生活するのとは全く違う世界だから、フランス生活経験者の多くがブログで生活をつづったり、エッセイなどの本で発表してるのをよく見かけます。
私もその例にもれずこうしてブログにできごとをつづってるわけですが、やっぱりせっかくするからには私だから経験できたこと、私だから見れたこと、わかったことを言葉にして伝えられたらな~と思ってます。
というのも、一口に「フランス生活経験あり」といっても、その実態、その中身は十人十色のピンからキリまで。例えば極端な話、語学留学でフランスに滞在したけど、直接接したのはフランス語の先生であるフランス人以外、外国人留学生仲間だけだったというパターン、フランス人と結婚してフランスで暮らすことを決めたけれど、個人的に接するのは夫(妻)とその家族だけだったというパターンなど、実際には交流の範囲、活動の範囲がすごく限られていることがほとんどです。ま、それも当然のこと。私の場合も音楽の世界、音楽教育の世界、そしてスペクタクルの舞台世界で働く人々との関わりにかたよっています。それでも私の場合、すべての行政上の事務や医療関係など、生活をするうえで必要なベースとなる物事は、誰を頼ることもなく自力で体当たりで経験してきました。だからこそ知っていることってあなどれないことが意外と多いんですよ。だって銀行関係とか保険のこと税金のこととか、ちょっと込み入った立ち入った話だけど最重要問題といえることになると、フランス人パートナーと暮らす日本人の場合、相手にまかせっきりで何にも知らないということがほとんどですから。在仏20年になる人にアドバイスを求めたくても、すでに私のほうがずっとか詳しくて頼れなかった、なんてことはしょっちゅうです。

「人生何事も、本当に知るには身をもって体験する以外ない」というのが私の信条の一つだったりします。。。

やっぱり「フランスに住む」ことと「フランス社会の中で生きる」ことは意味も内容も違うと思うんです。
これまで数年間、トラブル満載いつも崖っぷちのサバイバルゲームのような生活をしてきた私も、そのかいあってか今ではフランス人のフランス社会の中で生活をしているという自覚が芽生えてきました。せっかくなのだから、そんな生活の中で気がついたこと、気になることを時々つづっていきたいな~と思っている次第です。

そこで今日はまず、この7年半の生活のレジュメとなる一言だけ言わせてもらいたいと思います。私の独断と偏見による個人的意見にはすぎませんが、自信を持って断言できること。

それは「日本とフランスでは何が違うか?」という問いに対しての私の答え。

「それは女性 les femmes(レ ファンム)。」

日本とフランスでは文化が違って、風習が違って、メンタリティーが違って、というところから始まり、働く環境が違って、教育システムが違って、、、に至り、政治も違ってetc.。 違うところは山ほどあって、でもそれぞれが関係、作用しあっているから比較討論は簡単じゃない。
それでもその総括として言えることは「女性」が違うということ。
どこの国にいっても男と女がいるのだから、「男と女」は文化比較論の大事なキーワードだと思います。そして男女、あるいは同性にしろ、カップルが社会の一番小さな単位だったりするのだから、それぞれの社会を語るのにとっても大事なキーワード。
日本とフランスで何が違うって、「女性」というものが違います。「女性」の立場が違います。「女性」のあり方が違います。「女性」の生き方が違います。
どれだけ違うって、ほんとに違うんですってば。

このことに目を向けると、それはそれは長いお話の始まり。大討論会の幕開けです、って感じで話すことはつきません。
私もこれまでにこのテーマについて日本人が書いたエッセイなどをいくつか読みましたが、意外と奥が深いうえに、決定的なテーマでもあるんです。

文法上、女性名詞と男性名詞、あるいは女性形と男性形の違いがあるフランス語では、フランス人女性のことをles française(レ フランセーズ)といい、日本人女性のことを les japonaise (レ ジャポネーズ)といいます。

よく言われるのに、「日本人女性はフランスでもてる。」というのがありますが、これは本当だと思います。まあ、何をもってもてるというかって話もありますが、ヨーロッパの国では比較的どこでも日本人女性はもてるんでしょう。でも特にフランス人男性と日本人女性という組み合わせは、双方が必要としているものにぴったりとあてはまる要素が多いみたいで、今や日仏カップルの成立率ときたらすごいものです。フランスに長期滞在する日本人のほとんどがフランス人男性と結婚した日本人女性というのも事実です。その数、95パーセント以上と言って間違いないでしょう。方や、日本人男性とフランス人女性のカップルはすごく少ないのも事実。
この日仏カップル事情について話し出すと、「そんな決めつけても、やっぱり人それぞれでしょう。」とか「そんな紋切り型に語ろうとしたって、、、」と自分でつっこみを入れたくなるんですが、何がびっくりって、この話題に関しては明らかな傾向と典型的なパターンがあるからおもしろいんです。

そしてこの話題に入るには、それぞれの国の女性像、女性の立ち場の違いが関わってきますからね。

話し出すと長~いこのテーマ。
フランスで生活をしていると、目に留めずにはいられません。
日本との比較をせずにはいられません。
私が興味を持っている社会問題の一つです。
社会の変化、人々の考え方の流れにすごく関わっていること。
人生について、生き方について考えるなら避けては通れないテーマ。
少しずつでもいいから、時々このブログでつづっていきたいなと思います。