2010年7月31日土曜日

his own world : Fazil Say

シーズン中やフェスティバル期間を問わず、毎年モンペリエにやってくる常連アーティストというのがいるわけですが、その中にピアニストのファジル・サイ(Fazil Say)がいます。

ピアニストであり作曲家であり即興のプロでありアレンジでもなんでもこなす万能ミュージシャン。
クラシック音楽からジャズ、そして民族音楽まで、境界線を越えた独自の世界をもっている人。

私は彼の演奏は何枚かのCDを通して聞いていましたし、世界中で飛び回る人気ピアニストの一人だと認識していました。でもCDを聞いてめちゃくちゃ好きになったかというとそういうわけでもなく、これまで彼のコンサートがモンペリエであっても行く機会がないまま今年に至りました。

今年のラジオフランスのフェスティバルでは彼のソロリサイタルが組まれていて、幸い私の都合もあったから招待券をお願いして聞きに行こうかな、、、ともくろんでいたのです。

ところが、モンペリエでも大人気の彼。収容2000人のCORUMの大ホールでのソロリサイタルですが、早くも席は完売してしまっていて、招待券をゲットすることができませんでした。
それならまあしょうがないや、と思ってあきらめるのがいつもの私ですが、なぜだか今年は違いました。なぜだか彼の演奏を聞きたいと無性に思ったのです。

そこで私がとった行動とは?

舞台裏のスタッフに「今日の夜のコンサート、舞台袖で聞いてもいい?」とお伺いをたてたのです。

すると答えは「もちろんOK!」とのこと。

私はオペラの練習とか本番を舞台袖で聞くというのには慣れているのですが、オーケストラのコンサートやソリストのリサイタルを舞台袖で聞いたことはこれまでにありませんでした。
それを突然世界の大物ファジル・サイでするのですから、ちょっぴりうれしはずかしの私ははりきって出かけました。

舞台袖というのはこんな感じ。オペラでもなく、オーケストラもなしのコンサートですからいつもに比べてがら~んとしています。




「あれ?leonardo何してんの?席とれなかったの?」と数人のスタッフに声をかけられながらも、私が「邪魔じゃない?」と聞くと、「何言ってんの、ここはleonardo の家のようなもんよ。」とうれしい返事。

すっかり居心地もよくなってリサイタルの開始を待ちました。

さて、お客さんも席に落ち着き、皆がアーティストの登場を待ちかねてる会場内。
その間、舞台裏ではすべての準備が整ったところでアーティストを楽屋に呼びに行きます。
さあ、私の目の前にファジル・サイが来ました。
これまでに見てきたいろんな写真ともまた違う、なんだか独特な風貌の人です。
正直、「あれ?こんな人だったっけ?」と思ってしまいました。なんだか怪しい、なんだかパッとしない、、、といったら失礼ですがなんだか不思議な空気が周りを囲んでいる人。

会場内の照明もセットされ、いざコンサートの開始です。

ステージに出る直前の彼は何やらパワーが高まっていて、きびきびしてました。
「15分したら一回戻ってくるから。」と英語でスタッフに一言声をかけて、彼はステージに。

プログラム一曲目はブゾーニによるバッハのシャコンヌ。

パワフルな演奏です。
私はモニターを通して彼の姿を見ていました。
彼が歌いながら弾いているのが聞こえてきます。
演奏開始とともに、別世界にいってしまったかのような彼。
完全に自分の世界、自分のスタイルを持っている人です。
がっちりとした一曲目を終えると、割れんばかりの拍手を浴びながら彼が舞台袖に戻ってきました。

汗を拭いて、水を飲んで。

そんなファジル・サイが私から2メートルのところにいるわけですが、そこで彼の目が私に向かって止まりました。
一瞬私は「なんだこの部外者娘は?」とでも言われるのかと思っちゃいましたが、「なんだこの子?」と思ったような表情を見せた彼。
それもそのはず、舞台袖にはごくわずかなスタッフがいるだけで、ほとんどが男。そこにまるで普通の服装の私で,しかもアジア人の私が一人ぽつんと、でも堂々と舞台袖に座って彼を見てるのですから。。。

一瞬「?」の表情を見せたピアニストも、すぐに自分の世界に戻ったようで、再びステージへと向かっていきました。

プログラム2曲目はムソルグスキーの「展覧会の絵」。
歌いながら身体をゆらしながら彼独自の演奏がくりひろげられます。
まるでクスリかなにかでいってしまってるかのようで、別世界にいってしまっています。
でもそれは怪しい感じや危険な感じではなくて、彼の場合、目に見えるのは「楽」の感覚。聞こえてくるのは「楽」の感覚。彼が心のそこから楽しんで演奏しているのが感じられるのです。
音を楽しんでる感じです。もしかしてこれが「音楽」って感じ?!

テクニック的にすさまじいパッセージもすごい勢いとパワーで弾きまくる彼。
感傷的な部分はとことん優しくてきれいな音。
すごいコントラストです。

私はすっかり圧倒されてしまって、彼に見入ってしまっていました。

もちろん聴衆も皆圧倒されて、満席の会場は大盛り上がりでコンサートの前半が終わりました。
というか、ブゾー二のシャコンヌと展覧会の絵を続けて弾くこの人って一体。。。

さて、コンサートの第二部はもともとプログラムにも「聴衆から応募されたテーマをもとにした即興演奏」と書かれていました。

どういう風に募集されているのかな?と思っていた私ですが、何気なくロビーをぷらぷらしてたら謎が判明。
ロビー中央にテーブルがセットされていて、「ここであなたの希望のテーマをファジル・サイにリクエストできます。」と籠がおかれていたのです。

私の前にはパパと一緒に張り切ってテーマを書いている男の子。






私は即興演奏のテーマと聞くと、聴衆が舞台に上がってピアノで弾いて見せたり歌って見せたりするもんだと思い込んでたんですけど、ここは紙に書くのですね。しかも楽譜とか音符ではなくって、テーマを言葉で書くのです。だから要するに音楽のテーマ(メロディー)を提示して「これをもとに即興してください。」というのではないのです。

休憩の終わり際にスタッフがこの籠を取りに来て、舞台袖まで運んで行きました。
私もそれにくっついて自分のポジションへ。

たくさん応募されたリクエストは抽選のような形で、フェスティバルのディレクターでありパトロンであるクリング氏みずからがステージ上にでて、抽選、司会進行を務めます。

フタをあけてみれば、即興演奏のテーマというよりは「あれを弾いてほしい。」と言う感じのリクエストでした。

ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を自己流でアレンジしたのを弾いてくれ(演奏時間軽く15分くらい)、自分のオリジナル曲も弾いてくれ、「ネコ」というテーマで頼まれた即興を弾いてくれ、大サービスの演奏が続きました。

彼はピアノの弦を抑えながら鍵盤を弾くという不思議な奏法をもっていて、まるでピアノではないどこかの民族楽器のような響きがします。まさにhis own world。

彼はトルコ人なんですけど、彼の演奏を聞きながらトルコという土地を感じました。
トルコは西洋と東洋のはざまに位置して、トルコ人の風貌と言うのはヨーロッパ人でもなく、アジア人でもなければアラブ人でもない独特なものです。
土地柄、人種的にも文化的にもはっきりとした境界線がないというか、そのすべてが混ざった感じがトルコであり、トルコ文化なんでしょうね。
ファジル・サイはそれを体現してるような感じがしました。
突然「トルコに行きたい!」熱に駆られる私。

即興演奏のオンパレードの中でも一番わくわく感が高まったのは、ヨーロッパに住んでいる人ならだれもが知っているであろう、某携帯会社の着信メロディーをもとにした即興。
シューマンの小曲を何気に普通に弾きながら、とつぜん着メロが入り込んでくる。
まるでコンサートでのマナー違反である、突然なりだす携帯着信をちゃかしているかのようでした。即興はどんどん発展して、すばらしい曲に。
これにはお客さんも大喜び。

あんなすごいプログラム前半を終えてから、このサービスぶり。

会場はスタンディングオベーションで大盛り上がりです。

そこでまた彼が汗ふきに戻ってきました。

私の目の前をふら~と一周歩いて、またそのままステージへ。
この瞬間を私はカメラで捕らえました!





まるでノートルダムのせむし男のような後ろ姿でしょう?

でもこの後姿が私には強い印象を与えたんです。

音楽を楽しみきって演奏する彼。
コンサートのスケジュールはびっしりと埋まっていて、世界中の舞台に立ち、お客さんを熱狂させてきている彼。
でも、どんなに大きな舞台にだって、彼はこうして一人で出ていくわけです。
そしてまぶしくて暑いくらいのスポットを浴びているわけです。
でもそれぞれのコンサートの間はというと、この一人の孤独な時間、空間を通っているのです。

世界的アーティストの人生をふと目の当たりにした気分でした。

この彼を出迎えるのは熱狂的に興奮している聴衆。
ファジル・サイはスケールの大きい演奏とは対照的に、とってもきっちりとして堅実なお辞儀をする人です。そのコントラストもとっても印象的でした。

そしてアンコール曲の演奏。

数曲の即興演奏に続いて、まるでもう10数曲もアンコールで応えてくれてるかのようです。

そして次に戻ってきた彼は、スタッフに客席の照明をつけるように頼みました。
そうでもしないとお客さんは興奮して、いつまでも拍手をし続けますからね。

こうして大興奮の渦の中、ファジル・サイのリサイタルは終わりました。

私はすごいワクワクをもらいました。

私には個人的なこだわりがあって、誰かが作曲した曲を演奏する人のことは「演奏家」だと思っています。作曲をする人はもちろん「作曲家」。でも、自分で作曲した曲を自ら演奏したり、即興演奏したりする演奏家のことを、「音楽家」だと思っているのです。
だから、クラシックの演奏家でも、休憩中になると即興を楽しんだりする人の姿を見ると、「おお、本物の音楽家だ!」とワクワクさせてもらっているのです。

このファジル・サイ、ほんとにほんとの音楽家ですね。
ワクワクの固まりのような人。感覚が全ての人という感じがしました。

家に帰ってから日本語のサイトを検索していると、日本でももちろん人気がある人だとわかりました。しかもテレビ出演とかもして、「鬼才・天才・ファジル・サイ」とかキャッチコピーまでついてたり、挙句の果てには某女優さんとの不倫疑惑報道とかまで出てきて、「え?そんなにメジャーな人気を博している人なの?」とびっくりしちゃいました。

ともかく、そんな人の舞台袖での姿を目の前で見れた私はラッキー者です。
演奏を生でタダで聞かせてもらった私はラッキー者です。
とてもとても貴重な経験をさせてもらいました。これは貴重な体験でした。

2010年7月28日水曜日

熱中症 in Paris

ラジオフランスのフェスティバルのリポートが続いていますが、実は私、今日をもって今年度の仕事がすべて完了しました。

晴れてバカンス突入です!

フェスティバルももうすぐ終わってしまうのですが、レポートはゆっくり続けるとして、今日は7月頭のプチバカンスの時のお話。フェスティバルの仕事をし始める前にちょっぴりパリに行ってきたのです。

2009年9月から2010年6月の今年度、自分でも驚くくらいにたくさん仕事をもらってよく働き、日本に帰省した年末年始の14日間以外でお休みらしいお休みが全くありませんでした。

9月から6月までで完全オフの日が15日もなかったのですから、二日連休なんてのはありませんでした。

それが、7月頭に4連休が確保できたのです!

たいていの私なら「家でゆっくり寝てぐうたらする。」と思うところですが、気分を変えるためにどっかに行こうと思い立ち、気がついたらとある日の夜中にパリ行きを決め、インターネットで電車のチケットとホテルをおさえてしまっていました。

いつもならパリに出るときに泊めてもらう友人や連絡をとって会う友人がいるわけですが、今回は例の「アンチフランス人月間」真っ只中だったことや、本当に気分を変える必要があったために、あえて誰にも前もって連絡はいれずに、ホテルをとってパリでの休日を過ごそうと思っていたのです。

ホテルに選んだのは、パリ・リヨン駅からも遠くないバスティーユ東側エリア。



もしかしてホテルでごろごろして終わったりして?!なんて恐れもちょっとあったのですが、そんな心配はなんのその、俄然元気でパワーがあった私は、パリの街を歩き回りました。

パリのメトロはあの悪臭と空気が大嫌いなのでメトロには乗らず、もっぱら歩きで、どうしても時間を稼ぐべき時だけバスに乗りました。

観光もし、ショッピングもし、パリ散策を満喫した私でしたが、一つだけ問題が。

それはこの週の気温の高さ。

実はこの週、各地で猛暑の恐れは発表され、警戒をよびかけている最中でした。モンペリエはもちろんのことですが、パリでも高温が記録されて、連日37度とかになっていたのです。パリはやっぱり都会だから人も多いし車とかによる空気の汚染も進んでいる。

その中での私のこの張り切りよう。
普段は水分をあまりとらない私が、どんだけ水を飲んでものどがかわき、肌もほてって干された感じ。

そして3日目の土曜日に落とし穴がありました。

朝から雷雨で一荒れしたかと思うと、あっという間に気温が下がり、ノースリーブはもちろんのこと、半袖、七分袖では不十分ですごく寒いことになってしまったのです。真夏の恰好しか用意していなかった私は肌寒さを感じながら一日を過ごしました。

で、異変はすぐに起こりました。
だるさ、頭痛、咳はともかく、暑くて暑くてしょうがない。

この日は早い目に休もうとしましたが、なんと39度を超える熱が出てた!
低体温の私には高熱です!気を失うようにして寝入りました。

寒さで身体が冷えたから風邪をひいたのかとその時は思ったんですけど、あとから考えたら明らかでした。あれは熱中症か日射病と言うやつですね。日射病はフランス語でinsolation と言います。
異常な暑さとほてり。

幸い翌朝には微熱まで下がってたんですけど、だるくって意識がぼんやり。

この日は月の第一日曜日で、ほとんどの美術館が入場無料になる日だったのです。
美術館は普段行かない私でしたが、これを機会にパリで興味がありつつもまだ言ったことがなかった美術館巡りをしてからモンペリエに帰ろうと思っていました。
残念ながらそれも体調不良により断念。

以前モンペリエに滞在していた日本人仲間のNちゃんと会ってゆっくり過ごしたのですが、やっぱり時間がたつにつれてまた体温が上昇していくのが感じられました。
解熱の効果もある薬を飲み、Nちゃんからはありがたかく「冷えピタ」を頂き、帰りのTGVでは人目も気にせず堂々とおでこに日本製「冷えピタ」をべったりと貼って帰ってきました。

これでまた一旦は熱もおさまったかと思ったのですが、翌日朝からまた連日仕事。月曜日の夜にはまた40度の熱になってしまいました。
しかも、この週は毎日朝から仕事のかわり、私にしてはめずらしく夜が空いていたために、前々から食事に招待されたりパーティーが計画されていたのです。
結局、私は思いっきり病人のくせに仕事も休まず、さらには食事会やパーティーにもふらふらしながら参加したのです。他の人にはいい迷惑でしたね。。。

そんなこんなで今回の体調不良は長引いてしまいました。

それにしても、久しぶりのせっかくの休みで身体を壊すというのは、ほんともったいない話です。
積もり積もった疲れの反動でこうなったのでしょうね。

健康第一は本当です。
来年度のペース管理への教訓として、しっかり心に刻んでおきます。

2010年7月26日月曜日

サンドリンヌ・ピオ リサイタル

フェスティバル初日の「Andromaque」に続いて私が招待券をお願いして聞きに行ったのは、7月16日金曜日の夜に行われたサンドリンヌ・ピオのリサイタルでした。

Sandrine Piau はフランス人ソプラノ歌手。もともとバロック音楽の分野で注目を浴びた人で、今やレパートリーも幅広く、オペラ、またはリサイタルで世界各地の舞台で歌っています。

私が彼女を最初に知ったのはテレビで歌ってる彼女を見たときでした。オペラ歌手によくある「私が、私が」というあくの強いアピールはなしで(オペラ歌手の方すみません、、、、)、すごくシンプルな雰囲気で、歌声も軽やかで且つ芯があって、とてもつぶのそろったきれいな歌い方をする人だなあと印象に残りました。

次に彼女を見たのが、昨年9月、モンペリエのオペラ座のシーズン明けとなったオペラ「魔笛」のとき。彼女はパミーナ役で出演したのです。私は練習を通して、ほとんど毎日のように彼女の生の姿を見ることができました。

そしてそれが私の予想通りというか期待通りというか、本当にシンプルで、まじめで、そしてチャーミングな人だったのです。

ちょっとネガティブな言い方をすれば、優等生タイプか、地味と言ってしまう寸前な感じなんですが、本当にオペラ歌手ではあまり見ないタイプの人です。自然体でシンプルでまじめ。ああ、こういうオペラ歌手もいたのか、って。そしてもちろん超プロフェッショナルな態度。

すっかり好感をもってしまった私は、彼女の活動を気にするようになっていました。

その彼女がモンペリエに歌曲のリサイタルをしに来たのです。

世界の舞台で歌っている人のリサイタルが、私も馴染みのあるオペラ座コメディーで行われたのです。
しかも私は招待券をゲットして、舞台正面のとってもいい席。舞台上の彼女としっかり目が合うくらいの距離です。
なんというラッキーさ。

さらに、この日のプログラムは私の好みのプログラムだったのです。
ツィマリンスキー、ショーソン、シュトラウス、フォーレ、プーランク、そしてブリテン。つまり19世紀末から20世紀半ばにかけての音楽です。

私も知っている曲、しかも好きな曲をたくさん歌ってくれて、ほんと素敵なコンサートでした。

私が唯一、全作品を知っている作曲家であるフォーレの歌曲をこうして聞いていると、最初にフォーレの歌曲を知ったのは私が20歳前のころのことだったな~、あのときは普通に日本にいたんだな~、あの時はフランス語の歌を聞いていても訳詞がなかったら何にもわかっていなかったな~、なんていろんなことが思いだされました。

それからプーランクを聞けばもちろんNちゃんを思い出す。Nちゃんのおかげで、私もプーランクの歌曲は全曲知るようになったのです。

うん、やっぱり私もフランス歌曲が好きだな~。

この日のピアノ伴奏はアメリカ出身のスーザン・マノフ。今はパリのオペラ座の合唱指導やパリのコンセルヴァトワールで教えたりもしているようですが、とにかく歌曲の伴奏を得意として、いろんな有名歌手からひっぱりだこの人気伴奏ピアニストの一人です。
なんちゃってピアニストの私は、彼女のそれぞれの曲の最後の一音の終え方が素敵だなあ、最後の瞬間まで神経が行きとどいているなあ、と感銘を受けました。

サンドリンヌ・ピオとスーザン・マノフは一緒に活動して数年になるし、CDも一緒にだしているし、すっかり息のあったドゥオです。

舞台上での二人からは、お互いをリスペクトし合って、友情でも結ばれて、、、というのがよく感じ取れ、見ていてこっちがうれしくなるようなドゥオでした。


大喜びで大拍手する聴衆に、彼女たちは3曲もアンコールで演奏してくれるというサービスぶり。

とても素敵な気分になれるコンサートでした。

やっぱり歌曲はいいですね。
純粋に音楽として話すなら、やっぱり私はオペラよりも歌曲のほうが断然好きだわ、と再確認してきた夜でした。

2010年7月24日土曜日

バーナード・ハーマンのオペラ

みなさんはバーナード・ハーマンと聞いてすぐに誰だかわかりますか?

Bernard HERRMANN (1911-1975)はジュリアード音楽院で学んだアメリカの作曲家です。ヒッチコック映画の音楽を手掛けた人として知られています。ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」の音楽も彼の作品です。
映画音楽について研究をしていた私にとっては、歴史上重要人物の一人です。

彼は映画音楽だけではなくて、交響曲なども作曲しました。

そして実は今年のラジオフランスのフェスティバルで、彼のオペラが演奏されたのです。

昨年暮れの時点では、スカルピタ氏の演出による舞台バージョンで公演されると聞いていたのですが、結局は演出なしのコンサートバージョンとして、7月14日の夜に演奏されました。

このオペラのフランス語タイトルは「Les Hauts de Hurlevent」、英語原題は「Wuthering Heights」。ご存知の方はすぐにわかるんでしょうが、私は有名な小説であることはわかっていたのですが、あまり気にも留めずに仕事に取り組んでいたんです。そしてコンサート本番が終わってから、この作品が超有名な小説をもとに作られていたことがわかりました。

ハーマンのオペラというのは「嵐が丘」だったのです。

小説はもちろん、映画とかいろいろな形でたくさんの成功をおさめてきた作品ですよね。実は私、読んだことがなかったので、スト―リーを知らなかったんです、、、。

このコンサートの字幕操作を担当したので、オペラに使われた部分のストーリーはすっかり理解してたんですけど、これが「嵐が丘」の話なのかとわかって驚くやら納得するやら。

さて、このコンサートの指揮はアラン・アルティノグル氏(Alain Altinoglu)。いつかブログで彼のことを書きたいと思っているのですが、彼は私とほんのちょっとしか年も違わないんです。でも、もうメトロポリタン劇場での指揮デビューも果たしていて、フランスの若手どころか、フランスを代表する指揮者へと、着々とステップアップしているすごい人です。

彼の指揮のもと、モンペリエ・オーケストラと共にロラ・アイキン(Laura Aikin)など豪華な歌手が顔をそろえました。

このオペラには合唱パートがなく、唯一第一幕の終わりで登場するクリスマス・キャロルを歌う若者たち、という設定で短い4声のアカペラ合唱があります。

このパートを託されたのがオペラjrのLe Groupe Vocal だったのです。

彼らは先日の記事にあるように、「嵐が丘」の練習をこなしつつ、本番の前日には別のプログラムでラジオ出演生演奏をしてきました。

アカペラである上に、最後に登場するバス・クラリネットの不協音との摩擦で音程上微妙で難しいパートでしたが、彼らのさわやかな歌声はたくさんの拍手を浴びていました。




「嵐が丘」は復讐劇なだけに、ハーマンの音楽もヴァイオレンス度の高い部分やスリリングな部分が多く、亡霊のシーンもミステリアスな雰囲気が出ています。不協和音や大音響もあちらこちらにあり、騒がしいと思う人もいると思いますが、私としては音楽的に楽しめました。

でも一番の不満は、やっぱり演出つきで見たかったというところ。

ハーマンの音楽は情景を浮かび上がらせてくれるので、それは素晴らしいことだけれど、やっぱり演出とともに楽しみたかった。これは大半のお客さんの感想だろうし、メディアの批評も同じ意見でした。

まあ、作品として「オペラの大きさに達していない。」とかいう批判もいろいろありましたけどね。

予算の問題や時間の問題で演出つきの上演が簡単にはできないということはわかっていますが、やっぱりオペラのコンサートバージョンほどおもしろくないものはない!と思います。

ラジオフランスのフェスティバルでは無名の曲、忘れ去られた曲を演奏するという目的意識は高いのですが、そこをなんとかあと一声、というところですね。だって今年のプログラムでは、オペラのコンサートバージョンが普段以上に多かったんだもん、、、。

ちなみに指揮者のアランは、「ハーマンは映画音楽を書くのと同じようにこの作品を書いたんだと思う。その結果、楽器の音量やオーケストラと歌手とのバランスの面で少々問題がある、、、、。」と指摘していました。指揮者ならではの苦労話ですね。

めずらしい作品ということで、各国からのプレス、批評の方々が来ていますが、どうやら日本から来ていらっしゃる人もいるようでした。どんな感想を抱かれて、どんな記事を書かれるんでしょうか、、、。

コンサートが終わってから、いくつかの批評記事を読んだんですが、一番話題として取り上げられていたのがイザベル・リントン役を務めたマリアンヌ・クレバッサ(Marianne Crebassa)。実は前にも彼女のことをブログで書いていますが、彼女はモンペリエのコンセルヴァトワールで学んだメゾ・ソプラノ。学業を終えたばかりでまだまだ若い子です。数年前にクリング氏の目にとまってから、ちょくちょくと小さな役やコンサートでのソロなどを与えられていました。

が、今年のこの役は今までとは違って大役だったのです。単に歌う部分が多いだけでなく、ドラマチックな要素が求められるパート。

さらには作曲家が楽譜に「できるならば歌手自身が演奏してほしい。」と書き込んだように、イザベル・リントンがピアノに向かって弾きながら歌うという場面が設定されており、マリアンヌがコンセルヴァトワールでピアノも学んだということを知っているクリング氏の判断から、彼女はステージ上にセットされたコンサートサイズのグランドピアノに向かってピアノ弾き歌いということもやってのけたのです。

このことが聴衆やメディア、プレスからの大好評をかい、しかも若くてとってもきれいな子なので、誰もが「これからの彼女が楽しみだ。」とか、「これから彼女の名前をよく聞くようになるだろう。」ととっても好意的なフレーズを彼女に贈りました。

彼女はモンペリエでの学業を終え、来シーズンからパリのオペラ座バスティーユのオペラスタジオに研修生として受けいられることが決まっています。
輝かしい未来が待っていそうですね。

2010年7月19日月曜日

ラジオ生出演

私には日本ではしたことがなくてフランスで初めて体験したことがけっこうあります。

今回のラジオ番組生出演生演奏もそうでした。

これはラジオフランスのフェスティバルの一環でのことなのですが、今年のフェスティバルのプログラムを紹介する番組に、オペラjrの若者グループ Le Groupe Vocal とともに出演してきたのです。と言っても、私はピアノ伴奏をしただけですけどね。

フランス最大のラジオ局、Radio Franceにはいくつもチャンネルがあるわけですが、フェスティバルのプログラムの大半をどれかのチャンネルで中継生放送、もしくは録音放送を行っています。

フェスティバル一週目の今週は、クラシック音楽を主に扱っているチャンネルFrance Musique がLe magazine de l'été de France Musique と題した番組をもうけて、火曜日から土曜日の5日間、毎日18時から、モンペリエの美術館 Musée Fabreにて、フェスティバルに登場するミュージシャンを招いて、トークと演奏を交えた番組を放送したのです。

その第一日目である7月13日火曜日に招かれたのが、チェロとコラという民族楽器によるユニークなドゥオ Sissoko&Segalというグループ、オペラ「Andromaque」の演出家と音楽学者、ピアニストGiulio Biddau氏、そして14日の水曜日に本番のバーナード・ハーマンのオペラのコンサートバージョンに出演する指揮者アラン・アルティノグル氏(Alain Altinoglu)と歌手二人、そして同じくそのオペラの中で唯一の合唱パートで出演するオペラjrのLe Groupe Vocal だったのです。

番組は18時から20時の二時間の生放送。
公開生放送なのでお客さんも聞きにこれます。しかも無料。

アーティストはみんな勢ぞろいするわけではなくて、前もって割り当てられた時間帯に来て、美術館の中庭にセットされた特設ブースのステージに上がって、トークと演奏をするのです。

会場はこんな雰囲気。



真ん中の木がとっても邪魔ですが、ラジオ放送なのでまあよしとしましょう。

Le Groupe Vocal は19時すぎに登場。
6月のコンサートで歌ったチェコの作曲家マルティヌの曲を演奏しました。
民謡に根差した音楽なだけあって拍子は常に変化するくせものの曲ばかり。いつもは原語で歌うのが原則のオペラjrですが、今年の6月はいろいろとあって時間が足りなかったことから、チェコ語で歌のは断念して英語で歌いました。

まずはアカペラ4声の5曲だったので私はお気楽。




続いてソリストと私で4曲演奏。
とっても短くて素朴な唄ばかりなのですが、拍子・リズム的にも難しい曲。
私はソリストたちが、ラジオ生放送ということでもっと緊張したりするのかな、と思ってましたが、さすがはフランス人。そういうところは強いですね。あっぱれ。みんなとてものびのびと歌えました。

最後は全員とピアノで4曲。
この作品はもともとピアノとヴァイオリンによる伴奏なのですが、いろいろな都合からコンサートでもヴァイオリニストなしで演奏しました。私が勝手にピアノパートとヴァイオリンパートをまぜて適当アレンジをしていたのです。
この「適当」というのが本当の話で、6月のコンサートですら、私は厳密に自分が何を弾くかはっきりと決めないままに本番を迎えてしまっていました。変拍子であちこちとびかうヴァイオリンのパートを適当に取り入れていたわけですが、このラジオ出演の前日になって、ようやく私も重い腰をあげ、「それなりに自分が弾く音ぐらいきちんと決めておかないと、、、、。」と楽譜をじっくり眺めたわけです。
もうかれこれ数年、モンペリエで演奏するとき、もうまるで緊張することがなくなっている私ですが、リラックスはよしとしても、全国生放送ですしね、やっぱりきちんとしておかないと、、、と思ったのです。
無事に終わってやれやれでしたけど。

さて、トークと演奏を交えた公開生放送ということだけあって、Le Groupe Vocal もしっかりとインタビューを受けました。

まずは合唱指揮のヴァレリー。
いつも華やかな彼女は、インタビューにも上手に応えていました。




そして若者たち。
リハーサルの時に「誰にインタビューしたらいいですか?」とアナウンサーに聞かれた時には、「私は嫌だ。」とかはっきりと拒否した子たちもいたのですが、結局前もって選ばれていた2人プラスアナウンサーがフェイントで指名した1人の計3人がインタビューを受けました。
彼らがリハーサルで「受ける質問は前もって教えてもらえるものなんですか?」と質問して、「いや、前もって教えませんよ。」と言われていたように、インタビューは完全生なわけです。
そのわりにはみんな自然体で上手に応えていたなあと思います。こんなところもさすがフランス人。変に声が高くなるとかかっこつけるとか、まるでないんですよね。彼らには。笑いもまじえながら和やかなインタビュータイムでした。




アナウンサーも、こうして普通の若者たちをゲストとして招くのはめずらしいことなので楽しく感じてたみたいで、時間を気にせず結構おしゃべりが続いていました。

その横で、実は次の出演のためにスタンバイしていたのがピアニスト。
彼は結構ピリピリとシリアスな雰囲気だったので、私もさっさとイスから立ち上がって彼にピアノをゆずりましたが、、、。




ちょっとイライラしてましたね、彼は。(笑)

キューが出たらすぐさま演奏するわけですから、、、。

ま、こんな感じで楽しくラジオ生放送出演が終わりました。

テクノロジーはすごいなあと改めて思ったのが、今回の放送はインターネット上でも生で聞けたということです。そのおかげで私の両親は日本にいながらにして、同時生放送を聞けたようです。私はインタビューを受けませんでしたけど、私の名前を2回ほど呼んで紹介してもらい、フランス流の発音がウケたようでした。

生で聴けたのはもちろん、さらに1ヶ月の間はサイト上で自由に番組が繰り返し聞けるようになっています。

おかげで私も放送を家に帰ってからすぐに聞けたのですが、ちょっと不満に残ったのが音響の処理の仕方。

私たちにとっては野外のステージでの演奏で、スピーカーから音が聞こえてくるわけでもなく、あたり一面にマイクはありましたが、リハーサル中に音のチェックなんて気にもしてなかった私たち。でも音響がなんだか特殊で変だね、、、なんて思ってたんです。

それが放送を聞いて納得。かなりのエコーやらなんやらがかかっていたんですね。だから私のピアノなんてなんだか別のところで弾いている電気ピアノみたいな感じで、みんなはカラオケで歌ってるみたいな印象を受けました。私は若者の自然な声が好きなので、このエコーはちょっと残念でした。。。ま、天下のラジオフランスに文句言っても仕方がないですが。

ともあれ、興味のある方はFrance Musiqueのこちらのサイトから聞いてみてください。le mardi 13 juillet の番組です。1時間18分くらい経過したころに私たちが登場します。

http://sites.radiofrance.fr/francemusique/em/magazine-des-festivals/emission.php?e_id=80000047&d_id=410001364&arch=1

2010年7月18日日曜日

Andromaque

今年のラジオフランスのフェスティバルは、バロックオペラ「アンドロマク」(Andromque : 日本ではアンドロマケーと呼んでいるようです。)で幕開けました。




これはベルギー出身のグレトリ(André-Ernest-Modeste Grétry 1741-1813)が1780年に作曲した作品です。

グレトリはベルギーのリエージュに生まれましたが、イタリアオペラの勉強をしようと決意してローマに渡り、その後はフランスで活躍した音楽家です。パリではヴェルサイユ宮殿で王妃の楽団の団長を務めたり、オペラ、オペラ・バレ、コミック・オペラなどを多数作曲して、その時代を代表する音楽家でした。彼の時代、彼が活躍した場所というのも、マリー・アントワネットがいたヴェルサイユ宮殿ですからイメージが浮かぶのではないでしょうか?音楽史を知っている人なら、有名なブフォン論争のちょっとあと頃ですね。宮殿では王や王妃の支持を得ていた彼ですが、フランス革命勃発後も、今度はナポレオンの絶大な支援を受けて生涯を終えました。

ストーリはというと、ジャン・ラシーヌがギリシャ神話の悲劇をもとに書いた「アンドロマク」が題材です。アンドロマク(あるいはアンドロマケー)はギリシャ神話に出てくる女性のことです。


コミック・オペラをたくさん作曲したグレトリにとって、生涯で唯一の悲劇オペラ。当時、いろいろな反響を呼び起こした話題作だったようですが、作品が発表された翌年の1781年に劇場で火事が起きたのをきっかけに紛失、忘れさられてしまったのでした。

それを数世紀ぶりによみがえらせたのが、このブログでも何度か話題に出ているエルヴェ・ニケ氏(Hervé Niquet) と彼のバロック・オーケストラ Le Concert Sprituel(ル・コンセール・スピリチェル)なのでした。彼らはヴェルサイユのバロック音楽研究センターと協力しあって研究と探索を続け、見事この作品をよみがえらせたのでした。

2009年に、その発表演奏会やCD録音などがされ、今年2010年は演出付きのオペラとして一般にお披露目されたのです。ジョルジュ・ラヴォダン氏(Georges Lavaudant)の演出した舞台で、ドイツで初演を行い、今回、こうしてモンペリエのやってきたのです。

フェスティバルの初日、私は事務所で招待券をおねだりした結果、友達の分と2席頂けたので、聞きにいってきました。

4人の歌手、合唱、そしてオーケストラともにそろって質のよい演奏。悲劇なのだけど、ひっきりなしにテンポよく音楽が続き、えらいエネルギッシュなオペラだなあと思いました。そこら辺はニケさんの解釈なのかな?

悲劇なだけに、きれいだけど暗い舞台セット。ただ全幕通して舞台セットがまったく変わらなかったのは残念だった。あともうひと押しアクセントがあったらよかったのに。。。と思った私。

そんなこんなで、この作品の、この舞台の大ファンにはならなかった私ですが、それでもマリー・アントワネットの時代から今年2010年までの間、人々から忘れられていた作品がこうしてよみがえるというのは、なんかすごいものを感じますね。歴史のロマンとでもいいますか。

ニケ氏は「演奏する研究家」、あるいは「研究する演奏家」なわけで、彼の情熱を感じた舞台でした。

その彼が2009年の演奏会にさきがけてのインタビューを見つけたので、興味のある方はどうぞ。フランス語ですがあしからず。

http://www.youtube.com/watch?v=rlcuveWi5ok

2010年7月14日水曜日

Le Festival de Radio France et Montpellier Languedoc-Roussillon 25e

7月12日にの月曜日、25回目を迎えるラジオフランスのフェスティバルが開幕しました。



2週間半に渡って、オペラ、シンフォニー、ピアノをはじめとするソリストや室内楽といったクラシック音楽のあらゆるジャンルはもちろんのこと、ジャズ、民族楽器の演奏、エレクトロミュージック、レゲエ、などのさまざまなジャンルの音楽のコンサート、さらには音楽にまつわる映画の上映や講演会など、催し物が盛りだくさん。
しかも毎年言ってますが、その90%以上が入場無料というのがすごい。

モンペリエ市、モンペリエ・アグロラシオン(地域周辺共同体)、そしてラングドック・ルシオン地方が一体となって、この音楽と言う文化の発展と普及に貢献しているのがよくわかります。
だからこそフェスティバルの名前も単に「Festival de Radio France」ではなくって、モンペリエとラングドック・ルシオン地方の名前を冠しているわけです。
そして地域の協力を勝ち得て、ラジオフランスをパリからモンペリエにやってこさせたフェスティバルの創設者であり現在もディレクターあるルネ・クリング氏(René Koering)の功績は大きすぎて、「あっぱれ」としか言えませんね。
この時期の彼を見ていると、このフェスティバルを誇りに思っていると同時に、彼自身も楽しんでいる感じがうかがえます。

さて、私はというと4つのオペラコンサートの字幕操作を担当し、そのうち2つは私が字幕のファイルを作り、オペラjrも3つのコンサートの参加するうえ、ラジオ番組に生出演することも決まっていたので、例年以上に仕事があって、毎日なんやかんやで参加することになりました。
すべてのオーガニゼーションをとりしきっているコリンヌをはじめ、スタッフとも再会して、ああこの時期がまたやってきたんだなあと感じました。
フェスティバルのために働くスタッフは、普段はパリやモンペリエやまた別の地で働いている人がほとんど。そのみんなが集結して、フェスティバルの期間は休みなしで働きます。それはそれは大変なことでしょうが、この時期だけの、この時だけのイベントに参加するというのは、特殊なムードを生み出すもので、スタッフ間にとてもいい雰囲気があるのが私は好きです。
まあ、モンペリエ以外の土地から来る人に関しては、夏だ、南フランスだ、青空だということで普段とは違うバカンスムードがあるというのも否めないでしょうけどね。

私がそんな舞台裏を楽しむのはもちろんですが、仕事の合間をぬって、コンサートに行って楽しむこともできたらなあと思っています。

とにもかくにも、モンペリエ周辺にお住まいの方にはぜひともお薦めのフェスティバルです。
お昼から24時まで、どこかしらで何かやってますから足を運んでみる価値おおありです。
全部のプログラムが載せられた冊子も最近できて、観光案内所でもゲットできますし、サイトをチェックすればいつどこで何がやっているのかわかるし、アーティストの情報もゲットできます。

http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/

それではまた!

2010年7月7日水曜日

Molière

いつもより遅い夏だと思っていたら、あっというまに猛暑になってしまいました。
明日は38度まで気温が上がるとか言ってる。。。

さて、もう7月も一週間が過ぎてしまいました。
毎年恒例のラジオフランスのフェスティバルの話題に入る前に、少しでもたまっている記事をアップしておけたらなあと思っています。

もう2カ月も前の話ですが、優れた演劇の舞台作品や出演俳優に贈られるMolière モリエールという賞の話をしていたのを覚えていますか?その中のカテゴリーで子供や若者を対象とした作品を「Jeune Public」と言うのですが、私はそのセレモニーに参加したのでした。

セレモニーに前日に会場へ足を運び、ホスト役のディレクターさんたちと顔合わせをしたときのことはお伝えしたので、今日はセレモニー当日の様子です。

前日には普段通りの姿だった会場が、当日の夕方にはいろいろと飾りが施されて、小さな劇場ながらもセレモニームードが高まっていました。中でも「おお!」と思ったのが赤いカーペット!




別に誰がここを歩いてどうのこうのというわけではないけれど、一応正門から正面玄関まで、赤いカーペットがしかれていたんです。

ホール内部に入ってみると、今度はこの季節の花である「ココリコ」で飾られていました。フランスでは春になるとどこでも見かけることができる赤いシンプルなかわいい花ココリコ。これはケシの花なんですね。私は日本で見たことがありませんでしたが、こっちにきてからのお気に入りの花の一つです。
白いブランコにも、黒いピアノにも、意外と赤いココリコが似合っていて、シンプルでささやかながら、まずまずのデコレーションかなと思いました。



ホールに内には何やら関係者の方たちがいて、みなさん大事な役職や役目がある人っぽいですけど、こっちからいちいちと「どなたですか?」とも聞けず、「こんにちは~、私、今日のセレモニーでピアノを弾く者です。。。」と自己紹介させてもらい、みなさんが温かく迎え入れてくれました。
どうやらマグロンの市長さんや、パリからやってきたモリエールの組織のえらいさん、そしてスペシャルゲストの俳優さんたちのようでした。

みなさんはセレモニーを目前に控えて大事な打ち合わせを続行中。

それをわきめに私は今更ピアノを触ったところでどうにかなるものでもないし、、、というタイプなので、ひたすら観光者ぶっていました。

そしてテーブルの上に置かれた金色に光るものに注目した私。

皆が準備にせわしく走り回っている中、一人カメラを手にして舞台に上がって至近距離から撮影。



そうです。これがモリエールのトロフィーです。
ハリウッドのアカデミー賞ならオスカーのトロフィーといったところですよ。
もちろん、サイズはどのカテゴリーにも同じものですから、これまでにフランス演劇界を代表するそうそうたるメンバーがこのトロフィーをもらってきたのか~、と感慨深く、まじまじと見ていました。

入賞作品を紹介する子供代表や、ブランコにのって揺られるおちびちゃんたちも、最終チェック。




そんなこんなで、セレモニー開始の15分間になりました。
言われていた通り、私がスタンバイすると舞台のカーテンが閉じられ、お客さんたちの入場開始。そして私のピアノ演奏開始。
セレモニーに開始までの15分間くらいと言っていた演奏時間ですが、遅れてくる人がいるのはいつものことで、誰ももうすぐ終わりと言いに来てくれないから、私は一人ひたすらと用意してきた曲を弾き続けていました。
軽く倍の30分にはなったかと思います。式の開始をドキドキして待っていたのはホスト役のディレクターさん。私の横でそわそわと落ち着かない様子。
それもそのはず、だってこの劇場の歴史に大きく刻まれる一大イベント。しかもパリからもえらいさんたちがきて、テレビ放送に使うために最初から最後まできちんと撮影されるのですから。

そこへこういった環境にはなれっこのスペシャルゲストの俳優さんがやってきて、私に「ワルツでも弾いてよ。」と注文してくる。私もすぐには曲を変えれないから、「この曲が終わったら弾きます。」と言って待ってもらって、しかもワルツはさっき弾いたばかりで他には用意してきていなかったもんだから、4拍子の曲をむりやり3拍子にアレンジしてなんちゃってワルツを演奏。
すると俳優さんとディレクターさんが私の横でずんちゃっちゃと踊りだしました。

そんなこんなでようやくセレモニーの開始となりました。

さっきまで緊張していたディレクターさんのあいさつでスタートなので、私は演奏をフェイドアウト気味にシンクロナイズさせて終了。

こういった公式のセレモニーではどこの国でも同じ感じ。
来てくれた人を歓迎する言葉、お礼の言葉が続き、そして「jeune public」にかけるこのマグロンヌの劇場のモットーや情熱などを述べられて、えらいさん方のスピーチへと移りました。

ここでまた私のお役目。

ディレクターさんが、「マグロンヌの市長、○○氏!」と言うと、私はなんちゃっての短いオリジナルパッセージを弾いて、市長さんが壇上に上がるのに合わせて弾きます。

市長さんがスピーチを終えて拍手がわきあがると、またなんちゃってのパッセージで彼が自分の席に戻るのを音楽でお供。

モリエールの組織のえらいさんとかのスピーチもあって、計4回のなんちゃってパッセージ演奏。
これは我ながら気に入って面白がりながら弾いておりました。
なんせ、私一人舞台の閉じられたカーテンに隠れたままですから、気楽です。

4人目、最後のスピーチが終わると、いよいよ入賞作品の発表、紹介です。

ここで私が新たにピアノ演奏を始め、それと同時にカーテンが開かれました。
私とお客さんの出会いの瞬間です。
というか、お客さんにとったらカーテンの向うから聞こえていたピアノの主が黒い髪のアジア人だったというのは、意外とちょっとした驚きだったり予想がいのことだったりしたりするんでしょうか。

私の演奏と同時に小さな女の子4人が客席から壇上に上がってブランコに座ってこいで、舞台上のスクリーンにはココリコの花の映像が映し出されました。
この場面にディレクターさんが選んだ曲というのが、シューマンの子供の情景の第一曲「異国から」でした。私も慣れ親しんだ曲ですから暗譜で繰り返しとかも適当にしながらリラックスモードで終了。

ここで一旦私は引き下がりました。

舞台上では子供代表とスペシャルゲストの俳優さんが入賞作品を紹介。
アカデミー賞でも見られるように、作品名が読み上げられて、作品の抜粋がビデオ映像で紹介されました。

その間、私は舞台袖で舞台技術のお兄さんとなぜかそこにいたおちび二人とぼーっと待っていました。
おちびには「あなたがピアノを弾いていたの?」とか聞かれて、「そうだよ~。」と答えたり、何気ない会話をひそひそ声でしていました。

すると、おちびのうちの一人に出番がやってきました。

実はその子はパリから来たえらいさんの娘さんで、今夜の受賞作品の名前が入った封筒を舞台まで持って行くという大事なお役目があったのです!

白いワンピースを着た彼女が舞台に現れると、「あら~、かわいい!」と言った感じで笑いと拍手が沸き起こりました。

受賞作品が発表されて、出演者、スタッフが壇上に上がり、喜びのスピーチ。

会場は大いに盛り上がっているわけですけど、なんせ私は舞台のそでにいるので、誰の顔も見れないし、誰がなんだかまったくわからないまま時間が過ぎる。

そして打ち合わせではあまりはっきりしていなかったけれど、私の演奏でセレモニーが終了と言われていたので、もうすぐかな?もうすぐかな?とスタンバイ。
でも、「こうなったら舞台に出てきてね。」と言われていた状況にならないので、舞台袖にいた舞台技術のお兄さんにも質問。「あの~、私はいつになったら舞台にでないといけないのかわかりますか?」
彼は舞台正面の音響ミキサー室にいるチーフに質問。
結局、誰もはっきりとわかっていなかったうえに、舞台上の展開が予定と違う風になっていたもんだからてんでわからない。ここはもうフィーリングで、ということで、なんちゃっての私の再登場。

ピアノの席についたはいいけれど、「こうなったらピアノを弾いてね。」と言われていた状況になる気配がない。。。。。
しかも予定にはなかったのだけれど、「意見交換の場にしようではないですか!」と言いだした俳優さんのリードで、セレモニーはそのまま討論会の様相に。

「あれ?このままではどうしたらいいんかな???」と思いだしたところで、一応受賞作品のスタッフたちが舞台から降りようとしたのを見て、「いまだ!」とタイミングをとらえて最後のピアノ演奏に入った私。

するとそこで、「あら、そうだったわ!」と言わんばかりに、緊張してテンションあがりっぱなしだったホスト役のディレクターさんが、私のことを紹介してくれました。
私の演奏に合わせて、また俳優さんがディレクターさんをダンスに誘い、そんなこんなでセレモニーは終了。
演奏後には私にも温かい拍手をいただいたので、私も「どうも~。」とお辞儀をさせてもらいました。

さて、セレモニー自体が終了すると、今度は立食パーティーのソワレに突入です。

私は一人だったけど、うろうろとしながらワインやおいしいおつまみやデザートをいただいていると、左から右から、いろんな人が声をかけてきます。

モリエールの組織のえらいさんマダムもわざわざ私のところまでやってきてお礼を言ってくれました。

お客さんたちも「ブラボー。」とか「メルシー!」はもちろんのこと、「暖かくて素敵な演奏だったわ。」とか「素敵な選曲だったわ。」とかいうちょっとしたコメントをくれる人、さらには私の身の上話まで発展する会話を持ちかけてくる人も数人。さすがフランス人、さすが南フランス人。みんなおしゃべりの術にはたけてますよ。
子供からお年寄りまで、女の人から男の人まで、いろんな人がリアクションを見せてくれて、とてもいい感じのソワレとなりました。

中に一人、「よくぞ弾ききった!素晴らしい。こうでなくっちゃね。周りが予定と違うことを始めてもやるべきところでやらないとね。」と事情を知っているようなムッシューが声をかけてきました。態度や服装からしても、この業界のえらいさんぽいけど、私は誰が誰なのかまったくわからないまま。

幸い、オペラjrで一緒のEが、「あれはシャトー・ドーのディレクターよ。」と教えてくれました。

うん、やっぱり業界のえらいさんたちはいるところにいるもんです。
私がしていることも、どこで誰が見ているか、見てくれているかわからないもんだということか、と思いました。

飲み物の食べ物もひと通り頂いたところで、一人身だし、これ以上話すことも話す相手もいないし、ということで帰ることにした私。ディレクターさんをはじめ、えらいさん達にこの日のお礼を述べて会場を去りました。