2008年7月31日木曜日

モンペリエご案内 2

旧市街地からショッピングセンター「ポリゴーン」を通り抜けると、そこからは新市街地が広がります。1070年代後半に開発された地域で、古代ギリシアを意識した建物が並び、通りも広場も「ゼウス」だとかの名前がつけられています。ショッピングセンターから地中海にそそぐ川 Le Rez までまっすぐ一直線。




その間、噴水がある広場がいくつもあり、子供達は水遊び、親は日陰で見守るといった風景がみられます。 かなり強い日差しだけど、水ってやっぱり健康イオンを放出しているからか、とっても気持ちがいい。


モンペリエは今でもどんどん開発が進んでいる街で、これらすべての生みの親といって過言でないのが、政治家ジョルジュ・フレッシュ氏 Georges Fréche。左派の超大物政治家であるこの人は、1977年から2004年までという長期にわたって、モンペリエ市の市長を務め、街の発展に尽くし、大々的な開発工事をおしすすめました。この彼の力でTGVもモンペリエまで延び、CORUMも建設され、トラムも走るようになったのです。この新市街地は今でも海の方向に向かってどんどん広がっていて、いろいろな公共施設が新築、移転などで、この区域に集まってきています。中でも大きくて目を引くのが、1990年代に建てられたプール。家族で楽しめるコーナーと競技用のコーナーと充実しています。しかもプールの下、地下にはバスケットボールなどのための室内競技場があります。








プールの向かいには、これまた大きな図書館。プールと同じ1990年代にオープンしました。 ここには朝日新聞が入っているので、私も時々立ち寄ることもあります。CDや楽譜の貸出もあるし、便利ですね。




これらの工事はもちろん莫大な費用がかかっているわけですが、どんなに右派の人だって、ジョルジュ・フレッシュの業績は否定できないでしょう。だって、フランス25番目の年だったモンペリエはまたたくまに8番目の都市となって、今でも発展が続いているのですから。

街並みを見ていても、こうやって古いものと超モダンなものが上手に共存するのがフランスならではですね。


さらにまっすぐどんどん進むと、青空一面の広々した空間に出ます。





この広場はその名もヨーロッパ Place d'Europe。このすごい建物も普通にマンションなんです。なんだか家賃も高そうだけど、実際はそんなことなく、たくさんの学生も住んでいます。




この広場で「おや?」と思う人物を発見。







下は海パン水着のようなものを着た上半身裸のおじさん。おなかもぽっこり(笑)こんなところにこんな人が何気にマイペースで突っ立ってるのが笑えますよね。ぷぷって。でも同時に微笑ましい。きっと彼は日光浴に来たんでしょう。ひとりでも堂々と自分の好きなことをする。徹底的にマイペースの人たち。いかにもモンペリエらしい。







この広場は単純に芝生で覆われているだけで、この贅沢なスペースを確保しています。ギュウギュウ詰めの住宅事情の日本と比べたら、なんともぜいたくな広々空間ですね。




この広場を通り抜けると川に突き当ります。この川沿いにはレストランやバーがいくつか並んでいて、夜はけっこう賑わっているエリア。 そして川の向こう側にそびえたつこのモダンな建物は、ラングドックルシオン地方の地方庁。凱旋門をそのままガラス張りの建物にしちゃったんですね。


旧市街地と新市街地、けっこう歩きました。これでMさん初日のモンペリエ観光はおしまい。このまま引き続き夕食の準備の買い出しに繰り出しました。

2008年7月30日水曜日

モンペリエご案内 1

Mさん到着の翌日は、モンペリエの中心地をご案内しました。まずは旧市街地、おなじみのコメディー広場から。


やっぱりバカンスなので観光客が多いですね。


広場から右手に入ると、モンペリエのメインストリート ロッジュ通り Rue de la Loge です。 普段は四六時中、たくさんの人がいる通りですが、バカンス中はちょっとガランとしてる。


ゆるやかなこの坂を登り切ると、滞在許可証の話でおなじみの県庁があります。


県庁前で左に曲がると、モンペリエで一番リッチで優雅な通り、Rue Foch です。
旧市街地を歩いているとかならず出会うのが、観光案内バスならぬミニ電車です。細い道だって入って行ってしまうのだからこれがすごい。
実は私、いつかこの電車で街を一周してみたいんです。次のお客さんと一緒に乗ろうかな。
路地の向こうに見ているのはサンタンヌ教会 St. Anne。丘になっている市街地のなかでも一番高いところに位置し、しかも背の高いこの教会は、遠くからでも見えて街の目印のようです。
県庁前からのフォック通りの先には凱旋門があります。有名なパリの凱旋門とは比べ物にならない大きさですが(小さくて。。。)、二年ほど前に改修工事が終了し、青空によくはえる石の色ですね。
この凱旋門のすぐ手前右には裁判所があります。ギリシア神殿風のこの建物。迫力があります。


凱旋門をくぐって大通りを渡ると、ペイルー公園があります。デモ行進などの出発地などとしてよく使われますが、広くて緑もしげるこのスペースでは、家族も恋人たちもひとりぼっちの人も、みんなゆっくりと
マイペースで時を過ごしています。
この公園の先にあるのが小さなシャトー・ドー Chateau d'Eau。シャトーとは言ってもお城を意味するのではなくて、ここでは集水地のようなものです。

なんでここに集水地があるのかというと、実は裏側には水道橋があるんです。モンペリエの市街地は小高い丘になっていたので、街の一番高いところにたどり着くように水が運ばれていたんですね。
ペイルー公園を後にして、北側の坂道を下っていくと、植物園があります。そこではかつて薬として使われる植物などが育てられていました。この公園と道路をはさんでとなりにあるのがヨーロッパで一番古い歴史を誇るモンペリエ大学の医学部です。海が近くて、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教などの文化が交わる土地であったモンペリで、学ぶ、教えるという医学が1180年に生まれ、1289年には法学部とともにモンペリエ大学としてローマ教皇の認可をうけました。当初は先生の家や、患者の家などで指導、講義が行われていたといいます。教育現場としての設備が供えられたのは15世紀になってからだといいます。


現在モンペリエはフランスの一地方都市にすぎないけれど、歴史と伝統につちかわれた医学、医療の水準は高く、人口に比べて驚くほどの医者の数、そして病院の数です。手、腕、肩に故障をかかえる私は、これも不思議な御縁か、優秀で親切なお医者さん、大学病院の教授さんたちとの出会いに恵まれて、モンペリエの医療界には大変お世話になり、今でもお世話になっています。

さて、話をモンペリエ案内に戻します。さっきの医学部と建物続きでとなりにあるのが、その大きさに誰もが驚くカテドラル、サン・ピエールです。Mさんの大きさと比べると、その大きさがよくわかるでしょう?

まるで要塞のような迫力のこの教会の裏手には、昔、街の城壁のなごりである塔があります。訳すとモミの木塔 Tour des pins。小さいけれど緑あふれるスペースでは昼寝をしている人が見られます。


こうして旧市街地の北側までやってくると、トラムの一番線も通る大通りに出ます。この通りにある大きな建物がアゴラ Agora と呼ばれ、現在モンペリエダンスフェスティバルの本部として使われています。先日紹介したニジンスキーのスペクタクルは、この建物の一部であるLes Ursulinesで行われたんです。この建物のすぐ裏に私が住んでいたのも、今ではもう4年前。


強い日差しの中お散歩したらもうのどがカラカラです。すぐ近くの広場にある自然派果物ジュースのお店でちょっと一息。


ここにはカフェやレストランが数件あって、みんなそれぞれ屋外テラスをもうけていつも賑わっています。プラタナスの木が茂っていて直射日光をさえぎってくれるから、明るくて涼しい休憩にはもってこいの場です。

大まかではあるけれど、これで旧市街地の案内はひとまず終了。お昼もまだ食べていなくて、レストランが午後の休憩に入ってしまってしまう前に、私たちがあわてて行ったのは、ブルゴーニュ地方の郷土料理として有名なそば粉のクレープの店。

こうしてちょっと軽めのお昼が一番。Mさんも味にもサービスにも満足してもらって、次は新市街地へと向かいました。

2008年7月29日火曜日

友人来たる

バカンス初日の夜、日本から久しぶりの友達が遊びにやってきました。それは大学時代の先輩Mさん。あのS寮で二年にわたって寝起きを共にした日も、もう今では12年前。しかも前回会ったのは確か10年前。メールでもそんなに頻繁に連絡をとっていなかったけど、急遽Mさんが「遊びに行ってもいい?」と言ってきた。お互いの予定もぴったりあい、私のバカンス初日での来仏が決定しました。
木曜日の22時半にモンペリエ空港に到着の彼女を迎えに行きましたが、なんせ10年間会ってないし、写真とかも見てないから、「どんな顔?どんな格好?」と思いながら飛行機から降りてくる人を待ちました。ちっちゃめで黒髪のアジア人、、、と思って見ていると、あっ、あの人かな?と思える人が!しかしその人はおでこ全開にしてストールのようなもので髪をかくしています。。。実は、よく見たらこの人、アジア人シスターさんでした(笑)。ひとりで「んなわけないか!」と思っているうちに本物のMさん登場!「leonardo~! ちゃんと来れたよ~!」と感無量のMさんを前に、私はさっきのシスターさんのことで一人大笑い。結局お互いあんまり変わってない?
実はこのMさんとは、12年前のイタリア旅行を一緒にした仲。そして彼女はあれ以来日本を出ていなかったのだという。しかもそれで初めての一人長旅。それはそれは緊張もしたことでしょう。たくさんの日本のおみやげをいただき、つもり積もった10年の出来事をかいまづんで報告のしあいっこ。あっというまに夜は更けて3時半になったのはいうまでもありません。
我が家での滞在は火曜日朝までの5泊6日。その間に、モンペリエとその周辺を案内してまわったので、久々のモンペリエ紹介とかねて、またゆっくり報告させてもらいます。

2008年7月25日金曜日

音楽三昧 6 + 仕事終了!

さて、順序が逆になりましたが、7月23日の水曜日の夜は、CORUMの大ホールオペラ・ベルリオーズで行われるコンサートに仕事で参加しました。曲目はルイーズ・ベルタン(Louise bertin)という19世紀の女性作曲家の書いたオペラ「エスメラルダ」で、演出なしのコンサート形式で演奏されました。
ストーリーはというと、ノートルダムの背むし男、ノートルダムの鐘で有名なストーリーそのもので、しかもヴィクトール・ユゴー本人が直々にオペラのための台本を書いたのです。ユゴーの作品をもとに書かれたオペラはたくさんありますが、ユゴー本人がオペラ制作に参加したというのは、この「エスメラルダ」のみです。こんなことができたのも、ベルタンがユゴーと友人であったからでした。そして、作曲家としての大先輩であるベルリオーズも協力して、彼女にアドバイスを与えることを惜しまなかったといいます。有名な新聞編集者を父親にもち、知識人、芸術家たちとの交流に恵まれていたというのは確かだと思います。彼女は将来を期待された女性作曲家だったわけです。それでも人をうらやむ、ねたむ人がいるのは世の常で、当時「エスメラルダ」の上演に際して、やっかみ、やゆが妨害にまで発展して、ついにはオペラ公演中止にまで追い込まれてしまったといいます。彼女はそれまでにも3作オペラを書いていて、「エスメラルダ」は4作目だったわけですが、この事件を機に、世間の批判に嫌気がさした彼女はもう二度とオペラを作曲しなかったのでした。
今日私たちにとったら、19世紀にオペラを書いた女性がいたということ自体に驚く方が多いと思うし、うれしいことだけれど、やっぱりそれだけに風当たりもきつかったんですね。

この日の演奏は、モンペリエ・ナショナル・オーケストラを、来年度から常任指揮者となるロランス・フォスター (Laurence Foster) が指揮して、優れ物ぞろいの歌手がソリストを務めました。合唱は、先日のフェドラと同じくリトアビア・ラジオの合唱団です。ヒロインのエスメラルダとヒーロー王子様役ののフォビュス、背むし男のカジモド、悪者のフロロと四人ともが主役級で歌いどころ見せどころがたくさん。エスメラルダ役のスイス人ソプラノのマヤ・ブーグ(Maya Boog)をはじめ、みんなすごくて拍手喝采だったけど、私的にはカジモド役のアルゼンチン出身のテノール フレデリック・アントゥーン( Frederic Antoun)が説得力ありまくりですごかったなと思います。

さて、しっかりコンサートを楽しみ、私ははたして何をしていたのか?というと、これもだんだんお馴染になってきた字幕操作を担当してたんです。

私にとっては字幕の仕事では初めてとなるコンサート形式のオペラの字幕、そして初めてのCORUMオペラ・ベルリオーズ。しかもスタッフもラジオフランスのフェスティバルの人達ですから、新しい出会い、かかわりあいでした。

私の仕事場は舞台正面。いつものように特等席。そしてパソコン前で楽譜とにらめっこ。


スタッフはみんなフレンドリーで親切だけど、同時に正直言って舞台裏はしっちゃかめっちゃかです!(笑)つまり組織、運営、みんなでドタバタアップアップという感じ(笑)。それも無理はありません。連日コンサートの連続、つまりフェスティバル中のすべての公演の準備が、練習、リハーサル、本番とそれぞれ朝、昼、夜と、このCORUMのどこかでなにかをしてるわけです。25日間超凝縮濃縮の体力勝負ですよね。事務所にいたっては、フェスティバルすべてのコンサート、スペクタクルを運営しているわけで、それはそれはものすごい量になるわけですから、みんなドタバタでした。

今回は私一人だけが舞台から遠く離れた音声のミキサー室にいるわけで、孤独な仕事場でした。スタッフ用の通用口、通用階段を通るためのマスターキーすらもっていないので、一度誰かに送り届けてもらってからは、外には出れない、どこにもいけない状態。つまんなくて、お客さんの観察人間ウォッチャーをして時を上演前と休憩をすごしました。

私は本番三日前の舞台練習と、通しリハーサルに立ち会ってから、もうすぐ本番だったわけです。いつもオペラ座でこの仕事をする時には、字幕を編集管理するJ=Mが、本番ぎりぎりまで見直したり改良を加えるのですが、今回はフェスティバル前に作られた字幕がセットされたパワーポイントのCD-ROMが渡されったきり、間違いの点検、改良はもちろん、指揮者が行った楽譜のカット部分や変更に対応する人がいなくて、「え?!もしかして私が全部すんの?」って状態でした。もちろんそれは私の仕事ではなかったから、CD-ROMの中身の改良まで手は出さなかったけど、それでも変更や明らかな間違いとかは修正するほかなくて、なんだか居心地が悪いまま本番になってしまいました。そしたら案の定、私が把握しきれてなかったカットと変更が一か所あって、本当はテキストを一文削除すべきだったことということが、本番中に判明!でももちろんどうしようもなく、ちょっとずらしてごまかすしかできませんでした。まあこういうこともあるさ。


全4幕のオペラ、歌手の質も良く、お客さんはこれまた大満足の夜でした。

これをもって今年度2007-2008の私の仕事は全て終了!晴れてバカンスです!

2008年7月24日木曜日

10年カードへの道

本日、7月24日をもって私は夏のバカンスへと突入しました。わ~い。仕事再開は8月半ばなので、3週間のバカンスです。さて、その初日に私が何をしたかというと、朝から県庁に出向きました。毎度おなじみ、滞在許可証の更新手続きのためです。先日、オペラjrとのCDIに無事サインをして、私の書類も準備万端となったので、いざ出陣です。県庁の開館時間は8時半。それでも問い合わせや申請に来る外国人は開館前から列を作ってならびます。なぜなら、外国人の対応の窓口は午前中しかあいておらず、時間的にも限りがあるので、対応してもらえる人数も限られているのです。、この列に並んだ人に番号札が渡されるわけです。
さて、ウワサでは6時半からもうすでにたくさんの人がいるという話。でもそれでは開館まで2時間も列に並んでないといけません。私は昔から脳貧血をすぐに起こす体質なのでそれはごめんです。そしてこれまでの経験に基づき、8時くらいに行って、番号札をもらってからいったん外に出て時間を潰すというのが私のいつもの作戦となりました。今住んでいるところからは歩いて15分で行けるし、まあ恵まれたもんです。しかし慣れからか、バカンスだからか気は緩んでいて、8時に行くのに遅れました。私が県庁に着いたのは8時20分。そしたらずら~っといつもの列ができていて、しかも私がこれまで見てきたのよりも長い列=たくさんの人がいる。「あら、これはしまった。もしかして人数に入らないかも。。。」と思って列の最後尾につき、開館を待ちました。8時半になると、その他の用事の人は一斉に中に入って、番号札をとります。外国人は警察官の誘導で、数人ずつずらされながら入場させてもらい、門の前で番号札が渡されます。私の番になったので警察官に質問してみました。「毎日何人通すんですか?」そしたら「100人です。」って。がもらった番号札をみたら98番!わーぎりぎりセーフ!

これは時間が相当かかると思って、申請に必要な税金切手(日本語でなんというのでしたっけ?)70ユーロ!を買うだけ買ってさっさと家に戻った私。さっき軽く朝ごはん一応食べたのに、改めて食べなおし(笑)そして書類を見直して、10時過ぎにまた県庁へ。そしたら只今の番号37番。こりゃまだまだだわ、と思ってまた家に戻ることにしました。でもその前に念のため、と思って総合受付のカウンターで、「10年カードを申請する条件てなんですか?」と質問してみまた。そしたら「あなたが滞在許可の更新をするときに、10年カードを申請したいという旨の手書きの手紙を添えてください。もしよかったら10年カードが出るし、だめだったらいつもの一年カードがでます。」という返事でした。私が集めた情報では、一応フランスで働いて3年以上、だとか、どんな身分でも合法的に滞在して5年がたったら、だとかいつものようにはっきりしない情報でした。でも去年の身分変更と同様、それぞれの人のケースによって違うものだから、「こうこうこういう条件です。」と明示するのを避けている感じですね。でもまあ今日の返事で、「試してみても損もリスクはなさそうだし、やってみるか?」と思ったのだけど、やっぱりこういうときの手紙はきちんと練って書いた方がいい。今ささっと10分で書くのもなー、と思って、結局手紙を書くのをやめ、もう一度家に戻り、11時過ぎてから再度県庁へ出直しました。

この外国人カウンターのやりとりを見ていると、ほんとフランスってすごいと思います。まず毎日やってくる外国人のこの数でもすごいけど、それぞれの人が訴える内容もすごい。はっきり言って、私のようにきちんと書類がそろっていて、働いてて、きちんと段取りを踏んでいる外国人はとても少なく、ほとんどの人が、滞在許可なしでいたり、本人は許可証があったりフランス国籍をもってるけど、家族を呼び寄せたいとか、さらには亡命や避難民扱いを申請する人もたくさんいるわけです。私が見る限り、今日対応にあたっている県庁のスタッフは誠意をもってきちんと仕事をこなしている感じだったけど、中にはブチ切れてけんか腰でやってくる外国人もいます。もちろんそんなケースを受け持ったら、スタッフだって心穏やかに続けられるわけもなく、外国人カウンターではいろいろなやりとりが見受けられます。

さて、私の番になりました。人数制限もやっぱりよくできたもんで、98番目の私が対応を受けたのは12時ほんの少し前。まずは「Bonjour」と笑顔で気持ちよく始まりました。私は「一応サラリエの身分での更新を申請する準備をしてきたんですけど、同時に、10年カードを申請するには何が条件なんですか?」と切り出した。私の書類に不備はなく、単に10年カードを嘆願する手紙を用意してこなかったわけだけど、目を通したそのマダムはニッコリ笑って、「10年カードのために検討するように伝えますね。」と言ってくれた。うわ~い!
それから念には念を重ねての質問として、「今のサラリエのカードがあれば、とりあえず私はどんなところでもサラリエとしてだったら自由に働いてもいいんですよね?」と確認。そしたら「もちろん!」とのこと。はぁ、これで心のしこりもとれたというもんです。サラリエとは給料所得者のこと。商業をする人や農業だとか、研究員だとかアーティストではない、普通の雇用に適応する身分です。一年カードだとしても私は自由に働く権利がある。いろいろ気にしてた去年までとは全然違います。周囲の人にも「今回も一年分だけだよ。」と言って申請に来たけれど、土壇場で10年カードの申請となりました。もちろんこれはうまくいったらの話。だめだとしてもサラリエとしての一年カードが無事更新できますように。

2008年7月22日火曜日

音楽三昧 5

18日の金曜日の夜は、先日と同じくジャズのコンサートに行きました。でも今回は友達の誘いで、19時から22時の間、コンサート会場外の公園で行われるおまけコンサートを聞きながら夕食をピクニックで楽しんでる友達に合流するため、ちょっと早い目に到着。



シャトー・ドーの敷地内はこの写真のように松林が広がっていて、毎年ここで22時からの本コンサートの前に、JAMというモンペリエのジャズの学校の主催で、毎日違うグループが演奏するんです。で、ここでは食べ物、飲み物の販売サービスが出張できてるので、自分で持ち込みピクニックもよし、現地で買って食べるのもよしで、さわやかな気候の中、ジャズを聴きながら食事を楽しむという、実際お金はかからないけど、日本人としては気分的に贅沢な設定なわけです。


私も他のみんなより遅れて到着しながら、ばくばく食べ始めたので、写真を撮るにも移動せずにその場で撮ってます。。。不精でごめんなさい。でもまあこの松林ピクニックの様子を伝えたかったんです。

さて、22時の本コンサートのほうですが、この日は女性ジャズシンガーのグループでした。ヴィルジニー・テイシュネ(Virginie Teychene) というフランス人ですが、レコードはスイスのレーベルから出しているそうです。

この人、普通に話す声は穏やかで、歌声はしっとりとしていて心地よく、ときどきアップテンポな曲では、ドリカムの美和さんを思い出しました。バックのミュージシャンもよくて、この日も大盛り上がりのコンサートでした。
この日の収穫は、というと、この歌手ヴィルジニーさんがお礼のあいさつとしてまっさきに「呼んでくださったAさん、本当にありがとうございます。」って言って、「おや、私はこのAさん知ってるぞ?」と思ったことです。今まで何度もこのコンサートに来ておいて、企画運営に私の知ってるAさんが携わってるとは知らなかった。このAさん、実は普段は、CORUMで行われるモンペリエ・オーケストラのコンサートで、お客さんの受け入れを仕切っている人なんですね。つまり案内嬢とかをまとめている人。で、私はモンペリエに来て最初の年の終りに、オーケストラ団員のM氏の紹介で、この案内嬢のアルバイトをさせてもらってたんです。その時とても親切に受け入れてくれたのがこのAさんだったわけです。今思えば、私自身、まだ言葉も自信なくて、アルバイトを始めるつもりさえなかったのに、M氏が勧めてくれて、そんな完全な外人の私を受け入れてくれて、いろいろ配慮しながらアルバイトさせてくれたAさんは本当に優しかったなーと思います。時々CORUMですれ違ってあいさつを交わすのだけど、この日、ふと「Aさんは本当に私のことまだ覚えてるのかな、、?ただ挨拶してるだけなんかな?」と疑問に思いました。
すると、タイミングとはうまく重なるもので、次の日、私がラジオフランスのフェスティバルのオフィスに用事で立ち寄ると、私が用事があった人のとなりにこのAさんの席があったんです。「お、さっそくAさんだ!」と思って顔を見てみると、おちゃめなウィンクをして、しっかり私のことを覚えている様子。だから私も用事が終わってから、「あなたがジャズのコンサートを取り仕切ってるなんてしりませんでしたー!毎年行ってるし、今年ももうすでに二回行きましたよ。」って言ったら、本人も自慢のコンサートみたいで、うれしそうでした。
実はこのAさん以外にも、一人、二人と、私がフランスに来た一番最初の年に出会って、お世話になっておきながらその後接点がなくて、コンタクトをキープできなかったけど、仕事がらニアミスをよくする人がいて、このAさん同様、私としては気になってる人がいます。早いものであれからもう5年たってるんだもんね。5年前に出会った外人娘のことを向こうは覚えているのかな?でもせっかくだから、次回接近する時があったら勇気を出して声をかけてみたいと思います。

2008年7月20日日曜日

音楽三昧 4

オペラに続いて私が行ったのは、17日木曜日の夜に行われたスペクタクル「Les Cahiers de Nijinsky」でした。ロシアバレエで一世を風靡したダンサー、ニジンスキーの日記に基づき、ジャン=ポール・スカルピタという人が演出した舞台です。登場するのは語り手である俳優、そしてニジンスキーの空想に出てくる男女のダンサー二人、そしてピアニストが舞台上のグランドピアノで演奏します。この4人だけによって行われる舞台。脚本とかが存在するわけではなく、ニジンスキーの日記から着想を得たスカルピタの想像力で組み立てられた舞台。

このスペクタクルが行われたのは街の中心地にあるLes Ursulinesという古い建物の中庭。現在この建物はダンスの世界では有名なモンペリエダンスというダンスのフェスティバルの本拠地として使われていて、内部にはスタジオや練習室があいます。でも実はここ、はるか昔は女受刑者の牢屋だったんです。そのせいもあって、外観はがっしりとしています。しかも私、4年前にはすぐとなりに住んでたんです。それなのに、当時は一回もこの建物内部に入ったことがありませんでした。
今回このスペクタクルを見に行ったわけは、まずこのスカルピタという人がする演出が好きだということ。そしてもう一つは、オペラjrの一員のクレモンティーヌがダンサー役に大抜擢されて出演するからです。彼女はこの夏をもってオペラjrを去り、パリに引っ越すことが決まっているので、これが最後と思って、彼女の晴れ舞台を見ることにしたわけです。
スカルピタはモンペリエオペラでも何度も演出を担当していて、いつも独創的で、照明や舞台セットが本当にきれいなんです。なんとオペラjrの来年の目玉企画は、この彼とする「ディドンとエネ」!スカルピタはこれまでにも「カルメン」や「火刑台のジャンヌ・ダルク」などでオペラjrの子供たちと共演してきているので慣れているし、彼自身がオペラjrの子供たちの大ファンなんです。いつもすごい気配りを子供たちにしていて、そんな意味からも共演はうまくいくこと間違いないし、彼がどんな舞台を作ってくれるのかすごく楽しみです。

スペクタクル開始は22時。私たちが会場に入る時はまだ明るかった空も、開演を待つと同時に暗くなっていき、22時にはこんな具合に。




薄暗いけど見えますか?舞台セットはなにもなく、ピアノがあるだけ。ここから照明と、布や煙といったものを使いながらとてもきれいな演出が行われるのです。
スペクタクル中、ドキッとするほどきれいなシーンとかあって写真が撮りたくてしかたがなかったけど、フラッシュなしでも写真は禁止だと言われたので残念。

さて、演出は「美しい」の一言に尽き、スカルピタという人のアイディア、発想のすべてに脱帽ですが、この舞台、いろいろな意味で、日本ではとても上演できるものではありませんでした。まあまずニジンスキーの日記の中身からして過激だし、そのテーマも過激なわけで、しかもフランス人演出家がフランスらしく演出したので、表現もドカーンと超一級のストレートというか過激というか、、、。途中で立ち去った観客もちらほらといました。

私個人的には、正直、微妙に余分なシーンもあったと思うけれど、でも一つの日記から、この何もない殺風景な舞台を使って、こんなに美しいスペクタクルができあがるというのが驚きで、すごいと思います。普段、「美しい」って言葉を日本語では使いませんが、フランス語で口から出るのは「C'est beau !」しかありえません。これを訳すと「美しい」なんだけど、ほかにもっとぴったりくる日本語はないかな。。。「きれい」というのもピンとこないし。。。言葉って不思議ですね。




火曜日と木曜日の二回公演だったので、この日が最終。舞台裏のクレモンティーヌに会いに行くと、俳優さんも演出家もいて、「すごくきれいでした。」って言って握手してきました。

とてもフランス的なスペクタクルの夜でした。

2008年7月19日土曜日

音楽三昧 3

16日の水曜日の夜は、ピッツェッティ作曲のオペラ「フェドラ」が演出なしのコンサート形式で演奏されました。オペラjrの子供たちも合唱に参加するので、私も準備に参加。本番も舞台袖で第三幕だけ聞かせてもうこととなりました。

ピッツェッティと言っても、今日日本でこの名前を知っているのは音楽専門家、音楽関係者か、よっぽどのクラシック音楽ファンだけだと思います。イルデブランド・ピッツェッティ(Ildebrando Pizzetti 1880-1968)はイタリア近代の作曲家で、 だいたいプッチーニやマスカーニと同年代に活躍した人です。後進の指導にも熱心で、ミラノ音楽院での生徒の中には、映画音楽で有名なニーノ・ロータがいました。
先日お伝えしたように、モンペリエオペラ座とオーケストラのディレクターであり、ラジオフランスのフェスティバルも指揮しているルネ・クーリング氏は、忘れ去られた作曲家や作品をとりあげるのに熱心で、この「フェドラ(Fedra)」もそういった趣旨でプログラムに組まれたわけです。

この日の演奏はモンペリエナショナルオーケストラをバックに、ラトビア・ラジオ合唱団とオペラjrのChoeur d'enfantsが加わり、フェドラ役のハスミク・パピアン(Hasmik Papian)など世界のトップアーティストがソリストとして歌いました。
仕事でこういう舞台に関わることで見えてくるのが、一流ミュージシャンの舞台裏の顔です。今回も練習に参加することによって、意外な姿や態度とか見ちゃったりしましたが、まあ裏事情をばらすのもなんなので控えておきます。




この写真は舞台での合同練習風景ですが、この少し前に、また思いがけない新しい出会いがありました。オペラの準備に必要不可欠な人というのは、指揮者に次いでコレペティというピアニストです。フランスではシェフ・ドゥ・ション(Chef de chant)といいますが、ソリストの歌手たちの準備、練習につきあい、アドバイスを与え、指導までしてしまうすごい職業なんです。なんとこの「フェドラ」のコレペティとして、日本人ピアニストが来てたんです。日本とイタリアで活躍しているTさんです。指揮者と合唱だけの練習のときに顔を合わせ、私は「あ、アジア人だ!」と思っていたら、向こうから「日本人のピアニストがいるって聞いてたんです。」と声をかけてくれました。実は今モンペリエオーケストラには日本人ヴァイオリニストのYさんがいて、この「フェドラ」には日本人女性三人が参加していたんです。モンペリエという土地でこうして出会うのも何かの縁ですよね。Tさんは10日ほどモンペリエに滞在中で、私と出会ったのはもう本番間近の後半でしたが、知り合ってからの数日間、食べに行ったり飲みに行ったりしてご一緒しました。普通オペラの準備というのは3週間から1か月かけてするものですが、フェスティバルとかでは準備時間がそんなに持てません。今回のこの「Fedra」も、まあ演出なしの舞台ではあるけれど、実際には2週間もないくらいで仕上げられたんです。しかも知られていない作品で近現代。ややこしいに決まってます。そんなコンディションでのコレペティという大仕事。Tさん、ほんとお疲れ様でした。本番前まではいろいろと心配もあったけど、本番はさすがにまとまりがあって、観客もブラボーが飛び、いい反応。若手のトップを行くイタリア人指揮者のエンリケ・マッツォーニも、本番後は笑顔になってよかったよかった。

オペラjrの子供達はどうだったかというと、彼らは第三幕だけの出番。本当は40人必要な舞台だったけど、プランニングの連絡が遅かったことなどもあって、大部分の子がバカンスに出てしまったあとということになり、たったの28人が参加。歌う部分はほんの少しだけど、コーラスとのアカペラ部分だったりして、これまた簡単ではない。しかも子供達はいつも暗譜で歌うので、今回のコンサートも、オーケストラ、ソリスト、合唱団とみんな楽譜ありで演奏の中、子供達は楽譜なしでよくがんばりました。

このコンサートをもって、2007-2008年度の彼らの活動はすべて終了となるので、これで晴れてバカンスです。みんな本番前に記念撮影をしてました。

私はついでに今年度の最年少者で新人のコンビをパチリ。

前にも紹介したナセルとソフィアンです。彼らはまだ9歳。大舞台もこの日が初めてでした。こんな小さな彼らも経験を積んで少しずつ頼もしく成長していくことでしょう。来年を楽しみにしたいと思います。

2008年7月18日金曜日

音楽三昧 2

ジャズの次に私が行ったのは、お昼に行われる演奏会。世界のトップを行く若手演奏家の演奏が、これまた無料で聞けちゃうんです。今回は友達に誘われてたまたま行ったのだけど、これがまた大当たり!

CORUMの中の中ホールであるサル・パストゥールで行われたセルゲイ・マロフ(Sergey Malov)というロシア人ヴァイオリニストのコンサートで、エフゲニー・イツォトフ( Evgeny Izotov)というこれまたロシア人ピアニストとのデゥオでした。若手演奏家とはいっても、彼だってもうロシアやオーストリアではソリストとしてオーケストラをバックに演奏したりして活動している一流アーティスト。彼の経歴をみていたら、今年度初めてフランスで演奏し始めて、彼のフランスデビューの年であったわけです。

舞台に現れる彼はなんだかハリー・ポッター見たいで、まだまだ幼い感じの「僕」という雰囲気。でも演奏中は一流アーティストの顔になるからやっぱりすごい。曲目はベートーヴェンのソナタOp24「春」、ストラヴィンスキー「イタリア組曲」、ギヨーム・コンヌソンという現代作曲家の作品、そしてラヴェルの「ツィガーヌ」でした。ヴァイオリンは私の大好きな楽器ではないけれど、(ヴァイオリニスト、ヴァイオリンファンの人、すみません)一つ目の曲の「春」の出だしを聞いて、すぐに「これはいいぞ!」って思っちゃいました。とってもなめらかで流れるよう。プログラムが進むに連れて超絶技巧も全開で、超満員のお客さんも大喜びのコンサートでした。演奏家にはいろいろタイプがあって、みんなとりあえず一流アーティストとしてのテクニックと音楽性をもったうえでも、パワー全開派や押しの強い人、繊細な人などなどいろいろ特徴があるわけですが、この彼は繊細で緻密派でしたね。曲のどんなところも荒いところがなくてきっちりしてて、かつ繊細でなめらか。パワー全開派と並んでしまうと、もしかしたらちょっとアピールが弱いと判断されるかもしれないけれど、私は好きですこういうタイプの方が。
お客さん大満足で大盛り上がりの中、アンコールにファリャの子守歌を弾いてくれました。テクニックをひけらかすためではないこういう曲を選んだのも私好みだな。久しぶりに行ったクラシックのコンサートも大当たりで大満足でした。


2008年7月17日木曜日

音楽三昧 1

ラジオフランスのフェスティバルが始まって、普段はコンサートに滅多と行かない私も今だけはと音楽三昧モードに入りました。

まず私が行ったのはジャズのコンサート。モンペリエの街からちょっと北西に行ったところにシャトー・ドー(Château d'O) という野外のコンサート施設があるのですが、そこでフェスティバルの期間中毎晩22時から、バリエーションに富んだジャズのコンサートが行われるんです。しかもこれ無料!席がある限り入場無料です。ミュージシャンはもちろん一流で、コンサートはラジオで放送されます。
コンサート開始が22時というと日本では遅すぎますが、こちらは日が本当に長いので、22時に始めて徐々に日も落ちていき夜となる段取りです。天気はよく、暑すぎず、月も出て、そしてジャズを楽しむ。ほんとうに気持ちが言いったら、ですね。

この日のコンサートが今年のフェスティバルのジャズの封切りで、irakli & les というグループでした。最近亡くなったばかりのルイ・アームストロングに捧げるというテーマで、ニューオリンズジャズの名曲を演奏してくれました。私はニューオリンズに行ってきたばかりだし、ほんと楽しかった。

このグループはトランペット、クラリネット、トロンボーン、ピアノ、コントラバスとドラムで、メンバーはけっこうベテランのおじいちゃん年齢でしたが、ドラムだけちょっぴり若め。そしてこの日のコンサートの圧巻は、このドラムのソロでした。ドラマーによって書かれた曲だったのですが、彼がアドリブソロのパートを始めると、これがすごかった。

10分近かったんじゃないかな。その間ドラムだけのアドリブ。バチをいろいろ変えながら最後は素手も使い、すごいバチさばきだけでなくて、普通の太鼓も(いきなり太鼓って言葉を使うと和の感じになっちゃいますが、、、)ティンパニみたいに音程作ってちょっとしたメロディーまでいれちゃって、それはそれはすごかった。私もこんなに長いドラムのソロは見たことなかったし、あんなに大盛り沢山のソロも見たことなかった。

普段から思ってるんですが、超一流のジャズのミュージシャンってやっぱりミュージシャン中のミュージシャンだと思うんです。楽譜に書かれたことを忠実に演奏するクラシック演奏家と違って、ジャズではフィーリングとインスピレーションが命。そしてもちろんそれを実現するための超絶技巧も必要なわけで、すごいったらすごいです。この日のドラムのソロを見てて、次に何をしてくれるのかわからないから、わくわくしちゃったし、会場のお客さんみんながわくわくしちゃってるのを感じたし、みんなが盛り上がる瞬間にわきあがるあの歓声もたまりませんね。

いや~ほんとに楽しみました。大満足。

2008年7月16日水曜日

Le Festival de Radio France et Montpellier Languedoc-Roussillon

14日の月曜日は、革命記念日であるとともに、今年のラジオフランス-モンペリエのフェスティバルの開幕日でもありました。


このフェスティバルはクラシック音楽だけに限らず、ジャズもあり、さらにはテクノというかエレクトロニュージックあり、世界の様々な音楽などもとりあつかわれるとても多彩な音楽祭として名が知られていて、今年で24回目を迎えます。ラジオフランスと言えば、オーケストラや合唱団ももっている大きなラジオ局です。それがスタッフ一同、機材などなどみんな引っ越してきて、現地のモンペリエのオーケストラとオペラ座とタイアップして運営されるのがこのフェスティバルの特徴。今年は14日から31日まで、この期間中、朝から晩まで、モンペリエの中心地とモンペリエ周辺のあちこちで、本当にたくさんのコンサートが行われます。フランスだけにとどまらず世界中のトップアーティストが参加し、毎晩クラシックファンにはたまらない豪華な顔触れのコンサートが行われます。また、無料のコンサートもたくさんあり、しかもそのレベルは超一流なわけで、ほんと音楽ファンにはおいしいことだらけのフェスティバル。ほとんどすべての催し物がラジオフランスの電波を通して放送されます。

なんでこんな大規模な音楽祭がモンペリエで?と思われるかも知れませんが、実はモンペリエの音楽界の帝王様ことRené Koering氏が、ラジオフランスの元ディレクターであり、彼によってモンペリエとラジオフランスをつなぎ合わせるこの大きな音楽祭が作られたのでした。この人は作曲家ですが、いろいろなことに才能と力のある人で、日本でいうNHKクラシック放送みたいなフランスラジオのディレクターを務め、続いてラジオフランスの音楽部門のディレクターになり、世界の名だたるアーティストとのつながりもあり、政治的力も強い彼だからこそできる企画が盛りだくさんなのです。現在モンペリエでは、オーケストラとオペラ座またにかけたすべてのトップに位置し、まさに言葉通りの帝王様。力がある人にはいろいろと話はつきもので、彼だって例にもれませんが、同時に、そんなに力をもつ理由もあるわけです。彼の場合、オリジナリティーあふれるプログラメーションがすごいんです。彼は世界中で忘れ去られた作品や知られていない作品に目を向け、世界初演や長い時を経た再演などをする機会を与え、それらの作品をよみがえらせてしまうのです。そして、すでに名の知れた有名アーティストだけでなく、個性のある若者や新人、または目立たないところに隠れてしまっている逸材を見つけ出し、大舞台に導いき送り出すのです。今やヨーロッパ中、世界中で様々な音楽祭が模様されていますが、その内容のオリジナリティーと幅の広さでは、このモンペリエのフェスティバルは世界のトップをいくのではないでしょうか。

フェスティバルのサイトには英語バージョンもありますから、興味のある人はどうぞ覗いてみてください。

http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/

私自身、今年も仕事で関わるコンサートあり、一お客さんとして楽しませてもらうコンサートありで、しばらくの間、音楽ネタでお届けすることになるかと思います。

2008年7月15日火曜日

le 14 juillet

昨日の月曜日、フランスではle 14 juillet (キャトルーズ・ジュイエ)の祝日でした。キャトルーズ・ジュイエとは何か?というと、それは日本でも知られている革命記念日のことです。パリではシャンゼリゼ通り、凱旋門あたりで盛大なパレードが行われますが、規模の差はあれ、フランス各地でいろいろなセレモニー、お祭りが行われ、夜はお決まりの花火があちこちで見られます。


さて、私にとってフランスでのこの革命記念日は今年で6回目だというのに、これまでテレビで映されるパリのパレードや大統領のスピーチ以外、一度も生でセレモニーやこの日らしいものを見たことがありませんでした。それが今年は仕事で知り合ったイタリア在住の日本人ピアニストさんのTさんと、街の観光ガイドもかねて、一緒に革命記念日の街の様子を見ましょうということになりました。


この日、私達は午後ずっと仕事だったので、18時に待ち合わせて向ったのはコメディー広場。モンペリエでもこの広場でセレモニーが行われると聞いていたからです。さて、行ってみるとすでにたくさんの見物客と警察、軍隊などなどのセレモニーに参加する人でいっぱいでした。





セレモニーは18時すじから始まり、いろいろな種類の軍隊が敬礼をして行進するなどしてましたが、あまり華やかな動きもなく、まあそのうち何か盛り上がるのだろうとは思ったけれど、仕事の後でずっと立ってるのも疲れるので、数分してさっさとその場を去り、フランス特有のそば粉クレープを食べに行った私たちでした。

イタリアでおいしいものを食べてるだろうTさんも、そばこクレープは「おいしい!」と気に入られたようです。フランスでクレープと言うと、日本でいうクレープのようなデザート系ももちろんですが、お食事としてのおかず系のクレープも品数たくさんあっておいしいですよ。

この日はTさんを案内するために街を歩き、普段はあまりいかないようなエリアにも久しぶりに行ってきました。革命記念日つながりで、パリでは有名な凱旋門ですが、ここモンペリエにもあるんですよ~。紹介するためにパチリ。祝日でフランス国旗が掲げられている夕方の凱旋門です。


2008年7月12日土曜日

イタリア旅行 3 ミラノ観光

三人プチ同窓会の再会を果たした翌日7月1日は、Sと二人でミラノ観光に出かけました。Yちゃん家族が住むのはパヴィアという町の郊外。車でパヴィアの駅まで送ってもらってから、電車でミラノに向かいました。ローカル線で40分くらいかな。
ミラノ中央駅に着いて、その大きさに圧倒されました。はっきり言って駅としては異様に大きいんです。こんな駅みたことない。。。写真を撮るにも大きすぎて入りきりません。




後で勉強してみたら、ムッソリーニの時代に、パワーを見せつけるために作られた駅だそうです。そうよね、そうでもなかったらこんな大きいの作らないもの。

地下鉄に乗って、私たちは街の中心地を目指しました。地下鉄から出るとそこはドゥオウモの広場。この教会は有名ですよね。


もちろん私たちも教会内部を見学しようと列にならんだのですが、私のこの日の格好は露出が多すぎということでアウトが出てしまいました~(泣)ああ、カーディガンをもってたけど、あまりに暑かったから置いてきてしまったのでした。他のヨーロピアンやラテンの女の子に比べたら露出してないと思ってたのにな。残念。仕方なく私は外で待ってSだけ中を見てきました。

ミラノには地下鉄の他にもトラムが走っています。新しいタイプ、古いタイプといろいろとモデルはあったけれど、この古いタイプのトラムはかわいかった。




このドゥオウモのすぐとなりがこれまた有名なアーケード「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア」。鉄とガラスでできたこの豪華なアーケードは1867年に建設されたそうです。


明るくてとても華やかで、並んでるブティックも超超一流ブランド店でした。日本人観光客や一部のリッチなミラノ市民以外にはあまり現実的なショッピングアーケードではないな、というのが私の感想です。




このアーケードを通り抜けると、今度はすぐとなりに有名なスカラ座があります。オペラハウスとして歴史的にも、今現在も世界でもっとも重要なものの一つであるスカラ座だけど、見たときにはすぐにこれがスカラ座だとは信じませんでした。「あれ?どれがスカラ座?どこ?」という具合に。だって、こんな建物だったんだもん。



なんか普通すぎるでしょう?これならモンペリエのオペラ座の方がずっとかいいわ、と思ってしまいました。まあ、オペラハウスは建物が重要なんじゃなくて、中で行われる演目、演奏が重要なのは事実だけどね。
この日は真夏日で、ブリュッセル暮らしのSにはかなりきつい太陽でした。モンペリエで強い日差しに慣れている私でも、こうして日中に外を歩き回るというのはしていないから、夏の旅行はこういうものだと思い知らされました。疲れてきたしちょうどお昼どきだしということで、ミラノのメインストリートの一つであるダンテ通りでお昼を食べました。そこから通りの奥に見えていたのがこの時計台。
他の建物と色合いの違うこの時計台に引き寄せられて、なんとなくそちらに向かうことにしたら、実はこれがスフォルツェスコ城の入り口でした。
Yちゃんにもこのお城の裏の公園がとてもきれいでお散歩やピクニックにいいよ言われていたのだけど、さすがに暑すぎてゆっくりはできませんでした。


このミラノ観光で惜しまれるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作、「最後の晩餐」が見れなかったことです。この絵はサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会にあるのだけど、詳しくは修道士のための食堂の壁に描かれた絵です。私たちが前もって旅行の計画を立ててないのが悪いけど、やっぱりこういう観光名所は予約制で、しっかり予定に入れておかないとだめですね。まあ、今回見れなかったのは残念だけど、また来ようって思うことにしました。
Yちゃんちまでの帰りは、パヴィアからバスに乗って帰ることにしていたので、最終バスにきちんと間に合うように早めに帰途に。ミラノの郊外のさらにその郊外のローカルバス路線で英語が役に立つわけもなく、Yちゃんに朝教えてもらった必要最低限のイタリア語でバスに挑戦。降りるところも田舎でよくわからないから、前もって運転手さんに知らせてくださいと頼んでおいたのだけど、大体の時間と景色で、「あ、ここらへんだ!」とわかった私たちは、「ここら辺?」て感じで運転手さんの顔をうかがうと、まだバス停についてないのに、運転手さんはバスを止めて私たちを降ろしてくれました。
イタリア旅行一日目のこの日だけでも、私はなんだか予想外の発見をしました。というのは北イタリアの人達は、南フランス人のようにフレンドリーで、しかも南フランス人よりもまじめで良心的な感じがするということです。フランスもイタリアも同じラテン系の民族だから、まあ似たようなものだと思ってました。もちろんフランスでもパリのような北の人たちと、モンペリエのような南の人ではキャラが違います。モンペリエなんて年中太陽に恵まれて、フレンドリーはいいけど、ちょっとおきらくすぎるんじゃないの?といつも私がつっこんでしまいたくなるような感じ。イタリアに関しては、私だって一度来たことあるし、まだ行ったことがないけれどナポリの方など、南はまた違う文化があって、フランス以上に北と南の違いが大きいとは思ってました。でも、北イタリア人は思っていたよりも礼儀正しく良心的で、それでいてフレンドリーというのが妙にヒット。やっぱりモンペリエ人がだらけすぎているのかな。今やモンペリエに慣れてしまった私にとっては、この日ミラノやパヴィアでの人々が、とても心地よい態度で接してくれて思いがけない居心地の良さを感じました。

無事にYちゃんのおうちにも帰れて、また双子ちゃん達が楽しませてくれて、昨日報告したようにAさんのお手製イタリアンでしっかり甘やかしてもらいました。