今回、前半で上演されたのが「Sancta Susanna」サンクタ・スザンナ(日本語タイトルは「聖スザンナ」)。ドイツの作曲家ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963) が作曲したオペラです。
ヒンデミットといえば、一般の人にはあまりなじみがなく、「難解な曲を作った作曲家」みたいに思っている人も多いでしょう。クラシック音楽でもバロック、古典、ロマン派の音楽に慣れ親しんでいる人にとったら、それは「難解」な音楽と聞こえるでしょう。でもヒンデミットの音楽は決してシェーンベルグの12音主義の音楽や無調の音楽ではなく、調性の音楽の枠内なのです。
音楽を専門とする人、特に器楽奏者にとっては、ありとあらゆる楽器のために曲を書いた人として人気があります。例えば、それまでオーケストラの1パートを務める楽器とだけみなされていたヴィオラのためにソナタを作曲し、今ではヴィオラ奏者には欠かせないレパートーリーの代表作となっています。ピアノパートはと言えば、リズム的にも音型的にも難しいのですが、そこを「おもしろい」ととらえる人も少なくはありません。
器楽のためにたくさんの曲を残したヒンデミットですが、オペラでは「画家マチス」や「世界の調和」が知られていて、計12曲のオペラを作曲しました。「聖スザンナ」はヒンデミットがまだ若い、初期のころの作品です。彼は1921年にこのオペラの作曲を完成させていて、この時期はちょうど第一次世界大戦直後で混乱の時代でもありました。
さて、このオペラが実際にどんなオペラかというと、一言でいって「スキャンダラス」なオペラなのです。
台本は表現主義の詩人・作家として知られるアウグスト・シュトラム (August Stramm 1874-1915)が書いた戯曲がもとになっています。1918年に行われたこの戯曲の初演は、警官による警備と見張りがものものしい劇場で行われたそうです。
なぜかというと、スキャンダルを巻き起こすのが必至だったからです。大パニックが安易に予想されていたのです。
物語が扱うテーマは「修道女と性」、もしくは「修道女の性」といえますが、それだけでも十分にデリケートでスキャンダラスなテーマなのに、さらにはその性の対象がキリストでもあり、「キリストと性」というテーマにもつながり、二重、三重にもスキャンダルを巻き起こす要素があるわけです。
ヒンデミットはこの物語を一幕からなるオペラにまとめました。長さは25分ほどの短いものです。オペラの初演は1922年にフランクフルトで行われましたが、それはそれは大スキャンダルを巻き起こしたそうです。
今回、モンペリエオペラ座の公演での公式プログラムにのせられたあらすじを日本語訳してみます。
---五月のある夜の修道院の中。修道女クレメンツィアが、聖女マリアの祭壇の前で祈りをささげている修道女スザンナを心配げに見ている。窓からは春の匂いや物音が入ってきて、女の歓喜の叫び声が聞こえてくる。スザンナはこの若い女とおしゃべりをしてみたいと思うが、会話は彼女を探しに来た若い男の登場で途切れる。このできごとを見た修道女クレメンツィアは、昔、修道女ベアタが全裸になってキリストの像に抱きつき、そのかどで生きたまま壁に埋め込まれたある春の夜のことを思い出す。官能のよろこびがスザンナを包む。スザンナは胴衣をぬぎすて、キリスト像の腰の布をとりさる。やってきた修道女たちから懺悔をもとめられるがスザンナは拒否する。。。---
この短いあらすじの文だけでも、キリスト教社会にとっていかに衝撃的な内容かが想像できると思います。
オペラの中の登場人物は、修道女スザンナと修道女クレメンツィアの二人がメイン。オペラの最後の場面でスザンナを非難する他の修道女たちとそのリーダーが、わずか数小節ですがソロパートと合唱を歌います。そしてそこに修道院の窓の外側でsexをしていた若いカップルの男女が歌手ではなく俳優として加わります。
純粋に音楽だけをみても、このオペラのもつインパクトはすごく強いのです。オーケストラの楽器編成は結構大編成で、金管楽器が充実し大きな音響を可能にします。演奏時間わずか25分の中で、緊張感がはりつめてはりつめて高まって高まって、という密度の濃い音楽となっています。
オペラは「春の夜の修道院」にふさわしい、静かな、でも不安に満ちた音楽で始まります。オペラ前半で何度も出てくるフルートソロの三重奏が印象的。春の夜の鳥の鳴き声にも聞こえるし、何かが起きると予感させるようでもあるし、、、。
そしてオペラ前半の驚くべきことといえば、5分間くらいにわたってずっと高音で響いているオルガンの音。正直言って、私は楽譜を見て初めて、これがオルガンの音だったとわかったのです。だって楽器の音とは感知しにくい、まさに「耳鳴り」のような音なのです。しかもそれが微妙な音量で、観客は「あれ、何かの雑音?」とか「あれ?耳鳴り?」とか、何やら得体のしれない不快な音を耳にしているわけです。でもこの目には見えないオルガンの高音が、緊張感を高め、オペラの劇的要素に大きな効果を与えていると思います。
緊張感は若いカップルの登場から高まりはじめ、修道女クレメンツィアが語る昔のあるできごとの話で急速に高まっていき、修道女スザンナが胴衣を脱ぎ棄てて「私はきれいでしょう?」と叫ぶ場面で大爆発するといった感じです。
ここでスザンナ役のソプラノ歌手は高音のド(ピアノの真ん中のドから2オクターブの上のドです。)をフォルティッシシモで歌うのです。
この高音は普通にpで歌われても鳥肌をさそう音なのに、これがなんとフォルティッシシモなのですから、もう圧倒的というか、超人的というか、生身の人間からこんな声がでるのかと思わせる声で、観客はみんな「!!!」となってしまいます。
オペラの最後はスザンナを非難する修道女たちが「懺悔せよ!」と叫び、スザンナが「No!」と叫び、修道女たちは「悪魔め!!!(サタン)」と叫んで、オーケストラと一体となった大音響で幕を閉じます。
25分間の大濃縮された音楽。
圧倒。
そんな音楽に、オペラであるからには演出が加わるのです。
ジャン=ポール・スカルピタ氏の演出による「Sancta Susanna」は2003年にモンペリエで初演されています。
が、そのとき、これまた大スキャンダルを生んだのでした。
もともとスキャンダラスなこの台本とこの音楽へ加わったのが、さらにショッキングな演出だったからです。
全裸の男女を舞台に登場させるだけでなく、この全裸の男がキリスト像の役もつとめ、つまりキリスト像が生身の全裸の男によって演じられるからです。
2003年の初演時には保守派のキリスト教徒がかなり過激な言葉を書いた大だんまくをはり、ひざをついたかっこうで並び、抗議活動をしました。
さて、どんな感じの舞台だったのか、簡単に紹介してみたいと思います。
舞台セットとしては舞台左手に大きな十字架があり、ひとつのろうそくの火が揺れているだけ。この舞台上に修道院の胴衣をまとった二人の修道女。本当にシンプルです。CORUMで行われたので、舞台の大きさもかなりのもので、広い舞台がほぼ真っ暗。薄暗いライトの中でろうそくの火と二人の顔だけが見える感じ。
こちらは公式プログラムにも載せられていた、計画発表の段階の舞台美術の模型の写真です。
舞台セットはだいたいこんな感じで、背景の空の色がこうではなくて、まずは暗闇。そしてオペラ内で「開けっ放しになった窓」の話がでてくると、舞台照明によって舞台の奥に修道院の大きな窓らしきものがあらわれます。
そこへ遠くからsexの最中の女性の叫び声が聞こえてきて、若い女の子が登場します。そして彼女を探しに追ってきたのが上半身裸の若い男の子。二人はすぐに走りさるのですが、ここからスカルピタ氏は「性」というテーマを、この二人の全裸を舞台上で見せることで表したのです。
暗い舞台と対照的に春を感じさせる明るい照明に照らされた舞台の奥で、完全全裸でからみあう二人。そしてまるで現実じゃない映像のように、舞台奥の右と左で二人が完全全裸で、しかも観客に向かって正面をむいて立ち、舞台照明によって二人の姿がうかびあがっては消えていく。ここまでは舞台全面でやりとりをしているスザンナとクレメンティアのバックであることと、舞台の奥であることと、照明の絶妙な具合によって、本当になにか映像をみているようなきれいなものでした。時間もわずか数秒のことだし、そこだけが強調されるなんてことではなくて、文字通り「うかびあがっては消えていく」感じ。舞台背景のごく一部分として効果をだしていました。
でもさらにショッキングなのは、スザンナの感情が高ぶっていくところで、この男の子が完全全裸でスザンナの正面に現れるところ。スザンナがみる幻覚のようなものが、観客にとっては生身の人間によって現れるのです。でも、ここでも絶妙な照明のおかげで、まるでなにかのイメージ映像のように現れます。
さらには、オペラ終盤になっては、この男の子がキリストの像のかわりとなって、完全全裸のまま十字架の下に現れるます。キリストの像なのですから、彼は数分間そのまま立っています。
そして最後は上半身だけ裸の姿に戻った男の子の腕の中にスザンナが抱かれて、曲が終わり照明が一気に落とされて幕を閉じます。
このライトが一気に落ちることによって、観客は我にかえります。
数秒の沈黙のあと大拍手と「ブラボー!」の歓声。
スタッフの心配をよそに、今回の公演では抗議活動どころかブーイングもおきず、観客はわれんばかりの拍手をおくりました。
スザンナ役のタチアナ・セルジャン(Tatiana SERJAN ロシア人 )とクレメンティア役のカレン・フッフストッド(Karen Huffstodt アメリカ人)という二人は一流の歌手で、とくにヴァーグナーやR・シュトラウスのオペラといったすごい声量が必要なオペラを得意とする人たち。しかも迫真の演技。観客は圧倒されました。
そして出演者のカーテンコールの最後にスカルピタ氏が舞台上に現れると、拍手と歓声は一気に高まったから、今回の観客は彼の演出を評価したということです。
こうして完全オールヌードの男女がオペラの中で出てくるというのはめずらしいことだし、しかもそれがちらっと一瞬出てくるとか一瞬見えるのではなくて、観客の正面に向かってすっと立っているというのはめったにないと思います。
2003年にこのオペラを見たあと、私はフランス人の友人に「ねえ、フランスでは舞台に全裸の人が出てくるってごく普通にあることなの?」と質問していたのを思い出します。日本とフランスはやっぱり違うので、日本ではありえないこともこちらではありえますが、それでもやっぱりオールヌードの男女が観客の正面を向いて立つというのは、フランス人にとったってインパクトの強い、ショッキングな演出なのです。スタッフだって、オーケストラの団員だって、-「本当の」全裸-と強調していたもの。
これまでに私はフランスで他に2本のオペラの演出で、ほぼ全裸の女性が出てくるのを見ましたが、それはレイプシーンであったり乱暴シーンで、ストーリーから言っても、演出方法から言ってもきれいなものではなく、私だけでなく観客はみんな不快に思ったものです。
そういうとき会場には「不快」と感じている空気が流れるし、舞台終了後の観客の反応でよくわかるものです。
でもスカルピタ氏の演出では、そういった面での下品さ、嫌らしさがないのですから、とにかく「美」を追求する彼のスタイルのおかげなんだなと思います。ただ、彼の演出で、今までにもオールヌードやそれに近い俳優やダンサーの登場があったのですが、ちょっと「ムダ」を感じたと時もあるし、ちょっと「長い」と感じたこともありました。でも、この「聖スザンナ」では不快どころか、変な感じもしないのです。舞台照明と一体となって幻想的な背景となって、本当にきれいな映像のようなのです。
もちろん男優がキリスト像のかわりとなって客席手前で手を広げて立つ姿は、それはインパクトの強いものですが、逆にここまですることによって、この台本のストーリーが強まるというか、作者が言いたかったことは、このイメージ化によってこそ伝わるもんだなと思いました。
是非とも舞台を写真にとってブログに載せるぞ、なんて思っていましたが、やっぱり著作権の問題もあるし、字幕操作で仕事中の身としてはカメラを構えるのも簡単ではなく、断念。
「こんなオペラもあるのか」という意味でも、「こんな演出もあるのか」という面でも、みなさんに見せたかったな。。。日本ではいろいろな面から言って上演されにくい作品だし、まだDVDなど存在しないオペラですから。
このスキャンダラスなオペラ、キリスト教徒の人からみたら、まったく違う見方、大きな衝撃となるものなのでしょうけど、私たちからみたら「c'est beau !」の一言に尽きます。「美しい」舞台なのです。私個人の感想だけでなく、参加したスタッフ、見にきた人、そして新聞などの批評を見ても、この舞台は「衝撃」と「美しさ」をうまく融合させていて、大成功であったようです。
演奏時間25分というのが絶妙なのかも。
ヒンデミットもうまいことまとめたな~、と感心させられます。音楽史に名を残す作曲家相手に「感心」というのも変な話ですが、すごいな~とほとほと思わされるのです。
また、このオペラの公演時に、ちょうど日本ではあの「深夜の公園全裸騒ぎ」でまさに大騒動していることを知りました。インターネットでこのニュースを見た時、誰も人がいない深夜の公園での全裸と、2000人以上の観客を前にしての全裸の違いに、「ところ変われば、、、」やら、「芸術とは??」などとふと考えてしまいました。
私にとって初めてのモンペリエ・オペラであり、初めての現代オペラであり、初めてのスカルピタ・オペラであったこの「Sancta Susanna」。6年という時間をはさんで見たのは二回目ですが、やっぱりすごかった。
もともとオペラが好きではなかった私。きっと今だってヴェルディとかの大がかりなクラシックなオペラはまだ「好き!」とは言い切れない私。でも20世紀前半の作曲家が書いたオペラはとっても「interesting !」ですよ。
これがオペラ二本立ての前半戦なだけですからね。休憩をはさんで次は「青髭公の城」です。
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