2009年4月13日月曜日

なんでかというと、、、

自分も予想・計画していたことではないけれど、着実にオペラの世界にすっぽりと身をおさめ始めた感じがする私のモンペリエ生活。

これまでにも、「私はオペラが好きではなかった」と正直に白状していますが、興味がなかったというか、フランス語で「Ce n'est pas mon truc」と言うように、私向けのものとは感じていませんでした。
高校のころから声楽専攻の友達の伴奏をするようになり、大学の時はかなりの数の伴奏をかかえていました。日本ではあまりドイツ歌曲やフランス歌曲を勉強する機会はなくて、声楽の子が勉強していたのはもっぱらオペラのアリアでした。アリアといえばオペラの中のメインとなる見せ場なわけで、名曲がずらりと並んでいて、有名な曲、素敵な曲はあるのですが、それでもあんまりピンと来ていませんでした。
さらに日本人による日本人のために日本語で上演されるオペラを見たりすると、まあ「普段見ないものをみておもしろい」っていうのはあったけれど、「ピンと来ない」というのはそのままでした。

なぜかというと違和感を感じていたからです。

アリアを勉強する人はもちろん原語で勉強しますが、その言語をしっかりマスターできていない以上、日本語の対訳を用いてだいたいの意味をつかみます。言葉を感じるのにワンクッション、一作業が存在するわけです。しかも、オペラの中の歌詞をみていると、何度も同じ歌詞をくりかえすことが多く、まずそれが不自然に感じていたんですね。例えば、「君を愛してる~!」を繰り返し、「愛してる~!」「愛してる~!」「君を~~!」みたいな。

それから登場人物の心情、感情にピンときてなかった。
「あれ、なんでそこでそうなるの?」みたいな。

さらには登場人物のしぐさ、ふるまいにピンときてなかった。たとえば、あるオペラの中で公爵夫人がお世話係の女の子の肩をだきよせてほっぺにキスをするとか。

挙げだしたらキリがないくらい、「そんなのありえないでしょう?」とか「それは不自然でしょう?」とか思ってしまって、私はオペラに対するアレルギーに近いものをもっていました。

それが、モンペリエでオペラの製作・準備、公演に接するうちにオペラアレルギーが薄れていき、「おもしろい!」と感じるようになっていったのです。
最近になってこの自分の変化に気が付き、「なんでだったのかな??」と思い返してみたのです。
で、私なりに出した答えというのが、「オペラはヨーロッパの文化」だということです。

まずは言語。今になってこそ、フランス語のオペラを聴くときには対訳というものが必要なくなって、オペラの原語でそのまま理解することによって、ストーリーそのものを直接吸収できるようになりました。これでまず大きな壁がなくなったと思います。フランス語のようにはいきませんが、イタリア語のオペラも、英語のオペラも、その言語がもつ感覚を感じ取れるようになってきました。今だにロシア語やチェコ語はちんぷんかんぷんなために、ロシアオペラやチェコオペラにはまだ壁がありますが。。。

あとは、やっぱり音楽にはそれぞれの土地柄、色が出ているもので、それぞれの民族の文化があらわれていると思います。イタリアオペラのもつ色、フランスオペラのもつ色、ドイツもの、ロシアもの、、、それぞれ特徴があります。で、やっぱりそれは全部ヨーロッパなものであって、日本のものではなければ、アジアのものでもないんですね。

そして決定的なのがそれぞれの登場人物にあらわれる文化。特に「愛情表現の文化」。
オペラのストーリの題材のほとんどが「愛」だといっていいと思いますが、それが「コメディタッチの恋愛話」か、最後は死にたどりつく「悲劇の恋愛話」かの二つに分けられると思います。でも、そのどちらにころんでもやっぱり日本の愛情表現とヨーロッパの愛情表現は違うものです。

日本人の生活も西欧化されたし国際化されたし、何を今さらという感じもするけれど、私がこのことを痛感させられる例を一つ。

これはさっき挙げた、公爵夫人とお世話係の女の子の場面によく見られるしぐさのことです。恋をしているのが公爵夫人だとしても、お世話係の女の子だとしてもどちらでもいいのですが、この二人の関係は歌詞にもしぐさにも映し出されます。とっても親密で、頭をなでたりだきしめたりほっぺにキスをしたりなわけですが、さすがにこれは日本では見られませんよね?女の子同士が仲がいいときに、体の接触で目にするのはせめて中学生か高校生が女の子同士で腕を組むとか程度ですよね。だから公爵夫人と女の子の関係は「オペラ独特の演出のせい」だとか思ってしまいがち。

ところがどっこい、やっぱりヨーロッパの愛情表現はやっぱりオペラの中の愛情表現と近かったんです。

私はフランス人の10歳から23歳くらいの女の子と接することが多いので本当のことなんですが、彼女たちは手をつなぐ、腕を組むどころではとまらず、やっぱり普通に抱きしめたり、体をさすったり、ほっぺにキスしたりおでこにキスしたりするんです。これはなにも同性愛の傾向がある子とかいうのではなくて、多かれ少なかれみんなそうなんです。
そして日本人だって知ってる「je t'aime ジュ・テーム」ですが、友達同士でもかなり頻繁に口にします。
英語で「ハニー」や「ダーリン」とかがあるように、フランス語では、愛情をこめて相手を呼ぶ言い方があるのですが、さすがはおフランス。何種類もあるのです。
「私の愛しい人」という意味で「ma chérie マ・シェリ」 や 「 mon chéri モン・シェリ」とか、「私の美しい人」という意味で「ma belle」。これなんかは「僕のべっぴんさん」みたいな感じでまだ対訳しやすいけど、「私の愛」という意味で「mon amour」。さらには「にわとり」の意味の「ma poulette」や「キャベツ」の意味の「mon chou」やら「うさぎ」の意味の「mon lapin」やら、「蚤」の意味の「puce」から、もう挙げだしたらキリがない。「僕のニワトリちゃん。」とか「私のかわいいウサギちゃん」とかってわけです。訳すと「ぷぷぷ」って感じでしょう。で、これを恋人同士はもちろんだけど、親が子へ、おじいちゃんから孫へ、またはピアノの先生が小さな生徒のことを、そして友達同士でもこんなんで呼び合ったりしていまうのです。

私にとったら、男女のカップル間のやりとりの違いなんかよりも、この女の子同士のやりとりをみていて文化の違いの大きさを感じさせられました。だって、カップル間のことはカップルによることが多いから。
そんなこんなで、私が日常的に見る光景として、ある女の子がその友達のそばにやってきて肩を抱き、さらには両手で相手の顔を包んでほっぺにちゅっとして、「je t'aime, ma poulette」というのがあるわけです。
絶対に日本ではみないでしょう?
で、こんな光景に見慣れてからオペラを見ると、以前感じていた違和感を感じなくなるのです。

そして私は納得する。「オペラはヨーロッパの文化」だと。

日本にいながら、どこかの国の文化にあこがれて、いろいろ集めてみたりマネしてみたりする人はたくさんいると思うし、どこかの国で生活しながらその土地の文化がすんなりと身に入る人もいる。きっとフランスには彼氏のことを「mon chéri」と呼んで暮らしていたり、恋人から「 mon amour」と呼ばれることがしっくり きている日本人もいるんでしょうね。

でも人はそれぞれ。
私には「ce n'est pas mon truc」です。
私は「オペラ歌手になりたい!」とは全く思えないし、どんなにかわいい生徒のことでも「ma puce」と呼んでおでこにキスはしません。親しい人のことはあくまで名前で呼びます。
体にしみ込んでいる文化というのはそんなものだと思います。

それでもオペラの世界に関わることを楽しいと感じている最近の私でした。

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