2009年5月29日金曜日
うそでしょ~!!?? in メガネ屋さん
今回もまたしっかりやられました。
ありえない。。。
私はフランス生活7年目にして、初めてフランスで眼鏡を新調してみようと思ったのです。普段はコンタクトレンズを使っているのですが、夜寝る前につかう眼鏡がもういいかげん傷んでいて汚れていて、しかもゆがんでいるので、これではもしものときに人前に出れらないな、、、とつくづく思っていたからです。目の調子が悪いときに、何気にかけたまま仕事とかに行けるメガネをもっているにこしたことはないですからね。
日本では格安メガネやお手頃な値段の眼鏡がたくさんあって種類も豊富ですが、フランスではメガネ屋の数こそ多いし、眼鏡を愛用しているひともたくさんいるけど、値段が高い。
でも逆に、メガネも健康保険の対象となるので、強制保険であるセキュリテ・ソシアルからも微々たるものながらも払い戻し、そして任意保険からはかなりの額の払い戻しを受けることができて、最終的には100ユーロ以下で買うこともできます。
私は今回、自分が加入している任意健康保険会社が提携を結んでいるメガネ屋さんだと払い戻しの額がさらに増えるということで、モンペリエの街にある個人経営のメガネ専門店に行きました。
店舗の面積も小さく、品揃えもそんなになかったけれど、あれこれ探し始めても時間がかかるし、なんせ私は日常はコンタクトを使い続けるつもりだから、まあこんな感じかなというメガネを選び、いざ、注文しました。
このメガネ屋さんのムッシューは、適度にまじめな感じで、適度にゆるい感じで、営業にむく適度な笑顔で、まあ感じのよいムッシューでした。彼が一人で経営し、ひとりで働いているお店。
私はフランスのことだから、眼鏡が届くまで1週間はかかるだろうと思っていたら、ムッシューが「二日でできますからね。」と言ってきて、まじめに驚いたものです。
しかし、やっぱりここはフランスだった。モンペリエだった。
ここから話が始まるのです。。。
このムッシューは、二日後にはできるとは言っても、「確実にするために、いずれにせよ眼鏡が届いたら電話でお知らせします。」と言っていました。
が、まず、電話はかかってこなかった。
そして、2週間続いて祝日があったこともあり、私の都合も合わなくて、結局私が自らまた店にでむいたのは二週間以上たってから。
店に行くと、ムッシュー一人ではなくて、若いお姉さんがいました。
彼女が対応にきてくれたので、「あの~、二週間以上まえに注文したんですけど、メガネ、届いてますか?」と聞いた。
すると、このお姉さんはとても真面目な顔をして、「ちょっとお待ちくださいね。」といって店の奥にいたムッシューを呼んできた。
で、私が「○○ですけど、、、」と言ったら、理解のできないことを言われた。
「あなたの注文、確かにしたんですけど、私の研修生がメガネを焼いてしまいました。」というのです。
なんでメガネ屋で「眼鏡が焼かれる」のか、私は理解できなくて 「???」
心底驚いている私をみて、ムッシューが「見に来てください。」と奥に案内してくれた。
で、そこで見せられたもの。
私が注文したメガネのフレーム。しかし、見るも哀れないびつな形に変形している。
「?!?!?!?!?」
要は、私に合わせたレンズを、私の選んだフレームに合わせてサイズに整え、そのレンズをいざフレームにはめるという作業を、この店頭で、きっとあのお姉さんだと思うけど、研修生がして、フレームにはめるためにちょっと温める作業のはずが、熱し過ぎてフレームがとけてゆがんだというのです。
あっけにとられている私に、ムッシューは「すぐさま次のフレームを注文しましたからね。二日でくるはずです。」と言う。
で、私がこのように待たされることに対しては一応、「すみません」とおっしゃいました。
でも、それ以上の詫びの言葉は、ここフランスでは期待できません。
で、モンペリエらしく、ムッシューは一言付け加えた。
「でも、現代アートみたいでいい感じじゃない?」と。
「。。。」
でも私ももうモンペリエ人には慣れてきているわけだし、無言で終えるところを、
「ほんと!私これも頂いていくかも!」
とお返しをしておきました。
それにしても日本じゃありえない。
二日後にはできると言われた眼鏡が、二週間以上かかったあげくに、フレームが変形。。。
溜息がでますよね。
でも、こんなことで収まるモンペリエ生活じゃないのです。
まだ話は続く。
変形してしまったフレームを見せられてから3日後、私はまた店に出向いた。
二日後にはできていると言われたけど、私は三日後に行ったのがまずはみそ。
ムッシューは、私の顔はわかっているという感じで出てきた。
それはいいけれど、また驚愕の真実。
「私はしっかりあなたが選んだこのフレームを頼んだのに、業者がまるで違うこの色を送ってきたんです。。。」との宣告。
見てみれば、私が頼んだのは紺と紫の間のような色で、この前変形されたフレームはしっかりこの色だったのに、今目の前にあるのは、茶色と黄土色のひょう柄ちっくな斑点模様。
さすがに私はニコリともできずに、
「。。。。。」
で、ムッシューは謝罪しない。
謝罪のかわりに「plein de misères! 」とおっしゃった。
「災難がいっぱい!」というわけだ。
「。。。。。」
こんなこと日本ではありえないでしょう。
ありえないヘマの連続。
たとえフレームを溶かしたのが彼じゃなくても、たとえ色を間違えたのが彼じゃなくても、私はお客さま。
あちら側の連帯プレーの落ち度なのに。。。彼のミスじゃないから謝らないんですね。もとより、自分のミスのときでも謝らないのがフランス人ですからね。
で、ムッシューは、「もしあなたに不都合で困られるなら、この色のフレームにとりあえずあなたのレンズをはめて、良品が届くまでおかしします。」と提案された。
はっきり言ってもうどうでもいいけど、まあ、新しいメガネの度具合に慣れるにはいいかと思って、「はい、じゃあそうしてください。」と頼みました。
で、結局、このムッシューがささっと例の温める作業をしてレンズをはめてくれて、5分もかからずに出来上がった。
色は私の注文したものじゃないけど、私のためのレンズと、私が選んだフレームの形。
なぜ、最初に研修生にやらせたんだ~~~!?と叫びたくなる。
ま、そこが私の不運だったということですかね。
ムッシューはおっしゃった。
「早ければ、明日、遅くても火曜日にはできますからね。(月曜が祝日だから)」
はたして次回は本当に私の注文したとうりの眼鏡が受け取れるのだろうか。
注文した日から、3週間以上たつことになるけど。。。
2009年5月28日木曜日
馬が~!牛が~!
私はいつものように、お昼までサン・ジョルジュ・ドルク St. Georges d'Orques でピアノのレッスンをしていました。
すると何やら外が騒がしくなってきて、街のあちこちにバリケードがはりめぐらされ、私が仕事をしている古い家の門も外から勝手に閉められて、さらには道路にバリケードがはられました。びっくりした私は生徒と一緒に下に降りて行って、バリケードをはっているムッシューたちに尋ねました。
「あの~。私たち中にいるんですけど。。。私14時までここで仕事してるんですけど。。。」と。
そしたらムッシュー達は「le taureau が来るんだよ!数分で終わるから!」といたずらっぽく笑う。
le taureau とは牡牛のこと。
牡牛と言えば、白い馬とならんで南フランスの風景特有の動物です。特に白い馬はカマルグの馬。モンペリエとマルセイユの間の海岸線のエリアは、大湿地帯で、特殊な自然環境が整っています。フランスで唯一お米を作っている土地でもあり、塩の名産地でもあり、自然保有地区に指定されています。カマルグ地方では、白い馬にまたがって牡牛の群れを管理する、カーボーイ風の人たちの革靴や革の帽子が特産品として有名です。
で、土着文化というか、今でもCours camarguaise といって、群れから隔離された一頭の牡牛を、数頭の白い馬で囲みながら一緒に走り、アレーナ(闘牛場)まで誘導したり、人が牡牛を追いかけて、牡牛のしっぽ(確かしっぽ)にくくりつけられたリボンをとったら勝ち!みたいなレースが行われています。
そんなことは知っていたけど、あくまでもカマルグでの話だと思っていました。
しかしここ、サン・ジョルジュでも「牡牛?」
何がおきるのかと思ってレッスンもよそに気をとられていると、外で空砲が鳴り響き、まもなく歓声が聞こえてきました。
で、私も生徒といっしょに窓辺によって外をみると、、、
いきなりこんな景色がおがめたのです。
サン・ジョルジュ・ドルクというのは、村の中心地にこそ古い集落跡のような昔ながらの家がならんでいますが、あたり一遍は普通の住宅地。大きな家がならんでいる、中級階層以上のフランス人が住んでいるところの典型的な村なんです。この路地だって、普通に車がとおる通りなんですよ。
それがこの白い馬と牡牛の出現とともに、農民的な土着的な、昔ながらの農業大国フランスを目の当たりにさせられたから私は目からウロコ。。。
いつの時代のどこにいるのやら。。。
昔からの文化、風習をこうやってお祭りとして守るのはいいことだけど、日常空間に突然ふってわいたようなこのささやかなお祭りは、インパクト大でした。
2009年5月24日日曜日
昼ピクニック in 花の国
向かった先は、大の犬好きの私に、前々から「たくさん犬がいる公園があるよ~。しかも大型犬がいっぱいだよ。」と言ってくれていた公園 Domaine de Méric。
私の家からは北に20分ほど歩いていったところにあります。ここは19世紀の印象派画家バジユFrédéric Bazille の夏の別荘だった土地で、周辺の風景は彼の作品によく描かれています。
この入口の門から見えるように、私は入ったらしばらく木陰を歩くもんだと思っていました。
が、中に入って私は一声。
「うわ~~!!」
だって予想していなかった景色が目に入ってきたからです。
それがこちら。
木陰を歩くのではなくて、広い広い野原が広がり、一面の花畑だったのです。
この日、気温はかなり上がり、夏日の始まりでした。青い空の下に花畑。なんて気持のよい風景でしょうか。
こんな景色を見ながら平日の昼間っから、おにぎりを持ち込んでピクニックをしたのです。贅沢な話ですね。
普段、犬がたくさんいると聞いてはいたけど、まあ平日の昼間なので散歩に来る飼い主もおらず、犬さんたちにはお目にかかれませんでした。逆に、大型犬がたくさん遊んでいる風景なんて見たら、私大興奮しちゃって、そのあとで仕事にも行かなくなる危険がありますからね。
この公演で何に驚いたって、静けさにも驚きました。
この敷地は周囲が木々で囲まれていて、音を遮断しているよう。静かな花の国。まるで異空間。
奥にはかの画家の屋敷が見えます。
この日はあまり時間もなかったので、この野原を見ながらピクニックをして帰りましたが、この敷地はかなり広いみたい。イギリス式庭園もあるのだとか。
今度またゆっくりとお散歩に来たいなと思いました。
モンペリエの街のすぐそばにこんなところがあるとは知らなかった。在7年目にしてまた新たな発見。
「モンペリエ、なかなかやるな。」です。
2009年5月21日木曜日
エルヴェ・ニケ氏
エルヴェ・ニケ氏と言えば、先ごろお伝えした「アーサー王 King Arthur」で、しゃべって歌って踊っての大サービスを披露してくれたマエストロ。Hervé Niquet と書いて「エルヴェ・ニケ」というより「アルヴェ・ニケ」という発音の近いような気がしますが、日本ではエルヴェ・ニケの表記で通っているようです。
ヨーロッパだけでなく、カナダ、アメリカ、そして日本でもかなり指揮している人で、バロック音楽の専門家として知られています。特に、「コンセール・スピリチュエル」という古楽オーケストラと合唱を自ら結成し率いて、各国各地で高い評価を得ています。まだ知られていなかったバロック時代のフランス音楽を調査、研究し、音楽学の研究分野でも評価されています。
一流の演奏家、音楽家が研究もとことんやって一流の研究家も兼任しちゃって、もう言うことないですね。
しかも彼と「声楽」のつながりも本物。彼はピアノ、クラヴサン、オルガン、声楽、合唱指揮、指揮の勉強を終えてから、23歳という若さにしてパリ・オペラ座のコレペティになりキャリアをスタートさせました。歌手のトレーニングを務めるだけでなく、自らも実際にテノール歌手としても活動した経験もあって、「声楽」に精通した人なのです。
そのため、ニケ氏との練習は学ばせてもらうことがたくさん。ジャン・アブシル(Jean Absil) の「Chansons Plaisantes」と 「Le Cirque Volant」を練習する子供たちとはジョークもふんだんに、そしてダリウス・ミヨー(Darius Milhaud) の「Barba Garibo」を歌う若者たちとはもっと要求度もあげて厳しく、でも楽しく一日が過ぎました。
マエストロの教え : 「Rrrrrrrrrrrrrrr!!!」
まるで鳩のものまねかのように「Rrrrrrrrr!」という雄たけびを連発するニケ氏。「R」の発音というか発声を強く要求してのことです。「R」だけじゃなくて、すべての子音がはっきりと聞こえるようにしつこく要求します。声楽を学ぶ人にとったら子音の発音は基本の基本でありますが、ニケ氏の要求度の高さはすごいです。「これでもか~!」というほどに子音が聞こえるようにしないといけません。
日本人にとったらこの子音、難しい問題なんですよね。日本語は母音と子音がぴったりくっついて発音されるので、子音だけを発音することに慣れていないからです。一方、フランス人などにとったら、「V」、「B」、「Q」、「C」、「S」とか、「P」、「F」、「M」、「N」とか、子音だけを発音することは日ごろからしていること。それでも歌う時にはっきりと歌詞が聞こえるようにするのは、また特別な注意と努力が必要なんですね。
それにしてもこんなに知識豊富で経験豊富な指揮者さんの横でピアノに向かい、一緒に仕事をさせてもらうというのは、報酬付きでお勉強をさせてもらうとてつもない貴重な経験です。時には彼も私と一緒にピアノに向かい、ニケ氏と連弾をしたりして、楽しませてもらいました。なんという贅沢。
オペラjrのみんなも贅沢な経験のチャンスをもったものです。ニケ氏がおもしろおかしく身振り手振りで説明したり、歌ってみせたりすることで、理屈ではなくて生きた音楽が感覚で伝わるし、その感情とパワーがダイレクトに伝わりますからね。
一見、気難しくて要求の高い人といった印象を与えるニケ氏ですが、6時間の練習を通して、子供や若者に対しての音楽教育の才能にも長けた人だと発見しました。
休憩中、彼がかなり日本に行ってるようなので、ちょっとおしゃべりをしかけてみました。東京、名古屋、横浜、などはもちろん、金沢でも指揮をしているとのこと。彼の日本好きはかなり本格的なようでした。そんなに日本に行ってるのなら、日本での受け止められ方はどんなのかな?と興味をもってインターネットで調べてみました。
そしたらニケ氏は「鬼才」と呼ばれていました~。
正直言って、見た目「鬼才」という言葉もぴったりくる人。
興味ある人は覗いてみてはいかがですか?
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/080824/msc0808240846001-n1.htm
http://www.operacity.jp/concert/2008/081028/interview.php
私は日本での生活を続け、モンペリエに来てなければ、こんな人と一緒にお仕事をする機会なんてなかっただろうに、人生はおもしろいもんだな~と改めて思いました。
2009年5月19日火曜日
夜ピクニック
場所はミュヴィエル・レ・モンプリエ Murviel lès Montpellier。モンペリエから西側に18キロほどのところ。私が普段レッスンをしているサン・ジョルジュ・ドルク St. Georges d'Orques よりもさらに山がわになります。この音楽学校は、いくらかの援助金を出資してくれている6つの村にまたがって教室があり、それぞれの村の行事や活動にも関わるようにして、村とのつながりを深める努力をしています。まあ、生徒もこの6つの村の住人がほとんどなんですけどね。
さて、このコンサート。普段から常時アンサンブルのクラスとして練習しているグループに加えて、フルートのクラスのアンサンブル、トランペットのクラスのアンサンブル、そしてギターのクラスのアンサンブルも曲を発表しました。
さらにプログラムの目玉作品は、ほぼ全楽器を集めての大アンサンブル。ヴァイオリンの先生であるMが指揮をとって、オーケストラと呼んでもいいくらいの大人数で、ロドリーゴの「ギターとオーケストラのためのファンタジー」を演奏しました。参加楽器はヴィアオリン、チェロ、ギター、フルート、トランペット、サックス、パーカッション、そしてピアノ。総勢40人くらい。このメンバーは常時アンサンブルをしているのではなくて、各クラスがそれぞれのレッスン内でパートの準備をし、2ヶ月前からはパート練習やセクション練習をし、最後には全体練習を行ってまとめてきたのです。この日のコンサートが第一段で、このあと6月頭にはピニャン Pignan でのコンサートでも演奏予定。そして、毎年年度末にしている音楽学校の合同大発表会とでもいうようなFête de l'école が6月半ばにラヴェリュンヌ Laverune でありますが、ここで第三段発表の予定となっています。
このコンサートには私の生徒も3人がトランペットと共演。そして二人がロドリーゴに参加。5人も生徒がでるのなら、普通は私も現場に行ってみんなと一緒に取り組むところです。でも、この日は18時までよそで仕事あったし。コンサートは1時間半くらいで終わる予定だったし、もう顔を出さないで不参加にするつもりでした。
が、3日目にヴァイオリンの先生Mから電話があって、前々から仲のいい先生で集まって食事しようね、と言ってた話をこのコンサート後にしようとということになったから、とのお誘いがきました。他の先生はもちろんコンサートの会場準備から生徒の指導、サポートで働くわけですが、私は17時には行けないどころか、コンサート終了前に行けるかどうかももあやしい状態。でも「leonardoは打ち上げだけにでも来てよ!」と言われてしまったので、それを断る理由もなかったから、「わかった。仕事が終わり次第いくよ。」と返事。
でも正直、電話を切ってから、「午前中はサン・ジョルジュで仕事して、午後はモンペリエで仕事して、18時に終わったらまたあっちの方向に行く気あるのか私?」と自問自答しました。だって最近忙しくて疲れてるし。。。
そして当日。18時になるまで「ほんとに行くのか私?」と問いつつ、「ま、ここで『疲れてるから今日はパス』と電話するか、行くか」という判断を自分にせまり、結局、仕事から出てすぐにそのまま車をとってミュヴィエルに向かいました。
私が到着したのは18時50分。
一時間半くらいと言っていたコンサートも、多少はのびたり遅れたりして、ちょうど今頃終わるくらいだろうな、、、と思って着いてみたら、トランペットの音が聞こえてきました。
まだまだコンサートの真っ最中のよう。
しかもトランペットの曲が聞こえるということは、トリをつとめるロドリーゴの演奏はまだだということ。
これはラッキー。お目当ての曲が聴ける。
会場はミュヴィエルの村役場の多目的ホールだったのですが、どうやら音楽学校関係者じゃない人も聞きに来てくれたようで、大盛況。立ち見はもちろん、入口から入れないまま外で聞いている人もいました。
私が到着してから、ちょうどトランペットが終わり、最後のロドリーゴの大演奏。なかなかいい演奏でした。
「こんなちっぽけな(組織として)音楽学校でも、こんなことができるんだぞ~!」とみんなが感じているのが顔に表れているような、すてきなコンサートとなりました。参加した生徒も、先生も、生徒の親も、みんなうれしそうで誇らしげ。資金面、運営面で問題だらけの学校ですが、なんとか存続していかないとだめですね。だって誰もが口にするけど、「素敵なチーム!」と言われる先生陣(もちろん全員じゃないけど)と生徒の親代表のメンバーがそろってる。やる気とチームワークと行動力さえそろえばいろんなことができる。とくに「この学校をもりたてよう!」とさえ思っていれば。
結局、生徒の側にしてみれば、刺激を与えてくれるできごとがあれば、「上手になりたい!」という意欲は自然に湧くし、練習なんてどんどん自発的にするようになるもの。
とにかくロドリーゴの曲に関しては、まだこの先2回演奏のチャンスがあるから、まだまだ改良されていくはず。
そんなこんなでコンサートが終わったのは結局19時半。それから会場の後片付けなどをしていたら、あっという間に20時もまわりました。マイクやスピーカーなど音響の機材も使ってしているから、かなり大がかりな会場になるんですよね。
片づけが終わって会場から外に出た時、ふと見上げて目に入った景色が気に入ったのでパチリ。
ミュヴィエルの村と言えば、今から5年前に初めて行った時に、私はそのかわいらしさに魅了されてしまったのでした。ピニャンとサン・ジョルジュからどんどん山側に上がっていったところにあるのだけど、日本の都会暮らしに慣れてる私にとったら、周囲から断絶されたような感じが新鮮で、しかもまるで山の中の避暑地のようなたたずまいが素敵。こんなところで日常生活をしている人々がいるものなのかと目からウロコを感じたものです。写真に写ってる教会が一番高いところにあります。
モンペリエの街からしたら、村全体が高台にあるので、実は晴れた日には遠くに海岸線が見えるのだとか。高いところから見渡すのって、リッチな話ですよね。
「どこで食べる~?」という話になって、Mが「となりの公園で食べよう!」と決定。
どんなところかと思って行ってみると、村役場のすぐ横には緑あふれる広場がありました。さくらんぼの木も真ん中に。
鳥の声も聞こえ、なんとも心地よい空間。
早速、ワインとおつまみが出てきてみんなで乾杯。
私は「へへ、今日はこのためだけに(食べるため)来たんだ~。」と白状。
この日はさすがに私は何も準備できなくて手ぶらで行ってしまったけど、他のメンバーがサラダ、ライスサラダ、チーズ、パン、ワインなど、準備してくれていました。しかもこの公園には誰もがバーベキューをできるように暖炉があって、それを知っていたMはソーセージを準備してきていました。しかもどこやらで木を集めてきて火の準備。そして実際にバーベキューです。
徐々に日が暮れていって、ろうそくを並べたり暖炉の火がパチパチする音なんて聞いてたら、まるでもうバカンスに入ったかのような錯覚に陥りました。キャンプファイヤ~を思い出す。
「行くのめんどうくさいな。。。」と思っていた私ですが、やっぱりたまにはみんなでワイワイとしゃべって食べて飲むのはいいものですね。しかも、夜ピクニック。ろうそくを並べていると「どこのセクト(カルト集団)だ?」って話になりますが、セクトごっこなんかしながらおしゃべりもはずみ、食事はとてもおいしくいただきました。
22時ともなるとさすがにもう暗くて、しかも気温が下がって寒くなり、冷えに弱い私はそこらへんで失礼させてもらって帰ってきました。「明日も朝9時からだから、、、」と言いながら。。。するとみんな「ええ==!?明日も朝から仕事?」と驚くとともに拒絶反応。やっぱりフランス人には日曜日に仕事なんて普通はありえない。私だってこうして夜ワイワイした次に日にはやっぱり昼ごろまで寝ていたいけど、まあ今のところ仕方ないや。世間と時間がずれた「スペクタクルの世界は楽しい」と思って、「お仕事がくるのはありがたい」と思っているうちはね。
2009年5月18日月曜日
セート公演
場所は前にも紹介したことのある、セートの劇場Le Thèâtre Molière。劇場の内部は前にお見せしたので、今回はセートの街をちょっぴりご案内します。
セートSèteはモンペリエから35キロほど西にいったところにある港町。日本語では「セート」と表記するか「セットゥ」と表記するか迷うところ。
フランスの港の中では11番目の規模で、漁獲高に関して言えば、フランスにとって地中海沿岸での最も重要な基地となっています。
海からすぐに丘というか小さな山があって、それがサン・クレール山 Le mont Saint-Clair。陸地の裏手には大きな入り江の湖 トー( l'étang de Thau)があるので、セートの街は海とこの湖の間、サン・クレールのふもと、そしてサン・クレールの丘陵部分のエリアに分かれます。
セートに向かうとき、まずサン・クレールの山が見えてきます。
セートは港町といっても、マルセイユや横浜港、神戸港のような大きさではないし、工業的な雰囲気はなく、「漁港」を感じさせてくれる雰囲気があって、私は好きです。
街の中に入れば、こうして水と山が間近に楽しめる景色なのです。
「ヴェネツィア見たい~!」とまでは言い切れないけれど、なかなか素敵な感じでしょう?
6年前に初めてこの街に来た時は夕方だったこともあって、水と暖かい色の照明がなんとも言えず、これがロマンチックなヨーロピアンかとも思ったりしたものです。
でも実際は、、、。
私のつぼにはまっているのはセートの人々のなまり。
フランス語でそれぞれの地方特有の発音のなまりを Accent アクソンと言いますが、セートのなまりはかなり強烈なのです。パリの人は南フランス全体のなまりを田舎者扱いしてからかいますが、セートこそすごいなまりなのです。
「元気?」とたずねる挨拶で「tu vas bien ?」と言い、「チュ・ヴァ・ビアン?」的な発音がノーマルですが、これがセートになると「チュ・ヴァ・ビエン?」となり、この「ビエン」がみそなのです。これだけで強烈な田舎臭さを出すから愛嬌たっぷり。
私は初めてここのなまりを聞いた時に、まるで日本のどこかの方言を聞いているようなさっかくに陥り、フランス語だとは感じられずにいました。まるで日本語の方言をしゃべる外国の人としゃべってるような感じ。
方言、なまりというものは本当に「素」から出るものだから、気取ったところがなくて自然体である証拠。私も外国人のくせに、セート周辺のなまりはよくからかわせてもらいます。「ちゅ・ヴぁ・びえん~?」って。
さて、この日は時間に余裕をもってセートについたので、こうしてカメラを片手にセートの街をふらっと散歩した私でした。テアトル・モリエールは、駅から一直線の大通りに面してあります。プラタナスが並ぶこの通り。
私はこの日、本番の字幕操作のためだけに行ったので、かなりお気楽気分。自分が実際に練習・準備に参加したオペラだと、音楽もよくわかっているから気楽なのです。字幕だけに駆り出されるときは、オペラの音楽をよく知らないわけだし、現代オペラなんてことになると、楽譜に向かって集中しっぱなしになるのでかなり疲れるのです。
テアトル・モリエールは、モンペリエのオペラ座コメディよりもだいぶ小さいので、演出の面でもオーケストラと歌のバランスの面でもいくらか修正・再適合して本番を迎えましたが、このホールの素敵な音響効果も手伝って、「ディドンとエネ」のセート公演は大成功に終わりました。
本来、これでオペラjrの「ディドンとエネ」は終了する予定だったのですが、皆さんの期待をさらに上回る結果だったことから、来年度もいくつか地方公演に出ることが決定されました。そのため、このメンバー、このスタッフでの冒険はまだ続く。。。
2009年5月17日日曜日
丘を越えれば、、、
仕事で数か月ぶりにセートに行ってきたんです。
以前にもブログで紹介したセートは、モンペリエから西へ35キロほどいった港町。金曜日の18時半ごろに、車で向かいました。この日のモンペリエでは日中は曇り空で肌寒いと思っていたのに、夕方になるにつれて青空が。
いつも自宅からセートに向かうときの海岸にそった道のりではなく、しばらく内陸を走るルートで行き、久しぶりにみる景色がたくさんあって、懐かしさを味わうドライブとなりました。
で、モンペリエ西側の村々を横切って走ったあとで、地中海に下る道を走ったときのこと。ゆるやかな丘を上がり、「次はどんな景色かな~?」と思った直後に見えたのがこの景色。
青い空と、その下に見えるのは、そう、海!
うれしくなっちゃって、ついつい、いつもの運転シャッターをしてしまいました。。。
こんなふうに、海岸線も水平線もまっすぐに見渡せてしまう海は、私はあまり日本では見たことなかったからな~。しかも海に向かう道。
地中海を見るたびに、「私はフランスにいる」というより、「昔、社会で習った『地中海性気候』のエリアにいるんだな~。」と実感します。
海まで一直線。夏まで一直線かな?
2009年5月10日日曜日
サクランボの季節
かわいい4人姉妹のいる6人家族の家庭。彼らの家の庭にあるさくらんぼの木に、毎年たくさんの実がなるとのこと。
頂いたさくらんぼを早速食べてみると、甘くておいしい!
私はほのかに甘くてほのかにすっぱさもあるさくらんぼが大好きです。
そういえば数年前には、ある人の山中の別荘地でさくらんぼ狩りをさせてもらったのでした。というか、たくさんあるさくらんぼを収穫するための人手として駆り出された私たちだったかも。。。
写真はその時のもの。
さくらんぼって、6月頭ごろが季節かな?と思ってましたが、5月頭にさくらんぼを頂いて、あれ、そんな時期だったかな?とちょっぴり驚きました。
まあ、正直言って、私はさくらんぼの季節がいつなのかあまりわかっていませんでしたが、生徒さんファミリーのさくらんぼは、普通に店にさくらんぼが出回る時期よりも、毎年2、3週間は早く時期をむかえるのだとか。
納得。
かわいい赤。
さくらんぼってやっぱりかわいい果物ですね。
山ほどもらって、なんだかリッチな気分です。
2009年5月8日金曜日
Sancta Susanna
今回、前半で上演されたのが「Sancta Susanna」サンクタ・スザンナ(日本語タイトルは「聖スザンナ」)。ドイツの作曲家ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963) が作曲したオペラです。
ヒンデミットといえば、一般の人にはあまりなじみがなく、「難解な曲を作った作曲家」みたいに思っている人も多いでしょう。クラシック音楽でもバロック、古典、ロマン派の音楽に慣れ親しんでいる人にとったら、それは「難解」な音楽と聞こえるでしょう。でもヒンデミットの音楽は決してシェーンベルグの12音主義の音楽や無調の音楽ではなく、調性の音楽の枠内なのです。
音楽を専門とする人、特に器楽奏者にとっては、ありとあらゆる楽器のために曲を書いた人として人気があります。例えば、それまでオーケストラの1パートを務める楽器とだけみなされていたヴィオラのためにソナタを作曲し、今ではヴィオラ奏者には欠かせないレパートーリーの代表作となっています。ピアノパートはと言えば、リズム的にも音型的にも難しいのですが、そこを「おもしろい」ととらえる人も少なくはありません。
器楽のためにたくさんの曲を残したヒンデミットですが、オペラでは「画家マチス」や「世界の調和」が知られていて、計12曲のオペラを作曲しました。「聖スザンナ」はヒンデミットがまだ若い、初期のころの作品です。彼は1921年にこのオペラの作曲を完成させていて、この時期はちょうど第一次世界大戦直後で混乱の時代でもありました。
さて、このオペラが実際にどんなオペラかというと、一言でいって「スキャンダラス」なオペラなのです。
台本は表現主義の詩人・作家として知られるアウグスト・シュトラム (August Stramm 1874-1915)が書いた戯曲がもとになっています。1918年に行われたこの戯曲の初演は、警官による警備と見張りがものものしい劇場で行われたそうです。
なぜかというと、スキャンダルを巻き起こすのが必至だったからです。大パニックが安易に予想されていたのです。
物語が扱うテーマは「修道女と性」、もしくは「修道女の性」といえますが、それだけでも十分にデリケートでスキャンダラスなテーマなのに、さらにはその性の対象がキリストでもあり、「キリストと性」というテーマにもつながり、二重、三重にもスキャンダルを巻き起こす要素があるわけです。
ヒンデミットはこの物語を一幕からなるオペラにまとめました。長さは25分ほどの短いものです。オペラの初演は1922年にフランクフルトで行われましたが、それはそれは大スキャンダルを巻き起こしたそうです。
今回、モンペリエオペラ座の公演での公式プログラムにのせられたあらすじを日本語訳してみます。
---五月のある夜の修道院の中。修道女クレメンツィアが、聖女マリアの祭壇の前で祈りをささげている修道女スザンナを心配げに見ている。窓からは春の匂いや物音が入ってきて、女の歓喜の叫び声が聞こえてくる。スザンナはこの若い女とおしゃべりをしてみたいと思うが、会話は彼女を探しに来た若い男の登場で途切れる。このできごとを見た修道女クレメンツィアは、昔、修道女ベアタが全裸になってキリストの像に抱きつき、そのかどで生きたまま壁に埋め込まれたある春の夜のことを思い出す。官能のよろこびがスザンナを包む。スザンナは胴衣をぬぎすて、キリスト像の腰の布をとりさる。やってきた修道女たちから懺悔をもとめられるがスザンナは拒否する。。。---
この短いあらすじの文だけでも、キリスト教社会にとっていかに衝撃的な内容かが想像できると思います。
オペラの中の登場人物は、修道女スザンナと修道女クレメンツィアの二人がメイン。オペラの最後の場面でスザンナを非難する他の修道女たちとそのリーダーが、わずか数小節ですがソロパートと合唱を歌います。そしてそこに修道院の窓の外側でsexをしていた若いカップルの男女が歌手ではなく俳優として加わります。
純粋に音楽だけをみても、このオペラのもつインパクトはすごく強いのです。オーケストラの楽器編成は結構大編成で、金管楽器が充実し大きな音響を可能にします。演奏時間わずか25分の中で、緊張感がはりつめてはりつめて高まって高まって、という密度の濃い音楽となっています。
オペラは「春の夜の修道院」にふさわしい、静かな、でも不安に満ちた音楽で始まります。オペラ前半で何度も出てくるフルートソロの三重奏が印象的。春の夜の鳥の鳴き声にも聞こえるし、何かが起きると予感させるようでもあるし、、、。
そしてオペラ前半の驚くべきことといえば、5分間くらいにわたってずっと高音で響いているオルガンの音。正直言って、私は楽譜を見て初めて、これがオルガンの音だったとわかったのです。だって楽器の音とは感知しにくい、まさに「耳鳴り」のような音なのです。しかもそれが微妙な音量で、観客は「あれ、何かの雑音?」とか「あれ?耳鳴り?」とか、何やら得体のしれない不快な音を耳にしているわけです。でもこの目には見えないオルガンの高音が、緊張感を高め、オペラの劇的要素に大きな効果を与えていると思います。
緊張感は若いカップルの登場から高まりはじめ、修道女クレメンツィアが語る昔のあるできごとの話で急速に高まっていき、修道女スザンナが胴衣を脱ぎ棄てて「私はきれいでしょう?」と叫ぶ場面で大爆発するといった感じです。
ここでスザンナ役のソプラノ歌手は高音のド(ピアノの真ん中のドから2オクターブの上のドです。)をフォルティッシシモで歌うのです。
この高音は普通にpで歌われても鳥肌をさそう音なのに、これがなんとフォルティッシシモなのですから、もう圧倒的というか、超人的というか、生身の人間からこんな声がでるのかと思わせる声で、観客はみんな「!!!」となってしまいます。
オペラの最後はスザンナを非難する修道女たちが「懺悔せよ!」と叫び、スザンナが「No!」と叫び、修道女たちは「悪魔め!!!(サタン)」と叫んで、オーケストラと一体となった大音響で幕を閉じます。
25分間の大濃縮された音楽。
圧倒。
そんな音楽に、オペラであるからには演出が加わるのです。
ジャン=ポール・スカルピタ氏の演出による「Sancta Susanna」は2003年にモンペリエで初演されています。
が、そのとき、これまた大スキャンダルを生んだのでした。
もともとスキャンダラスなこの台本とこの音楽へ加わったのが、さらにショッキングな演出だったからです。
全裸の男女を舞台に登場させるだけでなく、この全裸の男がキリスト像の役もつとめ、つまりキリスト像が生身の全裸の男によって演じられるからです。
2003年の初演時には保守派のキリスト教徒がかなり過激な言葉を書いた大だんまくをはり、ひざをついたかっこうで並び、抗議活動をしました。
さて、どんな感じの舞台だったのか、簡単に紹介してみたいと思います。
舞台セットとしては舞台左手に大きな十字架があり、ひとつのろうそくの火が揺れているだけ。この舞台上に修道院の胴衣をまとった二人の修道女。本当にシンプルです。CORUMで行われたので、舞台の大きさもかなりのもので、広い舞台がほぼ真っ暗。薄暗いライトの中でろうそくの火と二人の顔だけが見える感じ。
こちらは公式プログラムにも載せられていた、計画発表の段階の舞台美術の模型の写真です。
舞台セットはだいたいこんな感じで、背景の空の色がこうではなくて、まずは暗闇。そしてオペラ内で「開けっ放しになった窓」の話がでてくると、舞台照明によって舞台の奥に修道院の大きな窓らしきものがあらわれます。
そこへ遠くからsexの最中の女性の叫び声が聞こえてきて、若い女の子が登場します。そして彼女を探しに追ってきたのが上半身裸の若い男の子。二人はすぐに走りさるのですが、ここからスカルピタ氏は「性」というテーマを、この二人の全裸を舞台上で見せることで表したのです。
暗い舞台と対照的に春を感じさせる明るい照明に照らされた舞台の奥で、完全全裸でからみあう二人。そしてまるで現実じゃない映像のように、舞台奥の右と左で二人が完全全裸で、しかも観客に向かって正面をむいて立ち、舞台照明によって二人の姿がうかびあがっては消えていく。ここまでは舞台全面でやりとりをしているスザンナとクレメンティアのバックであることと、舞台の奥であることと、照明の絶妙な具合によって、本当になにか映像をみているようなきれいなものでした。時間もわずか数秒のことだし、そこだけが強調されるなんてことではなくて、文字通り「うかびあがっては消えていく」感じ。舞台背景のごく一部分として効果をだしていました。
でもさらにショッキングなのは、スザンナの感情が高ぶっていくところで、この男の子が完全全裸でスザンナの正面に現れるところ。スザンナがみる幻覚のようなものが、観客にとっては生身の人間によって現れるのです。でも、ここでも絶妙な照明のおかげで、まるでなにかのイメージ映像のように現れます。
さらには、オペラ終盤になっては、この男の子がキリストの像のかわりとなって、完全全裸のまま十字架の下に現れるます。キリストの像なのですから、彼は数分間そのまま立っています。
そして最後は上半身だけ裸の姿に戻った男の子の腕の中にスザンナが抱かれて、曲が終わり照明が一気に落とされて幕を閉じます。
このライトが一気に落ちることによって、観客は我にかえります。
数秒の沈黙のあと大拍手と「ブラボー!」の歓声。
スタッフの心配をよそに、今回の公演では抗議活動どころかブーイングもおきず、観客はわれんばかりの拍手をおくりました。
スザンナ役のタチアナ・セルジャン(Tatiana SERJAN ロシア人 )とクレメンティア役のカレン・フッフストッド(Karen Huffstodt アメリカ人)という二人は一流の歌手で、とくにヴァーグナーやR・シュトラウスのオペラといったすごい声量が必要なオペラを得意とする人たち。しかも迫真の演技。観客は圧倒されました。
そして出演者のカーテンコールの最後にスカルピタ氏が舞台上に現れると、拍手と歓声は一気に高まったから、今回の観客は彼の演出を評価したということです。
こうして完全オールヌードの男女がオペラの中で出てくるというのはめずらしいことだし、しかもそれがちらっと一瞬出てくるとか一瞬見えるのではなくて、観客の正面に向かってすっと立っているというのはめったにないと思います。
2003年にこのオペラを見たあと、私はフランス人の友人に「ねえ、フランスでは舞台に全裸の人が出てくるってごく普通にあることなの?」と質問していたのを思い出します。日本とフランスはやっぱり違うので、日本ではありえないこともこちらではありえますが、それでもやっぱりオールヌードの男女が観客の正面を向いて立つというのは、フランス人にとったってインパクトの強い、ショッキングな演出なのです。スタッフだって、オーケストラの団員だって、-「本当の」全裸-と強調していたもの。
これまでに私はフランスで他に2本のオペラの演出で、ほぼ全裸の女性が出てくるのを見ましたが、それはレイプシーンであったり乱暴シーンで、ストーリーから言っても、演出方法から言ってもきれいなものではなく、私だけでなく観客はみんな不快に思ったものです。
そういうとき会場には「不快」と感じている空気が流れるし、舞台終了後の観客の反応でよくわかるものです。
でもスカルピタ氏の演出では、そういった面での下品さ、嫌らしさがないのですから、とにかく「美」を追求する彼のスタイルのおかげなんだなと思います。ただ、彼の演出で、今までにもオールヌードやそれに近い俳優やダンサーの登場があったのですが、ちょっと「ムダ」を感じたと時もあるし、ちょっと「長い」と感じたこともありました。でも、この「聖スザンナ」では不快どころか、変な感じもしないのです。舞台照明と一体となって幻想的な背景となって、本当にきれいな映像のようなのです。
もちろん男優がキリスト像のかわりとなって客席手前で手を広げて立つ姿は、それはインパクトの強いものですが、逆にここまですることによって、この台本のストーリーが強まるというか、作者が言いたかったことは、このイメージ化によってこそ伝わるもんだなと思いました。
是非とも舞台を写真にとってブログに載せるぞ、なんて思っていましたが、やっぱり著作権の問題もあるし、字幕操作で仕事中の身としてはカメラを構えるのも簡単ではなく、断念。
「こんなオペラもあるのか」という意味でも、「こんな演出もあるのか」という面でも、みなさんに見せたかったな。。。日本ではいろいろな面から言って上演されにくい作品だし、まだDVDなど存在しないオペラですから。
このスキャンダラスなオペラ、キリスト教徒の人からみたら、まったく違う見方、大きな衝撃となるものなのでしょうけど、私たちからみたら「c'est beau !」の一言に尽きます。「美しい」舞台なのです。私個人の感想だけでなく、参加したスタッフ、見にきた人、そして新聞などの批評を見ても、この舞台は「衝撃」と「美しさ」をうまく融合させていて、大成功であったようです。
演奏時間25分というのが絶妙なのかも。
ヒンデミットもうまいことまとめたな~、と感心させられます。音楽史に名を残す作曲家相手に「感心」というのも変な話ですが、すごいな~とほとほと思わされるのです。
また、このオペラの公演時に、ちょうど日本ではあの「深夜の公園全裸騒ぎ」でまさに大騒動していることを知りました。インターネットでこのニュースを見た時、誰も人がいない深夜の公園での全裸と、2000人以上の観客を前にしての全裸の違いに、「ところ変われば、、、」やら、「芸術とは??」などとふと考えてしまいました。
私にとって初めてのモンペリエ・オペラであり、初めての現代オペラであり、初めてのスカルピタ・オペラであったこの「Sancta Susanna」。6年という時間をはさんで見たのは二回目ですが、やっぱりすごかった。
もともとオペラが好きではなかった私。きっと今だってヴェルディとかの大がかりなクラシックなオペラはまだ「好き!」とは言い切れない私。でも20世紀前半の作曲家が書いたオペラはとっても「interesting !」ですよ。
これがオペラ二本立ての前半戦なだけですからね。休憩をはさんで次は「青髭公の城」です。
2009年5月7日木曜日
祝日がいっぱい!
まずメーデーの5月1日。今年は金曜日だったので世間は金、土、日の三連休。
続いて5月8日は1945年の終戦を祝う日でお休み。これまた今年は金曜日なのでみんな三連休。
そんなわけで、実は先週末と今週末、フランスでは連続三連休なのです。
そして5月末にはキリストが天に昇った日を祝う昇天祭の祝日があります。これは前にお伝えしたように、年によって日にちが変わる復活祭から数えて40日後ということなのだそうです。今年は5月21日で木曜日なので、世間では勝手に金曜をお休みにして4連休にする人が多いのです。勝手に休みにして連休をつくることを、いつかお話したように「faire le pont」と言って「橋を作る」という表現で表します。この「橋を作る」行為、ここ最近さかんになってきていて、今年なんて自営業の人が休むとか会社を休むとかだけでなく、なんと公立の学校までもが教員たちの訴えにより自主連休にするとか。これには正直「おいおい、、、」とつっこみたくなりました。だって、フランスの教員と言えば、子供と同じだけバカンスがあるんですよ!
どれだけバカンスがあるかというと、、、、
まずは11月に10日間のトゥッサン(万聖節)のバカンス。
12月末に2週間のクリスマスバカンス。
2月に2週間の冬休み。スキーバカンスとも呼ばれる。。。
4月に2週間のパック(復活祭)のバカンス。
そして7月と8月はまるまる2ヶ月の特大バカンス。
年間16週くらいがバカンスなんですよ。働くのは36週だけ。。。
すごいでしょう?
さて、5月の祝日の話に戻りまして、6月頭には精霊降臨祭と言って、キリストの使徒に精霊が降りてきた日を祝う日があります。これまた復活祭から数えて7番目の月曜日だそうで、毎年日が変わります。が、月曜日に変わりはないので、かならず3連休となるわけです。
こんな感じで、5月のフランスは祝日ラッシュ。
バカンスがあれだけあるのですから、「あれ、また休み?」なんて思ってしまいますが、日ごろ週末、バカンスあまり関係なく仕事している私にとったら、祝日というのはほっと一息つく日でありがたい。
でも、この5月をのぞくと、他の祝日はバカンスシーズンの中にあるので、あまり祝日感がないのが事実。
ところでフランスのバカンスを別として、日本の祝日の数って、先進国では断トツの一位だそうですね。15日あるそうです。
かたやフランスには11日。元旦、メーデー、革命記念日、第一次大戦の終戦日、第二次大戦の終戦日の5日をのぞくと、残りはすべてキリスト教の祭日なのです。クリスマスはもちろん、復活祭、昇天祭、精霊降臨祭、聖母被昇天祭、万聖節の6日がキリスト教がらみでお休み。
こうなると、やっぱり100パーセントキリスト教文化の国なのだな~、と改めて感じさせられますよね。日本には仏教がらみも神道がらみの祭日もないですよね。日本は季節を重要視し、季節を感じるための日が多い感じがします。
こんなところでも、日本人の季節感というものが特別なものに思えました。
日本人と自然、日本人と季節。ごく普通のことだと思っていましたが、他の国の人、他の文化に比べると、日本人はとりわけ自然を大事にしているようです。季節を感じながら生活しているというか、季節と生活がしっかり結びついているというか。
これは日本人の特徴といえるみたいですよ。
2009年5月5日火曜日
大好きな時間
実はモンペリエでは今年の1月から変なくらいに雨の日が多かったのです。一年のうちほとんどの日が快晴と言われるモンペリエにしてはほとんど異常事態。最近、一月からの降水量の統計が発表されて、なんとこの1月から4月半ばまでの3ヶ月半の間に、例年の9ヶ月分に相当する雨が降ったのだそうです。つまりいつもの倍どころかほぼ3倍に近い雨の量だったのです。それもそのはず。
毎年水不足が叫ばれるくらいに雨の少ない地方なので、たまにはこれくらい降るのも必要かもしれませんが、例年の3倍の雨の日というのはやっぱり多かった。。。だって青空は元気の源だから。
さて、サマータイムになってからどんどん日は長くなり、ただいま5月はじめ。今では日が完全に落ちるのは22時前でしょうか。
私が大好きな時間が、20時半から21時半くらいの間の時間。だって一日中、明るい水色をしていた空がだんだん深みをましていって青色、群青色、となんともいえないきれいな色に移り変わっていくからです。私はこの空の色の移り変わりを見るのが大好きなのです。
今日は夕日が白い雲に反射して、なんともパステル調のかわいらしい色の空が見れました。
これで21時なんですよ。
この時間帯、周囲の静けさがまたいいのです。21時前後といえば、たいていの人は仕事を終えて家に帰り、夕食を食べて一息つこうとしているようなくつろぎの時間。だからリラックスした穏やかな静けさが広がっているのです。
例外的に賑やかなのはカフェのテラス。大きな広場から小さな広場まで、どこを見ても屋外にテーブルが並べられ、席は満席。みんなおしゃべりをしながら、この快適な時間を楽しんでいます。
毎週、この空、この景色にはっとさせられて、ついついぼ~っと見とれてしまいます。そして「あれ、私はどこにいるのかな?」なんて思ってしまいます。
この空を見ていると、日本の大都市の通勤生活なんてもう絶対にできないだろうな~とつくづく思ってしまうのでした。