2008年10月30日木曜日

JAM

昨日の仕事の後、友人に誘われて久しぶりの夜のおでかけをしました。

向かった先はJAM。モンペリエにあるジャズの学校です。フランスのコンセルヴァトワールの中にはジャズ科がある学校も少なくなく、モンペリエのコンセルヴァトワールにもジャズ科があるのですが、こちらのJAMは私立の学校。現役のジャズミュージシャンを多数講師としてむかえ、定評のある学校です。私は以前からこの学校の存在、評判はしってましたが、行ったのは初めて。
毎週一回、世界で活躍するジャズミュージシャンのコンサートが行われていて、時々無料のコンサートもあるのです。
この日、私が誘われたのはモンペリエ在住のヴィブラフォン奏者ミシェル・ムノズ(Michel Munoz)のコンサート。彼の新しいアルバムを記念してということで、入場無料だったんです。

会場に到着すると、落ち着いた年齢層の人たちが集まっていました。私の勝手なイメージで、ジャズの学校のコンサートであるから、生徒である若者がたくさんいて、煙草はもちろん、アルコール、はてはドラッグ系も入り混じっての雰囲気を想像してたんですが、そんな若者はあまりいなくて、熟年層が集まっていました。
話を聞いてみると、このムノズ氏は私の友達の同僚で、音楽学校でドラムの先生をしていて、さらには時々モンペリエのオーケストラのパーカッション奏者として助っ人で演奏しているとか。どおりで本人にあってみれば見たことのある顔で、「ああ、あの人!」て感じでした。

日本でプロのオーケストラ団員と仲良くさせてもらったことはありませんが、大学の先生とかを見る限り、クラシック正統派の人が多かったような印象があります。でも、モンペリエに来てから出会ったオーケストラ団員の人の中には、ジャズミュージシャンとしても活躍中だとか、タンゴのプロだったりする人もいて、いつもその幅の広さに感心します。だって、ただ趣味で、とかならまだしも、彼らはクラシックのバリバリのプロでありながら、もう一つのジャンルでもプロとしてコンサートをしたりCDを出したりしているのですから。

この日のコンサートでは、ムノズ氏の仲間であるドラム、ギター、ベースに加え、ゲストとしてトロンボーン奏者のアンドレ・カナールさんが参加してました。この彼もあいさつをしてみて「モンペリエとアヴィニョンのコンセルヴァトワールの先生」と紹介されて驚いたと同時に、どうも見たことがある顔でした。で、後で話を聞くと、以前はモンペリエのオーケストラ団員だったというではないですか。だからこの人もクラシックとジャズの二足のわらじで幅の広いミュージシャンです。すごいなあ。

コンサートが19時開始と聞いていたのだけれど、会場ではまずアペリティフ(食前酒とでもいえるアルコール)がグラス一杯プレゼントされ、おつまみもそろっていて、みんなおしゃべりでわいわい。
初めて来たJAMのコンサートで、入場無料どころか、アペリティフもサービスでおつまみつきだなんて、なんておいしい話でしょう。「こんなんだったら毎日来ちゃうよ?」とつい言ったら、友達に「こんなの初めての話だから、特別中の特別だよ。」と笑われました。

みんな一杯飲み終えて、いいリラックスモードになったところで、ミュージシャンがステージ上にあがってコンサート開始。


ヴィブラフォンという楽器のプロの演奏を目の前で聞いたのは初めてかも。
全曲ムノズ氏のオリジナル曲でしたが、ヴィブラフォンという楽器の音色からいっても、落ち着いた感じのいい曲ばかりでした。

この日私はデジカメを持っていくのを忘れてしまったので、友達の携帯で撮った写真です。

普段、夕方から夜にかけての仕事ばかりなので、夜の仕事がないときは家でゆっくりまったりする傾向の強い私ですが、久しぶりの外出、いい気分転換になりました。一緒に行った友達は10日間のバカンス中だけど、私は3日間の休日があるだけ。このコンサートでちょっとバカンスらしくなったかな。

ちょっとおまけですが、コンサート会場はもと倉庫だった建物を利用しているようで、天井の高い大きな部屋ですが、天井には綱渡り師のライトがぶらさがっていて、とってもいい味をだしてました。
一目見て「うわ、気に入った!」と思ってついつい人の携帯でパチリ。

いい感じでしょう?

2008年10月29日水曜日

日本の歌

前回の記事の続きです。

12月のLe Groupe Vocalのコンサートが、予定外にフランス語の歌ばかりになってしまったので、私が思いついたこと。

「日本語で歌ってもらう!」

オペラjrでは、9歳から16歳のグループ Choeur d'enfantsでだって、いつも必ずオリジナルの言語で、そして暗譜で舞台にたちます。ドイツ語、イタリア語、英語あたりはもちろん、ロシア語、ハンガリー語、ノルウェー語でだって歌ってきました。そして驚くことに、彼らのレパートリーの中には、10年ほど前から日本の歌が一曲あったのです。

それは大熊崇子さん作曲の「さくら」。

今から5年半前、私が初めてオペラjrという団体の舞台を見たときに、この曲を聴きました。フランスに来たてで、周りに日本人の知り合いもいなく、フランス100パーセントでがんばっていたときに聞いた曲。それまで知らなかった曲で、しかもフランスの子供たちが日本語で歌っていて、すごく新鮮で、印象に残ったのを覚えています。
そしてその数ヶ月後、このグループから仕事の話が来たのですから、ごえんの不思議。

日本人なら経験した人が多いであろう、小学校、中学校での校内の合唱コンクール。または市内の合唱コンクール。日本を一度離れてみるとわかるのですが、日本の音楽レベルは本当に高いんです。国際的コンクールで日本人入賞者が多いことから、世界トップレベルのプロフェッショナルのレベルの高さはもちろんですが、一般人の間での音楽の普及率がとっても高いんです。カラオケ文化があれだけ発達したのもみんな歌うのが好きだからだし、なによりも歌の上手な人の多いこと、多いこと。つまり音感が自然と発達してるんですね。
それは小学校、中学校での音楽の授業が充実しているからだと思います。もちろん近年、音楽や美術の時間がどんどん減ってるというのは知ってますが、それでも音楽を特に好きでもない子や、楽譜なんて見る機会がない家庭で育った子でも、なにかしら合奏だの、合唱だので参加し、ピアニカにしろ、リコーダーにしろ、楽器に接しているところがすごい話です。

そして合唱の話に戻すと、私の出身中学校の合唱コンクールなんて、みんな熱心に練習して、今思い出すだけでもたいしたレベルでした。学力のレベルも県内のトップをいく学校で、言ってみればきちんと取り組む真面目な生徒がそろっていた学校だったんですね。超少数派のちょっとぐれちゃった子たちも、しっかり合唱の中にはいって舞台にたってた姿が、いまでもほほえましい。

全国の小、中、高校に、それぞれ校歌があることだって音楽の普及率のレベルの高さを示してます。中には混声4部合唱の校歌だってあるわけで、それを普通だと思って歌っている日本の子どもたちはすごいです。

そんなこんなで、日本人作曲家は合唱曲の依頼、委託をよく受けて、たくさんの合唱曲を作曲している作曲家がたくさんいます。
さっき紹介した大熊崇子さんの曲は、私の時代にはまだあまり聞かなかったけれど、その後どの合唱曲にも彼女の曲が数曲入っていることを知りました。

フランス人はもちろん、オペラjrのメンバーだって、こういった日本の音楽教育の背景を知りません。そのため、私は「日本はこんなにすごいんだよ!」と見せたくなって(ときどき変に国粋主義者?)、3年前には大熊崇子さんのもう一つの曲を紹介しました。
それは混声4部で、しかもアカペラの合唱曲「この世の中にある」です。石垣りんの詩による曲で、3年前、当時のLe Groupe Vocalのメンバーがとても上手に歌いました。

で、時がたって今回。女性作曲家というテーマを前に私が思ったことは、「日本には女性作曲家がたくさんいるぞ!」だったんです。
オペラjrのメンバーにとって、「日本人作曲家というと大熊崇子」みたいにイメージが固まりつつあったので、日本の音楽界の背景、音楽教育の背景を見せるにも、「ここは他の作曲家を紹介しないと!」と思って、以前友人が送ってくれた日本の合唱曲の楽譜をパラパラとみてみました。

そこで見つけたのが木下牧子さんの「そのひとがうたうとき」です。谷川俊太郎のひらがなだけでかかれた詩につけられた音楽で、同じ詩に音楽をつけた人が他にもいます。木下さんの曲は、今やみんなが好きな合唱曲のトップテンにいつも入ってるようですが、大熊さん同様、私の時代にはまだ知られていませんでした。まあ、なんせお二人ともまだ若いですからね。

このところ疲れて元気がなかった私ですが、楽譜をパラパラとめくっていてこの曲を見つけたときは、すぐに「この曲だ!」と思いました。メロディーもハーモニーもしっくりきたのです。

で、翌日さっそくヴァレリーに話してみました。

「ねえねえ、ちょっと見せたい楽譜があるんだけど。」

ピアノでちょっと弾いて聞かせるとヴァレリーも即答。

「すごく気に入った。これしよう!」

彼女にとっても仕事でいろいろと重なりテンションもつっぱってて、しかも難解な曲にとりくむことも多かったなか、この曲のシンプルでかつ光がさすようなハーモニーがしっくりきたみたいです。

私もうれしくって「即売決定!」といいながら、「発音のこと、歌詞のフランス語訳はまかしといて」と言いました。

そう、楽譜にはひらがなで歌詞が書かれているわけですが、この日本語というものは、日本人にとっての英語やフランス語というものとは比べ物にならない未知のものなわけです。たとえば、日本人にとってのアラブ文字のようなもの。さらにはエジプトの古代文字のようなもの。フランス人にとったらなにやら書かれているけれどまったく見当もつかない「ふにゃふにゃとした線」以外の何ものでもないのです。
だから、アルファベット表記に書き直すのです。でもこのアルファベット表記がフランス人相手だと、ちょっぴりひと癖、二癖あるんです。
その辺のところはまた今度お伝えします。

2008年10月28日火曜日

女性作曲家

トゥッサンのバカンスに入り、この四日間は、オペラjrの若者グループLe Groupe Vocal(16歳から25歳)の集中練習をしました。

今、私たちが取り組んでいるのは、12月頭のコンサートのプログラムです。今回のコンサートは女性作曲家に焦点をあてるというテーマにしたので、女性作曲家の作品ばかりです。
そこで、単純なクイズ。

さて、みなさんは女性作曲家を何人知っていますか?

クラシック音楽関係者ならば、数人の名前が挙げられるとは思いますが、クラシック音楽に詳しくない人でも知っている女性作曲家というと誰の名があげられるでしょうか。残念ながら意外と難しい質問だと思います。

男女同権、男女平等にむけて現在でも戦いは続いているわけですが、歴史の中で、作曲家という仕事は男性に独占的に行われてました。教養、文化のために少し音楽をたしなむという程度ならば、上流家庭の間で喜ばれましたが、作曲する、それを仕事するなんてことはもってのほかどころか、考えられもしなかったことです。その辺のことは、7月のラジオフランスのフェスティバルで、フランス人女性作曲家ルイーズ・ベルタン(Louise Bertin)のオペラが取り上げられた時にも書きました。

作曲家としてではなく演奏家としてだったら、音楽史の中でいくつか女性の名があげられると思います。

例えば、ロベルト・シューマンの奥さんとして有名なクララ・シューマン(1819-1896)。当時の国際的ピアニストとして名が知られていたということを知っている人は多いと思います。が、彼女は演奏だけでなく作曲もしており、40曲くらいの作品が残されています。有名なピアノ教師を父にもち、小さい頃から一流ピアニストになるべく徹底的に育てられました。シューマンと結婚後、病におかされたシューマンを支えるため、さらに8人の子供を養うため、クララはコンサートのためにヨーロッパ中を飛び回りました。生活に追われてしまっていたことと、本人が自分の作曲の才能を重要視しなかったために、彼女がじっくりと作曲に専念するということはなかったけれど、今日、クララの作品はその質の高さで評価されています。夫であるシューマン、そして友人のブラームスにとって、クララの意見、助言、感想を聞くことが、作品を発表する前に欠かせない重要なことであったということからわかるように、ロマン派の音楽の中でのクララの存在の大きさは相当なものですね。

シューマンらとほぼ同年代の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンのお姉さんファニーも、音楽家の家庭に生まれ、幼いころから才能を示していました。が、彼女場合、高度なレベルに達しているにもかかわらず、「しょせんは女性にとって音楽は趣味とどまりであって、しっかりと家をまもるべき」という家族の考えから活動をはばまれ、自宅のサロンなどでひそかに自分の作品を披露するにとどまっていました。しかし晩年になってから、彼女の作曲の才能を高く評価する友人らに恵まれ、本人もようやく作品を公に発表する意をかためたのです。瞬く間に彼女の作曲家としての名前を世に広まり、先を期待されたのですが、残念ながら42歳で突然の死をむかえてしまいました。弟フェリックスは、ファニーの死の6か月後に後を追うようになくなっています。

近現代に入ると、女性作曲家の名前がもっと簡単にあげられるようになります。

「フランス6人組」として知られる仲良し作曲家グループには、ダリウス・ミヨー、アルチュール・オネゲル、ジョルジュ・オーリック、フランシス・プーランク、ルイ・デュレと、紅一点のジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre 1892-1983)がいます。彼女は器楽曲から歌曲、オペラコミック、舞台音楽、そして映画音楽まで、幅広く取り組みました。

フランスではルイ14世が当時の芸術家の活動を推進するために設けた「ローマ大賞」というのがあって、もともとは画家、彫刻家そして建築家が対象とされていましたが、1803年には作曲家にも与えられることになりました。コンクールに勝ち残り、受賞したもには、5年間のローマ派遣、滞在が賞品として与えられ、ローマのメディチ家の屋敷に住まわせてもらってますますその道に精進するというものです。このローマ賞、大変権威があり、作曲家の登竜門として知られ、歴代受賞者の名前を聞けば皆が納得するはず:ベルリオーズ、ビゼー、マスネ、ドビュッシー、などなどです。さて、この「ローマ大賞」を女性が初めて受賞したのは1913年のことで、リリー・ブーランジェ (Lili Boulanger 1893-1918)でした。
リリー・ブーランジェも音楽家の家庭に生まれ、早くからずばぬけた才能を示しました。リリーの6歳年上のお姉さんが作曲家であり、音楽教育者として世界的に有名なナディア・ブーランジェです。リリーの作曲の才能を誰よりも認め、応援したのがこのナディアでした。リリーは様々なジャンルの作品を残しましたが、25歳という若さで病気のために亡くなってしまいました。25歳だなんて本当に若すぎます。ショパンよりも、モーツァルトよりも若くしての死。ナディアの無念さは底しれないものだったでしょう。

これまでにあげた名前は、音楽関係者やちょっとクラシック音楽が好きな人なら知っていると思います。
今回、Le Groupe Vocalのコンサートのプログラムで私が初めて知った女性作曲家には、メル・ボニス (Mel Bonis 1858-1937)とクロード・アリウ (Claude Arrieu 1903-1990) がいます。どちらもフランス人。そして現代の作曲家としては、1938年生まれのイザベル・アブルケール (Isabelle Aboulker)と、1970年生まれのマリベル・ドゥサーニュ(Marybel Dessagnes)、そしてフィンランド人のカイジャ・サリアホ(Kaija Saariaho 1952- )。

本当だったら今回のプログラムも、フランス語からドイツ語、イタリア語、英語などなどバラエティーにとんだものにしたかったのですが、合唱というジャンルで、曲のテーマ、難易度、曲の規模、などをもとに選曲していくと、なかなか難しいもので、気がつけばフィンランド人のカイジャ・サリアホがフランス語の歌詞に曲をつけているために、フランス語の曲ばかりになっていまいました。

そこで!

ここはちょっぴり趣を変えるためにも、と思って私がみんなに紹介したものとは?

続きは次回に。

2008年10月27日月曜日

一人笑い

くくくっ(笑)とか、ひひっ(笑)とか、字にしてしまうと本当に変だけれど、最近、夜な夜なこうした変な声を出しながら一生懸命笑いをこらえてる私。
最近疲れちゃって元気がなかったんですが、よい薬をいただいたんです。

それは日本のまんが。しかも「の○めカンタービレ」!
前々からうわさは聞いてましたが、よくある少女マンガの女の子の恋バナを想像してて、あまり興味がなかったのです。でもつい最近、モンペリエの日本人仲間であり、研究者のHさんに「全巻持ってるよ!」と言われて、「じゃあ気分転換に」と借りたのでした。で、意外なおもしろさにはまってしまった私です。そのおもしろさが、普通の少女マンガというよりは、「お父さんは○配症」とか、「稲中○球部」みたいな変なあぶなさがあって予想外でした。
私は小さい頃からかなりのマンガっ子でしたが、それでも大学生になってからはほとんど読んでなかったし、何がはやってるのかもしらないまま時がすぎて今日にいたりましたが、こうして久しぶりのマンガ。
フランスでも日本の漫画がかなりの大流行で「ナ○ト」なんかは、知らない子はいないくらい。でも、私はこの漫画も世代が違ったせいで、まったく内容を知りません。時々ピアノの生徒がカードとか見せてくれて、「へぇ~」とかいいながらのぞいてます。

私はもともと日本語の活字を読むのが早いので、20巻借りた漫画ももう読み終わってしまいました。

しゅん。。。としてなんだかさびしい。

国や民族、文化の違いによって、やっぱり笑いのとりかたって微妙に違うと思うのですが、この「の○め」の怪しさは、フランス人にはどう映るのでしょうか。興味があるところですが、残念ながらフランス語版はまだでていないようです。
で、同時に、文化の違い、民族の違いがあっても、同じ笑いのつぼをもってたりするとぐっと仲良し度が高まるものです。仲の良いフランス人相手に「の○め」の変態さを見せてみようっと。きっと「はあ?」とかいいながらもおもしろがってくれるはず。
フランスにきて6年たっても、「笑のつぼ」の共有度チェックが、私にとっての仲良し度再確認のバロメータでもあります。

2008年10月25日土曜日

Vacances de Toussaint

9月2日に新年度が始まって、7週間と数日。2ヶ月以上の夏の大バカンスを終えてから、7週間と数日。そしてもうすでに次のバカンスのシーズンとなりました。それはトゥッサンToussant のバカンス。伝統的、歴史的にいえば、日本でのお盆のような季節で、フランス人の多くは先祖を偲んでお墓参りをします。でもバカンスはバカンス。小、中、高校では今日10月25日土曜日から11月5日まで、二週間弱のバカンスなのです。
正直、私にとったら「リズムをこわす」以外のなにものでもなく、音楽学校で新年度のレッスンを始めてわずか6週間でバカンスなわけです。せっかく調子がでてきたところなのに、もうお休み?
みんながみんなというわけではさすがにありませんが、家族で旅行にでかけるファミリーも多いもの。日本人の暮らしとあまりにも違いすぎるフランス人の生活。息抜きが大事だということには賛成ですが、彼らをみていると、逆に日本人のことが心配になります。「ちゃんと息抜きできてるんだろうか。」と。時々「日本人は、生物学上、生理学上、限界を通りこして働く習性がついちゃってるんじゃ?」と思ってしまいます。慣れというのは本当にすごいものです。

私が子供たちと同じだけバカンスをとっていたら破産するところですが、おかげさまで、オペラjrの方は、逆にバカンスを利用しての集中練習が組み込まれているので、私は普段と違うリズムで仕事をし、このおかげでなんとか生活にありついてるようなものです。

さて、さっき20時のニュースを見ていて気が付きました。今夜3時に冬時間に移行するのです。全く知らなかったから、下手したら明日仕事に変な時間にいってしまうところでした。

冬時間に移行する、つまり今日の夜中の3時に時計の針を一時間戻して2時にする。そのため、今回の時間変更では一時間プラスアルファが生じるわけです。
この「夏時間と冬時間」システムについて、私は基本的に反対です。だってリズムがくずれるもの。たかが一時間だけど、されど一時間。実際問題、牛や豚などの動物にも影響はでるし、お年寄りの間でも睡眠トラブルが悪化したりして、あまりいいことはありません。

まあせめて、私にとったらこれを機に早起きする習慣がつくといいな~。

2008年10月22日水曜日

あなたは日本人ですか?

昨日、用事があってモンペリエのオペラ座コメディの事務所に立ち寄りました。
するとちょうどオペラの練習開始の時間だったので、スタッフがバタバタと準備していました。舞台での練習のようだったから興味をもち、「30分くらいのぞかせてもらっていいですか?」と頼むと「もちろん、もちろん」とOKをもらい、そっと控え目にホール内に潜入した私。

演目はイタリア人作曲家のエルマンノ・ウォルフ=フェッラーリ (Ermanno Wolf-Ferrari)が1931年に書いた「La Vedova scaltra」。日本語では「抜け目のない未亡人」だとか「利口な後家」だなんて、あんまり素敵じゃないタイトルになってますが、楽しいドタバタ喜劇のオペラです。モンペリエのオペラ座コメディで11月頭に公演予定となっています。

10分ぐらいで練習が始まると思っていたので、控え目ながらも図々しく、客席の真ん中に陣取らせてもらいました。舞台の上にはセットが準備されてるし、音声のスタッフたちもあわただしくしているから、てっきり舞台練習のいいところだと思ってたんです。
しかし、実はこの日が練習開始の顔合わせの日だったようで、スタッフと出演する歌手の皆さんが集まって同じ演出の録画を見るという段取りだったのです。そのため、客席の真ん中にいる私以外はすべて関係者というか、出演者。歌手同士も「久し振り!」とか、「元気?」とか、「はじめまして」とあいさつをかわしていて、指揮者、コレペティ、さらには今回演出を自らするモンペリエの音楽界の王様R.K氏も登場。私も微妙に知ってる顔が多いから、「はろ~。」なんてあいさつしつつも、この日の部外者は完全に私だけ。。。

だんだん「やばいぞ、やばいぞ」と思って、居心地悪くなってきたところへ、ある男性歌手が登場。かなりのキャリアのある方のようで、堂々と、落ち着いた感じであいさつまわりをしてらっしゃいました。そしてもちろん私のところにも来て、あいさつと自己紹介をされました。私はすっかり気まずくなって「どうも、こんにちは。でも実は私このオペラには参加してなくって部外者なんですけどね。。。」と断りました。するとこの歌手は、「あ、そうなんだ。でもいいじゃん。」みたいな感じで私の前に座り、すかさず質問をしてきました。

「あなたは日本人?」って。

普段、アジア人だとはみてわかるけど、って感じで「どこ出身?」と聞かれることがわりと多いのですが、この人は直球で「日本人?」って聞いてきたので、意外とびっくりして、「ええ、そうですよ。」と答えると、「僕、日本で歌ってきたばっかりなんだよ。この前の火曜日まで日本にいたんです。」というではないですか。それでつい話ははずみ、この人がアントワーヌ・ノルマンさんというテノール歌手だとわかりました。グノーのファウストでタイトルロールを歌ってきたというから、立派な国際的歌手ってことですよね。失礼ながら私は知らない方でしたが、東京から沖縄までまわって、コンサートからオペラまでこなしてきたそうです。日本に行ったのは今回が初めてだったそうだけど、たいそう気に入ったらしく、「今日にでもまた電話があったらすぐにまた飛び立つよ!」と言ってました。
立派な国際的歌手の自己紹介を聞いたあと、「あなたは?」なんて聞かれちゃって、「いや~、ちっぽけなピアノ弾きです。時々オペラ座でもいろんな仕事させてもらってて、今日は通りがかりでちょっと練習をのぞかせてもらおうなんて思ったもんですから。。。」と説明しました。そしたら「お名前は?」なんて聞かれちゃってねぇ、もうまったく。
でも二人で日本話をしていて、「何が気に入りましたか?」という私の質問に、「きれいなところ!(街が清潔という意味です。)」と答えてから、「それからこれ!」とカバンから何やら出してくれました。

なんだと思いますか?

実はマスク。白い大きなマスク。

日本では花粉症の人が常用している見慣れたマスク。でもこちらではそんなマスクを街中ではめている人はまずみることはなく、手術する外科医か歯医者さんかというようなもの。彼は大笑いしながら「これいいよね~!」と歌手らしいみつけものをしてきたようです。しかも携帯にはしっかりひょうたんの中に仏像さんが入ったおまもりがくくりつけてあって、発見した私は「うわ~、これまさに日本ですねえ!懐かしい!」と喜んじゃいました。しかもちゃっかりひょうたんの中のぞかせてもらっちゃったりしてる私(笑)

そんなこんなをしていると、王様R.K氏の解説ものもと、みなさんそろってのビデオ鑑賞がはじまりました。
まあ聞いたことのないオペラをちょっと垣間見れてありがたいのですが、なんせ私は30分くらいみせてもらおうと思ってただけの通りすがりの身で、仕事に行く時間がせまってます。でもど真ん中にすわってしまったがために、ビデオが始まって早々席をたつというのは申し訳なくて、一人そわそわと座ってて、一幕の終わりの所でそそくさと退席しました(笑)。王様も「なんだあいつ」はと思ったことでしょう。

ふらっと立ち寄っただけでしたが、思いがけない日本話をできて、いい気分転換になりました。

元気出していきましょう。

2008年10月21日火曜日

別府という土地

温泉街で有名な別府。でも私は行ったことがありません。
日本各地を引っ越しやら旅行で訪れたことのある私ですが、九州だけはよく知らず、熊本に一回だけ日帰りをしたことがあるだけ。

そんな私が、モンペリエに来てからなぜかつながりをもったのが別府という街。実はモンペリエのポール・ヴァレリー第三大学と別府の某大学の間に交換留学の協定ができ、しかもポールヴァレリー大学での私の研究指導教授だったM教授が、この協定を担当することとなったたのでした。M先生にとったら、突然縁もゆかりもなかった日本から、私という学生がひょっこりやってきて、しかも別府の大学との協定にかかわることになり、まさに降ってわいた日本とのつながり。毎年別府からモンペリエにやってくる学生や、モンペリエから別府に旅立つ学生を私にも紹介してくれ、なにかと別府つながりの輪ができたのでした。
この交換留学の協定には、学生だけでなく、先生同士の交換ももりこまれているため、別府大学からは毎年一人の先生がモンペリエに来て、特別講義などをされ、同じようにモンペリエからも先生が一人別府にむかい、特別講義をされるのです。そして学生さんたちと同じように、別府からみえる先生、別府にむかわれる先生にも紹介され、面識を得るご縁をもらったのでした。

今年、モンペリエから別府に行く先生は、美術史のP教授。今から二週間前にM先生を通して、日本でする特別講義で使うパワーポイントの準備を手伝ってくれと頼まれました。正直、このところ時間的に余裕がなかったので引き受けるかためらいましたが、文章の翻訳ではなくて、パワーポイントのタイトルだけだという話だったので、OKすることにしました。P教授は、本人はパソコンに強くないから甥っ子さんに手伝ってもらうと言っていたので、「パワーポイントの準備ができた後で、私が日本語で直接うちこみます」と提案し、連絡を待っていました。この週末で実際にへとへとになったように、この週末はまったく余裕がないとわかっていたのですが、残念ながらP教授から連絡が再度来たのは木曜日の夜。そのため、金曜日にパワーポイントを受取り、昨日月曜日に日本訳を渡すことになってしまいました。だって、P教授は今日、火曜日に日本に向けて出発されるのですから。。。

先生が準備された講義内容は、モンペリエ周辺の歴史遺産と、コンクリート建築の生みの親であるオーギュスト・ペレについての2テーマ。きれいな写真がいっぱいで、私の専門分野とはまた違うテーマに触れる機会を得て、新しい知識を吸収させてもらいました。

余談ですが、モンペリエの街の中でも私の一番のお気に入りの広場がplace de canourgueというシックな落ち着いた広場なのですが、先生のアパートはこの広場に面しており、最上階ながらシックな雰囲気満点の素敵な部屋でした。時々、「私もモンペリエに落ち着く日が着たらなら、住むのはこの広場」なんて夢想にふけってましたが、現実には大学教授さんがもつ部屋ですから、私には無理ですね。。。それに実際には車を所有する必要がある者には、centre villeに住むことはかえってマイナスだし。place de canourgueに住むという話は非現実な夢物語でした。

日本に旅立つということは、P教授にとっても一大事。地球の裏側の言葉も文化も全く違う国に、ひとりで行って、講義などをするのですから。いろいろなワンポイントアドバイスも頼まれましたが、秋といういい季節に旅立つので、「ご心配なく。秋は一番快適なきれいな季節ですよ。」と宣伝しておきました。先生は東京、京都、奈良、広島、宮島、そして別府と周るそうです。

この先生とこうしておしゃべりするのも別府つながりのご縁。
自分の知らない日本の土地に、フランス人を見送るのも不思議な感じでした。
「Bon voyage et bon séjour au Japon, M. P」

2008年10月19日日曜日

épuisée...

je suis épuisée.

épuisé というのは疲れ切った様子をいい、普通の疲れた= fatiguéよりも強い表現ですが、昨日と言い、今日と言い、仕事から家に帰った私の口からは、この言葉しかでませんでした。一人ぼそっとフランス語でつぶやく私。
本当にエネルギーを吸いつくされた感じです。

肉体的に、精神的に疲れ果てたプラス、感情的にも心理的にも疲れ果て、さらには目に見えないいろいろなパワーが飛び交う空間にいたことによって、エネルギーを吸いつくされた感じです。

何をしてそんなに疲れたかというと、金曜からのこの三日間、音楽学校とオペラjrの仕事プラス翻訳での手助けを頼まれ、ギュウギュウづめだったからではあるのですが、問題はオペラjrでのできごと。
できごとというか、この週末に一波、二波たつということは前もってわかってました。今年度一番の目玉プロジェクトである「ディドとエネ」は、その練習、準備が動き出す前から、一モメ、二モメあり、どうなることやらと気をもんでいました。しかし新年度も始り、練習もスタートし、本番が2月末に予定されているこのプロジェクトに関しては、さらに一悶着、二悶着とトラブルは絶えず、いったいどこにむかうのやら、、とハラハラドキドキしていたのですが、この土日に初めて関係者が全員集合したのです。演出家、指揮者、指導者、etc...
そのため現場のテンションは相当なもので、若者たちを含めそれぞれの人の思惑、策略、希望、喜び、嫌悪感、悲しみ、失望、罪悪感、などなど、人間のもついろんな感情が飛び交い、なんとも密度の濃い二日間でした。
私はそんな中で、なるべく淡々と仕事をこなそうと努めましたが、その結果がこの疲れよう。
昨日の夜なんて、疲れ切ってるから眠りたいのに、疲れているからもう目はあけてられないのに、頭が心がまだまだガンガンに活動つづけてしまって、全然寝付けませんでした。こんな疲れ方をしたのは、初めて?と思うほど。

このプロジェクトに関して、話したいことは山ほどです。
でも客観的に語るにも、とりあえずは気持ちを静めないとね。

いずれにせよ、あまりのもめごとだらけで存続の危機にひんしていたこのプロジェクトも、なんとか第一ラウンドを乗り越えることができ、これで2月の舞台に向けて本当の意味で動きだしたといえるでしょう。
ほっとしたようなところもあるけれど、これからまた続くもめごと、テンションの高いバトルに対処していけるのかという思いといい、心が休まりそうにはありませんね。
とりあえずはよく寝て、エネルギーを回復せねば。

2008年10月16日木曜日

ほっとするを通り越し、、、

私が「ほっとする暖かさ」と喜んでいるところ、周囲のフランス人に言わせたら「暑い!」だそうで、みなさん夏のような薄着に戻り、タンクトップ、ノースリーブの人まででました。

実際に昨日のモンペリエ周辺地方では27度まで気温が上がったそうですが、私には「暑い」と思う感覚がありませんでした。「暖かかった」んです。

「人間はみな同じ」、とはいいますが、やっぱり人種、民族によって、姿、形、といいますか、身体的には違いがあるわけで、医学的にも体の器官にいくつか違いがあるのが事実です。
平均体温も、日本人が37度から「熱」と判断するのに対し、フランス人は37度が平熱で38度以上にならないと「熱」だとはいいません。そもそも日本人には低温化している人がたくさんいるから、平熱が36度に至らない人もいっぱいいますよね。そんなわけで、必然と、体感気温が違います。モンペリエは冬もわりと暖かい気候で知られていますが、それとフランス人の体感気温が手伝って、モンペリエ人は冬でもコートの下は薄着です。毛糸のセーターとか着てる人なんてめったにいなくて、みんな長袖を重ね着してるだけくらい。
私は日本人だし寒がりだから、ひとりでもこもこと着こんでいますが、この冬の衣料というのが収納のために場どるんですよね。私はいつもなるべく荷物をふやさないように心がけてるつもりですが、もしも私が寒がりでなかったら、私の所有する服ももっとボリュームが少なかっただろうに、、、といつも思います。

毎年のことながら、一年は長いような短いようなで、また冬の季節がやってくるとは実感がわきません。

2008年10月15日水曜日

à la parisienne パリ風に

ある日、私はある友人カップルと車で出かけ、路駐場所を探すことになりました。その時に知ったのが衝撃の「路駐パリ・テクニック」だったのです。

もともと日本人に比べ、フランス人の路駐の仕方が驚くべき大胆だとはわかっていました。というか、自分が所有する車の小さな傷などに対する考えが全く違うからです。前にもこのブログで話しましたが、フランス人にとって、「車のバンパーというのはぶつけるためにある」のです。ですから、路駐スペースが微妙に足りないときでも、フランス人はとりあえず車を入れて、前方の車にこつん、後方の車にもこつん、そしてハンドルを切って路駐完了というものなのです。

こういったシーンを目の当たりにするために、「ああ、頼むから私の車にはしないでよ~」と無駄に祈ってみたり、「車に傷はつきもの」という考えを受け入れるようになっていました。車はきちんと安全に走ってくれればそれでいいのです。

しかし、自分が乗った車がパリ風路駐をするとなると、その衝撃はさらに大きいのです。

この日、路駐場所を探してうろうろしていた私たち。運転していたRはあるスペースに目をつけました。私たちが乗っていたのは小型車。それでも私の目にはこのスペースでは足りないことはあきらかでした。「難しいんじゃない?」とかいうレベルではなく、あきらかに30センチ以上車の方が長かったのです。同乗していたPだって、「無理無理!50センチは足りない!」と言ったのですが、Rは聞きません。
「俺がパリ風にしてやる!」と一言。淡々と車を入れ始めました。ここで出た言葉が「à la parisienne」だったわけですが、こつんとぶつけるどころの話じゃなかったんです!

だって、こつんとぶつけたって、スペースが足りなかったのですから、それだけでは成功させれません。淡々とハンドルを握るRは、まずは一発でスペースに車を入れ込み、そこからぐぐぐっと前の車を押したのです~!私は「ええ~?!ちょっとちょっと!!」と騒ぎ、Pは「ちょっと、やめてよ私の車に傷がつくだけで無駄だから、やめて!」と叫びましたが、Rは極、淡々とハンドルを切り替え、そうしてもう一度、前の車をぐぐぐ~っと押したのです。すると見事、私たちが乗っていた車はきちんとまっすぐ向いて駐車完了。

。。。。。

騒いでいたPも「ブラボ~。おみごと。」と称賛する中、私は一人だけ、「ちょっと、日本でこれはしたらだめだからね!警察が、車の傷からこっちの車を特定してきて、弁償問題になるからね!」と怒り、「これじゃあ、私がいくら気をつけていたって、私の車が無傷でいるというのは望みなしだわね、、、、。」とため息をついたのでした。

もちろん、車が無傷でいようが、ピカピカに磨かれていようが、実際のところ、あまり意味はありません。単に「見た目がきれい」というだけのこと。
しかし、駐車している他の車をこうやって押しのけていいものでしょうか。。。

フランスと日本、やっぱり違うところはいっぱいです。

2008年10月14日火曜日

ほっとする、、、

ほっとする暖かさ。寒がりの私にはありがたいことです。

先日金曜日、結婚パーティーの日から気温が上がって温かい日が続いています。今日も仕事帰りの21時でも22度くらいあって、ジャケットをはおらなくても寒くないくらいでした。

新年度開始早々、脂肪腫騒ぎをはじめ、いろいろと病院通いが続き、どたばたしていたので最近バテ気味でした。そろそろ今年の生活リズムにも慣れてきたし、まもなく子どもたちは10日間のトゥッサンのバカンスがあって、私も数日の連休がもてることだし、ゆっくり落ち着いて秋を感じてみたいものだと思います。

みなさん、日本の秋を感じる瞬間のことや、秋の風景のことなど、時間があったらメールで私にも日本の秋をわけてくださいね。

2008年10月12日日曜日

Fête de Mariage 結婚パーティー

10月10日の金曜日、オペラjrでいつも一緒に仕事をしているヴァレリーの結婚パーティーに招かれて、仕事が終わった後の22時から行ってきました。

フランスでは同棲、事実婚がとても多いので、実際に結婚をして籍をいれるカップルは半分以下くらい。そのため結婚式に呼ばれる回数も、日本にいるよりずっとか少ないような気がします。私にとっては、フランスに来てから初めての結婚パーティーでした。

さばさばしてすっきりした性格ながら優しさも兼ね備え、さらには華やかな容姿ももつヴァレリーは、みんなから好かれて憧れられるカリスマ性のある女性。旦那さんとなるオリヴィエは、男らしく、かつ穏やかな落ち着いた人柄で、これまたみんなから慕われる男性。そんなこと言ったら二人ともパーフェクトみたいで、大げさに聞こえるかもしれませんが、普段人に厳しい私がいうくらいなので本当です。はっきり言ってこういう人はなかなかいません。私はオリヴィエとも仕事でご一緒したことがあるのでよくわかります。

二人はそれぞれ、以前のパートナーとの娘を連れて、しかも二人の間にも1年半前に女の赤ちゃんが生まれているので、5人家族で迎える結婚の日となりました。




カリブ海のマルチニック島出身のヴァレリーの両親は、現在マルチニックに暮らし、二人の兄弟はアメリカで暮らしていて、はるばる遠くから家族が集結。
16時に市長さんのもとで正式な結婚式をあげ、その後家族やごく近い友人たちとディナーがあって、そして22時からは友達がたくさん集まってのパーティー。まあ、日本で言ったら二次会ですね。場所は、彼らが数日前に引っ越したばかりの大きな庭付きの大きなアパート。新郎新婦二人とも、音楽、舞台関係の仕事をしているので、モンペリエの業界の人がたくさん集まって楽しいパーティーとなりました。

私は21時半に仕事を終えてから、ご近所さんであり以前に一緒に仕事をしたパトリシアとロマンのカップルと一緒に会場に向かいました。22時から45分くらい遅れての到着です。

でも着くと、ちょうど新郎新婦に出迎えてもらえました。


二人の娘に一緒に選んでもらったというお姫様ドレスのヴァレリー。去年、いろいろとつらいこともあった彼女なので、最初に話を聞いた時から私は彼らの結婚がうれしくって、いや~ついにこの日になりましたね!って感じです。「私、いっぱい写真やらビデオをとってブログにのせるから!」と許可をもらっていたので、堂々と撮影しながらの登場をしてしまいました。

モンペリエの駅からすぐ近くの地区で、昔のままの大きな家の一階部分とその庭が彼らの家。なかなかこんな物件、今どき見つかりません。引っ越しが決まった時から彼女がうれしそうに話していたので、どんな家だろうと楽しみにしていましたが、実際にみて、それはそれはびっくり。だって想像していたのよりも大きいし天井は高いし、きれいだし、お城にあるみたいな大きなテラスはあるし、庭なんて本当に小さな公園みたいで、「Ils ont la chance !」 (彼らはついてるね!)とみんなが驚嘆してました。

彼らの友人のシェフが担当したという軽食やデザートが用意されていて、ワインからシャンパンから、アルコールに不足は全くなく、みんなが和やかにおしゃべりを楽しんでいたら子供たちが登場して、お客さんを呼び集めました。





何がはじまるのかな?と思ったら、ヴァレリーとオリヴィエのそれぞれの娘たちがこの日のために練習して準備したというダンスの披露でした。






7歳と9歳で年も近く、親も驚くほど仲良しになった子どもたち。フランスでは離婚、再婚、子供をつれての複合家族がたくさんあって、義理の兄弟 beau frère、義理の姉妹 belle soeur といった兄弟関係もごくごく普通にありますが、たいていの家庭でみんな仲良くしています。慣れというか、文化的にもフランス人の気質からか、複合家族のトラブルは日本よりもぐっと少ないように思います。でも、この子たちは、まるで学校の大の仲良しのように気があって仲良くしているというから、ほんとにうれしい話ですね。

実は、新郎のオリヴィエはコンサートなどの音声担当のテクニシャンなので、この日は自ら音声のミキサーを担当してました。

彼らの友人ミュージシャンが音楽を担当してくれてましたが、新郎自らもベースで参加。そしてみんな踊る踊る。




みんなに慕われるカップルの結婚パーティー。子供をつれた5人家族の結婚パーティー。彼らの自宅での結婚パーティー。友人が集まってする手作りパーティー。そのために本当にいい雰囲気の楽しいパーティーでした。

結婚のお祝いに何を贈ろうか悩んでたのですが、結局、二人のためのカンパに参加することにして、何も特別に用意しないでパーティーに来た私。でもそこでぴんとひらめき。
オペラjrのGroupe Vocalの若者たちも呼ばれて来てて、オペラjr関係者も多いし、オペラ座関係者など、顔見知りの人がたくさんいたので、彼らにそれぞれ一言メッセージを頼んで、それを私が録画して、あとで編集してビデオにして贈ろう!と思ったのです。
そのため、パーティー会場の中で、私は一人うろうろして、知ってる顔を見つけては参加を頼んで撮影してました。夜の薄明かりの中だし、デジカメで撮ったものだから、映像の質は全くよくないけれど、パソコンで編集して、ついさっきビデオが完成しました。小さな手作りプレゼント。皆さんにも見せたいけれど、ちょっと容量の問題で、ここには載せれません。。。

私は翌日、土曜日の朝は8時半に家を出て仕事にいかないといけないので、そこそこの時間においとまするつもりでいたのですが、一緒に行ったパトリシアとロマンが、彼らから「遅くまでは残らないから!」と言い張っていたくせに、お酒も入り、煙草も入り、おしゃべりに花が咲いた様子で、まるで帰る気配がなく、かといって無理やり帰らせるなんてしたくないので、待っていたんですが、さすがの私も3時半に「こりゃもうあかん。」と見切りをつけ、他の人に送ってもらって帰りました。

でも老いも若きも楽しく踊る姿は、見てて飽きないし、楽しい幸せな夜でした。

最後には、私が隠れファンをしているオペラ座の音声担当のおじちゃんJと小道具担当のTという、二人のおやじコンビのダンスを、、、、。

何はともあれ、結婚おめでとう。5人で仲良くお幸せに!

2008年10月6日月曜日

Oh là là, qu'est ce que c'est jolie cette fille !

「Oh là là ~ !」というのは、フランス人がよく言う間投詞。「お~らら~!」という発音が妙に冗談みたいだから、フランスに来た日本人もすぐに覚えて使えるようになる言葉でもあります。日本語で言うと「おやまあ!」とか「あらあら!」とかいう感じです。

今日のタイトルは訳すとそれこそ「あらまあ、なんてかわいいの、この子!」といったところですが、バージョンを変えて訳せば、「おやまあ、なんてべっぴんさんなんだい、この子は!」と、妙にどこぞのおばちゃんバージョンにもできます。
「joli」 というのは、「かわいい」とか「きれい」とか、女の子を褒めるのにぴったりな言葉。先週、お医者さんが私の脂肪腫の傷口をみて「Joli!」なんて言ったから、私的にはしっくりきませんでしたが、「綺麗」という意味では、傷口にも使えてしまうんですね。

さて、こんなおばちゃんゼリフを誰が言ったかという、それはこの私。
先週の水曜日に、レッスンにきた生徒が「tiens !」(ほら、これ!)といって差し出したのがこのカード。





「何これ何これ?」 と言いながら、真ん中部分を開いてみると、、、



でてきました、かわいい女の子。
そこで、思わずおばちゃんゼリフが出てしまったんです。(笑)
彼女はエミリー。ピアノを始めて二年目、ダンスとピアノが大好きな8歳になるかわいいおしゃまさんです。この写真は、フランスでは小学生でも学校などの登録に必要な証明写真。きっと今年度の写真が本人も大満足の写りだったから、うれしくて私へのプレゼントに考えてくれたのでしょう。
あまりにかわいいから、「ねえねえ、エミリー、私、日本の友達あてにブログをしてるんだけど、エミリーのことしゃべってもいい?この写真と一緒にエミリーの紹介してもいい?」と聞くと、またまたうれしそうにちょっと照れてOKをくれました。もちろんママのOKもいただきました。

今年、音楽学校での生徒さんは全部で31人。すごくバラエティーのとんだ顔ぶれなので私には好都合で、楽しくレッスンしてますが、中でもこのエミリーは優等生。ママと一緒にきっちり練習してきます。負けず嫌いなところもあるので、一週間できちんと弾けるようにならなかったときはとても不満そう。私としては、「何も全部の曲を毎回みんな仕上げてくるのが目的じゃないからね。」とは言ってるものの、去年、ピアノをスタートさせたときに、テンポよく毎回新しい曲をもらってきたので、本人は不本意のようです。「二年目、三年目と進んでいくと、曲も難しくなっていくからね。」と前触れもしておいたので、今後彼女がどんな感じで進んでいくのか楽しみです。

2008年10月5日日曜日

初雪?

気温が下がってしまって、朝9時でもひとケタ台の寒さ。みんなが風邪をひいてしまってましたが、それもそのはず。だって「秋」を感じることなく、「冬」を感じてしまったんですから。

フランスに来て6年。改めて確認できましたが、フランスには日本の四季のような春と秋がありません。もちろん暦の上でも、感覚としても存在しますが、あっという間だし、はっきりとした存在感がないんです。夏のバカンスの終りには、誰もが「夏の終わり」を感じますが、そうかと思ったらもうすぐにこんな気温ですからね。それが今年は特にひどい感じ。一昨日の金曜日の夜、21時半に仕事を終えて外に出た時は、もう冬そのものでした。ぶるぶると震えて凍えて帰ってきました。

しかも3日前、木曜日の夜にはアルプス山脈でもピレネー山脈でも雪が降り、積雪が観測されました。

日本だったら、これから紅葉の秋、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋だなんだのと秋を満喫することが目白押しのはず。今年は私も「フランスには秋がない。」と文句を言ってばかりではなく、フランスの秋を探してみたいと思います。

2008年10月2日木曜日

サザエさん

私が小さい頃からずっと流れていたサザエさんのオープニングの歌。「買い物しようと町まで~」は変わってないのでしょうか?

10月になり、秋になり、すっかり気温も下がり、長かったバカンスとギュウギュウ詰めの新年度開始で風邪をひく人、体調をくずす人の多いこと、多いこと。
そんな中、私は風邪をひかないぞと気をつけていたつもりだったけど、あっけなくダウン。やっぱり風邪の菌は学校やクラスで万延するから、子供や若者相手に仕事をしていると、菌から逃れられる確率は低い。
「あれ?」と思った月曜日の夜から、あっというまに菌が体をめぐりすっかり風邪をひいてしまいました。火曜、水曜と仕事をこなして、昨夜はさっさと布団に入り、今朝は久しぶりにゆっくり寝ました。頭はぼーっとしてたけど、食料が尽きてきたことと、仕事のリズムのせいで買い物にいくなら今日しかないかと思い、買い物に出かけました。

そう、「買い物しようと町まで出かけたら~」です。今日は町ではなくてスーパーだったんですが、あれやこれやと買い物かごにいれ、アイスクリームやポテトチップスまで入れてレジに並びました。いざ私の番になって、ポイントを集めるための会員カードを出そうと思ったとたん、

「・・・・・」

おさいふがない!

しかも盗まれたとかパニックになる必要もなく、家に置いてきてしまったことは明らかでした。

フランスのスーパーのレジのシステムを知ってる人は多いと思いますが、日本のようにかごからかごへと移されるのではなく、客のそれぞれが買い物カートから中身を出して、レジのベルトコンベヤーにのせてならべます。そのため、私が買おうとしたものが見るも哀れに並んでいたわけです。
そこで「ごめんなさい、、、どうやら私、おさいふを忘れてきたみたい。。。。」という私。
フランス人なら現金のほかにもデビットカードや小切手をもってるわけですが、私のカードはお財布の中。そして私は小切手は普段持ち歩いていません。そのため支払う手段なし。
レジのお姉さんは親切に、私がレジに並べた品は気にせずそのまま置いてっていいと言ってくれたので、一人むなしく品物をかごにいれなおして、しかもそれをそれぞれの陳列棚に戻しにいくという作業を免れることができました。

あららら。

風邪をひいて頭がぼーっとしていたのはあるけど、しんどいのを無理して買い物に行ってこれじゃあね。

とぼとぼと車に戻る私の頭にすぐ流れたのは、もちろんサザエさんの歌。
「買い物しようと町まで、出かけたら~」
サザエさんは愉快なサザエさんだったけど、この状況は愉快と言うより、「まぬけ」なだけですね。
で、「財布を忘れてまぬけなサザエさん~」と歌ってみたけど、しっくりこなかった。

やっぱり出かける前に、持ち物を確認しないとだめですね。