2009年2月28日土曜日

懐かしい野菜たち

私がモンペリエで暮らし始めて6年半。大都市パリにはかなりの数の日本人コミュニティーがあって、日本食レストランはもちろん、日本食材店、日本の本屋さんまであるわけですから、値段は少々高いけれど一通りの物が手に入ります。一方、地方都市のモンペリエでは寿司レストランが1件か2件あったでけで、恋しい日本の食材もあれはなければこれも手に入らない。。。という状態でした。
が、この6年半の間にアジアブーム、日本ブームが浸透していったこともあって、モンペリエでも以前は手に入らなかった食べ物がちらほらと姿を見せるようになってきました。

最近友人からおすそわけで頂いた6年ぶりの野菜たちを紹介します。

例えばこれ。



恥ずかしながら、私は日本にいた時、すでに切られた状態でしか見たことがなかったから、この野菜の全体像を見た時、なにかわからなかったんです。で、フランス人と一緒に、「これなんだろうね?」と怪しんでいたのです。。。
が、この切り口をみたら判明。れんこんじゃないですか~。
ここモンペリエでれんこんに会えるとは思ってもいなかった!

それからこちら。


ちょっとひなびてしおれかけていますが、ごぼうさんです。
これは大型スーパーのカルフールの野菜売り場にあったとか。

そして最後はこちら。



これまたしなびれかかっていますが、青しそです。

大量に消費するものではないけれど、ピリッと一味効かせたいときに大活躍ですよね。こちらでは手に入らないから、親にしそを自分で栽培するための種を送ってもらったことがあるんです。それが今ではアジア食材店の野菜コーナーにあったとか。

この冬は寒かったので、私は白菜を常備してなんちゃって「お鍋」を何度もしました。白菜だって6年半前にはどこにでもあるわけではなかったけれど、今や大型スーパーでなら見つけることができます。

この懐かしい野菜たちとの再会を祝して、私はとり五目ご飯をつくりました。

やぱり和の味はいいですね。

2009年2月26日木曜日

春近し

このところ一気に日が長くなってきて、18時を過ぎてもまだだいぶ明るくなってきました。と同時に、この冬は例年よりも気温がだいぶ低く、雨もとても多くて皆でぶ~ぶ~言ってましたが、モンペリエらしい青空の毎日が戻ってきました。「もうすぐ春だな~。」と感じるべきところですが、日本の四季に比べて春と秋の存在感が薄いこちらで生活をしていると、「このまま夏の紺碧の空に向かって一直線!」と感じてしまいます。わくわく感上昇。



太陽の力というのはやっぱりすごい。


真っ青な空があるだけで、みんなの顔も明るくなる感じがする。暗くて寒い冬だと、みんな眉間にしわを寄せて歩いてる感じだけど、青空のおかげでほっとほぐれた表情に。

私の周辺は、ただいま問題に問題続きで大荒れ。フランス人の中に入って生活しているおかげで、「私は日本人だし、、、。」なんてごまかしもできなくなり、一人の人間として大人として、大事な選択、判断をしなくてはいけなくなりました。そのため、またも次の九月から先のことがまったく楽観できない状態になってしまいましたが、これも冒険生活を選んだことの延長なんだから仕方ないですね。人生は選択の連続です。心の大荒れ模様も、この青い空のおかげでそんな風に思えます。



さて、モンペリエ空の下、今週の火曜日から「ディドンとエネ」の本番が始まりました。




火曜日は14時半という日中の公演で、モンペリエ周辺の小中高校生がクラスと一緒に来たりしていて、わいわいがやがや。でも、本番が始まると客席も静かになり、子供も若者も、大人も、みんな舞台の世界に引き込まれていくのがわかりました。もともとたったの一時間の舞台で、明るい部分はありながらも、全体は悲劇のムードがつつむこのオペラ。でも演出家により、笑いをとるところも加えられたために、もともと密の濃いオペラが、さらにいっそう濃くなった感じ。笑いから涙まで、人間のもつ感情がすべてたったの一時間の舞台に濃縮されました。みなが息をのんで舞台に集中して舞台にすいこまれている空間というのは、やっぱり特別な空間ですね。非日常です。

このあと、モンペリエでは木曜と土曜の夜の公演がありますが、いずれも満席完売とのこと。


出演する若者たちも、舞台の上に立つことのできるチャンスと舞台のマジックを満喫しているようです。

2009年2月23日月曜日

夜のニーム散策

この週末の夜、めずらしいことに隣街のニームまでおでかけしてきました。

さらにその目的がすごい。

「食べるため」に行ったのです。(笑)

隣街とは言っても、ニームNîmes というのはモンペリエから東に50キロほどの街。お隣のガール県の県庁所在地です。現在、人口などの面ではモンペリエよりも下回る規模の街ですが、TGVも停車するし、南フランスの主要都市のひとつには違いありません。ニームの歴史は古く、古代ローマ帝国の時代から繁栄した都市だったのです。

お友達の誘いで、ニームにあるレストランに向かった私たち。高速道路ぶっ飛ばしで1時間ちょいかかったかな。着いたらすっかり夜の街。

私にとっては、フランスでの生活を始める前の2002年の夏に、短期滞在のためにモンペリエに来た時に、エクスカーションとしてニームを訪れて以来のこと。またしても過ぎた時間に驚かされます。
ニームの街は、どど~んと大きな古代ローマ遺跡となんだかがら~んとした町並みのバランスがどうも親近感を与えないものだから、訪れることなく7年が過ぎてしまったんです。だから次またいつくるかわからない?と思って街を散策しました。

ニームの駅近くに車をとめて散策開始。




日本人にとったらアルルやアヴィニョン、オランジュなどの方がよく知られていますが、このニームにも古代ローマ時代の遺跡は数多く残っています。

例えばArène 古代競技場。




ここではかなり頻繁にコンサートなどが催されています。

続いて有名なのがMaison carrée (四角い家の意味)。古代ローマの神殿で、中世には教会として利用され、現代は古代美術博物館として使われています。この日は修復工事のため半分が覆われていましたが、紀元前からの建物がこうして街の中にあるというのはすごいことです。




このお向かいには古代と現代を意識して作られた、イギリス人建築家ノーマン・フォスターによるLe Carrée d'Artがあります。2000年にオープンした現代美術館、図書館などが入っています。



この他、ニームの名所と言えばJardins de la Fontaine があります。ヨーロッパ有数の歴史的な公共の公園です。造園されたのは1745年ですが、中にはローマ時代の遺跡などが多く残っています。

まあ観光するためにはやっぱり昼間にこないとだめですけどね。

さて、こうして50キロを走って食べにいったレストランというのが、フランスにいくつかチェーンのあるアジアを意識したレストラン。内装も普通にモダンで、(というかモダンとか言うのが古臭いですが、)日本のチェーンレストランを思い出させられました。



餃子や揚げ物とスープのセットの前菜をとり、みんなでわけました。



日本食やアジア各国の料理が流行っていることもあって、お箸を使って食べることができるフランス人も増えてきているし、お箸を使うこと自体が異国情緒を味わうだいご味みたいなところがありますが、このレストランでは、割りばしならぬ、割ばさみのようなものがでてきました。



なんだかアイスクリームのバーを二つ合わせたみたいなピンセットタイプ。私は手が疲れるので結局スプーンで食べましたが、、、。

そしてこのレストランのウリは、バイキング形式で並んだ野菜を自分で選び、肉や魚、トッピング、ソースも自分で選んで、こちらの写真のように大型中華鍋とともにスタンバイしている料理人のお兄さんに目の前で料理してもらうというスタイルでした。





大きな炎を上げながら豪快に調理してもらって、できあがったのはハイこちら。



「野菜炒めどんぶり」というところかな。

野菜炒めなんて言ってしまうと私たち日本人には至って日常の食べ物になってしまうけれど、フランス人にはこれだってとってもアジアンなわけで、うれしい広い面積のレストランもほぼ満席になっていました。

なんだろう、このチェーン店ということで内装やテーブルセットなどが、日本によくあるレストランのようで、懐かしくなりました。

お腹いっぱいになって帰路についたのは言うまでもありません。
ちなみに、ニームは日本人にはあまり知られていませんが、ジーンズの生地のデニム生地というのは、この町が発祥だという説がありますよ。

2009年2月19日木曜日

おいおいフランス人。。。

フランスでは何事においても専門が細分化されていて、仕事における役割分担が徹底されている。

例えば医療分野において、「医」と「薬」は完全に分けられていて、患者が処方箋をもって薬屋さんに行く。これは日本でも最近そうかな?と思うけど、日本の場合○○医院の横手に○○薬局があって、別々に看板を掲げていてもその二者の関係は明らか。
それからレントゲン科というのは完全に独立してあるため、患者はレントゲン検査を受けるための処方箋をもらい、レントゲン医のいるところにいかないといけない。リウマチ科のお医者さんのところにくらいしかレントゲンの装置はない。そのため歯医者さんだって、レントゲンは別のところで別に予約をとって受けて、その結果をもってまた歯医者に予約をとって戻る。大学病院とかでない限り、同じ病院の組織の中で段取りよくレントゲンとかとってもらえないものだから、ワンステップ進むのに日数のかかることかかること。。。

フランスにいる日本人にとって腹立たしいのは、同じ会社や店の組織でありながら、担当が違うと言って涼しげな顔をしながら客をたらいまわしにするフランス人の態度。

まあ悪名高いのは役所で、ひとつ質問するために窓口をまわるはめになり、挙句の果てにはどこへ行っても「私は担当じゃないから知らない。」と言われておわり。「私は担当じゃないから○○へ行け。」と言われるのは「知らない。」と言われて門前払いの最悪パターンよりはましだと言えます。そして「私は担当じゃないけど、調べてみますね。」なんてことを言ってもらえるのは例外中の例外中で奇跡的なことだと言えます。
そもそも、「同じ組織の中で働いていて、なんでそんなことも知らないんだ。」と驚くのが日本人。挙句の果てに客を相手に「知らない。」で終わりという態度が全く理解できない。なんで動こうとしないのか?

とまあ、こんなことはもうすっかり承知の上ですが、毎回毎回「あんたたち日本に行って集団研修でもうけてこい!」と思ってしまう私でした。

で、わかっていながらも改めて驚かされるやらあきれるやらの繰り返しなんですね。

例えば今日のできごと。とあるスーパーでポイントをためるカードがうまく機能してなさそうだったから、サービスカウンターに行って質問してみたんです。

「これ、毎回ゼロってなってるんですけど、これでいいんですか?」って。

そしたら担当の店員さん曰く、「これは普通じゃないですね~。」

ここで日本だったら普通じゃないことをわびるなりなんなりあってから対応するために動いてくれる。

が、ここはフランス。

ポイントカードの裏に表示されてるお客様電話対応の番号を指差し、「ここに電話してください。」という。
続けて「自分には何もできません。」と。さらには「この番号は固定電話からだったら無料ですから。」などと付け加える。

・・・・・。

まあフランスではこんなもんかとは思うけど、「何か違うだろう、おいおい。」と言いたい。

○○というスーパーで働く身であって、客がこのスーパーのポイントカードのトラブルを店頭のサービスカウンターに問い合わせに来ているのに、なんで「サービスセンターに自分で電話してください。」しか言えないのだろう。

この手の対応はもう何度も何度もみてきて、新しいショックでもなんでもないのだけど、やっぱり思う。

もうちょっと動こうよ、フランス人!

2009年2月16日月曜日

soirée des régisseurs

この前の週末、オペラ座のRégisseur GénéralであるTさんのおうちで「みんなでわいわい夕食会」がありました。集まったのは10人で、みんな Régisseurばかり。Régisseur généralは、日本では「舞台監督」、英語ではステージ・マネージャーと言われ、普通にRégisseurと言うと、日本で言う「舞台監督のアシスタント」という職業の人たち。この日集結したのはモンペリエのオペラ座の常任スタッフの人、フリーの人、そして研修中の人、そして私。

「今日はregisseurばっかりのsoiréeだね!・・・・ あ、でも違うやつが一人いる。leonardo... 」とつっこみを入れられかけましたが、別の人が、「あ、でもleonardoも一度やったよ!」と思いだしてくれて、なんとかrégisseurだけのパーティーに、この私も régisseurのはしくれとして認めてもらいました。

舞台監督と一口にっても、演劇の舞台なのか、オペラなのか、それともコンサートの舞台なのか、バレエなのか、とかそれぞれ仕事の内容は変わってきます。それでもまとめて言ってしまえば、舞台の進行を円滑にするために、すべてのスタッフとコンタクトをとり、チームプレイを統率する役目の人です。ひとつの舞台に関わるスタッフの数はとても多く、それぞれの専門、役目は広範囲に広がります。ざっとあげてみても照明、音声、大道具、小道具、衣裳、メイクなどがありますが、舞台監督は一つの舞台の計画立ち上げの段階から、これらそれぞれの部門と密なうちあわせを重ねていくのです。そして実際の舞台の進行のため、客の入場の管理から始まり、照明、大道具など舞台裏のスタッフから出演者も含め、分刻みの準備の段取り、そして舞台でのトップ出し(キュー出し)をするのも舞台監督の役目です。

オペラの場合、すべてが音楽にそって進行していくので、すべての計算は楽譜をもとに行われます。しかし、照明さんや音声さん、大道具、小道具さんたちは楽譜は読めないし、読みません。演出家だって楽譜をもとに仕事をするわけではありません。演出家は歌詞はもちろんだけど、耳で聞こえる「音」と「音楽」をもとにイメージふくらませ、その「時間」を頼りに舞台上の動きを決定させていきます。この演出家が望む「舞台」が、演出家の望む「タイミング」で実現できるように物事を調整するのが舞台監督の仕事です。たいていの演出家はアシスタントをつれているので、舞台を作るためのすべての下準備とすべての調整は、舞台監督と演出家のアシスタントにゆだねられているといっていいでしょう。

オペラには指揮者、オーケストラ、そして歌手という音楽畑の専門家たちが参加しますが、この人たちと舞台裏のスタッフの作業すべてを調整して統率するというのは至難の業です。しかも指揮者や歌手のようにスポットライトを浴びる人たちと違って、舞台監督というのは舞台裏に徹する人。まさに影の人ですが、舞台の構造から、照明、音声など知り尽くしていないと務まらないし、何より大人数を統率するのでコミュニケーション能力にたけていないと務まりません。はたからみたら「雑事」のようなことまですべてに関わっている人なので、まさに「オールマイティー」を求められる職業。

普段、フランスで暮らしていると、日本で女性に求められる「こまやかな気遣い」というものは存在せず(笑)、ずべてが大雑把でそれぞれの気の向くままにことが進みますが、このRegisseurたちは、コミュニケーション能力にたけるだけでなく、隅の隅まで目が行き届いていてるので、こまやかな心遣い、気づかいを心得ていて、気のきかない私なんてぼ~っとしてて、ふと気持のよい気づかいをしてもらうと、「お、あなたは日本人か?」と驚いてしまうくらい。

それから、彼らは演出家や指揮者やオペラ歌手など、ひと癖、二癖、難もありの個性の強いアーティストたちとの接し方も心得ているので、ある意味「冷静な目」をもった人たちでもあります。観客が羨望の目で見つめる大物歌手なんかの舞台裏での素の姿などを普段から見ているから、「家政婦は見た!」じゃないけど、彼らはいろんなことを知ってるわけです。それに彼ら自身、もともとダンサーだった人、振り付けや演出もしていた人(現在もすることもある)、ミュージシャンだった人、演劇畑にいた人、などなど、その道を知っている人たちばかり。

そんな職業を持つ人ばかりが集まったわけだけど、みんな普段から一緒に仕事をして、気もあってる人たち。しかも料理名人ばかりなので、みんなが持ち寄り、おいしい食事においしいワインにと、とても楽しいソワレだったのだけど、実はメンバーのうちの2人の誕生日パーティーも兼ねていたんです。

数日前に誕生日を迎えたGと、数日後に迎えるM。ふいに出てきたろうそくいっぱいのケーキに、二人とも顔をほころばせます。そして子供さながら「ふ~~~~っ!!!」とろうそくの灯消し。







いくつになったって、誕生日を祝ってもらうのはうれしいし、祝ってもらって幸せそうな人の顔をみるとこっちもうれしくなっちゃうもんです。

この日の圧巻はデザート。バースデーケーキの他にも二種類のガトーショコラと二種類のティラミスが用意されたんです。




こりゃたまんないね~状態。

現在モンペリエのオペラ座では「ディドンとエネ」と3月頭公演の「ファウスト」の二本のオペラの準備が同時に進められています。この日集まったメンバーはみんなどちらかの舞台に関わっていて、連日休みなしのハードスケジュールのなか、この日曜日だけがみんなの休日だったんです。12時過ぎまでとっても快適なソワレを過ごし、また翌日からの過密労働に耐えるための精気を養って、2台の車に分かれてみんな仲良く帰りました。


日ごろ、フランス人気質、特にモンペリエ人気質に囲まれて暮らしていて、何かと不満の多い私は、舞台監督たちの気質が好きで、こういう人たちとのチームプレイなら大喜びで参加したいなと思っているのですが、この世界でやっていくにはやっぱりまだフランス語が弱いなと思い知らされる。特にいつなんどきでも大きな声ではっきりと声を出していかないといけないのに、フランス語だと「大きくはっきり」がまだできない。
この日集まった10人の中には一人イタリア人もいました。超超かわいいE。私たちは去年の3月に知り合いましたが、彼女もまだフランス語が完璧とはいえない私とおんなじレベル。理解力は私よりも弱いし、同じ悩み、同じネックをもっているかなとは思うのだけど、私との違いは「話し方」。イタリア訛りも強いけれど、積極的に話す。しかも「大きくはっきり」。やっぱりイタリア人だ。
私は日本語だったらもっと声出していけるけど、外国語ではそう簡単じゃない。。。フランス語特有の子音だらけの発音でどうやって大きな声でしゃべれるのか。。。。
影の人たちでありながら、すべての人とコミュニケーションをとらなきゃいけない彼ら。単に「ひかえめ」ではだめなんです。存在感があって前に前に出ていくエネルギーがあって、それでもこまやかな気配り、気づかいも必要。う~ん。。。一日本人の私にはまだまだ遠い。。。。

2009年2月13日金曜日

Audition

一月末の大嵐の日。車ごと風に吹き飛ばされそうになりながら、私がどこに向かっていたかというと、音楽学校の生徒の発表会があったんです。

土曜日の夕方18時から、普段、私がレッスンをしているSt. Georges d'Orques の小学校の多目的室で行われました。
ヴァイオリンとチェロとピアノのクラスの合同発表会。とは言っても、私には都合がよくない日程だったので、今回は数人の生徒をヴァイオリンの伴奏へと送りだしただけに留め、また追って発表会をする予定です。

ヴァイオリンの先生Mathiasのクラスはかなりの大所帯。チェロのMarieのクラスも開講されて3年目ながら着々と生徒数を増やしています。

この音楽学校のいいところは先生同士のコンタクトがまめにとられていて、クラスを超えたデゥオ、トリオや合奏が盛んにおこなわれているところです。
私自身、ソロで弾くよりも他の楽器と一緒に演奏することの方が数倍楽しいと感じているので、力が付いてきた生徒を他の楽器の伴奏に挑戦させています。
そんなこともあって、この日の発表会でもヴァイオリンのソロ、チェロのソロだけでなく、いろんな形のアンサンブルも組み込まれました。


例えばチェロとフルート。


ヴァイオリンとギター。




ヴァイオリンとピアノ。




三人娘を伴奏したのが私の生徒のLaure。




などなど。


日本ではピアノとヴァイオリンの情操教育も兼ねた早期スタートが盛んですが、フランスでピアノを6歳前に始める子はとても少ないのです。が、逆に、日本では中学、高校のブラスバンドやオーケストラの部活動で初めて接することが多いその他の楽器を、フランスではピアノやヴァイオリンのように子供の時に始めます。

そんな違いもあって、優れたピアニスト、ヴァイオリニストを大量に送り出す日本に対し、フランスなどの国からは優れた管楽器奏者などが生まれていると言えると思います。

今回の発表会でも、日本では見たことのないちびっこチェロ弾きがいました。
彼女の演奏の番になったとき、遠くから見ていた私たちからは譜面台のよこに先生のMarie がいるだけで、「何やってんのマリー?」と突っ込んだのですが、実は譜面台の向こうに小さな小さなチェロ奏者が隠れてたんです。



ほらね、譜面台に隠れてしまう彼女。
しかも子ども用のチェロというのを私は日本で見たことがなかったのですが、普通のチェロと並べてみると大きさの違いに驚くでしょう。





これもしかして、ヴィオラくらいの大きさ?ってサイズです。


おしゃまなちびっこヴァイオリニストも登場。




マチアスのクラスとはいろいろと交流をしはじめて数年がたっているので、私も彼の生徒の成長を感じることができます。私の生徒とデゥオをするときは、私のレッスンに来て私がアドバイスをあげることも多いので、お互いよく知った仲。ヴァイオリンの腕前の成長はもちろんなのですが、このところ身体的成長に驚かされる子たちがたくさん。
私が音楽学校で働きだして5年がたっているので、当初9歳くらいだった子が今や14歳とかになってるわけです。





男の子二人のピッチカートデゥオをしたArthurと Hugoですが、この右側のユゴーなんて、5年前はむちむちしてわんぱく盛りの元気な男の子だったのが、今やすっかり細身で思春期まっさかりの高校生になってしまっています。 こんな成長と変化をみると、過ぎ去った時間を感じずにはいられないというか、「私も年とってるってことやんね?」と気付かされるのです。普段、自分の年齢なんてわからなくなってるところがあるので、こういうことでもないと実感しないんですよね、私。




大嵐にも関わらず、とてもいい雰囲気で発表会が行われました。


最後にはほほえましい写真を一枚。




日本の発表会のように一張羅のおしゃれをすることもなく、まして借りるようなコンサートホールもないので、普段着のままの発表会ですが、我が子の晴れ姿をカメラに収める親の姿は世界共通。

終了後には善意で持ち寄られたケーキやキッシュなどの軽食がふるまわれ、どこまでも気取らない雰囲気のなか、生徒と親、先生と学校のスタッフの間でおしゃべりが繰り広げられました。

2009年2月10日火曜日

Didon et Enée

モンペリエ地方では7日の土曜日から冬のバカンスに入りました。
年末年始のクリスマスバカンスから1ケ月あまりですが、ここでまた二週間のお休みがあるわけです。
この間、多くのフランス人家庭がすることと言えば、スキー旅行。アルプス方面、ピレネー方面、そしてフランス内陸部のセベンヌ方面へとそれぞれ出かけていきます。バカンスの話だけしてると、なんて優雅でのんきな民族だと思っちゃいますよね。。。

さて、学校がバカンスのため、私も音楽学校での仕事は2週間お休み。でもオペラjrの方では、今年度一番のプロジェクト「デイドンとエネ」がプロダクションの段階へと突入しました。つまり、普通のプロのオペラ公演の準備と同じく、関係者すべてが集結して2~3週間で舞台を作り上げる段階なわけです。演出家と歌手の立ち稽古、舞台稽古はもちろん、舞台美術、衣裳、メイクの準備、大道具小道具、そして照明や舞台セットの秒刻みの調整がまとめられていきます。

オペラjrでは普段からコンサートや舞台を独自に行っていますが、年に一度、モンペリエのオペラ座とのCoproduction (共同制作)があり、2008-2009のシーズンはこの「ディドンとエネ」が共同制作で行われるのです。





オペラjrからこの舞台に参加するのは、14歳~18歳の女の子と16歳~24歳の男の子たち。10月から週一回のペースで合唱の練習をはじめ、11月にはソリストが選ばれました。彼らに加え、エネアス役のテノール歌手と俳優がプロとして出演します。演奏はL'Yriade という若手ミュージシャンが集まったバロックアンサンブル。見ものはやっぱりジャン=ポール・スカルピタによる演出です。これまでこのブログでも何度か名前が出ている演出家ですが、彼がプロではない若者たちを相手にどんな演出を実現するのか、そばで見ていてとても楽しみです。

2月24,26,28日の三回にわたってモンペリエのオペラ座コメディで公演のあと、3月にはカルカッソンヌ、5月にはセートでの出張公演が予定されています。


バロックオペラ傑作中の傑作と言われるこのオペラ。古代ローマの詩人ヴェルギリウスの「アエネーイス」をもとに、ネイハム・テイトが台本をまとめ、ヘンリー・パーセルHenry Purcell(1659-1695)によって作曲されました。初演は1689年といわれています。テイトとパーセルはともにイギリス人。二人は友人であったといいます。英語で書かれたオペラです。そのため原題は「Dido & Aeneas」。日本では「ディドとエネアス」として知られています。実はこのタイトルの表記の仕方に私は迷っていました。フランスでは人名をフランス流にかえ、さらにフランス語読みしてしまうので、「Didon et Enée」ディドンとエネになってしまうのです。そのために、私はモンペリエ現地の発音をそのまま使わせてもらっています。でも日本では「ディドとエネアス」、もしくは「ディドーとエネアス」、さらには「ダイドーとエネアス」との表記もみられるようです。

3幕からなるオペラですが、演奏時間はたったの1時間。一時間で密の濃いドラマと音楽が凝縮されていて、「傑作中の傑作」という言葉にはうなずかされます。本当にすごいオペラです。もともとオペラが好きではなかった私が言うのだから本当ですよ。

物語の舞台は、現在のチュニジアのあたりであるカルタゴ。カルタゴの女王ディドと、戦いにやぶれてカルタゴに漂着したトロイの王子エネアスの悲しい恋の物語です。明るくエネルギーに満ちた侍女べリンダともう一人の侍女が、国の未来と恋の間で苦悩するディドを励まします。そこへディドを憎み、いつかカルタゴの女王の座を奪い取ろうとたくらむ魔女とその手下が物語に加わります。魔法使いの霊がエネアスの前に現れてウソのおつげをし、ディドとエネアスの関係を壊します。自分たちのたくらみの成功を確信して笑いがとまらない状態の魔女たちに続き、船出の準備をする水夫たちの楽しく陽気な歌が入って、オペラのムードにアクセントをつけますが、ディドとエネアスの言い争いからオペラはクライマックスへと向かいます。プライドの高さから気丈に立ち去るようエネアスに言い渡したディドは、死を決意し、姉妹のように親しかったべリンダに別れを告げ、「私のことを覚えていてね、、、でも私の運命は忘れてちょうだい、、、」と、涙を誘わずにはいられない名曲中の名曲「Remenber me 」を歌います。最後、悲しみに沈むキューピットたちのコーラスでオペラが幕を閉じます。

オペラのあらすじをこうしてまとめてしまうと、「なんのこっちゃ」と思ってしまう人も多いことでしょう。だって、私自身、オペラのもつおおげささやわざとらしさが好きになれずに、挙句の果てには「なんでそこで何回も同じことを歌ってるの?」なんて冷たい突っ込みをいれてしまうタイプでした。

でも、やっぱりなんでもそうですが、良く書かれた台本、よく書かれた楽譜、そして練られた演出がそろうとオペラってすごいな~と思うようになりました。
特にこの「ディドンとエネ」には無駄なところが全くない。無駄なメロディー、無駄な音楽がまったくないように思います。短くて構造はシンプルだけど、それぞれのソロと合唱部分がテンポよく場面転換を果たし、1時間で本当にドラマティックなオペラになっているのです。

もともと人気のある演目ですが、今回のオペラjrもすごい。内輪を褒めてなんですが、このオペラに参加するメンバーは、楽譜なんて読めない頃からオペラjrに加わり、ウラジミールとヴァレリーのもとで数年間学び、成長してきた子たち。ウラジミールに言わせると「純正オペラjr産」とのこと。私がオペラjrに関わるようになって5年がたちましたが、5年間での成長が明らかにみてとれます。この4日間、私も彼らと一緒に演出家との稽古に参加しましたが、16歳の子たちがする演技と歌に圧倒されるシーンもありました。

演目、演出家、出演者の3本そろった今回の公演。お勧め度五つ星です。
2月4日の夕方にチケットが発売開始になったのですが、翌日にはもうすでに最終日のチケットが完売となっていたそうです。
日本にいるみんなにも「見るといいよ~」と宣伝したいところですが、せめてモンペリエの人にはいっぱい宣伝しようと思ってます。

インターネット上でもチケットの予約はできるので、どうぞのぞいてみてください。

2009年2月6日金曜日

Vive les Japonais !

フランスでは、大統領などが公式なスピーチをするとき、最後は決まって 「 Vive la France ! Vive la République ! 」 でしめくくられます。訳して「フランス万歳!共和国万歳!」。
フランスでは時々「日本人はナショナリストすぎる」(民族主義、国粋主義)と批判されることがありますが(理由はまたいつかお話しますが)、この「フランス万歳」を聞くたびに、「いやいや、あなたたちこそナショナリストでしょう、、、」と思ってしまう私でした。

が、つい最近、「Vive les japonais !」 と叫んでしまいたくなるできごとがありました。

それは先日お伝えした現代オペラ「Affaires étrangère 」の最終日のできごと。

無事に公演が終わり、仕事を完了した私は舞台そでを通って事務所にいこうとしました。するとそこで「leonardo !」と声をかけられ、見るとそこには昨シーズンからモンペリエオーケストラでヴァイオリンを弾いている日本人女性Yさんがいました。オペラの評判を聞いて聞きにきていたとのこと。Yさんとはお互い知ってる仲ですが、Yさんの隣には日本人女性がもう一人。
実はこの方が、今シーズン(2008年9月から)アシスタント指揮者としてモンペリエオーケストラと仕事をしているKさんでした。噂には聞いていたものの、お会いする機会がなかったのです。モンペリエオーケストラでは、去年まで若いフランス人女性指揮者がアシスタントを務めていたのですが、キャリアアップのためにポストを離れて旅立ってしまい、新しい人を探しているわけです。アシスタント指揮者というのは常任のポストで、コンサートで実際に指揮をする指揮者のアシスタントとして、オーケストラの練習を指揮してまとめる役目があります。
Kさんは今回のオペラ「Affaire étrangère」にもアシスタント指揮者として準備に参加していたので、公演最終日を見に来たのでした。

私もちっぽけながらピアニストなので、「日本人女性ミュージシャンが3人いるぞ~」と、うれしくなっていたとこへ、モンペリエオペラ座の舞台マネージャーであるTさん(男性)が通りました。TさんはRégisseur Géneralといって、オペラの進行全体をまとめる重要な役割をもった人です。彼もこの「Affaire étrangère」の担当をしていたのでした。Tさんはお母さんがフランス人、お父さんが日本人のハーフで、イタリア暮らしが長い人なので、フランス人かイタリア人か日本人か断言しにくいところですが、日本人仲間でもあります。

こうしてモンペリエの音楽界で働く日本人4人が初めて顔をそろえたことになりました。

モンペリエのオペラ座コメディの舞台裏事務所で4人が日本語で言葉を交わしているのを見て、タイトルどおり「日本人万歳」とはいかなくても、「日本人、すごいじゃん?!」と思ったのです。
日本人であることにはなんの必要性もなく、ただこの分野で、フランスで、活動をしてきた4人が、たまたまモンペリエで同じ時に顔を合わせることになったわけです。これもご縁ですよね。

パリ、ベルリン、ロンドンなど、大都市でがんばってる日本人ミュージシャンは多いかと思いますが、みんな外国の地で、その地ヨーロッパの文化であるクラシック音楽の世界で奮闘してるんだな~と改めて思いました。

私も引き続きがんばるぞ。

2009年2月2日月曜日

Affaire étrangère

先週のオペラjrのコンサート後から、ある現代オペラの世界初演に字幕操作担当で参加しています。

「Affaire étrngère」(おかしな事件、奇妙な出来事)というオペラ。






前知識もなにもないままに、プレ・ジェネラル(本番さながらの通しリハーサル一日目)から参加した私ですが、予想外にオリジナルで新鮮な企画だということを知りました。

作曲したのはValentin VILLENAVE (ヴァロンタン・ヴィルヌヴ)という24歳の若者!

この彼のプロフィール、そしてこのオペラ誕生の裏話を聞くととてもオリジナル。若いエネルギーと新鮮なアイディアをもって積極的に売り込むことの大切さを改めて教えてくれます。

公式に発表されているプロフィールからですが、彼本人曰く、彼は「パリ郊外のしがないピアノ教師」だといいます。

役者家族のもとに生まれた彼は、作曲を特別に専攻していたわけではなく、コンセルヴァトワールでピアノ、ピアノ伴奏、和声法、ジャズ、オーケストレーションを学び、ピアノ教師やダンスの伴奏ピアニストとして活動をはじめたといいます。そして即興の腕をみがきつつ、自分の生徒には自作の曲を与えたりしていました。しかし今から四年前、20歳の時に「オペラを書きたい!」という強い欲求が生まれました。彼は総合芸術であるオペラに強いパッションがあったのです。

そこで彼はオペラの台本探しを始めます。

しかし、彼の求めるリズム感のよいエネルギーあふれる台本というのはなかなか見つかりません。

そんななか、彼は子供のころから読み親しんだマンガの作者のことを思いました。フランスで言うマンガというのはbande dessinée (バンドデシネ)のことで、日本のコミックマンガとはまた違うスタイルです。彼が好きなマンガ作家というのはLewis Trondheim のこと。20歳の彼は改めてLewis Trondheim の全作品をよみあさりました。そしてこのマンガ作家の公式サイトを通じて大胆な提案をしてみたのです。
「僕はパリ郊外のピアノ教師です。僕と一緒にオペラを作ってみませんか? オペラを書いたことはないのですが。。。」と。

そしてこれに心よく応じたLewis Trondheim。

「喜んで!僕だってオペラに参加したことはないんだから、これが初めてになる!」と。

そこでマンガ作家が提案したのは、2001年にJochen Gerner との共同執筆で発表された「Politique étrangère」という話。





こうしてマンガ作家自らが、登場人物のカットなどもしながら、オペラの台本としてまとめなおしました。ちなみにマンガからオペラが誕生したのはこれが初めてのこと。Jochen Gerner も加わって、3人そろって初めてのオペラ制作。大冒険です。話し合いを重ねながらそれぞれが作業を進めていったといいます。

そうしているうちに大きな出来事がありました。

2006年初めに、Lewis Trondheim がAngoulemeで開催されたマンガフェスティバルのグランプリを獲得したのです。

これを契機に自分たちの企画を実現するために、大きな組織に売り込もうと決意した作曲家が、ダメもとでメールを送った相手が、モンペリエ音楽界の王様R. K氏。単にLewis trondheim がモンペリエ出身だったから思いついたのだそうです。

このメールに2時間後に返事がきました。

「この計画の実現は喜びです!」とR.K氏からの快諾でした。

こうして今日の舞台が生まれたのです。

立派なキャリアをもったベテランの大物アーティストが作り出す舞台ももちろん素敵ですが、たまにはこうして経験のない新人が作り出すオリジナルな舞台というのは本当に新鮮です。大きな初体験にのりだした製作スタッフのドキドキわくわくの舞台裏の様子が手に取るようにわかりますね。

これでこそ冒険。

人生は冒険。

Aventure です。

次はオペラの内容をお伝えできたらいいなと思います。