2009年3月30日月曜日

King Arthur

この土曜日から、モンペリエのオペラ座ではヘンリー・パーセル作曲のセミオペラ「King Arthur」の公演が始まりました。私も字幕操作担当で参加中です。
この演目は、去年の7月のラジオフランスのフェスティバルで初演されており、そのリバイバルとして今回4日間の公演があります。




フランス語読みするとキング・アルチュールですが、英語読みではアーサー。円卓の騎士や聖杯伝説で有名なイギリス建国のヒーロー・アーサー王の物語です。

ヘンリー・パーセル(1659-1695) というと、この間オペラjrが行った「ディドンとエネ」の作曲者です。オペラというジャンルは16世紀の終わりにその形式が整いだしたといいますが、パーセルが生きた時代のイギリスでは、劇のための音楽がさかんに作曲されていました。幕が上がる前の序曲など器楽曲だけでなく、劇のあちこちに歌が挿入されていたのです。歌と言えば独唱から重唱、そして合唱までいろいろありますが、それぞれの曲は短く、役者による台詞のやりとり、つまり純粋に劇の部分が大半をしめ、この時代の音楽のほとんどは劇音楽でしかなかったのです。そこから徐々にオペラ誕生への道が分かれ始め、初期のオペラの形式をセミオペラ、あるいはドラマティック・オペラなどとよびます。どこまでが劇音楽でどこからがセミオペラかという分類は明確ではないけれど、「音楽を盛りだくさん含んだ劇」といった感じですね。(あいまいだけど。)逆に何がオペラとは違うかというと、やはり音楽が途切れ、セリフやテキストだけの純粋な劇の部分が残されているということでしょうか。それから、一人の歌手が一つの役を担うオペラとは違って、劇中に出てくるたくさんの登場人物がそれぞれ歌を歌うので、それぞれの歌手が何役もこなすことになります。
こんなはしょった説明ではわかりにくいかと思いますが、どんなことでも過渡期の状態は定義づけしにくいものです。。。

さて、パーセルの「アーサー王」は、当時の大作家ジョン・ドリデン(John Dryden) の台本によりますが、劇として大変長いものだったようで、パーセルによる音楽の部分だけでだいたい一時間半、そしてテキストの部分で3時間半くらい、つまり合計で5時間は楽々かかってしまいそうな大長編大舞台。「そんな出しものはとてもできない。」ということで、今回の公演はパーセルによる音楽の部分だけを取り上げ、まとめられたものとなりました。
誰がそのまとめの作業をしたかというと、指揮者のアルヴェ・ニケ氏(Hervé Niquet)ご本人。彼はバロック音楽の世界では世界的に認められた人で、かなり頻繁に日本に行って指揮をふってるので、日本でもかなり名の知られた方だと思います。またいつか彼のこともじっくり紹介してみたいなと思っていますが、彼はモンペリエの常任指揮者というわけではないけれど、オペラ座やオーケストラのコンサートにかなり定期的に出演しています。私もオペラjrのつながりで、すでに何度かちょっぴりだけお仕事を一緒にさせてもらったこともあり、かなり身近な指揮者さんでもあります。

今回、パーセルの「King Arthur」をセミオペラとして公演しようということ自体が、このニケ氏による発案だったようで、このマエストロは自分から演出家を探しにいきました。そこで大抜擢されたのが、フランス人なら誰もが知っているShirley et Dinoのキャラで有名な、夫婦漫才ならぬコメディアンのカップルCorrine とGilles Benizio なのです。


こちらが彼らのサイト。
http://www.achilletonic.com/


いちばん有名な彼らの姿が見れるのはこちらで。
http://www.aufeminin.com/video/see_28909/shirley-et-dino-biche-oh-ma-biche.html


彼らのお笑いは、古き良き時代のキャバレーやミュージック・ホールの流れをくんだスタイルをもとにしていて、そのことがニケ氏のねらいだったようです。ニケ氏は 彼らのショーを見に行き、終演後の楽屋におしかけ突然直接くどいたそうです。「オペラの演出をしてくれませんか?」と。これが去年の春の出来事だそうで、ニケ氏の予定では2009年の4月、つまり今ごろ初演を迎える段取りでした。
あまり深く考えずにOKを出したジルに、奥さんのコリンヌは「オペラなんて全く知らない世界なのに!」と驚いたそうですが、結局、ニケ氏と彼らは意気投合。ニケ氏は直々にこのオペラ公演の計画をモンペリエの音楽界の王様クーリング氏にもちかけ、王様も彼らの参加に大喜びで、すぐさまラジオフランスのフェスティバルのプログラムに組み込んだとか。つまり共演が決まってからたったの2,3か月後に舞台を行うというわけです。
超大物・超売れっ子のCorinne と Gillesのことだから、さぞ忙しいスケジュールの中だったでしょうが、ニケ氏との打ち合わせを重ね、無事、去年の7月の初演を行いました。

そもそも5時間はかかる舞台からテキストの部分をカットして、はしょってするわけですが、全五幕としてまとめられた音楽には流れがあるわけですから、単に音楽を切とって並べるというだけえは舞台として成り立ちません。舞台転換や幕の合間のつなぎをいれないといけないわけです。で、それを誰がしたかというと、ジルとニケ氏本人たちだったのです。ジルは大道具のスタッフになりすまして登場。さすがは笑いのプロ。そうじきまで舞台上に出てきたりして、彼の計算通りにお客さんたちははめられ大ウケ。そして圧巻は指揮者のニケ氏。彼は指揮をふりつつも、曲の合間にはステージにあがり、しゃべりはもちろん、歌うは踊るは、さらにコスプレまでしてくれる大サービス。





二人のかけあい、つっこみはとてもテンポがよくて、観客は大爆笑で大喜び。途中、一度だけコリンヌも舞台上に登場して、お決まりの変な笑い声でサービス。

歌手陣はどうだったかというと、ソプラノ二人とテノール、バリトン、バスの計5人が出演。歌手として文句なしの超一流なうえに、これがまたすごい演技者ぞろいで、すごいコミカルタッチな演出にぴったりはまりまくり。彼らの演技だけでも十分に笑いをとっていました。

そんなこんなで、一時間40分くらいの舞台。
まさにバロック音楽とミュージック・ホールが融合された舞台となりました。

それにしても今回私はニケ氏の新しい顔に衝撃をうけました。
もともとかなりインパクトのある容姿の人で、さらに特徴的なしゃべり方をし、クセのある指揮者として人に見られている彼が、率先してお笑いに走ったのです。しかも半端ではなく、とことん。指揮者がここまではめをはずすことってあるんでしょうか???

私は仕事中に、CorinneとGillesのマネージャーを務めるCorinneのお姉さんや、フランスのその業界では超超大物の舞台照明デザイナーのJ氏とおしゃべりする機会を得ましたが、二人ともニケ氏には感心してましたね。
この公演の計画が立ちあがって、最初のプレス向け発表では保守的なクラシック関係者からは、懐疑的どころかかなり冷たい反応をされたそうです。でも結果は客席は満席。そしてお客さんは笑いっぱなしで、音楽と歌にも大満足なわけだから、これ以上は望めないでしょう。

こんな計画を思いつき、実現させるニケ氏やクーリング氏って、とても柔軟で開かれた思考をもってる面があるってことですよね。今回はかなりショッキングな「目からウロコ」体験でした。

2009年3月29日日曜日

サマータイム開始!

フランスでは今日からサマータイムに切り替わりました。
 
昨晩の夜中の2時が3時に繰り上げられ、1時間消失したことになるわけですが、これで今日から一気に日が長くなっていき、「夜の22時でも明るいよ~。」のフランスの夏がやってくるわけです。

今日の時点で、もうほらこんなに明るい夜20時の空です。







そしてこれからにぎわうのが夜のカフェ。レストランもそうですが、屋外で食べるのが気持のいい季節。仕事が終わってから街に繰り出す人がとっても多くなります。まるで毎日がお祭り気分のようなフランスの夏。ああ、今年も夜のにぎわいを想像するだけで、もうワクワク。


夏時間と冬時間の設定は、石油ショックが起きたあとに消費電力を減らす対策として誕生し、1975年に施行されて今日にいたります。
一時間進めたり、遅らせたりする時間変更の日とその後しばらくは、生体リズムが乱れて、老人や子供、動物にも混乱をもたらすことが判明していて、賛否両論あるシステムですね。私だって普段は「リズムが狂う!」と言って反対派ですが、夏時間に切り替わるときだけは、夏を待ちわびるみんなの顔が「るんるん!」って感じになってこっちもうれしくなります。当分の間は持続されるシステムでしょうから、受け入れて慣れるしかないですね。

桜が咲く日本とは違い、こちらモンペリエでは春をとばして夏が来る!って感じです。

2009年3月24日火曜日

祝一周年

このブログを始めて1年がたちました。早いものです。

変化があったようでないようなこの一年でしたが、この一年間で出会った人の顔を思い浮かべてみれば、やっぱり変化は着実にありますね。
この不況の中、おかげさまで仕事に困ることなく、逆に忙しく一年が過ぎていきました。

さて、今から一年後はどこにいるのでしょうか?

今、モンペリエ生活続行に赤信号点滅サインが出かかってかなりのピンチですが、どうなるのでしょうか。ごえんのおかげで切りぬくことができるのでしょうか。それともここで終わりというご縁だったということになるのでしょうか。

いずれにせよ、せっかく始めたこのブログは続けさせてもらいます。日本にいる友達や家族への近況報告代わりとして、自分の日記代わりに、そしてたまたま覗いてもらった人への情報発信に。
今後もどうぞよろしくお願いします。

2009年3月23日月曜日

Audition part 2

21日の土曜日、音楽学校での私の生徒がフルートのクラスとギターのクラスとの合同発表会に参加しました。今年度、私は音楽学校で31人の生徒さんをもたせてもらってるので、私のクラスはかなりの大所帯。音楽学校ではいつも複数の楽器を混ぜて合同発表会をするように心がけているわけですが、私の生徒全員が一度に参加するとかなりの時間がかかってしまうということで、今年は私の生徒をいくつかに分けて発表会をすることにしたんです。1月にはヴァイオリンとチェロのクラスと一緒にしたので、今回が二つ目の発表会。
場所はいつものSt.Georges d'Orques の小学校の多目的室。気取らないかざらない発表会ですが、今回はイスが足りなくて、床に座る人も出る始末。






ちびっこたちが神妙な顔つきで出番を待っています。

ギターもフルートも、それぞれ先生に伴奏してもらってのソロや、ドゥオ、トリオ、そしてフルートとギターのアンサンブル、フルートとピアノのドゥオなど編成はバラエティーに富んでました。そして今年はフルートの先生Lが、数年前に習い始めたハープを持参して、自分の生徒を伴奏したりして、ひと花咲かせていました。

前回にもいいましたが、ちびっこフルーティストやちびっこギタリストは、なかなか日本では見ないもので、とってもかわいいのです。

曲目も、クラシックからポップス、フォルクロールと幅が広い。ビートルズの「イエスタデイ」など、有名な曲を演奏し始めると、誰からとなく歌いだすお客さんたち。本当に和やかで暖かいくつろいだ空間です。

最後にはちびっこエレキギタリストのロッカーが登場して、発表会の幕を閉じました。

2009年3月20日金曜日

春 printemps

日本では今年2月4日が立春の日だったようですが、フランスの暦では今日3月20日が春の訪れの日Printemps。あちこちでいろとりどりの花が見れる季節です。





日本の2月頭が立春というのは早すぎてまだ冬まっただ中という感じですが、モンペリエの3月末が立春というのも逆にちょっと遅い気がします。前にも言いましたが、モンペリエでは春と秋の存在感が薄く、冬が終わって太陽サンサンの日が続くと、春というよりは夏に向かって、初夏の感じがするからです。今週だって、日中の温度がかなり上がり20度くらいになったものだから、街ゆく若者なんかは半そで、ノースリーブにまでなっていました。これでは体感温度も、人々の服装もまるっきり初夏です。

ただ、朝夕の気温はまだまだ低く、夕方日が沈みだすと一気に冷たい空気が流れ、コートなしではいられません。そのため調節・管理が大切です。それが上手にできなかった人が今は風邪で次々とダウン。私も例にもれず、しっかりと風邪をひいてしまい、仕事から帰って風邪薬を飲んで寝込むということを久しぶりにしました。

1月からかなり忙しくバタバタとしていたから疲れもたまっていたのでしょう。

あと2週間もすれば、4月のバカンスがあります。それまでがんばるぞ~。

2009年3月19日木曜日

またもゼネスト 

フランスに来る日本人がまず覚えなければならない単語の筆頭にあげられるのがGrève グレーブ。 これがGrève Génerarleとなるといわゆるゼネストとなります。

先日インターネットで、日本のとあるテレビ局で局アナたちがストを行ったと知りましたが、印象的だったのは日本国民の反応。「よく実行に移した!」と褒め讃える人がいる一方で、「立派な給料をもらっておきながら、よくもするよ。」など、批判的だったり冷めた見方をしている人が多かったからです。でも日本人にとったら「スト」というと、「周囲の人に迷惑がかかる」という味方が主流のような気がします。

ところ変わってフランスになると、日常茶飯事といえるくらいの頻度で行われるスト。

各業界、各企業、各組合がそれぞれするストなんてほんとうにしょっちゅうですが、1月29日にゼネストに続き、この大不況の中、今日もまたあらたにゼネストが行われました。

1月のゼネストに続いて、幸いにも交通の便の完全ストップは免れたようですが、ほとんどの公共機関と数多くの企業でゼネストが決行されました。街に繰り出すデモ行進のことをManifestation といいますが、参加者の数で過去最高を記録した1月を上回るのかどうかが注目されていましたが、今日は300万人を超す人がデモ行進やなんらかの形でマニフェスタスィオンに参加し、過去最高記録をぬりかえたと発表されています。

この不況をうけて、みんなの不安や怒りは増すばかりですからね。フランスでもこのところあいつぐ工場の閉鎖などで、いくつかの企業ないで経営陣と労働者の間でかなり激しいやりとりが続いています。そして失業率は8パーセント代。日本よりもはるかに上回っています。

採用システムが日本と違うので簡単には比較できませんが、大学卒業予定者の一斉就職活動や採用などがないフランスでは、すでに経験を積んできてて即戦力となる人材が求められます。そのため20代の若者で仕事が見つからない人の多いこと多いこと。もちろんベテランで突然リストラされてしまった人々の問題とともに深刻な問題です。

私もこのところ今後の不安を抱えていますが、この大不況の世の中で、地球の裏からひょっこりやってきて知り合いもいなかった私が、それなりに仕事を頂いて今のところ生活ができているということだけでも、運に恵まれてできたとてもありがたいことなんだなーと改めて思います。特に、音楽やスペクタクルなんて、世の中に必要不可欠という業種じゃないのですから。あ、でも、不可欠じゃないからこそ、不況でも皆の気持のはけ口となる趣味として、音楽やスペクタクルは本領を発揮するのかな?

どんな企業ですらこの先が不安なご時世ですから、やっぱり安定がある意味保証されている公務員の人というのは、冷静で現実的な選択をしてその職についたんだなーと今頃になって感心したりもします。

2009年ももう3月末。この先どんな動きがあるんでしょうか?

2009年3月18日水曜日

Soirée Irlandaise

この前の土曜日、私が働く音楽学校の主催による「アイルランドの夕べ」にちょっこり顔を出してきました。






音楽学校運営スタッフの一人M氏の甥っこのヴァイオリニストでアイルランド音楽の演奏で活躍している人を招いて、ヴァイオリンの生徒相手にマスタークラス、そして夜は彼が率いるグループによるアイルランド音楽の演奏を楽しもうという趣旨で開催されました。


場所はSaussan (ソーソン) という村の集会所のようなところ。


音楽学校のヴァイオリンの生徒が参加するということはありましたが、ふたを開けてみれば、その父兄だけでなく、そして音楽学校の関係者だけなく、普通の住人の人々も来てくれて、予想以上の大賑わいとなりました。


ミュージシャンはヴァイオリニストとアコーディオンと笛に加え、アイルランド民謡を歌ってくれる歌手までいました。アイルランド音楽は世界中に広まって根強いファンもいますよね。
どんな感じかと様子をのぞきに行っただけの私も、しっかり楽しませてもらいました。

ミュージシャンたちは報酬なしで来てくれたそうで、私たちの音楽学校が持ついつもの「手作りムード」にぴったり。本当に気取らないくつろいだ雰囲気。ノリのいい音楽になると誰彼となく席をたって踊りはじめます。
悪く言えば「田舎っぽい」とか「洗練されてない」とかあるかもしれないけれど、一般市民が音楽に触れて楽しむという目的を本当に果たせるのは、こんなちょっとしたきっかけだったりするんだろうなと学ばされます。財政難でいつも厳しい運営の音楽学校ですが、この日の会場では音楽学校のスタッフが用意した軽食が販売されて、それがわずかな資金収入源だったりするのです。


コンサートの最後にはアイルランドダンスのワンポイントレッスンが行われ、みんな積極的に参加していました。






大盛り上がりとなったわけですが、音楽学校の先生陣の中では、ヴァイオリンノクラスの先生以外で顔を出したのが私だけだったということで、なにやら私はみんなから「来てくれてありがとう!」と言われてしまいました。純粋におもしろそうだなと思ったのと、たまたま時間が空いていたからだったんですけどね。経営難の音楽学校を盛り立てていくには、やっぱり先生たちの参加が不可欠です。でも同時に先生たちだってみんないろいろ仕事をかけもちでして、そしてプライベートの生活もあり、いつでもどこでも顔を出すというわけにもいきません。難しい問題です。

みんなが踊って楽しんでいる中、連日のハードスケジュールで眠気に包まれていた私はこそっと抜け出して会場を後にしました。後日「leonardo いつの間にいなくなっちゃってたの!? あのあとみんなで食事をしたのに!」としかられてしまいましたが。。。

2009年3月16日月曜日

日本では見ないおかしな光景

この日曜日、お客様のお迎えのために久しぶりに駅に行きました。
そこでみた「ぷぷぷ」な光景。

まず、私がお目当ての電車が到着するホームに行くと、ペルピニャン方面への電車を待つ人があふれていました。みんなまんべんなくホーム上にちらばって、乗り込みスタンバイOKといった感じです。

が、いざ電車が来ると、電車は待ってる人たちおかまいなく、す~っと涼しげに前を通り過ぎ、だいぶ先まで行ってやっと停車したのです。そのため、ホーム上で軽く50メートルくらいに渡ってこの電車を待っていた人たちはいっせいにぞろぞろと50メートル移動しないといけなくなるわけです。みんなかなり多くの荷物をもっているのに、まるで電車をおいかけるかのようにぞろぞろと移動する姿を見て、思わず私はぷぷぷと笑っちゃいました。だってこの光景は日本ではみないものですから。

日本ではまず、電車を待つ人たちがきちんと整理整頓されて列を作っていますよね。そして電車がきちんとその列の前にドアがくるようにぴったり止まるもの。次の電車を待つ人の列は別にあったりして、とにかく、人は多いとはいってもきちんと整然とならんでいるのが日本の駅での人々の姿。
それがこちらフランスではだら~っとホーム一面にちらばり、早くから待ってる人、来たばかりの人の順序なんておかまいなく、それぞれが「ここら辺にドアが来たらいいなあ~。」と、単に予想と期待をして待っている。そして挙句の果てが、ドアが目の前にこないどころか、車両3つ分くらい完全にずれて電車が止まるというこの光景。そしてみんなが「え~!」とかぶ~ぶ~言いながらぞろぞろと電車を追っかける姿は本当にまぬけでのんきでおもしろいのです。

そして駅でのおかしな光景は続く。

パリからのTGVが着き、大きな荷物を持った人たちが降りてきました。ホームには2階を通って出口に向かうための階段と、地下を通って出口に向かう階段の2種類と、エスカレーターがあります。それをみたらもちろんみんなエスカレーターに向かいますよね。しかしこのエスカレーターは、人々の思いなどお構いなしに機能せず。これと言って特別に「故障中」だとかお詫びの言葉もなく、当然のように、単に止まっているのです。それを見て、またみんなが「え~!」とかぶ~ぶ~言いながら、重たい荷物を抱えながら止まっているエスカレーターを歩いて上っていくのです。本当に役にたたない設備。
そして2階経由で出口に向かう人が、エントランスに降りるためのエスカレーターに着いたところでとどめの一発。ここでもまたエスカレーターが動いてないのです。
もうこうなるとみんな無言というか、「。。。」と頭の中で思っているのが目に見えるようで、これまた私はぷぷぷと笑ってしまいました。フランス人も怒るというよりはあきらかにあきれている感じ。

こんな感じで、日々のちょっとした一コマが、日本とフランスの違いをよくあらわしていますよね。

何事もきっちりかっちりと整理された国:日本
何事も適当でその日任せ気分任せの国:フランス

完璧な人はいないように、完璧な国なんて存在しないけど、みなさんにはどちらが肌にあうかな?

2009年3月15日日曜日

カルカッソンヌ公演

13日の金曜日、不吉と言われる日取りですが、「ディドンとエネ」のカルカッソンヌ公演を行ってきました。

モンペリエからカルカッソンヌへは西に向かって150キロほど。モンペリエと同じラングドックルシオン地方に属すオード県の県庁所在地です。
街中にあるJean-Arlay劇場にモンペリエのオペラ座スタッフが一同移動して来て行う出張公演。オペラ座やオーケストラをもたない地方都市に音楽文化を普及するために行われている活動の一環です。街の中では今シーズンの演目の宣伝があちこちで見られました。



オペラ座のスタッフは火曜日から現地入りして準備。オペラJrのメンバーは水曜日に日帰りで現地練習を行っています。舞台の大きさがモンペリエよりも一回り小さいために、演出の面でも適応しなおさないといけないことも多く、音響の面でもモンペリエのオペラ座とはまた違うので調整が必要です。
私はというと、この日オペラjrのみんなと一緒にバスで移動しましたが、役目は20時半の本番の字幕担当だけ。なのでみんなが準備に取り組んでる間、ちょっとホールを抜け出しお散歩にでかけました。

Carcassonne と言えば、「カルカッソンヌを見ずにして死ぬな」というセリフが残されたほどの絶景で有名です。現在もフランス国内有数の観光地で、ユネスコ世界遺産に登録されいてる要塞都市「シテ」はいつも観光客で賑わっています。私も日本から遊びに来てくれた友人を案内して、何度かすでに来たことがあります。

見ずにして死ぬなと言われる絶景とはこちらのこと。



これまでに来た経験で写真スポットを把握しているので、天気に恵まれたこの日もまっさきにこの場所に向かいました。改めてきれいですね~。初めて見たときは、ディズニーランドかなにかのテーマパークに来たみたいだと思いました。

このシテの歴史は古代ローマ時代にまでさかのぼります。1850年代に大がかりな修復工事が行われていますが、古代ローマ時代の城壁や塔もいくつか現存し、とにかくこの規模で姿をとどめている要塞都市というのはヨーロッパ中でも他にありません。
シテの内部にはレストラン、お土産屋さんはもちろんですが、実際に住んでいる人たちもまだいるのです。

以前は丘の上にたつこのシテの部分だけをカルカッソンヌと呼んでいたようですが、今ではオード川をはさんだ向かいに広がるふもとの町と対をなして街を形成しています。



シテの上まで行くにはちょっと時間がきびしかったので、この日はふもとから姿を眺めて終えることにしました。穏やかの日の午後、ゆったりと流れる川をパチリ。



下町は周囲を城壁で囲まれていたので、今も部分部分、城壁や門が残っています。

この門をくぐってすぐのところにあるのがJean-Alray 劇場。




オペラjrの公演では、確かにモンペリエだとメンバーの家族や友人などが大勢来てくれて大盛り上がりとなりますが、今回のようなゆかりのない土地でこそ真価が問われます。私も「さて、どうかな~?」と思っていましたが、客層は年齢の幅も広く、3階まである席はしっかり埋まり、大成功となりました。私の横にはこの劇場の照明スタッフがいましたが、彼にとって予想を大きく上回る出来だったようで、心底感心していました。
終演後、舞台セットの解体に取り組むオペラ座スタッフを後に、私たちはバスに乗り込み帰路に着きました。バスでの移動は2時間ちょいで、モンペリエ着は夜中の1時過ぎとなりました。みんなお疲れ様。

2009年3月9日月曜日

戻ってこなくていいのに。。。

招かれざる客。

先週、私をうんざりさせる「あるもの」が戻ってきてしまいました。まだ完全復活とは言えないけど、そうなる気配。。。

それは背中の脂肪腫。

去年の秋に自然爆発をしてくれたために、手術を免れたと喜んではいましたが、同時に、きちんと手術で取り除かないとまた戻ってくる可能性があるよとは言われていました。
で、2週間前からなにやら膨らみ始め、まだまだ小さいけれど、途中破裂をしてくれたようで、前回のようなとてつもない大きさになってなかったから程度は知れてるとはいえ、消毒やらガーゼやら、何かと世話をしないといけない状態に。

は~。。。とため息しかでませんね。こんなとき。

まあ、友達で足に脂肪腫ができた子は、手術をしたにもかかわらず、また再発してうんざりしていたので、結局お別れできない存在ということなのかも。

2009年3月5日木曜日

○○○○のフランス語の先生

私は首、肩、腕、手にちょっと故障があるので、その治療というかリハビリというか、まあメンテナンスというか、定期的に運動療法士兼マッサージ師さんでフランスではキネとよばれる診療所に通っています。日本で言ったら接骨院だか運動療法士さんのところといったところ。


この診療所のとなりには老人専用サービス付きのマンションがあることもあって、患者さんの多くはご老人。骨折したとかで若い人が来ることももちろんありますが、それは骨折が完治するまでの一定期間だけ。一方、ご老人やかなり重度のハンディキャップをもった患者さんたちが、週に2回だったり3回だったりでまめに、そして定期的に通っています。そのため、私も常連の患者さんたちとはしょっちゅう顔を合わすことになります。普通だったら挨拶を交わす程度でとどまるところですが、私が(ご老人にとったら)若くて外国人だったりするものだから、おじいさんおばあさんにはすっかりかわいがってもらうようになり、あるおばあさんからはプレゼントを頂いたり、あるおじいさんからはCDを貸してもらったり、意外なところで和やか交流をしています。

モンペリエという(日本に比べたら)小さな街のある一区画に住むご老人といえど、彼らの話を聞くと、かなり国際的でおもしろいのです。ドイツ、スペイン、イタリアがらみはもちろんのこと、息子がタイに住んでいる人、息子がオーストラリアに住んでいる人、ご本人が長年カナダに住んでいた人、ご本人が長年トルコに住んでいた人、または、3人の娘がそれぞれタヒチ、グアドループ、マルチニックに住んでいるので、年の大半の時間を娘たちを訪ねて島国生活をしている人など、いろいろなのです。職業だっていろいろ。元研究者、元ミュージシャン、元電気技師、元戦地で郵便物配達人から元ピアノの先生まで。

もちろんみんな身体のどこかに故障があるからこそ治療に来ているので、軽度の人から重度の人まで、健康問題は人それぞれですが、私が接する人たちはみんな優しく、そしておしゃべり!フランス人のおしゃべりは有名だけど、ご老人だとそれにも年季が入ってるわけで、私は笑わされっぱなし。

そんなこんなで、皆さんの昔話などを耳にすることが多いのですが、しかしながら、さすがに日本に住んでいたという話はそう滅多と聞く話ではありません。でも、いましたいました。唯一、日本在住経験のある人が。

しかも彼女が日本でしていたことというのは、ちょっとやそっとの話ではないのです。

この方は、今年91歳になる元シスター(キリスト教の修道女)。診療所の近くに現役を引退したシスターたちが住む専用の寮があるので、患者さんの中には数人、こうした元シスターさんたちがいます。その中でも最高齢であり、かつ、一番パワフルな元気おばあちゃんがこの人。もともと私のキネ氏から「leonardo に会わせたい人がいる。」と、前々から言われていた人で、1年ほど前に一度だけ挨拶を交わすことができました。そして今はしょっちゅう時間が前後して顔を合わすようになったのです。91歳というのがまったく信じられない元気のよさ。背が低くて小さいのですが、目がきらきらしててしゃべり方のなんとはっきりしていること。圧倒されます。

さて、このおばあちゃんは日本に3年間滞在していたといいます。場所は東京。そこである人のフランス語の先生をしていたんですって。でもこのある人というのがただ者じゃないんです。だからちょっとみんなにあててもらいたいな~と思ったので、今日はクイズです。

その人の名前は、言うなれば○○○○。漢字4文字で、この中には呼称も含め(さん、とか、ちゃん、とか)、みんながよく使う呼び方です。もちろん日本人で、東京在住の人。とにかく日本人なら誰もが知っている有名人。

このおばあちゃんは、3年の間、毎週一回相手の人のおうちに出向いてフランス語のレッスンをしていたのだといいます。

おばあちゃんはこうしてフランスに、相手の人は今も日本に、遠く離れ、そしてもう年月がだいぶたった今ですが、お互い手紙のやりとりを続けているのだとか。

さてさて、この○○○○とは誰でしょう?

みなさん当ててくださ~い!

2009年3月2日月曜日

満員御礼

「ディドンとエネ」のモンペリエ3公演が土曜日の夜に無事終了しました。

普段めったにうまることのない最上階の席までぎっしりうまり、満員完売。



この公演に関わった者だから知ってる事情、解決できなかった問題などもありながら、結果をみれば大盛況の大成功でした。お客さんたちは木曜の夜も土曜の夜も大満足大興奮し、とてもよい夜となりました。

本番ではなくて練習風景ですが、どんな感じの舞台だったのかをお見せするためにちょっと写真を。


ソリストではない合唱の女の子たちは、最初の第一幕だけしか舞台上に姿をみせませんでした。二幕からはオーケストラピットで歌い、男の子たちは3幕の船乗りたちの場面で、少し姿を見せました。

次の写真はもともとこのオペラにはない役で、演出家によって付け加えられた魔女役の役者さんです。彼ともう一人、船乗り役で役者さんが出演しましたが、演出の効果はもちろんだけど、二人ともすごくいい味を出し、カーテンコールでは大きな拍手と歓声を浴びていました。



でもやっぱりプロではないうえに、まだ声楽の勉強を本格的に始めているわけではない二人の女の子、ディドン役とべリンダ役の二人は大きな大きな拍手で迎えられました。私は二人がまだ16歳だと知っているけど、客席のお客さんには「まだ若い二人」と見えるだけで、ほんとにそれだけ若いとはわかりませんもんね。



演出家J=P・スカルピタ氏も舞台に上がり、みんな勢ぞろいで幕を下ろしました。


練習にはピアニストとして参加した私ですが、本番は字幕操作担当で、舞台の正面に陣取っていたわけです。舞台上の彼らからは音声ミキサー室でこっそり写真をとったり拍手したり手をふる私がよく見ていたそうです。

遠くからだとよく見えないけれど、スカルピタ氏と衣装アシスタントが作ったディドンのドレスはすごかった。オリジナル度抜群。というのもディドン役のJの金髪に合わせて、いかにも金髪を編みこんで作ったかのようなこのドレス。なかなかないアイディアです。


土曜日の公演後はスカルピタ氏の招待で、みんなで打ち上げパーティー。私は1時前には帰ったけど、若者とスカルピタ氏は朝まで続けそうな勢いでした。

こうしてモンペリエ公演は終わりましたが、続いて2週間後にはカルカッソンヌでの公演、そして5月にはセートでの公演が控えています。
オペラjrの若者たちは普段、中学、高校に通いながらのスケジュール。2月のバカンスは完全返上だったし、この一週間も昼間学校に行って、夜は公演というハードスケジュールを見事に乗り越えました。みんなスカルピタ氏のマジックにかかって、この公演を心から楽しんだようです。あとはまた日常に戻って学校に行くのがつらいとか。その気もちもよくわかるな~。みんなお疲れ様。