私は一昨年と昨年と立て続けに北イタリアに行って、これまでに計3回訪れた大好きな国。「いいところだよ~。一度は行かないと~。」と宣伝をしまくったために、両親に「イタリアに行ってみたい。」とその気を芽生えさせてしまったのでした。そして、どうせモンペリエから3人で行くのならば車の方が便利で安くつくでしょうということで、ちょっぴり不安はかかえながらも親子三人ドライブ旅行の計画を立てたのです。
母親が日本からモンペリエまで来る上にそんなに長い旅行はあまりしたくない、と希望を出したのですが、イタリアは見所がいっぱいの国。せっかく近くを通るのに寄らないのはもったいないと思ってしまうような場所ばかり。両親だってこれがもしかしたら一度きりのイタリア旅行かもしれないのだから、できる限りは味わってもらおうとあれこれ提案していたら、かなりの町の数に。私は旅の疲れのことも考慮して、「せめて一か所か二か所で2泊してゆったりするプランにした方が絶対いいよ。」と勧めたのですが、「美術館とかは行かなくていいし、一泊で十分。」と言われ、プランを練った結果、北イタリアを惜しみなく回って9日間という案で仮決定をしました。
モンペリエを出てからフランス・コート・ダジュールを通って国境の町マントンで一泊。ジェノバを見学してピサで一泊。フィレンツェで一泊。ボローニャを観光しつつパドヴァで一泊。ヴェネチアで一泊。ヴェローナで一泊。コモ湖畔で一泊。ミラノとトリノを観光したのち国境を越えてフランスはシャンベリーで一泊。そしてグルノーブルを見学しつつ帰路に着くという計画。
すごいでしょう?つまり毎日長距離を移動しつつ観光をするという、言うなれば思いっきり日本人の旅行ペース!
こんなプランをフランス人の友人にでも言ったなら、みんなあぜんとした顔をしてきます。
「ま、100%日本人と旅行をするのだから、これは避けれないでしょう。à la japonaise (日本流に)」と私。
旅行のプラン、ホテルの予約、運転、通訳、すべて一手に引き受けるつもりで準備をしました。
きっと両親はあまり自覚していなかったのだろうけど、イタリアはスリや泥棒で有名な国。スピード狂まがいの運転の激しさも有名ですが、私としては運転中のことよりも、車を駐車している間の車自体の安全が気がかりでした。
そのため、町の中心地まで歩いて行ける距離で、しかもきちんと敷地内に駐車場を確保しているホテルに限定して選んだのです。町に車で出ていく必要がないようにと。
しかし、自分たちで決めたフリープランの旅行中に変更事項が加わるのは当然のこと。
そのために不幸はルネッサンスの都フィレンツェで起きたのです。
旅の2泊目は斜塔で有名なピサでした。
午前中に町の見学を済ませてすぐに移動して、フィレンツェには昼ごろにつくつもりでいた私。
でもピサにつくなり、父親が「レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれた村がこのあたりにあるらしいけど、どこかなあ?」と尋ねてきました。
地図を見てみたら、ちょうどピサとフィレンツェの真ん中あたりにヴィンチ村を発見。
実は我が家は一家そろってダヴィンチのファンなのです。
だから寄らないわけには行かなくなりました。
行ってみたら行って正解の素敵なところで大満足した3人。
その後、フィレンツェに向かったわけですが、予定を大幅に上回って15時過ぎ。
ホテルに荷物を置いてすぐさま町に出たのですが、ドゥオーモに着いたときにはもう閉館となってしまっていました。予定では翌日の朝にはフィレンツェを発つことになっていました。
私はもう過去に2回見学したことがあるドゥオーモですが、両親がフィレンツェまで着ておきながらドゥオーモの中に入らずにフィレンツェを去るというのはなんとももったいない話。そこでまた予定変更。翌日の朝、再び町まで来てドゥオーモを見学しようということになりました。
さて、私が選んだホテルはボーボリ公園の裏手の丘の上にある素敵なお屋敷ホテルでした。この丘一帯にかつての立派なお屋敷が並んでいるので、優雅で高級な香りがする一等地です。
ただ、坂道がかなりきつく、町まで徒歩20分と聞いていたのですが、実際にはもうちょっと時間がかかる距離でした。そこで、日本からの長旅に続けてのこの強行スケジュールで疲れている両親は、一度この坂道を下りで味わっただけで、「この道はもう二度と歩けないわ。」と言いだしました。
町を散策した後はバスでホテルに戻ろうかという流れになってはいたのですが、選んだレストランの位置からバスが出る駅はホテルとは逆方向で結構遠く、バスの路線自体大外周りをするので、「もうこのままゆっくり歩いて帰ろうよ!」と私が主張。
結局、行きのような急な坂ではないにしろ、かなり長い道のりをてくてくと歩いて丘の上のホテルに戻ったのでした。
最初のハプニングはこの夜に発生。
疲れがたまったのかストレスがたまったのか、父親が何やら心臓が痛いと言い出してひと騒動。母もこんなの初めてで驚いて、救急車を呼ぶか呼ばないかのひと騒動に。
幸い時間とともに様子はおさまっていってみんな眠りについたのですが、とりあえずは翌日の朝早く起きて町に歩いて出かけるという案は消え去っていました。
一夜明けてゆっくりめに準備をし、邸宅ホテルのバルコニーでおいしい朝食をとりました。時間的に、これから町に出てまた戻ってきてというのでは12時のチェックアウトには到底間に合いません。もう今ここでチェックアウトをすませて、荷物と車とともにホテルを発つことにしました。
ツアコンの私としては、まずフィレンツェの町が一望できる高台の広場へご案内。
人手がいっぱいのここの駐車場に車を置いて、バスで町に出るのはどうかと提案してみました。でも父は乗り気でなく、結局は車で町の中心地まで出ることになりました。
さて、どこに車を置くかが問題です。
私はもう二回来てた町だし、なんならドゥオーモの近くで二人を降ろして見学してもらって、私は車で待ってるというのでもよかったのです。
でも、街に着いてみたら、意外と路肩のメーターパーキングが結構あって、みんな普通に利用している様子。今思えば、ここら辺から私の危機感がちょっと薄れてしまっていたのですね。
ベッキオ橋の近くまで行くには一方通行とかでちょっとややこしかったので、サンタ・クローチェ教会に近い川沿いで車を泊めることにしました。周りには観光客や地元の人やらが普通にメーターパーキングのチケットを購入して車を離れていました。
私は両親をちょっと先でおろしてから駐車する場所を探しながら川沿いをちょっと戻って無事駐車。結構立派なホテルの向かい。
私は麦わら帽子をかぶり、身軽な恰好でさっそうと街に向かって歩いていったのです。
この時点で私たちは大きな大きな過ちを犯してしまっていました。
それは車に残した荷物のこと。
実は、イタリアはもちろん、フランスでも車を離れるときは絶対に荷物を残していくな、という原則があります。どうしても残さざるをえない時は、必ず外から見えないところに隠すこと。このことはモンペリエでも当たり前の大原則で通っています。
しかし、私の小さな車のトランクに3人の9日分の荷物が全部入りきるわけもなく、私の小さなボストンバック一つと父親のショルダーバックがクーラーボックスやおかしバックとともに後部座席に置かれていました。
そもそも私の考えていた旅行のプランでは、町を観光するときは車はホテルの敷地内の安全な駐車場にある予定でした。3人の荷物がどれくらいになるかは旅行出発の日になってみないとわからず、まあ思っていたよりも荷物が多かったというわけです。
でも、このフィレンツェで車を離れるとき、せめて隠す工夫をするなどなにかをするべきでした。
もともと100%日本人の両親にそんな危機管理を思いつく習慣はないわけで、いつもきちんと考えてる私がするべきでした。
それなのに!この時この瞬間の私は両親をちょっと先で待たせていることもあって急いでいたんですね。
なんで私がこんなことをつらつら書いているかと言うと、だってだって、町の観光を終えて車に戻った私たちが目にした光景は、、、
後部座席の窓の破壊。。。
ドアを開けてみたら、その振動で残っていた窓ガラスはガラガラガラと崩れ去って行きました。
こうなると単なる破壊ではなくって、全壊なのが見てもらえるでしょうか?もう窓ガラスはありません。。。
ふと見て最初は「???」の反応で、続いて「!!!」の反応で、そのあとでようやく一つの事実に気がつきました。「私のカバンがなくなってる~~~~~~!!!」
ああ、やってしまいました。やられてしまいました。。。
そういえば、明らかに怪しい移民のグループがそこらへんにいるではないですか!
明らかに怪しい人たちが怪しい絵とか並べて商売をしようとしてるではないですか!どう考えたってあんなの売れるわけがない!
ああ~~~。
彼らからみたら私はまるでカモだったことでしょう。
まだ新しいかわいらしい車で、フランスナンバーで、しかもアジア人。
車の外からは私のボストンバックが丸見え。
あああ~~~。なんというへま。
私の車には防犯システムがついていたのに!
犯人は振動も与えずに窓を破壊する術を知ってるってことですよね。。。
外国人でマイカーで旅行中の身。
茫然とした後で、車の保険のことを考えないといけないとわかり、携帯電話からまずはアシスタントサービスに電話。ちょっとがっくりきたのは、車が動く限り、大したアシスタントサービスはないというところ。
はあ、まあそんなもんか、所詮保険というものは、、、。
でもこういった被害が多いおかげで、私の車もあらゆるリスクをカバーした保険に加入していました。そのため窓ガラスの修理はカバーされます。ただ窓の修理をここでするのかモンペリエに帰ってからするのかという話に。このときの私には、この壊れた窓のまま旅行を続けて、モンペリエまで帰るなんて驚く話で、考えることもできませんでした。
いずれにせよ、とにかく地元の警察での被害届をしておかないといけないとのこと。
修理のことは後回しで、まずは警察行き。でも警察に現場を見てもらわないといけないのか、自分から出向かないと行けないのか???
パトカーでも通るかと思って数分待ってみたけど通らない。
私はため息とともに向かいにあるホテルに助けを求めに行きました。
ロビーにいたホテルマン3人を相手に変なイタリア語と英語まざりで状況を説明して警察が必要だと訴えました。
すると、困った顔の私に一人のホテルマンは真剣な顔つきで私と一緒に外に出て、現場を見に来てくれました。で、警察の話になると彼が電話をしてくれるといい、二人でホテルのフロントに戻りました。
イタリアもフランスと一緒で、警察のような組織が2つに分かれてるんですね。彼もちょっとその二つの間でたらいまわしにされ、結局は私が現場を離れて出向いてよいということを確認してくれました。前情報として、「英語とフランス語をしゃべる日本人女性。」と私のことをあちらに伝え、私には地図で現場の位置、警察署の場所、そこまでの車での行き方と問題なく駐車できる場所まで丁寧に教えてくれました。
こういう人のサポートは不幸中の幸いです。
今回の私には不幸中の幸がもう一つありました。
実はいつもモンペリエのオペラ座でお世話になっているTさんが、このときフィレンツェにいたのです。というのは彼は3人の娘さんが今もフィレンツェで暮らしているので、バカンスの度にフィレンツェに里帰りしているのです。で、今回は同じ時期にフィレンツェにいることになるとわかっていたので、連絡し合って会おうという話になっていました。
でも、私たちの予定変更に加えあちらも何かハプニングがあったみたいで、結局は会えないままに。
このハプニング発生のちょっと前に、私から「じゃあまたモンペリエで~。」というメッセージを留守録に残したばかりでした。
さすがに警察に行かねばならないこととなって、英語やフランス語で通じるのか怪しいところ。気休めにでもと思ってTさんの携帯に起きた出来事を伝えておきました。
警察所に近いところで車を止め、両親をそこに残し、私は歩いて一人警察に向かいました。
入口っぽいところで警官らしき人が二人しゃべってるから、今度は英語で「あの~、ここ警察ですか?入口ここですか?私入って行ってもいいですか?」と尋ねました。
すると今度もまたとても真剣な表情で「どうしたんですか?」と聞かれ、状況を説明。
彼はちょっぴり英語をまじえたイタリア語で私に対応し、部屋の中に通されて、被害届の用紙に記入するように言われました。
そこへTさんから電話が。「どうしたの!?」と。
「ええ==!!かわいそ~~!」と言いながら、Tさんは窓の修理に関しては、時間がない私たちのことを考慮して、プラスチックの何かで応急処置をして、モンペリエに帰ってから修理をした方がいいよとおっしゃる。「保険のことだって外国間では時間がかかるし。」そう言って、日曜大工の店の名前や場所まで言ってくれたのだけど、私としてはこの先も高速道路を走るし、まだ旅は前半のわずか3日目。とてもプラスチックの何かで旅行を続けられるとは思いませんでした。
そんな私にTさんはフランスにもある窓ガラス修理店の住所や電話番号をメールで教えてくれて、「がんばってね!気をつけてね!」と電話を切りました。
被害届に書き込んでいる私ですが、どうもボールペンでぶっつけ本番で書いていても、あとからあとから、「あ、あれも書かなきゃ、これも書いておいた方がいい。」と思うものがどんどん出てきて、フランス語で書いてる私の書類はなんだか無茶苦茶に。
そこへイタリア人警官は私をおちょくりながら、もう一回きれいに順番通りに整理して書き直してくれと言ってきました。それもそのはず。大事な書類なのですから。
そんなこんなで私のイタリアの警察初体験は長びいていました。
するとそこへまたTさんから電話。「今どこ?」と。
「まだ警察です~。」と言うと、「それどこ?今から行くから。」とおっしゃる。
「え?まじですか?」と驚き、とっさに地図をみて大体の場所を告げると、「わかった!すぐいくから。」とTさん。でもすぐって、今彼はどこにいて、何でどうやってくるのだろうか?で、質問すると「バスで行くから、15分くらい!じゃね!」と電話を切ってしまわれました。
時間はかかったけど私も書類を書き終わり、保険のことなど確認のために質問してから、「あの~、イタリア語をしゃべるフランスでの友人が今から来てくれるというので、ここで待っていてもいいですか?」と聞くと、「ああ、もちろん。あなたの好きなようにしてくれていいんですよ。」と言ってくれました。
Tさんが来たときにわかりやすいように外で待ってることにした私。
ああ、そういえば、両親は壊れた窓と共にちょっと離れたところで待ってるんだった。
なので、一応電話で状況を説明。
それから待つこと15分か20分でしょうか。
遠くにスクーターが現れ、すぐにそれがTさんだとわかり「お~~~~~い!!」と手を振る。
なんだかどっかのおやっさんのようないでたちで現れたTさん。
もう警察での用事は済んでいたわけだけど、一応あいさつを、と思い、それに英語まじりのイタリア語によるやりとりだったから、Tさんに確認をしてもらおうと思って建物の中にもう一度入って私の担当をしてくれた人に会いに行って一件落着。
Tさんは「ゴムテープとかプラスチックのシートとか、必要なものを一応もってきたんだけどさあ、まあとにかく車に行こうよ。」ということで、スクーターの後ろに乗っけてもらって両親が待つところまで移動。
まさか、フィレンツェの街をスクーターで、しかもTさんの後ろにのせてもらって、しかもこんな状況で走るなんて夢にも見てませんでしたよ。
木陰に泊めた車の中で、うちの親は茫然としてるんだか疲れてるんだか動かない。
スクーターで横に乗り付けて「お~い!Tさんだよ!」と叫ぶと二人ともあわてて車から降りてきました。
「leonardoがいつもお世話になっております。」とごあいさつ。
それにしてもねえ、こんな状況で双方を紹介することになるとは!
Tさんは親の前で改めて、「旅の途中で時間がないんだから応急処置をしておいた方がいいよ。」と勧める。
私は彼がプラスチックの何かと言ったときは、てっきりプラスチックのボードか何かと思ってたんですね。
でも、実際は大きなゴミ袋のような業務用の透明シート。
「。。。う~ん。。。これでこの先の旅を続けるのか???」とまるで疑っている私ですが、経験豊富なTさんが言うんだから、まあ彼が言うようにお願いすることにしました。
彼は手際よく必要なものを取り出し、シートを切っていきます。
「ティッシュと水ある?」と言って、ゴムテープとシートをしっかり湿らせます。これで粘着度があがってぴったりくっつくのだそうな。
「内側からもして二重にしとく?」と聞かれ、「ええ、お願いします。」と半信半疑で何がなんだかあまりわからないまますべてお任せしている間に完成しました。
ビニールシートによる窓ガラスです!
外側からと内側からと。正真正銘の二重窓です!
日本人には考えられない窓ですよね。
これで旅を続けるなんて、想像できますか?
Tさんは日仏のハーフだけど、この窓を手際よく作ってくれる姿をみて、「ああ、やっぱりこの人はこっちの(ヨーロッパ大陸)の人だ。」と思いました。
だって、こんな窓、日本人には発想できるものではありません!
しかも何が素晴らしいって、結局このビニールシートの窓は時速120キロにも耐え、風にも耐え、雨にも耐え、最終的にはモンペリエまでこのまま帰還。窓の修理をしてもらえるまでの間、合わせて2週間近く生き延びたのです!
いやあ、Tさんにはほんとは町案内やおいしい店を案内してもらうはずだったのに、こんなことになって、「いつでもどこでもなんでも直します屋さん」として来ていただいてしまいました。
聞いてみれば、彼は彼で蜂蜜取りに精をだしていたらハチ3匹にさされてしまって大変だったとのこと。
そんななか、スクーターで郊外からかけてつけてくれたTさん。
さらにこの後、旅路を急ぐ私たちに気をきかせ、インターの入口までスクーターで誘導してくれました。
ほんとにほんとにありがとうございました。
ホテルマンと言い、警官といい、Tさんまで。異国の地での困った時のサポートやちょっとした態度はありがたいものです。
盗られたものは戻ってこないだろけど、これでも不幸中の幸いかな。
人類の遺産の宝庫であるイタリアで、よその国から来た貧しい人々が、よその国から来てスキのある人たちを狙って盗みを働いてる。残念だけど、それがイタリアの現状。
「ここは日本とは違う。」と、モンペリエに来た当初から防犯意識は高かったはずの私ですが、やっぱりモンペリエ生活で徐々に慣れて行く中で、意識がぽけ~っと薄まってしまっていたのですね。
今回のことでガツーーーーンとやられてしまいました。
もちろん貴重品は盗られたカバンに残してなかったけど、服やらサングラスやら手帳やら身の回りの品々。まだ整理してなかった写真のメモリーカードを盗られたのも悲しい!銀行の口座番号とかいろいろな暗証番号をメモっていた手帳もとられたので、念ためにこれから注意してみていかないと。携帯電話やカメラのバッテリーや充電器も盗られてしまった。どうせ盗んだ人にとったら面白くない代物。すぐにどこかに捨てられ終わりなのかなと思うとやりきれない。全部で600ユーロ相当程度のものだったとしても、個人的なものや思い出の品ばかりだもん。600ユーロを現金で生で盗まれた方がよっぽどよかった。だって、働いて取り返す!と思えるもん。。。
母は、「もう起こってしまったことは起こってしまったこと。」と言うけれど、やっぱり自分の一瞬の隙がくやしい。
これも人生の勉強ですね。経験して身をもって体験してイタリアの盗みの評判は本当だったと確認できた。
「イタリアで車の窓を破壊された~~!カバンを盗まれた~~!」とフランス人に言うと、みんな「え=ほんとに?!」と気持ちをわかちあってくれると同時に、「でもイタリアはそれで有名だから、評判通り期待にこたえたってことか。」と言う。そして「外から見えるところにカバンを置いていったの?!」と呆れ顔で説教をしてくる。保険会社の人も今はもう車上荒らしで盗られたものに関して保障する会社はないと言ってきた。それだけ横行しているから。で、同時にみんな車にものを残しておいてはだめだとわかっているから被害は減ってきたという。「あなたの不用心が落ち度と言わざるを得ない。」とまで。ま、もちろん私が状況を説明すると、「もちろん、いつでもこうするより他なかったということはありますしね。」とフォロー。
ま、やっぱり治安、犯罪傾向、犯罪状況は日本とは違いますね。日本人は平和ボケしていると言われるのも無理ないか。
この先、防犯体制200%強化するのに間違いはありません。
大変長い報告でしたが、皆さんも改めて気をつけてくださいね。
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