2015年3月9日月曜日
社会の縮図
が、そんな私を雇っているモンペリエの国立オペラ座・オーケストラも、実はかなりの難題を抱えています。内部事情をこんなところで語っていてもよくないですから、あくまでメディアを通して世間に出回っている情報にとどめておきますが、倒産、閉鎖の可能性も含めた存続の危機についてのお話です。
お金がないというのは、今やどこの国の政府も頭を悩ませる問題で、フランスももちろん類にもれることはなく、連日、年金問題をはじめとする社会保障問題と失業者率問題とともに、それをカバー、ケアする資金をどこから作るかというところで論争が続いています。
どこから資金を見つけるか、というのは、新しく見つけるのはどこでも難しいわけで、「どこからお金を取り上げるか」 という単純な発想につながります。
そこで、まっさきに対象となる一つが、文化・芸術活動なのです。
お聞きになっているかもしれませんが、世界各地でオーケストラが活動休止、あるいは解散、閉鎖に追い込まれています。ローマの歌劇場のオーケストラと合唱団解散のニュースが昨秋世界を駆け巡ったのも記憶に新しいかと思います。
国は変われど、事情はどこも一緒なのです。
日本と違って、これまでフランスは文化・芸術活動の保護、支援を積極的に行ってきました。美術、音楽、演劇などなど、どの分野を見ても、公的な支援、助成金によって資金の大半が保障されていました。その成果といったら、「素晴らしい」としか言いようがないほど、さすがは文化大国フランスです。日本では見られないようなありえないような政策をとって、文化・芸術の促進を可能にしてきました。
しかし、ここ数年で、これまでのようにはやっていられないと、文化、芸術活動を支えてきた助成金の大幅カット、あるいは全面カットが各地で発表されてきました。
公的な支援といっても、そのレベルは様々です。国レベルでの援助、つまり政府からの援助だったり、文化庁からの援助だったり、いろいろあります。 その下には地方レベルの援助。つまりモンペリエでいうとラングドック・ルシオン地方が保障している助成金です。さらにその下には県レベルでの援助があり、モンペリエではエロー県の管轄にあたります。その下には今度はアグロメラシオンという地域共同体という枠組みがあって、モンペリエとその周辺の村々が一緒になって構成しています。このアグロメラシオンという枠組みは、つい最近に、メトロポルという新しい枠組みに再編成されました。この話はまた別の機会に話したいと思います。このメトロポルの下には、それに参加する市町村それぞれの枠組みがあります。モンペリエで言えば、モンペリエ市にあたります。
これまで、勢いがあったり活動を認められていた団体は、このそれぞれのレベルから助成金をもらっていました。
私の勤め先であるオペラ座・オーケストラもその一つです。国、地方、アグロメラシオン、市と、それぞれから大規模な助成金を受けて、運営が成り立っていました。
もともとは、オペラ座、オーケストラ、オペラjrという三つのばらばらの組織だったのが、今では皆が合体して一つの組織となっています。
勤務しているのは総勢250名近い人々です。中にはミュージシャンが全部で130人ほどいて(オーケストラのミュージシャンが100人近くいて、オペラ座の合唱団が30人ほど)、残りは舞台技術関係の人と事務職の人です。舞台技術関係というと、オペラ座なだけに、大道具、小道具、衣装、メイク、照明さんなど、かなりの人数の人が働いています。そして事務職というと、会計とか広報とか、そういった役職があります。
この大所帯の組織も、数年前から助成金の大幅カットという厳しい波にもまれ始めたのでした。
地方からの大幅、しかも突然のカット宣言、県の撤退など、気がつけば支えてくれてるのはアグロメラシオンだけ、というに近い状態になってしまいました。
かつてモンペリエにはジョルジュ・フレッシュという文字通り王様的な政治家がいました。モンペリエが一地方都市から今ではフランス有数都市のひとつにまで発展したのには、彼の貢献が大きいです。例え敵も多かろうが、この点に関しては反論できる人はあまりいないでしょう。
そんな彼は生粋の左派社会主義の人で、文化・芸術の保護者でもありました。その彼が急死して世を去ったことから、モンペリエの政治事情が不安定になり、文化・芸術をめぐる政策も二転三転しているうちに、みるみるうちに下り坂となってしまったのです。
この収入の大幅な低迷に加えて、もちろんもう一方にも大問題がありました。それは支出。
ここ数年に渡って、この組織を指揮ってきた方々は、自分たちの給料だけはしっかりと、しかもがっぽりと確保されていたのです。
例えば、私がモンペリエに来た時にはすでに天下を治めていらっしゃったK氏。
彼は長年ラジオフランスでも業績を残してきた人で、音楽に関してはフランス当代きっての博識な人であり、自ら作曲家でもあったので、それはそれは膨大なネットワークをもっている人です。
この方、かつての王様ジョルジュ・フレッシュとは強力なタグを組んでいた人で、モンペリエの音楽界が急成長したのは、ひとえにこの二人のおかげです。
地方都市の一オーケストラに過ぎなかったオケも、いつのまにやら国立というタイトルを頂き、古典から現代音楽まで、幅広く演奏する優秀な交響楽団へと成長をとげました。オペラ座も同様、モンペリエ市管轄の一劇場に過ぎなかった時代から、国立というタイトルを掲げるフランス全国有数の歌劇場へと成長していったのです。
このような実績、成果は認める人が多いものの、このK氏、自分の懐にはがっぽりとお金を入れていったのです。
2009年の時点で、その額なんと月々23000ユーロ!!
フランスの普通の人が 月収2000ユーロとすると、その10倍を楽々と超す額です。フランスの国立大学教授の給料が月々5000ユーロとすると、楽々その4倍以上です。
つまり、フランスではとんでもない金額なのです。
なぜそんなことができたのか。そればっかりは彼の実力と実績を認めて、彼の要求通りにしてしまった当時の理事会の非もあきらかでしょう。けれど、それだけこのK氏はやり手だったのです。
組織の運営の上に、作曲はもちろん、なぜかオペラの演出にまで手を出し始めて、なんやかんやで執筆料だの作曲料だのと、臨時収入までもをどんどん上げていったのです。
別々の組織だったオーケストラとオペラ座を合体させて、いろいろと融通よく組織改革をしようとしたのはわかりますが、その二つの組織のトップにいるということで、自分の給料もどんどんあげていったのです。
しかも、私が毎年7月に働いているラジオフランスの音楽祭も、実は彼の力で立ち上げたもの。そのトップを務めるディレクターとしての給料も入っていました。
全部合わせていったいいくら稼いでいたのK氏???
世の芸術家と言えば、貧乏アーティストが大半ですが、彼は違いました。
でももちろん、いつの日か問題視されますよね。
2010年になったごろから、メディアが彼のことを騒ぎたてはじめました。
だってそれもそのはず、彼の給料は公的な資金から賄えられていたのですから。
そんなこんなで彼は引退に追い込まれました。
しかし、またもとてつもない退職金とともに去っていったのです。給料12か月分相当の退職金といいますから、、、。
そして不幸は続きました。彼が選んだ後継者が、これまた大問題へと化していったのです。
それがS氏。
世が世ならヴェルサイユ宮殿でルイ16世などのおそばでいろいろとしていたであろう人物です。つまり生まれも育ちも庶民ではない人。 貴族の家系の人であり、さらには有名人と友達になるのが大好きな人。彼の親友と呼ばれる人にはサルコジ元大統領の奥さんであるカルラ・ブルー二や、超大物映画俳優のジェラール・ドパルドューなどがいます。
このS氏はもともとオペラ演出を行っていた人で、さすがにK氏ほどの給料はとりませんでしたが、なんせ日常の暮らしが度を越した超ハイソな人。パリの某ホテルのスイートルームを自宅とし、モンペリエにいるときはモンペリエで一番の星付きホテル「ジャルダン・デ・サンス」に寝泊まりしていました。もちろんパリとモンペリエを行ったりきたり。モンペリエでもちょっとした移動には黒いハイヤーを出させて移動。
そんな彼の宿泊費、交通費などが、オペラ座から出されていたのです。
そんなこんなで、減る一方の資金に対して、過度な支出。
誰が見たって、資金管理がちゃんとできていたとは言えません。
S氏は250人のスタッフ9割近い人から不信任案をたたきつけられ、政治も取り込んでの大騒ぎとなりましたが、一部の支持も虚しく、結局は引退を余儀なくされました。
そしてもともとS氏が外部から連れてきたような上級管理職レベルの人々は、S氏と同様の高額な給料を得ていました。もともと存在しなかった役職、必要もなかった であろうポストが作られて、こんな高い給料があてがわれていたのです。こんな人達が2,3人いたのですが、彼らはS氏の失脚後、後を追うように去りました。
皆に残されたのは「あのポ ストはなんだったのか、あの給料はなんだったのか、、、」という想いです。
そこで新しくディレクターの座に着任したのが40代後半の女性であるC氏。
もともと歌手だった人で、オペラ歌手のマネージメントや地方オペラ座の事務長職なども務めてきた人で、現場の事情が分かる人として、皆の期待も高まりました。
当然、彼女に課せられた役目は、オペラ座・オーケストラの混乱を鎮めて、かつ、資金難を打ち砕くべく、組織の立て直しを図るというものでした。
それにしても、彼女にしてみたって難題です。だって、彼女が就任したときには、もう火の車だったのですから。彼女にできることだって限られています。しかも「国立」というタイトルをキープするには、シーズンの内容、質はもちろん、演奏される曲のジャンル、作曲年代、演目回数などなど、いろいろな条件を満たさなくてはいけません。
そこで発表されたのが、支出削減とそのための人員削減でした。
現在240人の所帯を少なくとも200人に下げなくてはいけないとのお達しです。
年金退職に近い年齢の者から立ち去ってもらう、そして6か月間、皆の労働時間を40パーセント減らして、給料もそれに伴ってカットするとのこと。 給料40パーセントカットに関しては、国からの援助が出れば実質4パーセントカットまでカバーされるとはいいますが、それにしても、、、。
何が起きたと思いますか?
当然、250人ほぼ全員の大反対です。
なぜかというと?
それは不公平だから。
まず、あまり外からは見えないけれど、この組織に務める人々にはかなりの格差があります。管理職やオーケストラのミュージシャンたちは立派な給料と適度な労働条件が保障されている一方で、舞台技術の大道具さんや、劇場のお掃除隊員たちもいるわけで、彼らの給料はいたって質素。国が定める最低賃金に限りなく近いレベルです。
例えば月々6000ユーロもらって生きている人が4パーセントカットされるのと、月々1500ユーロでぎりぎりの生活をしている人が4パーセントカットされてしまうのでは、生活を賭けた問題としての重要さが違います。
さらにこの流れの背景で、隠れようとしていて隠れきれていない人々がいるのです。
例のS氏に媚をうってとりいって、自らの給料や労働環境の改善をゲットした人々。決して多くはないけれど、実際に数人いらっしゃいます。しかも皆がその事実を知っています。
不当としか言えない彼らの現在の給料を改めて見直したりする必要があるのではないか?
そして何よりも、働く私たちがすべてのツケを背負わなくてはいけないのか?私たちに罪と責任があるのか?ミュージシャンも事務職の人も、トップが言うように仕事をしてきただけなのに、トップが組んだシーズンのプログラムに沿って仕事をしてきただけなのに、、、。と皆が思うのは当然のことです。
しかも、立ち去った歴代のディレクターが、膨大な給料を得ていたことはもちろん、多額の退職金を得て去っていったとなると、我慢がなりません。
これはもう王様と庶民の格差問題以外の何物でもありません。
時は21世紀。中世の王様の時代なんて過去の話とは言ってみたところで、結局、現代社会には根深い格差問題があるのです。能力の違いという一言だけでは片づけられない格差が存在するのです。そして政治というものは、とある一部の人と強いつながりをもっていて、その人たちが思うように政治を行っているというのも否定しきれない現実なのです。
しかし250人の悩みは深刻です。だって、今この打開案を受け入れなければ、即閉鎖、解散ということになるほか、ほぼ道が残されていないからです。
そうすると250人の間にもひびが入り、分断が始まります。
どんな犠牲を飲んででも、組織の存続を大事とする人々もいれば、組織の存続を望むけれども、不当な政治、不当な決断の尻拭いをさせられるのはまっぴらだと主張する人ももちろんいます。
これから新しい仕事を探していける人もいれば、50歳も過ぎて今さら新しい仕事なんて探せないという人もいるでしょう。
しばらくの間、多少収入が減ってもなんとかやっていけるという人もいれば、今100ユーロ減ってしまったら食べていくお金が無くなってしまうという人もいます。
そういう意味では、この組織も社会の縮図でしかないのです。
いろんな立場の人がいます。
いろんな社会階層の人がいます。
いろいろなレベルで会議、面会、話し合いが行われていますが、どうなりますでしょうか。
先週、今週とまさにそんな緊張したやり合いが続いています。
ここ数年、この仕事場の事情や問題を取り扱いたかったのですが、同時に進展を見守っていたので、今日こんな状況でのお話となりました。
あくまで、こちらのメディアではもうすでに取り扱われている内容ですので、裏事情を伝えているというわけではありません。
そして何より、そんな事情はあったとしても、今のところ通常通りに作業も演目も行われています。
もしかしてモンペリエからオペラ座とオーケストラが無くなってしまうことも無きにしも非ず。
モンペリエ近郊にお住いの方は、ぜひまたプログラムをチェックして、コンサートに行ってみてください。
http://www.opera-orchestre-montpellier.fr/
また具体的な進展があったら、お伝えしたいと思います。
2011年1月30日日曜日
みっしぇる~~
お伝えしたいエピソードがいくつかあるのですが、今日はそんな出会いの中の一つ、私がすっかりその人のファンになっちゃった話です。
その人とは11月末に出会いました。
オペラjrにとって、今シーズンの最初のコンサートを間近に控えたころ、今年度のために新たに迎えた2人の合唱指導者のうちの1人、しかも皆から評価され期待を寄せられているVが、病気発症が判明して、急きょ手術・治療を受けるためにお休みすることになってしまったのです。
9月以降、コンサートはVが中心となって準備をしてきていて、もちろんコンサートでも彼がプログラムの半分を指揮することになっていました。が、お医者さんに宣告された手術予定日は残念ながらコンサート当日。当然、誰が代わりに指揮をするのかという議論になりました。
が、そこでV自らが私たちに「○○に頼んでみる。」と提案してきたのです。
この○○さん、私は名前しか知らなかったのですが、60歳を超え、フランス音楽界では大ベテランで優秀なトップミュージシャンの一人として認識されている大物。バリトン歌手であり、パリ国立コンセルヴァトワールやラジオフランス児童合唱団でも長年指導をした人で、今日は経験豊富な合唱指導者・指揮者としても活躍しています。大物なだけに各地を飛び回るハードなスケジュールの持ち主。そんな人がモンペリエの子供・若者を指揮するために、わざわざ足を運んでくれるのか?とちょっと疑った私。
実はVは、フランスの南西地域であるプロヴァンス・アルプス・コート・ダ・ジュール地方の(Provence Alpes Côte d'Azur)合唱団で、○○さんのアシスタント指揮を長年務めていて、二人は信頼と友情で結ばれた間柄。
Vに深刻な病気が判明して、Vたっての依頼ということで、友情の名の下、この方はちょっと無理をしてスケジュール調整をし、金曜日から水曜日までを私たちのために空けるという決断をしてくださったのです。
出会う前からして、「へぇ~、またそんな大物の人と出会うきっかけをもらっちゃって、私ってラッキー。」と感じた私。いざ、入院を翌日に控えたVの立ち会いのもと、私はこの方と出会いました。
その方はミッシェル・ピクマル氏(Michel PIQUEMAL)。
この日は若者グループLe Groupe Vocalの練習の日で、ピクマル氏はまずはお手並み拝見というか、歌声を聞いて様子をみるという感じで、椅子にどっかりと座っていました。
彼は体格は大きくないのですが、ずっしりと落ち着いて口数は少なく、鋭い目で様子を観察していました。
そんな大物を前に、私はまだ若造だし外国人だし、ただのピアニストだし、大人しく静かにしていようと思っていたのですが、入院と治療のためにしばらく会えなくなるVに、和紙で作った折り鶴をプレゼントしたところ、それを見たピクマル氏が、「君、飛行機は作れるのか?」と聞いてきました。
「え?飛行機?あの一番簡単な飛行機のことですか?だったらもちろん!」と私が得意げに応えると、「すごくよく飛ぶやつだぞ?」と言ってくるので、「え、私の知ってるのは普通のシンプルなやつですけど、まあ良く飛ぶときは飛ぶし、飛ばないときは飛ばないし、、、。」とか返事してると、横からVが「leonardoの飛行機はどうせまた適当なやつだろう?」とからかってきました。
そこでピクマル氏が「俺の飛行機の作り方を見せてやるよ!」と言って、紙をちぎって、もくもくと真剣に折り紙にとりかかりました。
案の定、私たち誰もが知ってるあの紙飛行機ではなくって、なにやらあちこち折り返して真剣に作っていらっしゃいます。最後には端っこをちぎって何やら重さ調整をしてから、サッと紙飛行機をとばしました。するとさすが!よく飛ぶやつとおっしゃったとおり、彼の飛行機はなめらかに空をきってよく飛びました。
このひょんな出来事から、静かに控えめにしていようと思っていた私はすでに態度転換。
気がついたら「今日の思い出にこの飛行機にサインしてください!」と頼んでました。
彼は微笑みながら、飛行機にト音記号とか書いて飾り付けをしたうえ、grosse bises(英語ではbig kiss ですかね)と書いてサインしてくれました。
このやりとりですっかりうちとけた私たち。
この日の夜はVも含めて一緒に食べに行き、翌日からは土曜日、日曜日ともに一日中、3つのグループと練習し、月曜日にはコンサートを迎えました。12月にブログの記事でもアップしたコンサートのことです。
ピクマル氏が緊急のピンチヒッターとして指揮をしてくれたのは、ドビュッシー1曲とラクマニノフ3曲、そしてゴスペルの影響を受けたアメリカの合唱曲3曲とアメリカの現代女性作曲家の曲。
いずれもフィーリングと自由さが大事な作品ばかり。単に四拍子で規則的にずっと続くような曲とは全然違います。これまでの練習でVは彼個人のフィーリングで合唱を指揮してきました。ですから若者たちにはその色がついてしまっています。ピクマル氏はその色を感じとって尊重しつつも、自分のカラーでぐいぐい引っ張って行ってくれました。さすが子供、若者というのは順応性に富んでいるものです。彼らはしっかりと彼の要求に応えて行きました。
しかしピアノ伴奏で行うコンサートですから私の役目も大事。長いイントロで曲のムード、色はできてしまいますから。でも幸い、彼が行った変更、変化に私にとって居心地の悪いものは一瞬たりとなく、彼の要求に素直に自然に応えることができました。
なんといってもそれは彼が本物大物ミュージシャンだから。彼とのたった数日間のコラボレーションで、カリスマ性とはどういうものか、オーラとはどういうものかというのを改めて感じさせてもらいました。言葉は少なくとも、彼の呼吸で、彼のジェスチャーで、こちらは感じとれてしまうのです。共演者に、そして聞き手に何かを伝えることができる人というのは、こういう人のことを言うんだな、と深く感じました。
紙飛行機事件から、向こうはすぐに気さくなしゃべり方であるチュトワイエをしてきてくれましたが、私が自分は若造だし、、、と思って彼にヴヴォワイエでしゃべってしまうと、向こうもまたヴヴォワイエになったりして、どうもちょっぴり照れてぎこちない2日間を過ごしました。
が、月曜日の午後に一つ目のコンサートを終えたあと、お互いがっちりとハグしてビズしてメルシーとブラヴォーを言い合うと、彼が「助けてくれてほんとありがとう。君はすごく柔軟だね。うれしくなっちゃうよ。」と言ってくれたものだから、私は有頂天。ちょっぴり改まって「チュトワイエしても大丈夫だった?」と一言聞くと、「何言ってんの、もちろんだよ!」とニッコリしてくれました。
この日の夜のコンサートも無事に終了。
今年度頭からのドタバタスケジュールと様々な問題のせいで、このコンサートのでき具合はいったいどんなものになってしまうのやら、、、と私は真剣に心配していましたから、ピクマル氏が音楽性を吹き込んでくれて、エネルギーとカリスマ性で若者たちに魔法をかけてくれたおかげで、どんなに助かったことか。夜は午後のコンサートよりもだいぶいい出来で、みんな満足。
私たちは舞台上でがっちりと手をとりあってハグ。
一緒に共演すると、何かが通じ合うというのは本当のこと。
誰とでもというわけではなくって、ふと、ある人と一緒に演奏していて、一緒に呼吸して同じ一つのものを作り出す瞬間を感じるときがあるんです。息が合う、波長が合う、ということなんでしょうね。
お互い年齢も人種も文化も違うわけですが、このピクマル氏との出会い、共演は私にとってとびっきりうれしい出来事となりました。
もう「みっしぇる~~~!!」状態。一人ファンクラブ結成です。
この後、オペラjrのディレクターであるジェロームを含め、みんなで食事に行きました。
実はジェロームとミッシェルは20年以上前からお互いに知っている仲。そもそもヴァレリーの代わりを探していたジェロームにVを推薦したのはミッシェルだったのです。3人の男の間にある音楽と友情のつながりに感謝する夜でした。
となりに座ったミッシェルと私。ふと彼は、「俺の飛行機の作り方伝授しておかないと!」と言いだして、テーブルに敷いてある紙をちぎって、「真似をして同じのつくりな!」と言い、レストランの片隅で即席折り紙教室が始まりました。そして一緒に紙飛行機をレストラン内で飛ばす二人。
ふふふ。大物ミュージシャンは私の紙飛行機仲間。
3つ目のコンサートが水曜日に残っていたわけですが、彼はパリの区立コンセルヴァトワールでのレッスンと、彼がディレクターと指揮を務めるパリ地方合唱団のコンサートのリハーサルがあるために、翌日の火曜日早朝6時のTGVでパリに帰り、オペラjrのコンサートのために水曜日の午後モンペリエの戻ってきてくれるというスケジュールで一時お別れ。
本当にありがたいこと。
私はいつものようにこうしてモンペリエに住み、向こうの大物ミュージシャンが片道3時間半のTGVで移動をして、ハードスケジュールをこなしながら一緒に共演してくれる。
一生ものの思い出となる、素敵な出会いでした。
そしてみっしぇるネタは続きます。。。
2010年12月31日金曜日
Opera junior 合同コンサート : 変化の時
そのうちの一つはAtelier de création (アトリエ・ドゥ・クレアシオン)といって、年に一つのプロジェクトのために結成される外部から新たに加わった初心者だけのグループなのですが、それ以外の3つのグループは常時存在し、数年間在籍する者、新年度に新たに加わる者、年齢とともに一つ上のグループに進む者など、みんなそれぞれです。
基本的には、年齢に従ってレベルも違うわけですから、それぞれのグループが各自プロジェクトに取り組み、コンサートやスペクタクルを行っています。
しかし、昨年、新ディレクターに就任したジェロームは、それぞれのグループ外ではお互いをよく知らないメンバーを見て、ぜひとも合同で何かしたいと思ったのでした。
その彼のイニシアティブにより行われたのが、11月29日と12月1日に行われたオペラjr合同コンサート。
Atelier de créationを除いた3つの常時常設グループ、La Petite Chorale(6-9歳)、Le Choeur d'enfants(9-15歳)、そしてLe Groupe Vocal(16-25歳)によるコンサートです。

『初めての試み』といってはいますが、実際のところ、これまでにも何度か、年度末の小、中学校を対象とした教育的コンサートでは、いくつかのグループが参加してそれぞれが数曲歌うというプログラムを構成していました。ま、教育的コンサートと一般向けのコンサートでは意味が違うというところもあるのでしょうけど。
Le choeur d'enfants は10月末に「The Golden Vanity」を発表したばかりなうえに、今年度のプロジェクトであるオペラの準備は始めないといけないわ、モンペリエ・オーケストラによる元旦のコンサート「カルメン」に参加するためにその準備はしないといけないわ、で大わらわの中、この日のために4曲を準備してきました。
La Petite Choraleにしても、9月に入団したばかりのちびっこが、11月末にすでに舞台にたって歌を発表するというのは、かなりきついスケジュールです。
コンサート会場の点でも新たな試みがありました。
実は只今モンペリエのオペラ座は大がかりな改修工事のために閉鎖中。そのためいつもオペラjrがコンサートに使っていたSalle Molièreは使えません。代わりにゲットしたのがCORUMの中ホールSalle Pasteurと隣町のカステル・ノーの公民館のホールです。
以前から、教育的コンサートや、何かのイベントの一環でSalle Pasteur で演奏したことはありましたが、一般客対象のコンサートをSalle Pasteurでするのは初めてのこと。
11月29日の月曜日、ここで午後2時から小中学生を対象とした教育的コンサートと夜7時から一般客対象のコンサート。そして12月1日水曜日はカステルノーで、一般客対象のコンサート、合計3公演を行いました。
ディレクターであるジェロームが自らマイクを握って司会・進行を務め、曲紹介はもちろん、今シーズンのプロジェクトの紹介もしました。
おかげさまでいずれも満員御礼。
まあ変化に富んだコンサートとなったといえるでしょう。
プログラムはこちら :
La Petite Chorale : Isabelle ABOULKER作曲の子供による子供のためのオペラ「ATCHAFALAYA」(アチャファラヤ)より抜粋で数曲。
Le Cheour d'enfants : Sergei Rachmaninov作曲「Six Choeur」から抜粋で数曲、Claude Debussy作曲「Salut Printemps」。
Le Cheour d'enfantsとLe Grouうpue Vocal 合同 : Benjamin Britten作曲の「The Sally Gardens」と「Old Abram Brown」。
La Groupe Vocal : 6月発表予定の舞台「Musiques Americaine」のプログラムから、John RUTTER作曲「Praise Ye The Lord」、Gwyneth Walker作曲「I thank you God」、Richard Smallwood作曲「Total Praise」。
さて、実はオペラjrでは2年前から現在にいたるまで、変革・変化の微妙な時期を通過しています。
というのも、まずはオペラjrの生みの親である初代ディレクターの引退にともない、オペラjrとはなんのゆかりもなく、合唱指導とかには関わらない生粋のオーケストラ指揮者である新ディレクターの就任がありました。
創設者である前ディレクターは指揮者であり作曲家であるうえ、長年、子供による音楽舞台創作というジャンルで活動してきた人。オペラjrの活動をすべて直接指揮してきました。さらに事務面も彼がすべてを仕切っていたのはいうまでもありません。彼の生活=オペラjrだったわけです。
一方、新ディレクターは指揮者としての活動を続けながらのポスト就任。オペラjrでの職務は彼の活動の一部にすぎないわけです。
当然、組織としては大きな変化を迎えました。
まあ、それでも組織の頭が代わっても、内部のメンバーが同じならばある種の継続性も保てたわけですが、15年間にわたって子供や若者を直接指導してきた合唱指導・指揮のヴァレリーが組織を離れるという事態になってしまいました。この件はまだ一件落着に至っていないので、こうして話すもの微妙な話なんですけどね、、、。
ディレクターを除けば、もともと常時事務スタッフが4人もいて、常時アーティストは2人しかいないというアンバランスな組織。後は常に単発で参加してくれる外部アーティストばかりだったのです。
常時アーティスト二人というのは、合唱指導・指揮者とピアニストのこと。そう、これまではヴァレリーと私だったのです。
私もオペラjrで働きだして早8年目。
その間オペラjrの活動は発展を続ける一方だったので、活動量も当然増え、私とヴァレリーは常にすべてのグループに関わり、それぞれのプロジェクトのアーティストたちとともに活動してきました。
彼女が15年前からいるということ、合唱指揮という立場にいること、そしてカリスマ性はもちろんですが、フランス人女性としてもとびぬけて我の強い女性であることから、当然ピアニストである私は、外国人であるうえ、まだ若かったし、純粋に「ピアニスト」という職に専念していました。
が、今年の9月、ヴァレリー不在で新シーズンを始めなくては行けなかったオペラjrは、急きょ、二人の合唱指導者を招き、仮の新チームで活動をスタートさせました。
4つのグループが抱えるプロジェクトももりだくさんです。
そんなあわただしい変化の中で、気がついたら、プロジェクトのために現場で働くスタッフで唯一の常時アーティストは私であり、一番の古参者というのも私であるということになっていました。
以来、私は現場にいる誰にとっても大事な「つなぎ役」あるいは「パイプ役」を背負うことになったのです。
「ただのピアニスト」ですが、「されどピアニスト」です。
だって、現場を知っている唯一の者。そしてこれまでの流れを知っている唯一の者。子供や若者たちと直接コンタクトがあり、お互いよく知っている関係にいる唯一の者。etc. etc.
言い出したらきりがありませんが、あらゆる理由から、私は新ディレクターにとって大事な人物、新たに加わった新・合唱指導者にとっても大事な人物、今年度のプロジェクトのために来てくれる外部アーティストにとっても大事な人物、そして以前からいる子供達、若者たちにとって大事な人物となりました。
私は外国人で、他の誰よりもまだ若く、日本的感覚で言ったら大人しく「ピアニスト」の任務だけをこなすことも可能だったのでしょうけど、ここはフランス。そして私は私で、こちらでの生活のおかげか、もともとの性格というのもあってか、大事なところでは主張をする日本人となっていました。さらに音楽教育というものにはかなり個人的にはっきりとしたビジョンをもっています。
そのために、言葉のハンディもなんのその、文化の違いもなんのその、オペラjrのさらなる発展を願うからこその行動をとるようになっていきました。
そんな中、いろいろな問題ごとというのは次から次へと発生するもので、この9月から12月の時期は、オペラjrにとって波乱万丈怒涛の時期となりました。
ブログで書きたいことはたくさん。
まあ今日のところははしょらせてもらうとして、とにかく結果として、この4カ月で私が消費した体力的エネルギーはもちろん、精神的エネルギーは相当なもので、誰が見ても心身共に疲れ果てたleonardoという無残な姿になっていました。実際、いろんな活動のかけもちのせいで、完全な休日というのはごくまれだし、、、。
周囲の人に心配をかけてしまったし、自分でも「ああ、このままではいかん。」とわかっていたのですが、問題の真っ最中にいるときって、どうにも変化をつけようがありませんよね。
普段土曜日も日曜日もなく働いてきましたが、幸い、12月21日から一週間の休みがとれて、ここは逃してはいけないと、バカンスへと旅立ってきました。日ごろのモンペリエ生活から離れて、久しぶりに友達と再会したりして、心身リフレッシュができました。
ねらった通りのバカンス効果を得られて私も満足。
新しい年を迎えるわけですし、これを機にいろんなこともリセットして、私の生活もちょっとずつ変化させていこうかな、なんて思っています。
実はこのオペラjrのコンサートでも、私にとってとびきり大きな出来事がありました。って私が勝手に「とびきり大きなこと」なんて認識してるだけですが。ぜひとも近いうちにブログで書きたいと思っています。
いつも空から降ってきたような出会いに恵まれてきた私。
2011年はどんな出会いがあるのでしょうか。楽しみです。
只今フランス時間2010年12月31日17時。
日本ではもうすでに2011年を迎えましたね。
地球の裏側のみなさん、どうぞよいお年を。
2010年12月19日日曜日
貴重なアドバイス
私は伴奏練習ピアニストとして、ニケさんに声をかけてもらって以来の二年目の参加です。
今年度のプログラムは、年明けの1月に行われるモンペリエ・オーケストラとのコンサートで演奏予定であるPablo CASALS 作曲のオラトリオ「El Pessebre」。そうです、あの有名なチェロ奏者パブロ・カザルスの作品なんです。
作品の内容についてはまた今度記事にしたいと思いますが、今日はつくづく私ってラッキー者だなあと思う話です。
要求度が高くて、厳しくて有名なニケさん。今や世界のあちこちをとびまわって演奏活動をしている彼のような演奏家のもとで、報酬をいただきながら一緒に仕事をさせてもらうというのは、勉強になるわ、刺激になるわ、いい経験になるわだけにとどまらない、ほんとにラッキーなこと。が、私の場合、ありがたさはそれだけでなく、彼は私のことをなんだかかわいがってくださり、知り合って3年目ということもあってか食事休憩に一緒に誘ってくれたりするので、マンツーマンでいろいろと話しているうちに素のニケさんまで知ることができてしまったりもするのです。
気がつけば、世界的な活動をしている人を前に、いいかげんな関西弁フランス語で、しかも対等で親しい話し方であるチュトワイエ(tutoyer)で気後れすることもなくべらべらとしゃべっている私。。。
本気で精神的に強くなってきてしまったな、私、、、と感じる瞬間でもあるのですが、、、。
おしゃべりの内容は合唱団のことからそれぞれの仕事のこと、モンペリエの音楽界のことなど職業柄ネタはもちろんですが、プライベートなこと、また、ニケさんが大の日本ファンということもあって、日仏社会についてなど多岐にわたります。
そんな中、私のこれまでの歩みをしゃべったりしているうちに、今後はどうするのかという話になりました。
自分が日本で学んできたこと、もっているディプロムのこと、ここモンペリエでしている活動のことなどをひと通り話したうえで、「うちの親はこんなことを言っている。。。」とかにも話は及びます。
するとニケさんは本人の経験談や体験談を交えながら、私の将来についてのアドバイスなどをくれました。
自分自身、ぼんやりと考えていたこととつながる一言をいってくれて、やっぱりそうだよなと納得。
私の進路相談員はニケさん。
なんてリッチな境遇なんでしょう、私。
遠路はるばるLe Choeur symphoniqueのために、土曜日の夜の一泊だけのハードスケジュールでモンペリエにやってくるニケさん。それだけでも体力を消耗しているのに、アマチュアの合唱団を前にして、彼が費やすエネルギーはすごいものです。
音楽の基礎レベルがあやうい合唱団を相手に、最良の結果を引き出すために彼はあの手この手を使って指導する彼の教育的センス、アイディアにはあっと驚かされます。
私は彼の指揮のもとでピアノに向かっているだけで、合唱指導・合唱指揮者という職業のノウハウを一気に学ばせてもらってしまえるのです。
なんてラッキー者。
でもそれだけではありません。
彼はピアノ、オルガン、チェンバロとどんな鍵盤楽器でも弾きこなしますが、なんといっても20代前半という若さにしてパリ・オペラ座のコレペティになった人。ソロの歌手、合唱団を問わず、歌い手の伴奏をするということがどういうものなのかを知りつくしている人。その彼が、日本人でなんちゃってピアノ弾きの私に、この職業がどういうものなのかを身をもって教えてくれるのです。
休憩中には、「ちょっとここ弾いてごらんよ。」と言って私の横に座ります。そして私が弾き、まるでプライベートレッスンのように、足りないところをいろいろと指摘してくれるのです。
大先輩のように、先生のように。
厳しさが代名詞のニケさんなだけに、単刀直入に容赦なく的確に言ってきますが、私にはまったく痛いことなんてありません。私にはすべてが棚から牡丹餅のようなことですから。
先日は「君と一緒に仕事するの好きなんだけど、あとはオーケストラのような反応をするようにならないと。そこが君がパワーアップすべきとこだね。」と貴重な一言をいってくれました。
確かに、オーケストラと指揮者の棒サバキを観察していれば、誰にでもわかることですけど、オーケストラというのはまず音が出るのに時間がかかりますよね。指揮者が拍を示してその0コンマ何秒とか数秒後に音がでる。
指揮者が棒を振った瞬間に同時に音が出ると言うのではないのです。
そして私の場合、そのことだけではなりません。
「指揮者の意図を先読みしてはだめだよ。指揮者の要求に後から応えないと。」と言われました。
指揮者のもとで演奏する伴奏ピアニストは、指揮者の要求に従ってなんぼ、要求に応えてなんぼなわけですから、テンポなりフレーズなり、いかに意図を感じて早く実現させて応えるかが大事な能力なわけですが、私のようなこんなことを言われる伴奏ピアニストはそうしょっちゅういないだろうと思うのです。
つまり、私の場合、意図を読み取るぞ、遅れてはいけないぞ、と強く思ってしまうがために、実は時々先回りしてしまったりしているというわけです。
ははは、私っておもしろい。
でも彼の言うことはどんぴしゃです。
遅れてはいけない、遅れてはいけないとしているうちに、先読み、先回りのようなことをしてしまっていましたから。
こんなことだけではありません。
彼自身が楽譜上のとあるパッセージを生でてっとり早く感じ取りたいとき、私にピアノで弾かせると同時にとなりに座って、二人並んでピアノに向かって四手連弾をすることもありました。
実は私にとって、この瞬間が一番わくわく実感するとき。
一緒にライブセッションしているような感覚になりますから。
実は、3年前にこうして二人でダリウス・ミヨーの合唱曲を連弾する機会があったときに、私はこのワクワクを感じたのですが、その後すぐさまニケさんの口から「le choeur symphoniqueで一緒にしてくれないか?」と誘ってくださったのです。
彼の方にも何かピンとくるものがあったのかな、と、ここはめでたい考えでいようと思います。
私は日本で音楽を志す人たちが、高いレッスン料を払って、日本国内で、または海外で著名な音楽家の指導を仰いでいるということをよく知っています。ですから、私のラッキーさがなおさら身にしみること。
このまま来年も再来年も、声をかけてくれる限り一緒に仕事をしたいなあと思っていたのですが、残念なことに、今回がニケさんにとってLe choeur symphoniqueとの最後のとりくみとなってしまう可能性が大だということがわかりました。
実は今、モンペリエの音楽界は動揺と大変化の時を迎えているのです。というのも2012年1月にディレクターが変わるということに公式になっていて、それに伴ういろいろな変化がおきるから。そもそも今モンペリエは政治の劇的な変化が始まったところ。
モンペリエのオペラ座とオーケストラを中心とした音楽界がこの先、どうなっていくのか、誰にもわからない不安な時期に突入しています。
ま、いずれにせよ、4年前に初めて接してから今日にいたるまでの間に、私が彼から学んだことは一生ものの貴重な経験。
ちなみに、昨日は夜遅くに練習が終わってから、「お味噌汁が飲みたい!」と言って私をモンペリエのとあるお寿司屋さんに連れて行ってくれました。
そこでウニが大好物だというニケさんにつられて私もウニを。
実は私はウニが好物でもなければ、普段は食べないもの。
ウニを口にしたのは10年ぶり?15年ぶり??
ニケさんとウニ。
私が日記をかくなら、この日のタイトルはこれですね。
すばらしい思い出となりました。
2010年10月10日日曜日
The Golden Vanity

でも一年かけて取り組むと、すんなりと身体に入って行ったというか、愛着まで湧いたといえるでしょう。
その前に公演を行ったモンフェリエーの舞台とも幅、奥行はもちろん、照明装置や収容キャパシティーなど全部違う中で、キャトリンヌはうまいこと対応して演出内容を適応させていました。

こちらはイギリス船のクルーと見習い水夫の少年。

イギリス船のキャプテンと水夫長。

最後、船のデッキに引き上げたところで少年は息をひきとる、、、。

チャペルのステンドグラスをバックに、ラストシーンはこんな光景でした。

天井が高く、ステンドグラスを通して、外の日に光が入ってくるという難点も、こうしてみると美しさを増していていいですね。
ここまでの公演は合唱指揮がヴァレリー、ピアノが私、演出がキャトリンヌ、衣装がジスラン、そして照明がベルトランというチームで行いました。
さて、一方で先週公演を行ったのは、モンペリエ市が所有する劇場の中でも重要なところの一つ、Théâtre Jean Vilar ジャン・ヴィラー劇場です。
一番線のトラムの終点エリア、移民街で俗にシテとよばれる地区にあります。
毎年さまざまな演劇の充実したプログラムを発表している劇場で、今シーズンの幕開けに選ばれたのが、私たちの「The Golden Vanity」でした。
サイトはこちら。
http://theatrejeanvilar.montpellier.fr/pages/index.php
こじんまりとしていながらも、演劇の上演のためのプロの施設といえるでしょう。
実は、ここでの公演に際して、キャトリンヌにはさらに新しい作業が加わりました。それは舞台に関わるテクニシャンを養成する学校とのタイアップにより、学生たちを最後の研修として舞台に参加させるというもの。つまり、音声さん、照明さん、舞台美術さんなどのスタッフが学生と指導担当者ともに加わるというわけです。
照明担当者が変わったので照明の作業はゼロからやりなおし。
でもマイナス要素ばかりかと言えば逆で、ここでは舞台の設備がこれまでとは違って充実しているので、音響効果を入れたり、舞台正面のスクリーンを利用したりできるのです。
そこでキャトリンヌは港の音や船のきしむ音などの音響効果を入れました。そしてもちろんスクリーンを利用して照明を充実させ、ビデオで波の映像を入れ、さらには字幕を加えました。
そうなんです。
「The Golden Vanity」は原語の英語で歌うので、6月にはせっかく見に来てくれた子供たちが「ストーリーがよくわからなかった、、、。」と言ってたんです。
これも字幕のおかげで解消!
イギリス船と海賊船も、舞台美術・小道具担当の学生さんが立派にバージョンアップしてくれました。
というわけで、この10月の公演が最終バージョン。
晴れて!と行きたかったところなんですが、実はいろいろなゴタゴタつづきの末、合唱指導・指揮のヴァレリーが休みをとってしまていないのです。彼女のプロジェクトだったのに、彼女なしで最終を迎えるというのはなんとも残念なこと。急きょこの新年度開始から代理を務めてくれたのがヴァンソン。
こんな難曲をピンチヒッターでやるなんて、不安はもちろんありましたが、彼と私、コミュニケーションを十分に取って、なんとか無事に仕上げることができました。
さて、ではようやくここで、木曜日に取材に来たローカルテレビ局のニュース内容をリンクします。
短いですが、雰囲気は見てもらえると思います。
http://www.dailymotion.com/video/xf4h7o_l-opera-junior-au-theatre-jean-vill_creation
インタビューの様子を見ると毎回思わされるのが、フランス人はインタビュー上手ということ。
だって自然体で上手にしゃべるんだもん。
日本人だったら変に作っちゃったりして準備したりするでしょうに。
それにしても、こうして客観的に見ると、みんな歌はもちろんのこと、生き生きとのびのびと、そして真剣に演技してていいですね。
歌って演技して。
やっぱりこんなことができる団体はそうあちこちにはありません。
オペラjr、この先も長く存続していけるといいけどな。
最終公演後はみんな気持ちが高ぶって笑顔と涙の打ち上げとなりました。
バカンスをまたいで、昨シーズンからのもちこしで行った今回の舞台。だから10月という時期ながらも、この日でオペラjrを去る子、Le Choeur d'enfants を卒業してLe Groupe Vocal に移る子などがいたのです。
でもやっぱりみんなが慕うヴァレリーがいなかったことでなおさら。みんな感情が爆発したのでしょう。
いろいろ変化を迎えながら、こうしてまた一つの冒険が終わったのでした。
2010年7月24日土曜日
バーナード・ハーマンのオペラ
Bernard HERRMANN (1911-1975)はジュリアード音楽院で学んだアメリカの作曲家です。ヒッチコック映画の音楽を手掛けた人として知られています。ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」の音楽も彼の作品です。
映画音楽について研究をしていた私にとっては、歴史上重要人物の一人です。
彼は映画音楽だけではなくて、交響曲なども作曲しました。
そして実は今年のラジオフランスのフェスティバルで、彼のオペラが演奏されたのです。
昨年暮れの時点では、スカルピタ氏の演出による舞台バージョンで公演されると聞いていたのですが、結局は演出なしのコンサートバージョンとして、7月14日の夜に演奏されました。
このオペラのフランス語タイトルは「Les Hauts de Hurlevent」、英語原題は「Wuthering Heights」。ご存知の方はすぐにわかるんでしょうが、私は有名な小説であることはわかっていたのですが、あまり気にも留めずに仕事に取り組んでいたんです。そしてコンサート本番が終わってから、この作品が超有名な小説をもとに作られていたことがわかりました。
ハーマンのオペラというのは「嵐が丘」だったのです。
小説はもちろん、映画とかいろいろな形でたくさんの成功をおさめてきた作品ですよね。実は私、読んだことがなかったので、スト―リーを知らなかったんです、、、。
このコンサートの字幕操作を担当したので、オペラに使われた部分のストーリーはすっかり理解してたんですけど、これが「嵐が丘」の話なのかとわかって驚くやら納得するやら。
さて、このコンサートの指揮はアラン・アルティノグル氏(Alain Altinoglu)。いつかブログで彼のことを書きたいと思っているのですが、彼は私とほんのちょっとしか年も違わないんです。でも、もうメトロポリタン劇場での指揮デビューも果たしていて、フランスの若手どころか、フランスを代表する指揮者へと、着々とステップアップしているすごい人です。
彼の指揮のもと、モンペリエ・オーケストラと共にロラ・アイキン(Laura Aikin)など豪華な歌手が顔をそろえました。
このオペラには合唱パートがなく、唯一第一幕の終わりで登場するクリスマス・キャロルを歌う若者たち、という設定で短い4声のアカペラ合唱があります。
このパートを託されたのがオペラjrのLe Groupe Vocal だったのです。
彼らは先日の記事にあるように、「嵐が丘」の練習をこなしつつ、本番の前日には別のプログラムでラジオ出演生演奏をしてきました。
アカペラである上に、最後に登場するバス・クラリネットの不協音との摩擦で音程上微妙で難しいパートでしたが、彼らのさわやかな歌声はたくさんの拍手を浴びていました。
「嵐が丘」は復讐劇なだけに、ハーマンの音楽もヴァイオレンス度の高い部分やスリリングな部分が多く、亡霊のシーンもミステリアスな雰囲気が出ています。不協和音や大音響もあちらこちらにあり、騒がしいと思う人もいると思いますが、私としては音楽的に楽しめました。
ハーマンの音楽は情景を浮かび上がらせてくれるので、それは素晴らしいことだけれど、やっぱり演出とともに楽しみたかった。これは大半のお客さんの感想だろうし、メディアの批評も同じ意見でした。
まあ、作品として「オペラの大きさに達していない。」とかいう批判もいろいろありましたけどね。
予算の問題や時間の問題で演出つきの上演が簡単にはできないということはわかっていますが、やっぱりオペラのコンサートバージョンほどおもしろくないものはない!と思います。
ラジオフランスのフェスティバルでは無名の曲、忘れ去られた曲を演奏するという目的意識は高いのですが、そこをなんとかあと一声、というところですね。だって今年のプログラムでは、オペラのコンサートバージョンが普段以上に多かったんだもん、、、。
ちなみに指揮者のアランは、「ハーマンは映画音楽を書くのと同じようにこの作品を書いたんだと思う。その結果、楽器の音量やオーケストラと歌手とのバランスの面で少々問題がある、、、、。」と指摘していました。指揮者ならではの苦労話ですね。
めずらしい作品ということで、各国からのプレス、批評の方々が来ていますが、どうやら日本から来ていらっしゃる人もいるようでした。どんな感想を抱かれて、どんな記事を書かれるんでしょうか、、、。
コンサートが終わってから、いくつかの批評記事を読んだんですが、一番話題として取り上げられていたのがイザベル・リントン役を務めたマリアンヌ・クレバッサ(Marianne Crebassa)。実は前にも彼女のことをブログで書いていますが、彼女はモンペリエのコンセルヴァトワールで学んだメゾ・ソプラノ。学業を終えたばかりでまだまだ若い子です。数年前にクリング氏の目にとまってから、ちょくちょくと小さな役やコンサートでのソロなどを与えられていました。
が、今年のこの役は今までとは違って大役だったのです。単に歌う部分が多いだけでなく、ドラマチックな要素が求められるパート。
さらには作曲家が楽譜に「できるならば歌手自身が演奏してほしい。」と書き込んだように、イザベル・リントンがピアノに向かって弾きながら歌うという場面が設定されており、マリアンヌがコンセルヴァトワールでピアノも学んだということを知っているクリング氏の判断から、彼女はステージ上にセットされたコンサートサイズのグランドピアノに向かってピアノ弾き歌いということもやってのけたのです。
このことが聴衆やメディア、プレスからの大好評をかい、しかも若くてとってもきれいな子なので、誰もが「これからの彼女が楽しみだ。」とか、「これから彼女の名前をよく聞くようになるだろう。」ととっても好意的なフレーズを彼女に贈りました。
彼女はモンペリエでの学業を終え、来シーズンからパリのオペラ座バスティーユのオペラスタジオに研修生として受けいられることが決まっています。
輝かしい未来が待っていそうですね。
2010年7月19日月曜日
ラジオ生出演
今回のラジオ番組生出演生演奏もそうでした。
これはラジオフランスのフェスティバルの一環でのことなのですが、今年のフェスティバルのプログラムを紹介する番組に、オペラjrの若者グループ Le Groupe Vocal とともに出演してきたのです。と言っても、私はピアノ伴奏をしただけですけどね。
フランス最大のラジオ局、Radio Franceにはいくつもチャンネルがあるわけですが、フェスティバルのプログラムの大半をどれかのチャンネルで中継生放送、もしくは録音放送を行っています。
フェスティバル一週目の今週は、クラシック音楽を主に扱っているチャンネルFrance Musique がLe magazine de l'été de France Musique と題した番組をもうけて、火曜日から土曜日の5日間、毎日18時から、モンペリエの美術館 Musée Fabreにて、フェスティバルに登場するミュージシャンを招いて、トークと演奏を交えた番組を放送したのです。
その第一日目である7月13日火曜日に招かれたのが、チェロとコラという民族楽器によるユニークなドゥオ Sissoko&Segalというグループ、オペラ「Andromaque」の演出家と音楽学者、ピアニストGiulio Biddau氏、そして14日の水曜日に本番のバーナード・ハーマンのオペラのコンサートバージョンに出演する指揮者アラン・アルティノグル氏(Alain Altinoglu)と歌手二人、そして同じくそのオペラの中で唯一の合唱パートで出演するオペラjrのLe Groupe Vocal だったのです。
番組は18時から20時の二時間の生放送。
公開生放送なのでお客さんも聞きにこれます。しかも無料。
アーティストはみんな勢ぞろいするわけではなくて、前もって割り当てられた時間帯に来て、美術館の中庭にセットされた特設ブースのステージに上がって、トークと演奏をするのです。
会場はこんな雰囲気。
真ん中の木がとっても邪魔ですが、ラジオ放送なのでまあよしとしましょう。
Le Groupe Vocal は19時すぎに登場。
6月のコンサートで歌ったチェコの作曲家マルティヌの曲を演奏しました。
民謡に根差した音楽なだけあって拍子は常に変化するくせものの曲ばかり。いつもは原語で歌うのが原則のオペラjrですが、今年の6月はいろいろとあって時間が足りなかったことから、チェコ語で歌のは断念して英語で歌いました。
まずはアカペラ4声の5曲だったので私はお気楽。
続いてソリストと私で4曲演奏。
とっても短くて素朴な唄ばかりなのですが、拍子・リズム的にも難しい曲。
私はソリストたちが、ラジオ生放送ということでもっと緊張したりするのかな、と思ってましたが、さすがはフランス人。そういうところは強いですね。あっぱれ。みんなとてものびのびと歌えました。
最後は全員とピアノで4曲。
この作品はもともとピアノとヴァイオリンによる伴奏なのですが、いろいろな都合からコンサートでもヴァイオリニストなしで演奏しました。私が勝手にピアノパートとヴァイオリンパートをまぜて適当アレンジをしていたのです。
この「適当」というのが本当の話で、6月のコンサートですら、私は厳密に自分が何を弾くかはっきりと決めないままに本番を迎えてしまっていました。変拍子であちこちとびかうヴァイオリンのパートを適当に取り入れていたわけですが、このラジオ出演の前日になって、ようやく私も重い腰をあげ、「それなりに自分が弾く音ぐらいきちんと決めておかないと、、、、。」と楽譜をじっくり眺めたわけです。
もうかれこれ数年、モンペリエで演奏するとき、もうまるで緊張することがなくなっている私ですが、リラックスはよしとしても、全国生放送ですしね、やっぱりきちんとしておかないと、、、と思ったのです。
無事に終わってやれやれでしたけど。
さて、トークと演奏を交えた公開生放送ということだけあって、Le Groupe Vocal もしっかりとインタビューを受けました。
まずは合唱指揮のヴァレリー。
いつも華やかな彼女は、インタビューにも上手に応えていました。
そして若者たち。
リハーサルの時に「誰にインタビューしたらいいですか?」とアナウンサーに聞かれた時には、「私は嫌だ。」とかはっきりと拒否した子たちもいたのですが、結局前もって選ばれていた2人プラスアナウンサーがフェイントで指名した1人の計3人がインタビューを受けました。
彼らがリハーサルで「受ける質問は前もって教えてもらえるものなんですか?」と質問して、「いや、前もって教えませんよ。」と言われていたように、インタビューは完全生なわけです。
そのわりにはみんな自然体で上手に応えていたなあと思います。こんなところもさすがフランス人。変に声が高くなるとかかっこつけるとか、まるでないんですよね。彼らには。笑いもまじえながら和やかなインタビュータイムでした。
アナウンサーも、こうして普通の若者たちをゲストとして招くのはめずらしいことなので楽しく感じてたみたいで、時間を気にせず結構おしゃべりが続いていました。
その横で、実は次の出演のためにスタンバイしていたのがピアニスト。
彼は結構ピリピリとシリアスな雰囲気だったので、私もさっさとイスから立ち上がって彼にピアノをゆずりましたが、、、。
ちょっとイライラしてましたね、彼は。(笑)
キューが出たらすぐさま演奏するわけですから、、、。
ま、こんな感じで楽しくラジオ生放送出演が終わりました。
テクノロジーはすごいなあと改めて思ったのが、今回の放送はインターネット上でも生で聞けたということです。そのおかげで私の両親は日本にいながらにして、同時生放送を聞けたようです。私はインタビューを受けませんでしたけど、私の名前を2回ほど呼んで紹介してもらい、フランス流の発音がウケたようでした。
生で聴けたのはもちろん、さらに1ヶ月の間はサイト上で自由に番組が繰り返し聞けるようになっています。
おかげで私も放送を家に帰ってからすぐに聞けたのですが、ちょっと不満に残ったのが音響の処理の仕方。
私たちにとっては野外のステージでの演奏で、スピーカーから音が聞こえてくるわけでもなく、あたり一面にマイクはありましたが、リハーサル中に音のチェックなんて気にもしてなかった私たち。でも音響がなんだか特殊で変だね、、、なんて思ってたんです。
それが放送を聞いて納得。かなりのエコーやらなんやらがかかっていたんですね。だから私のピアノなんてなんだか別のところで弾いている電気ピアノみたいな感じで、みんなはカラオケで歌ってるみたいな印象を受けました。私は若者の自然な声が好きなので、このエコーはちょっと残念でした。。。ま、天下のラジオフランスに文句言っても仕方がないですが。
ともあれ、興味のある方はFrance Musiqueのこちらのサイトから聞いてみてください。le mardi 13 juillet の番組です。1時間18分くらい経過したころに私たちが登場します。
2010年7月14日水曜日
Le Festival de Radio France et Montpellier Languedoc-Roussillon 25e

2週間半に渡って、オペラ、シンフォニー、ピアノをはじめとするソリストや室内楽といったクラシック音楽のあらゆるジャンルはもちろんのこと、ジャズ、民族楽器の演奏、エレクトロミュージック、レゲエ、などのさまざまなジャンルの音楽のコンサート、さらには音楽にまつわる映画の上映や講演会など、催し物が盛りだくさん。
しかも毎年言ってますが、その90%以上が入場無料というのがすごい。
モンペリエ市、モンペリエ・アグロラシオン(地域周辺共同体)、そしてラングドック・ルシオン地方が一体となって、この音楽と言う文化の発展と普及に貢献しているのがよくわかります。
だからこそフェスティバルの名前も単に「Festival de Radio France」ではなくって、モンペリエとラングドック・ルシオン地方の名前を冠しているわけです。
そして地域の協力を勝ち得て、ラジオフランスをパリからモンペリエにやってこさせたフェスティバルの創設者であり現在もディレクターあるルネ・クリング氏(René Koering)の功績は大きすぎて、「あっぱれ」としか言えませんね。
この時期の彼を見ていると、このフェスティバルを誇りに思っていると同時に、彼自身も楽しんでいる感じがうかがえます。
さて、私はというと4つのオペラコンサートの字幕操作を担当し、そのうち2つは私が字幕のファイルを作り、オペラjrも3つのコンサートの参加するうえ、ラジオ番組に生出演することも決まっていたので、例年以上に仕事があって、毎日なんやかんやで参加することになりました。
すべてのオーガニゼーションをとりしきっているコリンヌをはじめ、スタッフとも再会して、ああこの時期がまたやってきたんだなあと感じました。
フェスティバルのために働くスタッフは、普段はパリやモンペリエやまた別の地で働いている人がほとんど。そのみんなが集結して、フェスティバルの期間は休みなしで働きます。それはそれは大変なことでしょうが、この時期だけの、この時だけのイベントに参加するというのは、特殊なムードを生み出すもので、スタッフ間にとてもいい雰囲気があるのが私は好きです。
まあ、モンペリエ以外の土地から来る人に関しては、夏だ、南フランスだ、青空だということで普段とは違うバカンスムードがあるというのも否めないでしょうけどね。
私がそんな舞台裏を楽しむのはもちろんですが、仕事の合間をぬって、コンサートに行って楽しむこともできたらなあと思っています。
とにもかくにも、モンペリエ周辺にお住まいの方にはぜひともお薦めのフェスティバルです。
お昼から24時まで、どこかしらで何かやってますから足を運んでみる価値おおありです。
全部のプログラムが載せられた冊子も最近できて、観光案内所でもゲットできますし、サイトをチェックすればいつどこで何がやっているのかわかるし、アーティストの情報もゲットできます。
http://www.festivalradiofrancemontpellier.com/
それではまた!
2010年7月7日水曜日
Molière
明日は38度まで気温が上がるとか言ってる。。。
さて、もう7月も一週間が過ぎてしまいました。
毎年恒例のラジオフランスのフェスティバルの話題に入る前に、少しでもたまっている記事をアップしておけたらなあと思っています。
もう2カ月も前の話ですが、優れた演劇の舞台作品や出演俳優に贈られるMolière モリエールという賞の話をしていたのを覚えていますか?その中のカテゴリーで子供や若者を対象とした作品を「Jeune Public」と言うのですが、私はそのセレモニーに参加したのでした。
セレモニーに前日に会場へ足を運び、ホスト役のディレクターさんたちと顔合わせをしたときのことはお伝えしたので、今日はセレモニー当日の様子です。
前日には普段通りの姿だった会場が、当日の夕方にはいろいろと飾りが施されて、小さな劇場ながらもセレモニームードが高まっていました。中でも「おお!」と思ったのが赤いカーペット!
別に誰がここを歩いてどうのこうのというわけではないけれど、一応正門から正面玄関まで、赤いカーペットがしかれていたんです。
ホール内部に入ってみると、今度はこの季節の花である「ココリコ」で飾られていました。フランスでは春になるとどこでも見かけることができる赤いシンプルなかわいい花ココリコ。これはケシの花なんですね。私は日本で見たことがありませんでしたが、こっちにきてからのお気に入りの花の一つです。
白いブランコにも、黒いピアノにも、意外と赤いココリコが似合っていて、シンプルでささやかながら、まずまずのデコレーションかなと思いました。
ホールに内には何やら関係者の方たちがいて、みなさん大事な役職や役目がある人っぽいですけど、こっちからいちいちと「どなたですか?」とも聞けず、「こんにちは~、私、今日のセレモニーでピアノを弾く者です。。。」と自己紹介させてもらい、みなさんが温かく迎え入れてくれました。
どうやらマグロンの市長さんや、パリからやってきたモリエールの組織のえらいさん、そしてスペシャルゲストの俳優さんたちのようでした。
みなさんはセレモニーを目前に控えて大事な打ち合わせを続行中。
それをわきめに私は今更ピアノを触ったところでどうにかなるものでもないし、、、というタイプなので、ひたすら観光者ぶっていました。
そしてテーブルの上に置かれた金色に光るものに注目した私。
皆が準備にせわしく走り回っている中、一人カメラを手にして舞台に上がって至近距離から撮影。
そうです。これがモリエールのトロフィーです。
ハリウッドのアカデミー賞ならオスカーのトロフィーといったところですよ。
もちろん、サイズはどのカテゴリーにも同じものですから、これまでにフランス演劇界を代表するそうそうたるメンバーがこのトロフィーをもらってきたのか~、と感慨深く、まじまじと見ていました。
入賞作品を紹介する子供代表や、ブランコにのって揺られるおちびちゃんたちも、最終チェック。
そんなこんなで、セレモニー開始の15分間になりました。
言われていた通り、私がスタンバイすると舞台のカーテンが閉じられ、お客さんたちの入場開始。そして私のピアノ演奏開始。
セレモニーに開始までの15分間くらいと言っていた演奏時間ですが、遅れてくる人がいるのはいつものことで、誰ももうすぐ終わりと言いに来てくれないから、私は一人ひたすらと用意してきた曲を弾き続けていました。
軽く倍の30分にはなったかと思います。式の開始をドキドキして待っていたのはホスト役のディレクターさん。私の横でそわそわと落ち着かない様子。
それもそのはず、だってこの劇場の歴史に大きく刻まれる一大イベント。しかもパリからもえらいさんたちがきて、テレビ放送に使うために最初から最後まできちんと撮影されるのですから。
そこへこういった環境にはなれっこのスペシャルゲストの俳優さんがやってきて、私に「ワルツでも弾いてよ。」と注文してくる。私もすぐには曲を変えれないから、「この曲が終わったら弾きます。」と言って待ってもらって、しかもワルツはさっき弾いたばかりで他には用意してきていなかったもんだから、4拍子の曲をむりやり3拍子にアレンジしてなんちゃってワルツを演奏。
すると俳優さんとディレクターさんが私の横でずんちゃっちゃと踊りだしました。
そんなこんなでようやくセレモニーの開始となりました。
さっきまで緊張していたディレクターさんのあいさつでスタートなので、私は演奏をフェイドアウト気味にシンクロナイズさせて終了。
こういった公式のセレモニーではどこの国でも同じ感じ。
来てくれた人を歓迎する言葉、お礼の言葉が続き、そして「jeune public」にかけるこのマグロンヌの劇場のモットーや情熱などを述べられて、えらいさん方のスピーチへと移りました。
ここでまた私のお役目。
ディレクターさんが、「マグロンヌの市長、○○氏!」と言うと、私はなんちゃっての短いオリジナルパッセージを弾いて、市長さんが壇上に上がるのに合わせて弾きます。
市長さんがスピーチを終えて拍手がわきあがると、またなんちゃってのパッセージで彼が自分の席に戻るのを音楽でお供。
モリエールの組織のえらいさんとかのスピーチもあって、計4回のなんちゃってパッセージ演奏。
これは我ながら気に入って面白がりながら弾いておりました。
なんせ、私一人舞台の閉じられたカーテンに隠れたままですから、気楽です。
4人目、最後のスピーチが終わると、いよいよ入賞作品の発表、紹介です。
ここで私が新たにピアノ演奏を始め、それと同時にカーテンが開かれました。
私とお客さんの出会いの瞬間です。
というか、お客さんにとったらカーテンの向うから聞こえていたピアノの主が黒い髪のアジア人だったというのは、意外とちょっとした驚きだったり予想がいのことだったりしたりするんでしょうか。
私の演奏と同時に小さな女の子4人が客席から壇上に上がってブランコに座ってこいで、舞台上のスクリーンにはココリコの花の映像が映し出されました。
この場面にディレクターさんが選んだ曲というのが、シューマンの子供の情景の第一曲「異国から」でした。私も慣れ親しんだ曲ですから暗譜で繰り返しとかも適当にしながらリラックスモードで終了。
ここで一旦私は引き下がりました。
舞台上では子供代表とスペシャルゲストの俳優さんが入賞作品を紹介。
アカデミー賞でも見られるように、作品名が読み上げられて、作品の抜粋がビデオ映像で紹介されました。
その間、私は舞台袖で舞台技術のお兄さんとなぜかそこにいたおちび二人とぼーっと待っていました。
おちびには「あなたがピアノを弾いていたの?」とか聞かれて、「そうだよ~。」と答えたり、何気ない会話をひそひそ声でしていました。
すると、おちびのうちの一人に出番がやってきました。
実はその子はパリから来たえらいさんの娘さんで、今夜の受賞作品の名前が入った封筒を舞台まで持って行くという大事なお役目があったのです!
白いワンピースを着た彼女が舞台に現れると、「あら~、かわいい!」と言った感じで笑いと拍手が沸き起こりました。
受賞作品が発表されて、出演者、スタッフが壇上に上がり、喜びのスピーチ。
会場は大いに盛り上がっているわけですけど、なんせ私は舞台のそでにいるので、誰の顔も見れないし、誰がなんだかまったくわからないまま時間が過ぎる。
そして打ち合わせではあまりはっきりしていなかったけれど、私の演奏でセレモニーが終了と言われていたので、もうすぐかな?もうすぐかな?とスタンバイ。
でも、「こうなったら舞台に出てきてね。」と言われていた状況にならないので、舞台袖にいた舞台技術のお兄さんにも質問。「あの~、私はいつになったら舞台にでないといけないのかわかりますか?」
彼は舞台正面の音響ミキサー室にいるチーフに質問。
結局、誰もはっきりとわかっていなかったうえに、舞台上の展開が予定と違う風になっていたもんだからてんでわからない。ここはもうフィーリングで、ということで、なんちゃっての私の再登場。
ピアノの席についたはいいけれど、「こうなったらピアノを弾いてね。」と言われていた状況になる気配がない。。。。。
しかも予定にはなかったのだけれど、「意見交換の場にしようではないですか!」と言いだした俳優さんのリードで、セレモニーはそのまま討論会の様相に。
「あれ?このままではどうしたらいいんかな???」と思いだしたところで、一応受賞作品のスタッフたちが舞台から降りようとしたのを見て、「いまだ!」とタイミングをとらえて最後のピアノ演奏に入った私。
するとそこで、「あら、そうだったわ!」と言わんばかりに、緊張してテンションあがりっぱなしだったホスト役のディレクターさんが、私のことを紹介してくれました。
私の演奏に合わせて、また俳優さんがディレクターさんをダンスに誘い、そんなこんなでセレモニーは終了。
演奏後には私にも温かい拍手をいただいたので、私も「どうも~。」とお辞儀をさせてもらいました。
さて、セレモニー自体が終了すると、今度は立食パーティーのソワレに突入です。
私は一人だったけど、うろうろとしながらワインやおいしいおつまみやデザートをいただいていると、左から右から、いろんな人が声をかけてきます。
モリエールの組織のえらいさんマダムもわざわざ私のところまでやってきてお礼を言ってくれました。
お客さんたちも「ブラボー。」とか「メルシー!」はもちろんのこと、「暖かくて素敵な演奏だったわ。」とか「素敵な選曲だったわ。」とかいうちょっとしたコメントをくれる人、さらには私の身の上話まで発展する会話を持ちかけてくる人も数人。さすがフランス人、さすが南フランス人。みんなおしゃべりの術にはたけてますよ。
子供からお年寄りまで、女の人から男の人まで、いろんな人がリアクションを見せてくれて、とてもいい感じのソワレとなりました。
中に一人、「よくぞ弾ききった!素晴らしい。こうでなくっちゃね。周りが予定と違うことを始めてもやるべきところでやらないとね。」と事情を知っているようなムッシューが声をかけてきました。態度や服装からしても、この業界のえらいさんぽいけど、私は誰が誰なのかまったくわからないまま。
幸い、オペラjrで一緒のEが、「あれはシャトー・ドーのディレクターよ。」と教えてくれました。
うん、やっぱり業界のえらいさんたちはいるところにいるもんです。
私がしていることも、どこで誰が見ているか、見てくれているかわからないもんだということか、と思いました。
飲み物の食べ物もひと通り頂いたところで、一人身だし、これ以上話すことも話す相手もいないし、ということで帰ることにした私。ディレクターさんをはじめ、えらいさん達にこの日のお礼を述べて会場を去りました。
2010年6月19日土曜日
新しい職業?
なんてことでしょう。昨年末に日本に帰省してからというもの、あれよあれよと仕事をこなしているうちに6カ月が過ぎてしまいました。あっという間でした。。。
フランスでは学校やスペクタクルの世界は9月始まり6月終わりのサイクルなので、ただいま年度末なわけです。高校3年生は今週バカロレア(高校卒業資格のような全国統一試験)を受け、中学生3年生にはまもなくブルベといわれる高校入学資格のような全国統一試験があり、さらにあらゆる方面で年度末の行事が行われます。その他の子たちはもう半ばバカンス気分。大学生はすでにバカンス。
みんなが「vivement les vacanaces !」(バカンスが待ち遠しい!早く来い来いバカンス!)と叫んでます。
私も例にもれず恐ろしいスケジュールの5月と6月をくぐりぬけ、「あと少し!」と言い聞かせてるところです。
そんなわけですっかりブログが停滞していましたが、お伝えしたい話はたまる一方。
もともと日本にいる家族や友人に近況報告をするつもりで始めたこのブログですが、今やあちらこちらでこのブログをのぞいてくれてる方がいるんだということがわかりました。いろんなキーワードでインターネット検索してたら何気にここにたどりついた、って方の声をちらほらと聞きます。
そんな方の中からこんな突っ込みをいただきました。
「leonardoのブログで『続きはまた今度!』というのがよくあるけど、その続きを楽しみに待ってるのに続きがない!!(by Yさん)」と。(笑)
確かにそのパターンが多いような、というかそのパターンでブログが停滞することばかりのような気が。。。
でもたまってる話は時間ができたら必ず、話の続きも含めてお伝えしますからね!
さて、今から一カ月ほど前のことでしょうか、7月にモンペリエで開催されるラジオフランスのフェスティバルの事務長さんからメールが来ました。
「元気ですかleonardo?今年も4つのコンサートで字幕操作を担当してもらうことで了解ずみというのを確認しました。が、実はそのうちの二つのコンサートのために、leonardoご自身で字幕のファイルを制作してもらうことは可能でしょうか?楽譜上で字幕のキュー出しのわりふりをし、文字数、バランスなどを考慮しながらパワーポイントでファイルを作成してもらう作業です。」との依頼でした。
普段、私がオペラ座やフェスティバルのために字幕操作の仕事をするときは、すでに翻訳の作業とパワーポイントの制作の作業が完了済みで、私はただキュー出しの指示にしたがって音楽を実際に聞きながらパワーポイントのページを変えていくという仕事をしているだけです。今年のフェスティバルでもこの仕事をすることは、1月末の段階で決まっていました。
どのオペラ座でも字幕操作を担当するピアニストがしている作業はこれのこと。誰もその字幕のファイル作りには関わっていないはずです。
しかし今回、なぜか私にそれをやってくれないか?という話なわけです。
もちろん翻訳の作業は別の人がするか、すでに存在しているものを使うので、私の仕事は楽譜と訳詞が材料。
正直、やったことがない作業だし、フランス語の文章のバランスを字幕という観点からそれなりに修正したりもしなきゃいけないということで、私の母国語じゃないし、、、とためらいはみせながらも、「どうするべきなのか、何がもとめられているのか、というのはだいたいわかりますので、十分な時間を与えてもらえるのならやってみたいと思います。」と答えました。
この仕事をするにあたって、パワーポイントが扱えて、楽譜が読めて音楽がわかって、そして必要なときにはフランス語をコンパクトにまとめることができる、というのが条件なわけですが、はっきりいってそんな人、他にも見つけられるだろうというのが私の正直な感想です。なんせ依頼主はラジオフランスのフェスティバルですからね。彼らはフランス最大のラジオ局「Radio France」なのですから、そういった人材や人脈には困らないはず。 お金だってあるだろうし。
そこがなぜかモンペリエの外国人の私に話が来た。
私がコンサート当日に字幕の操作をするということが、彼らにとって何か都合がよかったのだろうか、、、?それともモンペリエにいるということが有利なことだったのだろうか、、、?
いずれにせよ、「私は未経験者で外国人ですから!」と改めて言っておいたので、「やっぱり別の人にしてもらうことになりました。」という連絡がきて当然と思っていました。
そしたら数日後、「お返事ありがとう!」と言ってきて、報酬や提出期日に関する具体的な仕事契約内容についてのやりとりに進みました。
そんな中で「ギャラは著作権として支払うということでいいですか?」と聞かれたのです。
7年前の私なら、仕事上で相手が言ってくることになんでもOKしてしまっていたでしょうが、フランスで仕事をしているなかで学んだことは数知れず。「著作権?ちょっとまてよ、、、」と思い、周辺の人たちにアドバイスを求めました。
するとやっぱりいろいろなからくりが潜んでいることがわかりました。報酬の額面の値段と手取りで残る値段と、さらには社会保障のパーセンテージなどなど。雇い主側の損得と雇われ側の損得とがいろいろとあるようです。
まあ、私の身分、私の労働環境がけっこう特殊なために、厳密なところまでは把握できてないんですけど、今回のところはとりあえず「著作権ではなくて給料として報酬をいただきたいです。」とお願いすることにしました。
それから提出期日についても、6月いっぱいまでといわれたのですが「今、コンサートとかいろんな仕事を抱えているし、初めての仕事ということで、もう少しだけ日数をもらえたら落ち着いてきちんと取り組めるので助かりますが、、、。1週間プラスしてもらえますか?」とお願いしました。
結果的に両方ともOK。
期日については「わかりました。ただもし何かあったら直ちに知らせてくださいね。フェスティバルの開始直前になってトラブルが判明ということだけはごめんなので。」と言われました。
これには「もちろんです!」と応えて気持ち良く交渉成立。
おもしろいのは、今回のやり取りの中で、私が「やったことありません。」というスタンスを出して、「私にはこの仕事は楽々できます!おまかせください!」という姿勢ではなかったことから、相手方にいろいろと気遣いをしてもらったこと。というか、単に心配させてしまってるということなんだろうけど。
例えば、私が念のためにと思って、打ち込む文字のポリスの種類や文字の大きさについて質問をしたら、「あなたの方が普段から現場にいるわけだから、あなたの方がいろいろとご存じでしょう。」と言ってきて、「誰かアドバイスを頼める人はいないかしら?モンペリエのオペラ座の人たちとはどうかしら?」と心配され、「昨年の字幕ファイルを送ったら参考になるかしら?」と気遣いをしてもらいました。
「ちょっと待って、、、、、あ、私の手元に○○と△△と□□と、、、、があるけれど、、、、、、。」と言うので、「いえいえ、一つだけでも送っていただけたら参考になって助かります!」と言いました。
しかも私にとったら、この仕事に関してアドバイスを求められる人というのは、モンペリエのオペラ座でいつもこの仕事をしているJ=M。
早速会いにいって、「実はね、フェスティバルのために私が字幕のファイルを作ることになったのだけど、2、3、質問してもいい?」とお願いしました。
そしたら彼は「パワーポイントの使い方は知ってるの?」というから、「まあ、だいたい。」と応える私に、「全然ってことか。」というんです。(笑)
みなさん、わかってもらえるでしょうか?ここに日本とフランスの違いがあるんです。自分の能力についてしゃべるとき、日本人なら確実なこととか自信があること以外は、見栄をはることは避けて正直に、さらにはちょっと控えめに謙遜も含めて話すと思うんです。
でもフランス人はアピールがすべてです。自分にはこれができるあれもできる、というのを見せるのです。まあ、それならいいことなんですけど、実は落とし穴があります。
例えばよくある例で、英会話力について比較してみます。
日本人に「あなたは英語をよくしゃべれますか?」と聞くと、「少しは。」とか「基本的なことは。」とかいう返事が多くて、そこに「発音下手ですけどね。」とか「旅行で困らない程度。」とか付け加えられます。
どんなにペラペラでネイティブ並みに話す人でも、「英語を上手にしゃべれるか?」という問いに、「はい。」とシンプルかつ100%肯定の返事をする日本人はあまり見かけないと思います。
ところが一方フランス人に同じ質問をすると、「まあ結構やりくりできるかな。」とか「まあ、結構できるかな。」という返事が結構多いのです。
でも実際は、「少しは」と答えた日本人のほうが、「まあ結構やりくりできてる。」と答えたフランス人よりもずっとか上手に英語を話す、ってことがほとんどなんです。(笑)
おもしろいですよね。
そんなことがあるので、私がパワーポイントを扱えるかという質問に関して、私はパワーポイントで実際にファイルを作成したことはないし、パワーポイントを使って発表とかしたこともないし、ただ一度だけパワーポイントの翻訳をしたことがあるから、どういうものかというのは知っているので、「だいたいはわかってる。」と答えたのは事実なのです。
でもそしたらJ=Mは「全然てことか。」なんていうから笑えちゃいました。
まあ、意地悪でもなんでもなくって、「おいで。」と言って彼のパソコンで実際の字幕ファイルを見せながら説明してくれたのです。
ただ彼も「leonardoがファイルを作るの?!」と驚いてましたけどね。
その数日後、例の事務長さんからまたメールが来て、パリに住むこの仕事のプロの連絡先をくれたのです。「先日あなたに送った過去の字幕ファイルはこの人が作ったものです。彼女は私たちのために何年も前から字幕ファイルを作成している人です。もし質問や困ったことがあったら彼女に電話してください。あなたから連絡が来るかもしれないということは彼女も了承ずみです。」とのこと。
私はJ=Mの他にも一人、あちこちのオペラ座のためにこの仕事をしているRを知っています。彼はイギリス人なんですけど、ハンガリー語のオペラやチェコ語のオペラ、ロシア語のオペラの字幕とかも担当しています。
で、私はすでに数人の人が作った字幕ファイルを見てきたのですが、それぞれの人によって多少違う点とかあるわけです。だから私は自分も一番慣れていて仕事がしやすいJ=Mのバージョンにのっとってファイルを作成することにしました。
でもそれにしても、事務長さんの気遣いは親切ですよね。
逆に私が未経験者ということで心配させちゃったのかな?
ま、そんなこんなで怒涛のスケジュールに新たな仕事が加わったのでした。
しかも初めての仕事。
今回私が作成するのは、ダンディ作曲(Vincent d'Indy)のオペラ「L'Etranger」、レーガー作曲(Max Reger)のアルトと合唱のための「レクイエム」、そしてバーンシュタイン作曲の(Leonard Bernstein)交響曲第三番「Kaddish」の字幕ファイルです。
「カディッシュ」はかろうじてCD録音が存在しますが、いずれもメジャーな曲ではありませんね。「L'Etranger」に至っては完全に無名の作品。演奏会で耳にすることもない作品ですから、誰も知りません。あるのは楽譜だけ。
仕事を引き受けたのは3週間前ですが、作業に取り掛かりだしたのは三日前!(笑)
だって忙しかったんだもん。。。
今も忙しいけどさすがに閉め切りが近づいてきますからね。
それにフランス語に関しては、提出する前に誰か友人に一応チェックを入れてもらわないと。。。
日本語での仕事ならやっぱり勝手が全然違うなーと感じながら、土壇場で作業に取り掛かっている私でした。
2010年5月29日土曜日
メフィストフェレ
モンペリエ・オペラ座とモンペリエ・オーケストラの今シーズン終盤を迎えた4月29日、5月2日、4日の3公演がCORUMの大ホールで行われました。
http://www.opera-montpellier.com/francais/rep_MEFISTOFELE.html
この「メフィストフェレ」(Mefistofele)はプッチーニのオペラ台本作家として知られているアッリゴ・ボイト(Arrigo BOITO)が1868年に作曲した全4幕からなるオペラです。初演はミラノのスカラ座でした。
メフィストフェレスというのがドイツに伝わる悪魔の名前ですが、ゲーテが書いた戯曲「ファウスト」でも有名ですね。年老いたファウスト博士が悪魔メフィストと契約をかわして若さを手に入れてうんぬん、、、というストーリー。そもそも、この「ファウスト」という作品をもとにしたオペラがいくつか存在します。一番有名なのはグノー作曲のもの。一方、ボイト作曲の「メフィストフェレ」は、同じストーリーですが悪魔メフィストを主役において構成されたものです。ゲーテの「ファウスト」の中でも、グノーはオペラに使っていないギリシャ神話の部分もボイトは採用して第4幕にもってきています。
私はゲーテの「ファウスト」についての知識は全然なくって、ギリシャ神話もからんでいたというんは今回初めて知ったくらいの程度なので、このストーリーについてははしょらせてもらいます、、、。
さて、ボイトの「メフィストフェレ」が有名なオペラ作品かというと、いいえ、有名なオペラレパートリーとは言えないどちらかというとマイナーな作品です。かの名指揮者トスカニーニはこのオペラがお気に入りで、熱心に演奏していたそうですが、近年、このオペラを見たいと思っても、そう簡単にお目にかかれるわけではありません。
そんな作品と出会え、公演に関わることができるところが、私のモンペリエ生活のおいしいところ。この公演後にインターネットを調べていたら、熱心なオペラファンの方が日本からもわざわざモンペリエまで見に来ていた様子も発見。ね、それくらい、足を運んで一見の価値ある作品なのです。
ボイト作曲の「メフィストフェレ」の特徴は、男性の最低音歌手であるバス歌手が主役を務めるというところ。普通、ほとんどのオペラ作品ではソプラノ歌手かテノール歌手が主役を務めます。男性の低音歌手であるバリトンやバスは、よくお父さん役や王様の役なんかを受け持ち、登場シーンが少なければ歌うパートも少なめです。
そこが、この「メフィストフェレ」ではバスが主役で最初っから最後まで出っぱなしなのですからすごい。このオペラの公演の良し悪しはバス歌手の腕前にかかっているといってもいいでしょう。
さて今回、モンペリエ・オペラ座が公演したのは、オリジナルの制作ではなくって、数年前にベルギーのリエージュにあるワロニー王立歌劇場が制作した公演のリバイバルプロダクションです。指揮はベルギー人のダヴァン氏(PATRICK DAVIN)、演出は現在モナコ公国のモンテカルロ歌劇場のディレクターであるグリンダ氏(JEAN-LOUIS GRINDA)。
リエージュで初演したあと、イスラエルのテルアビブでも公演をしたそうですから、彼らにとっては今回のモンペリが3度目の公演先。以前の公演での歌手のキャストがどうだったのか知りませんが、モンペリエでメフィストフェレを務めたのはロシア出身のバス歌手コンスタンチン・ゴルニー氏(KONSTANTIN GORNY)。このオペラ内ではめずらしくセカンド役となっているファウストに、アルゼンチン出身のテノール歌手グスタヴォ・ポルタ氏(GUSTAVO PORTA)。
CORUMの大ホールは2000人収容で、客席も7階まである大きなホールです。ここでマイクも使わずに歌うオペラ歌手を聞くたびにすごいな~と感心するわけですが、やっぱりプロのオペラ歌手とはいっても、誰もがこういうサイズのホールで十分に響き渡らせれる声量をもっているわけではありません。その点、この二人のバス・テノールのコンビは十分なボリュームをもっていました。
合唱はモンペリエオペラ座合唱団とリエージュのワロニー王立歌劇場の合唱団による合同大合唱。なんといっても、このオペラでは大迫力の合唱パートがとても大事な役を担っています。
そして天使役として登場したのがオペラjrの児童合唱Choeur d'enfants。子供たちは今年度の過密スケジュールの中、アカペラの難しいパートを立派に歌って、指揮者、演出家を始め、関係者から称賛の言葉をいただきました。
迫力があったといえば、オーケストラピットにおさまったモンペリエ・オーケストラもそう。ほぼフルオーケストラの規模のミュージシャンがそろってましたからね。オーケストラピットっとあんなに大きくもできたのか、と初めて見ました。さらに舞台袖で演奏するグループもいて、的確な音響効果をねらっていておもしろかったです。
そんな感じで大迫力、大動員の舞台だったわけですが、やっぱり主役は圧巻メフィストフェレ役のゴルニー氏。
彼は歌唱力はもちろん、演技力もさえ、さらに素敵なのがその気取らずシンプルな人となり。オペラ界の裏事情をばらしてしまえば、こんな3拍子そろった歌手ってめったといないんです。(笑)当然、このゴルニー氏は舞台裏で働くスタッフからも一目を置かれ、慕われました。
あえて注文をつけるならば、このCORUMのホールでこの役を歌うには、あともうちょっと声量とパワーがあったら申し分なかったかな?でもそんなのないものねだりの一言にすぎません。
普段からのオペラファンのお客さんに加え、純粋に作品を見るために遠くから足を運んだ人、口コミでうわさをきいて足を運んだ人がたくさんいたのでしょう、平日2夜と日曜日の3公演ともほぼ満席。2000人収容のホールが3回ともほぼ満席というのはすごいこと。とくに「魔笛」とか超有名演目ではない「メフィストフェレ」がそれだけ集客したというのはすごいことです。ゴルニー氏、最後の通しリハーサルであるジェネラルの様子をご自分のホームページに早速のせ、ユーチューブで視聴できるようになっていました。
私がとった写真もまぜながら、今日は舞台の様子をざっとお伝えしますね。
グリンダ氏の演出は、現代的な素材をシンプルに使った感じのスタイルでした。
メフィストフェレスが赤色の現代の普通のスーツスタイルだったり、黒の皮ジャケットを着てたりして、そんなところもモダンなスタイルを強調してました。
演出をシンプルにしても、音楽自体がド迫力ですからね。ちょうどいいのです。
オペラの序曲が流れる間、舞台にはスクリーンが下りていてそこに青空と流れる雲が写っています。
間もなくして合唱パートが始まるのですが、雲の向こうから次第に天使たちが姿を現わします。
そして主役、メフィストフェレの登場。
この演出でのメフィストのテーマカラーは赤。
続いてちびっこ天使たちが登場。
こうしてエピローグが終了して、舞台はカーニバルへ。
写真でわかるかと思いますが、さっきまで天使の恰好をしていた合唱団が、ここでははなやかなお祭りの衣裳に変わっています。
そうなんです、この公演の目玉は総勢250人のスタッフが参加したということからわかるように、大がかりなスペクタクルな舞台。合唱団だけでも120人いるのですが、その人たちが休憩をはさまずにわずかな場面転換の合間に衣裳を変えるのです。そのためにたくさんの臨時スタッフをかかえて衣裳スタッフ、メークさんたちがフル回転。大道具さんも10人、小道具さんも3人いましたから、普段のモンペリエ・オペラ座の公演よりも大がかりです。
そんな裏事情はまた改めてお伝えしたいと思っています。
カーニバルの後に、ファウストが登場。
ステージ上には白塗りの板で三方に壁がおりてきて、ファウストの書斎となります。そこへ、不気味な笑い声とともにメフィストフェレが現れます。
この辺りのシーンがビデオで見れますからどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=eA4AMVgEVKs&feature=related
互いに契約を交わして絶大なパワーを手に入れた二人が、高笑いをしながら天にのぼっていきます。大迫力の音楽とぴったりマッチした舞台仕掛けが印象的なシーンでした。
この後、庭のシーンに入り、ファウストとマルゲリータ、メフィストフェレとマルタの二カップルがやりとりをしますが、はっきり言ってこのシーンの演出はいまいちでした。(笑)そのために写真もなし。。。こういうシーンにしては、このホールの舞台は大きすぎるんでしょうね。
続いて二人はメフィストが支配する地底の国にやってきます。
ここでは舞台上で実際に火を使っての火の玉が飛び交い、お客さんの目をひいていました。
もちろんスタッフが手作業でやってる技ですから、成功したりはずれがあったり。
このシーンもビデオにあります。
http://www.youtube.com/watch?v=cXH7fKzDOno&feature=related
続いて迫力ある合唱パートのシーンです。
メフィストフェレが世界を支配下に!といって饗宴。
このオペラの合唱パートは、迫力あるしアカペラあるし、超早口言葉もあるしで盛りだくさんです。合唱団のメンバーもいつもより楽しそうでした。
http://www.youtube.com/watch?v=crYaKve_GLg&feature=related
これで2幕が終了。
休憩です。
第3幕は、実の母親と子を殺した罪でとらえられたマルゲリータの嘆きのシーン。
鉄格子の無機質な舞台セットでした。
マルゲリータ役のソプラノ歌手はまだ若いアフリカ系アメリカ人のタケーシャ・メシェ・キザール(Takesha Meshe Kizart)。低音から高音まで、すごい幅の音域をもっているのが彼女の武器のようです。一口にソプラノ歌手といっても、この役を歌える人はそうそういないと思います。
続いて舞台はいきなりギリシャ神話へ早変わり。
トロイの木馬で有名なヘレナ(エレナ)がでてきます。
さっきまでのマルゲリータ役のソプラノ歌手が、ここではエレナ役を務めます。
舞台一面の煙や、実際に火を使って炎上する神殿が見えたり、さらにはワイヤーを使っての空中プレイもありで、演出的にもりだくさんだったんですが、個人的に私にはぴんときませんでしたね、このシーン。
私はもともとゲーテの戯曲をよく知らないからなおさらだったんですが、話の展開がどうも「?」な感じでした。長い長いゲーテの戯曲から部分部分を取り出してくっつけてはつないで、という作業の難しさを感じさせられますね。グノーのように、ギリシャ神話部分は取り除いたほうがシンプルですんなり話がまとまるというのは事実かも。。。
写真は衣裳なしの舞台稽古の様子です。
ちなみにワイヤーで釣らされている黒天使はオペラjrの男の子です。
オペラではこの後、再びファウストの書斎に戻ります。
そこで最後に悪魔の誘いを断ち切るファウストですが、ここの演出は照明と一帯となって好きでした。
ファウストの書斎の壁を作っている板が一枚取り除かれて、バックから強烈な白い光が入りこむのです。すでに合唱団も最初の天使姿に戻ってスタンバイ。
まさに天からさす光が作り出されていました。
合唱の登場とともに壁が取り除かれて天使が姿をあらわします。そしてちびっこ天使たちに追われながら悪魔メフィストフェレが葬り去られてストーリーはThe END。
この最後の大迫力のオーケストラと大合唱の部分で、お客さんは感情をゆさぶられて、さらにホール内の天井からお客さんの頭上にむけ紙吹雪が舞いおり、この一大スペクタクルは幕を閉じたのです。
2000人のお客さんの熱狂はすごく、毎公演5分以上に渡る拍手が出演者に送られました。
はっきり言って大成功の公演でしたね。私は今回のことがなければボイトの「メフィストフェレ」なんて知らないままいたことでしょう。トスカニーニが愛したオペラ。ふんふん、なるほど、彼はこのド迫力が好きだったんですね。
私ときたら、ざっとお伝えしますとか言っておきながら、やっぱりいつものように長くなっちゃいました。
ここで紹介したビデオはすべてもともとゴルニー氏のホームページにあるものです。
彼は今のりにのってるバス歌手の一人で、毎月一本のようなペースですごくエネルギーのいる大作に立て続けに出演されているようです。
えらそうなところが全くなく、とてもフレンドリーで素敵な人だったので、ちょっぴりファンになろうかな。
興味のある方はのぞいてみてください。
http://www.konstantingorny.com/
それでは、この「メフィストフェレス」の舞台の裏をまた追ってお伝えしたいと思います。
2010年5月13日木曜日
Concert des grands élèves
このコンサートは、私が働く音楽学校でそれぞれの楽器の上級レベルの生徒だけを集めてコンサートをしようという企画から始まったものでした。名付けて「Concert des grands élèves」。言いだしっぺはヴァイオリンの先生であるマチアスだったんですが、私の生徒に上級者が多いことから必然的に私は企画・運営のリードを取り出し、いつのまにやら私がまとめ役となっていました。
コンセルヴァトワールでもない私たちのような音楽学校で、上級者といっても、もちろん一般全体を対象としたレベル分けによる上級ではありません。あくまで私たちの学校内での上級者。つまり、モチベーションがあって練習もきちんとし、それなりに楽しめる曲を弾きこなせるようになってきた人たちが対象です。学校には大人の生徒さんもいるのですが、今回のコンサートでは始めからあえて大人は入れずに、中高生の思春期の子たちを対象として、先生側から見てこのコンサートで弾くのを提案してみようと自然に思える生徒、そしてその中で喜んで弾きたがるような子たちが選ばれました。
残念だったのが私たちが選んだ日があまり理想的な時期ではなかったということ。
もともと言いだしっぺのマチアスが4月を想定していたのが大きな原因ですが、まとめ役となった私の都合により選ばれたのが4月10日土曜日の夕方。実はこの日からパック(イースター/感謝祭)のバカンスに突入したのです。そのために前から旅行を予定していた家族は参加できなかったりしました。
それから私たちの学校ではいろんな合同行事が熱心に行われています。それぞれのクラスが発表会をすることはもちろん、年度末に学校全体の発表会があるうえに、地元の行事に参加したりもして、かなり過密スケジュールなのです。そのために準備する曲を数曲かかえて、本番の日もたくさんもってるギターのクラスの先生二人は参加するのを断念してしまいました。
この点は来年度以降、前もってふさわしい日を選んだりして改良を加えていくところですね。
そんなわけで、準備段階での問題もあったわけですが、なんといっても今回は音楽学校初めてのラヴェリュンヌのお城内部でのコンサートとなるうえに、音楽学校初めてのグランドピアノしようという、二大ポイントが売りです。
たくさんの人に聴きにきてもらいたいし、上級者だけを集めたということもあって、私は普段の発表会との違いをつけたかったから、忙しい合間をぬって、全員で通しリハーサルをしたり、現地リハーサルをしたりして準備をしました。
お客さんを集めるためにといって、私たち教師もピアノトリオとフルート・ピアノのドゥオで演奏することにしたわけです。まあ、だからといってお客さんが増えるかどうかは怪しかったんですが、やっぱり効果はあって、そのことを知って「聴きに行く!」と言ってくれた生徒、親御さんが結構いました。
さて、写真で当日の様子を追ってみましょう。
まずは学校の代表をつとめるFのあいさつで幕開け。
用意できた客席はだいたい110席くらい。 瞬く間に席はうまりました。演奏する生徒の家族、先生はもちろん、生徒が出ない先生や、子供が演奏しない親、さらにはラヴェリュンヌの住人も何人か来てくれたんです。
プログラムにはピアノソロはもちろん、ピアノ連弾やヴァイオリンやフルートとピアノのドゥオあり、
ヴァイオリン2本やフルート2本によるドゥオあり、
チェロもあり。
大半はクラシック音楽ですが、中にはジャズや映画音楽、そしてロックもありました。
前半の最後に弾いたのがロックギター少女。
彼女とは今回初めて接したのですが、典型的な思春期のロック少女と言う感じで、口数少ないんですが、周りに雰囲気があるんですね。
彼女はレッド・ツェッペリンの「Stairway to heaven」をエレキギターで弾きました。
実は私はリハーサルで彼女の演奏を聞いて、すっかりファンになってしまいました。
もちろんちゃんと弾きこなしていて暗譜で演奏してくれたのですが、ちょっとした間とかを上手にとるんです。いや~、こんな子が学校にいたと知って単純にうれしかったです。
前半終了して休憩。
音楽学校側から無料で飲み物の提供です。
大人も子供も、みんなワインやジュースを片手にお城の庭でおしゃべり。
生徒や親、みんな年齢も世代も関係なく自然とおしゃべりがひろがっていく様子を見るのはとても楽しいものです。
なかなか途切れないおしゃべりなので、「第二部開始しま~す!」と宣言して、みんなに中に戻ってもらいました。
今回、実はお城のホールでのコンサートということで、普段とは違う約束をしたことがあります。
それは演奏者の服装。
いつもの発表会では、もうみんな思いっきり普段着のままの子が多いんですが、今回は「それなりにかわいらしくきちんとした服装にしましょう。」とお願いしたんです。
日本でのピアノの発表会とかって言うと、ちびっこも学生もみんなはりきって新調の服装でやってきますが、ここはフランス・モンペリエ。
彼らは「それなりの恰好」という恰好をしたことはほとんどないうえに、そんな服はもってなかったりして当然なのです。だから一応私も「わざわざ買うようなことはしなくていからね、もちろん。」と付け加えて、「できることならジーパンにバスケットシューズとかは避けましょう、、、、。」と言っておきました。
すると、やっぱりかわいく決めてきた子もいましたいました。
普段ズボンしかはかないこも、こんなスカートで。
男の子コンビはシャツと黒めのジーンズと新しいスニーカーというスタイルで決めてきてくれました。
最終的に一番張り切ったのは、18歳の男の子A。
私とピアノをして3年目の彼は、超マイペースでおおらかな子。
きちんとした練習は全然してくれないんですが、2年前に私があげたジャズの曲をたいそう気に入って、フィーリングたっぷりに弾いてくれたことから、すっかりジャズ路線に入ってしまいました。
テクニック的には上級者というには遠いのですが、のりのりで楽しんで弾いてくれる姿は、他の生徒に見せたかったから参加してもらったんです。
このA。普段からなにかと笑わせてくれるんですが、この日現れた彼の姿を見て私は「!!」
なんと、ビシッとスーツ姿で現れたではありませんか。ネクタイまでしめて、皮の磨き上げられた靴。
私が「すごいやん~~!!」というと、「実は買ったんだよ。」と言う。「え~~~!まじで~!」と思わず騒いでしまったけど、彼が「どのみちいずれ必要になるし、きっかけになっただけだよ。」という。
まあ、確かにそのうち就職活動とかでも必要になるかも知れませんしね。
今回のプログラムは全部で18曲となりました。
生徒たちが16曲です。中には正直言って「上級者」というにはちょっときついなあ~~という子もいましたが、大半の子たちはこちらの期待通り、曲の難易度からいっても、音楽的な面からいっても、素敵な演奏をしてくれました。
ピアノではシューマンの「トロイメライ」や映画音楽「ピアノレッスン」を表現豊かに弾いてくれて、ピアノ連弾ではドビュッシーの「小さな組曲」を頑張って弾いてくれて、ヴァイオリンの曲ではバルトークの「ダンス」やクライスラーの「プレリュードとアレグロ」とか、立派な曲を弾いてくれました。
これを聞けばだれもが「私たちの音楽学校もたいしたものだねえ!」と思ってくれたことでしょう。
生徒たちの演奏が終わって、最後におまけとして講師の演奏。
まずはフルートのリザと私でエネスコの「カンタービレとプレスト」。
私は2003年以来、人前で演奏することが全く苦にならなくなり、変な緊張をすることは皆無となって、まるで「ボンジュール!」というときのような笑顔とともに、お茶を飲む時のようなリラックスモードでピアノに向かうようになってるんです。
この日も、リザは緊張してましたが私はリラックスモード。
ただ、この楽譜をもらったのが2週間前で練習時間がほとんどないまま本番になったので、思いっきり楽譜を読みながらの演奏になってしまった点は反省。。。変なミスもしたし。。。。
でも、演奏後は割れんばかりの大拍手。
そういえば、私たちが生徒や親御さんの前でそれなりに真面目に本格的なクラシック曲を演奏したのはこれが初めて。
きっとみんなにとったら期待以上だったってことなのかな?
間を置くことなく、続いてショスタコヴィッチのピアノトリオ。
マチアスが曲について作曲家について一言説明して笑いをとったりします。
この曲はマチアスとチェロのマリーが「弾くっきゃない!」と思い立って一緒にすることに決めたのですが、なんといってもかなり規模の大きいガッツりした曲ですから、「適当に、、、」では済まされない取り組みを必要としました。忙しい合間をぬって、それなりに3人での練習を重ねたから、音楽的に不安はなかったのですが、このコンサートでは問題が発生!
実は、このグランドピアノ、古いものだとはわかってたんですが、最高音部分の鍵盤が少ないんです。つまり88鍵でないんです。
よりによってこのショスタコヴィッチのピアノパートは高音をかなり使う。。。
しかも音があがるところはたいてい音楽的に盛り上がるところ。。。
残念ながら私はオクターブ下げるか残念ながら音が弾けないかで、かなりのハンディキャップなってしまいました。しかも高音部分の音が響かないんですね。だから欲求不満も。
そんなこんなでメカニックなトラブルに出会ってしまいました。
でも!3人の息はあってたし、エネルギーの面ではガンガンにのめりこんでた私たち。
15分弱の演奏が終わるとすごい拍手と歓声とスタンディングオベーションをいただきました。
ショスタコヴィッチの曲は、よく知られた曲やロマン派の曲とは違ってクセがあるし、とっつきにくいところもある曲です。クラシック音楽のファンにしたって、入り込みやすい曲ではありません。
もしかして「難解な曲」と思われるかな、、、という不安もあったのですが、演奏終了後の盛り上がりを見て、やっぱり音楽は伝わるものなんだと思いました。(一部の意味不明な現代音楽を除いて、ね。笑)
何分もの間、拍手とブラボーが続いて、リザも含めて演奏した4人そろって並んだところで、会長のFからお礼の言葉をいただきました。
が、そのとき、彼女の顔と声でびっくり。なんと彼女は泣いてるではないですか。
感動して涙が出たというのです。
この日、会場にいた人たちはみんな音楽ファンだけど、クラシック音楽のプロのコンサートとかにはめったに行くことがない人がほとんど。そんな人たちに私たちのショスタコはインパクトが強かったのかな?
私たちも完璧な演奏とはとても言えない、あちらこちらでちょっとしたへまとかもあった演奏だけど、でも息はぴったりで、集中力もばつぐんで、そして何より楽しめました。
そのお返しに感動して涙が出たと言ってもらったのは、素敵なサプライズでした。
終了後、みんな笑顔で、このコンサートを企画したこと、生徒に指導したこと、準備に時間とエネルギーを費やしたこと、そして演奏に対してたくさんのありがとうをもらいました。
何より参加した生徒たちがみんなほんとにうれしそうに帰って行ったことがうれしかったです。
企画して正解。
実行して正解。
これは今後、毎年恒例の行事となりそうな予感です。
この後、マチアスとマリーとは打ち上げとして食事に行って、「毎年ピアノトリオを一曲!」という目標を掲げました。
フォーレ、ショーソン、ラクマニノフ、etc.etc. 楽しみです!