11月と12月、それぞれ一回ずつの週末で、エルヴェ・ニケ氏(Hervé Niquet)の指導のもと、le choeur symphoniqueの集中練習が行われました。
私は伴奏練習ピアニストとして、ニケさんに声をかけてもらって以来の二年目の参加です。
今年度のプログラムは、年明けの1月に行われるモンペリエ・オーケストラとのコンサートで演奏予定であるPablo CASALS 作曲のオラトリオ「El Pessebre」。そうです、あの有名なチェロ奏者パブロ・カザルスの作品なんです。
作品の内容についてはまた今度記事にしたいと思いますが、今日はつくづく私ってラッキー者だなあと思う話です。
要求度が高くて、厳しくて有名なニケさん。今や世界のあちこちをとびまわって演奏活動をしている彼のような演奏家のもとで、報酬をいただきながら一緒に仕事をさせてもらうというのは、勉強になるわ、刺激になるわ、いい経験になるわだけにとどまらない、ほんとにラッキーなこと。が、私の場合、ありがたさはそれだけでなく、彼は私のことをなんだかかわいがってくださり、知り合って3年目ということもあってか食事休憩に一緒に誘ってくれたりするので、マンツーマンでいろいろと話しているうちに素のニケさんまで知ることができてしまったりもするのです。
気がつけば、世界的な活動をしている人を前に、いいかげんな関西弁フランス語で、しかも対等で親しい話し方であるチュトワイエ(tutoyer)で気後れすることもなくべらべらとしゃべっている私。。。
本気で精神的に強くなってきてしまったな、私、、、と感じる瞬間でもあるのですが、、、。
おしゃべりの内容は合唱団のことからそれぞれの仕事のこと、モンペリエの音楽界のことなど職業柄ネタはもちろんですが、プライベートなこと、また、ニケさんが大の日本ファンということもあって、日仏社会についてなど多岐にわたります。
そんな中、私のこれまでの歩みをしゃべったりしているうちに、今後はどうするのかという話になりました。
自分が日本で学んできたこと、もっているディプロムのこと、ここモンペリエでしている活動のことなどをひと通り話したうえで、「うちの親はこんなことを言っている。。。」とかにも話は及びます。
するとニケさんは本人の経験談や体験談を交えながら、私の将来についてのアドバイスなどをくれました。
自分自身、ぼんやりと考えていたこととつながる一言をいってくれて、やっぱりそうだよなと納得。
私の進路相談員はニケさん。
なんてリッチな境遇なんでしょう、私。
遠路はるばるLe Choeur symphoniqueのために、土曜日の夜の一泊だけのハードスケジュールでモンペリエにやってくるニケさん。それだけでも体力を消耗しているのに、アマチュアの合唱団を前にして、彼が費やすエネルギーはすごいものです。
音楽の基礎レベルがあやうい合唱団を相手に、最良の結果を引き出すために彼はあの手この手を使って指導する彼の教育的センス、アイディアにはあっと驚かされます。
私は彼の指揮のもとでピアノに向かっているだけで、合唱指導・合唱指揮者という職業のノウハウを一気に学ばせてもらってしまえるのです。
なんてラッキー者。
でもそれだけではありません。
彼はピアノ、オルガン、チェンバロとどんな鍵盤楽器でも弾きこなしますが、なんといっても20代前半という若さにしてパリ・オペラ座のコレペティになった人。ソロの歌手、合唱団を問わず、歌い手の伴奏をするということがどういうものなのかを知りつくしている人。その彼が、日本人でなんちゃってピアノ弾きの私に、この職業がどういうものなのかを身をもって教えてくれるのです。
休憩中には、「ちょっとここ弾いてごらんよ。」と言って私の横に座ります。そして私が弾き、まるでプライベートレッスンのように、足りないところをいろいろと指摘してくれるのです。
大先輩のように、先生のように。
厳しさが代名詞のニケさんなだけに、単刀直入に容赦なく的確に言ってきますが、私にはまったく痛いことなんてありません。私にはすべてが棚から牡丹餅のようなことですから。
先日は「君と一緒に仕事するの好きなんだけど、あとはオーケストラのような反応をするようにならないと。そこが君がパワーアップすべきとこだね。」と貴重な一言をいってくれました。
確かに、オーケストラと指揮者の棒サバキを観察していれば、誰にでもわかることですけど、オーケストラというのはまず音が出るのに時間がかかりますよね。指揮者が拍を示してその0コンマ何秒とか数秒後に音がでる。
指揮者が棒を振った瞬間に同時に音が出ると言うのではないのです。
そして私の場合、そのことだけではなりません。
「指揮者の意図を先読みしてはだめだよ。指揮者の要求に後から応えないと。」と言われました。
指揮者のもとで演奏する伴奏ピアニストは、指揮者の要求に従ってなんぼ、要求に応えてなんぼなわけですから、テンポなりフレーズなり、いかに意図を感じて早く実現させて応えるかが大事な能力なわけですが、私のようなこんなことを言われる伴奏ピアニストはそうしょっちゅういないだろうと思うのです。
つまり、私の場合、意図を読み取るぞ、遅れてはいけないぞ、と強く思ってしまうがために、実は時々先回りしてしまったりしているというわけです。
ははは、私っておもしろい。
でも彼の言うことはどんぴしゃです。
遅れてはいけない、遅れてはいけないとしているうちに、先読み、先回りのようなことをしてしまっていましたから。
こんなことだけではありません。
彼自身が楽譜上のとあるパッセージを生でてっとり早く感じ取りたいとき、私にピアノで弾かせると同時にとなりに座って、二人並んでピアノに向かって四手連弾をすることもありました。
実は私にとって、この瞬間が一番わくわく実感するとき。
一緒にライブセッションしているような感覚になりますから。
実は、3年前にこうして二人でダリウス・ミヨーの合唱曲を連弾する機会があったときに、私はこのワクワクを感じたのですが、その後すぐさまニケさんの口から「le choeur symphoniqueで一緒にしてくれないか?」と誘ってくださったのです。
彼の方にも何かピンとくるものがあったのかな、と、ここはめでたい考えでいようと思います。
私は日本で音楽を志す人たちが、高いレッスン料を払って、日本国内で、または海外で著名な音楽家の指導を仰いでいるということをよく知っています。ですから、私のラッキーさがなおさら身にしみること。
このまま来年も再来年も、声をかけてくれる限り一緒に仕事をしたいなあと思っていたのですが、残念なことに、今回がニケさんにとってLe choeur symphoniqueとの最後のとりくみとなってしまう可能性が大だということがわかりました。
実は今、モンペリエの音楽界は動揺と大変化の時を迎えているのです。というのも2012年1月にディレクターが変わるということに公式になっていて、それに伴ういろいろな変化がおきるから。そもそも今モンペリエは政治の劇的な変化が始まったところ。
モンペリエのオペラ座とオーケストラを中心とした音楽界がこの先、どうなっていくのか、誰にもわからない不安な時期に突入しています。
ま、いずれにせよ、4年前に初めて接してから今日にいたるまでの間に、私が彼から学んだことは一生ものの貴重な経験。
ちなみに、昨日は夜遅くに練習が終わってから、「お味噌汁が飲みたい!」と言って私をモンペリエのとあるお寿司屋さんに連れて行ってくれました。
そこでウニが大好物だというニケさんにつられて私もウニを。
実は私はウニが好物でもなければ、普段は食べないもの。
ウニを口にしたのは10年ぶり?15年ぶり??
ニケさんとウニ。
私が日記をかくなら、この日のタイトルはこれですね。
すばらしい思い出となりました。
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