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2024年1月31日水曜日

新しい年

2024年、新しい一年がまたやってきました。

日本にとっては心穏やかとは言っていられない年明けとなりましたね。

「あけましておめでとう!」と晴れやかに言っていられない気分になった方も多かったと思います。自分もその一人です。地球の裏側にいるとは言え、日本から飛び込んでくる知らせには衝撃を受けるものです。 時差があることを利用して、夜な夜な情報収集にあたりました。

能登の大地震で犠牲となられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災地の皆さんに、一日も早く日常が戻ることを祈るばかりです。

また、お正月休み真っ只中の羽田空港での事故。まさに被災地に向かおうとしていた海上自衛隊の方々の無念を思うと、言葉もありません。乗員乗客が全員無事との知らせには世界中が安堵しましたが、詳細を知れば知るほど、一分一秒を急ぐ過密時間が、根本的な原因の一つであるとしか思えません。なんらかの利益や効率性を求めて、時間にしろ、何にしろ、可能な限り詰め込もうとする姿勢からは脱却しなくてはいけないと、改めて思いました。

どれだけ大都市だろうが、同じ滑走路で離発着が数分刻みで行われるという実態は、もしもの事故が起きないように設定されているとは思えず、過密状況と言い切るしかないと思います。管制官にしろ、技術部門にしろ、パイロットにしろ、安全安心を第一にするには、最低限の心のゆとりが持てる人間的なタイムスケジュールに変えていくべき時が来てるんだろうと思います。

この年明けの出来事を受けて、新年のご挨拶をすっかりしそこなってしまった失礼な自分でした。

新年のあいさつをフランス語では「Bonne Année !」と言いますが、 それぞれの土地の文化があってこそのそれぞれの言語。一つの表現をとってみても、日本語とフランス語ではやっぱり違いがあります。

例えば、日本人にとっての「あけましておめでとう」は、あくまで、新年を迎えたことを喜び祝う言葉であるわけで、新年を迎えてからしか使いません。

一方、フランス人にとっては、相手方に素晴らしい一年を祈るための言葉なので、日本人にとっての年末のあいさつ「良いお年を!」も「Bonne Année !」、大晦日を超えてからの「あけましておめでとう!」 も「Bonne Année !」。日本人が「あけましておめでとう」の後に続ける、「良い年となりますように。」と願うその部分が「Bonne Année !」に相当すると考えた方が、意味としては近いかと思います。

使うシチュエーションは似ていても、言葉のもつ意味は違うということはよくありますね。

そして、日本人にとっては、新年を祝うのが基本的に三が日の間だったり、年明け最初の一週間に限られるものというのが基本で、1月も末になってから年賀状を送ったり、挨拶をするのは少々おかしい、礼儀的に正しくないと見なされることが多いと思います。

けれどフランス人にとっては、1月中だったら、誰か会う人に「Bonne Année !」と言うことに問題はないし、人によっては、その人に会うのがその年で一回目だったら、二月になっていようが「Bonne Année !」というと考えている人も少なくありません。

 そういうわけで、このブログ上で新年のご挨拶をするのが遅れてしまいましたが、フランス式ということでお許しくださればと思います。

皆さんにとって、健康に恵まれて、心穏やかな時あふれる一年となりますよう、お祈り申し上げます。

 


 

2014年9月5日金曜日

ありがとう=メルシーではない?

私は2011年3月以来、東北被災地支援活動を行う中で、本当にたくさんの人と出会いました。東北とモンペリエという距離にもかかわらず、被災地に今なお住む方々とメールや手紙のやりとりをすることができたことはもちろん、被災地に二度お邪魔しに行ったことで、現地の皆さん、現地で支援活動を行う皆さんと直に触れ合うことができました。

二回の訪問を合わせても、被災地で過ごした時間は10日ほどにしかなりませんが、そこで接した皆さんの顔、皆さんとのやりとりはすべて今でもしっかりと覚えています。
皆さんが身をもって経験されたこと、日々、日本の社会の中で感じられること、絶望と希望、不安とエネルギーの混じりあった気持ち、そのすべてに重みがあります。

先週、このような被災者の体験談をフランスのパリで聞くことができました。しかもそれは自分たちのメッセージを世界に発信するために東北からやってきた中学正、高校生たちだったのです。

このイベントのことはまた後日書かせてもらいますが、今日はその中でも特に印象に残ったことを。

それはいわき市の高校生遠藤涼香さんが、津波に流される中で九死に一生を得た体験から、「奇跡で救われた命、ほかの誰かを救うために使いたい。」という想いでスピーチをするときに説明したした「ありがとうの本当の意味」です。

以前から、小学校の道徳の授業などで題材に使われることもあったであろうテーマですが、ここで改めて書かせてもらいます。

私の世代やもっと若い人たちは「ありがとう」とひらがなだけで書いてしまうようになってしまいましたが、もともとは「有難う」と漢字で書かれる言葉でしたね。
よく見れみれば、普段、「ありがとう=thank you =merci=あなたに感謝します」と思ってるそのどこかが違うことが見えてきます。

この言葉、漢字の意味だけに注目すると、「有る事が難しい」です。存在することが難しいこと、つまりはめずらしいこと、めったにないこと、そして貴重なこととなりますね。
そういえば、「枕草子」を通して、「ありがたきもの」ではこの世にあるのが難しいもの、つまりめったにないものであると習ったことを思い出しました。記憶にある方も多いのではないでしょうか。
びっくりするような話を聞いて、若者言葉では(今もそうなのかは知りませんが)「ええー、ありえない!」というのもありましたよね。気がついてみれば今も昔も同じところに繋がるんですね。

勉強しなおしてみると、この「有難いこと」の話は仏教の教えにさかのぼるようですが、その話は省略するとして、誰かに親切にしてもらった時、あなたの優しさは貴重なわけですが、その貴重な優しさに触れることができた私はめずらしい、つまりラッキー者でもあるのです。
何がめずらしいのか、何がラッキーなのかと言い出せば、すべては偶然の重なりで発生するわけで、そんな自分こそがめずらしい、ありえない、ラッキー者だということにつながっていきます。
そこで、最初の仏教の教えに戻っていくわけですが、やはり自分がここに存在すること自体が、ちょっとやそっとではありえなかったことなのであり、有難いことなのだと。

この教えを、九死に一生を得た、しかもまだ若い高校生の彼女が語るとき、彼女がいかに実感をもって語っているのかがよく伝わってきますし、若い彼女だからこそ、そのメッセージ力は素晴らしいものです。彼女のメッセージが世界中に届くのはもちろん、それを願う以前に、日本中に届くことを心底祈っています。
何事も口で言うのは容易いけれど、人間にとって、自分が経験したこと以外のことを本当に理解するのは難しいことだと思います。被災地の方々が日本の中で孤立していると感じている傾向がとても強いことを否定することはできないと思います。日本の政治のニュースなどこちらにも流れてきますが、東北被災地から来るメッセージの重みを日本人全員がもっと真剣に受け止めるべきだと思っています。そんな状況にもかかわらず、被災地から来た100人の若者たちは、「自分たちは前を向いている!」というメッセージを元気いっぱいに伝えていました。これからも応援していきたいと思います。

インターネット上でかわいらしい絵を見つけたので、ここで紹介しますね。



「ありがたい、ありがたい」と拝みながら繰り返しつぶやくおばあさんたちがいるのを思い出しました。私の祖母もそうでした。世界中の人がこう思えるようになる日こそ、世界に平和が訪れる日なんでしょうね。

2013年11月17日日曜日

外国語習得への道

数か国語も自由に操る人に出会うたびに、すごいなあ、いいなあって思います。私の周りにはけっこういます、4か国語、5か国語話せちゃう人。
本当のバイリンガルも、結局は稀ですよね。母国語はペラペラだけど、もう一方はほんの片言、というバイリンガルはたくさんいますが、二言語を同じように扱える人こそがバイリンガルですから。

私の語学力はというと、小学生のころから漠然と、「将来は数か国語を操る自分」をイメージしていたので、それなりにできるときに習える言語には興味をもってやっていました。習えた言語というのが、英語、フランス語、イタリア語、そしてドイツ語。なぜか本当にドイツ語だけには興味がもてず、好きにもなれずさっさとやめてしまいましたが、好きだったのは実はフランス語ではなく、私はイタリア語を結構熱心にやっていました。母音中心の発音が、日本人にとったらとっても楽ということもありますが、話してると楽しくなる言語とでもいいましょうか、今でも好きです。けれどかつて習ったことはほぼすべてといっていいほど忘れてしまいました。10年間フランス語習得のために集中したからしょうがないですね。
小さいころからやっていた英語にいたっては、フランス生活をしているうちに恥ずかしいほどにすっかり落ちました。読解力は今でもあるけれど、スピーキング力がまるでだめですね。すべてはフランス語の発音のせいです!と言い逃れをしておきます。
今となっては英語の発音を身につけるのは夢のまた夢のように思いますが、イタリア語に関しては少し気合を入れて勉強したら意外と簡単に回復できるような気がしています。一応音楽畑に身を置くものとして、フランス語とイタリア語ができたらやっぱりいいでしょうね。早く時間をみつけて勉強しなおしたいと思ってます。
英語のスピーキングを勉強しなおして、イタリア語を勉強しなおせば、4か国語話せますと言えるようになるでしょう。最近ふとスペイン語を身につけないといけない必要性がふらっと出たことがあって、 「それはいまさら無理!」と反応してしまいましたが、プフコワパ?(why not?)
数年後には5か国語しゃべれる自分になってみたいですね。

私のフランス語力はというと、大学とかでフランス語かフランス文学を専門に勉強した身ではない者としては、おかげさまで読み、書き、話す、聞き取り、まんべんなく身についたと思います。
専門には勉強してないけれど、第二外国語として一応授業も受けたし、フランス音楽を専門にした時期もあったし、フランスに来ると決めてからはそれなりに会話レッスンにも通ったし、こちらに来てから一応フランス語で論文も仕上げたので、読み書きもそれなりの実践も踏みました。

スピーキング、ヒアリングといえば、予定外にしてフランス人社会に放り込まれたからこそ。

やはり外国語はネイティブたちに囲まれて、必要にせまられてこそ磨かれていくものだと思います。
きちんとしたフランス語には届かなくても、別にそれを専門としてない身なので、肝心なのは向上したいとする意識だと、私は気楽にかまえています。

インターネットのおかげ、海外旅行、海外留学の普及で世界が近くなったとはいえ、外国語をマスターするのはやっぱり簡単なことではないと思います。まあ、ジェスチャーを交えながらでもいいから、相手とコミュニケーションがとれたら、とりあえずはよいものだと思っています。けれど「話し合い」を必要とする場合はやっぱりそれでは不十分ですよね。とくにフランスのような国では、とにかく自分の考えを表明して相手に伝えるのが常ですから、フランス社会で生きるには言語力がどうしても必要になります。逆にいえばフランス社会に入ってもまれて苦労しながら叩き上げられるというものだろうと思います。


周りの日本人のフランス語力をみていると、滞在年数に比例するものではないとすぐにわかります。どのようにフランス語を習ったか、どのような生活をしているか、そして誰とフランス語をしゃべってるかによって、当然、身についた力は変わってきます。

外国語習得のためによく言われることの一つが「外国人の彼氏彼女を作ること」とありますが、私に言わせるとそれは全くの間違いです。どころか、そうすることで外国語が身につくのが大幅に遅れるように思います。というのもやっぱりカップルでは愛情やらジャスチャー、ボディータッチでカバーされる部分が多すぎるからです。このパターンでは、文章ができない、彼氏彼女以外の人との話しあいというのがもてない語学力になりがちです。

外国語習得のために私が自信をもって断言、お勧めすることが二つありますが、まずは、「日本語が全くできない外国人の同性の仲のよい友人をもつこと」です。
もちろん、仲の良い友人という時点で、気があうだけのコミュニケートが十分にとれていないとだめなわけですが、人間同士、最初のフィーリングというものを信じて間違いはないと思います。私の場合、フランスに来てすぐにであった女の子と、それはもう気が合って一年の間いっつも一緒に過ごしてました。

私たちの場合、彼女が声楽を勉強していて、私がピアノを弾けたことで、音楽という共通語があったことに助けられたというのも事実です。
それにしても、彼女と昔話をするたびに、私がフランス語に苦労していた時代に、よくもあんなにしょっちゅう二人で大笑いしたものだと驚かされるのです。10年たった今でも思い出すだけで涙がでておなかがいたくなるような笑い話がたくさんあります。片言ながらも、私はがんばって四六時中口からフランス語を発してたんでしょうね。彼女にはおもしろいことも、そして厳しいこともたくさん言いました。ろくにしゃべれないくせに何をえらそうに、と、我ながらつつきたくなります。


フランス語の難しい点の一つに、書かれる文字と発音される音とのギャップがあります。読み方に一定のルールはあるのですが、それに慣れるまではなんでこんなにも発音しない子音が並んでるんだと疑問に思うものです。そしてリエゾンで知られるように、言葉と言葉をくっつけて発音することもしょっちゅう。ですからフランス語習得には聞き取り訓練がとても大事だと思います。

フランスに来た当時、私はいつも小さなメモ帳を携帯していて、わからない文章、単語を聞くたびに、とにかくそれをカタカナでメモっておいて、家に帰ってから夜、フランス語の辞書を引きながらそれぞれの単語を見つけるという自発トレーニングを行っていました。下手したら一つの単語かと思ったものが、三つの単語からできた表現だったりするのです。毎夜毎夜新しい発見をして一人喜んでたのもよい思い出です。
人から教えられるものをそのまま受け取るだけでは、なかなか頭にインプットできませんが、自分で発見したものはすぐに頭に記録されます。
確かに全くの初心者には難しすぎますが、今フランス語を勉強している人にはお勧めのトレーニングです。実行すれば絶対に効果ありますよ。

あと私がお勧めする二つ目の習得方法は、手に入れるのが簡単ではない環境ですが、「仲がとくによくないけれどしょっちゅうしゃべる相手を持つこと」が語学力磨きには理想でしょう。
私はフランスに来て8か月後には仕事をし始めたことで、フランス人相手にしゃべらざるを得なくなりました。 同僚たちと接するうちに、自分が必要とするボキャブラレリーを学ぶことができました。ミュージシャンに必要なボキャブラリー、表現はもちろん、教える立場にある者がよく使うフレーズ、子供を相手に話す場合、大人を相手にする場合の違いなど、個人を相手にするときと、グループを相手にする場合の違いなど、いろんなことを見ながら聞きながら学びました。

よく忘れがちなことですが、言葉というのはやっぱり一人一人の人格が反映されるというか、一人ひとりによって違う個人的なものです。私は最初からこのことを強く意識していました。私には私の日本語での話し方があるように、友達や先生や家族など、それぞれの人に特徴があります。フランス人にだって人それぞれの話し方があります。私はそれをいつも注意深く観察していました。フランス語には日本語にあるような女性と男性による違いはありません。けれど年代、男女、職業、社会的立ち場、またシチュエーションによって様々な特徴があります。
私はなるべく私のキャラに合うフランス語を身につけるようにしました。私というものが日本人にもフランス人にも同じように伝わるように。

フランス語を教えてる人にこの話をしたら、「そこまで考えてる人はなかなかいない」と言ってましたが、文法的に正しいフランス語を学ぶこと同じくらいに大事なことだと私は思っています。
一度フランス語がかなり上手な日本人女性と会いましたが、彼女は大学でフランス人学生と仲良く積極的に交流していましたが、彼女が身につけたフランス語は若者特有のフランス語で、しかもはっきり言って汚い言葉ばかりでした。私は行儀しつけにうるさくない性格で、ざっくばらんなしゃべり方をするタイプなので、その私が下品というのだからよっぽどのものです。もし彼女が日本語でも汚い日本語しかしゃべれない人だったらともかく、彼女が日本語でしゃべるときはきちんとした丁寧な言葉でしゃべる人だったので、人ごとながら残念だなあと思ったものでした。

私はフランス生活10周年を迎えて、10年を一区切りとして考えると一つのサイクルが終わって、二つ目のサイクルに入っているわけです。
フランスに来てからはフランス語に関して実践ばかりだったので、ここら辺で改めて文法などを見直すのもいいかなと思っています。

先ほど書いた仲が良い女友達である彼女と私は、彼女が学業のためにリヨンに旅立ち、私が仕事を初めて忙しくなってから、しばらく連絡も途絶え気味になっていいたこともありました。が、 彼女が歌手として大きな仕事をゲットして、世界の舞台で歌い出してひと段落した今、同じ町には住んでいないけれど二人の距離がまたさらに近づいてきたよう に思います。それは私が10年間がむしゃらに仕事ばっかりしてきてふと一休みしたくなったことと、彼女がハイレベルの学業を終えてデビューしてがむしゃらにくる仕事をこなしてきてふと一休みしたくなったことが重なったからともいえるでしょう。
彼女との思い出=私のフランス生活の出発点ですから、彼女と会う度に、フランス生活の原点に立ち戻ったような新鮮な感覚も覚えます。


私の周りにはフランス生活40年という大ベテランたちが何人かいますが、 祖国日本とのかかわり方は人それぞれ。
私がこれからどこで生活するようになるかはまだわかりませんが、もし私があと14年フランスで生活をしつづけたとき、日本での生活が25年、フランスでの生活が25年で半々となります。
これまでの11年ですでにたくさんのような驚きを経験体験してきたので、あと14年もというと、すごい長い年月の様に感じます。

フランス語に関しては、この11年での上達は大きかったと思うので、今後11年生活を続けたからといって二倍上手になるとは思いません。でも毎日毎日常に進歩を心がけることが大事ですね。


2010年10月17日日曜日

n'importe quoi...

フランス語での便利な表現に「n'importe quoi」というのがあります。

発音は「ナンポフトクワ」。n'importe というのが、「重要である、大切である」という意味の動詞importerの否定形からきていて、疑問詞とセットになることで不定代名詞を作って「どんな何々でも」といった言葉になります。

例えば、「誰か」という疑問詞「qui」と一緒になると「n'importe qui」で「誰でも」という意味に、「どれか」という「lequel」と一緒になると「n'importe lequel」で「どれでも」という意味に、そして「何」という意味の「quoi」と一緒になると「n'importe quoi」で「何でも」という意味になります。

ここから発展して「n'imoorte quoi !」と単独で言うと、なんでもかんでもありでめちゃくちゃな状態をうけてあきれる様子を表すことになります。

日々の生活の中で、フランス文化の中で理解できないこと、フランス人のメンタリティーで理解できないことなんかは多々あるわけですが、ここ最近で「n'importe quoi !」とついついさけんでしまった、ほとほとあきれるお話が今日のネタです。

それは今フランス全土で熱心に繰り広げられている年金システムの改正に対する反対運動の中でおこったできごと。

年金というシステムを存続するためには他に方法がない、必要必至の改正だと主張する政府に対して、労働期間の延長を強いられたり、おさめる積立金の増額を強いられる一般労働者が真っ向から反対しているわけです。

そこへ、ここ数年で悪化が続いている失業率、とくに若者の職なし状態が加わるものですから、「高齢まで働くこと=高齢者が仕事をキープすること=若い世代のためにポストが空かない」という図式が成立するために、あらゆる世代の人が反対しています。

そんな中、ストに参加する人々の若年化が注目されているわけですが、なんといっても高校生が年金システム改正に反対を表明してデモ行進に参加する姿がニュースでも連日取り上げられています。
だって、その数は半端ではなくって、全国各地で大多数の高校生が参加しているのです。

フランスでは数年前にも大学のシステムの改正議論や、短期雇用のシステムの強化の際に、多くの若者が立ち上がりました。

ストの国フランスでは大学生がストを起こすことはまったくめずらしいことではありません。彼らは大学を閉鎖、占拠してしまうので、その間、授業が行われないという事態に陥り、授業を普段通り受けたい学生と、ストに参加する学生の間の衝突も毎回見られます。

さて、高校生がストに参加するというのがどういうことなのか。

まず、彼らは授業に行く代わりに街で行われるデモ行進に参加します。

つまり、授業はボイコット。

それだけならまだしも、問題は高校生が自分たちの高校を閉鎖、占拠してしまうというところ。




この占拠のことを「ブロキュス」(blocus)なんて言ったりします。

大多数の生徒が授業に来ないという状態をみると、教員たちは学校から出ます。だって、閉鎖されてしまうということは、中から外にも出れなくなるからです。

さて、フランスにも私立の学校は存在します。
日本に比べると比率はだいぶ少なくなりますが、モンペリエにも私立の小学校から高校まであります。

なぜ私立学校に行くかと言うと、フランスでは政教分離が徹底されていて、とくに教育現場での宗教からの独立がベースにあるので、親が子供にキリスト教教育を受けさせたい場合、公立学校ではなく、教会と一帯となった私立のキリスト系学校にいかせることになります。何も親が敬虔なカトリック信者というケースだけでなく、単にキリスト教文化の伝統と規律の中で教育を受けさせたいと思う親がたくさんいます。

一方で、特にキリスト教教育に興味はないけれど、公立学校ではあまりに教員のストが多いために、共働き夫婦は学校が閉鎖になる度に子供をどこに預けたらいいかで一苦労するわけです。それにうんざりした夫婦が、ストが極めて少ない私立学校に子供を入れたがるというケースがかなりあります。

小学校、中学校まではかなりある私立学校も、高校になると結構数が減ります。
モンペリエに限って言えば、普通規模の普通科私立高校というと2つだけです。

私立高校では教員のストが少ないだけでなく、生徒がストに参加して学校を閉鎖、占拠というのはめったと起こりません。

今回の年金システム改正反対運動でも、私立高校の生徒の大半は、普段通り授業を受けるつもりで学校に行きました。

しかし!

何が起きたかと言うと、自分たちの学校を閉鎖して占拠した公立高校の学生たちが、私立高校にまでやってきて、閉鎖、占拠したというのです。

挙句の果てには、学校の門の前にあるごみ箱などに火をつけたりまでして、、、。

そのせいで、この学校の生徒も教員たちも学校外に出て帰宅を余儀なくされたわけです。

私はピアノの生徒からこんな話を聞いて、ついあきれて物もいえなくなっちゃった私が発した言葉が「ナンポフトクワ」なわけです。

人権の国フランスでは自分のもつ権利を誰もが主張するわけですが、私に言わせれば、それが行きすぎて他人の権利に関してはお構いなしなところがあって、権利の主張はするけど、人の権利の侵害はする人たち、、、と時おり思わずにはいられません。

今回のケースはまさにそのいい例。

しかもうっぷんのたまった若者の悪ノリも半分以上あるのが現実でしょうから、授業を普段通り受ける権利を妨害された生徒たちはただの被害者ですよね。

いかなる理由であろうとも、客や生徒に迷惑が及ぶスト行為にはそもそも反対の私はやっぱり日本人。
「最近の若者は、、、」とあきれる私はただ年がいってきたということなのか?

でも実は私、ここでは外国人でありながらも日本の年金システムには貢献せず、今のところフランスの年金システムに参加しています。ですからこの年金問題、私にも大いに関係する大事な問題。

でもねえ、、、。

どうも理解に苦しむお話でした。

ちなみに、今回の年金システム改正反対運動はまだまだ続行中です。
この一週間で何日もデモ行進が実行されましたが、明後日の火曜日もまた大規模なデモ行進が予定されています。というのも水曜日に国会で採決がとられるから。
最後の最後まで反対を訴えて、新しい法律の成立を妨害しようというのが狙いです。

交通網の乱れはもちろん、ガソリン不足騒ぎも問題になっています。

どんな結末になるんでしょうね。

2008年6月3日火曜日

モンペリエも梅雨なの?!

雲ひとつない晴天が目印のモンペリエなのに、二週間以上前から雨と曇りばかりが続いています。こんなことは滅多にないことで、誰もが「なんでなの~?」と思ってます。やっぱり異常気象の一環なんでしょうか。モンペリエ人に、「なんでこの街が好きなの?」と聞くと、たいていの人は「この太陽!」と答えるものです。その太陽がここ数週間あまり見れないなんて一大事です。例年ならもう真夏日の連続で、バカンスムード全開しはじめる6月なのに、どんよりした空では調子が狂っちゃいます。

何かがなかったり足りなかったりして、恋しかったり寂しく感じることを、フランス語では「Ça me manque」と言いますが、今まさに太陽がそんな感じ。あ~早く太陽戻ってきてよ。これじゃあまるで日本の梅雨どきか、パリの空みたいじゃん。。私を含め、モンペリエに住む私たちはそんな気候は望んでないの。みんなここの気候が大好きで自慢なんだから。太陽はやっぱり元気の源。どこへ行った太陽!

2008年5月2日金曜日

Faire le pont 橋をかける

今年の日本のゴールデンウィークがどんな感じになってるのかわかりませんが、フランスでも5月頭は連休になるチャンスの多いときです。
昨日お伝えしたように、1日がメーデーで休日。それが今年は木曜日だったので、今日の金曜日を休みにさえできたら、木曜から日曜の4日間連休になりますよね。さらに、来週はもっとお得。8日がVictoire 1945 といって、第二次世界大戦の終戦記念日で、さらに次の日曜日が、キリスト教歴でいう聖霊降臨の祝日で Pentecôteといいますが、その翌日の月曜日をLundi de Pentecôteといって祝日にしているもんですから、これまた金曜日さえ休みにできたら、みごと木曜から月曜までの5日間連休!つい先週まで2週間のバカンスだったのに、また連休?!やっぱりおそるべし国フランス。。。

今回の金曜日のように、自発的に休みにして(笑)連休を作ることを、フランス語ではFaire le pont といいます。le pont というのは橋ですから、橋をかけるという表現になります。「Je fais le pont」、「 On fait le pont」とあちこちで聞きますが、まさに「私も橋、あなたも橋ね」って感じですね。働いている人が有給などをとって休みをまとめるというのはまだしも、学校までもが勝手に休みにするんですから徹底してますよね。普段、普通の小学校は水曜日がお休みで授業がないんですが、今回の金曜日の分を水曜日に振り替えて授業をし、連休にしちゃいましょうということです。まあ、先生だけでなく、子供もその親もみんなが橋を作ってるのなら、それがいいにこしたことはないですね。
ちなみに、私は仕事の都合で橋はかけれませんでした。。。