2014年9月5日金曜日

ありがとう=メルシーではない?

私は2011年3月以来、東北被災地支援活動を行う中で、本当にたくさんの人と出会いました。東北とモンペリエという距離にもかかわらず、被災地に今なお住む方々とメールや手紙のやりとりをすることができたことはもちろん、被災地に二度お邪魔しに行ったことで、現地の皆さん、現地で支援活動を行う皆さんと直に触れ合うことができました。

二回の訪問を合わせても、被災地で過ごした時間は10日ほどにしかなりませんが、そこで接した皆さんの顔、皆さんとのやりとりはすべて今でもしっかりと覚えています。
皆さんが身をもって経験されたこと、日々、日本の社会の中で感じられること、絶望と希望、不安とエネルギーの混じりあった気持ち、そのすべてに重みがあります。

先週、このような被災者の体験談をフランスのパリで聞くことができました。しかもそれは自分たちのメッセージを世界に発信するために東北からやってきた中学正、高校生たちだったのです。

このイベントのことはまた後日書かせてもらいますが、今日はその中でも特に印象に残ったことを。

それはいわき市の高校生遠藤涼香さんが、津波に流される中で九死に一生を得た体験から、「奇跡で救われた命、ほかの誰かを救うために使いたい。」という想いでスピーチをするときに説明したした「ありがとうの本当の意味」です。

以前から、小学校の道徳の授業などで題材に使われることもあったであろうテーマですが、ここで改めて書かせてもらいます。

私の世代やもっと若い人たちは「ありがとう」とひらがなだけで書いてしまうようになってしまいましたが、もともとは「有難う」と漢字で書かれる言葉でしたね。
よく見れみれば、普段、「ありがとう=thank you =merci=あなたに感謝します」と思ってるそのどこかが違うことが見えてきます。

この言葉、漢字の意味だけに注目すると、「有る事が難しい」です。存在することが難しいこと、つまりはめずらしいこと、めったにないこと、そして貴重なこととなりますね。
そういえば、「枕草子」を通して、「ありがたきもの」ではこの世にあるのが難しいもの、つまりめったにないものであると習ったことを思い出しました。記憶にある方も多いのではないでしょうか。
びっくりするような話を聞いて、若者言葉では(今もそうなのかは知りませんが)「ええー、ありえない!」というのもありましたよね。気がついてみれば今も昔も同じところに繋がるんですね。

勉強しなおしてみると、この「有難いこと」の話は仏教の教えにさかのぼるようですが、その話は省略するとして、誰かに親切にしてもらった時、あなたの優しさは貴重なわけですが、その貴重な優しさに触れることができた私はめずらしい、つまりラッキー者でもあるのです。
何がめずらしいのか、何がラッキーなのかと言い出せば、すべては偶然の重なりで発生するわけで、そんな自分こそがめずらしい、ありえない、ラッキー者だということにつながっていきます。
そこで、最初の仏教の教えに戻っていくわけですが、やはり自分がここに存在すること自体が、ちょっとやそっとではありえなかったことなのであり、有難いことなのだと。

この教えを、九死に一生を得た、しかもまだ若い高校生の彼女が語るとき、彼女がいかに実感をもって語っているのかがよく伝わってきますし、若い彼女だからこそ、そのメッセージ力は素晴らしいものです。彼女のメッセージが世界中に届くのはもちろん、それを願う以前に、日本中に届くことを心底祈っています。
何事も口で言うのは容易いけれど、人間にとって、自分が経験したこと以外のことを本当に理解するのは難しいことだと思います。被災地の方々が日本の中で孤立していると感じている傾向がとても強いことを否定することはできないと思います。日本の政治のニュースなどこちらにも流れてきますが、東北被災地から来るメッセージの重みを日本人全員がもっと真剣に受け止めるべきだと思っています。そんな状況にもかかわらず、被災地から来た100人の若者たちは、「自分たちは前を向いている!」というメッセージを元気いっぱいに伝えていました。これからも応援していきたいと思います。

インターネット上でかわいらしい絵を見つけたので、ここで紹介しますね。



「ありがたい、ありがたい」と拝みながら繰り返しつぶやくおばあさんたちがいるのを思い出しました。私の祖母もそうでした。世界中の人がこう思えるようになる日こそ、世界に平和が訪れる日なんでしょうね。

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