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2022年8月18日木曜日

特別展示「À l'opéra chez les Despous !」開催中!

モンペリエにある美術館で中心的な存在となっているのは、Musée Fabre/ファーブル美術館。中心街のエスプラナード脇にあります。

 

 

この美術館の別館として、装飾美術品部門の建物「l'hôtel Cabrières- Sabatier d'Espeyran」が道を隔てて隣にあります。ここで言うl'Hôtelというのは、ホテルではなくて邸宅や館という感じの、かつての貴族やお金持ちの人々の住まいの建物のことを指します。

 


 

現在ここで、私も仕事で関わった展示会をやっているので、ご案内させてもらいます。

この展示会の名前は「À l'opéra chez les Despous !」。

 


 

 les Despousというのはデスプス家のことで、19世紀末にこの建物を建てて、以後ここを住まいとしていた貴族の一家なのですが、モンペリエの街の有力貴族であるとともに、芸術文化を愛し、この分野の発展に貢献した大の保護者でもありました。

モンペリエのオペラ座コメディの現在の建物は、1888年にこけら落としを迎えているのですが、まさにその時代に活躍し、このオペラ座の建設にも大いに関わった人物であり、個人的にも音楽サロンやスペクタクルなどもプライベートでオーガナイズしていた音楽芸術ファンであったのが当時一家の主だったシャルルさん。

モンペリエの音楽史を語るに外せない人物で、かれら家族の日常空間を舞台に、当時のモンペリエの音楽シーンを再現しよう、というコンセプトの展示会となっています。

展示会は、ファーブル美術館とモンペリエオペラ座とモンペリエ市古文書館の協力によって準備されました。この三つの組織がそれぞれに、当時の資料や品などを保管してきているので、テーマに合わせてそれらを一同に並べる、しかも日ごろからこの家族の日常品などを展示しているこの邸宅の空間に展示するというのは、またとない機会。

この邸宅の内部は、とても保存状態がよく、当時の家具などがそのまま展示されているので、再現された空間というよりも、当時そのままの空間になっているのです。

今回はその空間に、オペラの衣装や楽譜、オペラ座コメディの当時の資料などを展示しました。

 


 

 

貴族というと、社会全体の一部分の人々には違いありませんが、当時の音楽界はそういった人々によって担われていたので、当時の雰囲気を理解し、感じ取るには、またとない機会となっています。
 


この展示会は6月25日に開幕し、11月6日まで開催されています。

興味のある方はぜひ、この機会にチェックしてみてください。

ファーブル美術館の特別ページはこちら

 

2022年7月30日土曜日

Tous à l'Opéra ! その6 ヴァイオリン職人

さて、弦楽器製作職人である二コラ・ジル氏のアトリエのお話の続きです。

二コラさんは、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの制作を手掛けていますが、今回のアトリエではヴァイオリン制作を例に、素材となる木の選び方、切り方、保存方法、削り方、接着方法など、持参のモデルを見せながら詳しく説明してくれました。

 


 

アトリエの参加者の中には、ヴァイオリンを習っている子供から、転職先として楽器作りを考えている人、家具職人さんもいたりして、みんな興味津々で聞いています。

 


日ごろから木材を相手にしている人たちなんかは、二コラさんが持ってきた道具にも釘付けで、この小さなミニカンナに驚いていました。



管楽器のときもそうでしたが、制作過程としてはついつい切断過程や型作りに目がいってしまいますが、接着作業も重要な過程。強力に接着して、かつ、楽器の響きに差しさわりのないものなど、職人にとってよりよい材料探しというのは、永遠のテーマなんだとよくわかりました。


 

職人さんの世界では、永遠に改良改善を探求すると同時に、17世紀ごろの制作技術が今に至っています。数百年の時を超えても、当時の職人達の知識と判断が正しかったということであって、インターネットのおかげで情報量や情報伝達のスピード、または機械、ITによる時間縮減など現代の利点はあるけれど、その道を追求する本物のプロを前にすると、そういった現代の便利な技術も「スピードアップ」程度でしかなくて、400年前のプロのアドバイスに沿うことが一番確かなことなんだということもよくわかりました。


 

二コラさんは世界的に評価されている人だと前回お伝えしましたが、それがどういう意味なのかというと、世界中から発注を受けているということなんです。フランスの演奏家はもちろん、アメリカ人も日本人も、コンサートなどで活躍する演奏家が、二コラさんが作る楽器で演奏したいと思って、注文してくるのです。

そのためには、もちろん試し弾きなども必要なわけで、演奏家側も時間とお金を費やして、二コラさんのアトリエまでやってくるのです。そうでもして欲しいと思う楽器を作る人、という方向で見れば、すごい人なんだなあとつくづく思います。 

さて、二コラさんは 最後に質問時間を設けてくれました。

製造技術の学び方や製造方法を説明してくれていたので、全体像をしっかりカバーできたのですが、それでも私には一つ質問したいことがありました。

いざ手をあげようと思ったら、先に質問した人が、まさに私が聞きたかったことを質問してくれました。それは「どうやって二コラさんのように世界中からお客さんがやってくるほどになるのか。つまり、どうやって知名度がそこまであがるのか。」という点。とくに二コラさんの場合、まだその道では若い人。現時点ですでに世界中に顧客がいるということに、私も質問した人も圧倒されたのです。

二コラさんの説明では以下の三点。

まずは国際コンクールの重要性。二コラさん自身、アメリカで開催されるコンクールで大賞をとっていますが、それによって音楽界隈で情報が回ります。完全匿名方式の厳しいコンクールで、制作者に関する情報は一切ない中で厳密な審査が行われます。その中で選ばれると言うのは、楽器のあらゆる「質」において選び抜かれたわけですから、超絶級の太鼓判をおされたようなもの。品質に対するゆるぎない信用を得るわけです。

また、国際見本市の重要性。二コラさん自身、世界で行われる弦楽器の見本市に何度か参加したと言っていました。世界中の同業者や演奏家との実際のふれあいによって、また新しいコンタクトも生まれるし、これも音楽界隈で情報が回る助けになります。

そしてあとは基本のきとなる口コミ。 優れた演奏家が素晴らしい演奏をして、「自分は二コラ・ジルの楽器を弾いている」ということがこのうえない宣伝になるわけです。演奏家が演奏家を呼ぶ形で、今や二コラさんの楽器を演奏する演奏家が世界あちこちにいるという現状に至っているのです。

すごい人だなあと思って質問したら、その返事と説明を聞いて、さらにすごい人なんだなあと圧倒された私たちでした。興味のある方は、ぜひ二コラさんの個人サイトを覗いてみてください。

 二コラさんのサイトはこちら


2022年7月24日日曜日

Tous à l'Opéra ! その5 弦楽器

引き続き、Tous à l'Opéra「みんなでオペラ座に行こう!」のお話です。

5月8日土曜日の午前中は、弦楽器製造についてのアトリエでした。前日に続いて参加する私は、いかにも張り切った熱心な市民代表のようです。

同じ部屋で行われているものの、前日の「いい仲間」の管楽器とは、ガラッとムードが変わって、部屋に入るなり、ちょっとクラシカルな雰囲気の中、アトリエは始まりました。

この日の講師は、二コラ・ジル(Nicolas Gilles)氏。参加者がみんな部屋に入って席に着くのを、静かにじっと待ってくれている姿は、何やら威厳ある玄人の様相です。

 

 

この二コラさんは、今40代。2001年に自分の工房をモンペリエに開いて、楽器製造職人としてはまだ若手とも言える世代。けれど実はすでに国際的にとても評価されている名匠なのです。

モンペリエで生まれ育ち、もともとクラシックギターを学んだ人で、コンセルヴァトワールなどで研鑽をつみ、ギタリストとしてコンクールなどにも出ていた人。けれどかなり早い段階で本人は楽器作りに興味をもったようで、高校生の年齢で、アルザス地方にあるフランス国立の弦楽器製作学校(L'Ecole Nationale de Lutherie)に入り、ディプロムを得ています。

その後アメリカに渡り、ニュージャージにある専門学校で研鑽を積みました。

その後も何人かのヴァイオリン職人の工房で修業を積んでから、2001年に自分の工房を開くことになるのですが、2016年にはモンペリエから西へ40キロの村に引っ越し、そこで思う存分自分の創作に没頭する環境を得たようです。

その工房でヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロを作っています。

若くして自分の工房を構えたり、恵まれた環境の場所に引っ越すなど、話を聞いているだけでもその道で成功をしてきた人なのだなとわかりますが、詳しく話を聞くと、本当に世界的に優れたヴァイオリン職人なのだとわかります。

この二コラさん、顔をみて、名前を聞いて、なんとなくどこかで会ったことがあるような、、、と思ったのですが、それも正解。数年前にモンペリエで「木」にまつわる国際学会が開かれたのですが、そこに通訳の助っ人で参加した私は、その時に家具製作の職人さんや楽器作りの職人さんと出会い、その中にこの二コラさんもいたのでした。

私とは同世代で、静かでとても控えめな感じで、どこかひょうひょうとした感じもあり、パッと見ではそんなすごい人だとは全くわかりませんが、逆に、こういう人が玄人中の玄人、プロ中のプロなんだろうなとつくづく感じました。

モンペリエって、日本人として人口から考えたら本当に小さな街なのですが、こうしていろいろな分野で世界的にトップレベルの人がふらっと現れたりして、ひょんなご縁でそういう出会いにも恵まれた私にとっては、この街で暮らすおもしろさの一つです。

それではまた追ってこのアトリエの続きをお伝えしたいと思います。


2022年7月18日月曜日

Tous à l'Opéra ! その4 トロンボーン

皆さんは管楽器の材質や作り方を知っていますか?

私は勝手に頭の中で、木製のものに比べて金属製のものは、あまり繊細な作業が必要でないというイメージを作ってしまっていました。なんという偏見と思い込み!

今回の管楽器製造についてのアトリエで、写真やビデオを通した説明を聞くとができて、新しく学ぶこと多々ありで、とても新鮮な勉強になりました。

大量生産の工場で作るのはまた違う雰囲気だとは思いますが、今回の講師であるファミリー企業ゴデのステファンさんの製作所は、完全に職人さんのアトリエの雰囲気。 ステファンさんが公開してるビデオを使って、簡単にお伝えします。金管楽器の中でもトロンボーンの製造を主としておられるので、トロンボーンの作り方の説明です。

まず素材は銅と亜鉛との合金。この合金のことを英語でブラス(Brass)というということさえ、今回初めて知りました!日本語では真鍮(しんちゅう)とか黄銅(こうどう、おうどう)と呼ぶとのこと。含まれる亜鉛の量の歩合にとって、呼び方が変わるそうです。 

トロンボーンは構造上は、管の部分とラッパの部分(朝顔とかベルとかいいます)の二タイプからなっています。

まず管の部分の製造工程を見てみましょう。

トロンボーンの作り方 管の部分1 

トロンボーンの作り方 管の部分2

金管楽器は金属性の管でできている、なんて単純に言っても、精密な調整が必要なのは当然ですよね。とくにトロンボーンの場合はスライド部分がとてもスムーズにスライドする必要があるわけだし、管の幅の調整や金属の厚さの調整とか、どこをとってもまさに職人芸なわけです。

ラッパの部分に関して、私は管状のものから広げたり伸ばしたりしてラッパ型にするものかと思っていましたが、全然違いました。一枚の銀杏のような形の板状のものから、 端と端を熱で接合して、酸で洗う工程を経てから、木づちなどでたたいてラッパ型にしていくのです。板一枚から作る 1枚取りベルと、二片の板を結合させて作る2枚取りベルがあります。全く違う作り方を想像していたので、びっくりでした。

金管楽器といえばピカピカに光り輝く華やかさが持ち味ですが、もちろん表面の加工作業をなくして、あのような光沢は出ません。

トロンボーンの作り方 表面 

磨いて、磨いて、磨いて。仕上がりの色合いの素晴らしいこと。

最期の仕上げにラッカー塗装やメッキが施されます。銀や金という素材が使われるのは、この工程においてです。

ざっと説明してこの流れ。こうした工程の一つ一つの作業や仕上がりの違いが、音色の違いにつながるのです。 

私は以前から職人芸や職人気質のプロの仕事に惹かれていますが、個人で楽器製造をしている人たちは、まさに職人芸。時間がかかるけれど、一つ一つ、毎回同じ作業の積み重ねではあるけれど、丹念に、作っては仕上がりの確認しての繰り返しです。

制作に費やす時間、費用といったものを考慮して、一つ一つの楽器に値段がつけられるわけですが、そお技術と労力を考えたら、安い楽器なんて提供できるわけはありません。

大手メーカーの大量工場生産とは、値段の上では競争ができませんが、フランス内外から「ゴデのトロンボーンで演奏したい」と思うトロンボーン奏者がいるということが、何よりの喜びでありモチベーションの源であり、そういう仕事をして生計をたてるというのは、「お金」だけでは語られない、幸せと充実感があるのだろうなと、とても強く感じられるひとときでした。

2022年7月16日土曜日

Tous à l'Opéra ! その3 管楽器

Tous à l'Opéra「みんなでオペラ座に行こう!」のイベント行事のプログラムの一つとして、5月7日土曜日の午前中には、金管楽器製造についてのアトリエが開催されました。

 


私は10時からのグループに参加したのですが、まず最初は我らが同僚、オーケストラ団員のミニグループによる演奏で始まりました。

 

 

音楽業界ではよく言われることですが、管楽器奏者というのは仲間意識、友達意識が強く、言ってみれば「いい奴が多い」とでもいいますか、仲良しでワイワイというムードの人達です。この日の演奏はまさにそんな感じで、トロンボーン奏者たちが自分たちの楽器の修理士でもあり友達である講師の応援で駆け付けたという雰囲気でした。

しかもフランスの管楽器奏者というのはなかなかレベルが高く、モンペリエのオーケストラのトロンボーン奏者もかなりの強者です。しかもサービス精神旺盛なので、トークを交えながら、ジャンルの違う曲を数曲演奏を披露してくれました。

 

さて、アトリエの講師はステファン・ゴデ(Stéphane Gaudet)氏。

 


ロワール川のお城で有名なアンボワーズから来てくれました。1955年から親子代々で続く金管楽器の製造/修理メーカ「ゴデ」の4代目。特にトロンボーンを専門としています。もともと金管楽器の世界では知られる歴史的メーカーAntoine Courtoisの下請け的活動で家業が始まりました。ステファンさん自身も若いころの修業は Courtoisの工場で積んだとのこと。

まずはメーカー製品の紹介ビデオからどうぞ ゴデ 

ステファンさんは写真やビデオを見せながら、トロンボーンの作り方の説明をしてくれました。何が興味深いかというと、工場での機械的な生産ではなくて、まさに職人的な手作り。小さなガレージの隅っこで、ガラクタかなんなのかわからないような空間で、見事な音色の楽器を作っているのです。次回、そのビデオを紹介したいと思います。

 

2022年7月11日月曜日

Tous à l'Opéra ! その2

さて、5月頭にあったオペラ座のイベントのお話です。

「Tous à l'Opéra !」、訳して「みんなでオペラ座に行こう!」。フランス全土で行われるオペラ座のプロモーション的なイベントで、今年で15回目を迎えました。

モンペリエのオペラ座でも5月6日から8日の週末にかけて行われたのですが、もちろんメインは土日。

オペラ座コメディの内部ガイド付き見学や、本番前のリハーサルの見学などがあって、朝から家族連れなどで賑わいました。

毎回「Tous à l'Opéra !」の毎にメインテーマが設定されるのですが、先日お伝えしたように、今年のテーマは「楽器製造」でした。

そのためにモンペリエのオペラ座でも、管楽器職人さんと弦楽器職人さんを招いて、楽器作りを紹介するアトリエと、チェンバロ奏者による楽器紹介のアトリエが開かれました。子供から大人まで参加無料。人数制限のための事前予約があるだけです。

楽器作りについては、土曜日の朝が管楽器職人、日曜日の朝が弦楽器職人。それぞれ10時からと11時からの二回アトリエが設定されました。 こういうタイプのアトリエは確か初めての試みです。

私はかれこれ長いことオペラ座のコンサートやイベントに参加していなかったのですが、今回はこれをお目当てに、参加するぞムード満々。 事前予約必要だったので、担当部署に電話して二日とも参加したいとお願いしたところ、締め切りは過ぎていたのですが社員扱いということで(?)参加OKにしてもらえました。

朝は苦手な私ですが、通勤でもないのに朝からオペラ座に向かうのは珍しいこと!しかも週末の朝っぱらから!でも通勤じゃなくて、仕事と関係があるコンサートなどに行くのでもなく、純粋に一参加者としていくので、お出かけ気分ルンルンで出かけました。 モンペリエの5月ごろの気候は文字通り最高です。

 

 

 

オペラ座内見学の人達はメインエントランスから。楽器のアトリエの人達は通用口が集合場所です。メールでの事前予約制なので、スタッフが入り口で名前のチェックをしてから、会場となる最上階にあがりました。毎日通ってる建物なのに、お客さん気分で建物に入ると、こうも感覚が違うのかと、我ながらの新しい発見におもしろい感覚をおぼえました。よっぽど楽しみに張り切って行ったのでしょうね。

土曜日と日曜日、それぞれのアトリエの様子を追ってお伝えしたいと思うので、どうぞお楽しみに。

2022年5月29日日曜日

Tous à l'Opéra ! みんなでオペラ座に行こう!

日本がゴールデンウィークで賑わう頃、フランスではとあるイベントが毎年開催されます。

それは今年で15回目を迎えた「Tous à l'Opéra !」。訳して「みんなでオペラ座に行こう!」といったところでしょうか。 

今年は5月6日から8日の週末にかけて行われました。



オペラ劇場やオペラの世界そのものをよく知ってもらおうという試みで2007年に始まったこのイベントは、フランスのオペラ連盟がリードをとって開催されます。

フランスオペラ連盟/Réunion des opéras de Franceには、現在35の劇場やオペラカンパニーが属していますが、フランスの主要都市のオペラ劇場はもれなく仲間に入っており、「Tous à l'Opéra !」に関して言えば、実質、フランス全土各地で開催されるイベントとなっています。

どんな内容かと言うと、劇場の一般公開からリハーサルの公開、オペラにまつわる職業の紹介などがあって、舞台メイクや衣装なども含め、アトリエ形式でスタッフと交流をもったり、普段オペラ本番の舞台を見に行くだけではなかなか触れられない舞台裏の部分に、一般客にもアクセスしてもらう機会を提供するものとなっています。

しかもうれしいのは、たいていが入場無料、参加費無料で行われるということです。

こういうところ、フランスは大したもんだなあと思わせるところですよね。

そもそもオペラというジャンルは、そのものが幅広い職業や分野と関わってなりたっています。本番の舞台にたつ人だけでも、歌手、ミュージシャン、指揮者、ダンサー、俳優と、それぞれがその道をすすむ人たちのコラボレーションになります。が、舞台を作る側の人たちも入れれば、演出家のもと、舞台装飾や衣装、照明のデザイナー、そしてスペクタクルを実現化して実行するスタッフとして、大道具、小道具、照明、音響、舞台マネージャー、衣装、メイクなどなど、各自の職業は多岐にわたります。

もちろん、その他にも舞台装置を作る人、衣装を作る人、などもいるわけですし、ミュージシャンが演奏する楽器を作る人もいれば、楽譜出版に関わる人だっています。

こういった関連性を紹介するのも、このイベントの目的の一つです。

さらに、毎年特別にテーマを絞って、それに重点を置いたイベントプログラムが組まれるのですが、今年のテーマは 「楽器製造」でした。

「楽器製造」と一口に言っても、そこには楽器を作る人だけでなく、修理する人、楽器を売る人、など、様々な人々が関わっています。

 イベントに参加する劇場やカンパニーが、それぞれイベントプログラムを提案して開催されるのですが、もちろんモンペリエのオペラ座もイベントに参加して、3日間のプログラムで開催しました。

私自身が足を運ぶことはあまりなかったのですが、今年は久しぶりに、しかも観客の一人として参加してきたので、また追ってご報告したいと思います。



2016年7月3日日曜日

数か国語操れなくては、、、と誓う夜

早くももう7月。

モンペリエオペラ座の今シーズンのプログラムも、6月の「Royal Palace (ロワイヤル・パレス)」と「Il Tabarro (イル・タバーロ)」の二本立て公演をもって、終了しました。




Kurt Weill (クルト・ヴァイル)の「ロワイヤル・パレス」がドイツ語、そしてGiacomo Puccini(ジャコモ・プッチーニ)の「イル・タバーロ」がイタリア語のこのプロダクションは、オペラ作品自体がほぼ近現代の難しい楽譜であるだけでなく、演出を務めたのが新進気鋭の若手女性演出家。


私も何度か一緒に仕事がある人なのですが、映画畑出身であり、すごい働き者の彼女が構成する舞台は、細部まで緻密に練られ、計算されています。

いわゆる群像劇を好む彼女は、主役、準主役はもちろん、その他の人にもいろいろな役割を与え、一つのステージ上、あちらこちらでアクションがあります。

歌手にとったら「ただ歌う」だけの舞台ではなくて、演技はもちろん、大道具や小道具を動かしたり扱ったりすることも求められて、常に演技や動作のタイミングを考えなくてはいけません。

そんな負担が大きい内容を求められた歌手たちは、世界各国から集まったすでにキャリアを着実に積み重ねている若手アーティストたち。

音楽的に話すだけでも、難しい二作品です。プッチーニは有名とはいえ、「イル・タバーロ」は話の内容から言ってもあまり一般受けしない作品。決して公演される回数が多い作品ではありません。「ロワイヤル・パレス」に至っては、公演されるのがめずらしい稀な作品。その証拠に今回の公演がフランスでのオペラ公演初ということでした。。

オペラ座の経済難から大物ビッグスターは呼べないという事情もありますが、難しい作品だと、なんでもやる気とエネルギーにあふれる若手の方が適しているとも言えるでしょう。

私はこのプロダクションには舞台裏として関わっただけですが、この舞台の顔ぶれはまさにインターナショナルでした。
フランス第八の都市とは言いながらも、小さい小さいと日ごろ思っているこのモンペリエ。私自身、ここ二、三年は数々の難題、トラブルに追われて、周りを遠く見渡す余裕などなかったのですが、ここへ来て、ほんの身近な、しかも自分の職場で「世界」を感じさせてくれるこのプロダクションがあり、とてもよい刺激となりました。

何よりも、やっぱり数か国語操れないとだめだ!と痛感させられました。

なぜかといえば、単純に、世界各国から集まったメンバーだったので、フランス語だけではコミュニケートがとれない現場だったのです。
例えば、若手有能指揮者のRani Calderon はイスラエル出身。主役のソプラノ歌手は南アフリカの出身。もう一人のソプラノ歌手はロシア人。主役のバリトン歌手はベラルーシの人。準主役のテノール歌手は前に話題にした韓国人のRudy Park。メゾソプラノはブルガリア人。バスの歌手はグルジア出身。テノールにはオーストリア人の若手とフランス人の若手。
衣装デザイナーはドイツ人。
さらにオーケストラを覗いてみれば、ロシア人は複数いて、フィンランド人、スペイン人などがいます。
続いて合唱団を見てみれば、アメリカ人、中国人がみつかります。
さらに舞台裏で私を加えてしまえば、こうして日本人もいるわけです。

今ここに挙げた人だけでも、ざっと15か国から来た人々が集まって、一緒に仕事をし、一つの舞台をつくりあげているのです。
しかもモンペリエという小さな街で。

もちろん、みんな多少なりとも数か国語を操りますが、圧巻は指揮者。彼は7か国語を堪能に話すとのことで、ヘブライ語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、そしてスペイン語を自在に操られるそうです。目下、ギリシャ語も勉強中だとか。
彼が話すフランス語を聞けば、「堪能に話す」というのが何を意味するかよくわかり、脱帽。発音はもちろん、とてもきれいなフランス語でお話になります。
韓国人のRudy Parkはイタリア在住が長いので、彼にとったらイタリア語が居心地がよさそうです。南アフリカ、ベラルーシ、オーストリア組は、それはもう堪能な英語でお話をされます。
細かい演出の指示を出すには、一つの言語だけではお互いにわかりあえないわけです。
さらには舞台装置の指示などもありますから、モンペリエオペラ座のスタッフも英語でがんばらなくてはいけません。

そのため、現場では、フランス語、英語が飛び交い、さらに舞台袖では、イタリア語、ロシア語も入ったおしゃべりとなっていたのです。

私は前回、「トゥーランドット」でRudy Parkに圧倒されて、人柄に魅了されたとお伝えしましたが、その彼とまた再会することになり、楽しい気分で仕事にいきました。
前回は大きなCORUMが仕事場でしたが、今回はオペラ座コメディ。舞台裏といってもせまいものです。みんなと連日顔を合わせます。
そんな中で、Rudy Parkともすぐに遭遇したので、まずは「アンニョン ハセヨー!」とあいさつしてみました。そしたら前回のことを覚えていたのか、「えー、日本人でしょ!」と返され、私の韓国人なりすまし作戦はあっけなく終わることに。なんせ、韓国語はそれ以外知らないという事実にもいたたたた。隣国の言葉をもう少し知らなくては!

彼は私に日本語であいさつをしてくれるし、私はイタリア語であいさつはできるけれど、
おしゃべりをするには、やっぱりお互いちょっとたどたどしい英語に切り替えないと話が続きません。おかげでまた久しぶりになんちゃって英会話を楽しみました。
連日顔を合わせていると、ますますわかるのが彼の人柄。本当に気のいい、謙虚な、そしてサービス精神旺盛なおもしろい人です。姿は姿で見れば見るほど、「お相撲さん」としか言いようのない風貌です。
私たちは年も近いだろうし、ヨーロッパに来たときが同じ時期ということもあり、そして数少ないアジア人同士ということで、やっぱり自然と親近感がわきます。なんやかんやで互いに写真を撮りあい、終いにはフェイスブックでお友達になりました。

あちらはモンペリエの音楽ファンを圧倒させたスター、こちらはただの舞台裏スタッフ。でもすっかり打ち解けあってしまいました。本人には「ヨン様と呼んで」と言われましたが、あえて親しみを込めて「パクさん」と呼ばせてもらうことにしましょう。

こういうとき、言葉の壁があっても、人間通じるものがあればわかりあえるという面を再確認できてうれしくなると同時に、やっぱりおしゃべりをスムーズにしたり、ギャグをもっとスムーズに言い合うには、英語なり、イタリア語なり、もっとできないとなあと痛感します。
なんせ、今回の舞台では演出が凝りすぎているために舞台装置が複雑で、舞台上に水はあるは、いろいろな空中プレイならぬ吊り下げプレイもあり、ちょっとした事故やらアクシデントが続出。パクさんも数日続きでアクシデントに見舞われました。
最終リハーサルであるゲネプロ中にもアクシデントが起き、お客さんはもちろん、スタッフ、さらにはディレクターも気が動転するような場面もありました。
私は英語で「大丈夫だった?」「痛みは?」「今日も気を付けてよ。」とか言うしかできず終い。コミュニケートはとれても、フラストレーションが残ります。

幸いパクさんはケガにも見舞われましたが、4公演を見事にやり切りました。
他の歌手陣も、みなさん見事なパフォーマンスレベルです。
演目が難しいだけに、連日満席御礼とはいきませんでしたが、見に来た人の口コミ効果で宣伝は広がったようで、最終日のカーテンコールではかなり盛り上がりました。
皆さんのエネルギー、レベル、そして仕事ぶりには、ブラボーと心から言いたくなった公演でした。お疲れさま!

そして23時ごろの帰路の途中、「再び英語とイタリア語の勉強をするぞ!」と誓った私なのでした。

2016年2月24日水曜日

コリアンパワー炸裂 in Montpellier

今日は久しぶりにモンペリエのオペラ界隈の話題を、(ほぼ)タイムリーにお伝えしたいと思います。

モンペリエのオペラ座、今シーズンの第三作目は皆様ご存知、有名なオペラ作品であるプッチーニの「トゥーランドット」でした。
大型コンサート複合施設であるCORUMの大ホールにて、2月7日の日曜日、9日の火曜日、そして11日の木曜日の三回公演がなされ、どれも満席となりました。この大ホールBerliozは2000人収容できますから、かなりの集客率です。

上演前の舞台にはいかにもアジアンな幕が下りていて、観客はすでにトゥーランドットの世界に足を踏み入れた雰囲気になっています。




ヨーロッパのオペラシーズンは9月スタートですから今シーズン第三作目なわけですが、2016年のオペラ幕開け作品として選ばれたのがこの超大作。三年前にナンシーのオペラで初演されたものを今回モンペリエで再演ということですが(同じ演出ということ)、ナンシーでは小さな劇場で行われたものが今回はモンペリエのCORUMの大ホールで行われたので、演出というよりも規模の拡大という面で、いろいろな手直しが行われました。
特に合唱団はモンペリエオペラ座合唱団とナンシーオペラ座合唱団、そこに何人もの補足団員が加わっての特大合唱団となりました。
オーケストラもオーケストラピットぎりぎりのメンバーで、しかも指揮はオーケストラ団員からの数年に渡るラブコールに答える形でモンペリエの主任指揮者となったMichael Schønwandt (ミカエル・シェーンバント)氏。とてもおおらかで暖かい人間性にあふれる彼のエネルギッシュな指揮に、総勢ほぼ200人のアーティストが懸命に答える感じで迫力万点、まさに巨大スペクタクルとなりました。

ネット上で練習風景からまとめられたティーザーがご覧になれます。
モンペリエオペラ座「トゥーランドット」ティーザー

三度の公演を無事終えて、批評、メディアも軒並み賛辞を送った様子で、ここ長年、さまざまなトラブルやスキャンダルで低迷してきたモンペリエのオーケストラ・オペラ座ですが、こうしてようやく少し復活か、といううれしい兆しを感じることができました。

今回のプロダクションは語るべきところがいくつもあるので、またの機会にこのブログでお伝えできればと思いますが、今日のタイトルにあるコリアンパワーは、今回私にとってもうれしい出会いというか、うれしい発見となった、すばらしい韓国人歌手についてのお話です。

オペラ「トゥーランドット」には、メインとなる役が三役あります。中国のお姫様である冷酷残酷なトゥーランドット、名前と身分を隠した異国の王子であるカラフ、そしてカラフとその父に仕える召使のリューです。オペラアリアのレパートリーとしては、トゥーランドットよりもカラフやリューが歌うアリアの方が有名で、世界各国で親しまれています。

私は今回字幕担当として参加したので、現場に居合わせれたのはピアノによる最後の通し稽古であるジェネラル・ピアノからでした。日本ではピアノリハーサルというのでしょうか。ピアノリハーサルというのは、演出、演技の練習を一通り終えた後で、衣装、メイク、照明などの調整が初めて行われる段階ですから、歌手たちはエネルギー消耗を避けるためにも本格的に歌うことはあまりありません。この日はトゥーランドットはもちろん、カラフ役のテノール歌手も、「あれ、バリトン歌手?」と思うような低音でずっと歌っていました。

舞台が中国の「トゥーランドット」ですから、出演者は皆、アジアンな衣装とメイクをしているわけですが、このテノール歌手は遠くからみてもアジア人だとわかる風貌で、あえてもっと言えばモンゴルから来たおすもうさんに似た感じの人。大きな体格をしています。遠くから姿を拝見する以外あまり歌声をきけなかったので、このときの私は「アジア人だけど、ヨーロッパのオペラの世界でがんばってるんだな。」、「一地方都市のモンペリエのオペラ座とはいえ、主役級がはれるなんてすごいなあ。」くらい印象でしかとらえていませんでした。

それが「びっくりたまげた!」としか言いようがないことになったのが、本番前のオーケストラによる最後の通し稽古ジェネラル(日本ではドイツ語からきたゲネプロ)でのことでした。

以前から若者を相手にした音楽教育活動にかなり熱心なモンペリエオーケストラ・オペラ座ですが、今シーズンからはさらに学生に対してコンサート無料招待を行ったりしていることもあって、この通し稽古は単に関係者に公開しただけでなく、多数の若者で客席がうまり、熱気のあふれる雰囲気となっていました。

そこで、私だけでなく、お客さんも皆さんびっくりたまげたのです。
このテノール歌手の声に、演技に、その存在に。

テノールとは一口に言っても、その声域、声質によって、いくつかのカテゴリーに分類されます。高く軽い声質から順番にあげると、レッジェーロ→リリコ→リリコスピント→ドラマティコとなります。スピントやドラマティコとなると、高い声だけではなくて、低音もしっかりひびかせないといけませんし、太く奥の深い、そして迫力のある声量が求められます。
「トゥーランドット」のカラフ役は、まさにこのテノールドラマティコの花舞台です。残忍なトゥーランドットや大コーラスに負けない迫力と存在感、そして有名なアリア「Nessun dorma(誰も寝てはならぬ)」を歌い上げる音楽性が求められるわけです。このアリアはかのルチアーノ・パヴァロッティによってメジャーになった名曲です。テノール歌手にとったら、このカラフ役はイタリアオペラを代表する最上級、そして最難関の役といってもいいでしょう。

今回の「トゥーランドット」は、モンペリエオペラ座の今シーズンの目玉作品で優秀な歌手がそろったとは言え、世界的大スターが来たわけではありませんでした。お客さんは「ごく普通に」有名なオペラ作品の演奏が始まるのを楽しみにしていたはずです。

「トゥーランドット」は出だし、上演が始まってからしばらく大合唱の大迫力の場面が続き、観客はすぐにこのオペラの世界に吸い込まれます。
そこからしばらくたってテノール歌手が最初の一声をあげた時が問題の「?!」の瞬間でした。お客さんは皆、「え?」と反応したはずです。

2000人収容の大ホールにいとも簡単に響き渡る声量はもちろん、オーケストラを軽々と飛び越えるパワー、そしてなんとも彼は自然体なのです。歌い方も演技も、すべてが気持ちいいほど自然としっくりきているのです。
私は何度も言うようにオペラがあまり好きではないだけに、オペラ歌手にはウルサイ輩です。パワーで押せ押せ派や、テクニックだけの機械的な声や、オーバーなわざとらしい演技や、いかにも光を浴びているのが好きであろう陶酔派など、いわゆるオペラ歌手によくあるタイプの人は正直言って好きではありません。ソプラノの声も少しでもヒステリックな感じや金属質な要素があると、あまり聞いていたくありません。
そんな私が彼には新鮮な驚きとともにすっかり魅了されてしまいました。

彼が観客をとりこにした様子はすぐに見て取れました。アリア「Nessun dorma(誰も寝てはならぬ)」の後、オーケストラは演奏し続けるのですが、そこで彼への拍手と歓声がわきあがりました。ミラノスカラ座などで見られるような大拍手です。

オペラ終了後のカーテンコールでも、他にもすばらしい歌手がそろっていたので、観客の拍手は最初から大盛り上がりでしたが、一番の主役はやっぱりこのテノール歌手でした。軽やかに、ちょっぴりひょうきんな感じで挨拶にでてくる彼の様子がますます観客をひきつけて、それはそれは盛大な拍手と歓声をもらっていました。

この韓国人テノール歌手はルディ・パーク(Rudy Park) さんといいます。年は私よりちょっと若いくらいか同じくらいか、30代半ばのようです。韓国で声楽を学んだあとイタリアに渡り、ローマでディプロムを取った後も、ドイツとイタリアで研鑽を積み、ヴェローナの劇場で舞台デビューしたそうです。それからというもの、主にイタリア、ギリシャ、フランス、スイス付近で活躍なさっていますが、アメリカはデトロイトと日本は東京にも行かれたことがあります。
ネット上で見てみたら、数年前に東京二期会のトゥーランドットの公演で、まさにピンチヒッターの代役としてカラフ役で出演し、日本のオペラファンをびっくりさせた様子でした。

それからすでに数年たっていますから、腕がさらに磨きをかけられた状態を私は目の当たりにする幸運を得たわけですが、歌手としてだけ考えても、この先まちがいなく、「トゥーランドットのカラフ役はルディー・パークだ。」と全世界で言われる歌手になると思います。もちろん好みは人それぞれですから、ネット上では彼の過去の出演作について多少批判的な意見も目にしましたが、その後もどんどん経験を積んでいっている彼のことです。彼に目をつけているオペラファンは、すでに世界中にたくさんいるようです。
モンペリエオペラ座で公開された彼の経歴はこちらです。Rudy Park氏 経歴紹介

いわゆるオペラファンではない私の関心はさらに別の方向に向きました。本番中の舞台上の彼の自然体の姿を見て、直感が働いたのです。「この人は心底自然体な人に違いない。」と。
つまり傲慢でもなければ、ナーバスでもなければ、変なカッコつけでもないだろうと読んだのです。
早速実際に一ヶ月に渡って彼と一緒に仕事をしてきたスタッフに聞いてみればドンぴしゃり。「本当に愛らしい人だったよ。」、「本当に謙虚な人だったよ。」、「めずらしくすごく普通の人だったよ。」、「誰もが彼みたいだったら最高なのに!」との声がぞくぞくと。テレビ業界でも舞台業界でも、現場を支えるスタッフ達は、人の人間性を目の当たりにしますからね。信用できる証言です。
「わあ、やっぱり!」と、それだけですでに喜んでる私でしたが、そこからさらにミーハー行動まっしぐら。たまたま楽屋ですれ違ったときに、私の顔を見るなりとても改まった感じで頭をさげて会釈してくれて、さらには「コンニチハ。」と言ってくれたように聞こえたのです。

「あれ、何で日本人ってわかったのかな。」と思いつつも、よくあるいつものパターンかな、とも思いました。一応私もささやかながら現地の業界関係者ではありますが、現地スタッフ以外からは私の同僚であり舞台マネージャーチーフであり日仏ハーフのTさんの奥さんと思われることが多々あること、あるいはもっと位の高い業界人(例えば日本のエージェントの人とか)と思われることが時々あるのです。

初めての接触に気をよくした私は、最終公演の日には「これはサインを求めにいくしかない!」という気分になりました。
これから世界的スーパースターになりそうだから記念に、というのもありえますが、私にとってはそれよりもとにかくこの業界で、彼のようなハイレベルで、そこまで「普通の人」っぽい人というのがいかに貴重であり新鮮であるかを知っているからこそ貴重なのです。

最終公演の舞台が下り、これからカーテンコールが始まるというときに、私は字幕操作のポストからすばやく離れて5階から0階まで一気に階段を駆け下り、カーテンコール真っ最中の舞台袖に向かいました。



                                  

                                                   

お客さんの興奮はそれはすごいもので、長い長いカーテンコールがようやく終わり、舞台裏では関係者同士のねぎらいと拍手のやりとりとなりました。ディレクターやエージェント関係者など、いわゆる位の高い人もたくさんいましたが、私は辛抱強く待った後、楽屋に向かおうとした彼の前に行きました。
改めておすもうさんのように大きな体格です。私が「ブラボー!!」と言うや否や、彼の方から「ああ、あなたは日本人ですか?」と聞いてくれて、お互い英語で少しやり取りをして、サインをお願いしたら「Of course !」と快く応じてくれました。イタリア語で彼の本名の説明もしながら書いてくれてました。ちょっと考えてから「アリガトウ!」と言ってくれ、心底自然体で気取らず着飾らない姿にうれしくなった私がそれこそ心底素直に「これから先素敵なキャリアに恵まれますように!」と伝えると、彼もまさにおすもうさんの満面の笑顔となりました。業界関係者がいならぶ空間の中、我ながらハートウォーミングなひと時となりました。

日本と韓国はお隣同士の国で、私には韓国人の友人はいませんが、南仏モンペリエのオペラ座の舞台裏で、年のそう変わらない私たちがお互いに英語、フランス語、イタリア語を混ぜてこうやって少しおしゃべりをして、なんだか不思議な感じです。こっちはすっかりモンペリエのローカル色にそまってしまった一日本人ですが、韓国人の彼がオペラ本場のヨーロッパ、そして世界の大舞台でこれからどんどん活躍していくのをお祈りしますと直接伝えられるとは、ますますうれしくなっちゃいました。
断然、俄然、応援します!
実は6月のプロダクションでも、彼がモンペリエに来ることが決まっているので楽しみです。
日本の皆さんも、またいつか彼の生演奏に触れる機会が得られるよう願っています。そのときはどうぞためらわずにチケット買って聞きに行ってくださいね!

さらに私ごとを言ってみれば、私も今の身体の故障がなければ、このプロダクションでコレペティとして彼と一緒に仕事をしていたかもしれません。いろいろありすぎてモチベーションも奪われていた私ですが、一気にポジティブな気持ちが復活してきました。これからが楽しみです。

2015年5月5日火曜日

Le château de Barbe-Bleue

さて、今週、モンペリエのオペラ座では、「Le château de Barbe-Bleue」(青髭公の城)の公演が行われています。これはハンガリーの民謡などからの素材をとりいれて、独特なスタイルの音楽を残したバルトーク(Bela Bartok)が1911年に作曲した彼唯一のオペラです。

実はこの作品、2009年にこのブログ上でも話題にした作品で、今回は二人のソリストと指揮者だけを変えた再演なのです。(当時の記事はこちら:2009年4月20日の記事2009年5月8日の記事

演出はジャン=ポール・スカルピタ氏。このブログでも何度か話題に出しましたし、私も一緒に仕事をさせてもらったこともある人ですが、2011年からモンペリエオペラ座とオーケストラのディレクターに就任していましたが、職員からマスコミも政治かも巻き込んだ大問題が発生して、2013年の12月を持ってポストから去るという結末に至りました。
2014年の一月からは新たな女性ディレクターがいるわけですが、それでも2014年-2015年のシーズンはスカルピタ氏が組んだものなので、今年度のプログラムには彼による演出作品や彼と縁のある人たちが多数組まれていました。その都度、オペラ座、オーケストラのスタッフとは微妙な空気、関係があったわけですが、今回の「青髭公の城」の再演をもって、事実上、スカルピタ氏がモンペリエから姿を消すということになります。

彼とはいろいろと問題があったわけで、今でもそのうちのほとんどは尾を引きずっている状態なので、今日はそういった裏話に入るのは避けさせてもらいます。でもそういった問題も踏まえたうえでも、この「青髭公の城」は、彼の演出による作品の中でも「あれは素晴らしかった。」と私が今もこれからも言うであろう作品です。

もともと登場する歌手が二人だけで、無駄が省かれた作品ではありますが、CORUMの大きな舞台を光だけによる舞台美術で、すっきりと、且つ、すごく効果的に仕上げられた作品は、「美しい。」の一言に尽きました。

光を効果的に使っただけあって、この演出でかかせないのが、スカルピタ氏のコラボレーターである照明デザイナーのウルス・シェーンバウム氏(Urs Schönebaum)氏です。
以前から何度も共演してきた二人ですし、今では彼自身オペラの演出を手がけることもあるようになってきていますが、この青髭公の舞台は、彼の才能をベースとした、彼の才能による演出といっても過言ではない舞台に仕上がりました。

私は今回の公演は観に行っていませんが、演出も舞台装置もすべて2009年と同じものです。今回の公演のティーザーがあるのでご覧下さい。
モンペリエ国立オペラ座公演・バルトーク作曲「青髭公の城」

いかがですか?
見てみたいなと思われた方が多いのではないでしょうか?

何度も言ってきたように、私はオペラの世界で働いているくせに、実はあまりオペラファンではないというか、オペラはあまり好きではないのですが、この「青髭公の城」は好きですし、日本でも公演の機会があるといいなと思っています。もともとオペラファンの多くは、モーツァルトやロッシーニなどのスタンダードなオペラを愛好してると思うのですが、こうした近現代のオペラの中も好きになる人が増えるといいなと思っています。近現代のオペラはざっくばらんに言って見れば、オペラっぽくなくなっているわけで、バルトークによるオーケストレーションを聞くだけでも、近現代音楽ファンにはたまらないと思います。
この音楽に、舞台上のシンプル且つ巨大なネオンが、白と赤と緑の三色だけでも見事にマッチして、とてもセンスのいい演出に仕上がっています。 

さて、こんなところで少しだけ作品の補足説明をさせてもらいますね。

このオペラの台本はバルトークとコダーイの共通の友人で、民謡採集のための旅行にも同行したバラージュが1910年に発表したものですが、オリジナルの物語はシャルル・ペロー (Charles Perrault 1628-1703) の「青髭」です。

日本人にとったらシャルル・ペローという名前はなじみがないかもしれませんが、「シンデレラ」、「眠れる森の美女」や「長靴をはいた猫」の作者なんです。これらの物語はペローによるオリジナルの物語ではなく、民間に言い伝えられる物語をペローが採取し、彼の時代の文化・風習を取り入れて、子供にも親しめるような文体でまとめたものです。

日本人も名前をよく知っているドイツのグリム兄弟やイギリスのマザー・グースよりも、ペローの方が先の時代なので、童話という児童文学のジャンルの先駆者と言える人です。ちなみに「グリム童話集」と「ペロー童話集」には双方で取り入れられている物語がいくつかりあります。
「青髭」もグリム童話の第1巻では収録されていたものの、第2巻では削除されています。

さて、ペローによる青髭の物語はこんな感じ。

---皆から恐れられている金持ちの青髭。彼は新しく迎えた花嫁に「どこでも開けていいが、地下の奥の部屋だけは絶対に入ってはいけない。」と言いながら鍵束を与えて外出にでかけた。誘惑に負けた新妻は金の鍵の扉の部屋を開け、その中で殺害された青髭の先妻たちの死体を見つけてしまう。戻った青髭に殺されそうになる新妻だったが、かけつけた二人の兄によって青髭は殺され、新妻は青髭の財産をすべて手に入れて金持ちになった。---

この物語をもとにして、「青い鳥」や「ペレアスとメリザンド」で有名なメーテルランク (Maurice MAETERLINCK 1862-1949)は「アリアーヌと青髭」という戯曲を発表しました。この戯曲をもとにして、「魔法使いの弟子」で有名なデュカス(Paul DUKAS 1865-1935)が1907年に全3幕からなるオペラを作曲しています。
メーテルランクのバージョンでは、まず青髭の新妻にアリアーヌという名前がつけられているという違いがあること。そして青髭の5人の先妻たちは殺されてはいなくて、城に幽閉されいたという違いがあります。事実をしったアリアーヌが城をさり、青髭と先妻達は城にのこるという結末です。

さて、バルトークのオペラ「青髭の公の城」の台本を書いたパラージュは、メーテルランクのバージョンをもとに、さらにいくつかの変更を加えました。まず新妻はユディットという名前。そして青髭公は外出で不在になるのではなくて、次々と扉を開けていくユディットに付き添っているのです。
それぞれの扉の先は次のような部屋です。
第一の扉 : 拷問部屋
第二の扉 : 武器庫
第三の扉 : 宝物庫
第四の扉 : 秘密の庭
第五の扉 : 青髭の広大な領土が見える
第六の扉 : 白い湖が見える
第七の扉 : 3人の先妻達

薄気味悪い青髭公の秘密と、ただ一組の男と女の関係がうまいことつなぎ合わされていて、バルトークのオペラでは、もともとの「怖い話」ではなくてこの一組の男女の姿がテーマとなっているといえるでしょう。

オペラファンでもない私がこうしてこの作品に触れる機会を得たこと、そしてこの見事な演出のバージョンを観ることができたこと(しかも歌手も世界一級でした)は、本当にラッキーなことだったと思っています。
バルトークの作品は、音楽と言葉が密接につながっていて他の言語でのバージョンを作りかねる点と、そもそもハンガリー語で見事に歌いきれる歌手もそうはいませんし、ストーリーがモノトーンで、舞台設定も一組の男女と7つの扉だけですから、世界中のオペラハウスでも上演される機会が少ない作品の一つだと思うのです。

世界のどこかで他の演出でこの作品を観たことがある方は、ぜひ感想などお聞かせください。




2010年10月10日日曜日

The Golden Vanity

先週の木曜日と金曜日に行われたコンサートで、この一年をかけて取り組んできた冒険が一つ終わりました。

それはオペラjrのLe Choeur d'enfants による「The Golden Vanity」のスペクタクル。


ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)の「The Golden Vanity」とアンリ・デュティユ(Henri Dutilleux 1916- )の「Chansons de bord」で構成された舞台。歌うだけのコンサート形式ではなく、オペラjrが独自に制作した演出、照明、衣装つきのれっきとしたスペクタクルです。
昨年の過密スケジュールの中、秋から徐々に練習を始めて、5月末にはモンペリエの北側にあるモンフェリエー(montferrier sur Lez)という町で発表、続いて6月にはモンペリエ市内の舞台で発表。
バカンスをまたいでから、今回また別の劇場での新バージョンの発表に向けて練習を再開し、無事に最終公演までなしとげたのです。

「The Golden Vanity」は厳密に言ってオペラではないのですが、作曲者ベンジャミン・ブリテンが演出付きで演奏されることも想定して書いた1966年の作品です。少年合唱のために多くの作品を書いたブリテンですが、この「The Golden Vanity」も例にもれず、ピアノ伴奏とともに少年合唱によって歌われるために作曲されました。

ストーリーは16世紀のイギリスの抒情詩がもとになっており、運航中にトルコ海賊船と遭遇したイギリス船に乗っていた見習い水夫の少年が主人公。敵からの攻撃を受ける中、自ら「海底にもぐって敵の船をやっつけてみせます!」と名乗り出た彼。ただ「成功したら褒美をください。」という彼に、イギリス船のキャプテンは金銀財宝をやると提案しますが、少年はそんなのはいらないと言います。しかしキャプテンが陸地で帰りを待つ娘をやると言って写真を見せると、少年も合意。まだ見ぬ少女を夢見て、勇敢に海に飛び込んで行きました。少年は見事敵の船の船底に致命的な打撃を与えて、トルコの海賊船は沈没。波にのまれそうになりながら、早く船に引き揚げてくれと必死で叫ぶ少年に、イギリス船のキャプテンと水夫長は「約束なんかは存在しない。」と言って放ちます。この態度には衝撃を受けた船員たち。そのまま少年を海に残して見殺しにしようとするキャプテンの意に背いて、船員たちはぐったりとした少年を船のデッキに引き上げました。しかし時はすでに遅し。少年は息を引き取ってしまうのです。
この事件があった海峡を船で通る度に、人は「波にのまれてしまう!」と助けを求める少年の声を聞く、、、というお話。

。。。と思いませんか?

これが子供のために書かれた作品なんでしょうか?
要するに、純粋で勇敢な少年が、信頼した大人の裏切りにあい、死に至るというストーリーです。
世の中の現実の教訓というにも、ダークで強烈な話ですよね。
このダークさがブリテンらしいというか、、、。

で、音楽はどうかというと、まさにそのまんま。
強烈です。
不協和音と激しい連打音。そしてリズムもそれぞれのパートが違う拍子とテンポで歌ったりします。
言うなれば難易度特上といったところでしょうか。
でもやっぱりブリテンカラー満載です。単純なようでコンプレックス。でも難解ではなくって、シンプル。

今思い出せば、初めて楽譜を見たとき、「はたして子供たちはこれをマスターできるんだろうか?」と一抹の不安を感じたものです。そして自分自身、「え、この激しいピアノパートを私が弾くの?大丈夫?」と思ったものです。
だって私が好きなタイプの曲ではまるでないですから。私が得意なタイプな曲ではまるでないですから。

でも一年かけて取り組むと、すんなりと身体に入って行ったというか、愛着まで湧いたといえるでしょう。
もう終わったというのが不思議な感じです。

激しく内容の密度が濃い作品なのですが、演奏時間は20分ほど。

そこで海、船乗りをテーマにしたつながりで選ばれたのが、デュティユの「chansons de bord」です。こちらは子供のために書かれた4曲からなる3声のアカペラ合唱曲。

海をテーマにとはいいつつも、実際、なんの関連性もないこの二つの作品で、一つの舞台を作り上げる、その演出の仕事を任されたのがこのブログでも何度か名前が出ているキャトリンヌ。本人、舞台で活躍する俳優さんですが、子供や若者への演劇の教育活動も熱心に行っています。
全身全霊のエネルギーをかけて仕事に取り組むパワフルな人なんですが、私はもう彼女の想像力の大ファン。文字通りゼロから彼女のアイディアだけをもとに作り上げられた今回の「The Golden Vanity」の舞台も、私の記憶にずっととどまることになるでしょう。

彼女の仕事ぶり、彼女の才能についてだけを、また別の記事で改めて書かないとだめですね。
今回のプロジェクトではオペラjr初の試みがありました。
それはニームにある高校とタイアップして、衣裳をファッション・モード学科の生徒が担当するというもの。キャトリンヌの舞台構成には、衣装の使い方のアイディア自体がカギとなっているので、彼女と日ごろからよく一緒に仕事をしているジスランが、高校とオペラjrの間のパイプ役となって活躍してくれました。
                                                          
さて、皆さんに舞台の様子を伝えるのに好都合なのが、地元ローカルテレビによる取材のビデオ。でもそのまえに、先週の舞台はニューバージョンだったといいましたが、何が進化したのか順を追うために、まずは6月にモンペリエ市内の小さなスタジオで行われた舞台の写真をご覧ください。
名前がLa Chapelle(シャペル)というだけあって、もともとチャペルだった建物をスタジオ化したところ。
その前に公演を行ったモンフェリエーの舞台とも幅、奥行はもちろん、照明装置や収容キャパシティーなど全部違う中で、キャトリンヌはうまいこと対応して演出内容を適応させていました。
こちらはトルコ海賊船のクルーとキャプテン。



こちらはイギリス船のクルーと見習い水夫の少年。




イギリス船のキャプテンと水夫長。




最後、船のデッキに引き上げたところで少年は息をひきとる、、、。




チャペルのステンドグラスをバックに、ラストシーンはこんな光景でした。




天井が高く、ステンドグラスを通して、外の日に光が入ってくるという難点も、こうしてみると美しさを増していていいですね。


ここまでの公演は合唱指揮がヴァレリー、ピアノが私、演出がキャトリンヌ、衣装がジスラン、そして照明がベルトランというチームで行いました。


さて、一方で先週公演を行ったのは、モンペリエ市が所有する劇場の中でも重要なところの一つ、Théâtre Jean Vilar ジャン・ヴィラー劇場です。





一番線のトラムの終点エリア、移民街で俗にシテとよばれる地区にあります。
毎年さまざまな演劇の充実したプログラムを発表している劇場で、今シーズンの幕開けに選ばれたのが、私たちの「The Golden Vanity」でした。

サイトはこちら。
http://theatrejeanvilar.montpellier.fr/pages/index.php

こじんまりとしていながらも、演劇の上演のためのプロの施設といえるでしょう。


実は、ここでの公演に際して、キャトリンヌにはさらに新しい作業が加わりました。それは舞台に関わるテクニシャンを養成する学校とのタイアップにより、学生たちを最後の研修として舞台に参加させるというもの。つまり、音声さん、照明さん、舞台美術さんなどのスタッフが学生と指導担当者ともに加わるというわけです。
照明担当者が変わったので照明の作業はゼロからやりなおし。
でもマイナス要素ばかりかと言えば逆で、ここでは舞台の設備がこれまでとは違って充実しているので、音響効果を入れたり、舞台正面のスクリーンを利用したりできるのです。
そこでキャトリンヌは港の音や船のきしむ音などの音響効果を入れました。そしてもちろんスクリーンを利用して照明を充実させ、ビデオで波の映像を入れ、さらには字幕を加えました。

そうなんです。
「The Golden Vanity」は原語の英語で歌うので、6月にはせっかく見に来てくれた子供たちが「ストーリーがよくわからなかった、、、。」と言ってたんです。
これも字幕のおかげで解消!

イギリス船と海賊船も、舞台美術・小道具担当の学生さんが立派にバージョンアップしてくれました。

というわけで、この10月の公演が最終バージョン。
晴れて!と行きたかったところなんですが、実はいろいろなゴタゴタつづきの末、合唱指導・指揮のヴァレリーが休みをとってしまていないのです。彼女のプロジェクトだったのに、彼女なしで最終を迎えるというのはなんとも残念なこと。急きょこの新年度開始から代理を務めてくれたのがヴァンソン。
こんな難曲をピンチヒッターでやるなんて、不安はもちろんありましたが、彼と私、コミュニケーションを十分に取って、なんとか無事に仕上げることができました。

さて、ではようやくここで、木曜日に取材に来たローカルテレビ局のニュース内容をリンクします。
短いですが、雰囲気は見てもらえると思います。

http://www.dailymotion.com/video/xf4h7o_l-opera-junior-au-theatre-jean-vill_creation

インタビューの様子を見ると毎回思わされるのが、フランス人はインタビュー上手ということ。
だって自然体で上手にしゃべるんだもん。
日本人だったら変に作っちゃったりして準備したりするでしょうに。

それにしても、こうして客観的に見ると、みんな歌はもちろんのこと、生き生きとのびのびと、そして真剣に演技してていいですね。
歌って演技して。
やっぱりこんなことができる団体はそうあちこちにはありません。
オペラjr、この先も長く存続していけるといいけどな。

最終公演後はみんな気持ちが高ぶって笑顔と涙の打ち上げとなりました。
バカンスをまたいで、昨シーズンからのもちこしで行った今回の舞台。だから10月という時期ながらも、この日でオペラjrを去る子、Le Choeur d'enfants を卒業してLe Groupe Vocal に移る子などがいたのです。
でもやっぱりみんなが慕うヴァレリーがいなかったことでなおさら。みんな感情が爆発したのでしょう。

いろいろ変化を迎えながら、こうしてまた一つの冒険が終わったのでした。

2010年5月29日土曜日

メフィストフェレ

今年の4月の私は恐ろしく忙しくしていたのですが、いろいろ重なっていた仕事の中には、オペラjrの子供たちが参加したオペラ「メフィストフェレ」がありました。

モンペリエ・オペラ座とモンペリエ・オーケストラの今シーズン終盤を迎えた4月29日、5月2日、4日の3公演がCORUMの大ホールで行われました。

http://www.opera-montpellier.com/francais/rep_MEFISTOFELE.html

この「メフィストフェレ」(Mefistofele)はプッチーニのオペラ台本作家として知られているアッリゴ・ボイト(Arrigo BOITO)が1868年に作曲した全4幕からなるオペラです。初演はミラノのスカラ座でした。

メフィストフェレスというのがドイツに伝わる悪魔の名前ですが、ゲーテが書いた戯曲「ファウスト」でも有名ですね。年老いたファウスト博士が悪魔メフィストと契約をかわして若さを手に入れてうんぬん、、、というストーリー。そもそも、この「ファウスト」という作品をもとにしたオペラがいくつか存在します。一番有名なのはグノー作曲のもの。一方、ボイト作曲の「メフィストフェレ」は、同じストーリーですが悪魔メフィストを主役において構成されたものです。ゲーテの「ファウスト」の中でも、グノーはオペラに使っていないギリシャ神話の部分もボイトは採用して第4幕にもってきています。

私はゲーテの「ファウスト」についての知識は全然なくって、ギリシャ神話もからんでいたというんは今回初めて知ったくらいの程度なので、このストーリーについてははしょらせてもらいます、、、。

さて、ボイトの「メフィストフェレ」が有名なオペラ作品かというと、いいえ、有名なオペラレパートリーとは言えないどちらかというとマイナーな作品です。かの名指揮者トスカニーニはこのオペラがお気に入りで、熱心に演奏していたそうですが、近年、このオペラを見たいと思っても、そう簡単にお目にかかれるわけではありません。

そんな作品と出会え、公演に関わることができるところが、私のモンペリエ生活のおいしいところ。この公演後にインターネットを調べていたら、熱心なオペラファンの方が日本からもわざわざモンペリエまで見に来ていた様子も発見。ね、それくらい、足を運んで一見の価値ある作品なのです。

ボイト作曲の「メフィストフェレ」の特徴は、男性の最低音歌手であるバス歌手が主役を務めるというところ。普通、ほとんどのオペラ作品ではソプラノ歌手かテノール歌手が主役を務めます。男性の低音歌手であるバリトンやバスは、よくお父さん役や王様の役なんかを受け持ち、登場シーンが少なければ歌うパートも少なめです。

そこが、この「メフィストフェレ」ではバスが主役で最初っから最後まで出っぱなしなのですからすごい。このオペラの公演の良し悪しはバス歌手の腕前にかかっているといってもいいでしょう。

さて今回、モンペリエ・オペラ座が公演したのは、オリジナルの制作ではなくって、数年前にベルギーのリエージュにあるワロニー王立歌劇場が制作した公演のリバイバルプロダクションです。指揮はベルギー人のダヴァン氏(PATRICK DAVIN)、演出は現在モナコ公国のモンテカルロ歌劇場のディレクターであるグリンダ氏(JEAN-LOUIS GRINDA)。

リエージュで初演したあと、イスラエルのテルアビブでも公演をしたそうですから、彼らにとっては今回のモンペリが3度目の公演先。以前の公演での歌手のキャストがどうだったのか知りませんが、モンペリエでメフィストフェレを務めたのはロシア出身のバス歌手コンスタンチン・ゴルニー氏(KONSTANTIN GORNY)。このオペラ内ではめずらしくセカンド役となっているファウストに、アルゼンチン出身のテノール歌手グスタヴォ・ポルタ氏(GUSTAVO PORTA)。

CORUMの大ホールは2000人収容で、客席も7階まである大きなホールです。ここでマイクも使わずに歌うオペラ歌手を聞くたびにすごいな~と感心するわけですが、やっぱりプロのオペラ歌手とはいっても、誰もがこういうサイズのホールで十分に響き渡らせれる声量をもっているわけではありません。その点、この二人のバス・テノールのコンビは十分なボリュームをもっていました。

合唱はモンペリエオペラ座合唱団とリエージュのワロニー王立歌劇場の合唱団による合同大合唱。なんといっても、このオペラでは大迫力の合唱パートがとても大事な役を担っています。

そして天使役として登場したのがオペラjrの児童合唱Choeur d'enfants。子供たちは今年度の過密スケジュールの中、アカペラの難しいパートを立派に歌って、指揮者、演出家を始め、関係者から称賛の言葉をいただきました。

迫力があったといえば、オーケストラピットにおさまったモンペリエ・オーケストラもそう。ほぼフルオーケストラの規模のミュージシャンがそろってましたからね。オーケストラピットっとあんなに大きくもできたのか、と初めて見ました。さらに舞台袖で演奏するグループもいて、的確な音響効果をねらっていておもしろかったです。

そんな感じで大迫力、大動員の舞台だったわけですが、やっぱり主役は圧巻メフィストフェレ役のゴルニー氏。

彼は歌唱力はもちろん、演技力もさえ、さらに素敵なのがその気取らずシンプルな人となり。オペラ界の裏事情をばらしてしまえば、こんな3拍子そろった歌手ってめったといないんです。(笑)当然、このゴルニー氏は舞台裏で働くスタッフからも一目を置かれ、慕われました。

あえて注文をつけるならば、このCORUMのホールでこの役を歌うには、あともうちょっと声量とパワーがあったら申し分なかったかな?でもそんなのないものねだりの一言にすぎません。

普段からのオペラファンのお客さんに加え、純粋に作品を見るために遠くから足を運んだ人、口コミでうわさをきいて足を運んだ人がたくさんいたのでしょう、平日2夜と日曜日の3公演ともほぼ満席。2000人収容のホールが3回ともほぼ満席というのはすごいこと。とくに「魔笛」とか超有名演目ではない「メフィストフェレ」がそれだけ集客したというのはすごいことです。

ゴルニー氏、最後の通しリハーサルであるジェネラルの様子をご自分のホームページに早速のせ、ユーチューブで視聴できるようになっていました。

私がとった写真もまぜながら、今日は舞台の様子をざっとお伝えしますね。

グリンダ氏の演出は、現代的な素材をシンプルに使った感じのスタイルでした。
メフィストフェレスが赤色の現代の普通のスーツスタイルだったり、黒の皮ジャケットを着てたりして、そんなところもモダンなスタイルを強調してました。
演出をシンプルにしても、音楽自体がド迫力ですからね。ちょうどいいのです。


オペラの序曲が流れる間、舞台にはスクリーンが下りていてそこに青空と流れる雲が写っています。




間もなくして合唱パートが始まるのですが、雲の向こうから次第に天使たちが姿を現わします。



そして主役、メフィストフェレの登場。

この演出でのメフィストのテーマカラーは赤。




続いてちびっこ天使たちが登場。



こうしてエピローグが終了して、舞台はカーニバルへ。




写真でわかるかと思いますが、さっきまで天使の恰好をしていた合唱団が、ここでははなやかなお祭りの衣裳に変わっています。

そうなんです、この公演の目玉は総勢250人のスタッフが参加したということからわかるように、大がかりなスペクタクルな舞台。合唱団だけでも120人いるのですが、その人たちが休憩をはさまずにわずかな場面転換の合間に衣裳を変えるのです。そのためにたくさんの臨時スタッフをかかえて衣裳スタッフ、メークさんたちがフル回転。大道具さんも10人、小道具さんも3人いましたから、普段のモンペリエ・オペラ座の公演よりも大がかりです。
そんな裏事情はまた改めてお伝えしたいと思っています。



カーニバルの後に、ファウストが登場。



ステージ上には白塗りの板で三方に壁がおりてきて、ファウストの書斎となります。そこへ、不気味な笑い声とともにメフィストフェレが現れます。




この辺りのシーンがビデオで見れますからどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=eA4AMVgEVKs&feature=related


互いに契約を交わして絶大なパワーを手に入れた二人が、高笑いをしながら天にのぼっていきます。大迫力の音楽とぴったりマッチした舞台仕掛けが印象的なシーンでした。




この後、庭のシーンに入り、ファウストとマルゲリータ、メフィストフェレとマルタの二カップルがやりとりをしますが、はっきり言ってこのシーンの演出はいまいちでした。(笑)そのために写真もなし。。。こういうシーンにしては、このホールの舞台は大きすぎるんでしょうね。

続いて二人はメフィストが支配する地底の国にやってきます。




ここでは舞台上で実際に火を使っての火の玉が飛び交い、お客さんの目をひいていました。



もちろんスタッフが手作業でやってる技ですから、成功したりはずれがあったり。

このシーンもビデオにあります。

http://www.youtube.com/watch?v=cXH7fKzDOno&feature=related



続いて迫力ある合唱パートのシーンです。





メフィストフェレが世界を支配下に!といって饗宴。



このオペラの合唱パートは、迫力あるしアカペラあるし、超早口言葉もあるしで盛りだくさんです。合唱団のメンバーもいつもより楽しそうでした。

http://www.youtube.com/watch?v=crYaKve_GLg&feature=related


これで2幕が終了。
休憩です。

第3幕は、実の母親と子を殺した罪でとらえられたマルゲリータの嘆きのシーン。
鉄格子の無機質な舞台セットでした。

マルゲリータ役のソプラノ歌手はまだ若いアフリカ系アメリカ人のタケーシャ・メシェ・キザール(Takesha Meshe Kizart)。低音から高音まで、すごい幅の音域をもっているのが彼女の武器のようです。一口にソプラノ歌手といっても、この役を歌える人はそうそういないと思います。

続いて舞台はいきなりギリシャ神話へ早変わり。
トロイの木馬で有名なヘレナ(エレナ)がでてきます。
さっきまでのマルゲリータ役のソプラノ歌手が、ここではエレナ役を務めます。

舞台一面の煙や、実際に火を使って炎上する神殿が見えたり、さらにはワイヤーを使っての空中プレイもありで、演出的にもりだくさんだったんですが、個人的に私にはぴんときませんでしたね、このシーン。
私はもともとゲーテの戯曲をよく知らないからなおさらだったんですが、話の展開がどうも「?」な感じでした。長い長いゲーテの戯曲から部分部分を取り出してくっつけてはつないで、という作業の難しさを感じさせられますね。グノーのように、ギリシャ神話部分は取り除いたほうがシンプルですんなり話がまとまるというのは事実かも。。。



写真は衣裳なしの舞台稽古の様子です。
ちなみにワイヤーで釣らされている黒天使はオペラjrの男の子です。

オペラではこの後、再びファウストの書斎に戻ります。
そこで最後に悪魔の誘いを断ち切るファウストですが、ここの演出は照明と一帯となって好きでした。

ファウストの書斎の壁を作っている板が一枚取り除かれて、バックから強烈な白い光が入りこむのです。すでに合唱団も最初の天使姿に戻ってスタンバイ。
まさに天からさす光が作り出されていました。






合唱の登場とともに壁が取り除かれて天使が姿をあらわします。そしてちびっこ天使たちに追われながら悪魔メフィストフェレが葬り去られてストーリーはThe END。

この最後の大迫力のオーケストラと大合唱の部分で、お客さんは感情をゆさぶられて、さらにホール内の天井からお客さんの頭上にむけ紙吹雪が舞いおり、この一大スペクタクルは幕を閉じたのです。

2000人のお客さんの熱狂はすごく、毎公演5分以上に渡る拍手が出演者に送られました。

はっきり言って大成功の公演でしたね。私は今回のことがなければボイトの「メフィストフェレ」なんて知らないままいたことでしょう。トスカニーニが愛したオペラ。ふんふん、なるほど、彼はこのド迫力が好きだったんですね。

私ときたら、ざっとお伝えしますとか言っておきながら、やっぱりいつものように長くなっちゃいました。

ここで紹介したビデオはすべてもともとゴルニー氏のホームページにあるものです。
彼は今のりにのってるバス歌手の一人で、毎月一本のようなペースですごくエネルギーのいる大作に立て続けに出演されているようです。

えらそうなところが全くなく、とてもフレンドリーで素敵な人だったので、ちょっぴりファンになろうかな。

興味のある方はのぞいてみてください。

http://www.konstantingorny.com/

それでは、この「メフィストフェレス」の舞台の裏をまた追ってお伝えしたいと思います。

2010年4月21日水曜日

アマーーーール!!

冒頭、オーケストラによるイントロのあと、母親が「アマーーーール!!」と呼ぶところから始まるこのオペラ。

メノッティ作曲のオペラ「Amahl and the night visitors」の公演が終了して、はや2週間になろうとしています。

昨年の9月から未経験者ばかりの新人新米グループAtelier de création と週一回の練習を始め、11月には演出家リシャールや振付師アンヌと出会い、Groupe Vocalのメンバーも練習に加わり、2月には衣装デザイナーのジャンヌと出会い、3月20日からはモンペリエ・オペラ座のスタッフが加わり、31日にはモンペリエ・オーケストラが加わり、4月6日、7日、9日に公演が行われ、7ヶ月に渡る冒険が幕を閉じました。

「冒険」はフランス語で「aventure アヴォンチュール」。

公演初日で照明デザイナーのダヴィッドと衣装デザイナーのジャンヌと別れ、公演最終日をもってリシャールともお別れ、そして新人集団Atelier de créationともお別れをしました。まさに一つのアヴォンチュールが終わったという感じです。

いつもの例にもれず、今回の冒険もいろんなトラブル、話題には事欠かず、喜び、怒り、不安、感動にあふれる密度の濃い7ヶ月でした。

公演が終わって賛否両論もちろんいろいろ感想は聞きましたが、大方の反応は「素敵だった!」です。夢があふれるというか、ファンタジーあふれる舞台で素敵だったという反応。
私も個人的に好きでした、この演出、そしてこの舞台。

いろいろと話題にしたいこともあるのですが、今日は写真とともに舞台の様子をざっとお伝えしたいと思います。

アマール役と母親役はダブルキャストで行ったので、写真にはそれぞれ二人ずつ別の子が写ってますのでご了承を。

「アマールと夜の訪問者たち」
オーケストラの演奏開始とともに幕が上がりました。

雪がちらつく中、松葉づえをたよってびっこをひきながら歩くアマールがいます。

この幕が上がる瞬間が私は大好きです。お客さんからすれば、幕の向こうに別世界が存在したわけで、この瞬間、お客さんからは夢の世界に入り込む「わ~。」という声にならない声や、「はっ。」という声にならない声があがり、それが実際にあちらこちらから聞こえるんです。スペクタクルの舞台がもつ魔法の力。私にとって大好きな瞬間の一つです。

満天の星空を見上げるアマール。



母と息子の貧しい二人暮らし。



夜になると二人は寄り添いあって寝ます。




突然ドアがノックされて目を覚ます二人。

東方の三博士が登場するシーンです。

三人は舞台後方にいるのですが、弱い照明でシルエットが見える程度。演出家リシャールはここで三人の顔のアップをビデオで舞台一面に映し出し、お客さんの笑いを誘っていました。



東方の三博士と言うとキリスト誕生にまつわる有名な登場人物で、普通なら知的で厳かな感じもあるキャラクターのはず。でもリシャールは、この三博士を三博士のふりをして民からの貢物をだましとる仲よしペテン師集団と設定しました。



三人を家に迎え入れると、母親はアマールに三人の邪魔をしないように言いつけて暖炉を暖める木を拾いに出かけます。

邪魔をするなと言われても、彼らに興味津津のアマールは次々と質問を投げかけます。




三博士は、作曲者メノッティのト書きに従って、バルタザールが黒人、メルキオールが白人、そしてカスパールはアジア人という設定です。



カスパールは耳が遠くてアマールの質問を「ええ?」と聞き返してばかり。
これも作曲者の意図です。




リシャール版の三博士はだまし儲けたお金を数えたりしてます。




アマールはカスパールがもつ魔法の小箱に興味津津。



そこへ母親が戻り、怒られるアマール。

三博士をもてなしたくてもアマール親子は貧しくて何もないので、母親はアマールに仲間の羊飼いたちにも何か捧げものを持ってきてもらうように声をかけに行かせます。

アマールが留守の間、三博士と母親の間で彼らが探し求める神の子についてのやりとりが美しい四重唱で歌われます。このオペラ中、一番よく書けていて一番感動的な曲ではないでしょうか。

そして羊飼いたちの登場。
合唱の登場です。4声からなる合唱パート。
まずはアカペラの曲で「みんな元気かい?」といった感じで仲間同士声をかけ合います。


続いてみんながお供え物をもってくる場面ですが、リシャール版ではみんな貧しくって何も捧げるものがないんだけど、、、、と言う設定。

みんな興味と怖さ半々で三博士を歓迎します。



合唱パートが二曲つづいた後、踊りのシーンに移ります。




たいていよくあるバージョンでは、コーラスが歌った後、ダンサーたちによるバレエに移るわけですが、オペラjrは全部やる!ので、合唱メンバーたちは二曲の歌のあとはダンスシーンへと続けていくのです。



ちょっと未開的野性的な味をつけて、というリシャールの要求にこたえたアンヌの振付。





この振付についても賛否両論いろいろ聞きましたが、関係者の一人としての私から見たこのシーンは、何がすごいかって、踊りの経験なんてないごく普通の若者たちを、身体表現の点でこのレベルにまで導き、若者らしいエネルギーをうまく使って五分間の踊りのシーンを堂々と演じさせたということ。

振付で使われたそれぞれのアイディアはもちろん、さすがだなあと思うところがあちこちありましたが、7ヶ月前にはまっすぐ立つ、まっすぐきれいに歩くことすら難しかった普通のいまどきの若者たちが、エネルギッシュで野性的でオリジナルなこのダンスシーンをやりきる姿をみて、私はただただほれぼれとしてしまってました。




三博士たちは、なんだか不気味な羊飼いの集団にどぎまぎしています。



フィギュアスケーター顔負けの回転技あり投げ技あり。



ヒップホップダンサー顔まけの連続早業ジェスチャーあり。

私はジェネラル・ピアノまで舞台下のピアノに向かっていたので、舞台上の様子がちゃんと見れてなかったんです。オーケストラが来てからの練習では、このバレエシーンを見るたびにわくわくしてました。



みんなが寝静まったあと、息子アマールを貧しい暮らしから救うために、ついつい宝の山に手をのばしてしまった母親。

三博士の付き人にすぐに見つかって捕らえられてしまいます。



母親役のN。去年の「ディドンとエネ」でも重要なベリンダ役をこなしたN。彼女の迫真の演技はすごいものです。実は彼女、女優志望でこの夏からパリに進出します。まだ17歳なのに、人とは何か違うオーラを放つ彼女。きっと世に出るに違いありません。




付き人と三博士から激しく非難される母親をアマールがかばいにきます。

「悪いのは僕でママは悪い人じゃないんだ!うそつきはこの僕で、ママは悪い人じゃないんだ!ママをぶたいないで!ママをぶったりしたら僕がお前を骨の髄までくだいてやる!お願いだからママをぶったりしないで!」というアマールのソロ。
この曲の終りでアマールは「お願いだから、、、。」と言って母親のそばで泣き崩れます。
アマール役の二人はまだ14歳で器用な演技テクニックなんかないだけに、子供の自然な弱さ不安定さがかえって劇的効果を増して、お客さんの心にぐっとくるシーンでした。


母親は許しを請い宝を返そうとしますが、三博士は「宝は返さなくてもよい。我々が探す神の子は宝など必要としないから。」といって、神の子がつくる夢の国について語ります。


この後、「せめてその神の子に僕の松葉えづえを贈りたい」とアマールが言ったところで奇跡が起こります。

なんとアマールは普通に歩けるようになったのです。

実はこの奇跡について、リシャールは奇跡なんてないという設定を行い、夜、夢遊病状態のアマールは実は松葉づえなしでも普通に歩いているというシーンをオペラの前半で見せています。
でも、それはちょっと見ててもわかりにくいんじゃないかな~~~という微妙な演出でした。

ともあれ、アマールは歩けるようになり、三博士たちの旅に加わることになりました。

リシャール版では三博士たちはペテン師なわけで、アマールもお金を稼ぐ一団に加わったというわけです。愛する息子を旅立たせる母親はもちろん複雑な思い。「身体には気をつけなさいね。」と声をかけますが、遠く立ち去る息子の後ろ姿を悲しそうにずっと見続けるのでした、、、、。

そして幕が静かに下ります。

The End。


一つの舞台作品をこんなふうにはしょってお伝えするのは無理がありますが、どうでしょうか。
やっぱりArt vivant 生きた芸術ですからね。生でその空間にいて体験体感してもらうのが一番です。
結果的にはこの舞台の演奏時間はたったの45分。
あっという間の45分です。

お客さんは夢の世界に入り、カーテンが下りるのと同時に夢からさめる。

3公演ともブラボーが飛び、熱心な拍手がいつまでも続いていました。

オペラjrの公演としてはもちろんのこと、この舞台は一つの作品として大成功を収めたと思います。演出や舞台照明にたいしても、新聞などの批評も好意的なものばかりでした。私を含め、オーケストラに対する不満を抱いた人はだいぶいましたが、、、、。またその話も今度。

本当の素人を含めた普通の若者が数カ月かけて取り組んだ成果。舞台のために働くそれぞれのプロたちが能力を出しあって作り上げた舞台。これがたったの3公演だけで終わりというのはなんとももったいない話です。
またいつかどこかで再演ということになるのかならないのか。
そんな話も含めて、お伝えしたいことはいっぱいですので、またの機会をお待ちください。