2011年1月30日日曜日

みっしぇる~~

ふりかえってみれば、昨年2010年は素敵な出会いに恵まれた一年でもありました。

お伝えしたいエピソードがいくつかあるのですが、今日はそんな出会いの中の一つ、私がすっかりその人のファンになっちゃった話です。

その人とは11月末に出会いました。

オペラjrにとって、今シーズンの最初のコンサートを間近に控えたころ、今年度のために新たに迎えた2人の合唱指導者のうちの1人、しかも皆から評価され期待を寄せられているVが、病気発症が判明して、急きょ手術・治療を受けるためにお休みすることになってしまったのです。

9月以降、コンサートはVが中心となって準備をしてきていて、もちろんコンサートでも彼がプログラムの半分を指揮することになっていました。が、お医者さんに宣告された手術予定日は残念ながらコンサート当日。当然、誰が代わりに指揮をするのかという議論になりました。

が、そこでV自らが私たちに「○○に頼んでみる。」と提案してきたのです。

この○○さん、私は名前しか知らなかったのですが、60歳を超え、フランス音楽界では大ベテランで優秀なトップミュージシャンの一人として認識されている大物。バリトン歌手であり、パリ国立コンセルヴァトワールやラジオフランス児童合唱団でも長年指導をした人で、今日は経験豊富な合唱指導者・指揮者としても活躍しています。大物なだけに各地を飛び回るハードなスケジュールの持ち主。そんな人がモンペリエの子供・若者を指揮するために、わざわざ足を運んでくれるのか?とちょっと疑った私。

実はVは、フランスの南西地域であるプロヴァンス・アルプス・コート・ダ・ジュール地方の(Provence Alpes Côte d'Azur)合唱団で、○○さんのアシスタント指揮を長年務めていて、二人は信頼と友情で結ばれた間柄。

Vに深刻な病気が判明して、Vたっての依頼ということで、友情の名の下、この方はちょっと無理をしてスケジュール調整をし、金曜日から水曜日までを私たちのために空けるという決断をしてくださったのです。

出会う前からして、「へぇ~、またそんな大物の人と出会うきっかけをもらっちゃって、私ってラッキー。」と感じた私。いざ、入院を翌日に控えたVの立ち会いのもと、私はこの方と出会いました。

その方はミッシェル・ピクマル氏(Michel PIQUEMAL)。

この日は若者グループLe Groupe Vocalの練習の日で、ピクマル氏はまずはお手並み拝見というか、歌声を聞いて様子をみるという感じで、椅子にどっかりと座っていました。
彼は体格は大きくないのですが、ずっしりと落ち着いて口数は少なく、鋭い目で様子を観察していました。

そんな大物を前に、私はまだ若造だし外国人だし、ただのピアニストだし、大人しく静かにしていようと思っていたのですが、入院と治療のためにしばらく会えなくなるVに、和紙で作った折り鶴をプレゼントしたところ、それを見たピクマル氏が、「君、飛行機は作れるのか?」と聞いてきました。

「え?飛行機?あの一番簡単な飛行機のことですか?だったらもちろん!」と私が得意げに応えると、「すごくよく飛ぶやつだぞ?」と言ってくるので、「え、私の知ってるのは普通のシンプルなやつですけど、まあ良く飛ぶときは飛ぶし、飛ばないときは飛ばないし、、、。」とか返事してると、横からVが「leonardoの飛行機はどうせまた適当なやつだろう?」とからかってきました。

そこでピクマル氏が「俺の飛行機の作り方を見せてやるよ!」と言って、紙をちぎって、もくもくと真剣に折り紙にとりかかりました。

案の定、私たち誰もが知ってるあの紙飛行機ではなくって、なにやらあちこち折り返して真剣に作っていらっしゃいます。最後には端っこをちぎって何やら重さ調整をしてから、サッと紙飛行機をとばしました。するとさすが!よく飛ぶやつとおっしゃったとおり、彼の飛行機はなめらかに空をきってよく飛びました。

このひょんな出来事から、静かに控えめにしていようと思っていた私はすでに態度転換。
気がついたら「今日の思い出にこの飛行機にサインしてください!」と頼んでました。
彼は微笑みながら、飛行機にト音記号とか書いて飾り付けをしたうえ、grosse bises(英語ではbig kiss ですかね)と書いてサインしてくれました。

このやりとりですっかりうちとけた私たち。

この日の夜はVも含めて一緒に食べに行き、翌日からは土曜日、日曜日ともに一日中、3つのグループと練習し、月曜日にはコンサートを迎えました。12月にブログの記事でもアップしたコンサートのことです。

ピクマル氏が緊急のピンチヒッターとして指揮をしてくれたのは、ドビュッシー1曲とラクマニノフ3曲、そしてゴスペルの影響を受けたアメリカの合唱曲3曲とアメリカの現代女性作曲家の曲。
いずれもフィーリングと自由さが大事な作品ばかり。単に四拍子で規則的にずっと続くような曲とは全然違います。これまでの練習でVは彼個人のフィーリングで合唱を指揮してきました。ですから若者たちにはその色がついてしまっています。ピクマル氏はその色を感じとって尊重しつつも、自分のカラーでぐいぐい引っ張って行ってくれました。さすが子供、若者というのは順応性に富んでいるものです。彼らはしっかりと彼の要求に応えて行きました。

しかしピアノ伴奏で行うコンサートですから私の役目も大事。長いイントロで曲のムード、色はできてしまいますから。でも幸い、彼が行った変更、変化に私にとって居心地の悪いものは一瞬たりとなく、彼の要求に素直に自然に応えることができました。

なんといってもそれは彼が本物大物ミュージシャンだから。彼とのたった数日間のコラボレーションで、カリスマ性とはどういうものか、オーラとはどういうものかというのを改めて感じさせてもらいました。言葉は少なくとも、彼の呼吸で、彼のジェスチャーで、こちらは感じとれてしまうのです。共演者に、そして聞き手に何かを伝えることができる人というのは、こういう人のことを言うんだな、と深く感じました。

紙飛行機事件から、向こうはすぐに気さくなしゃべり方であるチュトワイエをしてきてくれましたが、私が自分は若造だし、、、と思って彼にヴヴォワイエでしゃべってしまうと、向こうもまたヴヴォワイエになったりして、どうもちょっぴり照れてぎこちない2日間を過ごしました。
が、月曜日の午後に一つ目のコンサートを終えたあと、お互いがっちりとハグしてビズしてメルシーとブラヴォーを言い合うと、彼が「助けてくれてほんとありがとう。君はすごく柔軟だね。うれしくなっちゃうよ。」と言ってくれたものだから、私は有頂天。ちょっぴり改まって「チュトワイエしても大丈夫だった?」と一言聞くと、「何言ってんの、もちろんだよ!」とニッコリしてくれました。

この日の夜のコンサートも無事に終了。
今年度頭からのドタバタスケジュールと様々な問題のせいで、このコンサートのでき具合はいったいどんなものになってしまうのやら、、、と私は真剣に心配していましたから、ピクマル氏が音楽性を吹き込んでくれて、エネルギーとカリスマ性で若者たちに魔法をかけてくれたおかげで、どんなに助かったことか。夜は午後のコンサートよりもだいぶいい出来で、みんな満足。
私たちは舞台上でがっちりと手をとりあってハグ。

一緒に共演すると、何かが通じ合うというのは本当のこと。
誰とでもというわけではなくって、ふと、ある人と一緒に演奏していて、一緒に呼吸して同じ一つのものを作り出す瞬間を感じるときがあるんです。息が合う、波長が合う、ということなんでしょうね。
お互い年齢も人種も文化も違うわけですが、このピクマル氏との出会い、共演は私にとってとびっきりうれしい出来事となりました。
もう「みっしぇる~~~!!」状態。一人ファンクラブ結成です。

この後、オペラjrのディレクターであるジェロームを含め、みんなで食事に行きました。
実はジェロームとミッシェルは20年以上前からお互いに知っている仲。そもそもヴァレリーの代わりを探していたジェロームにVを推薦したのはミッシェルだったのです。3人の男の間にある音楽と友情のつながりに感謝する夜でした。

となりに座ったミッシェルと私。ふと彼は、「俺の飛行機の作り方伝授しておかないと!」と言いだして、テーブルに敷いてある紙をちぎって、「真似をして同じのつくりな!」と言い、レストランの片隅で即席折り紙教室が始まりました。そして一緒に紙飛行機をレストラン内で飛ばす二人。

ふふふ。大物ミュージシャンは私の紙飛行機仲間。

3つ目のコンサートが水曜日に残っていたわけですが、彼はパリの区立コンセルヴァトワールでのレッスンと、彼がディレクターと指揮を務めるパリ地方合唱団のコンサートのリハーサルがあるために、翌日の火曜日早朝6時のTGVでパリに帰り、オペラjrのコンサートのために水曜日の午後モンペリエの戻ってきてくれるというスケジュールで一時お別れ。

本当にありがたいこと。
私はいつものようにこうしてモンペリエに住み、向こうの大物ミュージシャンが片道3時間半のTGVで移動をして、ハードスケジュールをこなしながら一緒に共演してくれる。

一生ものの思い出となる、素敵な出会いでした。


そしてみっしぇるネタは続きます。。。

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