大変遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
日本では1月も後半になろうというこの時期にこのご挨拶はありえませんが、フランスでは一月中、新年の挨拶を交わす時期とみなされているということもありますので、どうぞ大目にみてください。
今年の私の年賀ご挨拶状は、前回お届けしたモンペリエのクリスマス市をお散歩中に撮った一枚からでした。大きな地球儀と青い空、そしてその空にはすーっと尾を引く飛行機雲。モンペリエのコメディ広場ではいろいろな人種の人々が行きかうし、あの時このアングルで写真を撮ろうと思ったその時から、「世界はつながっている」というメッセージを思い浮かべてのことでした。
世界平和、相互理解なんてことを意識してのことだったのですが、2015年はパリの新聞社襲撃テロ事件で幕を開けてしまって、そう簡単に穏やかな年にはならないのか、と言うような、怒涛の年明けとなってしまいましたね。
襲撃の第一報から、警察官射殺事件の速報、そして犯人逃走、人質立てこもり、3人の犯人の関連性、そして3人の死による結末、そしてテロ行為に反対表明する人々の行動まで、私はずーっと日仏双方のメディアを追っていましたが、この事件自体はもちろん、それに対する人々の反応とメディアの伝え方を見ていて、本当にたくさんのことに気がつきましたし、考えさせられましたし、思うところがいろいろとでてきました。
そして日本のメディアの伝え方、人々の反応を見ていると、なんやかんやいっても、やっぱり日本とフランスは遠いんだな、と感じずにはいられませんでした。
極小で、しかも長年資金難を抱えてきた新聞社「シャーリー・エブド」が、どういう新聞社なのか、ということや、殺された人たちがどういう人たちだったのかという点を、地球の裏側にいる日本人がすぐに飲み込めるわけはありません。
この週間風刺新聞は、普段は六万部程度の発行で、しかもその半分くらいは売れていなかったという事実がありますが、殺された風刺漫画家たちは、フランスの大人なら皆が昔から慣れ親しんだ、国民的な人気を誇る人たちでした。そのためにフランス人が受けた衝撃は、二重、三重の強烈な衝撃なのです。
でもそもそも風刺新聞とはなんなのか、に始まって、この事件の背景を探っていくと、どんどんでてきます。もっと私たちがきちんと理解しなくてはいけない事柄が。
私も含め、多くの人が詳しくはしらない分野がいっぱい出てくるにしても、この事件が単発の独立した一つの事件ではないことは、世界中の人が理解したことでしょう。
そしてその背景を探っていると、社会的問題、歴史的問題、人権問題、宗教の問題、各国間の問題、ジャーナリズムの問題など、結局は地球全体を見たときに、人類が抱えるいろいろな問題が全部出てくるのです。そこで気がつくのは、日本という国は、こういった問題に直接的にはあまり関わってきていないんだな、ということでした。
事件後、日本の首相も各国首脳のように公式コメントを発表しましたが、その言葉、その言い方から、日本がなんだかこの出来事には関係ない、他人事のように聞こえてしまったというのは私だけではなかったようです。
やはり地理的に距離的にいって、日本はヨーロッパからも遠く、中東からも遠いという事実が、私たち日本人が世界各国を正しく理解するための大きなハンディキャップとして立ちはだかっているんだなということを、今回の事件をきっかけに重く受け止めました。
そしてインターネットなどテクノロジーが発達して、世界のどこにいても簡単に繋がれるような時代になっても、世界にはまだまだよく知らないことが多いということも浮き彫りになったのではないでしょうか。地球上のあっちの人とこっちの人がお互いをよく知って、理解しあえるって、グローバリゼーションとはいいながらも、やっぱり簡単なことではないな、と。グローバリゼーションって、なんだかうわっつらな言葉だな、と。
私が今日こんな感想をもらすのも、いろんな国から人が混ざり合うフランス社会を数年間眺めてきた上で、しかも、今回の事件を詳しく追った上で、その後、私なりに事件の背景と本当の問題をきちんと理解したいと思って、いろいろなことを勉強し始めたからでもあります。
「テロリズムには反対!」と、地球上のほとんどの人が意見を一致させることができたとしても、世界中にある問題を、いろいろな国の人、様々な文化をもった人々が、しかも歴史的に経験してきた立場が相反する立場であったりもするわけで、そんな人たちが同じように物事を捉えて、同じように解決策を探れるかといえば、それはとてもとても難しいことだと、なんだか思い知らされた事件のように私には思えます。
実は私は学生時代、将来は国連やそういうレベルの機関で働きたいと思っていました。今でもその考えがないわけではないですが、一国の視点に立ってあれこれ考えるのと違って、世界を見て、地球規模で、全人類規模で問題に対応しようとするのは、これは難しいなー、と、当たり前ですけど、本当に「思い知らされた」という感があります。
こんな私が第三国の文化や政治やら話しだしたって埒が明かないのはわかりきっているので、自分が知る二つの国、日本とフランスだけを見てみても、この事件とその後を通して、日本人とフランス人の違い、そしてそのまえに二つの国の成り立ち、あり方がそもそも違うという点が改めてよく見えてきたような気がします。
日本にいて日本のメディアが流すことだけをふんふんと聞いていると、それだけが事実かと思いがちですが、やはりこの世の中のニュースは多角的に見ないとだめなんだなあということを痛感します。
実はそのことを初めて痛感したのは、2011年の東日本大震災が発生したときのメディアの伝え方の違いを目の当たりにしたときのことでした。
ジャーナリズムには昔から興味を持っていましたが、日本の各報道機関にそれぞれ傾向があると知っていても、日本全体にある傾向があるとかなんて、やっぱり他の国の傾向とかを目の当たりにしないとぴんとこないものです。
このフランスで大事件が起きているときに、日本ではマクドナルドの異物混入事件が取り上げられていました。消費者の安全問題や食品の管理問題はもちろん大事ですが、やっぱり背景には日本人が「責任問題」にとても関心をもっているという事実があるように感じました。そして日本は地球規模の問題からはなんだか遠いな、と。
日本とその周辺の、極東アジアだけは別世界で、抱えている問題が違うと言うにもなんだかなあと思いました。
福島の原発問題についても、各国が地球規模の問題として報道し続けている中で、肝心な日本だけがなんだか違う報道の仕方だな、と。
これは単に、日本人は冷静だとか、日本人は被災者の感情を意識しているからとか、日本人は安全を信じているとか、日本人は起きてしまったことを受けとめる精神性があるとか、外国人がパニックになって不安を煽り立てているにすぎないとか、そういうことともまた違うレベルで、日本人の傾向がやっぱりあるんだなと思います。
一言に「表現の自由」と訳される言葉にしたって、日本人が言う「表現の自由」とフランス人が言う「表現の自由」が、果たして同じことを指しているのか、あるいは、日本人がどこまでイスラム教という一つの宗教の教えを知っているのか、イスラム教の中で過激原理主義の人たちは何をもとに何を訴えているのか、イスラム教徒のフランス人の生活がどのようなものなのか、、。
なんとなくは知ってるつもりでいましたが、この事件をきっかけに、私自身、またいろんなことを学ばなくては、きちんと理解しなくては、と思うようになりました。私の周りのフランス人の間でも、同じような感想を言っている人が多くいます。フランス人でさえそうなのですから、日仏両国のフィルターを通してみている日仏関係者にとったら、本当にイチから勉強しなおさなくては、と思った人も少なくないのではないかと思います。
各分野の日仏関係者の人たちも、いろいろなところでコメントを発していますが、中には日本のメディアが伝えたフランス語の日本語訳に見られる落ち度を指摘している人も何人かいます。
フランス語の専門家だったり、フランス文化の専門家だったりもしますが、コメントを読んでいると、「あの訳は間違いで、本来はこう訳すべき。」といったものもありました。
でも、ここへ来て、「あれ、この人、ここまで断言しちゃっていいのかな?」、なんて、すこしひねくれた感想を持ちました。
私はフランス生活まだ12,13年の身で、相手がフランス生活30年、40年で、しかもフランス語を専門としている人だったりもするわけですが、ある一定のフランス人の思想を、まるで代弁しているかのような口調のものにはなんだか違和感を覚えました。客観的に解釈の仕方を探っているような、提案しているようなコメントなら、日本人の口から出るコメントとしてもっと正当だと思えます。
そんなことも含めて、本当にいろいろなことを学んでいます、私。
皆さんも、今回の事件の一通りの流れは知ってらっしゃると思うし、私自身はこれから様々なことを一つ一つ勉強したり考えていくとして、今日は今回の事件でよく話題になった「表現の自由」について、根本となるフレーズをご紹介します。
18世紀のフランス啓蒙主義の思想家、哲学者、作家、歴史家として有名なヴォルテールのことは、日本人にとっても「ああ、西洋史でちらっと習ったな。」とか、「キャンディードの作者だったかな。」といった感じで、聞いたことはある名前だと思います。
この方は、今のフランスという国が成り立っている根本となる思想に大きな影響を与えいてると思うのですが、彼の言葉として有名なフレーズがこちらです。(出所に諸説はありますが。)
« Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire. »
一般的な日本語訳だと「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」というものになります。
この思想をもう一度読み直すことで、どうしてこの新聞社襲撃テロでフランス人が大きなショックを受けたのか、事件発生後にフランス人が表現の自由に対するテロ行為だとして歴史的な団結を見せたのか、少しわかるようになる鍵となると思います。
日ごろから日本人とフランス人では自国の政治に対する態度、考え方、関心がまるで違いますが、民主主義とはなんなのか、思想の自由、表現の自由とはなんなのか、なぜフランス人は常に政治に強い関心をもっているのかもわかってくるように思います。
編集部の主要メンバーをすべて失ったにも関わらず、「シャルリー・エブド」は先週の水曜日に最新号を発行しました。そしてその表紙を飾られたのが、ムハンマドと見られる人物が涙を流しながら、今回のテロ反対運動のキャッチフレーズとなり世界中に広まった「私はシャーリー」と書かれたプラカードをもっているという絵でした。
が、この最新号の表紙の絵を報道で流すかどうかということで、各国の対応、各国の報道機関の対応の違いが分かれましたね。それぞれの報道機関内部で、何度も話し合いを重ねての結論だったようですが、その判断理由を見ているだけでも、いろいろと考えさせられます。
多くの国で「人の宗教を軽んじてはいけない。」とか、「風刺にも限度がある。」とか、「他者をもっと尊重すべきだ。」とかの声が聞かれ、報道においても「自粛」が見られた中で、どうしてフランス人は「表現の自由」と叫ぶのか。この点だけをとっても、とても深いテーマです。
一口に民主主義国家といっても、一口に報道の自由が認められている国といっても、やっぱりその中にもいろいろあるわけです。
パリに本部を置く、国境なき記者団という組織がありますが、彼らは2002年から毎年「世界報道自由ランキング」というものを発表しています。興味のある方は覗いてみてください。
http://rsf.org/index2014/en-index2014.php
一つ一つ挙げだしたらきりがないようですが、フランスという国のどこが日本と違うかというと、やはり「いろんな民族の人が混ざり合っている国」ということにつきるんでしょう。
様々な民族の人々ということは、それぞれに信仰心を持った人々、違った文化を持った人々、異なる思想を持った人々、各自が各自の習慣を持った人々であって、そんな人々が集まって形成しているのがフランスという国なんですね。
そんなの日本だってそうだと思いたいですが、やっぱり大きな差があると思います。
そんなのイギリスとかドイツとかだってそうだとも思いがちですが、大きな違いがあると思います。
自由、平等、博愛の三つが、フランスという共和国を支えるモットーとして有名ですが、他にも共和国的価値と呼ばれるものがあります。この共和国的価値というのが、フランスにとってなにより大事なのです。フランスがフランスであるための骨格なのです。
あまりよく知られていない共和国的価値というものの中には、男女平等や政教分離といった事柄があげられます。移民を広く受け入れてきたフランスは、移民に対してこの共和国的価値の理解義務を課しています。
今回の事件で、「ライシテ」と呼ばれるフランスの徹底した政教分離の精神がクローズアップされたのではないでしょうか。この問題、口で言うは易し、行うは難しなんです。本当に難しい問題です。また追って、じっくりと考えたいと思っています。
移民1世、2世がどこにでもいて、移民4世、5世ともなれば当たり前、何をもってして生粋のフランス人と呼ぶかなんて言ってるのが馬鹿らしくなるくらい、長い年月をかけていろいろな民族が混ざり合ってできているのが今のフランス人です。
逆に言えば、フランス人と呼べるのは、この共和国的価値を尊重する人々、共和国的価値に賛同する人々の集団といっても間違いではないと思います。
その点から言っても、日本人の国家に対する意識、国に対する意識と、フランス人のその意識は少し種類の違ったものなんだと思えてきます。
多くの日本人にとって、自分たちの国が日本なのは当たり前、、、のような。
この12年間、フランスの国内から、この国がもつ問題などを眺めてきて、「この人たちが抱える問題は難しいな、デリケートだな、、、」と思っていた私ですが、今回の事件で、その思いがいっそう強まりました。
私の考察はめぐりめぐっています。
いずれにせよ、また少しずつ問題を考えていきたいと思っています。皆さんもこの悲しい事件をきっかけに、いろいろと見たり調べたりしてみてください。
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