2015年1月23日金曜日

一つ一つの出会い

このブログのタイトルからも察していただけるように、私は人生におけるいろいろな出会いをもたらしてくれる不思議な「ご縁」信奉者です。
信奉と言っても変ですが、一人一人の人生は、それぞれの出会いをどうするか、出会いをどう受け止めるか、出会いから何を学ぶかによって変っていくと思っているという意味で、です。

知っている人など一人もいなくてゼロからスタートしたこのモンペリエでの生活を通して、たくさんの出会いに恵まれましたが、オペラの世界で仕事をするようになって、またたくさんの人に出会い、東日本大震災発生から間もなくして被災地支援ボランティア活動をするようになって、またたくさんの人に出会い、この3年10ヶ月の間に被災地現地に二回行き、そこでもまたたくさんの人に出会いました。

旅先での出会いはいつでも印象深いものになるものですが、この二回の被災地訪問旅行で得た「ご縁」の重みは、私のこれまでの人生で普段の「ご縁」とはまた違った特別なものとなっています。

福島、宮城、岩手の三県を訪問した私ですが、そこで出会った人々、言葉を交わした人々、大げさにではなくて、その人たち一人一人のこと、一人一人の顔がすべてはっきりと私の記憶に残っています。

このボランティア活動を始めてから、ただでさえ仕事に追われていたところに、寝食を惜しんでこの活動に没頭していたものですから、このブログの更新が一年にわずか数回というペースに落ち込んでいたのでした。この間に起きた出来事で、時間が取れたらブログで書きたいと思っていたことは山ほどあります。その間も仕事で様々なアーティストと出会い、仕事をして、舞台の話も書きたいと思ってきました。
身体を壊してしまった今、生活のペースをぐっと落として、自分のケアに専念しなくてはいけなくなりましたが、また少しずつこれまでの話も書いていきたいと思っています。

今日は忘れられない出会いの中から一つ、被災地は岩手県大船渡市のとある仮設店舗の飲み屋さんでご一緒した方々のことを紹介したいと思います。

震災発生から三回目のお盆のための復興イベントに一日中参加した私と相棒は、そのまますぐ横にある仮設の復興屋台村に足を運び、夕食をとることにしました。

被災地を旅しているとき、私たちはどうしても連日外食をすることになりますが、他のお客さんたちはというと、現地で生活をする復興支援関係者、私たちのような短期滞在復興支援関係者、そして独り身の被災者のいずれかという確立がとても高くなります。しかも男性が圧倒的に多いのです。

この日、私たちが見せに入ると、すでに先客として三人の男性がいました。男性二人組みと一人の男性です。仮設の店舗というのは、ほんの何畳かという広さですし、カウンター席のみです。私たちはその二組の間の席に座り、ほどなくして、自然と皆で会話をするような流れになりました。
私たち二人組みはアジア人女性と白人男性の組み合わせで、私がぱっとみて日本人と確証が得られないような風貌をしてることもあって、目に留まりやすいコンビであることに違いはありません。自然と、どうして私たちがここにいるのか、その日のイベントの話、そして皆さんがどうしてここにいるのかと、被災者である居酒屋の女将さんも交えての会話となりました。三人の男性はそれぞれ、現地に住む被災者ではなくて、震災後に県外から現地入りした復興支援関係者でした。
二人組みの男性は40代後半くらいの行政関係の方と80歳くらいかと思われるとても元気な方。彼は実は芸術家岡本太郎とも一緒に仕事をしていた彫刻家でした。一方の一人で来ていた方は40代で、県外から大船渡市役所応援のために出向してきた公務員の方でした。

東北の端、岩手県の沿岸地域、大船渡市で、被災地で、復興屋台村の一軒の居酒屋さんで、実にルートの違う6人が顔を会わせておしゃべりをしていたのです。頭の剥げた青い目の白人も含めてです。

楽しくしゃべって、一緒に写真も撮ったりして、だいぶ早くから飲み食べしていた二人組みの方が「お先に。」と帰っていかれました。

それと入れ替わりに、今度は一人身の男性、50代後半の方が入ってきました。こちらの方はすでに酔っている感じ。「これからまだ飲むのかな?」と私が少し心配して見ていると、さすがは慣れている女将さん、「ほどほどにしてよ。」とたしなめながら、お客さんのマイボトル出しました。
お客さんは実はすでに相当酔っていて、言ってることも不明瞭なんですが、ちょっと飲んで食べていると、ますます不明瞭、いわゆる泥酔状態へと化して行きました。
私たちがフランスから来ていることを受けて、ご本人もかつては外国で少し暮らしていたと言い出しました。が、なんせ泥酔状態。私は正直、冗談なのかうわごとなのか、どう対処していいかわからなくなって苦笑し始めました。
すると、私の右手にいた、さっきからいた男性が補足情報をくれるのです。

「実は○○さんは、○○新聞の海外特派員で、南米に何年も暮らしていた人なんですよ。」と。
80年代には、いくつかの大事件の情報も現地から日本に送る活躍をしていた人だと。

泥酔状態の姿を見ていると、正直そんな第一線で活躍してきた人にはとても見えません。
この居酒屋での7人目がそんな経歴の方だったのです。

私たち以外は皆さん常連さんでした。泥酔の彼にむかって、女将さんもどんどん語調を強めてたしなめます。「奥さんを悲しませたら絶対にだめだよ。」、「身体には本当に気をつけないとだめだよ。」と。「もうこれ以上はあげれない。」と言ってお酒もストップさせ、奥さんに電話を入れさせました。

奥さんは奥さんで友達とすぐ近くの仮設コンサートホールでのライブに参加していたようで、すぐに迎えに来るとのことでした。
私の右手に座っていた男性が、つかさず補足情報をくれます。
「実は彼の奥さん、僕の同僚なんです。」と。

ほどなくして奥さんが到着しました。かわいらしく、そしてしっかりした感じの奥さんでした。半分あきれながら、半分もう仕方ないんだからと、旦那さんを連れて帰っていかれました。

1996年の在ペルー日本大使公邸占拠事件などをレポートしていた人が、今はこうして東北被災地にいて、夜は居酒屋で飲みつぶれている。彼のこれまでの足跡を想像しながら、さようならと見送りました。

こうして私たちと右手にいた男性の三人の客が残りました。
女将さんもやっとこの男性と落ちついて言葉を交わすようになりました。
そのやり取りを聞いて、今日がこの男性にとっては何か大事な日らしいことに私は気がつきました。

最初から場に居合わせた人々の顔ぶれがすごかったので、私は気がついてなかったのですが、右手の男性は、狭いカウンターなのに、自分の前に何やらおいて、自分がその正面に向かっている感じでした。私がそれに気がついたと彼も気がついたのか、何気ないタイミングで、「せっかくこうしてご一緒したんだし、、、。」という感じで、彼はその目の前に置かれたものを私に見せてくれました。

それは笑顔の女性が写る写真でした。額に入った一枚と、何枚もの写真が入ったアルバム。

それを見て、私はこの女性が亡くなっていることを察しました。

私たちは被災地にいます。岩手県の沿岸地域までくれば、そこで出会う現地の人々が誰も何も無くしてないなんてことは滅多にありません。旦那さんを亡くした人、奥さんを亡くした人、子供を亡くした人、親を亡くした人、兄弟を亡くした人、親戚を亡くした人、友達を亡くした人、同僚を亡くした人、皆さん誰かを亡くしているのです。

そんな地域でそんな人と交流しようとしていると自覚している私は、自然と、正直に、デリケートなことも誠実に話すようになっていました。
「奥さんですか?」と聞くと、「今日が命日なんです。」とおっしゃいました。

奥さんは震災で亡くなったのかと思いそうになりましたが、この男性は震災発生後に、現地支援のために大船渡に来たことを思い出し、震災とは関係なく亡くなっているのだと察し、「こちらに来てから亡くなられたんですか?」と聞くと、「いや、震災前なんです。」と。

すごく元気で活動家の奥さんは病気で亡くなられたと。
「震災が発生したとき、彼女が生きていたら絶対に被災地復興のために何かしていたに違いない、被災地に来て活動をしようとしたに違いないと思って、僕はここに来ることにしたんです。」と話してくれた彼は、「もともと僕は全然そんなタイプじゃないんですけどね。」と、優しく笑っていました。

隣に座って、話のすべてが理解できていない相棒に、そっと事情を説明しました。
この日までにも、すでにたくさんの印象深い出会いに恵まれていた私たちですが、震災以前に被災地以外の場所で亡くなった方の話をしたのはこの時が初めて。二回の東北旅行でもこの時だけのことです。

大震災がなくとも、大事な人との別れを心に抱いて生きている人がいるんだということを思い出しました。
いつの日でも、年いったおじいさんおばあさんが亡くなるのと、20代、30代の人が亡くなるのとでは、やっぱり悲しみの深さが違うと思います。その人がまだ生きていたらと想像する現実にはないその時間が長いのですから。あんなこともできただろうにと思ってしまうと思います。
子供を亡くした親の気持ち、出会って数年、結婚して数年でパートナーが亡くなった人の気持ちを想って、奥さんの遺影の前で、乾杯をさせて頂きました。

この男性と私たちの出会いは、逆にこの奥さんの死が無かったら、起こりえなかったことです。奥さんが亡くなったからこそ、もともとは被災地に支援活動に行こうと思ったりするようなタイプじゃなかったこの男性も、こうして被災地に来ていて、この日、この場所でひと時を共にすることができました。

ここは被災地。このような想いを抱いた人がたくさんいる地域です。大切な人を亡くす痛みを知っている人が、被災地復興支援のために住む土地を変えて遠くから移り住みに来る土地でもあります。
私たちは元気な二人組ですが、地球の裏側から来た二人組ということで、被災地のどこでも私たちは暖かく迎えてもらいました。

私にとって東北被災地は、つらい想いをした人が相手を思いやる心にあふれている土地です。
この後、二回目の訪問でもいろいろな出会いに恵まれ、いろいろな交流がありました。
いつになるかはわからにけれど、また三回目の訪問も必ずします。きっと四回目もあることでしょう。
この冬が被災者の方々にとって厳しすぎないことを祈っています。



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