2015年2月1日日曜日

悲しい知らせ

今夜数時間前、フランス時間で土曜日の夜21時すぎ、日本時間で日曜日の朝5時すぎ、ジャーナリストの後藤健二さんが「イスラム国」に殺害されたようだという第一報が入りました。

私は年明けのパリで起きたテロ事件発生以降、虫の知らせといいますか、世界が穏やかじゃないことが気になって、四六時中世界のニュースを追うようになっていたために、世界のメディアが情報をキャッチしたとほぼ同時に、最新ニュースとしてこの悲しい知らせを目にすることとなりました。

先日書いたように、パリでのテロ事件に対して見られた日本人の反応が、どうも遠い国の話のようにとらえているようで、どうも危機感もあまり感じられずに、問題が地球規模の問題なのだと意識している様子が感じられずに、そのことがとても気になっていたと同時に、すごく嫌な予感がしていました。それからわずか数日後に流れた日本人二人の拉致拘束の報道を見て、「ああ、来たか。」と思うほかありませんでした。イスラム国だって、もちろんそこを突いてきたか、と。

それから毎日、日本、フランス、アメリカなどのメディアが流す情報を追っていましたが、今日の悲しい知らせを待たずとも、感じていたのは「世界がおかしな方向に行っている。」ということと、「これから世界がもっと変な方向に向かってしまうかもしれない。」という心配でした。

イスラム国がやっていることは、イスラム教の教えとはまるで反対だということを知っている人だって増えていっているだろうに、イスラム教への誤解は膨らむ一方のようです。それはパリのテロ事件後に予想されたように、フランスでもおかしな無理解、誤解が広まっているのを否定できません。イスラム教徒が身近にいるフランスでは、社会に対する不安をイスラム教徒にぶつけるという深刻な風潮になりかねません。日本人の無理解、誤解は、「現によく知らないことだから。」に発するものでしょうが、日本が国際社会の一員であると言うのであれば、あまりよく知らないではすみません。

そして一番肝心なのは、アメリカをはじめとするイラク・シリアの空爆。アメリカはその成果を強調しようとしてばかりですが、あそこからまたとてつもない憎しみが生まれることを、今になってもわからないのか、過小評価しているのか。9.11を経験してもわからないのか。
日本も「テロには断固として戦う。」という方針をもちろん強めていくだろうけれど、そのアメリカ主導の流れにどんどん入っていっていい結果が出ると思えるのか。今後、安全保障のために日本の軍事力を強化するとか、自衛隊を派遣するとか、「力」にだけ目を向けてしまってはますます危険が増すことも否めない。

私だってじゃあこうすればいいと、簡単に案が出せるような話じゃないことはわかっているけれど、そもそもの元凶は「無理解」だと思っています。もっとみんなが世界を知れば、少しずつでも、たとえちょっとでも、いい方向に進んでいけると思うのに。そしてそれぞれの多様性をもっと受け入れられるようになったら、世界がもっと平和になれるだろうにと思うのです。

今の世界の状況は、アメリカの元ジャーナリストで社会的ドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアが言っている通りだと思います。

「無理解が恐れを生み、恐れが憎しみを生み、憎しみが暴力へと続く。これが方程式だ。」と。

この方程式から抜け出さない限り、どこまでもテロとの戦いが続いていってしまうと思います。

日本は東日本大震災から被災地の復興もまだまだこれからようやく始まるかというところで、さらには福島の原発問題の行方もわからないというところで、東京でオリンピックを開催するぞと言って騒いで、見事招致に成功したとなれば、経済効果がどうのこうの、東京の改造計画だの、やっぱり日本が重要視しているのはお金かと思うしかない。しかも国が抱える深刻な問題はどこへやら、まるで「臭い物にはフタ」の精神で進んでいこうとしています。
母国をそんなに批判して、と言われるかもしれませんが、一歩距離をとって客観的に見ていると、そうとしか見れないのです。
そこへ追い討ちをかけるように、世界を脅かすテロ行為についても、「テロ行為は絶対に許せません。」と当たり前のことを言い、「人道活動の支援に何億ドル出しましょう。」と、お金をだせばいいという話なのか?と疑問に思わざるを得ない方針を続けてきて、今回の人質殺害にいたるまで、ひとつの道順ができてしまったと理解してもおかしくないと思います。

日本は二発の原爆投下まで経験して、日本だからこその立場、主張、外交方針などがもっとあってもいいだろうに、世界の外交シーンでは、日本はまるで存在のない、立場のない小国のようです。一度は世界一の経済大国という立場も経験したのだから、日本人は日本も世界のトップクラスと認識してしまっているかもしれないけれど、それはあくまで「お金」に関してだけなんだと思います。お金が世界を動かすと信じる限り、お金で問題を解決できると信じる限り、お金は大事だけれど、そうやってここ何十年と世界が動いてきたから、おかしな方向になってきたのでは。
日本ではグローバリゼーションと言いながらも、世界からみたら変な位置をしめる国だということを自覚していかなくてはいけないのではないでしょうか。
今回の人質二人の殺害事件を受けて、日本人はこうして中東で起きている深刻な問題に気づかざるをえなくなるんだろうけれど、殺された後藤さんがライフワークとして続けていたのは、「現地の弱者の立場をもっと理解しようよ。」ということだったはずです。

中東を遠いアラブの国々と思って片付けてしまわないで、イスラム教には過激な人たちがいてなんだか怖いで止まってしまわないで、もっと地球規模で、世界のあちこちの問題を気にしていかないと、本当のグローバリゼーションはないと思います。
もちろん、フランス人にだって、アメリカ人にだって同じことが言えると思います。
うわっつらだけ見てるだけなのだったら、最初から異国情緒の甘い憧れに浸る段階でストップしておいて、他国のことに首をつっこまないでおけば、それこそ世界はもっと平和になるのかもしれない。

世界は進歩したと思う一方で、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)からまだたったの70年かと思うと、世界平和に向けて奇跡的な大進歩をすでに遂げれていると思うのはまだまだ甘いのかと痛感したり、、、。

自分と人は違うという、多様性の理解と尊重を世界中の学校で、家庭で教えていけばちょっとは未来が明るく見えるかも、と思うのですが、難しい問題ですね。まずはそれを日本で、フランスで、浸透させていってほしいと願っています。



世界のどこにいても、見上げる月はたった一つの同じ月なのな、と悲しくなる夜でした。




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