2008年6月27日金曜日

滞在許可証更新時期せまる 2

今週の月曜日、私は給料所得者身分での滞在許可の更新について問い合わせに行ってきました。向ったのは、労働省の地方部局といった感じのお役所。滞在許可はそれぞれの県庁から発行されるので、県庁に問い合わせに行くのがもっともなところなんですが、県庁に行かなかった理由があります。まず、県庁の外国人サービスで質問を一つするためだけでも、早朝から長蛇の列に並び、ひたすら待つしかないということ。「外国人」ということでいっしょくたにされてるので、それぞれの人がどんな用件で来てるのかという選別なしで、みんなで一つの列を作るため、もちろん人の多いこと多いこと。そして、言ったらわるいけど、無理難題をもって押しかけてる人も多いので、時間がかかるかかる、、、。私は去年、この列に並ぶことを数回経験済みなので、極力避けるべきだということを学びました。それから、この列に並んで待たされた挙句に、対応にあたる県庁の人の適当な態度があまり信用できないからです。というのも、まず、人によって言うことが違う。これはフランスに住んでる人なら誰でも知っているお決まりパターンですね。それから、働く外国人の管理は、結局のところ労働省の管轄になるわけで、県庁に申請書類を提出したとしても、労働するための身分である給料取得者(サラリエ)の滞在許可証は、結局そのあと私が問い合わせにいった役所に送られて、そこで審査されるんです。

去年の私はまず、県庁から問い合わせに行きました。私の質問は、「もうすぐ滞在許可が切れるのだけど、身分変更にトライしたい。けれどリスクが大きいということは知ってるから、もしだめだったときに、学生としての身分をまた得ることができるのか?」ということでした。そしたら思いがけずにフレンドリーな対応を受けたばかりか、「まずはすぐにでも身分変更の届けをしてください。もしもだめだったら、大学にすぐ登録して、学生の身分で申請すればいいでしょう。」と、とても簡単に言うのです。しかも身分変更申請の提出書類として、パスポート、住所証明、契約書だけで良いと言ったのでした。

私がそれまでにいろいろ調べた結果では、「一度身分変更にトライしたものは、却下された場合でも、もう学生でいる必要がないから身分変更を行ったわけで、学生の身分はもう二度と認められない。」と厳しいことが言われてました。なのに、このあっけなく楽天的なアドバイス。なんかふに落ちませんでした。しかも「あなたの雇い主がきちんとした組織で、合法的な活動をしていて、あなたに適切な賃金を払っていたら、受理されるはずですよ。」とニッコリ笑顔までしてくれるんです。話に聞いてたのとあまりに違う。。。しかも厳しい審査が、たったこれだけの書類で行われるとは信じ難く、用心深い私は不審に思ったわけです。県庁とか、フランスの役所の人はみんな不機嫌で態度が悪いと有名ですが、私への対応はまったくの逆でした。それはそれで気分のいいことだったけれど、私の滞在許可の話はとても大事。だからこの時、県庁を出た足でそのまま、それまでも学生としての労働許可の申請をいつも行っていたこの労働省管轄の役所に向かったのでした。

この役所の中でも、尋ねるのは外国人労働者を担当している事務所。ここにはいつも怖いマダムがいます。単に愛想がないなんてレベルではなく、本当に氷のような冷たい空気が漂った彼女の部屋。フランスで仕事をするようになってから、毎回このマダムに労働許可を発行してもらってきたので、彼女がどんな態度を見せるかは予想で来てました。

まず私が学生からの身分変更をしたいという旨を伝えると、出たー!必要書類のリスト!このマダムが「これとこれとこれとこれと、、、、、」とチェックを入れていく。県庁のうそつきー!やっぱりいろいろな書類が必要じゃんか。ざっと目を通しただけでも専門用語すぎて、私にはすぐには理解できない書類がずらり。そこへ彼女が言う。「毎月の給料が最低1350ユーロないとだめよ。」と。そこで私はつかさず、二つの仕事場、雇い主がいるのだけど、両方を足した額でいいのかと確認。そしたら「いいわよ。」と一言。続いて私もひるまずに、「いろいろと厳しいって話ばかり聞いてきたけど、実際のところ審査基準はなんなんですか?」と聞いてみた。すると「とにかく給料が最低でも1350ユーロはないとだめよ。そして必要書類がそろわないとだめよ。」という。改めてざっと必要書類のリストを見ると、「雇い主が、この外国人が務めるポストを公募したと証明する書類」というのが目に入りました。これです、これです。3年前に問い合わせした時に、この書類はできないと音楽学校に言われたことがありました。だって、私は口コミ人伝えで仕事の話が来て、試用期間に雇ってもらったのでした。だから公募なんて音楽学校はしてないんです。それはオペラjrも同じこと。だから私はこのマダムに聞きました。「この書類は絶対必要ですか?」。するとマダムはさらに冷たく、「そりゃそうよ。第一、フランス人で仕事を探している人はいっぱいいるわけで、外国人が仕事をする理由はまずないのだから」といったようなニュアンスのことを言ってきました。 お~、冷たいわー。
つまり、このマダムにとって、もちろん人権の観点から言って、外国人労働者の権利を守ることも大事だけど、同時にフランス国民の失業者、高まる一方の失業率への対応も大事な仕事なわけです。と言われたらそりゃそうですね。外国人に手厚くサービスする前に、自分たちの国民のことを考えなくてはいけません。まあ、この冷たいマダムから引き出せる情報はこれで最大だなと思った私は、おとなしく帰って、今度は自分の雇い主との話し合いに向かったわけでした。

それにしても県庁の言う通りに契約書だけ出していても、結局は書類不備でやりなおしになっていたところだったわけです。なんてこった。やりなおしになって、また待たされて。。。って。やはりいろんな意味であなどれないフランスのお役所。おそるべし。

とまあ、去年がこういった流れがだったので、今年は最初からこのマダムの事務所に向かったのでした。今回の冷たいマダムは部屋の中にいるくせに、私がノックをしても返事をしてくれず、これが幸いして、横の部屋のマダムが対応にあたってくれました。私が去年、学生からの身分変更をしたことや、去年書類を出した雇い主などの情報は全部パソコンに登録されていました。このマダムは「同じ雇い主ですか?」というから、私が「はい、そうです。」と答えると、「それじゃあ、この去年CDD(期限付き契約)だったの雇い主のところで、今度はCDI(期限なし契約)を出してください。それから、ここ3か月分の給料明細を出してください。」と言いました。私は音楽学校とは、すでに3年前からCDI(期限なし、つまり終身正式契約)を交わしています。でもオペラjrとは、いつもスケジュールにそって、CDD(期限付き短期間契約)を更新してきてるもんですから、CDIではないわけです。もちろん私としては先日の記事にも書いたように、CDIに変えてもらえないかとウラジミールにも頼んでいたところですが、まだCDIにしてくれるという返事も保障もありません。なのにこのマダムはCDIを出せと言ってきた!これはまた大変です。だから私は自分の状況を説明して、CDIを出せなかったらもうだめなのかと聞きました。そしたらこのマダムは、「普通はCDDが切れた後にさらに同じところで働くということは、CDIに切り替わって続けるということですよ。CDDを何度も何度も更新していくということは普通はできません。」と説明してくれました。なので私はオペラjr側の言い分による説明をしてみました。舞台や映画などの分野に限って、CDDの更新が認められているのです。ただ、詳しい条件までは私も知りません。事情がどうであれ、このマダムによれば、CDDの更新をずっとしていくということは、好ましくないとのことでした。「だからあなたから雇い主にCDIにしてくれと頼まないとだめですよ。もし今後もCDDだというのなら、その理由が契約の中に明記されていて、それが受けいれられないとだめです。」というのです。しかも「CDIだったら、三か月分の給料明細さえあれば、普通は一か月くらいで更新ができるはずです。」とまで言ってくれました。

こうなったらオペラjrとの交渉しかありません。だって、私がまたCDDを出したら、それが受けいられるか結果を心配してはらはらどきどきの時間を過ごさなくてはいけないわけです。しかも保証はない。これでは去年と同じ状態になってしまう。
家に帰った私は、オペラjrのディレクターであるウラジミール、そして事務方のトップであるシルヴィーの二人あてにメールを書く準備を始めました。ウラジミールにはこれまでにすでに二回話してあったことです。しかもその二回目というのは、ヴァレリーが強い口調で「leonardoにとったらすごく大事なことなんだから、考えないとだめよ!そもそもCDDの更新でずっとは続けられないはずよ!」と言ってくれたのでした。ヴァレリーの口調があまりに強かったことと、唐突だったことから、ウラジミールもびっくりして、二人の間に緊張感が走りました。私ですら、「ちょっとそれは言い方がまずいんじゃない??」と思うほどで、冷汗をかくかと思ったほどです。でもまあ、ヴァレリーが私の後押しを表明してくれたのは明らかだったし、これでウラジミールも「きちんと話し合うから。」と公言したことになったわけです。

このことがあってからの、私からの改まったメール。ぬかりがあってはいけないから、私も友人にチェックをしてもらい作成。この日に役所で言われたこと、あなたたちと働きだしてもうすぐで5年がたつということ、そして滞在許可の問題は私にとってとても大事だということ。実は給料アップの交渉だとかも一緒に言いだそうかと思ってたのですが、それは友人に止められまして、今回はCDIの問題に絞ることに。まあ日本人だったら、雇われてる身分でよくも自分からいろいろと要求するな~と驚かれるかもしれませんが、これもフランス生活5年間で学んだことの基本中の基本 : 「黙っていては何もおきない。黙っている=何も問題がない」を実行したに過ぎません。もちろん私だっていろいろと心配はしました。「調子に乗るな!とか思われて首になったりして、、、」とかね。でも、結局は滞在許可のことで心配ばかりする日々はもうごめんだと思うようになってたってことです。それにここ数年の私の仕事を評価してくれているだろうと期待して。これを月曜日の夜に送信しました。

それから火曜日、水曜日と音沙汰がないもんだから、「やっぱりだめだったか~。次の対策?!」とか考え始めたところ、昨日、木曜日の午後にウラジミールから電話が入りました。「CDIにするから。」と。「ほんとう~~?!うわ~い!めるしー!めるしー!本当に!」と大喜びの私でした。

とまあ、長くなりましたが、このうれしい知らせをみなさんにしたかったんです。モンペリエでも私の周りの人は、みんな自分のことのように喜んでくれました。「10年カードがもうすぐだ!」とまで大喜びしてくれる人もいて、「おいおい、それはちょっと気が早すぎるぞ。。。」とブレーキをかけつつ、でもみんな喜んでくれてよかった。これで来年度の滞在許可を得るための大きな第一歩ができました。これから実際にCDIを交わして、書類をそろえて、7月中には申請をしたいなと思ってます。ああー、CDDとCDIでは大きく違います。leonardoの人生すごろく、大きくコマを進めました。

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