トゥッサンのバカンスに入り、この四日間は、オペラjrの若者グループLe Groupe Vocal(16歳から25歳)の集中練習をしました。
今、私たちが取り組んでいるのは、12月頭のコンサートのプログラムです。今回のコンサートは女性作曲家に焦点をあてるというテーマにしたので、女性作曲家の作品ばかりです。
そこで、単純なクイズ。
さて、みなさんは女性作曲家を何人知っていますか?
クラシック音楽関係者ならば、数人の名前が挙げられるとは思いますが、クラシック音楽に詳しくない人でも知っている女性作曲家というと誰の名があげられるでしょうか。残念ながら意外と難しい質問だと思います。
男女同権、男女平等にむけて現在でも戦いは続いているわけですが、歴史の中で、作曲家という仕事は男性に独占的に行われてました。教養、文化のために少し音楽をたしなむという程度ならば、上流家庭の間で喜ばれましたが、作曲する、それを仕事するなんてことはもってのほかどころか、考えられもしなかったことです。その辺のことは、7月のラジオフランスのフェスティバルで、フランス人女性作曲家ルイーズ・ベルタン(Louise Bertin)のオペラが取り上げられた時にも書きました。
作曲家としてではなく演奏家としてだったら、音楽史の中でいくつか女性の名があげられると思います。
例えば、ロベルト・シューマンの奥さんとして有名なクララ・シューマン(1819-1896)。当時の国際的ピアニストとして名が知られていたということを知っている人は多いと思います。が、彼女は演奏だけでなく作曲もしており、40曲くらいの作品が残されています。有名なピアノ教師を父にもち、小さい頃から一流ピアニストになるべく徹底的に育てられました。シューマンと結婚後、病におかされたシューマンを支えるため、さらに8人の子供を養うため、クララはコンサートのためにヨーロッパ中を飛び回りました。生活に追われてしまっていたことと、本人が自分の作曲の才能を重要視しなかったために、彼女がじっくりと作曲に専念するということはなかったけれど、今日、クララの作品はその質の高さで評価されています。夫であるシューマン、そして友人のブラームスにとって、クララの意見、助言、感想を聞くことが、作品を発表する前に欠かせない重要なことであったということからわかるように、ロマン派の音楽の中でのクララの存在の大きさは相当なものですね。
シューマンらとほぼ同年代の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンのお姉さんファニーも、音楽家の家庭に生まれ、幼いころから才能を示していました。が、彼女場合、高度なレベルに達しているにもかかわらず、「しょせんは女性にとって音楽は趣味とどまりであって、しっかりと家をまもるべき」という家族の考えから活動をはばまれ、自宅のサロンなどでひそかに自分の作品を披露するにとどまっていました。しかし晩年になってから、彼女の作曲の才能を高く評価する友人らに恵まれ、本人もようやく作品を公に発表する意をかためたのです。瞬く間に彼女の作曲家としての名前を世に広まり、先を期待されたのですが、残念ながら42歳で突然の死をむかえてしまいました。弟フェリックスは、ファニーの死の6か月後に後を追うようになくなっています。
近現代に入ると、女性作曲家の名前がもっと簡単にあげられるようになります。
「フランス6人組」として知られる仲良し作曲家グループには、ダリウス・ミヨー、アルチュール・オネゲル、ジョルジュ・オーリック、フランシス・プーランク、ルイ・デュレと、紅一点のジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre 1892-1983)がいます。彼女は器楽曲から歌曲、オペラコミック、舞台音楽、そして映画音楽まで、幅広く取り組みました。
フランスではルイ14世が当時の芸術家の活動を推進するために設けた「ローマ大賞」というのがあって、もともとは画家、彫刻家そして建築家が対象とされていましたが、1803年には作曲家にも与えられることになりました。コンクールに勝ち残り、受賞したもには、5年間のローマ派遣、滞在が賞品として与えられ、ローマのメディチ家の屋敷に住まわせてもらってますますその道に精進するというものです。このローマ賞、大変権威があり、作曲家の登竜門として知られ、歴代受賞者の名前を聞けば皆が納得するはず:ベルリオーズ、ビゼー、マスネ、ドビュッシー、などなどです。さて、この「ローマ大賞」を女性が初めて受賞したのは1913年のことで、リリー・ブーランジェ (Lili Boulanger 1893-1918)でした。
リリー・ブーランジェも音楽家の家庭に生まれ、早くからずばぬけた才能を示しました。リリーの6歳年上のお姉さんが作曲家であり、音楽教育者として世界的に有名なナディア・ブーランジェです。リリーの作曲の才能を誰よりも認め、応援したのがこのナディアでした。リリーは様々なジャンルの作品を残しましたが、25歳という若さで病気のために亡くなってしまいました。25歳だなんて本当に若すぎます。ショパンよりも、モーツァルトよりも若くしての死。ナディアの無念さは底しれないものだったでしょう。
これまでにあげた名前は、音楽関係者やちょっとクラシック音楽が好きな人なら知っていると思います。
今回、Le Groupe Vocalのコンサートのプログラムで私が初めて知った女性作曲家には、メル・ボニス (Mel Bonis 1858-1937)とクロード・アリウ (Claude Arrieu 1903-1990) がいます。どちらもフランス人。そして現代の作曲家としては、1938年生まれのイザベル・アブルケール (Isabelle Aboulker)と、1970年生まれのマリベル・ドゥサーニュ(Marybel Dessagnes)、そしてフィンランド人のカイジャ・サリアホ(Kaija Saariaho 1952- )。
本当だったら今回のプログラムも、フランス語からドイツ語、イタリア語、英語などなどバラエティーにとんだものにしたかったのですが、合唱というジャンルで、曲のテーマ、難易度、曲の規模、などをもとに選曲していくと、なかなか難しいもので、気がつけばフィンランド人のカイジャ・サリアホがフランス語の歌詞に曲をつけているために、フランス語の曲ばかりになっていまいました。
そこで!
ここはちょっぴり趣を変えるためにも、と思って私がみんなに紹介したものとは?
続きは次回に。
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