2009年8月23日日曜日

マリー・アントワネット

もともと歴史好きというせいか、普通のフランス人よりも私の方がマリー・アントワネットの人生について詳しく知っていたということをしってなんかおかしく感じた私。

もしかしたら、私よりも卑弥呼の人生に詳しいフランス人がいたりするかもしれないけれど、それは研究者よねえ、、と思ったり。

でも、フランスで生活して7年目にしていえることは、「やっぱりフランス人は日本について何も知らない。」ということ。私も日本人の一般意識・知識調査をしたわけじゃないから大きなことは言えないけれど、日本人にとってのフランスという国とフランス人にとっての日本という国に対する距離感が、同じレベルではないことだけは確かです。

フランス人にとったら日本はまだまだ「日出国」で、「極東」で、地の果ての国なんですね。

「日出国」なんていって聖徳太子の時代かと思われるかもしれませんが、フランス人が日本について語る時、日常的に使われる言い方なんですよ。フランス語でEmpire du Soleil levant といいます。

日本の歴史についてなんて、普通に教養がある人が知ってることといえば、「天皇」が存在することと、第二次世界大戦でドイツと同盟を結んでいたことくらい?たまに「将軍」という名称をしっている人もいますが、それが何をさすのかはいまいちわかっていなかったりする。そんな風だから歴史上の人物の名前を挙げられるひとなんてめったにいない。日本武道の愛好家が「宮本武蔵」と口にする程度。

ところで普通の日本人はどれくらいフランスの歴史について知ってるんでしょうか。

マリー・アントワネットを例に、ここでちょっとひまつぶしクイズをしてみましょう。

①マリー・アントワネットが嫁いだのは?
②彼女の実家は?
③彼女の母親は誰?
④彼女はどんな最期を迎えた?
⑤彼女が暮らした宮殿は?
⑥彼女の夫の趣味は?
⑦彼女が愛したはなれの建物はなんと呼ばれる建物?
⑧彼女の愛人の名前は?
⑨この愛人はどこの国の人?
⑩当初宮廷で彼女とライバル争いをした人は?
⑪彼女が友人と慕ってひいきした夫人は?
⑫逃亡失敗のできごとは何事件と呼ばれている?

これくらいの質問にはさらっと答えられる人が結構いるんじゃないかと思うんですがどうでしょう。

今回のスペクタクル「c'était Marie-Antoinette」で、ストーリーのもととなったのは、フランスのマリー・アントワネット研究家の一人者 エヴリン・ルヴェール Evelyne Lever が2006年に発表した「C'était Marie-Antoinette」でした。






彼女は2005年には実存するマリー・アントワネットの書簡をまとめて出版していて、この手紙をもとに、ストーリーを組立てました。
幸いにも、数多くの手紙が発見、保管されているんです。

例えば、母マリア・テレジアや兄ヨゼフ2世からの手紙。ルイ16世との間になかなか世継ができないことで、「ちゃんと夫に好かれるように振舞っているのか?」とか、「気をひくために努力しているのか?」とか、「夜通し踊り続けて何をしているんだ!」とかいう、お説教の手紙がかなりあるんですね。
ルイ16世の性的身体的問題については、ルイ16世と妻の兄であるヨゼフ2世がマンツーマンで話しをし、ことこまかくアドバイスをしたことなんかは有名なエピソードです。
その他、処刑台に向かうマリー・アントワネットが、最後に自分の娘にあてて書いた手紙もあります。あいにく娘がこの手紙を読んだのは何年もたってからのことでしたが。

フランス人の中には、この本のおかげで彼女の人生について知ったという人も多いわけですが、私はなぜか、どこかで読み物を通して知ったのか、テレビで特集か何かを見て知ったのか、今回のこのスペクタクルに関わって新しく知った事実はこれといってありませんでした。

でも一方、マリー・アントワネットと音楽についての面では新しく知ること、把握することがたくさんありました。

マリー・アントワネットは大の音楽好きで知られています。小さい頃からハープやクラブサンを習い、自分で作曲もしていたそうです。残念ながら彼女が書いた楽譜のほとんどは革命時に燃やされてしまったそうですが、数曲の歌が見つかったとか。
しかもすごいことに、「ベルサイユのばら」の作者で、声楽の勉強をした池田理代子さんがマリー・アントワネットの曲を収録したCDを発表されたのだという。こうなるとフランス人もほんとにびっくりですね。

マリー・アントワネットは小さい頃からオペラやバレエにも親しみ、自分自らオペラの中の役に扮して歌ったり演じたりしていて、プチトリアノンの横には「王妃の劇場」を作り、そこでも親しい仲間たちと楽しんだそうです。

マリー・アントワネットの時代の音楽というと、すぐにどんな音楽か頭に浮かんでこない私ですが、かろうじて、ちびっこモーツァルトがマリア・テレジアの宮殿で御前演奏を行い、当時7歳だったマリー・アントワネットに「僕のお嫁さんになってください!」とプロポーズしたというエピソードを知っていて、マリー・アントワネットとモーツァルトが同時期に生きたということだけは把握できていました。

ヴェルサイユ宮殿ときくと、「ああ確か音楽史でヴェルサイユ楽派とかいうのがあったな~。」とか、「リュリやラモー、クープランあたりがこの時代の人かな~?」という程度の知識。
厳密に音楽史的にいえば、マリー・アントワネットが成人したころには、もう古典派の時代になっていて、ルイ16世のおじいさんで有名な太陽王ルイ14世の時代に活躍した音楽家たちが、リュリやクープランだったわけです。


今回のスペクタクルで使われた音楽の作曲家の名前を挙げてみると、

ジャン=フィリップ・ラモー 
Jean-Philippe Rameau 1683-1764
クリストフ・ヴィリバルト・グルック 
Christoph Willibald von Gluck 1714-1787
アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ 
André-Ernest-Modeste Grétry 1741-1813
ニコロ・ピッチンニ 
Niccolo Piccinni 1728-1800
アントニオ・サッキーニ 
Antonio Sacchini 1730-1786
アントニオ・サリエリ 
Antonio Salieri 1750-1825
ヴォルフガング=アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791

マリー・アントワネットが生きたのは1755年から1793年ですから、彼女の時代に活躍した音楽家たちであることは一目瞭然。モーツァルトなんて一歳違いで二人して若く亡くなってますから本当に同時代同世代の二人なんですね。どの作曲家にしても、オペラというジャンルの発展に貢献した人たちであるという共通点があります。しかもこの作曲家たちは単に王妃と同時代なだけでなくて、実際にマリー・アントワネットと親交のあった人たちなんです。

例えば、ラモーはヴェルサイユ宮殿でフランス王室作曲家という名誉あるポストを務めていた人。イタリア人であるニコロ・ピッチンニは、マリー・アントワネットによってパリに招かれた作曲家です。

でもなかでも一番王妃とつながりが深かったのはグルックです。彼はマリア・テレジアの宮廷楽長を務めていて、幼いマリー・アントワネットにハープやクラブサンのレッスンをした人物なんです。しかも、フランスへの嫁入りの際には音楽教師としてパリまで同行してきたのです。

グルックの作品に有名なオペラ「オルフェとエウリディーチェ」がありますが、マリー・アントワネットがこのオペラをお気に入りだったというのも無理ありませんね。
しかもこのグルックは、オペラの改革を行ったとして、音楽史の中でとても重要な作曲家なんです。

私はこの時代のオペラのことなんてほとんど知りませんでしたが、今回このスペクタクルに参加したおかげで、いろいろ聞いてみよう、勉強してみようというきっかけをもらいました。

一口に音楽といっても、一口にクラシック音楽といっても、そのジャンルや時代を切り口にして扉が開かれ、そこからまた数えられない名曲がまだまだあることを知るものですね。いやはや。

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