ファーブルという名前を聞くと、日本人はファーブル昆虫記のファーブルさんを思い浮かべてしまいますが、こちらはファーブルというモンペリエにゆかりのある画家の名前を冠した美術館です。フランソワ=グザビエ・ファーブル François-Xavier Fabre(1766-1837)はフランス古典派の画家。パリやイタリアで活躍しましたが、1824年にモンペリエに移り住み、1837年に亡くなるまでこの地で暮らしました。彼はモンペリエの街に美術館が誕生する足がかりとなるようにと、自分の作品や蔵書をモンペリエの街に寄付することを提案して、1828年にその美術館がオープンしました。彼は亡くなるまで美術館館長を務め、モンペリエの美術学校の学長も務めました。モンペリエの美術界発展につくしたその功績は多大なものだと誰もが認める人でしょう。
美術館はその後発展をつげ、フランスを代表する重要なコレクションをもつ美術館となりました。そして2003年から2007年の間、美術館は一部閉鎖または完全閉鎖をして増築改築の工事をし、2007年の2月に新装オープンしました。工事が長引き、(まあフランスではいつものことですが、)モンペリエ市民もあきれかかっていたところ、この新Musée Fabreの出来栄えに皆が驚き、今ではモンペリエ市民が誇る一大美術館となったのです。
以前は3000平方メートルくらいだった展示エリアが9000平方メートル以上になったんです。モンペリエの歴史的市街地区にある古い18世紀の建物がもともとの美術館だったのですが、周辺の建物も買い取り、増築されたわけです。工事を担当したのはモンペリエにある設計事務所ですが、ほんと見事な出来栄え。それぞれの建物をうまいことつなぎ合わせて、広々としたモダンな美術館となりました。
ファーブル美術館のコレクションは17世紀から19世紀の絵画がメインで、そのほかデッサン、版画、彫刻などもあります。確か去年か一昨年に、ファーブル美術館の一部が日本に公開ツアーに出ていたと思います。一番有名なのはクールベ(Gustav Courbet) の「こんにちは、クールベ先生!」と呼ばれる絵です。
モンペリエにゆかりのある画家の作品も多く、自分も知ってる場所や景色を題材にした作品を見ると親近感もわくものです。
さて、私はというと、2002年の夏にモンペリエ短期滞在したときに語学学校のみんなと見学したときっきり、この美術館に足を運んだことはありませんでした。私の家から近いし、美術館の前はしょっちゅう通るわけですが、普段あまり美術品に特別な興味をもっていないので、「さあ、今日はファーブル美術館に行こう!」と思う日がないまま今日に至ったわけです。
でも、そんな私もさすがに気になる特別展示が6月末から行われていました。それはアール・ヌヴォーのアーティスト、アルフォンス・ミューシャ Alfons Mucha (1860-1939)の作品展。チェコ出身の彼は、1900年前後のパリでポスター画家として大成功をおさめ、イラスト画家、装飾デザイナーとして世界的に人気を集めた人です。チェコでは彼の名前はムッハと発音するのですが、大成功をおさめたパリではフランス読みでミューシャ。日本ではこのフランス語読みに適応してミューシャとして知られています。
6月20日から9月20日の3ヶ月間に渡る特別展示。
街のあちこちでこのポスターが見られました。
またはこのチラシも。
毎度のように「行きたいな~。」とは思いながらも、もう公開終了が近づいてきてました。
そこへ、7月に出会ったとあるマダムが、ファーブル美術館で行われるミューシャの作品をテーマにした講演会に行かないかと誘ってくれたのです。残念ながらその日は都合がつかずに行けないけれど、ミューシャ展にはいきたいと思ってる。と伝えると、彼女はファーブル美術館の定期会員で、水曜日の夜なら友人を招待する権利があるからどうだと声をかけてくれたんです。
ファーブル美術館は月曜定休で毎日オープンしてますが、水曜日は夜の開館で21時までやってます。で、この前の水曜日に私も仕事後時間が空いていたので、喜んで招待を受けることにしました。
このマダムは、新装オープン後来るのが初めてという私に、まずは常設展を足早に案内してくれました。そこで私もこの新しい美術館にびっくりしたわけです。館内は写真撮影が禁止されていて、監視員もすごい数いたので、さすがの私もこっそり撮りができなかったのでお見せできませんが、外から見るよりもずっとか広い内部。中庭とか吹き抜け部分とか、すべてがとてもきれいで、設計、建築の観点からしてもおもしろいと思います。
常設展を絵をじっくり見ることなく足早に一回りするだけで軽く1時間かかってしまいました。
ミューシャ展はじっくり見たいという私のために、そこでマダムとはお別れして、私は19時半から20時半まで、ゆっくりとミューシャ展を見て回りました。
平日の夜だというのに、かなりの数の見学者がいたことにも驚きましたが、それだけ人を集める特別展だということでしょう。
女性と花、星をあしらった独特の絵、そして曲線をふんだんに使った装飾は、それまでの絵画の世界をがらっと変えるセンセーショナルなものでした。日本にも彼の絵が好きな人がたくさんいると思いますが、私は個人的に現在のマンガ文化、アニメ文化において、彼の絵から受けた影響ってすごいのではないかと思います。それくらい彼の作品は現代的で驚かされます。
彼のポスター、挿絵、イラスト、デッサンがたくさん公開されていて、アクセサリーや家具も一部ありましたが、ハイライトが二つ。
まず、1900年のパリ万博で、彼がボスニア・ヘルツェゴビナ館のデザインを担当したのですが、その時の部屋が彼の巨大な絵とともに再現されていたんです。4方の壁一面を使って、彼独自のイメージでスラブ民族の歴史を描き表してあります。
もう一つは展示の最後にあった「スラブ叙事詩」。1910年に祖国に帰ったミューシャが数年がかりで取り組んだ巨大プロジェクト。そのうちの二枚、5平方メートルくらいなんですが、壁一面に展示されていました。
彼の愛国心を前にほんと圧倒されました。
私は彼の描く女性像よりも、周辺の装飾に見とれてしまいました。花やら曲線やらでフレームを描くのが彼のスタイルなわけですが、彼がイラストを担当した小説などが展示されていて、思わずその小説を読んでみたくなる、なんともファンタジックできれいなものでした。
祖国を愛し、祖国のために晩年をささげようとしたミューシャでしたが、そのためにナチスのチェコ侵略のさいにはまっさきに逮捕されて収容されてしまいました。開放はされたものの、収容所での体験は彼を弱らせ、開放された年内にミューシャは79歳で亡くなりました。
言葉を失いますね、こういう歴史上のできごとは。。。
館内は写真禁止でしたが、後で絵ハガキを何枚かかったので、それでちょっと彼の作品をご紹介。
まず、彼がパリデビューを果たすきっかけとなったのがこの絵。
大女優サラ・ベルナールの舞台公演の広告ポスターを担当することになった彼の第一作目が「ギスモンダ」。
サラ・ベルナールは彼の作品を大変気に入り、ポスター、衣裳などすべてをミューシャに託すという依頼をし、二人は以後6年間に渡る長期契約を結んだのでした。
今回の作品展のポスターにも使われたのは1911年の作品「Princess Hyacinth」(ヒヤシンスの姫)。
こちらは1898年の作品で「Les Arts」(芸術)。「ダンス」、「絵画」、「詩」、そして「音楽」の4つのテーマで描かれた4作品のシリーズ。この絵は「音楽」です。
ファーブル美術館の内部にはモンペリエの老舗本屋ソランプスSauramps が美術関係限定の店舗を出していて、ミューシャ関連のグッズがたくさんそろえられていました。
すっかり彼の作品に魅了された私はハガキを数枚買い、今回の展示のミニガイドまで買ってしまいました。
この前のニースのシャガール美術館といい、やっぱり自分の好きなスタイルの芸術作品を生でみるというのは、何か心に栄養をもらうような素敵なことですね。
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