トリノはイタリア第四の都市で、フランスとスイスに接するピエモンテ州の州都。イタリアの大手自動車メーカFIATフィアットの本拠地であったりして、国内ではミラノにつぐ産業工業都市。この地方は16世紀にはフランスに支配され、18世紀前後はサルデーニャ王国の首都となり、イタリア統一後の1861年から1865年の間はトリノがイタリアの首都でした。
私の目からすればイタリアっぽくなく、フランスやオーストリアの文化が混ざった感じの街だなーと思いました。昔王家が住んでいた町なので宮殿も多く、とにかく「清潔感」の意味できれいな街です。
私がこの街に立ち寄ろうと思ったのは、多少涼しいだろうと期待したのと、オリンピックも行われたこの街を一度訪れてみて損はないと思ったからです。
到着した日はあいにくの雨でしたが、翌日は気持ちのいい青空。
ホテルで朝食をすましてから、早速街歩きに出ました。
一日目に街の中心部は一応一周したので、二日目に私が目指したのは、そう、いつものように街で一番高いところ。
トリノには街のシンボルとなるタワーがありますが、そこに上るよりも、川の反対岸の丘の上にある教会を訪ねて丘の上からトリノの街を見下ろそう作戦に出ました。
トリノの街をポー川が流れます。
小さなカップッチーニ山があって、その頂上に教会モンテ・デイ・カップチーニがあります。
で、教会前からトリノの街が一望できるんです。
遠くにはアルプス山脈が見えて、雪の白さもはっきり見えますね。
しかも例のシンボルタワー、モーレ・アントネッリアーナよりもこっちの方が高そう。ふふふ。大正解で大満足。
丘をおりてグラン・マードレ広場にむかい、グラン・マードレ教会を見学。
こちらの教会からは川のむこうのヴィットリオ・ヴェネト広場が見えます。
橋をわたって街の中心部に向かうことにしました。
河岸の向こうの方にはヴァレンチノ宮殿が見えています。
この宮殿は、前日の夕方、雨上がりの中を散歩して周囲をぐるっと歩いてきました。
さて、橋をわたると大きなヴィットリオ・ヴェネト広場。
ここから街の中心地カステロ広場までまっすぐ通っている道がポー通り。
そのすぐわきにはシンボルタワー、モーレ・アントネッリアーナがあるんです。エレベーターで塔の先のところまであがれるそうです。下の建物は映画博物館。
カステロ広場につくと、右手にレッジオ劇場があります。
18世紀に建設された2500もの客席をもつ豪華な大劇場で、ヴァーグナーの「ローエングリン」やプッチーニの「マノン・レスコー」などが世界初演された由緒ある劇場なのですが、不幸にも1936年に焼失してしまいました。現在あるのは1973年に再建してオープンした新しい劇場で、外部こそクラシックですが、これはファサードだけで、実は現代建築のモダンな劇場となっています。
このレッジオ劇場からはマダ―マ宮殿の後ろ姿が見えるのですが、広場をぐるっと回ると姿を現す宮殿のファサード。
トリノにはいくつもの宮殿がありますが、このマダーマ宮殿 Palazzo Madama は中でも重要な宮殿の一つ。現在内部は古美術館となって、中世から19世紀の美術品とともに内部が公開されています。
正面入り口をはいってからの大階段の広間は入場無料で自由に見学ができます。
この宮殿のユニークなところは、正面のファサードだけあとで作り直されていて豪華絢爛ですが、後ろはすべて中世の古くさ~いレンガ積みの宮殿なのです。見えますか?
私は宮殿内をみるために美術館に入場することにしたのですが、なんとまたも思いがけずに入場無料の日でした。シャガール美術館につづいてなんとラッキーなこと。
しかも普通7ユーロのところがみんな無料って、トリノ市も太っ腹ですね。
さて、中に入ってみると古い古い。ローマ時代の門が中世に要塞になり、15世紀に王家の城となったという移り変わりが、建物の壁をみているとわかります。
今でも発掘が続けられているというローマ時代の壁や中世の壁跡。
中世の壁跡。
17世紀の王様の未亡人、フランスから来たマリー・クリスティーヌの住まいとなり、彼女がマダ―マ・レアーレ(王家の令夫人)と呼ばれていたので、宮殿もマダ―マ宮殿と呼ばれるようになったのだとか。
彼女が生活していた部屋などは、いたってフランス風で優雅。
フランスにいる気分になってしまいます。
イタリア統一がなされてトリノが首都であった時期に上院議会がおかれていたのもこの宮殿でした。大広間の天井は高い高い。。。
美術館としては、絵画のほかにも王家ゆかりの品々がたくさん展示されていました。
王室の人がこれに乗っているのを想像するとなんだかかわいい。
こんな感じでマダ―マ宮殿を満喫できました。
さて、マダ―マ宮殿のすぐ隣にあるのが王宮パラッツォ・レアーレpalazzo Reale。
1660年から200年の間、サヴォイア王家の住まいだったのがこの宮殿なのです。
この宮殿は数人のグループ毎に時間が決められた見学しかできず、この日の夕方ヴェネチアに向かって電車に乗らなくてはいけない私の時間には合わなかったので見学できず。残念。。。
宮殿の中庭からはドゥオモが見えるんですが、工事中ですっぽり隠されていた。
このドゥオモ、鐘楼とクープラと並んでる姿がとてもきれい。1498年に建てられたこの教会はたくさんの観光客を集めています。なぜかというとあの有名な聖骸布があるからです。
キリストの遺体を包んでいたと言われるエジプト布で、キリストの体の跡が残っていると言われているのです。
本物はしっかり保管されていて、原寸大の写真が公開されています。まあ科学調査の結果、キリストの時代のものじゃないと言われていますが、それでも信者にとったらキリストにしか見えないこの人の姿。やっぱりもしかして、と思ってしまうんでしょうね。本物の聖骸布が一般公開される日には世界中からキリスト教信者が集まるそうです。
ここまで街の散策をし、そろそろ電車の時間を気にしなくてはいけなくなりました。ので、ホテルに戻ることに。
ローマ時代に街の基礎が出来たというトリノの街は、まるで京都の街のように、ほぼ碁盤の目状態の街づくりになっています。通りがまっすぐのびていて、町全体がきれいだけどきっちりかっちりした雰囲気をもっています。
カステロ広場からまっすぐにのびる道を見てみれば、遠くにトリノのポルタ・ヌオーヴァ駅が見えます。
駅からまっすぐのショッピングメインストリートがローマ通り。王宮と駅の真ん中ほどにあるのが、大きなサン・カルロ広場。そしてこの広場に面して双子のように対になった教会があります。
こんな風に半日+半日で街を十分に周れて、しっかりとトリノの街並みを味わいました。
とにかく優雅で清潔な感じのきれいな街です。
マクドナルドだってこんなにシックな外観。
目にとまったのが薬屋さん。フランスとは違って、なにやら古い、クラシックな店構えを保っている薬屋さんがほとんどで、もしかしたらそういう伝統なのかもしれませんね。
トリノの街を歩いていて印象に残ったのが、建物には回廊みたいに円柱のならんだ屋根つき歩道部分があることが多いということ。どこを歩いてもアーケード状態でした。たとえ小さな建物だって、ほら、ご覧の感じ。
このおかげで、一日目の雨の中の散策も、傘にわずらわされることなく歩けました。
あと、この町で印象深かったのが、道行く人みんながフランス語しゃべってるのかと思うほど、イタリア語よりもフランス語に似た言葉がよく聞こえてきました。国境が近いからみんなフランス語もしゃべれるのかと思って、ホテルのフロントで質問してみました。「トリノの人ってほとんどの人がフランス語しゃべれるんですか?」って。そしたらフランス語ではなくて、この地方の方言だという。イタリアが統一されてまだ百数年のイタリアでは、長い間、それぞれの都市が独立した都市国家でした。それぞれの都市が独特の文化をもち、それぞれの言語をもっていたのです。そしてこのトリノがあるピエモンテ州の言葉というのが、どうやらイタリア標準語よりもフランス語に近い言葉らしいのです。こうなったら方言以上のものですね。
さいごにおまけですが、あまりに久し振りで予想外だったので写真撮っちゃった店が。
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