今夜がその初日だったので、ちょっとまた「魔笛」ネタを。といっても私はモンペリエで留守番。。。
しかも驚いたのは、舞台上での演出がかなり大がかりなのにもかかわらず、モンペリエのオペラ座のスタッフでパリに行くのはレジッサー・ジェネラル(舞台マネージャー)のTさんだけで、他のメンバー、大道具、小道具、舞台レジッサーたちは誰一人としてパリ公演に参加しないというのです。
つまり、パリに行くのは指揮者、ソリストはもちろん、モンペリエ・オーケストラ、モンペリエ・オペラ座の合唱団、実際に舞台にでる出演者だけということなのです。舞台裏に関わるすべてのスタッフは、シャトレ劇場のスタッフというわけです。そして演出と一体となった舞台進行をまとめるために、モンペリエからただ一人Tさんが行って現地のスタッフをまとめるのです。
出演者というと、もちろんクナーベン役のオペラjrのソリストたちもパリに行きます。というか、この前の土曜日にパリに向けて旅立ちました。
3人ずつのグループを2つ作ってありますから、6人が合唱指導のヴァレリーと世話係スタッフ二名とともに一週間のパリ生活。
見てておもしろいのは、フランスにおいて彼らは完全に地方の出身者であって、パリに行くというのは超お上りなことだということ。みんなはりきっちゃってはしゃいじゃってしょうがないという感じでした。
でもそれも当然ですね。
6人のうち4人は14歳、15歳で、まだ中学生。そんな子たちがパリのシャトレ劇場の舞台で歌うんですから。将来、「私はパリのシャトレ劇場でソロで歌ったことがある。」と言えてしまうんですよ。
オペラjrというのはコンセルヴァトワールのように学校教育とタイアップできる特別制度を認められた組織ではないので、普段からオペラjrのメンバーは、本番や本番前の練習のために学校を休んだり早退する必要がけっこうちょくちょくあります。で、オペラjrの成果と評判を認めて応援してくれる先生や学校長がいる一方で、不満をあらわにして何かとちくちく言ってくる学校もあります。
今回パリにいくために丸々一週間学校を休むメンバーの周辺には、心よく応援してくれる人が多かったようです。でもそれもそのはず。「シャトレ劇場」というのは、フランスで有数の伝統あるトップ劇場の一つなのです。
実は私、シャトレ劇場に行ったことがあって、しかも劇場の2階ロビーの大広間でピアノを弾いたことがあります!
なんて得意げに言えることでもなんでもなくって、2003年の冬、当時体の故障やいろんなことでピンチを迎えていた私がひょうんなことから某財団がシャトレ劇場で特別に設けている給費研修生というのに応募してみたのでした。事務のスタッフのお兄さんが劇場の裏出口まで荷物もって見送りに出てくれたりして、パリジャンはジェントルマンだわね~と感心したりしたものです。って、単に日本人好きだったのかもしれんけど。いや~、懐かしい話です。
話は「魔笛」に戻りまして、クナーベンの学校関係者が好意的なら、6人のメンバーの親にはもう一大事でしょう。6人にはシャトレ劇場でのゲネプロの招待券が2枚与えられるとのことで、ゲネプロも本公演も含め、親や家族たちもモンペリエからパリへ上る計画をたてていたようでした。
今回、選ばれた6人の中に一人だけ男の子Gがいました。彼は15歳。とてもきれいなのびのある声で、しかも演技力もピカ一。モンペリエでの練習中には演出のスカルピタ氏にもたいそう気に入られ、彼の大舞台を私たちも楽しみにしていたんですが、実はモンペリエでの舞台稽古の後半あたりから「おや?」と思うところがでてきました。それはモンペリエでのゲネプロの日にはもっとめだっていき、その「おや?」はパリに向かう数日前の練習の時にはさらに明らかなものとなってしまっていたのです。
それは声変わり。
15歳の男の子といえば、声変わりがきて当り前の時期。
クナーベン役の選抜を検討しているときからそのことは私たちもわかっていました。でも彼の歌声の調子がとてもいいことと、彼にこの大きなチャンスをつかんで欲しかったこともあって、リスクを承知で選んだのでした。リスクは承知だけど、もちろんこの「魔笛」が終わるまで持ちこたえてほしい!という強い願望つきで。
しかし現実は厳しい。半年前でも2週間後でもなく、ドンピシャでシャトレ劇場での公演の時期に声変わりが来てしまいました。。。まだ完全に声が変わってきたという段階ではないのですが、明らかに声が通らない音域ができてきてしまったのです。
指導者ヴァレリーもこのデリケートで大事な問題については本人にだいぶ前から話していたし、その場合には本番では歌えないことになるということも十分に説明してありました。
パリにいく直前の練習の日には5回に3回は声が飛んでしまう感じで、でも5回のうち2回は今まで通りの声が出たりしたので、まだもち直したりするのかという期待もあり、また、そんな直前にモンペリエ居残り命令を下すわけにもいかず、彼もみんなと予定どおりにパリに向かいました。
しかしパリに行って5日目の昨日、私が受けた知らせでは「彼は本当に声変わりに入ってしまった。」ということでした。だから残念だけど、彼はシャトレ劇場でもモンペリエでも、もう本番では歌えなくなってしまったということだと思います。2つのクナーベングループを作っておいたことが唯一の救い。こうなってはもう一つのグループで同じパートを歌う14歳のLがすべての公演で歌うことになります。それはそれで大丈夫かしら、、、。
G本人がどういうふうに受け止めているのかはわかりませんが、楽譜も読めない彼が真剣に取り組んで選ばれて、一流のプロたちに囲まれて練習したことは、誰もが経験できることではない貴重な財産だとはっきりとわかってくれているといいなと思った私です。
シャトレ劇場では今夜から日曜日の午後までで3公演が行われます。
フランスの一地方都市にすぎないモンペリエからの出張公演。パリの観衆、パリの音楽界、評論家、マスコミはどんな反応をするのでしょうか。土産話をきくのが楽しみです。
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