モンペリエオーケストラのシーズン中のコンサートに、毎年一回か二回、合唱付きのプログラムがあります。歌うのはLe choeur symphonique (交響合唱団とでも訳しましょうか)という名の合唱団。
モンペリエにはオペラ座所属の合唱団は存在しますが、オーケストラとコンサートで歌うような合唱団は存在していませんでした。しかし実際、クラシック音楽のレパートリーにはオペラじゃなくってもたくさんの合唱付き音楽があるわけです。そこで、とあるミュージシャンが「モンペリエのオーケストラと一緒にコンサートができる合唱団を作ろう!」と立ち上がったのです。
しかし厳しい経済状況のなか、しかも単発のプログラムのために新しいプロの合唱団を作るなんてことはできません。そこで彼が考えたのは「既存のアマチュア合唱団を集めてトレーニングをし、レベルアップをはかってプロのオーケストラとコンサートができるように仕上げる。」というアイディア。彼は王様クリング氏の了解も得て、この合唱団が参加するプログラムをモンペリエオーケストラのシーズン内に入れ込むことに成功しました。
これまでにヴェートーベンの合唱付きの作品やマーラーの合唱付き交響曲、ドビュッシーの「サンセバスチャンの殉教」などを演奏し、すでに3年が過ぎました。今年度は彼らにとって4年目のシーズン。そこへ大きな大きな大曲をもってきました。今年の演目はブラームスのドイツ・レクイエム。
新シーズンのプログラムが決定してまもない今年の5月ごろ、私はこの合唱団立ち上げの張本人とお仕事をする機会を得ました。そこでうれしいお誘いを受けたのです。
「ねえ、僕と一緒にドイツ・レクイエムできない?」って。
その時は一応「はい。」とは返事したけど、詳しい話は一切しなかったし本当にそうなるかわからなかったのですが、今年の7月、再度この発起人と一緒に仕事をしました。すると彼はしっかりとこの話を覚えていて、「君に僕らと一緒にドイツ・レクイエムやってほしいんだけど。」と改めて言われました。そして今度はちゃんと事務的代表者の電話番号ももらい、「練習は秋に土日を使って何回か集中的にやる感じ。」との説明も受け、現実的な段取りが進みました。
土日ときくと、私にとっては詳しいスケジュールだけが気がかりだったのですが、事務代表者に電話をいれると「バカンス明けに改めて連絡します。」と言われたまま連絡はなく、9月半ばが過ぎました。
するとある日モンペリエ・オーケストラから電話がありました。
「マダムleonardo ? モンペリエオーケストラの事務ですけど、オペラjrからあなたの電話番号をもらって電話させてもらいました。実はムッシューエルヴェ・ニケが今年度1月にコンサートをするドイツ・レクイエムの伴奏ピアニストをマダムleonardoにやってもらいたいとおっしゃっているのですが、興味はおありですか?」と、なんともご丁寧な口調で言ってきたのです。
「Le choeur symphonique という130人の大合唱団との練習に参加してもらうことになるわけですが、、、。」というので、「はいはい、その話なら彼から話を聞いています。」と答え、「スケジュールが合い次第、参加したいですが、、、」と告げた。
そう、この合唱団を立ち上げた人というのはエルヴェ・ニケ氏。このブログでも何度か名前が出てきたフランスバロック音楽のスペシャリストといわれる指揮者です。彼自身が立ち上げたバロックオーケストラとコーラスとの活動以外に、彼はこうして普通のオーケストラを指揮し、ロマン派なんかの音楽も積極的に演奏しているのです。
今思えば、こんな人からの誘いに対し、「スケジュールが合えば、、、」なんて答え方はえらそうだったなあと思うのですが、私はオペラjrでは常任メンバーでもあるので、そう簡単に欠席したり代理を頼んだりできません。
ところが、事務の人に教えられたスケジュールは、ラッキーなことに私の空いてる時間帯にぴったりあてはまるではないですか。例えば、私が18時まで詰まってる日に対しては20時からとかで、まさにどんぴしゃり。私自身驚きながら、「あ、それなら大丈夫そうです。喜んでさせてもらいます!」と言いました。
私はLe choeur symphonique との契約を交わすと思っていたわけですが、モンペリエオーケストラのコンサートのために働くということで、雇い主はオーケストラということになるわけです。
そういえば、オーケストラと契約を交わすのが今回が初めて。
電話口の事務の人はあいかわらず丁寧に私を扱ってくれて、「CORUMの近くに来られることなんてありますか?もしなければ郵送しますが、、、」と言うので、「CORUMには毎週行きますよ。しかも私近くに住んでますから、よかったら事務所に立ち寄りますよ。」と提案しました。
そして数日が、CORUMの最上階にあるオーケストラの事務所に行きました。
そこで事務スタッフと対面。私の身分上の情報やら契約の確認をし、ドイツ・レクイエムの楽譜も貸し与えられました。
スケジュールはというと、10月に土日二日間にわたって12時間の集中練習、11月の土日には8時間半の集中練習。そしてコンサートがある1月の週に3日間オーケストラと練習して本番が二回。
もちろん合唱団のメンバーはそれぞれのグループが指導者とともに練習準備してくるわけで、ニケ氏が自ら全体の指導、まとめ調整をするわけです。私が当初想像していたのよりもニケ氏との練習が少ない。アマチュア合唱団とこれだけの練習で足りるのか?と驚いたけど、現実問題、ニケ氏は超多忙な人だから、そうそうモンペリエにも来れない。このスケジュールでなんとかしないといけないというのが本当のところなんでしょう。
私が楽譜をもらったのは9月半ば。最初の練習まで4週間ありました。
私の任務は練習のためなわけですから、1月に向けて改良するというのではなくて、最初の練習のときにすでに仕上がってないといけないわけです。
事務のスタッフは「それではがんばって!」と言ってくれましたが、当時の私には「ビスタンクラック」のことしか頭になくって、「ドイツ・レクイエムはまあなんとかなるかな、時間もあるし、、、」なんて思っちゃったんですね。
10月10日のビスタンクラックコンサートが終わってから、大慌てでドイツ・レクイエムの準備をしたのは言うまでもありません。しかもビスタンクラックコンサートの翌日日曜日から金曜日までのわずか6日間。この間、例のフランステレコム問題と滞在許可証問題をかかえ、私あっぷあっぷでした。
ニケ氏は厳しくって有名。
私は練習の前日にはオペラjrのヴァレリーに「うわ~、やばいよ~。明日ドイツレクイエムだよ~。」と嘆き、練習当日の朝はピアノの生徒が3分でも遅れてきたらピアノに向かって最後の悪あがきをしました。
そして15時。練習初日。
130人を超す合唱メンバーとニケ氏との対面。
さてさて、この話はまた今度。
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