10月6日の火曜日、県庁からの召喚状が来ました。
これが来ると、早朝の列並びはしなくていいけど、月曜日から金曜日の間の13時半から15時半の間が受付時間の「召喚状を持つ外国人」という枠組の中で対応されます。そして当然、これにも人数制限と時間制限があるわけで、私たちは13時半に作動し始める整理番号配布マシーンに向かって12時ごろから列を作るのです。。。
この限られた時間帯。はっきり普通に働いていればいくら滞在許可証が大事だといっても、いつでもかんでも県庁に出向けるわけではありません。
少なくとも私の場合、6日に召喚状を受け取ってから水曜日、木曜日、金曜日と時間の都合がつかずにいけませんでした。なんせあの「ビスタンクラック」のコンサートの時ですからね。
そう、この週は私にとってハードな仕事と落雷のトラブルと滞在許可証の問題のトリプルパンチの週となったのです。
私が県庁に行けたのは週が明けてからの月曜日。余裕に余裕をもって家を出て、12時前に県庁ロビーに入ると整理番号の機械の前には北アフリカ系の男性2人がすでに立っていました。
長いこと立っていることが苦手な私は人目をはばかることなく床に紙をしいて座りこみ、「ドイツレクイエム」のピアノスコア持参で頭の中で音を鳴らしてトレーニング。
担当窓口が13時半にあくとのことだけど、整理番号配布の機械は非情にも13時半まで動かない。その間、私たち「外国人」はひたすらつったって我慢。赤ちゃん連れの人、妊婦さん、病気っぽい人は列を離れて椅子に座ったりします。私たち外国人の間では一種の連帯感があって、お互いに励ましあう空気があります。
でもとにかく忍耐。いずれにせよ、待つしかないのですから。
13時半ちょうどに機械が動き出し、みんなそれぞれ番号札をとったら、今度は外国人窓口の方へ移動。そこにいくと少し長椅子があるので早くから並んでた人は椅子に座れます。ちょっと人間的扱いを受ける感じ。
しかし、そこからがまた長かった。10分たっても15分たっても窓口に担当者が来る気配がないのです。
そうなるとみんなイライラ。「おれたちを馬鹿にしてんのか?」ってなもんです。
13時50分が過ぎてようやく番号札1番の人が対応を受けました。
結構、進みが遅い。
みんながイライラして見ている中、総合受付のおばさんが割り込んできました。91歳のおじいさんが自分の書類のことで問い合わせにきたけれど、そんな高齢の人に「とにかく朝7時に列に並ばないとだめです!」とはとても言えない、と彼女は外国人担当者に訴えるのです。
やさしい行動ですよね。
でも同時に私はこのフランスらしい光景にちょっと笑えました。だって本当に人それぞれが個人の考えで行動するって象徴。私が前回総合受付で質問したときは、「とにかく朝7時に列に並びなさい。」だったわけで、数日後に別の人に質問したらちゃんとその場で情報をくれて、、、。おじいさんだってこのおばさんに当たってなかったら「とにかく朝並べ。」と言われていたはず。
私たち外国人の側も、この高齢のおじいさんを見て、「そりゃおじいさんを朝から外で並ばせるなんて非人間的だよね。」と思った人もいるだろうし、「その人だけ特別扱いするなんてずるい。私だって赤ちゃんがいて大変なんだから。」と思った人もいることでしょう。
このおじいさんは受付のおばさんの気遣いを受けたのいいものの、そのあと対応してもらえるまでかなりの時間たちっぱなしで待たされていました。それはそれで気の毒な。。。
さて、私の番になり、いざ窓口へ。
すると渡されたのはレセピセと呼ばれる3ヶ月間有効の仮滞在許可証。
15センチ四方くらいで公式のきれいな紙。でも私の証明写真がホッチキスで貼られているだけで、所詮は紙っきれ。
が~ん。。。
この日、10月12日でしたが、3ケ月有効というのは私の滞在許可証の期限に準じているので、1月12日までというわけではなく、しっかり12月22日までという。
。。。。。
はあ。
私、実は、この冬に日本に帰ろうと計画していたんです。
バカンス大国のフランスにあっても、私は仕事のスケジュール上、バカンスが自由にはとれなくって、8月の2週間か年末年始の数日間くらいのもの。でも今年の冬は私が変に臨時の単発仕事を引き受けなければ2週間弱の休みがとれそうだったのです。
しかも飛行機のチケットを調べていたら、めずらしいことにエアーフランスが一番安いのを出していて、モンペリエからパリ経由大阪の往復で960ユーロというのを見つけました。年末年始は夏と並んでトップシーズンですから、この時期にこの値段なら文句はありません。もうこのチケットに決めて支払いを確定しようかという寸前のところまで来ていたんです。
滞在許可証に関しては、たとえ10年カードをくれなくても1年カードをくれると思ってましたから。
ところがところが現実は厳しい。
もらったのはたった3ヶ月の紙っきれ。
このレセピセが12月22日までしか有効じゃないということですから、本物の滞在許可を貰えないと、12月22日以降外国からフランスにもどるときには単なるツーリストとしてしか入国できなくなります。私にとっては大事な問題。
だから窓口で質問しました。
「あの~、今日のところはこの紙切れですけど、後で結構さっさと本物のカードくれるってことですか?私、ちゃんと7月に書類を出してるわけだし。。。」と。
そしたらマダムは「いえ。書類の進行が遅れているから、おそらく12月22日ごろに次の知らせがいくと思います。」というではないですか。
「え~。私久しぶりにこの時期に日本に帰ろうと思ってたのに!」とごねると、「その日にちまでに帰ってくれば問題ないですよ。」とすました顔で言うから、「私の予定は年末を過ごすってことなんです。12月22日までに必ず次のカードをくれるっていうなら飛行機のチケットとれるけど。」とまたごねると、向こうはすました顔で「私には何も言えないわ。12月22日あたりとしか。あとはあなたが決めることよ。」とおっしゃる。
はあ。。。
毎年、滞在許可証の期限は9月24日とわかっていながら、それまでに更新が完了したことなんて7回のうち1回しかない。だから今回も12月22日までにもらえる確信なんてもてるわけがない。飛行機のチケットキャンセルとかは結局お金がかかってくるし、私の日本里帰り計画はいったんお流れとなったのです。
すでに疲れきった顔をしていた私。この日から会う人みんなに「聞いてよ~!!」とショックを爆発させたのは言うまでもありません。
「ドイツレクイエム」の練習で指揮者のエルヴェ・ニケ氏が「日本にはちょくちょく帰ってるの?」と聞いてきたときに、ついつい「ちょくちょくどころか、もう2年半帰ってないけど、それどころかひどいの!」とまくしたててしゃべっちゃいましたよ。
以来、会う人会う人はみんなが「で、県庁からなんか言ってきた?」と尋ねてくれるのですが、答えはもちろん「Non.」
この国では期待して待っていても疲れるだけですから、私ももう日本行きは保留と言うよりはいったんお流れということにしました。だって、こうしてるうちに飛行機のチケット料金はどんどん変わっていく。。。例のエアフランスのチケットは300ユーロ上がって1240ユーロとなってしまいました。ああ。。。
音楽学校とオペラjrに加えて、この落雷、ビスタンクラック、県庁並び、そして超密度の濃い「ドイツレクイエム」の練習が連日続いて、ほんとに超超ハードでした、2009年10月。
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