2010年3月13日土曜日

コスモポリタンな夜

先週行われた、イギリスの若手指揮者ベンジャミン・エリンくんのコンサートの後のこと。

ロシア・東ヨーロッパの現代曲ばかりの難しいプログラムにも関わらず、CORUMの中型ホールSalle pasteur は満席。お客さんは熱心に聴き入り、ベンジャミンとミュージシャンに熱烈な拍手を送り、コンサートは大成功に終わりました。

たった二日の練習でよくこんなプログラムをこなしたな~。聞いてるだけでどんだけの集中力とエネルギーが消耗されたかよくわかったわ。。。と思いながら、指揮者さんの楽屋を訪ねました。ミュージシャンや関係者が祝福やお別れの言葉をかけあって、さらには熱心な音楽ファンがサインを求めに来ていたりして、いつもどおりの舞台裏の風景。

そこにはこの日、自分の作品が演奏されるためにサンクトペテルブルクからかけつけたロシア人作曲家アレクサンダー・ラドヴィロビッチ氏(Alexander RADVILOVICH)もいて、ベンジャミンと熱心に話ていました。

ベンジャミンと先日会ったときに、コンサート後にもしかしてオフィシアルなカクテルパーティーがモンペリエ・オーケストラから準備されてるかもしれないから、私はそのあとで合流して一緒に食べに行くか飲みに行こうという話にはなってました。が、意外と主催者は淡白で、この日はカクテルパーティーも何もなし。

一方、この日演奏した弦楽オーケストラ「Orchestre de catalogne」のメンバーは、彼らの間ですでに打ち上げの段取りを決めていました。

そこへ指揮者ベンジャミンと作曲家ラドヴィロヴィッチ氏は自然な流れで「よかったら一緒にどうぞ!」と声をかけられました。これはさすがに私は全くの部外者だし、ここでさよならしようか、、、と思ったところへ、「leonardo も一緒に!」とベンジャミンが一声入れてくれて、「え~?!お邪魔になってもいけないし、、、」と私がびっくりしていると、オーケストラの代表者さんは、「とんでもない、どうぞどうぞ。」と迎え入れてくれました。

そんなわけで、なんちゃってleonardo は指揮者さんの友人ということで、この日のコンサート打ち上げにまぜてもらったのでした。

言われた場所はコメディー広場近くのレストラン。

ベンジャミンの宿に荷物を置きに寄ってからレストランに向かって、他のみなさんと合流。

私は誰一人知らないしツテもつながりもないわけだから、最初はちょっとウロウロ、控えめにしながらどこに座ったらいいのやら、、、と落ち着かずにいました。

すると、オーケストラの代表者さんが、誰がどこに座るべきかを考えて私たちを誘導してくれました。やっぱり指揮者が真ん中、作曲家さんと指揮者の友人(私)がその両となり、そしてオーケストラの代表者さん二人がその向かいに座り、周りをミュージシャンが固めるといった感じ。

ここからがおもしろかったんです。なんで座る席を考えないといけなかったかというと、この日そろったメンバーがかなりの多国籍集団だったからなんです。

まず、このOrchestre de Catalogne というのは、フランスとスペインの国境のカタルーニャ地方に根差して音楽活動をする目的で誕生しているだけあって、メンバーはフランス人とスペイン人がメイン。中にフランス語を全くしゃべらない人が二人いました。

ここへイギリス人である指揮者ベンジャミンが加わります。今やあちこち飛び回って活躍してるだけあって、フランス語、ドイツ語、ロシア語の基礎的会話はもうできちゃいます。

作曲家のラドヴィロヴィッチ氏はサンクトペテルブルク在住で、ロシア語とドイツ語がしゃべれる。英語はほんの少々。                                                                               

オーケストラのメンバーのほとんどは25歳から35歳くらいの若手で、リヨン国立高等音楽院の卒業者が多いとのことでした。そんな中に一人だけ年配(60歳近い)のロシア人がいました。彼は数年前からスペインに住んでいるので、ロシア語とスペイン語がしゃべれる。でも英語は全くダメだと。もう一人、フランス語がしゃべれないというのは私の年くらいの男の子。東ヨーロッパ出身のようですが、英語、スペイン語、ドイツ語やら数ヶ国語がペラペラなのに、フランス語だけはゼロだそうです。

そして私は日本語!とフランス語とあやしい英語。

オーケストラの芸術監督を務めるB氏は英語が得意ではない様。代わりにオーケストラの理事長を務めるCさんは英語とスペイン語ができる。彼女は「自分の英語に磨きをかけるために英語でしゃべってもいいかしら?」とベンジャミンに聞くほど。

こんな顔ぶれがちゃんとコミュニケーションとれるようにと、という配慮から、座る席を前もって考えたのでした。

私の右側にはロシア語ができるというヴィオラ奏者が座りました。なぜかというと、その向かいにはロシア語とスペイン語しかしゃべらないムッシューがいるから。作曲家さんと彼、ロシア人同士がしゃべる分にはいいけれど、他の人としゃべるには、誰かがスペイン語で通訳しないとコミュニケーションがとれません。

そんなこんなで一つのテーブルの上で数ヶ国語が飛び交う状況になったのです。

私にとってロシア語というのは全くの未知の世界。私のとなりのヴィオアラ奏者はまだ若いのに上手にロシア語をしゃべる。すっかりインパクトを受けた私は「どこでロシア語を身につけたの?」と聞きました。そしたら彼の奥さんがアルメニア人で、「アルメニアではロシア語がほぼ共通語のように使われているから、どうせならと思ってロシア語を勉強したんだ。」と説明してくれました。

すると本人がアルメニア人だという女の子もいました。アルメニアという国自体私には未知の世界。その子と日本人の私はフランス語で会話をする。

ベンジャミンはかなり進歩してきたフランス語でがんばってしゃべりますが、ミュージシャンの中にはとっても英語が上手な人たちもいます。そんな彼らは英語で会話します。そんな姿を見ているとまだまだ外国人英語のレベル「中の下」の私は情けなさを痛感。でもいい刺激を受けました。

自分自身おしゃべりしつつ、またみんなのおしゃべりややりとりを眺めながら、なんだかうれしくなるひと時でした。というのも、この日のメンバーは年齢も25歳の若い子から30代後半までをメインにしつつ、45歳くらいのCさん、50代後半なのがB氏とロシア人二人と幅があって、国籍も言葉も年齢も違う人たちが「音楽」というものだけをつながりにこうして出会ったりするんだな~というのがとっても素敵なことに思えたからです。

また私にとったら、モンペリエ出身でモンペリエで勉強を終え、そのままモンペリエで仕事をしている人たちとは違って、フランスではパリとならんで音楽部門最高峰であるリヨンの国立高等音楽院を出た優秀で若いミュージシャンの一同とこうして接する機会をもてたのはよかったです。みんな競争をくぐりぬけてきたというのを感じさせる面もあるし、ごくごく普通の人たちという面もあるしで、普段こうして大勢と一度に接する機会がないような人達でしたからね。

作曲家のラドヴィロヴィッチさんと私は英語で会話。彼も国も違い年も離れたミュージシャンとの思いがけない交流を心から楽しんでいるようでした。

私自身、もっと年を重ねたときに、自分よりも20歳若い人たちとどういう風に接するんだろう、、、と想像してみたり。

この日の私なんて全くの部外者だったにも関わらず、みなさん優しくフレンドリーな人たちで、私がピアノ弾きということをきっかけにおしゃべりは広がりました。しかも、私が今回のコンサートでチェレスタ奏者として共演していたかもしれないのに!ということにはみんなが「え~!なんでそう決まらなかったんだろう!」と残念がってくれました。

オペラjrのことなんかはほとんどの人が知ってたし、CさんとB氏に至っては、去年、オペラjrの女の子たちだけでペルゴレージの「スタバトマーテル」のコンサートをペルピニャンの近くでしたときの、そのコンサートの主催者が彼らだったということが判明。それなら話は早い。

さらに私が「いつのまにかモンペリエではオペラの世界に入り込んでオペラの方向に専門化しかかってて、それはそれでいいことだけど、器楽奏者と演奏する機会がほとんどないのが残念だったりもする、、、」とか言うと、「いつか共演できるといいね!」と言って名刺をくださったり。

予定外の飛び入りをした私ですが、いつの間にやら自然と楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

さらには食事の支払いのときになると、Cさんが指揮者のベンジャミンと作曲家さんと私の分をごちそうご招待してくれたんです。ベンジャミンたちにはまだ自然な流れとは言え、私は完全なétranger (外国人+見知らぬ人)だったのですからこれには私も恐縮しまくり。私ときたら、レストランに向かうときは「お昼もレストラんでしっかり食べちゃったからお腹がすいてないんだ~。何か軽いものだけ、、、。」とか言ってたくせに、行った店が牛肉をメインとするレストランだったことから、しっかりお肉料理を食べ、さらにはデザートまで食べていたのですから。

ほんとありがとうございました!

メンバーの中には、この日のうちに車でリヨンに帰る人などもいて、食事をせずにアペリティフだけ飲んでさよならする人、食事してからさよならする人などがいました。いずれにせよ、モンペリエ在住は私だけであって、この日のメンバー全員が翌日にはそれぞれ自分の住む街に帰っていくのです。

コンサート終了後の打ち上げ+名残惜しさもあってか、残ったメンバーはレストランを出てカフェに移動。一杯、2杯飲みながらおしゃべりは尽きず、結局カフェの閉店をもってお開きとなりました。

翌日ロンドンに帰るベンジャミン、翌日サンクトペテルブルクに帰る作曲家、翌日バルセロナに帰るロシア人、翌日ぺルピニャンに帰るCさんとB氏。そしてリヨン、パリへとそれぞれ帰っていくミュージシャンたち。

私一人がモンペリエに残るのです。

私はいつものように歩いて家に帰り、翌日からまたいつもの活動をモンペリエでするわけですが、そんな私が動かずともこうして一つ、また一つと出会いが訪れる。

「一期一会」という日本の名言を思ったコスモポリタンな夜でした。

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