すっかりご無沙汰してしまいました。
前回の記事のアップから今日までの4カ月以上の間何をしていたかというと、いつも以上に仕事仕事仕事だったことも事実なのですが、ただでさえ十分に忙しかったところに、私は新たに大きな活動を加えてしまいました。
自分でもどうやったのかもうわかりませんが、休日もめったとなく、食べる時間も寝る時間もなくなった驚異のスケジュールをなんとかやりこなしてシーズンの終わりまで持ちこたえ、おかげさまでこの私も晴れて夏のバカンスに入りました。せめてここで一言だけでも近況報告をしておきたいと思って、本日の久々のアップになります。
さて、新たな大きな活動というのは何か。
それは前回の記事で行った呼び掛けに端を発した、東日本大震災の被災者支援のボランティア活動なのです。
私はこれまで、モンペリエの日本人とはあまり出会うこともなく、たまたま知り合う機会を得た人たちとごくごく限られた中で接してきていたのですが、震災発生から数日後に、そのごくわずかな数人の方に呼び掛けのメールをし、それぞれ周囲の方にメールを回して下さいとお願いしたのです。すると、驚くほどの速さでネットワークは広がりました。
もちろん、私は私で日本人サイドと並行して自分の同僚や友人、周囲のフランス人に話をしました。
すると話はあれよあれよいうまに広がり膨らみ、わずか数日で数十人の方が賛同の声をあげてくださり、本格的に支援活動をするならきちんとした組織を作った方がいいという周囲の勧めも受けて、震災から10日後には非営利民間団体であるアソシエーションを立ち上げることに至ったのです。
その名も「Association Solidarité Japon 34」。
アソシエーションというのが、まあ非営利の団体のことで、ソリダリテというのは「助け合い」のような言葉で、34というのは、モンペリエがあるエロ―県の県番号なのです。
モンペリエという街の名前を入れてしまっては、範囲がモンペリエだけに限られてしまう。実際モンペリエというのは小さいもので、私が働く音楽学校のある範囲なんかはモンペリエではないのです。そんなところから、せめてエロ―県全体をベースのエリアとして考えたシンプルなネーミングです。
略してASJ34(笑)
以来、支援を呼び掛ける活動とともに、皆さんからの信用を得られる団体になるべく、様々な行政上の手続きなどを同時進行で行ってきました。
この「日本の被災者のために何かをしたい!」という思いだけでつながったたくさんの人たちとの出会い。私の「ごえんのわ」はまた爆発的に広がりました。
そもそも、モンペリエは日本と縁もゆかりもなかった街で、日本人も数年前まで少なかったのです。しかも日本は世界超経済大国のひとつ。モンペリエの庶民の経済状況は厳しく、そんな豊かな、しかも遠くの国の支援までとてもしてられないでしょうから、こんな街で日本の被災者支援を行っても反応は厳しいかも知れないという覚悟もしたうえでの活動開始でした。
しかし、この4ヶ月間、精力的にできる限りの活動を展開した結果、たくさんの人々から想いが寄せられ、これまでにすでに200万円を超える金額が集まりました。
もちろん、一人でも1億円とかポイと簡単に寄付で来てしまう億万長者と比較したら微々たる金額です。でも日本となんの関係もない、しかも地球の裏側の地方都市モンペリエから、ほんの数カ月で200万円が日本の被災者のもとに届けられるというのは、私たちにとってとてもうれしい満足のできるものです。
しかも、私たちの活動はこれで終わりではありません。
この震災の被害の規模があのようなものなだけに、最初から復興の道が長いものになることはわかっていました。私たちは長期的な支援を送ることができる団体へと成長していきたいのです。
当然のことではありますが、世界のニュースは毎日めまぐるしく変わります。震災発生後の数日は、フランスのテレビでも東北のことばかりを繰り返し流していました。衝撃的な映像はフランス人にも強い印象を与えました。でも数週間後にはもう、メディアは東北のことを話さなくなりました。
しかも「日本は豊かな国だから一人でなんとかできるだろう」という一般的な考えを前に、私たちが長期的な支援が必要だと思って呼び掛けを行うには、その理由を明確に打ち出さなくいてはいけません。
そのためには、まず被災者の生活状況をこちらの人に知ってもらうこと。そのための情報をフランス語でまとめて提供すること。
口でいうのは簡単ですが、実際にするには労力のかかる作業です。こういう時、言葉の壁は本当に大きいですね。現実的にこの作業ができる能力を持つ人は限られ、しかもボランティアとしてやる気のある人、さらにはやる時間が現実的にとれる人、ボランティア活動のためにそこまでのエネルギーを費やす気がある人、、、、実際にはそう簡単には見つかりません。
でも、支援といっても何ができるのか、何をすべきなのか、集まってくれた皆さんと一緒にじっくり考えながら、たとえ小さくても、実際に形となった支援を被災者のもとに送れるよう、がんばっていきたいと思っています。この4カ月の間には、もう本当にたくさんのことを経験しました。毎日が人生の勉強でした。
これまでに知らなかった人たちと一気に知り合い、「被災者のために」という気持ちだけを共通項として一緒に活動をすると決めたのです。しかしやはり人間は人それぞれ。フランス人と日本人、そしてそれ以外の国の出身の人だって輪に入ってくれています。言葉、文化、宗教、政治観などなど、何をとってもみんなそれぞれ違う人の集団。
私は言いだしっぺで発起人ということもあって、会の代表を務めさせてもらっていますが、会の中をまとめるということ、そして会の外とのコンタクトをとるということは一筋縄には行きません。しかも私も本職をこなしながらの限られた時間を最大限に使っての活動。時間が十分にとれないと、もっと丁寧に対応ができるはずのこともできないものです。本当に何から何をとっても、人生の勉強になります。
皆さんに報告したいこと、伝えたいことは、今まで以上に増えてしまいました。いくらでもネタがあるので、これから先、時間を見つけてはちょこちょことお伝えしていきたいと思います。
最後になりますが、私たちの会のサイトはこちら :
http://solidaritejapon34.org/Welcome
サイトの充実を目指して、日々努力を続けています。
私たちはフランスにいるので、フランス語がメインですが、英語と日本語も加えた3カ国語のサイトにするためにもがんばっているところです。時間があったらぜひのぞいてみてください。
先程、34はエロ―県を意味するとは説明しましたが、私たちの活動はエロ―県に限定されたものではありません。エロ―県から想いを発信しているというだけ。
実際、すでに日本に住むメンバー、日本に住む協力者も少しずつですが得ています。お互いに情報交換することで、具体的な支援の形が見えてくるものだと思っています。
私たちの気持ちを分かち合ってくれる人、活動に賛同してくれる人がいたら、どうぞ私たちの輪に加わってください!

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