人にはそれぞれの価値観というものがあります。
生まれ育った国の文化、受けた教育、親の考え、人から受けた影響、さらには自分の経験、体験に基づいてそれぞれの価値観が定まっていくものだと思います。
ただでさえ、自分の価値観に凝り固まった人が多い中、「いろんな人がいるよねー。」とか「人はそれぞれだよね。」と、頭ではわかっていたとしても、どんな人だって、あることについて「これが普通」「こうするのは普通」というように、意識の奥深いところに根付いたものさしを持っているものだと思います。
同じ国の中でも、価値観が同じ人や価値観が違う人がいるわけで、各国の文化の違いを話すとなると、それぞれの国のスタンダードも理解したうえで、改めて「価値観は人それぞれ」という基本に立ち戻らないといけません。
そんな価値観について、最近おもしろいデーターを見つけたので、今日はそのお話を。
以前から、日仏文化の違いを語る中で、キーワードの一つであると私がとらえてきたのは、日仏両国における女性のあり方の違いだと言ってきました。
いまやモンペリエで私が一種のアンチフランス人女性であることは、このブログでも何度か見え隠れしていますが、アンチという言葉の使い方はさておき、なぜフランス人女性があまり素敵に見えないのか。
もちろん素敵な人もいますよ。本当にがんばっていて、輝いている女性もいます。でもひっかかるところがあるのです。
普通、フランス人女性というと、かっこいい女性像、素敵な女性像を連想させるものだと思います。日本では「パリジェンヌ(パリの女性)」という言葉がブランド化してる感じもするけれど、日本人が彼女たちにあこがれるのは、彼女たちのファッションがおしゃれだったり、かわいいインテリアや雑貨のセンスがあるというイメージだけでなくて、恋愛も自由にし、仕事もこなし、いわゆる「大人の女性」みたいなイメージがあるからだと思います。
確かに、今のフランスでは女性も仕事をしてあたりまえ、しかもフルタイムで定年まで働き続けるのが基本となっています。子供を出産しても産休は最低限で、またたくまに復帰してきます。
私は男女平等主義だし、女性が家を守り子供の世話をするだけで人生を終えるのはどうも疑問に思えるし、男女共に自分が一人の人間として自立するには最低限の経済的自立が必要だと思っているので、フランスのこの基本スタイルの方がしっくりきます。
フランス人女性がおしゃれかどうかというのは、正直日本人女性の方がよっぽどおしゃれだと思うのでちょっと「意見あり」だけれど、日本人女性がとにかく皆で流行をおいかけ、皆で似たような格好をするのに対し、フランス人女性はみんなそれぞれのセンスとそれぞれの経済力によっておしゃれをしようとしているところが本当のおしゃれ、という意味では、そのイメージも間違ってはいないよね、と思います。
フランス人女性の恋愛の仕方がおしゃれだのかっこいいだの、とにかくフランスは恋愛大国というイメージがもう出来上がってしまっているから今さら変えることはできないけれど、恋愛というのはすごく個人的なことだし、結婚観だって当人同士の問題なだけ。
でも、フランス人の恋愛スタイルを、まるで宗教を信じきるように、完全に勘違いしたままあこがれを抱き、あげくの果てにそのあこがれを、わけのわからないフランス人男と一緒になって「これこそがフランス流恋愛だ」と勘違いしている在仏日本人女性もたくさんいると思います。
勘違いとまでいかなくても、日本の本屋さんにはフランス男との生活を語るエッセイが並んでいるし、インターネット上にも、フランス男との生活を語るブログがたくさんあります。日本での生活と比較して「これがフランス式」と言うのを(そう本人が思っている)見せる内容がほとんどだと思います。
何をもってフランスのスタンダードかというのかは難しいけれど、多くの日本人女性が恋愛をするフランス男というのには一種の傾向があるので、日本人女性が語る生活がフランスのスタンダードだとはとても言えないと思っています。
しかも夫婦がフルタイムで共働きがフランスの基本スタイルなのだから、フランスでフルタイムで働いている日本人女性がどれだけいるのか、ということを考えれば、フランスのスタンダードからはかけ離れているパターンが多いことはおわかりいただけると思います。
実際のところは、基本的にフランス人は物事にお金をかけない、そして男女平等概念が浸透していて女性が自立していること、そして皆が皆で流行をおいかけたりしないこと、この3点が日本の恋愛スタイルと違うだけなんだ、しいてはフランス人女性と日本人女性の違いだと私は思っています。
こう言っていると、まるですべてが私にはしっくりきているように聞こえますが、実はそうではない点がフランス人女性にはあるのです。それが四つ目の大きな違い、しかも一番大きな違いなんです。
それは、「母の姿」です。
私は子供がいないある意味自由気ままな生活をしていますが、子育てをしている人々を客観的に見れるからこそ、日仏間での違いについていろいろ興味をもって観察しています。
日ごろ、いろんな角度から物事が見れている方だと自分で思っている私ですが、この「母の姿」というのは、いいか悪いかの問題ではなくて、これも私自身の価値観に影響されてるのか、と新鮮に思いつつも、どうなんだろう、と疑問に思う、おもしろく、かつとても深いテーマなのです。
今日本では女性の社会進出だの女性の雇用率をあげるだの、いろいろ話題になっているようですが、残念ながら先進諸国と比べて見ると、この点ではまだまだ遅れているというのが事実のようですね。
しかも出生率、出産率が低くて、日本のこれからの人口は危ぶまれている。
社会の問題というのは、いろいろなレベルで問題が関係しあっているものですから、何がよい解決策かを探すというのは、やっぱりおもしろい議論だと思います。
先にも述べたように私は女性の社会進出を応援し、家事も育児も男女が手分けして、家計も夫婦で分担したらよいと思っている一種のフェミニストですが、フランスではまだ穏やかなフェミニストの類に入ると思います。フェミニスト先進国にはフェミニストにもいろいろありますからね。
そんな国フランスのフランス人ママの中には、簡単に言って「素敵な旦那を持ちたい、素敵な仕事を持ち続けたい、素敵な家庭を築きたい、素敵なママでありたい、そして素敵な女性であり続けたい」と思っている人が多くいます。
そのため彼女たちは子供ができたからと言って、子供のため中心の生活にはせずに、あくまで母となった自分の、一種の動物的本能、本性からくる子供への絶対的愛情と義務感をもっているだけで、生活において自分を犠牲にしてどうの、という発想は持ち合わせていません。
いつも自分は自分なのです。自分の人生が問題なのです。
そのため、子供ができても子供の世話にはもちろん旦那にも平等に参加してもらおうとしますし、仕事はがんばって続けますし、自分の趣味の時間もとりますし、フィットネスやエステにいく時間もとるでしょうし、友達に会う時間もとります。
これらすべての時間を確保するには、夫の育児参加が必須なのはもちろん、ベビーシッターを雇ったり、家族親戚、さらには友達まで借り出して子供の世話を依頼しなくてはいけません。
そうしていると、必然的に子供のために費やす時間というのはごくごく限られて、子供と接する時間がとても少なくなり、結果的に日本人ママの生活の仕方とはまるで違う生活を、フランス人ママはしていることになります。
そんな彼女たちを見ていると、フェミニストの私でも、子供と過ごす時間をそんなに減らして、子供の教育に絶対に悪影響がでる、と思ってしまうわけで、一生仕事を続けるにしても、せめて子供が小さい間だけでも、もう少し子供優先の生活をするべきだと思ってしまうわけです。
私はこの問題にはそれぞれの家庭の経済状況も大きく関わっていることはよくわかっています。産休を長く取る場合の影響や、子供ができたからと言って仕事を変えたり仕事を減らしたりなんて、誰でもできることではないこともわかっています。でも同時にフランスの育休制度はきちんとしているし、浸透しているし、夫婦どちらかがなんらかの休暇をとることは普通のこととして認知されていますし、子供がいる家庭への国からの援助もありますし、日本に比べたら、出産、育児にまつわるサポートが充実していることは事実で、経済的に劇的に苦境に追い込まれることもないはずなのです。
じゃあなんでフランス人ママはそんななのか。
答えは簡単。彼女たちはそんなことしたくないからです。
そこが文化の違い、そして価値観の違いの話としておもしろいのですが、やっぱり彼女たちは子供のために自分が何かを犠牲にするという発想をもちあわせていないのではないかということなのです。一般的日本人がよしとする母のイメージを、彼女たちはもっていないのです。「いいか悪いか」の問題ではないのです。
すると最近、この話を裏付けるおもしろいデーターを見つけました。
「良妻賢母が良いとは思わないランキング」なるもので、各国の意識調査による女性の社会的役割はよく妻、よき母であることだとする考えを支持しない率のランキングなのです。
結果、
1.スウェーデン
2.スペイン
3.フランス
4.イタリア
5.ベルギー
6.カナダ
7.イギリス
8.オーストラリア
9.南アフリカ
10.ドイツ
というものでした。
(ニッセイ基礎研究所 2014年11月4日 研究員の眼より
http://www.nli-research.co.jp/report/researchers_eye/2014/eye141104.html)
この調査は「良妻賢母が良いとは思わない」という問いをもとにしているわけで、明白な不支持がカウントされてできているわけです。
フランスは堂々の3位にエントリー。
果たして、今の日本には「良妻賢母が良いとは思わない」と言い切る人がどれだけいるのでしょうか。
日本人とフランス人の意識の違いは明らかだと思います。
私はこのデーターを見て、日本が遅れてるという気はしません。
これは価値観の問題なんだと思います。
そして今の先進諸国が抱える問題を見ていると、本当に日本のあり方がおもしろく見えてきます。
日本は先に進みたいのか、過去に戻りたいのか。
結婚率、離婚率、出産率、非嫡子出生率、女性就業率、女性幹部職就任率など、いろんなデーターが出回っています。セクハラ、パワハラなど、いろんなスキャンダルも飛び交ってますよね。
でも結局、日本人はどこに向かいたいのか、いまいちはっきりしていないように思います。
昔は男性が外で稼ぎ、女性が家を守って子供を育てるというのがスタンダードでした。
女性には経済的自立も経済力もないからこそ、結婚というシステムで財産を共有したり、結納では両家の間でお金が動いたりもするし、女性は経済力のない女性を守るためのシステムだったとも思うし、結婚というシステムにはお金がおおいに関係していました。
でも今は?
子供の問題、遺産の問題、跡継ぎの問題を取り除いてしまうと、基本的に、結婚というのは夫に外で稼いでもらいたい女性、妻には家を守ってもらいたい男性のためにしか機能しなくなっているのではないかな、と思います。
だからフランスでは結婚以外にもパクスというシステムがあるし、結婚もパクスもしてないカップルから生まれる子供も多い。
一方の日本でも夫婦別姓とか、事実婚とか、ずいぶんと増えてはいますが、それでも結婚以外のシステムを確立させるには、まだまだ必要としている人の数が少なすぎるように思います。
そしてやっぱり結婚システム、出産をサポートするシステム、女性の社会進出の三点は切っても切り離せないものなんですね。
世界先進国の目から言えば、仕事をする女性が出産はしない、という段階ではまだまだなのでしょう。仕事もするし子供も産むというのがスタンダードにならなくてはいけないと考えられているようですから、出産育児にはお金がかかりすぎるから子供をもうけるのを断念するカップルがたくさんいる国はまだまだなのだろうし、出産はしたけれど仕事に復帰したから子供を十分に育てられない親なんてだめだという声が多いのならば、じゃあどうすれば長く産休、育休がとれて、かつ、経済的にやりくりできるのかという話にもなるし、会社で育休をとりにくいとか言っているレベルではまだまだだということになるのでしょうね。
そんな目線で物を言えば、やっぱり日本はまだまだ古風で保守的だということなんでしょうね。
そしてそれは「良妻賢母」をよしとする人の人数が圧倒的だということなんでしょう。このイメージがある限り、改革は難しいことだと思います。どこかで中途半端なものになってしまうのだと思います。
女性が一生働き続けて、しかも出産もできて、経済的に貧窮してしまわないためのシステムを作り上げるには、日本人の大多数がそれを必要と感じないことには難しいだろうなと感じてしまいますし、仕事もして出産もして、しかも育児と子供の教育も立派にこなす女性を求めるとなったら、そんなこと誰ができるのか、という話になる。人に完璧を求めるにも無理がある。
良妻賢母の概念と女性の社会進出問題は、すごく根深くつながっていますね。
日本人はいつの時代も、外国の文化を上手に取り入れる術に長けていました。
異文化に対するあこがれをもつと同時に、自国の文化をとても大事にし、とても誇りに思っている国でもあります。
そんななかで、外国への行き過ぎた憧れ、とくに白人西洋文化への行き過ぎた憧れが原因で、自分たちの価値観とはあまりかみ合わない異文化を取り入れてしまったことだってあるんだと思います。
この「女性のあり方」にテーマをしぼると、日仏の違いは大きくて、しかも本当は同じ方向を求めているようにも見えないのです。欧米諸国と比較して、同じようにしたいと思ってはみても、自分たちの国の中にたくさんの障害物がある。しかもその障害物は大多数の日本人の価値観だったりもする。
私の周りに、現在仕事をしていなくて2歳半の子供を持つフランス人ママがいますが、彼女は週に3日、その子供を保育園に預けます。どうして仕事をもってるわけでもないのに、子供の発育が一番盛んで、一番興味深いこの時期に、週三日も子供をあえて預けに行って、自分の習い事や趣味に時間をかけられるのか、、、。そのことが私には疑問を通り越して、彼女を悪いママととらえてしまうことも否めません。
けれど改めて彼女の人生は彼女の人生、と私は私に言い聞かせないとだめですよね。
私は自分のものさしで人の生活についてチャチャをいれているにすぎない。私が彼女の選択を支持する必要はないけれど、批判する必要もないわけです。
こんなところがフェミニストでありながらも良妻賢母を否定しきることはできない人間の、なんとも難しいバランスの問題あり、とてもおもしろいところだと思っています。
2014年11月9日日曜日
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