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2014年11月9日日曜日

良妻賢母崇拝の壁

人にはそれぞれの価値観というものがあります。
生まれ育った国の文化、受けた教育、親の考え、人から受けた影響、さらには自分の経験、体験に基づいてそれぞれの価値観が定まっていくものだと思います。

ただでさえ、自分の価値観に凝り固まった人が多い中、「いろんな人がいるよねー。」とか「人はそれぞれだよね。」と、頭ではわかっていたとしても、どんな人だって、あることについて「これが普通」「こうするのは普通」というように、意識の奥深いところに根付いたものさしを持っているものだと思います。

同じ国の中でも、価値観が同じ人や価値観が違う人がいるわけで、各国の文化の違いを話すとなると、それぞれの国のスタンダードも理解したうえで、改めて「価値観は人それぞれ」という基本に立ち戻らないといけません。

そんな価値観について、最近おもしろいデーターを見つけたので、今日はそのお話を。

以前から、日仏文化の違いを語る中で、キーワードの一つであると私がとらえてきたのは、日仏両国における女性のあり方の違いだと言ってきました。

いまやモンペリエで私が一種のアンチフランス人女性であることは、このブログでも何度か見え隠れしていますが、アンチという言葉の使い方はさておき、なぜフランス人女性があまり素敵に見えないのか。

もちろん素敵な人もいますよ。本当にがんばっていて、輝いている女性もいます。でもひっかかるところがあるのです。

普通、フランス人女性というと、かっこいい女性像、素敵な女性像を連想させるものだと思います。日本では「パリジェンヌ(パリの女性)」という言葉がブランド化してる感じもするけれど、日本人が彼女たちにあこがれるのは、彼女たちのファッションがおしゃれだったり、かわいいインテリアや雑貨のセンスがあるというイメージだけでなくて、恋愛も自由にし、仕事もこなし、いわゆる「大人の女性」みたいなイメージがあるからだと思います。

確かに、今のフランスでは女性も仕事をしてあたりまえ、しかもフルタイムで定年まで働き続けるのが基本となっています。子供を出産しても産休は最低限で、またたくまに復帰してきます。
私は男女平等主義だし、女性が家を守り子供の世話をするだけで人生を終えるのはどうも疑問に思えるし、男女共に自分が一人の人間として自立するには最低限の経済的自立が必要だと思っているので、フランスのこの基本スタイルの方がしっくりきます。

フランス人女性がおしゃれかどうかというのは、正直日本人女性の方がよっぽどおしゃれだと思うのでちょっと「意見あり」だけれど、日本人女性がとにかく皆で流行をおいかけ、皆で似たような格好をするのに対し、フランス人女性はみんなそれぞれのセンスとそれぞれの経済力によっておしゃれをしようとしているところが本当のおしゃれ、という意味では、そのイメージも間違ってはいないよね、と思います。

フランス人女性の恋愛の仕方がおしゃれだのかっこいいだの、とにかくフランスは恋愛大国というイメージがもう出来上がってしまっているから今さら変えることはできないけれど、恋愛というのはすごく個人的なことだし、結婚観だって当人同士の問題なだけ。
でも、フランス人の恋愛スタイルを、まるで宗教を信じきるように、完全に勘違いしたままあこがれを抱き、あげくの果てにそのあこがれを、わけのわからないフランス人男と一緒になって「これこそがフランス流恋愛だ」と勘違いしている在仏日本人女性もたくさんいると思います。
勘違いとまでいかなくても、日本の本屋さんにはフランス男との生活を語るエッセイが並んでいるし、インターネット上にも、フランス男との生活を語るブログがたくさんあります。日本での生活と比較して「これがフランス式」と言うのを(そう本人が思っている)見せる内容がほとんどだと思います。
何をもってフランスのスタンダードかというのかは難しいけれど、多くの日本人女性が恋愛をするフランス男というのには一種の傾向があるので、日本人女性が語る生活がフランスのスタンダードだとはとても言えないと思っています。
しかも夫婦がフルタイムで共働きがフランスの基本スタイルなのだから、フランスでフルタイムで働いている日本人女性がどれだけいるのか、ということを考えれば、フランスのスタンダードからはかけ離れているパターンが多いことはおわかりいただけると思います。

実際のところは、基本的にフランス人は物事にお金をかけない、そして男女平等概念が浸透していて女性が自立していること、そして皆が皆で流行をおいかけたりしないこと、この3点が日本の恋愛スタイルと違うだけなんだ、しいてはフランス人女性と日本人女性の違いだと私は思っています。

こう言っていると、まるですべてが私にはしっくりきているように聞こえますが、実はそうではない点がフランス人女性にはあるのです。それが四つ目の大きな違い、しかも一番大きな違いなんです。

それは、「母の姿」です。

私は子供がいないある意味自由気ままな生活をしていますが、子育てをしている人々を客観的に見れるからこそ、日仏間での違いについていろいろ興味をもって観察しています。
日ごろ、いろんな角度から物事が見れている方だと自分で思っている私ですが、この「母の姿」というのは、いいか悪いかの問題ではなくて、これも私自身の価値観に影響されてるのか、と新鮮に思いつつも、どうなんだろう、と疑問に思う、おもしろく、かつとても深いテーマなのです。

今日本では女性の社会進出だの女性の雇用率をあげるだの、いろいろ話題になっているようですが、残念ながら先進諸国と比べて見ると、この点ではまだまだ遅れているというのが事実のようですね。
しかも出生率、出産率が低くて、日本のこれからの人口は危ぶまれている。
社会の問題というのは、いろいろなレベルで問題が関係しあっているものですから、何がよい解決策かを探すというのは、やっぱりおもしろい議論だと思います。

先にも述べたように私は女性の社会進出を応援し、家事も育児も男女が手分けして、家計も夫婦で分担したらよいと思っている一種のフェミニストですが、フランスではまだ穏やかなフェミニストの類に入ると思います。フェミニスト先進国にはフェミニストにもいろいろありますからね。

そんな国フランスのフランス人ママの中には、簡単に言って「素敵な旦那を持ちたい、素敵な仕事を持ち続けたい、素敵な家庭を築きたい、素敵なママでありたい、そして素敵な女性であり続けたい」と思っている人が多くいます。
そのため彼女たちは子供ができたからと言って、子供のため中心の生活にはせずに、あくまで母となった自分の、一種の動物的本能、本性からくる子供への絶対的愛情と義務感をもっているだけで、生活において自分を犠牲にしてどうの、という発想は持ち合わせていません。
いつも自分は自分なのです。自分の人生が問題なのです。
そのため、子供ができても子供の世話にはもちろん旦那にも平等に参加してもらおうとしますし、仕事はがんばって続けますし、自分の趣味の時間もとりますし、フィットネスやエステにいく時間もとるでしょうし、友達に会う時間もとります。
これらすべての時間を確保するには、夫の育児参加が必須なのはもちろん、ベビーシッターを雇ったり、家族親戚、さらには友達まで借り出して子供の世話を依頼しなくてはいけません。
そうしていると、必然的に子供のために費やす時間というのはごくごく限られて、子供と接する時間がとても少なくなり、結果的に日本人ママの生活の仕方とはまるで違う生活を、フランス人ママはしていることになります。

そんな彼女たちを見ていると、フェミニストの私でも、子供と過ごす時間をそんなに減らして、子供の教育に絶対に悪影響がでる、と思ってしまうわけで、一生仕事を続けるにしても、せめて子供が小さい間だけでも、もう少し子供優先の生活をするべきだと思ってしまうわけです。

私はこの問題にはそれぞれの家庭の経済状況も大きく関わっていることはよくわかっています。産休を長く取る場合の影響や、子供ができたからと言って仕事を変えたり仕事を減らしたりなんて、誰でもできることではないこともわかっています。でも同時にフランスの育休制度はきちんとしているし、浸透しているし、夫婦どちらかがなんらかの休暇をとることは普通のこととして認知されていますし、子供がいる家庭への国からの援助もありますし、日本に比べたら、出産、育児にまつわるサポートが充実していることは事実で、経済的に劇的に苦境に追い込まれることもないはずなのです。

じゃあなんでフランス人ママはそんななのか。

答えは簡単。彼女たちはそんなことしたくないからです。

そこが文化の違い、そして価値観の違いの話としておもしろいのですが、やっぱり彼女たちは子供のために自分が何かを犠牲にするという発想をもちあわせていないのではないかということなのです。一般的日本人がよしとする母のイメージを、彼女たちはもっていないのです。「いいか悪いか」の問題ではないのです。

すると最近、この話を裏付けるおもしろいデーターを見つけました。

「良妻賢母が良いとは思わないランキング」なるもので、各国の意識調査による女性の社会的役割はよく妻、よき母であることだとする考えを支持しない率のランキングなのです。

結果、
1.スウェーデン
2.スペイン
3.フランス
4.イタリア
5.ベルギー
6.カナダ
7.イギリス
8.オーストラリア
9.南アフリカ
10.ドイツ
というものでした。


(ニッセイ基礎研究所 2014年11月4日 研究員の眼より
http://www.nli-research.co.jp/report/researchers_eye/2014/eye141104.html)

この調査は「良妻賢母が良いとは思わない」という問いをもとにしているわけで、明白な不支持がカウントされてできているわけです。
フランスは堂々の3位にエントリー。
果たして、今の日本には「良妻賢母が良いとは思わない」と言い切る人がどれだけいるのでしょうか。
日本人とフランス人の意識の違いは明らかだと思います。

私はこのデーターを見て、日本が遅れてるという気はしません。
これは価値観の問題なんだと思います。
そして今の先進諸国が抱える問題を見ていると、本当に日本のあり方がおもしろく見えてきます。

日本は先に進みたいのか、過去に戻りたいのか。

結婚率、離婚率、出産率、非嫡子出生率、女性就業率、女性幹部職就任率など、いろんなデーターが出回っています。セクハラ、パワハラなど、いろんなスキャンダルも飛び交ってますよね。
でも結局、日本人はどこに向かいたいのか、いまいちはっきりしていないように思います。

昔は男性が外で稼ぎ、女性が家を守って子供を育てるというのがスタンダードでした。
女性には経済的自立も経済力もないからこそ、結婚というシステムで財産を共有したり、結納では両家の間でお金が動いたりもするし、女性は経済力のない女性を守るためのシステムだったとも思うし、結婚というシステムにはお金がおおいに関係していました。
でも今は?

子供の問題、遺産の問題、跡継ぎの問題を取り除いてしまうと、基本的に、結婚というのは夫に外で稼いでもらいたい女性、妻には家を守ってもらいたい男性のためにしか機能しなくなっているのではないかな、と思います。
だからフランスでは結婚以外にもパクスというシステムがあるし、結婚もパクスもしてないカップルから生まれる子供も多い。
一方の日本でも夫婦別姓とか、事実婚とか、ずいぶんと増えてはいますが、それでも結婚以外のシステムを確立させるには、まだまだ必要としている人の数が少なすぎるように思います。
そしてやっぱり結婚システム、出産をサポートするシステム、女性の社会進出の三点は切っても切り離せないものなんですね。

世界先進国の目から言えば、仕事をする女性が出産はしない、という段階ではまだまだなのでしょう。仕事もするし子供も産むというのがスタンダードにならなくてはいけないと考えられているようですから、出産育児にはお金がかかりすぎるから子供をもうけるのを断念するカップルがたくさんいる国はまだまだなのだろうし、出産はしたけれど仕事に復帰したから子供を十分に育てられない親なんてだめだという声が多いのならば、じゃあどうすれば長く産休、育休がとれて、かつ、経済的にやりくりできるのかという話にもなるし、会社で育休をとりにくいとか言っているレベルではまだまだだということになるのでしょうね。

そんな目線で物を言えば、やっぱり日本はまだまだ古風で保守的だということなんでしょうね。
そしてそれは「良妻賢母」をよしとする人の人数が圧倒的だということなんでしょう。このイメージがある限り、改革は難しいことだと思います。どこかで中途半端なものになってしまうのだと思います。
女性が一生働き続けて、しかも出産もできて、経済的に貧窮してしまわないためのシステムを作り上げるには、日本人の大多数がそれを必要と感じないことには難しいだろうなと感じてしまいますし、仕事もして出産もして、しかも育児と子供の教育も立派にこなす女性を求めるとなったら、そんなこと誰ができるのか、という話になる。人に完璧を求めるにも無理がある。

良妻賢母の概念と女性の社会進出問題は、すごく根深くつながっていますね。

日本人はいつの時代も、外国の文化を上手に取り入れる術に長けていました。
異文化に対するあこがれをもつと同時に、自国の文化をとても大事にし、とても誇りに思っている国でもあります。
そんななかで、外国への行き過ぎた憧れ、とくに白人西洋文化への行き過ぎた憧れが原因で、自分たちの価値観とはあまりかみ合わない異文化を取り入れてしまったことだってあるんだと思います。
この「女性のあり方」にテーマをしぼると、日仏の違いは大きくて、しかも本当は同じ方向を求めているようにも見えないのです。欧米諸国と比較して、同じようにしたいと思ってはみても、自分たちの国の中にたくさんの障害物がある。しかもその障害物は大多数の日本人の価値観だったりもする。

私の周りに、現在仕事をしていなくて2歳半の子供を持つフランス人ママがいますが、彼女は週に3日、その子供を保育園に預けます。どうして仕事をもってるわけでもないのに、子供の発育が一番盛んで、一番興味深いこの時期に、週三日も子供をあえて預けに行って、自分の習い事や趣味に時間をかけられるのか、、、。そのことが私には疑問を通り越して、彼女を悪いママととらえてしまうことも否めません。
けれど改めて彼女の人生は彼女の人生、と私は私に言い聞かせないとだめですよね。
私は自分のものさしで人の生活についてチャチャをいれているにすぎない。私が彼女の選択を支持する必要はないけれど、批判する必要もないわけです。

こんなところがフェミニストでありながらも良妻賢母を否定しきることはできない人間の、なんとも難しいバランスの問題あり、とてもおもしろいところだと思っています。

2014年8月31日日曜日

豊かさとは、、、

例年に比べて涼しかったフランスでは、ついにバカンスシーズンも終わり、今週から新年度が始まろうとしています。

私は今年、7月26日から9月2日までが完全バカンスという、なんとも贅沢な5週間バカンスを手に入れたのでした。「ゆっくりできなかった」とか「疲れがとれなかった」と言ってしまっては嘘になってしまいますね。旅行にも行けたし、自分の時間もとれたし、家の掃除もしたし、友達にも会えたし、医療ケアも受けたし、とても有意義なバカンスとなりました。


「ああ、これがもう終わってしまうの?」 というバカンス終盤症候群にかかっているのはいうまでもありません。

この「贅沢バカンス」 、あくまでもフランスでは特別珍しい話ではありません。一般企業でも有給などをうまくくっつけて一カ月まるごとバカンスという人はかなりいますし、教員に至っては、子どものバカンスと同じだけバカンスですから、私から見たら贅沢を通り越して「恐るべし」になってしまいます。
夏のほぼ2カ月の大バカンスだけでなく、秋には2週間のトゥッサンのバカンス、12月末はノエルのバカンス、2月、3月にかけて2週間の冬休み、そして4月、5月にも二週間のパックのバカンス。これらすべてがバカンスなのですから、年間3カ月以上がバカンス!?
ま、だからこそ教員の収入は日本の教員の比にならないほど悪いのですが、またそのあたりの話は別の機会にしましょう。

ご存知のように、2011年の東日本大震災発生以降、私はボランティア活動を展開してきました。東北被災地にも2度お邪魔しに行って、被災者の方々、被災地復興のために活動する団体の方々と出会ってお話をしている中で、現代の日本では想像をすることも難しいような状況、環境が生まれてしまったことを痛感しました。
この状況、環境は、やっぱり文字通り想像することも難しいほどのレベルなので、現状を理解するには現地に足を運ぶことが不可欠だということも私は痛感しました。

以前はたまに単発で数時間程度のボランティア活動、つまり報酬をうけない活動をしたことがあるかないかという、ごく普通の一般人だった私も、この活動を通して、自分の世の中を見る目がどんどんかわっていくことに気が付きました。
単に報酬がないというだけでなく、活動に時間をかければかけるほど、エネルギーをかければかけるほど、 自分の時間は無くなっていき、自分のエネルギーも消耗され、実質の出費も増えていくわけです。それでも活動するのはどうしてか?

それはやっぱり被災地の復興のためにはみんなが何かをしなくてはと思うのはもちろんですが、自分の求めるものがお金ではなくなってしまったことにも関係しているでしょう。自分にとって豊かさ=お金、あるいは豊かさ=物、ではなくなってしまったということでしょう。
高価なものをたくさん所有している人を見ても、いいなあ、うらやましいなあとは感じなくなってしまいました。

代わりに何が豊かかというと、それは「時間」だったり「空間」というものになってきました。
そしてもちろん心の豊かな人々です。
残念ながら世の中には心が豊かでない人、心が貧しい人がたくさんいることも知りました。
でも世界には、お金こそたくさんもっていないけれど、豊かな時間と空間に恵まれた心の豊かな人々もたくさんいることを知りました。

バカンス大国フランスにいながら、10年以上を日本流の働き蜂で過ごした私は、今、方向転換を図っています。
そういう意味では、5週間のバカンスを手にすることができたことは大きな前進です。
贅沢ですよね。
次の願いは、「ああ、二カ月完全バカンスがほしいな」 です。
もちろんそれはビーチに寝そべって二カ月過ごすためではなくて、いろいろな活動をするための二カ月ですけどね。

きっと世の中にはお金もあって時間にも恵まれているスーパーリッチもいるのでしょうが、私はとりあえず今の方向で続けていきたいと思います。


P.S. 広々とした青空と鮮やかな緑も豊かさの一つですね。

2011年2月28日月曜日

みんなハーフ

フランスで暮らしていて、一番感じる日本との違いの中に、民族の多様性というのがあります。
日本人にとって日本人であるということは、文化、言葉、国籍をひっくるめた日本人という民族のアイデンティティーを象徴する大事なことだと思うのですが、現代のフランス人にとって、フランス人であるということは「フランスで暮らす者」という認識にすぎないことがよくあります。
もちろん同じフランス人でも、保守派やナショナリストの人にとったら、日本人が考えるように、文化、言葉、国籍をひっくるめて、昔からフランスに住む家系の真正なフランス人とそうでないフランス人を区別する考えが主流です。そういった意味では、「日本人はすごいナショナリストだ。」という批判も、あながちウソではないと思ってしまいます。

日本社会でも、ここ数年、在日外国人の数が増えたとか、国際結婚が急激に増えたとか変化は見られますが、フランス社会の現状と比べたら、圧倒的に数のレベルが違うことがよくわかります。
ここフランスでは、民族、人種が混ざっていて当たり前と言えるでしょう。

その証拠に、私がここで出会った人々の多くが、両親のうちのいずれかが外国出身だったりします。
中でも圧倒的に多いのが、フランス―イタリアカップルの子供。そして、フランス―スペイン、フランス―イギリス、フランス―アルジェリア、フランス―チュニジア、フランス―アメリカ、フランス―アルゼンチン、フランス―ドイツ、フランス―オーストリア、フランス―トルコなどなど、例をあげていてはキリがありません。
はっきり言って、みんなハーフみたいなもんです。

それから、私自身が今のところフランスで暮らす日本人のように、外国人としてフランスで生活する人々の数もすごいものです。
私はモンペリエで生活をしていて、さまざまな国の出身の人々と出会いました。下手をしたら、日本にいたままでは耳にすることもなかったような国の人や、地図上で正確に場所を把握できない国の人もたくさんいます。そして、その出身国は世界各国に及びます。ヨーロッパ諸国はもちろん、アフリカ諸国、中東諸国、中央アジア諸国、スカンジナビアから北米、南米、そしてアジアとオセアニア圏の人々。
まさに世界中から来た人々が、フランスで暮らしています。
この点が、日本社会との決定的な違いの一つでしょうね。

そんなことから、私はモンペリエというフランスの一地方都市にすぎない街で暮らしていながら、「世界」をとても身近に感じているのです。

今年一緒に仕事をしている演出家のトニーは、スウェーデン人のお母さんとオーストリア系イタリア人のお父さんをもつ人。ヴェネチアに家をかまえているしイタリア語をしゃべるからイタリア人だと思いがちですが、じつはスウェーデン語はもちろん、数カ国語を操る人で、多国籍文化をもつ多国籍人と言える人です。
その点、私がお世話になってるTさんもそんな感じ。日本とフランスのハーフだけど、イタリア生活経験が25年に及んでいたから、日本、フランス、イタリアの3国の文化が彼の人となりを形成していて、多国籍人です。
最近一緒に仕事をしている振付師のレオナルドは、名字と名前からしてイタリア人と思いがちですが、実は単に彼のおじいさんがイタリア人だったというだけで、彼本人はアルゼンチン生まれのアルゼンチン育ち。彼はフランス語がとても堪能なので、彼を前にすると彼はイタリア系フランス人だと言われてもなんの違和感もありません。

こんな人々と接していると、日本人である私は生粋の日本人で、なんか単一単色な感じがするなあ、豊かさにかけるなあ、なんて思ってしまうこの頃でした。。。

2010年6月30日水曜日

Les samourais bleus et le coup de nostalgie

5月、6月と変な気候が続いて、寒かったり雨だったりでずっと長袖をきていた私。
それがここ一週間で真夏日に早変わりをして、今日のモンペリエは34度まで気温が上がったとの発表がありました。こうなると長袖はもちろん半袖の服だってもう着ていられない。長袖からノースリーブへ突然の衣替えです。

今日からフランス全土の夏のセールSolde(ソルド)が始まり、私も今日をもって今年度の仕事が無事終了しました。後は7月の間、単発の仕事をこなすだけ。
そんなわけでがぜんバカンスモードになってきました。

さて、このところアンチ・フランス週間どころかアンチ・フランス月間のような日々を送っていた私ですが、Les samurais bleus (青いサムライ達)のおかげで、アンチ・フランスではなくって、純粋に日本ノスタルジーにかかってしまいました。

先日のブログでもちょっと書きましたが、Les blues(レ・ブルー)の名で親しまれてきたサッカーフランス代表は内部分裂の醜いドタバタ劇を演じ、フランス国民から大ブーイングを浴びています。そこへ同じく青いユニフォームの日本チームもこれまたLes blues であったことに気がつき、しかも日ごろからの日本やサムライ文化への憧れが加わり、さらにはデンマーク戦での戦いぶりがフランスサッカーファンたちをあっと驚かせたために、またたくまに日本チームはLes samurai bleus と呼ばれるようになったのでした。

私自身は小学校のころからマンガ「キャプテン翼」をシリーズ全巻そろえて、「キャプテン翼」とともにそだった世代のサッカーファン。
デンマーク戦は仕事から帰ってから家で興奮して応援していましたが、その直後にひょんなことからモンペリエのどこかで皆が集まって日本チームを応援している場所があることを知りました。
そこでつかさず連絡。「私もまぜてもらってもいいですか?」

先月知り合いになったばかりのYさんに連れて行ってもらった場所は、凱旋門や裁判所の近くにあるバー。雰囲気がよくって人気のある店ですが、店内に入るのはこれが初めて。

するとそこには大型テレビがあるではないですか。

フランスと南アフリカの間には時差がないので、日本VSパラグアイは現地と同じ16時がキックオフ。一番前で見たいから、と張り切っていたYさんと一緒にいった私は一番乗り。
平日の午後だし、みんな来るのかな?と思っていたら、来ました来ました。

語学留学生や研究生の日本人はもちろん、その友達のフランス人や日本大好きフランス人やらなにやら結構集まってくるものです。中には純粋にサッカーの日本代表チームが好きだというフランス人も。

驚いたのは日本ファンの男の子がありとあらゆるサッカー応援グッズをもっていたこと!

彼のおかげで私も初めて日本代表チームのユニフォームを着せてもらいました。
それからみんな顔にペイントもしはじめて、、、。
私は試合が終わってから仕事にいくことになっていたので、さすがに顔にペイントするのは控えましたが、腕にしっかりと日の丸!ペイントしたのも初めてです。




みんなビールやら飲み物を手に、店の一角を日の丸や応援グッズで飾り立て、応援戦闘スタンバイOK。

皆で一緒に絶叫して応援して120分が過ぎました。

私があんなに叫んだのはすごく久しぶりのこと。すごい発散になりました。

結果は本当に本当に残念だったわけですが、今回の日本チームは本当に最高でしたね。
サッカーの技術的なことはもちろんですが、光っていたのが日本人の心意気。
世界中で神話のように崇められているサムライ・スピリッツに通じるものを感じましたもんね。
日本から離れてフランスでこうして見ていて、日本人のよいところが光っていたのが本当にうれしかったです。

とくに試合が終わってから、フランスのテレビではもう映してくれないような選手たちの表情やコメントをインターネットで見ていて、さらに思いは深まる。

そのために丸一日たってからでも、まだ日本チームの話をし続ける私でした。

なんせ、このところのアンチ・フランス人月間。
今回のフランスチームと日本チームの違いは極端なほどにそれぞれのメンタリティーの違いを見せていました。日本人の集団主義がチームプレイ、チームワークと一体になって、その姿はフランス人の目にまぶしく映ったのです。
この代表チームを得意げに、日本人のサムライスピリッツを、彼らの友情や規律のよさを誇らしげに語る私に、周囲のフランス人はあきれることなく、心からの感嘆の声と称賛の声をくれました。

ああ、にっぽん。サムライ・スピリッツは永遠に。

2010年6月27日日曜日

日本人とフランス人

フランスに憧れを抱いている日本人はけっこういますよね。
それがフランス語を習い始めるきっかけになったという人や、憧れを抱いてそのままフランスにやってきたという日本人はたくさんいます。

でも実際にフランスに来てからどうなるかというと、フランスが好きなのにフランス人という人々の実態を見てびっくり!というのがよくある話。
街中やお店やお役所でのフランス人の態度が、あまりにも日本で慣れてきた人々の態度と違って、まるで無視されたり邪険にされたような扱いを受けたり、きつい物腰で冷たい言葉を投げられてびっくりショックを受けるというものです。
そのままひどくなると、今やフランス人の間でも有名な「日本人のパリ症候群」という状態に陥ってしまうケースが多いようです。
「パリ症候群」とはパリに住む日本人精神科医が名付けた症状で、つまり、夢やあこがれを抱いてパリまでやってきた日本人が陥る、カルチャーショックに伴う引きこもりやうつ状態のことをいいます。

一方、漠然とした憧れとは別に、はっきりとした自分の道を持っている人、例えばフランス料理やお菓子作りの道、あるいは音楽やダンスの道、といった志を持っている日本人の場合、こちらにきて特にショックで落ち込むなんてところまではいかなくて、「フランス人」という人々の行動、習性に対し、「彼らはああだから。」とわりきった見方ができて、特別興味も示さず、、、といった感じがあると思います。

いずれにせよ、フランスに住む日本人で、一般的にフランス人の習性やメンタリティーを高く評価している人はほとんどいないんではないでしょうか。(笑)
「教育がなってないよね。」とか「モラルが低いよね。」といったコメントが在仏日本人の口からよくもれます。

なぜかって、彼らの文化、彼らの考え方、行動の仕方というのは、日本人が身につけてきた教育観、道徳観からいって、よしとされないものだから。

日本とフランス、どちらもサミットに参加する世界先進国の一国であるのだから、経済レベル、生活レベルはだいたい同じのはず。なのにメンタリティーはまるで違うのです。

組織を第一に考える日本。個人を第一に考えるフランス。
個人的な主張を控えるのがよしと考える日本。誰もが個人的な主張をするのが当然なフランス。
謙遜を美徳とする日本。アピールをすることが大事な能力の一つとみなすフランス。
必要以上に非を認めて謝る日本人。自分に非があったとしても絶対に謝らないフランス人。

この4点だけを見ても、まるで正反対です。。。

私はもともとフランスという国に対して特別な憧れや期待をもっていなかったし、フランス人がどういう人たちかということは前知識としてわかっていたから、こちらに来てからびっくり、ショックといったことはありませんでした。しいていえば、「ああ、ここまでか、、、、、。」というガックリ感とかはありましたけどね。
そんなまま7年間が過ぎた今年、実は「ああ、ここまでか、、、。」というのがさらに深まり、正直言って、フランス人嫌いモードというか、ちょっとうんざりきて、周りのフランス人たちに、「最近、私アンチ・フランス人モードに入ってるから、、、、、。」と冗談半分でこぼしたりするようになってきました。

フランス人に囲まれて仕事をしている中で、「彼らはこうだから。」と理解しようと努力してきた半面、やっぱり私の中にしみ込んでいる道徳観、教育観と食い違うために、たくさんの小さな不一致がつもりつもってきてたんでしょうね。
そこへ、ここ数ヶ月間、フランス人同士のぶつかり合いに直面し、その間に身を置くこととなり、私なりの方法で話し合いを持ったり、意思表明をしたりしましたが、やっぱり痛感したのが根本的な文化の違いです。

前にも話ましたが、二国を比較するのは一口では済ませることができないことで、社会のいろんな要素を考慮に入れなければいけません。

でも組織優先主義と個人優先主義というだけで、十分大きな違いでしょう。

組織優先、全体優先が行きすぎて「出る杭は打たれる」となってしまう日本社会も悲しいですが、いつでもどこでも個人がそれぞれ主張して衝突してばかりのフランス社会というのはとても疲れるものです。

苦しい状況にいても弱音をはかない、文句を言わないことを美徳とするサムライスピリッツの国、日本。立場や上下関係のために思ってることが言えずに、全部お腹の中にためてお酒の席でうっぷんを晴らす人、または泥酔状態になる人。日本ではどこでも見られる姿ですが、フランスではこんな人を見かけることはありません。
意思表示をしない文化で、なんでも自分の心に押し込めて、ストレスをためて、果てはそのせいで病気になったり死んでしまう人が多い国、日本。

フランス人社会では、不満を内にためるということは基本的にしません。
文句を言うのが悪いことなんていう概念も存在しないに等しいのです。
だからフランス人はとにかく文句を言い、不満を口にし、苦しい状況でも耐えるのではなくて、苦しい状況を生み出している害そのものを相手に取り除くように強く要求するのです。
そのため、ぶつかり合いは日常茶飯事。
でも、ぶつかりあいって、当の本人にも、周りで見てるだけの人にとっても、とても疲れるものです。
ぶつかってぶつかって、、、、。消耗されるエネルギーは相当なものです。

ふと、この状況について、「疲れる、、、」と愚痴をこぼした私に、とあるフランス人の友人は、「でも、我慢して我慢して、なんでも内にためてストレスで死んでしまうよりはましなんじゃないか?」と言いました。

何がよくて、何がましなのか、、、。

完璧な人がいないように、完璧な国、完璧にバランスのとれた社会なんて存在しないわけですけど、こうした日本とフランスの違いを見ていると、もうちょっと真ん中をとってうまい具合にいかないものかな、、、と歯がゆさを感じるものです。

そこへふってわいたのがサッカー・ワールドカップで明るみになった、フランス代表チームの内部分裂崩壊劇。

日本でもメディアが話題にしていたようなので、耳にした人は多いのではないですか?

関係者それぞれに言い分があるだろうし、メディアのせいで話がおかしく大きくなったというのは事実でしょうが、私からみたら「これだからフランス人は、、、、。」と言いたくなるような、フランス人のメンタリティーの負の部分が一気に噴き出した出来事でした。

理由はどうであれ、大事な試合を控えておきながら練習をボイコットするなんて。
責任感もへったくれもありません。

どの観点から見ても、日本ではおこりえない出来事ですよね。

もちろんフランス人にとっても、今回の出来事は見てられないものだったので、フランス代表チーム全体が国民からの大ひんしゅくを買い、政治家も入り込んでの大非難がわきおこりました。

この後で、先日の日本対デンマーク戦の中継放送が行われたんですが、我らが日本チームはフランス人の目に眩しく映ったのです。
岡田監督自身もチームプレイを見せれたと評価していましたが、フランス人は日本チームをチームが一丸となっている、団結してフォローしあって勝利を得たチームと称えました。
テレビのコメンテーターも「こんな代表チームが見たかった。」とか「見ていて気持ちがいい。」と連発していました。

日本社会の組織優先主義が素敵な形で表れて、それが個人主義者のフランス人に称えられて、私もうれしかったです。

フランスの有名な歴史小説に「三銃士」がありますが、そこでの有名なセリフは「一人はみんなのために。みんなは一人のために。」です。
でも残念ながら、このキャッチフレーズは、当のフランス人に限って言えば幻想でしかありません。。。
「俺が、俺が」、「私が、私が」の国ですからね。

ま、それはそうと、今回の代表チームのできごとで悲しいことだと思ったのは、フランス人の中でもさらに「フランス人」を区別する動き。

つまり、多民族国家フランスがかかえる移民問題のことです。

サッカーのフランス代表チームのほとんどが、アルジェリアなどの北アフリカ系かセネガルなどの中央アフリカ系の移民の家庭に生まれた人達ということは、周知の事実です。

そのために、「今回問題を起こした代表チームのメンバーは本当のフランス人じゃない!」とでもいわんばかりの主張をする人たちは少なくなくて、「やつらがフランスの顔に泥をぬる。」とか、「奴らを教育しなおさないといけない。」とか言いだしたんですね。

フランスの移民問題、民族問題は本当に根の深い深刻な問題となってきています。

きっとこのことは、憧れを抱いてフランスにやってくる日本人にとっても最初のショックの一つでしょう。
今日、実際のフランスという国、フランス社会というのは、ヨーロッパのさまざまな国の白人はもちろん、アフリカ系、中東系、そしてアジア系といったあらゆる民族が混ざって暮らす場所なのです。

このことだけでも、また改めて話題として取り上げたいと思います。

今日のところ、何が言いたかったのか、、、。

移民うんぬんを別にしても、とにかくフランス人という人々にお腹いっぱいになってしまって、しばらくお休みが欲しいなあ、なんて思ってたこのごろなのでした。
フランス人に囲まれながら「アンチ・フランス人週間」とか言っても、みんなから怒られるだけですけどね。(笑)

あげくのはてに最近よく言われるのが、「leonardoはすっかりフランス人になっちゃって!」というセリフ。つい3日前には「leonardoまでもがやっかいなフランス人みたいにならなくていいんだよ!」と言われました。もちろん言ってるのはフランス人。(笑)

言われるがままとか、相手からの要求や頼みをいつも100%受け入れていてはやっていけないことがわかったから、少しずつ適した対応をするようになってきた私ですけど、それでも本当のフランス人の足元にも及びませんよ。
彼らは相手の要求を受け入れるとかうんぬんじゃなくって、自分の要求をいかにして100%受け入れさせるかですからね。(笑)

彼らって、一応自分たちが世界的に見て尊敬を集める集団ではないということを認識してるみたいなところがちょっとおもしろい。
「日本人は勤勉。フランス人はなまけもの。」
「日本人は規律があって集団行動ができる。フランス人はみんな勝手なことして無茶苦茶。」
「日本人は文句を言わない。フランス人は文句言ってばっかり。」
なんてことはフランス人が私に言うことです。

世界中のホテルでアンケートを行った結果、ホテル側にとっていつでも歓迎したいのは日本人で断トツの一位だったと発表されています。一方、来てほしくない、めんどうな招かれざる客と言うのがフランス人で一位。

ぷぷぷ、って感じですね、ここまでくると。

概して、フランス人は自分が当事者でないときは、客観的に物事が見えて良し悪しがわかるみたいなんですよね。
それが自分のこととなると、まるで相手のことはお構いなしで、自分の主張の一点張りになってしまうから恐ろしい。

フランス人って。。。

最後にフォローというのもなんですが、フランス人の中にももちろん心根の優しい、相手への気遣いにあふれる人もいますよ。(時と場合によりますが。)

あしからず。

2010年5月6日木曜日

日仏比較 2 : 言うべきことと言わずにいるべきこと

フランス人は自他共に認める議論好き。
いつでもどこでも誰とでも議論が絶えない人達です。

「議論」というのを「おしゃべり」と同じものに扱ってしまうと話がずれてしまいますが、「議論」=「自分の考え、意見を主張しあう。」としたら、日本人との違いがよくわかってくると思います。

この議論の文化に目をやると、日本社会とフランス社会に根差したメンタリティーの違いがはっきりと見えてきます。それは、人は皆、対等であるという精神。

日本人だってもちろん「人は皆、平等」とはわかってますが、日本社会には先輩と後輩、目上の人と下の人、といったことからも明らかなように年功序列システム、年齢を基盤とした階級システムが絶対的前提として存在しています。
さらに「妻は三歩下がって、、、」じゃないけど、女性は女性らしく、男性は男性らしく云々で、男女それぞれの「こうあるべき姿」というのがこりかたまってますよね。こんなことは日本人には当然のことなんですけど、イスラム文化の一部分を女性蔑視だといって激しく批判するフランス人たちに言わせれば、日本も立派な女性蔑視の国なわけです。

そんなこんなで、年齢の違い、男女の違いにとらわれないフランス人たちに囲まれて仕事をしている中で、「これは絶対日本ではありえないでしょう!」という光景に出会うのは日常茶飯事。

例えば、大の大人が声を荒げて自分の考えを主張し合ってるのを見ると、私たち日本人は「ケンカしあってる、、、」と思ってしまいます。私個人が日本での生活で見たことのあるケンカと言えば、夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟げんか、そしてごくまれに同級生の男の子同士のけんか。これ以外となると、はて、どんな言い争いを見たことがあったっけ、、、ってな感じになります。
しかし、フランスでは40代の女性同士が言い争ってるところ、30代の男性が50代の男性にどなるところ、さらには30代の女性が70歳の男性にまくしたてて怒っているところまで見てきました。この「ケンカ」という表現ですが、日本人である私から見たら激しい言い争いはケンカのうちです。でもフランス人にとったらそれぞれが自分の主張をぶつけあっているというだけのことなんでしょう。

一方、日本では定番の「上司に怒鳴られる部下」という図。この「一方的にどちらかが相手に怒鳴る」という図式はフランス社会ではめったと見られません。
私は学生時代にアメリカ系の企業でバイトをしていたのですが、そこで、組織のトップである30代前半の女性上司が5歳以上年上の男性部下に怒鳴って説教をしていたのを目撃しました。こんなシーンは、組織がアメリカナイズされていたことと、この女性がアメリカ生活経験者で英語も堪能な人だったからこその特殊例でしょう。
一般的に言って、日本では女性が男性に怒鳴ること、年下が年上に怒鳴ることはあまりみられることではないと思います。
また、上司に怒鳴られてしかられてる部下が、上司に何か意見を言うことって、日本ではどれくらいあるんでしょうか。日本の会社勤めというのをしたことがないので私は現場を知らないんですが、マンガとかドラマで見る限り、下の者が上の者に何か言うというのは、口ごたえだとかはむかうだとか、とにかく非常識で無礼なことだと見られているのではないでしょうか。

こちらフランスでは、一人前の大人になったら人間同士の間に上も下もなく、みな対等なのです。
例えば年齢が上で経験も豊富な人物が年下でまだ新米の人物に乱暴な言葉をはくとします。するとどうなるか。必ず誰かがこの人物の言動をたしなめるのです。それは周囲にいる人で、この人物よりも年下の人物であることはもちろん、暴言を吐かれた新米本人が、「そんな口調で話すのはやめてください。」とぴしゃりと言ってしまえるのです。
そしてそういう年下や経験の浅い人たちにむかって横柄な態度や乱暴な態度をとる人物は、皆から非難され、よくない人物だとみなされます。日本だって本人のいないところで周りがフォローしたり気を配ったりすることはあると思いますが、年上の人、経験の豊富な人が上に立つのは当然だと社会が受け入れているから、ちょっと行き過ぎてる人に周りの人が意見することなんてあまりないのではないでしょうか。
乱暴な言動じゃないにしても、年下の人にむかって、まるで子供扱いしてるかのような口調をしてもNGです。そういう場合、年下の者は「私は5歳の子供じゃない!」と反論するのです。

ま、いろんなエピソードは置いておくとして、私が説明したかったのは、フランス社会では「皆が対等に発言して、それぞれの考えを主張することから意見の交換ができて議論が過熱する。」という図式がベースにあるということです。

もちろんフランスにだって「年上を敬う」という精神がないわけではありませんが、日本社会と比べたらはっきり言って皆無に等しいです。
年齢は関係なく、単純に、みんなそれぞれの個人の能力、個人の人格を評価して、その人物を敬うようになるんです。
そして話し合う場においてはみんなが完全に対等。それぞれがそれぞれの立場で自分の考えを主張するのです。

そんなわけで、フランス人に囲まれて仕事をする中で、私だって私の考えを述べて議論に参加しなくてはいけないと感じ始めるのに時間はかかりませんでした。

もちろん、始めのうちは私も「言葉のハンディ」と「文化の違い」を理由に、議論が沸き起こる度に聞き役に徹していました。
でもそんなことを続けていると、単なる「控えめな人」ではなくって、「自分の考えを述べない人」=「自分の意志のない人」=「何も考えてないバカ」=「どうでもいいと思ってる人」=「人に話を合わせるだけの日和見主義」ということになってしまうのです。
私の性格からいって、「どうでもいいと思ってる人」や「人に話を合わせるだけの日和見主義」と思われてしまうのは我慢できません。
そのため、たとえ言葉のハンディがあっても、すごい勢いでしゃべるフランス人の半分も発言できないとしても、タイミングをとらえてなんらかの形で自分の考えを表明しないといけなくなったのでした。

これって本当に難しいです。でも一言でもいいから、「私はこう思う。」という意見をのべるようにしてきて、少しずつ少しずつではありますが、私なりに一個人のleonardoという人間の在り方をフランス人たちにもわかってもらえるようになってきたと思っています。

しかし、そこからがまだまだ難しいことだらけ!

日本ではいつも親に「口ごたえばかり」、「口が悪い」、「生意気=謙虚さがたりない」と小言を言われていた私なのでが、やっぱり20歳も年上の人とか経験豊富な人たちと話しているときに、わざわざ反対意見を表明するタイミング、そしてその勢いがなかなかつかめませんでした。たとえ意見が同じではないとしても、「うんうん、そうですよね。」的なあいづちでその場を流してしまうほうがよっぽど楽です。
なんせ、その場にいるフランス人はみんなすごい勢いで意見をいいますからね。その間にわってはいったり、誰かをさえぎって、「でも私は!」みたいに切りだすのはエネルギーがいります。(笑)うまいこと自分の考えを話し出したところで、今度は周りにフランス人によってたかって言葉をさえぎられてしまうのと戦わないといけないのですから。

外国語であるフランス語を使って、一人の大人としての品格を失わず、自分と考えの違う相手、しかも自分よりもだいぶ年上の人、人生経験のある人、仕事の経験のある人にむかって、どうしたら自分の考えをうまく主張することができるのか。。。。。

これって本当に難しいです!

先ほど、フランス人はみな対等とは言いましたが、もちろんフランス人の間にだって権力のある人に嫌われないようにふるまう人はたくさんいるし、自分が上の立場にあるときに煙たい存在を排除しようとする人だってたくさんいます。
それは人間の性。
でも基本的には発言する人々です。意見を主張する人々。何も言わない人なんてめったといません。
そしてそんな中にももちろん角がたつ言い方、ものごとをまるくおさめる言い方とかいろいろあります。
さらにはいくらフランス人の間だって、言ってはいけなこと、言わないでおくべきこととかあります。

フランス人の中には上手にものを言う人、上手に意見を言う人がいるわけで、私はそんな人たちが使う表現、ボキャブラリーなんかを聞いて勉強させてもらっています。
どういう態度で、どういうタイミングで、穏やかに、でも言うべきことを言うか。

実際の現場でこちら側の態度、姿勢がどう取られるかというのは、相手の性格、人格に大きくよるというのも事実。 だから相手を見て、こちらの言い方、こちらの出かたを多少考えるべきだというのも本当。

そもそも、最終的にはお互いが反対意見を出し合ったうえで折りあいをみつけてまとめなくてはいけません。現実的にいって可能なことなのか不可能なことなのかとかって要素もありますし。
相手の意見を聞きつつ、自分の考えを表明し、時には全面的に譲ったり、あるいは中間点を見つける努力をしたりするわけです。

こういうことって、人間にとって大事な能力だと思います。それはどこの国にいたって同じだと思います。
ただ日本はいろいろな社会的前提を優先する社会だから、納得がいかないことなんかがあっても、消化不良をおこしながらも呑み込んでしまったりして本音とたてまえの間にずれが生じてくるし、上司の意見に反するような考えをあえて表明する人もあまりいないだろうし、そもそも意見が対立する場を好まなかったり良しとしない文化だから、反対意見となるのを承知で議論に参加する人もあまりいないんでしょう。

実は私はこれまでにすでにフランス人社会の中にいて、とてもデリケートで難しい状況の中に身をおいたことがあります。そして実は今もまた、とってもデリケートな立場におかれてしまいました。
いつのときも一番若いのは私。
日本社会だったら、何も言わずにいる立ち場なのでしょう。
でもここはフランス。自分の考えを言うべきです。

相手の立場、それぞれの人の立場を考慮しながら、言葉に角がたたないように気をつけながら言わないといけません。
違う文化を背景にもった私が、外国語であるフランス語で話すにしては重たいことです。
語学力にハンディがあるから、どうしても端的な表現、直接的な表現になってしまいがちなのも事実です。
でも日和見主義者にはなりたくないから、私のもつすべてのフランス語能力を使って、がんばって意見を述べます。

こういうことって生きた学習ですね。生きた経験。生きた勉強。

フランス人とは違うメンタリティーをもってる私なりに、少しずつ、少しずつ。。。

2010年4月14日水曜日

Piano à queue

Piano à queue (ピアノ・ア・ク)というのはグランドピアノのこと。

日本では、ごく一般の人の家にグランドピアノがあるというのはめずらしいとは言っても、誰だってどこらかしらでグランドピアノを見たことはあるでしょう。学校の音楽室、あるいは体育館にはたいていグランドピアノがありましたもんね。


かたや日本でプロの音楽家、あるいは音楽を専門に志す人の間では、ピアノと言えばグランドピアノというのがごくあたりまえのこと。音楽教室、ピアノの先生の家、音大、音高にはグランドピアノがあるのが当たり前で、ほとんどの人が大学受験前までに親が自宅にグランドピアノを買ってくれる、さらには防音システムまで整えてくれる、というビップ待遇を受けて練習に励むのが普通です。遅くても音大入学を機にグランドピアノを買ってもらうという感じでしょうか。


アップライトピアノのことをフランス語ではpiano droitと言いますが、一昔前、日本のどの家庭でもアップライトピアノをみかける、と言ってしまえるほど、女の子はピアノを習う、ちょっとでもピアノを習う子はアップライトピアノを買ってもらうという時代がありましたよね。


とにかく、日本にはヤマハとカワイという二大メーカーがあるおかげもあって、ピアノの普及率が抜群にいいのです。

プロのミュージシャンで某T芸大ピアノ科出身のとある人は、「家庭が裕福ではなかったから、大学受験もアップライトピアノで準備したし、大学に入ってからもアップライトピアノだった。代わりに先生の家で練習させてくれたり、大学で優遇してもらえた。」と言っていたのを聞いたことがあります。戦後の時代ならまだしも、彼は現在40歳代。こんな例は日本の音楽界では本当にめずらしい例でしょう。

私自身、自分のためにピアノを買ってもらうとか防音の設備を整えてもらうとかはなかったけれど、母親がピアノをしていたので、私が生まれた最初っからグランドピアノが家にありました。私が最初に親しんだ楽器がグランドピアノだったのです。ピアノの個人レッスンを3歳から受け始めたのですが、先生とのレッスンも最初っからグランドピアノでしていました。それからというもの、グランドピアノで弾くのが当たり前、という環境の中にずっといました。

某市立高校の音楽科に進んでみたらならば、20室以上あるレッスン室すべてにグランドピアノが二台ずつ入っていて、コンサートサイズのグランドピアノも二台あって、全室冷暖房完備、完璧な防音システムなどなど、あらゆる面で完璧でした。しかも私立の学校じゃないんですよ。公立の高校でこの設備だったのです。その「完璧」が、当然のことであると思える環境にいたわけです。

笑えることに、最初のカルチャーショックは大学に行ってからのこと。某県の公立の大学だったのですが、こちらはぼろぼろの校舎。近代的な防音システムは一切なく、ところどころ、木製のとびらが二重になってる程度。それもそのはず、校舎のあちらこちらで雨漏りしてるところだったので、まさに財政難真っ只中の匂いがぷんぷんする学校だったのです。

それでもグランドピアノは学校中のあらゆるレッスン室にあって、ピアノ科のレッスン室にはもちろん二台ずつ。学校の中にコンサートサイズのグランドピアノもいくつかありました。唯一、学生が自由に練習できる練習室だけはアップライトピアノでした。そのことだけでも「超リッチ」な高校からきた私たちには「ド貧乏」、「設備不十分」に見えたものです。

このときは、日本の音大は私立と公立でこんなにも設備が違うんだ~。。。と勝手に想像して思い聞かせていました。

日本では音高、音大の外でも、グランドピアノを見かけることはしょっちゅうで、レストランやホテルでのピアノ弾きのバイトに行ったならば、そこにはもちろんグランドピアノがあるし、って感じで、やっぱり「人前でピアノを弾く=グランドピアノを弾く」という図式が日本にはあると思います。

ところが、フランスに来て、そんな図式はあっさりと崩壊したのでした。

最初のショックは、私が今働く音楽学校に初めて足を踏み入れた時。

古~い建物の一室にアップライトピアノがあるだけで、そのピアノ自体古くて質のいいものじゃなかったけれど、なにより部屋がボロボロ。。。。。
冷暖房がどうのこうの、防音がどうのこうのなんて話す必要もないくらい、もうボロボロ。ドアはしっかり閉まらずすきまだらけ、壁紙は一部はがれて床には汚らしい古いカーペットが、、、、、。

「極貧」の匂いがぷんぷんする音楽学校でした。(笑)

そして次にわかったことは、ピアノを習う生徒のほとんどが家に本当のピアノ、つまりアップライトピアノを持っていないということでした。クラビノーヴァのような電気ピアノをもっていればまだしも、鍵盤数も少ない半分おもちゃのようなキーボードを使ってる子も数人いました。

また、使用する楽譜に関しても違いが。私はある先生の産休の代理でやってきたのですが、生徒たちがもっていた楽譜はほとんどがコピーの楽譜。楽譜は高いから、年に何冊も買えない、というのです。(レッスン数が少なくて、レッスン時間が短くて、一年で学べる量が少ないというのもありますが、、、。)

とにかく、なにからなにまでが日本での常識とは違いました。

ま、この音楽学校はモンペリエの郊外にある極貧学校だから、ここが特別なんだろう、、と思いたかった私ですが、このショックはコンセルヴァトワールの様子を見て決定的となりました。

モンペリエの旧市街地の中心にあるモンペリエのコンセルヴァトワール。音楽とダンスを学ぶための教育施設で、入学試験や進級試験がありますが、ちびっこから28歳くらいまでが学べます。
古い建物を校舎にしているので、レッスン室の形も広さも部屋によって違います。もちろん防音設備はどこの部屋にもありませんでした。おかしなことに事務系の部屋は冷暖房完備できれいでしたが、、、。
ピアノ科の先生の部屋にあるピアノも部屋によってそれぞれで、一番格の高い先生(?)の部屋にはグランドピアノが二台ありましたが、他の先生の部屋にはグランドピアノ一台とアップライトが一台だったり、単にグランドピアノが1台あるだけだったり、まちまちです。
他の楽器の先生の部屋にはアップライトが一台あるだけ。しかもこのアップライトピアノ、日本人が見慣れているアップライトよりも一回り小さく、本当に箱型サイズでタッチもおかしく痛んだ感じのするピアノがほとんど。

そしてそして、こちらに来てこれが当たり前なんだとわかったことは、ピアノの椅子がないということ。日本ではピアノとその椅子はワンセットでいつも一緒ですよね。椅子の高さを調節することは、ピアニストにとってとても大事なこと。でも、こちらではピアノだけがぽつんとあって、椅子はその辺にある普通の椅子を持ってきて使ったりするのです。
このことは何もコンセルヴァトワールだけのことじゃなくって、モンペリエの近代総合ホール施設CORUMでも同じことです。

「フランスではこうなのか、、、、。」と無理やり言い聞かせて、私も長い間、高さがまるで合ってない普通の椅子に座ったり、椅子を2個3個積み重ねて、不安定な状態でピアノを弾いたりしてきました。

グランドピアノといえば、コンセルヴァトワールの最上学年の生徒ですら、自宅にはグランドピアノはもっていません。みんなアップライトピアノだけ。そのため、みんな学校で練習するのです。
生徒だけでなく、伴奏ピアニストとしてヨーロッパ中で活躍しているピアノ伴奏科の先生ですら、単身赴任先のモンペリエのアパートにはアップライトピアノを入れてるだけでした。

私がモンペリエでこれまでに出会った人で、家にグランドピアノをもっていると言ったのは4人だけ。一人は大学の音楽学部教授、もう一人は音楽学校で私が産休代理を務めたピアノの先生。どうやら旦那さんが高給取りだそうで、結婚後にグランドピアノをプレゼントしてくれたそうな。あとの二人は音楽愛好家の50歳代の女性で、ピアノは小さいころから習っていたので、趣味にしてはなかなかそこそこの腕前を持っている人たち。他に仕事を持っている彼女たちは仕事で稼いだお金で40歳前後にグランドピアノを購入したと言ってました。

ま、そんなわけでこちらではグランドピアノに簡単にはお目にかかれません。

それにしても日本とフランスにはいろいろと違いがありますね。ピアノ全般の普及率なんて天と地の差。グランドピアノなんて、フランスではプロを目指す人の間でも簡単には手が及ばないリッチで贅沢な代物。
日本人で音楽を志す人のほとんどが海外に出て勉強を続けるわけですが、技術的には日本人のレベルのほうが格段上だったり、一般人の間での音楽普及率も日本のほうが断然上だったり、おもしろいもんです。


さてさて、なんで今日この話題だったかというと、小さいころからグランドピアノに慣れ親しんできた私から見たら、やっぱりピアノというのはグランドピアノなのであって、アップライトピアノや電気ピアノというのは指先のテクニックや読譜の練習用にすぎないと思うのです。ピアノを鳴らす、ピアノを響かせる、音色がどうのとかいうのはやっぱりグランドピアノで学ぶことだと思うのです。

音楽学校でピアノを教え始めて7年目になるのですが、教え方や曲の選び方、生徒との接し方なんかは自分なりにあれこれ考えて工夫もして、私のやり方が確立でき始めてきたところです。そのかいもあってか、私とピアノを習って6年とか7年という年数になってきた生徒たちには、その進歩と成長がはっきり表れてきて、教えてるこっちもうれしくなることが多いのです。

そんな中で唯一残念なことが、このピアノの話。

音楽学校ではあんまり質がいいとも言えないアップライトピアノでレッスンしてますが、発表会などをするときも、小学校の多目的室にあるアップライトピアノでするか、あるいは他の場所でするときはたいてい電気キーボードを持ち込んでするんです。

当初は私も、「フランスではこれが普通か、、、、」と言い聞かせていたんですが、やっぱりそうはいきません。初心者ならまだしも、上達してきた生徒たちにキーボードで弾かせるなんて、生徒もやる気がでないだろうし、こっちも生徒に申し訳ない気持ちがしてしまうんです。
去年の秋には、私の生徒がドビュッシーの「ゴリーウォークのケークウォーク」と映画「ピアノレッスン」のテーマ曲をこのキーボードで弾き、私は正直「。。。。。。。」と半分怒りと情けなさで悶々としていました。
それからというもの、「せっかく練習もがんばってして上達してきた生徒にキーボードで弾かせるなんてもう嫌だ~~!!」宣言をして、何か手立てはないか、と画策をなってきたのです。

そこへ、今年は新たに「それぞれの楽器でレベルの進んだ生徒たちだけでコンサートをしよう。」という企画話がもちあがりました。
私のクラスは学校1、2を争う大所帯だし、レベルが進んだ中高生を何人もかかえてますから、必然的にこのコンサートの企画には私も加わりました。
普段とは違う場所で、、、という音楽学校の意向もあり、ピニャンPigan に新しくできた図書館のロビーでしよう!ということになりました。昔の鉄道の駅を改築してできた建物で、天井が高くて一面のガラス窓のおかげで明るい日差しのなかでとても素敵な場所だと聞いていました。

しかし!問題は、そこにはピアノがないということ。

重度の財政難にあるこの音楽学校にはアップライトピアノをレンタルする予算すらありません。そこでピニャンの役場に費用をまかなってもらうよう依頼しましたが、残念ながら却下。。。それならばということで、ある人がアップライトピアノを無償で貸してくれると申し出てくれたのですが、私は正直、フランスで見かけるアップライトピアノというのは中にはピアノとは呼びにくい代物もあるので、アップライトピアノならなんでもいいというわけではない、クラビノーヴァのほうがずっとかましということもある、といって慎重姿勢を見せました。私がそのピアノを試しにいって返事をするというのでもよかったわけですが、忙しくって時間に余裕がないうえに、もしも状態の悪いピアノだった場合、善意で申し出てくれてる人に丁寧にお断りするのもなんだかなあ、、、と思ってあーだのこーだの言っていました。

すると音楽学校がいつもお世話になってる楽器屋さんが、クラビノーヴァを無償で貸してくれるという申し出をしてくれたのです。

ほんとお金がないところには、こうやって善意のサポートの声が出てくるところがありがたいことなんですが、判断をもとめられた私は正直言って困ってしまいました。

本当だったら、ちゃんと設備のととのったホールでグランドピアノでコンサートをさせてあげたいというのが私の希望。日本だったらごくごく当然のことです。おちびちゃんの初心者ばっかりの音楽教室だってそうしてます。
日本では設備に恵まれているだけでなく、発表会参加費というのを別に払いますからね。参加費、お写真代、先生への花束代だのなんだのって。
そんなこと、こちらではありえないんです。「そもそもの音楽学校登録料が高いのにさらに何かあるごとになんて払ってられない。」というわけです。その、音楽学校登録料というのは、実は日本人からみたら、それ一ヶ月分じゃない?という安さなんですから、もう日仏比較はしてられません。

私はもうとにかくうんざり。

日本とフランスで政治の方針が違うとはいえ、教育方針が違うとはいえ、家庭における収入と支出のやりくりの考えが違うとはいえ、「お金がない、お金がないって、ほんとにどこまでお金がないの~~~!!」って叫んじゃいますよ。

でも、私の嘆きを理解してくれた人はたくさんいたのです。

まず、私の同僚でヴァイオリンの先生であるマチアスは「leonardo の生徒にクラビノーヴァで弾かせるのはどうかと思うよ。。。」と言ってくれ、私の生徒のママで本人もチェロを習い、音楽学校の運営にボランティアで協力してくれてるドラは、とあるアイディアを出してくれました。
それは私たちの音楽学校の教室がある村の一つ、Lavérune ( ラヴェリュンヌ)のお城にあるピアノの持ち主に直談判するというもの。
私たちの音楽学校がまたがる7つの村の中で唯一、お城の中に普段からコンサートに使用されている部屋を保有する村ラヴェリュンヌ。コンサートだけでなく講演会、展示会などにもよく利用される部屋なので、予約は年度初めまでにしないといけないと聞いていました。
さらにここに古いグランドピアノがあるらしい、というのは知っていました。
ドラによると、このピアノはラヴェリュンヌの所有ではなくて、とある人からレンタルしているのだそうです。
で、このとある人というのが、モンペリエにアトリエをかまえるピアノ調律師兼修復士さんであるH氏。私も知っている方の旦那さんです。
H氏は会員多数のピアノ愛好家のアソシエーションを率いていて、単なるピアノコンサートだけでなく、ピアノ弾き比べレクチャーやピアノの構造についてのレクチャーなんかを熱心にしてらっしゃいます。
ドラもこの会のメンバー。
ある日、この会の集まりのあと、ドラはH氏に直接、音楽学校の状況とピアノの必要性を説明して協力をもとめてくれたのです。ありがたいことにH氏は快諾してくれて、無償でこのピアノを私たちに使わせてくれることをOKしてくれたのです。続いてドラはこのことをラヴェリュンヌの村役場に伝えて、部屋とピアノともどもを使わせてくれないかと頼んでくれたのです。
ラヴェリュンヌの村役場で文化芸術を担当しているのはデビー。彼女は音楽学校が誕生した初期から数年前までずっと、現在のドラと同じようにボランティアで学校の運営をサポートしてきてくれた人。
ホールが使用可能な日を教えてくれただけでなく、その日の数日前に他のコンサートのためにこのピアノが調律がされることになるとまで教えてくれました。
こうしてすべてがそろいました。
みんなの善意で、みんなの好意で、超貧乏音楽学校の生徒たちがグランドピアノで弾くという夢のような話が現実化するのです。
すごいことになってきました。
こうなったからにはこのコンサートの運営に積極的に関わらないといけません。いつのまにやら、このコンサートの企画準備の指揮は私が務めるようになりました。
参加者の決定、プログラムの決定、練習の日程組み、当日の段取りなど、私がイニシアティブをとってやりました。
みんなの好意がうれしかったのと責任感から自然と行ったこと。
ただ、問題は一つ。
それはオペラjrの「アマール~」の本番と同じ週にこのコンサートを行うということ。つまりアマールの練習の大詰めとコンサートの準備を同時進行させないといけないということ。さらに、例のピアノトリオをこのコンサートで弾くと決めたもんだから、その練習もしないといけない。生徒がコンサートで弾く曲もちょっと背伸びさせる挑戦型の曲を選んだので、しっかりとめんどうをみないといけません。
どれも大事で一つも軽んじられない状況に陥った私は、空いてる限りの時間を使って生徒の練習をし、
晴れて過密スケジュールの新記録を作ってしまいました。
5週間休みなし。。。。。。
その話はまた今度しますが、とにかく、すべては生徒にグランドピアノで弾く機会をあげるため!
そのまぼろしのグランドピアノはこちら!





アンティーク風で素敵なピアノでしょう?

また追ってコンサートの話もお伝えします。

2010年3月3日水曜日

日仏比較1 : les femmes 女性

今日はひな祭りだったんですね!
なんの偶然かわかりませんが、今日はひな祭りともちょっと関係した話題です。
なんといってもひな祭りは女の子のお祭りですからね。

私がモンペリエで暮らし初めて早7年半。

今や海外で暮らす日本人は多く、国際結婚のカップルの数も急増して山ほどいる。以前は日本人が数人しかいなかったここモンペリエでも、日本人の数がここ3、4年で急増。2、3倍どころか10倍、20倍に増えた感じです。

フランスに住む日本人なんて、もうめずらしいことでもなんでもない時代。
でもやっぱり日本で生活するのとは全く違う世界だから、フランス生活経験者の多くがブログで生活をつづったり、エッセイなどの本で発表してるのをよく見かけます。
私もその例にもれずこうしてブログにできごとをつづってるわけですが、やっぱりせっかくするからには私だから経験できたこと、私だから見れたこと、わかったことを言葉にして伝えられたらな~と思ってます。
というのも、一口に「フランス生活経験あり」といっても、その実態、その中身は十人十色のピンからキリまで。例えば極端な話、語学留学でフランスに滞在したけど、直接接したのはフランス語の先生であるフランス人以外、外国人留学生仲間だけだったというパターン、フランス人と結婚してフランスで暮らすことを決めたけれど、個人的に接するのは夫(妻)とその家族だけだったというパターンなど、実際には交流の範囲、活動の範囲がすごく限られていることがほとんどです。ま、それも当然のこと。私の場合も音楽の世界、音楽教育の世界、そしてスペクタクルの舞台世界で働く人々との関わりにかたよっています。それでも私の場合、すべての行政上の事務や医療関係など、生活をするうえで必要なベースとなる物事は、誰を頼ることもなく自力で体当たりで経験してきました。だからこそ知っていることってあなどれないことが意外と多いんですよ。だって銀行関係とか保険のこと税金のこととか、ちょっと込み入った立ち入った話だけど最重要問題といえることになると、フランス人パートナーと暮らす日本人の場合、相手にまかせっきりで何にも知らないということがほとんどですから。在仏20年になる人にアドバイスを求めたくても、すでに私のほうがずっとか詳しくて頼れなかった、なんてことはしょっちゅうです。

「人生何事も、本当に知るには身をもって体験する以外ない」というのが私の信条の一つだったりします。。。

やっぱり「フランスに住む」ことと「フランス社会の中で生きる」ことは意味も内容も違うと思うんです。
これまで数年間、トラブル満載いつも崖っぷちのサバイバルゲームのような生活をしてきた私も、そのかいあってか今ではフランス人のフランス社会の中で生活をしているという自覚が芽生えてきました。せっかくなのだから、そんな生活の中で気がついたこと、気になることを時々つづっていきたいな~と思っている次第です。

そこで今日はまず、この7年半の生活のレジュメとなる一言だけ言わせてもらいたいと思います。私の独断と偏見による個人的意見にはすぎませんが、自信を持って断言できること。

それは「日本とフランスでは何が違うか?」という問いに対しての私の答え。

「それは女性 les femmes(レ ファンム)。」

日本とフランスでは文化が違って、風習が違って、メンタリティーが違って、というところから始まり、働く環境が違って、教育システムが違って、、、に至り、政治も違ってetc.。 違うところは山ほどあって、でもそれぞれが関係、作用しあっているから比較討論は簡単じゃない。
それでもその総括として言えることは「女性」が違うということ。
どこの国にいっても男と女がいるのだから、「男と女」は文化比較論の大事なキーワードだと思います。そして男女、あるいは同性にしろ、カップルが社会の一番小さな単位だったりするのだから、それぞれの社会を語るのにとっても大事なキーワード。
日本とフランスで何が違うって、「女性」というものが違います。「女性」の立場が違います。「女性」のあり方が違います。「女性」の生き方が違います。
どれだけ違うって、ほんとに違うんですってば。

このことに目を向けると、それはそれは長いお話の始まり。大討論会の幕開けです、って感じで話すことはつきません。
私もこれまでにこのテーマについて日本人が書いたエッセイなどをいくつか読みましたが、意外と奥が深いうえに、決定的なテーマでもあるんです。

文法上、女性名詞と男性名詞、あるいは女性形と男性形の違いがあるフランス語では、フランス人女性のことをles française(レ フランセーズ)といい、日本人女性のことを les japonaise (レ ジャポネーズ)といいます。

よく言われるのに、「日本人女性はフランスでもてる。」というのがありますが、これは本当だと思います。まあ、何をもってもてるというかって話もありますが、ヨーロッパの国では比較的どこでも日本人女性はもてるんでしょう。でも特にフランス人男性と日本人女性という組み合わせは、双方が必要としているものにぴったりとあてはまる要素が多いみたいで、今や日仏カップルの成立率ときたらすごいものです。フランスに長期滞在する日本人のほとんどがフランス人男性と結婚した日本人女性というのも事実です。その数、95パーセント以上と言って間違いないでしょう。方や、日本人男性とフランス人女性のカップルはすごく少ないのも事実。
この日仏カップル事情について話し出すと、「そんな決めつけても、やっぱり人それぞれでしょう。」とか「そんな紋切り型に語ろうとしたって、、、」と自分でつっこみを入れたくなるんですが、何がびっくりって、この話題に関しては明らかな傾向と典型的なパターンがあるからおもしろいんです。

そしてこの話題に入るには、それぞれの国の女性像、女性の立ち場の違いが関わってきますからね。

話し出すと長~いこのテーマ。
フランスで生活をしていると、目に留めずにはいられません。
日本との比較をせずにはいられません。
私が興味を持っている社会問題の一つです。
社会の変化、人々の考え方の流れにすごく関わっていること。
人生について、生き方について考えるなら避けては通れないテーマ。
少しずつでもいいから、時々このブログでつづっていきたいなと思います。

2009年11月8日日曜日

lutte = 戦い

10月中旬、落雷があってからの12日間は、仕事がいろいろ重なって、滞在許可証の問題も発生して、ほんとに踏んだりけったりでした。


まず、カミナリでライブボックスがやられてしまった翌日、昼はオペラ座で譜めくりバイトをして、午後からセートにいってあの「ビスタンクラック」の練習でした。忙しかったわけですが14時ごろ、合間を見つけていざフランステレコムのサービスセンターに電話。ここから私のむなしい戦いが始まったのです。


イライラその1 : 日本だったら通話無料が当然のサービスセンターへの電話。こちらフランスでは当然のように通話料は各自払い。そこへフランステレコムは「フランステレコムの加入電話からの場合、担当者が電話口に出るまでの待ち時間は無料です。」と得意げに言っている。この日、電話をするとまず「電話が殺到しているので、今日一日混雑するみこみです。」との音声。そして「あなたの待ち時間は6分以上と推定されました。」と続く。
私はちょっと待ってみたけど、この忙しい日に電話口でぽけ~っとまってはおれんと思って断念。


イライラその2 : 金曜の夜、土曜の朝、土曜の夜と電話するけれど、いずれも「待ち時間は4分以上です。」とか「待ち時間は10分以上です。」とか言ってる。忙しいときにこれではやってられない。断念。


イライラその3 : コンサートも終了して、日曜日の昼間、やっとゆっくりと電話に専念することができました。待たされるのを覚悟でサービスセンターに電話。すると「待ち時間は6分以上です。」とおっしゃる。我慢大会を決め込み、電話を片手にぼ~っと待つ。5分たつ。10分たつ。12分たつ!電話口ではえんえんと「しばらくお待ちください。アドバイザーにおつなぎします。と繰り返し流れている。ふと自分はまぬけかという疑問が頭をよぎる。15分たつ。18分たつ!これはなんの我慢大会だろうかと不思議に思う。20分たつ。日本ではこんなことありえないと腹をたてながら我慢をする。待つ。25分がたった。

そこへようやく電話口の音声がかわって呼び出し音が聞こえた。

やっとのことでアドバイザーと電話がつながる。
「どうしましたか?」とムッシューは言う。私は「木曜日の夜からテレビも電話もインターネットもできなくなりました。モンペリエでひどい嵐があって雷もひどかったのでそのせいかと思うんですけど。ライブボックス自体は機能してるみたいでコンピューターと相互に連絡とれてるみたいなんですけど、電話回線とシンクロできてませんというサインがでてます。」と説明。
ムッシューは「調べてみましょう。ちょっと待ってもらえますか?」という。「ああ、また待つのか。。。我慢我慢。」とほんとに我慢を強いられる国。ムッシューはコンピュータを通して、私の家の回線を通ってライブボックスまでのシグナルの調査を行いました。「電話回線の分岐の問題があるみたいですね。あなたのライブボックスからの返答がありません。それではテクニシャンに現場で調べてもらうように指示を出します。遅くとも木曜日には解決するでしょう。」という。

「え~?木曜日?ほんとですか?そんなに遅いの?」と叫ぶ私。「いえいえ、最大遅くて木曜日ですから、早ければ火曜日には何らかの変化があると思います。」とおっしゃるムッシュー。
「ああ、これからまだ5日間待たないといけないのか。。。」とショックを受けながら、もうこれ以上は仕方がないから「めるし~」と言って電話を切りました。
この日のムッシューの言うことによれば、私の家の問題とか、私のライブボックスの問題ではなくて、地域的、あるいは私が住む建物の問題っぽい感じでした。


イライラその4 : 早ければ火曜日に、、とか言われたけどやっぱりなんの変化もなし。


イライラその5 : 水曜日の夕方、仕事の休憩時間に携帯電話の電源を入れると留守録が入っていた。「あの~、フランステレコムです。あなたの電話回線のチェックに行くんですけど、え~、今から現地に向かいますので。あなたの回線にアクセスできると期待して、、、。」とかなんとか言ってる。ていうか、誰も今日家に来るなんて言わなかったのに、なんでこの人は今私の家に向かってるというのか。私は仕事場にいるんですけど。。。意味不明。


イライラその6 : 水曜日の夜、仕事が終わって携帯をのぞくとメッセージが届いていた。「フランステレコムです。あなたのライブボックスのシグナルは正常です。もしも問題がまだ続くようでしたらアフターサービスのもとで約束をとりつけてください。」とか言ってる。
「わ、もしかして解決したの?やるじゃんフランステレコム意外と速いじゃん。」とうれしくなって家に帰る。
。。。ていうか、ライブボックス正常に動いてないみたいですけど。。。インターネットは依然接続不可能。
意味不明。


イライラその7 : その後夜中近くになって、サービスセンターに改めて電話をした。「待ち時間は4分以上です。」とか言われるけど我慢。するとアドバイザーが出てきた。しかしなんか変。このムッシューは私がしゃべる間、あいづちとかもなしで反応をしない。私は日曜日に電話で言われたことと今日の留守録のこと、携帯メッセージのことを話した。でも反応なし。だから私が「あの~、聞こえてます?」と聞くと、「ええ、聞いていますよ。」と言う。でも変な感じ。私がひと通りしゃべり終わると、「今から調べますからあなたの携帯電話の番号をください。こちらから連絡しなおします。」という。なんか変だなあと感じる。で、私が固定電話の番号と携帯番号を教える間、またこの人はずっと無言で無反応。「あの~、携帯番号も言いますよ?」と私がうながすと、「ええ、私はちゃんとあなたのこと聞いてますよ。」という。しかしどうも電話の向こう側で笑い声とか聞こえてくる。う~ん、夜中のサービスセンター、暇で担当者は遊んでるのだろうか、、、と感じる。特に私の担当者は遊んでるというよりも寝てるのか酔っぱらってるのかいっちゃってるのか、完全におかしい。

イライラその8 : この変なアドバイザー、不信感一杯で電話を切ったけれど、予感は的中。何分たっても一時間たっても翌朝になってもなんの連絡もなかった。私もブチ切れる。


イライラその9 : 我慢に我慢をし、木曜日の昼間でなんの連絡もないことを確認してからまたサービスセンターにかけなおす。「待ち時間は4分以上。」

担当者が出てきた。私は一連のことを話す。「なんせもう一週間が経過してますから!」

するとこのムッシューによれば、水曜日にチェックに来た人は私の町内、私の住む建物の調査をしたけど、どうやら私の家個人の問題と推測したらしく、そのために私の家に立ち寄って問題を調べようと思ったのではないか、ということでした。で、もちろん私が不在だったから何もできなかったわけです。それならなんで夜に「あなたのライブボックスは正常です。」とかいうメッセージがきたのか。

このムッシューは「あなたの家が問題の場合、テクニシャンと約束をとらないといけません。」という。私も「一週間たってからそういうなら最初からそう言ってよ!」とブチッ。しかも「ええっと一番近い約束で次の月曜日です。」という。「え~?!これから4日後?もっと早いのないんですか?」と聞くと「残念ながら一番早くて月曜日です。8時から13時までと13時から18時のどっちがいいですか?」と聞いてきた。え、ていうか何なんですかその大まかな時間帯は?!「もうちょっと幅をせばめてもらえませんか?8時から10時とか、、、?」と私が聞くと、「残念ながら実際にはテクニシャンがそれぞれスケジュールをたてるので、私からはこの二通りしか言えないんです。」という。「。。。。。8時から13時まで家で待機してないといけないのか。。。」私が嘆くとこのムッシューは「でも普通は10時ごろだと思いますよ。」と付け足す。でもみんなにそう言ってることになるし。

しかも「テクニシャンの診断により、修理代やらの説明がされます。」と付け加えられた。
「ええ?私が払うんですか?10日間以上お金払いっぱなしのまままともなサービスが受けれてないのに?」と叫ぶ私。するとムッシューも「いえいえ、それは診断によりけりです。」と弱腰。

ああ、有料の電話に有料のトラブル解決。こんなことを「カスタマーサービス」と言っていいのでしょうか?
なんなんだこの国は。


イライラその10 : 問題発生から12日が経過。日本だったらありえないでしょう?


約束をとった月曜日の朝。テクニシャンが8時にやってくるかもしれないということにそなえて待機。すると9時半ごろやってきた。
電話回線口やライブボックスをあれこれ調べた結果、「これはライブボックスがいかれてるせいですね。電話回線は正常なのに、ライブボックスを接続するととたんにおかしくなる。」という。
そこで彼が「ライブボックスを交換してください。」という。
先日の電話では費用は私もちのようなことを言われたから確認すると、「いえいえ、僕が無料交換の書類を作成しますから、それで大丈夫です。」という。
ただ「普通だったら僕が替えのライブボックスをストックに持ってたら、すぐあげて終了なんですけど、あまりにもトラブルが多くってストックがありません。配達サービスを頼むか、フランステレコムの店にいってもらうか、、、」と言われたので、一刻も早く問題を解決させたい私は「今からでもすぐに店に出向くからいいです。」という。

このテクニシャンはフレンドリーかつ仕事をちゃんとこなす感じの人でよかった。

私はすぐさまショッピングセンターにあるお店に向かう。
テクニシャンが「これとこれとこれを持って行ってください。後はまた新しい一式をくれるはずです。」と言ったのだけど、店ではライブボックス本体と電源アダプターと再インストールするためのCD-ROMしかくれなかった。つかさず「でもテクニシャンが一式全部くれるって言ってましたけど。」というと、「いやもうそれはしてません。今はこれだけしかあげません。」という。
ま、同じ会社のために働いていても人によって言うことが違うというのは、フランスの王道です。
こんなもんだと思ってさっさと家に帰りました。

イライラその11 : 早速新しいライブボックスをつないで再インストール。私のパソコンは日本製のためか、もともとオランジュのプログラムとは相性が悪く、スムーズに機能していなかったのだけど、やっぱり今回もそんな感じ。でもなんとか指示通りに作業を進める。

でも接続できない。

2回やりなおす。

でも接続できない。

私は機械音痴ではないので間違ってるはずはないのだけど。

でもやっぱりインターネットに接続できない。

「もしかして、ライブボックスのせいじゃなかったとか?」という疑問が頭をよぎったので、改めてサービスセンターに電話。ひと通りの事情を説明する。

すると今度のマダムは「新しいライブボックスと再インストールをした場合、特別な手順があるんです。今から説明しますから一緒に作業をすすめましょう。」という。

「っていうか、再インストールする人みんなに必要な特別な手順があるのなら、どこかしらにそれを明記してよ!」とブチッとくる。

10分ほどかけて彼女の言うとおりに操作して、なんとかインターネットに接続成功!
すごくうれしい私。マダムも客に感謝されて満足したようで、とても気分良く電話を切りました。

が、実は普段ワイヤレス接続をしていた私ですが、このマダムに「接続コードを使ってください。」と指示されて、なんとかインターネットにありついたのです。
後でゆっくり自分でワイヤレスにやりなおそうと思ったわけで、さっそく試してみると、、、。

接続できない。
コードでつながないとインターネットにつながらない。

。。。

でも12日間の不便を経験したので、とりあえずコード接続でもいいか、と思ってここで今回のフランステレコムとの戦いを一時終了させる。

この日からすでに3週間。忙しいからワイヤレスの問題にはとりかかっていません。

このフランス社会では、何か問題が起きたとき、それに対処するには莫大なエネルギーが必要です。なんでかって、時間がかかるし理解不可能な我慢をしいられるから。そのエネルギーと時間がないと、問題の対処にとりかかれないんです。。。
こういうとき、本当に痛感するのが「お客様は神様の国 日本。」との違いです。

ま、とりあえずインターネットが回復したことと、修理や交換の費用はかからなかったことで満足しないとだめですね。あとはサービスセンターへの通話料がいくらかかったのかという心配が残っていますが、、、。

2009年7月5日日曜日

お花がいっぱい

このところ私の部屋にはまるで入院患者がお見舞いにもらうように、お花がたくさんあります。

6月のコンサートでもらったものや、ピアノのレッスンも年度末で終了ということで、生徒さんからたくさんいただきました。





そう、7月2日の木曜日をもって、音楽学校の今年度のレッスンをすべて終了しました。だから音楽学校は晴れてバカンス!今年度は音楽学校だけでも32人の生徒さんがいたので、かなり充実したピアノ教師業でした。

レッスン再開は9月半ばなので、2ヶ月半のバカンスです。すごいでしょう。


ピアノのレッスンに関するだけでも、日本とフランスでの違いは多々あります。たとえば年間のレッスン量。日本では個人で教えてる先生もたいてい音楽教室のリズムなどに足並みをそろえる傾向にあるだろうから、たいていの人が年間38レッスンから40レッスン、もしくはもっとしてる人もいますよね。

こちらはたいてい年間32レッスン。9月半ばに始まって、11月に10日間のバカンス、そしてクリスマス、2月、4月にそれぞれ2週間のバカンスがありますから、まさにバカンスだらけでたったの32レッスン。この回数は明らかに少ないです。生徒のレベルアップの目安として、「ピアノ歴何年」とかいうにしても、日本でピアノやってる人とは回数が違いますから、必然的にフランスの生徒の進み具合は遅い。もしくはやってる内容が浅くて曲の難易度だけがあがっていくとか。

しかも私が働く音楽学校では予算の都合で、1レッスンたったの30分なんです。中には生徒の希望と先生側の希望によって45分レッスンや60分レッスンも可能ですが、その場合授業料がめちゃくちゃ高くなるので、現実的には誰でもできることではありません。


音楽学校で働きだしたのは2003年の12月から。もう6年半がたちました。最初は言葉のハンディに苦労して、次は文化の違い、メンタリティーの違いに苦労して、今では日本とフランスの教育システムの違い、社会の経済状況の違いに苦労しています。

というのも、日本のいいところとフランスのいいところを選んで「こうすればいい!」や「こうしたい!」という教育的アイディアはたくさん出てきて、モチベーションもあがっているのですが、フランスの教育活動や文化活動というのは政治とからんでいるので、なにはともあれ「お金がないからできない!」ということになってしまうのです。そこら辺の話はまたゆっくりしたいと思いますが。。。


お花にかこまれながら、来年度の計画のこともぼちぼち考えようかな、なんて思っています。

2009年7月3日金曜日

冷房のない生活

春になる前ごろから「今年の夏は猛暑らしい。」と言われていたこの夏。
いつからのことだか、モンペリエではこのところ34度、35度くらいの超真夏日がずーっと続いています。

フランス人はみんなバテバテ。

「この暑さたまらないね。。」

「やってられんわ。」

という感じの会話があちこちで聞こえます。

モンペリエの人は日本の夏がどんなものか知らないので、34度ともなると「(暑さに慣れていない)leonardo も大変でしょう。。。」と気遣ってくれるのですが、なんのことはない、強烈な湿気の日本の夏ほど大変なものはないですよね。「日本の湿気はあなたたちには耐えられないわよ。」と脅す私。そして私自身はいつも「これが日本だったら湿気でもっと大変なんだから。」と言い聞かせてモンペリエの夏は我慢大会をしています。

日本に比べると太陽の光が強烈なように思います。もっと直接的というか。そのためにフランス人はみなサングラスをかけているのですが、それも当然ですね。普通に街を歩くにも太陽の光がまぶしいですから。
ぎんぎらぎんの太陽光線を浴びて、私もみんなも日焼けしまくりです。
フランス人にとって、夏には日に焼けて健康的な肌を持つことが一種のステータス。ステータスというのも変ですが、とにかくこんがり日に焼けていることが健康であることの証であるとともに、夏を満喫している=人生を謳歌している=バランスのとれた幸せな生活を送っている、というしるしでもあるのです。子供もきれいなお姉さんも、ママたちもパパたちも、そしておばあさんもおじいさんも、みんなちょっと赤みががった小麦色になっています。私なんかビーチに行ってわざわざ焼くということはしない人も、日常生活をしているだけで十分に夏の肌の色ができあがります。
まあこんなことでは「白い肌を守るために、日焼けをしないように、あの手この手をつくす日本人女性たち」の中には完全に入れませんが、こっちの方が私には気楽です。

強烈な太陽にかかわらず、実際、湿気が日本のようにはないおかげで、日影にさえ入れば暑さをしのぐことができます。街を歩いていて、日向から日陰に入った時の温度差に驚くくらいです。
そして日が沈み始めたらとっても快適なもので、街をぷらぷらと歩いて風を感じるだけで気持ちの良いバカンス気分になれてしまいます。

さて、夏の暑さに関して他に何が日本と違うかというと、それは冷房の普及率。もちろんお店やオフィス、コンサート会場なんかはクーラーが聞いていますが、一般家庭にはあまりクーラーが備わっていません。それこそ数年前の大熱波の時にたくさんのご老人が暑さのために亡くなったのをきっかけに、クーラーがたくさん売れました。でもやっぱり日本に比べたらまだまだです。とりあえず扇風機はもっているかな、とった感じの家庭が一般的です。
私はというと、扇風機なんかの季節ものの収納場所があまりないので、これまでのところ扇風機もなしで我慢しています。我慢というか、なんとか耐えられる程度だからなんでしょうね。

そんな何ももたない私も行っている、フランス人をマネしての工夫は、日が照っている時間は雨戸を閉めておくことです。日影であれば気温が抑えられるので、この工夫はとても簡単で効果的。日中でかけるときも、雨戸だけ緩めに閉めて、窓はあけっぱなしで出かけます。そして日が照らなくなった時間帯に雨戸をあけて風を入れるんです。

こんな(耐えられる程度の)暑さのなかで生活するようになって早6年以上。冷房の空気に触れるないことで、いかに健康的になったと実感できているか。日本の冷房ガンガンの室内と、恐ろしい湿気と暑さの屋外の温度差のせいで、いつも調子がよくなかったんです。肌も乾ききっちゃってましたからね。それに比べたら、うっすらと汗をかきながらだけど自然な気温と自然な風とともに生活することは身体にはいいこと間違いなしです。

今後も扇風機を買う予定はないまま、猛暑を乗り越えようと思います。

2009年5月7日木曜日

祝日がいっぱい!

日本がゴールデンウィークでにぎわう5月、実はフランスでもかなりの祝日があります。


まずメーデーの5月1日。今年は金曜日だったので世間は金、土、日の三連休。
続いて5月8日は1945年の終戦を祝う日でお休み。これまた今年は金曜日なのでみんな三連休。
そんなわけで、実は先週末と今週末、フランスでは連続三連休なのです。

そして5月末にはキリストが天に昇った日を祝う昇天祭の祝日があります。これは前にお伝えしたように、年によって日にちが変わる復活祭から数えて40日後ということなのだそうです。今年は5月21日で木曜日なので、世間では勝手に金曜をお休みにして4連休にする人が多いのです。勝手に休みにして連休をつくることを、いつかお話したように「faire le pont」と言って「橋を作る」という表現で表します。この「橋を作る」行為、ここ最近さかんになってきていて、今年なんて自営業の人が休むとか会社を休むとかだけでなく、なんと公立の学校までもが教員たちの訴えにより自主連休にするとか。これには正直「おいおい、、、」とつっこみたくなりました。だって、フランスの教員と言えば、子供と同じだけバカンスがあるんですよ!

どれだけバカンスがあるかというと、、、、
まずは11月に10日間のトゥッサン(万聖節)のバカンス。
12月末に2週間のクリスマスバカンス。
2月に2週間の冬休み。スキーバカンスとも呼ばれる。。。
4月に2週間のパック(復活祭)のバカンス。
そして7月と8月はまるまる2ヶ月の特大バカンス。

年間16週くらいがバカンスなんですよ。働くのは36週だけ。。。
すごいでしょう?

さて、5月の祝日の話に戻りまして、6月頭には精霊降臨祭と言って、キリストの使徒に精霊が降りてきた日を祝う日があります。これまた復活祭から数えて7番目の月曜日だそうで、毎年日が変わります。が、月曜日に変わりはないので、かならず3連休となるわけです。

こんな感じで、5月のフランスは祝日ラッシュ。
バカンスがあれだけあるのですから、「あれ、また休み?」なんて思ってしまいますが、日ごろ週末、バカンスあまり関係なく仕事している私にとったら、祝日というのはほっと一息つく日でありがたい。

でも、この5月をのぞくと、他の祝日はバカンスシーズンの中にあるので、あまり祝日感がないのが事実。

ところでフランスのバカンスを別として、日本の祝日の数って、先進国では断トツの一位だそうですね。15日あるそうです。
かたやフランスには11日。元旦、メーデー、革命記念日、第一次大戦の終戦日、第二次大戦の終戦日の5日をのぞくと、残りはすべてキリスト教の祭日なのです。クリスマスはもちろん、復活祭、昇天祭、精霊降臨祭、聖母被昇天祭、万聖節の6日がキリスト教がらみでお休み。
こうなると、やっぱり100パーセントキリスト教文化の国なのだな~、と改めて感じさせられますよね。日本には仏教がらみも神道がらみの祭日もないですよね。日本は季節を重要視し、季節を感じるための日が多い感じがします。

こんなところでも、日本人の季節感というものが特別なものに思えました。
日本人と自然、日本人と季節。ごく普通のことだと思っていましたが、他の国の人、他の文化に比べると、日本人はとりわけ自然を大事にしているようです。季節を感じながら生活しているというか、季節と生活がしっかり結びついているというか。
これは日本人の特徴といえるみたいですよ。

2008年12月7日日曜日

Japan Matsuri

この週末、モンペリエでは初めてとなるJapan Festivalが行われました。ベトナム人コミュニティーや中国人コミュニティーでは、毎年新年を祝うお祭りを盛大にしていますが、モンペリエではまだ日本人社会とまでいえるような日本人の数じゃないしまとまりもなかったので、「日本」をテーマにして何かが開催されるのはこれが初めてのこと。


私がこのお祭りの存在を知ったのは4日前。日本伝統文化や日本の娯楽を紹介する目的とされていてますが、ホームページをのぞいてみると、マンガ、アニメ、ゲームのことがたくさん書かれていて、さらにはカラオケ、コスプレのコンテストがあるという。


ちょっと私の望む感じと違うけど、、、とちょっと躊躇しつつ、せっかくだから様子を見に行こうと思ったんです。






ポスターはこんな立派なもの。

主催者は、以前日本で4年ほど生活をしたことがあるというモロッコ系フランス人だとか。その人のアソシエーションを中心に、モンペリエに存在するいくつかの日仏文化グループ、アソシエーションが参加して、さらにはマンガ専門店とか、ゲーム専門店とかが加わっているようです。

友人の日仏カップルはこのアニメ色にひいてしまって行かないと言ってましたが、私はそれはそれでこの目で見て確かめたいと思って行ったんです。
モンペリエ市役所の多目的ホールが会場でした。

が、入場料5ユーロを払って入ったとたん、「。。。。。。」

半端じゃなくてアニメマニア色が爆発してたんです。

フランス人の若者の間で日本の漫画が大流行なのはわかっていましたが、アニメコスプレの人たちを見て圧倒されてしまいました。何より空気が「マニアの空気」だったんです。日本と同じ空気なのにおどろきました。

メイン会場の特設ステージではアニメソングを日本語で歌ってカラオケ大会。






会場の隅では控え目ながらも「日本伝統文化」を紹介してるスタンドもあったのですが、会場全体がカラオケとコスプレの歓声でおおわれていました。

日本のゲームセンターにあるようなゲームも何台か設置されてました。



生け花の免状をもってるフランス人や、剣道、合気道、空手などの日本武道のグループ、折り紙を教えてるスタンドなどあったんですけどね、その存在は全体の5パーセントにも満たない感じで残念でした。



アニメも日本のものだし、カラオケも漫画も確かに「日本」を代表するものだろうけど、もうちょっとバランスよく紹介されていたらよかったのに。だってこれじゃあアニメフェスティバルって感じだもの。

せっかく5ユーロ払って入場したし、、、と思ってうろうろしつつ、知り合いのMさんのおりがみスタンドで休憩させてもらいました。



おりがみに夢中になってる男の子をみながら、部外者なのにぼけーっとカウンターに並んで座っていたら、知り合いの日本人何人かが通りかかり声をかけてくれました。そして同じく知り合いのTくんも私に気が付いてくれました。話を聞くと、彼はおにぎりやおみそしるを売ってるスタンドの助っ人に駆り出されたらしい。そこで彼について裏現場にお邪魔しに行きました。するとそこでは数人の日本人が忙しそうに料理をしていました。

小さな簡易ガスコンロ二つで味噌汁、カレー、お好み焼きを作り、おにぎりやサンドイッチとともに売ってました。



お昼時には大混雑ですごかったそうです。語学留学の学生さんや知り合いの研究者Hさんやフランス人と結婚している人たちが仲良く働いているなか、私は手伝うそぶりもなく、あげくのはてにできたてのシャケおにぎりをいただいて失礼してきました。サケおにぎりなんて何年ぶり。おいしかった~。

というわけで、友人カップルの予想通り、内容にかたよりのある日本祭りでした。が、私の性格上、見て納得しないといけないタチなので、5ユーロかかりました(笑)。

会場を後にすると、普段は人通りのすくない日曜日の街ですが、クリスマスシーズンで店もオープンにしているところが多く、コメディ広場ではクリスマス・マーケット(フランス語ではマルシェ・ドゥ・ノエル)が開かれていて、めずらしいくらいの大混雑でした。
また近いうちに町の様子をお伝えします。

2008年11月30日日曜日

フリーマーケット

11月最後の日曜日は久しぶりの本当の休日でした。

天気もよく、お誘いを受けてアート職人さんたちのフリーマーケットに行ってきました。

場所はモンペリエの中心地の歴史的な古い建物の中。

フランス語ではHôtel particulierと呼ばれる、17世紀~18世紀ごろの個人の邸宅です。フランスでは国も各都市も、歴史建造物の保存には力を入れていて、モンペリエでも個人所有にしろ市の所有にしろ、きちんと保存、管理がされています。観光案内所のガイドつきだったりして一般公開されているところなどもあるのですが、普段なかなか機会がなくて、私がHotel particulier の中に入ったことはありませんでした。

フリーマーケットに来たのですが、まずは建物自体が私の目をひきました。




きれいでしょう?

フリーマーケットでは、アクセサリー、手編みのセーター、デコレーション、いろいろありましたが、驚いたのは日本人の方が3、4人いたこと。トゥールーズの方から来たという人、ピレネー山脈の方から来たという人、みんなそれぞれがんばってるんだなーと感じました。

なかでも私が気に入ったのは、着物生地を使った小物。最近、着物生地を利用することに興味をもっていたんです。日本に帰国するたびに、フランス人の友人へのおみやげとしてこういうものを京都で買ってましたが、日本に探しに行かなくてもこうやってモンペリエで出会えちゃうとうれしくなっちゃいました。これはフランス人にもうけると思います。




手作りですが、やっぱり日本人らしく「丁寧」な仕上がり。





で、何か買うつもりなんて全然なかったのですが、ついつい買っちゃいました。マフラーと小さなおさいふです。

手作りだしもちろん安くはないけれど、日本まで飛行機に乗って買いに行くことを考えると妙に安く感じてしまったのでした。一緒に行ったAさんは編み物縫物、手芸ならなんでもできてしまう人だから、「これなら自分で作ろう」と考える人だけど、その隣でまるでフランス人のように喜んでほいほいと買ってしまった私でした。しっかり値段のおまけを頼んじゃいましたが(笑)

お名前は聞かなかったけれど、彼女も「日本人が買ってくれるなんてうれしい~」と言ってくれました。

サイトがあるそうなので皆さんも www.tengoku.fr をのぞいてください。まあ、日本にいたらめずらしく感じないものであるけど、異国での日本アピールにはいいですよね。 

意外なところで「日本」に出会いました。

2008年11月5日水曜日

危険な道路

「劣悪」という言葉を使ったことはありませんが、このところ「劣悪」という表現以外、あてはまらないと思ってしまうものがあります。

それはフランスの道路。
アスファルト舗装された普通の道路。
それがとっても危険なんです。

なぜかというと、フランスでは乱暴で計画性があまりないような道路工事をよくみますが、そのたびに、アスファルト舗装はつぎはぎのように部分、部分でやりなおされるだけ。で、そのつぎはぎの質の悪いこと、悪いこと。
アスファルトの質が悪いのか何かしりませんが、つぎはぎをされた部分のアスファルトは、車がその上を通ることによって痛み、削れはじめ、しまいにはそのつぎはぎ部分がとれてしまったかのように、穴があくのです。
よく見ると、マンホールの周囲だけ後からやりなおされた部分ということがよくありますが、そこがきれいにえぐれてたりするんです。
そのため、車で普通に走っていて突然「ボコッ!!」とか、「ガッターン!!」とかいうすさまじい衝撃をうけることになるのです。四駆自動車に乗ってるのならまだしも、私は日産の新型マーチ(フランスではミクラMICRAという名前)を運転していて、タイヤだって小さなかわいいサイズ。前乗っていた古いけど立派なセダンだったシトローエンのグザンチアのときに、不運にも2度のタイヤパンクを経験したために、すごい衝撃を受けるために、タイヤがパンクしてしまわないか気が気でないんです。
だって、道に穴があいてるのを想像してください。突然15センチとかの段差があるのを想像してください。普通に60キロ、70キロで走っているときには、かなりひやっとさせられるものです。

フランスでみる道路工事には、なんだか怪しんじゃうことがいっぱい。

その1: すごい渋滞がおころうがおかまいなし。交通量が減る長いバカンスがあるにもかかわらず、普段の平日の通勤ラッシュの時間などに突然道路を一本閉鎖したりして工事を始める。日本でよくみる夜間工事などもめったとない。きっと工事をする人にとって、バカンスはバカンス。夜は夜。という理由で働かないんでしょうけど、日本人としては、工事のせいでおこるラッシュをみるために、「このラッシュは生じさせないですむ方法がたくさんあるのに、、、」とためいきをついてしまいます。

その2: 工事の期間がやたらと長い。大した距離も面積もないのに、工事はだらだらと続く。しかも工事の案内板に表示された予定期間を過ぎても工事しているってことはしょっちゅう。日本人としては、「こんな工事、しっかり計画立ててきっちりやれば一晩ですむやろ~!」と叫びたくなります。

その3: アスファルトのつぎはぎの質の悪いこと、悪いこと。さっきもいいましたが、新旧のアスファルトの境界線がきっちりときれいにされていなくて、すぐに欠け始めるのです。それに段差があったって気にしない。私が住むアパートの前の通りは、水道管か下水管のために何度も工事が繰り返されたんですが、2年前はほんとうにひどい状態でした。500メートル走行するのに、「ここは障害物競争のコースか!?」と聞きたくなるくらいのデッコボコ道路。日本人としては、「道路をまっすぐにするくらいの配慮はしようよ、、、。」とつぶやいてしまいます。

そんなかんじで、変なところを挙げはじめたらキリがないくらいに、「劣悪」なんです。

ただでさえ乱暴な運転の人も多いのに、道路まで危険だったら危ないのなんの。

まあ、フランスの悪いところに目がいってしまった今日の記事ですが、フォローするために、道路を走っていて日本よりもいいと思うところを一点。
日本の高速道路でよくいる「煽り屋」。すごいスピードで後ろからせまってきて、しかもぴったりくっついて「無言のおどし」みたいな悪質で危険なことをする人がいますよね。幸い、あのタイプはフランスにはいません。フランスではみんな飛ばし屋ですが、前の車が遅いとクラクションをならします。もちろん、あのクラクションだって私が大嫌いですが、ぴったりと前の車にくっつく行為のほうが、ずっとか危険でしかもすごく陰湿に感じます。フランス人だとクラクションをならしながら、さっさと車線を変えて抜き去っていきます。
飛ばし屋フランス人の国でも、ここ2年間でスピード違反の監視レーダーが急ピッチで設置されました。交通事故死亡者を減らすためのキャンペーンが積極的に行われていて、このところ死亡者の増加を防げている様子です。
これはとてもいいことだから、後は少しでも道路の質にも目を向けてほしいものだなと思います。

ただ、日本の税金の使われ方の中で、「公共工事」の占める割合が大きいとしたら、世間が「無駄遣い」と思えるような工事をあちこちでしてると同時に、お金をかけて質のいい工事をしているのかもしれませんね。だって、日本の道路はとってもきれいで、交通標識やガードレールとか、とてもきれいにきっちりと設備されていますから。フランスは道路工事にお金をそそいでないってことなんでしょうね。やっぱり国によっていろいろと違いが見えてきます。いいところと悪いところ。

2008年5月10日土曜日

恐るべし L'arc-en-ciel

今日は土曜日。さきほどテレビの20時のニュースの最後に出てきた話題に、懐かしいやら驚くやら、不思議な感覚を覚えました。というのも、テレビから「日本のロックグループが、彼らにとって初めてとなるヨーロッパ公演をパリで行いました。」と聞こえてきたから、「あ、なんだろなんだろ」と思ってテレビ画面に目をむけると、そこに写っていたのはご存知「ラルク」。そして続いて熱狂している日本人女性の山だかり。。。。この光景を見るのがほんとに久しぶりだったからおかしな感じがしたけれど、テレビの解説も、「熱狂的ファンである日本人女性たちは、彼らのコンサートをひとつたりとも逃してはならぬと、地球の裏側まで簡単にやってきました」(笑)と説明。コンサート会場は、人気歌手などの大規模コンサートをするためのZENITH PARIS。でも私が驚いたのは、お客さんが何も地球の裏からやってきた日本人だけじゃなかったことです。フランス人はもちろん、イギリス人などなどヨーロッパの人たちが集まってきていたのです。しかもみなさん、ファッション的にもかなり入れ込んでる。

「ラルク」といえば、私が日本にいたときにはデビューからも数年たって、当時すでにCDをだせばヒット間違いないという安定した地位を築いていました。しかしその後どうなったのか知らないまま今日に至り、突然パリでコンサートなんていうから、あまり状況がわからなかったんですが、今インターネットで調べてよくわかりました。
彼らの曲がアニメの主題歌に使われていたことによって、日本国外でのファンを獲得していったそうですね。マンガ、アニメと言えば、いまやどこの国でも若者に大人気ですから、彼らはインターネットを使ってお気に入りのアニメに関する情報とかもいとも簡単に入手しています。私のピアノの生徒にも、「アニメの曲なんだけどこれが弾いてみたい、、、」と言って、ダウンロードした楽譜をもってきた子がいました。その時も驚いたんです。だって「Kiroro」の曲だったから。しかもタイトルとか日本語で書いてあるまま。この生徒も自分なりにインターネットで歌詞とか歌詞の意味とか少し調べていて、私が日本人だったからちょっぴりプラスアルファのこととか教えてあげるとうれしそうだったなー。きっと学校で友達に自慢できるんでしょう。日本文化の普及はすごいですね。
というわけで、アニメと聞いてわかりました。どおりでヨーロッパの「ラルク」ファンのファッションがアニメファンの格好をしていたんだ。うん、納得。ニュースの中では、ヨーロッパのファンがあまり歌詞の意味はわかっていないままながらも、上手に日本語で歌ってる姿が映し出され、それをおもしろがってカメラに収める日本人ファンたちも映っていました。「ラルク」のメンバーもコンサートの舞台上でちょっぴり変ながらも、フランス語であいさつしたり、フランスのテレビのために一言、二言フランス語でサービスしていました。ああ、このニュースの様子をとっさに自分のカメラに撮れば良かった!私が「ラルク」を聞いていたのは23歳のころ!すっかり懐かしくなったので、自分の持ってる古いMDとかの中に彼らの曲が入ってなかったか見てみようっと。

2008年4月21日月曜日

フランス人の日本認識

フランスではここ数年、「日本ブーム」のようなものがあります。お寿司をはじめとし、日本レストランはどこの街でもおおはやり。マンガも今の若者の間では避けてはとおれないほどの大人気。ニンテンドーなどのゲームもファンは多し。日本車や日本のパソコン、テレビなどへの信頼度は高いし、フランス人も「**は日本生まれ、**は日本製」といったことはよくわかっています。


でも、私がフランスに来て理解したことの中で、日本とフランスについて「へえ~、そんなものか、、、」と思ったこととして、「フランス人が日本を知らない」という実態があげられます。このことをフランス人に言うと、「日本人だって、フランス人と言えばバゲットにベレー帽にワインと思ってるんだろう?」と言い返してきますが、そこで私の反論は、「でもそれ間違いじゃないじゃん!」つまり、なにも「フランス人みんながベレー帽をかぶって、バゲットパンを持って街を歩き、ワインを飲んでる」わけじゃないけれど、事実、食事時にはみんなバゲットパンを小脇にはさんで歩いてるし、ベレー帽かぶった年配の人たちは多いし、ワインはみんな大好き!それに対して、日本について彼らはいまだに「芸者、腹切り、サムライ、相撲」といった知識しかもっていない。つまり、現代の超ハイテク日本と、サムライの時代の日本とがどう関係してるのかわかっていない感じなのです。


まあ、意地悪なつっこみはさておき、フランスという国は、自国語を愛し、自国語を守る政策を実際にとっている国です。日本のように外来語大好きで、アルファベット表記をしたりカタカナにおきかえて使いまくるという国に住んでいると想像しにくいことですが、外来語の使用について規制があるのです。まあさすがに最近は日本と同様、「外国語をつかうとちょっとカッコいい~」という考えが若者の間では主流になっています。もちろん年配の人たちの間では自国語を愛する精神も強く、変な外来語の浸透を嘆くこともよくあることです。そしてフランス政府もフランス語を守る方針は緩めていないので、広告のキャッチコピーに外国語を使ったら、その広告のはしっこにはフランス語訳を表示するとか、まあ規制は規制として徹底しています。


そんな中、フランス人の間で日本語がそのまま使われている単語がいくつかあります。代表例をあげてみると、HARAKIRI (腹切り)。日本語を知らない外国人の口からまず出る日本語がこれだと、こっちは相当へこみます。。。KAROUSHI (過労死)も、バカンス天国のフランス人からは想像もできないことばなので、日本語をそのまま使うというのはわかりますが、悲しい。。。さらに特にニュースでよくきく日本語単語として KAMIKAZE (神風) がありますが、日本人であれば戦争時の神風特攻隊のことを指しているとわかるものですが、フランス人は「自爆テロ」という意味で使っているのです。だから中東で絶えない自爆テロがあるたびに、ニュースからは「KAMIKAZE がまたおきて、、、、」、「さらに新しいKAMIKAZEがどこそこで、、、」と聞こえてくるのです。ちなみにフランス人は「カミカゼ」とは発音せず「カミカズ」と発音しています。
結局、日本語の単語とはいっても、こんな風にちょっと意味が変化したまま使われている言葉が多いですね。
空手とか柔道といったスポーツがそのまま呼ばれているのは正しいですが、相撲に関しては、SUMOU がスポーツの名前としてではなくて、お相撲さんのことを呼ぶのに使っていますね。そういえば、テレビコマーシャルなどで、お相撲さんをネタに使ったCMいくつかあって、日本人としては笑えませんね。 シラク前大統領が日本好きだということはフランス人の間でも知られていて、彼の愛犬は「SUMOU」だそうです。

日本の着物が美しいということは世界中で認められていると思うし、フランス人も大好きですが、着物姿の女性のことを「GEISYA」と呼んでいるという事実を理解するのには私も時間がかかりました。。。もともと、「GEISYA」という言葉は西洋で使われる、間違った認識から出る日本語であることは私もわかっていたので、当初はただ単に「芸者、芸者、、ってまだ言ってるの?」くらいにしか思ってませんでしたが、着物姿が芸者って、これもちょっと間違いを訂正せずにはいられません。でも問題は少しやっかいで、というのも、彼らも「KIMONO」という単語はすでに使ってるんですよね。さて何にを指しているかというと、柔道着、空手着などをKIMONOと呼んでるんです。だから、まずKIMONOがなんなのかということから説明しないといけない始末。。。


一方、完全にフランス語として定着し、ここ数年好んで使われる言葉に「ZEN」という言葉があります。「禅」からきているのにかわりはありませんが、禅宗や坐禅を指しているのではなく、「落ち着いた様子」を表すのに使われます。フランスでもここ数年、社会が変化してきて、ストレスが多くなったり、イライラしてる人が増えたことから、心の健康、心の落着き、穏やかさを求めるようになったのか、ZENであることを良しとするようになった感じで、何かとZENを求めています。インテリアとかでもZENなスタイルとか、まあつっこんでみれば、日本風なスタイルをZENと呼んでるだけだったりもするので、要は、伝統的な和風のもの=ZENなイメージと思ってるんでしょうね。
例えば、インテリア系の店の広告にはこんな写真で、和風っぽいものがならんでました。



私の家では私が小さい頃から、父のチョイスだったのか、和紙でできたぼんぼりのようなランプがありましたが、あれは日本で流行ったものだったんでしょうか?私はあまり流行ったものという認識はなくて、家にあったな~というものなんですが、実はフランスでははやっています。


そういえば、和紙のことを「Papier de riz」、つまり 「お米の紙」と訳しているとは知りませんでした。

まあ、ZENブームはここ5年、6年、おさまる様子はないですね。

個人的に、私は日本にいるときからなにかと「leonardoちゃんは落ち着いてるよね~!」とか、「leonardoちゃん、ちょっと落ち着きすぎじゃない?」とまで言われてきました。そんな私のキャラは今も変わらず、というか、フランス人の中にいればさらにその傾向は強まり、フランス人から見た私は「スーパーZEN」だそうです。(笑)