フランス人は自他共に認める議論好き。
いつでもどこでも誰とでも議論が絶えない人達です。
「議論」というのを「おしゃべり」と同じものに扱ってしまうと話がずれてしまいますが、「議論」=「自分の考え、意見を主張しあう。」としたら、日本人との違いがよくわかってくると思います。
この議論の文化に目をやると、日本社会とフランス社会に根差したメンタリティーの違いがはっきりと見えてきます。それは、人は皆、対等であるという精神。
日本人だってもちろん「人は皆、平等」とはわかってますが、日本社会には先輩と後輩、目上の人と下の人、といったことからも明らかなように年功序列システム、年齢を基盤とした階級システムが絶対的前提として存在しています。
さらに「妻は三歩下がって、、、」じゃないけど、女性は女性らしく、男性は男性らしく云々で、男女それぞれの「こうあるべき姿」というのがこりかたまってますよね。こんなことは日本人には当然のことなんですけど、イスラム文化の一部分を女性蔑視だといって激しく批判するフランス人たちに言わせれば、日本も立派な女性蔑視の国なわけです。
そんなこんなで、年齢の違い、男女の違いにとらわれないフランス人たちに囲まれて仕事をしている中で、「これは絶対日本ではありえないでしょう!」という光景に出会うのは日常茶飯事。
例えば、大の大人が声を荒げて自分の考えを主張し合ってるのを見ると、私たち日本人は「ケンカしあってる、、、」と思ってしまいます。私個人が日本での生活で見たことのあるケンカと言えば、夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟げんか、そしてごくまれに同級生の男の子同士のけんか。これ以外となると、はて、どんな言い争いを見たことがあったっけ、、、ってな感じになります。
しかし、フランスでは40代の女性同士が言い争ってるところ、30代の男性が50代の男性にどなるところ、さらには30代の女性が70歳の男性にまくしたてて怒っているところまで見てきました。この「ケンカ」という表現ですが、日本人である私から見たら激しい言い争いはケンカのうちです。でもフランス人にとったらそれぞれが自分の主張をぶつけあっているというだけのことなんでしょう。
一方、日本では定番の「上司に怒鳴られる部下」という図。この「一方的にどちらかが相手に怒鳴る」という図式はフランス社会ではめったと見られません。
私は学生時代にアメリカ系の企業でバイトをしていたのですが、そこで、組織のトップである30代前半の女性上司が5歳以上年上の男性部下に怒鳴って説教をしていたのを目撃しました。こんなシーンは、組織がアメリカナイズされていたことと、この女性がアメリカ生活経験者で英語も堪能な人だったからこその特殊例でしょう。
一般的に言って、日本では女性が男性に怒鳴ること、年下が年上に怒鳴ることはあまりみられることではないと思います。
また、上司に怒鳴られてしかられてる部下が、上司に何か意見を言うことって、日本ではどれくらいあるんでしょうか。日本の会社勤めというのをしたことがないので私は現場を知らないんですが、マンガとかドラマで見る限り、下の者が上の者に何か言うというのは、口ごたえだとかはむかうだとか、とにかく非常識で無礼なことだと見られているのではないでしょうか。
こちらフランスでは、一人前の大人になったら人間同士の間に上も下もなく、みな対等なのです。
例えば年齢が上で経験も豊富な人物が年下でまだ新米の人物に乱暴な言葉をはくとします。するとどうなるか。必ず誰かがこの人物の言動をたしなめるのです。それは周囲にいる人で、この人物よりも年下の人物であることはもちろん、暴言を吐かれた新米本人が、「そんな口調で話すのはやめてください。」とぴしゃりと言ってしまえるのです。
そしてそういう年下や経験の浅い人たちにむかって横柄な態度や乱暴な態度をとる人物は、皆から非難され、よくない人物だとみなされます。日本だって本人のいないところで周りがフォローしたり気を配ったりすることはあると思いますが、年上の人、経験の豊富な人が上に立つのは当然だと社会が受け入れているから、ちょっと行き過ぎてる人に周りの人が意見することなんてあまりないのではないでしょうか。
乱暴な言動じゃないにしても、年下の人にむかって、まるで子供扱いしてるかのような口調をしてもNGです。そういう場合、年下の者は「私は5歳の子供じゃない!」と反論するのです。
ま、いろんなエピソードは置いておくとして、私が説明したかったのは、フランス社会では「皆が対等に発言して、それぞれの考えを主張することから意見の交換ができて議論が過熱する。」という図式がベースにあるということです。
もちろんフランスにだって「年上を敬う」という精神がないわけではありませんが、日本社会と比べたらはっきり言って皆無に等しいです。
年齢は関係なく、単純に、みんなそれぞれの個人の能力、個人の人格を評価して、その人物を敬うようになるんです。
そして話し合う場においてはみんなが完全に対等。それぞれがそれぞれの立場で自分の考えを主張するのです。
そんなわけで、フランス人に囲まれて仕事をする中で、私だって私の考えを述べて議論に参加しなくてはいけないと感じ始めるのに時間はかかりませんでした。
もちろん、始めのうちは私も「言葉のハンディ」と「文化の違い」を理由に、議論が沸き起こる度に聞き役に徹していました。
でもそんなことを続けていると、単なる「控えめな人」ではなくって、「自分の考えを述べない人」=「自分の意志のない人」=「何も考えてないバカ」=「どうでもいいと思ってる人」=「人に話を合わせるだけの日和見主義」ということになってしまうのです。
私の性格からいって、「どうでもいいと思ってる人」や「人に話を合わせるだけの日和見主義」と思われてしまうのは我慢できません。
そのため、たとえ言葉のハンディがあっても、すごい勢いでしゃべるフランス人の半分も発言できないとしても、タイミングをとらえてなんらかの形で自分の考えを表明しないといけなくなったのでした。
これって本当に難しいです。でも一言でもいいから、「私はこう思う。」という意見をのべるようにしてきて、少しずつ少しずつではありますが、私なりに一個人のleonardoという人間の在り方をフランス人たちにもわかってもらえるようになってきたと思っています。
しかし、そこからがまだまだ難しいことだらけ!
日本ではいつも親に「口ごたえばかり」、「口が悪い」、「生意気=謙虚さがたりない」と小言を言われていた私なのでが、やっぱり20歳も年上の人とか経験豊富な人たちと話しているときに、わざわざ反対意見を表明するタイミング、そしてその勢いがなかなかつかめませんでした。たとえ意見が同じではないとしても、「うんうん、そうですよね。」的なあいづちでその場を流してしまうほうがよっぽど楽です。
なんせ、その場にいるフランス人はみんなすごい勢いで意見をいいますからね。その間にわってはいったり、誰かをさえぎって、「でも私は!」みたいに切りだすのはエネルギーがいります。(笑)うまいこと自分の考えを話し出したところで、今度は周りにフランス人によってたかって言葉をさえぎられてしまうのと戦わないといけないのですから。
外国語であるフランス語を使って、一人の大人としての品格を失わず、自分と考えの違う相手、しかも自分よりもだいぶ年上の人、人生経験のある人、仕事の経験のある人にむかって、どうしたら自分の考えをうまく主張することができるのか。。。。。
これって本当に難しいです!
先ほど、フランス人はみな対等とは言いましたが、もちろんフランス人の間にだって権力のある人に嫌われないようにふるまう人はたくさんいるし、自分が上の立場にあるときに煙たい存在を排除しようとする人だってたくさんいます。
それは人間の性。
でも基本的には発言する人々です。意見を主張する人々。何も言わない人なんてめったといません。
そしてそんな中にももちろん角がたつ言い方、ものごとをまるくおさめる言い方とかいろいろあります。
さらにはいくらフランス人の間だって、言ってはいけなこと、言わないでおくべきこととかあります。
フランス人の中には上手にものを言う人、上手に意見を言う人がいるわけで、私はそんな人たちが使う表現、ボキャブラリーなんかを聞いて勉強させてもらっています。
どういう態度で、どういうタイミングで、穏やかに、でも言うべきことを言うか。
実際の現場でこちら側の態度、姿勢がどう取られるかというのは、相手の性格、人格に大きくよるというのも事実。 だから相手を見て、こちらの言い方、こちらの出かたを多少考えるべきだというのも本当。
そもそも、最終的にはお互いが反対意見を出し合ったうえで折りあいをみつけてまとめなくてはいけません。現実的にいって可能なことなのか不可能なことなのかとかって要素もありますし。
相手の意見を聞きつつ、自分の考えを表明し、時には全面的に譲ったり、あるいは中間点を見つける努力をしたりするわけです。
こういうことって、人間にとって大事な能力だと思います。それはどこの国にいたって同じだと思います。
ただ日本はいろいろな社会的前提を優先する社会だから、納得がいかないことなんかがあっても、消化不良をおこしながらも呑み込んでしまったりして本音とたてまえの間にずれが生じてくるし、上司の意見に反するような考えをあえて表明する人もあまりいないだろうし、そもそも意見が対立する場を好まなかったり良しとしない文化だから、反対意見となるのを承知で議論に参加する人もあまりいないんでしょう。
実は私はこれまでにすでにフランス人社会の中にいて、とてもデリケートで難しい状況の中に身をおいたことがあります。そして実は今もまた、とってもデリケートな立場におかれてしまいました。
いつのときも一番若いのは私。
日本社会だったら、何も言わずにいる立ち場なのでしょう。
でもここはフランス。自分の考えを言うべきです。
相手の立場、それぞれの人の立場を考慮しながら、言葉に角がたたないように気をつけながら言わないといけません。
違う文化を背景にもった私が、外国語であるフランス語で話すにしては重たいことです。
語学力にハンディがあるから、どうしても端的な表現、直接的な表現になってしまいがちなのも事実です。
でも日和見主義者にはなりたくないから、私のもつすべてのフランス語能力を使って、がんばって意見を述べます。
こういうことって生きた学習ですね。生きた経験。生きた勉強。
フランス人とは違うメンタリティーをもってる私なりに、少しずつ、少しずつ。。。
2010年5月6日木曜日
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