2015年5月22日金曜日

2002年、私は日本がとても進んでいる国だと思っていた。

今日のタイトルは、2002年9月に日本からフランスに来たときの25歳だった自分を振り返り、「まだ若くて、世の中なんてまだまだ知らないことも多かったねえ、お嬢さん。」と過去の自分に投げかけるときに認識する事実です。

私はフランスやフランス人に憧れてフランスに来たわけではなかったので、私のフランス社会に対する目線は当初からかなり冷静で、下手すればどこか冷めた目でフランス人たちを眺めていたところもありました。

私の世代は団塊世代の子供であって、バブル期に思春期を過ごした、いわゆる羽振りのいい若者世代だと思います。携帯電話、インターネットが私たちが10代のころに普及して、最先端のテクノロジーが身近にある中で20代へと成長していきました。

こちらにきてすぐに買った携帯電話は、それはそれはごっつくて「旧式か?」とつい疑ってしまいそうなシロモノで、ちなみに着信音などは単音ですごい昔の電子音。意地悪な私は「こんなの、日本じゃもうありえないよ!こんなの数年前の次元だよ!」と、フランスのテクノロジーの遅れを小ばかにして笑っていました。

一方で、フランス人の私や日本に対する態度、言動はというと、今でこそフランスでも日本ブームがわきおこった後ですから、皆さん多少なりとも日本について知識が増えてきていますが、当時はまだインターネットもそこまで普及していなかった時代。皆さんにとって日本は遠い国、まさに異国情緒漂う異国でした。そんな彼らの日本についての知識はと言えば、「ニッポン、ゲイシャ、フジヤマ。」のレベルからそう遠くなく、そこに「スシ、マンガ、カミカゼ、カロウシ。」という言葉が続き、リストは「トヨタ、ホンダ、ニッサン、カワサキ、ヤマハ、、、」と自動車、バイクメーカのリストへと続く程度でした。日本の高度テクノロジー、技術の確かさに対しては、誰もが賞賛の目を向けていました。
けれど彼らの日本に対する知識、認識は所詮はその程度でした。
フランスは映画の国だけあって、2002年ごろには「ミゾグチ、オヅ、クロサワ」と巨匠の名前が良く出てきましたが、数年経つと「キタノ、ミヤザキ」の名前も出てくるようになって、たとえ単に映画監督の名前とはいえ「ああ、ようやく『今の日本』が感知されるようになってきたんだな。」と、その時間のずれを感じたものでした。
もちろん、ごく一般の日本人のフランスに対するイメージ、認識も、似たようなものなのだろうとはわかっています。「ベレー帽にフランスパンとチーズとワイン」止まりとはいかなくても、「エッフェル塔、シャネル、ルイ・ヴィトン、、、。」と続いていきそうです。

さて、タイトルにあるように、当時の若造leonardoは、進んでいる国、遅れている国という概念を、テクノロジーの発達度、経済の発達度、便利さの充実度で計ってました。だって日本は民主主義国家だと小さい頃から学校で習ってきたわけだし、日本はサミットにも参加する国。
なので、「先進国とは言っても、フランスはまだまだ遅れてるねぇ。」と、小ばかにしていたのです。

そもそも当時の私自身が「日本人=働き者、フランス人=怠け者」という、アリとキリギリスの図式でとらえていたので、「あなたたちが遅れてるのは怠け者だから。」と言わんばかりの精神で、フランス人を眺めていました。もちろんこの図式は今も否定はしませんが、、、(笑)

一方、日本社会についての彼らの知識は、まさに「カロウシ」に象徴される、働いてばかりの民族のイメージでした。

当然、彼らは私に「なんでそんなに働いているの?」と、半ば冷やかし興味本位と働き者に対する尊敬の念が混ざった様子で尋ねてきました。

私はもちろん日本の教育費がフランスの教育費とは比べ物にならない高さということや、フランスでは社会福祉が充実していることなどはすでにちゃんと把握していたので、住居費と教育費だけでもカバーするのは簡単ではないこと、社会援助もフランスのようには充実していないことを説明して、生活にかかる費用が莫大だからその分働いて稼がなくてはいけない点を挙げました。もちろん必要なもの以外にも大量のお金を注ぐ日本人です。バカンスという時間の贅沢はないから、代わりに贅沢は「物」を通して行われ点も挙げました。そして最後には「やっぱりメンタリティーの違いもあるね。」と付け加えていました。つまり、有給休暇のシステムは存在するのに、仕事場で上司や同僚とのかねあいから有給をすべて使う人がほとんどいないという現状を説明したのです。するとフランス人はますます、「え?!なんで?!」と驚嘆しつつ、幻のサムライ・スピリッツに触れたかの様な目で、「カロウシ」の話に聞くように、なぜ死に至るまで働きつづけるのか、働き続けないといけなかったのか、の疑問がさらに膨らんだような、解決したような、要は「別世界である。」ということを認識するのでした。

しかし、ある日、とあるフランス人が、「まあ、もう少しすれば日本人も気がついて、僕らのようになるよ。まだ発展途上なんだよ。」と言ってきました。
「僕らのように」と彼が言うのは、例えば有給休暇制度であったり、17時、18時には仕事を終えて家に帰る生活であったり、国民保険制度などの社会保障制度のことです。
でも若造の私は、「はあ?日本が発展途上ですと?」と耳を疑い、強気にも即座に「そんな風に思えるなんて、あなたおめでたい人だね。」とまで言ってのけたのです。

当時40代後半だったその男性は、強気な若造たる私を「まだまだだな。」と思ったのでしょう。「いや、人間にとって何が大事か、そのうちわかるよ。」と笑いながら言っていました。

それから12、13年がたちました。
いつからのことでしょうか、いつのまにやら「日本が進んでいるのはテクノロジーだけなんじゃないか。」と思うようになっていました。「サムライ・スピリッツ」に象徴されるような日本人の尊いメンタリティーが素晴らしいと言っているだけでは足りない何かがあるように思うようになっていました。きっとその「サムライ・スピリッツ」が日本を戦後の焼け跡からの復興復活を可能にしたに違いないですが、その経済発展の驚異的スピードと西洋化の中で、何かバランスを崩して見失ってしまったものがあるのではないか。その見失った結果、私のように日本がとても進んでいる国だと思っている日本人がたくさん生まれたのではないでしょうか。日本がすべてにおいてとても進んでいる国だと思い込む錯覚が生まれたのではないでしょうか。そこまではいかなくても、先進国の間にある多少の違いは、単なる文化の違い、メンタリティーの違いだと片付けてしまう傾向になったのではないでしょうか。

このブログでも時折綴ってきましたが、私がこのことをはっきりと言えるようになったのは、東北の大震災が起きてからです。外から日本で起きていることを追ってきましたが、「あれ?」と思うことが増えていきました。今年になってからはパリのテロ事件に始まり、日本国内外のことについての日本の報道を追えば追うほど、はっきりとしていきました。
日本国内にも「あれ?」と思っている人、「なんとかしなくては!」と思っている人も少なくなさそうですが、日本国民全体としてはどうなのでしょうか。日本人、日本国はこれからどうなっていくのでしょうか。

今の日本では私の世代(かつての羽振りのいい若者世代)が働き盛りを迎え、私たちの親の世代(団塊世代)が年金生活に入っています。
少子化問題、自殺者問題、介護問題、格差問題、憲法問題、未成年犯罪問題、と、今の日本はいろいろな問題を抱えていますが、そのすべてにつながる根底の問題があるように思えます。どうやって日本人は問題を対処していくのか、どうやって日本人は問題を解決することができるのか、どうやって日本人のよい面をいかせていけるのか、、、。

今から13年後に自分がどこで何をしているのかわかりませんが、そのときの私が日本をどのように見ているのか?
これまでの13年の経験と見聞によって自分も変化してきたことを思えば、これから13年でどのように自分が変化していくのか。

フランス語の表現に 「 Ce n'est pas rien.」というのがありますが、rien というのが何にもないという意味で、英語で言えばnothingでしょうか。それを否定していますから、「何も無いということではない。」という直訳から「軽んじれない。無視できない。あなどれない。」と転じて、「重みがある。意味がある。」といった意味の表現になります。

私はこの13年でフランス社会の荒波にもまれ、今、様々なトラブル、問題から抜け出そうとしていますが、この厳しい経験、体験のすべてが、様々なことに気がつかせてくれたとも思っています。良いこと悪いことのすべてを振り返って「13年という歳月は ce n'est pas rien。いろいろなことを経験してきたけれど、本当に ce n'est pas rien。」と心底思っている私でした。

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