2015年9月22日火曜日

ここはどこでしょう?in l'Ecusson de Montpellier その3 : Faculté de Médecine 医学部

モンペリエという街を紹介するときに、必ずといっていいほど名を挙げられるのが、モンペリエ大学の医学部です。



その名も医学校通りそのままのrue de l'école de médecine にありますが、この学校の起源は12世紀にさかのぼり、現存、現役の医学校としては世界最古の医学部という、素晴らしい歴史と伝統を誇る医学部なのです。
そのため現在でも、モンペリエでは医療関係の分野の研究・開発がさかんで、多数の病院はもちろん、優秀なお医者さんや研究者を集め、研究所や医療機器メーカーの開発部などを中心に、世界中で行われている研究との密なネットワークが保たれています。

12世紀始めには特別な建物や教室もなく、街のあちこちで授業や指導が行われていましたが、1181年には当時モンペリエを治めていたギエーム8世から、医学という学問として正式に広めることを認められてからは、みるみるうちに発展していき、1289年にはローマ法王ニコラ四世により、法学部、文学部などとともにモンペリエ大学としての組織の設立が認定されました。
ちなみに医学校が現在の場所に移動してきたのは1795年のようです。

この医学校の評判がヨーロッパ中に広まったのは、1340年に解剖学の授業を正式にスタートさせたころと言えるでしょう。なぜなら、モンペリエという各種民族、文化が交わる土地柄、この学校ではアラブ世界の医学とユダヤ世界の医療の医学も受け継いだ、当時世界最先端を行く知識と技術の伝授が行われていたからです。



校内、至るところに元教授や元博士の肖像画が飾られていますが、この学校に縁のあった人物の名を挙げれば、西洋医学の歴史そのものといえるようです。

先駆者としては、アルノー・ドゥ・ヴィルヌーヴ(1238-1311)や、外科手術の父と呼ばれるギ・ドゥ・ショリアック(1298-1368)、また後の時代には、ヴェルサイユ宮殿で王様の外科医と呼ばれたフランソワ・ジゴ・ドゥ・ラペロニー(1678-1747)がいます。


ラペロニーさんは、やっぱり一際特別な存在です。
建物の入り口には彼の銅像もあります。



医療関係者にしかわからない名前だけではありません。一番の有名人は世界的に有名なあの預言者ノストラダムスでしょう。彼は医者やら薬剤師やら天文学者やら、いろいろな職業をこなしていましたが、このモンペリエの医学校でディプロムをとったのかという部分は、現在のところ資料の確認がとれていません。1529年に医学部に登録したということは確かなようですが、後から名前が消されただの、教授陣から激しい非難を受けただのという形跡があり、きっとこの異端児は除籍処分でもうけたのではないかという推測がされています。
知名度ではノストラダムスには劣るものの、歴史にしっかりと名を残している一人が、フランソワ・ラブレーです。彼の場合は、1537年にしっかりと医学博士号をとってモンペリエの医学校を卒業したとの記録が残っています。

こちらの部屋はSalle des Actes と呼ばれ、現在でも医学博士論文提出者が審査員の前で論文発表をする時に使われています。



数々の名だたる先輩に続けと、今日も多くの若者がこの医学部入学を目指しています。
日本のように全国一斉に大学の入試試験があるシステムとは違い、フランスではおおまかな書類選考(高校での授業成績とバカロレア試験の結果)を踏まえるのみで、医学部に入りたい子は皆そろってまずは医学部一年生へと登録します。そして本来の入試に近いような試験が、一年生の終わりに課され、そこで大規模な振るい落としが行われるのです。

私は日ごろから、ピアノを熱心に続ける子には勉強熱心な子が多いと思っているのですが、それを示すように、代々私の教え子たちも医学部を目指してがんばることが多いのです。一年生最後のふるい落としの試験は二回までチャレンジする子が多く、今年も私の元教え子で二回目チャレンジする子が一人、そして一回目チャレンジで一発通過を狙う子がいます。この子は中学生のころから「脳外科医になりたい!」と宣言していた子。さてどうなりますか。遠くから応援するしかない私ですが、「時折ピアノに向かって楽しむ時間をとったら、きっと気持ちのいい気分転換になるよ。」とだけアドバイスをしてあります。それを実行する子が多いことは、こっちもうれしいばかりです。

話を聞いていると、医学部を狙うその理由は本当に人それぞれ。
私はモンペリエに住んでいるうちに、かなりの数のお医者さんと出会いました。私が患者として出会うのはもちろんですが、プライベートで出会ったお医者さんの数も結構な数に上ります。幸い、彼らはとても優秀だったり、とても熱心なお医者さんばかりだったので、彼らの生活スタイルはみな共通。とにかく普段ハードに朝から晩まで仕事をしまくり、逆にバカンスがとれるときは、完全に仕事を断ち切ってのとことんバカンスでリフレッシュをしています。きっと優秀な人というのは、こういう切り替えの上手な人たちなんだろうとつくづく思います。

さて、先ほどこの医学校の名声を上げたのは解剖学の授業だったと紹介しましたが、これまた世界的に有名なとあるものがこの学校にはあります。
次はこのお話を続けたいと思います。どうぞお楽しみに。

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