2008年4月29日火曜日

字幕

ついに今日、オペラjrの「L'Indien des neiges 」の公演初日となりました。今日は特別に子供たちを対象にした14時半の公演なので、オペラ座の中も学校のクラスで来てる子供たちでいっぱい。日本の遠足や社会見学、音楽鑑賞と一緒で、フランスの子供たちもおおはしゃぎ。



さて、私の練習ピアニストとしての仕事ももう終わったわけで、この日何をしていたかというと、実はオペラの字幕操作を担当しました。この仕事はオペラjrとしてではなくて、オペラ座のスタッフとしてです。
どこの国でも、オペラ公演は母国語でするのが基本ですから、最近は字幕を表示して観客が内容を理解しやすいようにしているホールが多いと思います。さらに外国語のオペラに限らず、自国語のオペラにも字幕をつけることも増えてきています。
私もこうして字幕が存在することは知っていたんですが、実は最近までどうやって字幕が表示されているのか知らなかったんです。字幕と言えば、映画をまっさきに思い浮かべるために、なんとなく、今の時代コンピューターで勝手にしてると思いこんでました。それが去年の11月に、モンペリエのオペラ座からロッシーニのオペラ「チェネレントラ」の字幕操作のお仕事の話を頂いて、その時に初めてわかったんです。実はあれ、きちんと担当の人がいて、手で操作してるんです!

まあ、手で手動で、とは言いましたが、もちろんパソコン上のパワーポイントの中にインプットされています。でも字幕の準備の第一作業として、まずは歌詞の原語と訳のバランスを考慮しつつ、音楽上、適切な場所にカット割りといいますか、割りふらなくてはいけません。さらに観客がそれなりに読んでついていけるスピードになるようにも配慮しなくてはいけません。モンペリエのオペラ座では、芸術舞台部門のえらいさんであるJean-Marc(ジャン・マルク)が、直々にこの作業を担当しています。彼は、まず翻訳作業を彼自身が行ったり監修を行ったりして字幕の下準備をします。そして、すべての歌詞がそれぞれふさわしい場所で映し出されるように割りふりを行います。次に、実際に映し出されるときのバランスなども考えて、行構成などを行ってパワーポイントの中にインプットします。こうして字幕の準備はできあがり。
さてここから、オペラ公演での生の音楽にあわせて、的確なタイミングで字幕が表示されるように、パワーポイントを操作する人がやってくるわけです。私の任務はこれでした。簡単に言えば「パワーポイント操作」。しかも、ただマウスをクリックするだけ。正直言って、この話を聞いたときは「なんだ簡単そうじゃん」と思いました。でもやっぱり何事もやってみて初めてわかるもの。
私の初仕事がロッシーニのチェネレントラだったことから、早口ことばのようなレチタティーヴォが満載だということがカギでした。実際に経験して言えることは、「要は集中力」ですね。


では写真と一緒に「チェネレントラ」の時の仕事の様子を報告します。


字幕操作は、客席の中央にある音声ミキサー室で行います。




この小さな小部屋には、もちろん音声さんの機材がそろってます。このときは、ガラスが割れる音とかいった音響効果もあったので、音声担当のクリストフもこの小部屋でスタンバイしてました。



でもここ、実は舞台のまっ正面、特等席でもあるんです。
私がポジションについて前を見れはこの通り。パソコンの向こうのガラス窓から見渡せば舞台が一望できるんです。




そして実際の作業はというと、薄暗い光の中で、楽譜とにらみっこ状態。


楽譜はもちろんピアノ伴奏用。それでもオペラ一本全部となるとすごいページ数ですよね。



ロッシーニの「チェネレントラ」とは、魔法使いこそ登場しないけれど、話の筋はほとんど童話のシンデレラと同じです。メゾ・ソプラノが主役チェネレントラで、彼女の義理の父であるドン・マニフィコの屋敷と、そろそろ花嫁を見つけなくてはいけない王子様の宮殿を舞台にオペラは展開します。登場人物としてはドン・マニフィコと意地悪で見栄っ張りな二人の娘、王子様と彼の指南役である哲学者、そして王子様の家来、合わせて6人が現れます。早口で超絶技巧もりだくさんのパッセージや、二重唱から六重唱までロッシーニ色まんさいの人気オペラでもあります。歌手では、チェチリア・バルトリなんかが得意レパートリーとして人気を博してますね。

この字幕操作、とにかく正しくできてるかは目でスクリーンを見て確認すればいいわけですが、音楽のテンポが速いと楽譜から目を離して確認してる時間なんてない!ロッシーニはだてにロッシーニって名前だけが有名なのではなくて、やっぱりさすがはロッシーニなんです。このチェネレントラも喜劇でオペラ・ブッファというジャンルになりますが、とにかく陽気。そして早口言葉のような速さ。ロッシーニはウケねらいで書いてたんでしょうか。それとも歌手の超絶技巧を追及していたんでしょうか。六重唱の早い部分なんて、ピアノ版の楽譜ですら、1ページにわずか2小節しか入らない。そしてその楽譜をめくる速さの早いこと。一秒ごとにめくっていたような気がする。



写真の楽譜に鉛筆書きの線が入ってるのは、これがクリックすべき印。ところどころスクリーンには何も表示されないブラック部分もあります。

私は日本人ですから、「音楽を聞きつつ、イタリア語の歌詞にも耳を傾けて、さらにそれがフランス語の字幕で映し出されるのを確認して、、、、」という作業は、正直言って頭が猛烈に疲れました。文字通り、脳みそフル回転だったのでしょう。それにこのオペラをよく知らなかったので、仕事の初日にいきなりオペラ全幕に体当たりといった感じでした。このチェネレントラでは、公演が4回がありましたが、私はゲネプロとその前の通しリハから参加して、一応、二回の練習機会をもらって本番に挑みました。初日はとにかく歌手の歌詞にを聞きとるために、全身を耳にして集中したんですが、歌手も毎回微妙に歌い回しが変わったりするものですから、そのたびに「あれ?」とか振り回されてしまったんです。さらに言ってしまえば歌手も人間。歌詞を間違えたりすることもあります。でもその度に歌詞が違うからって「あれ?」と動揺していたらだめなんです。というか一瞬たりとも何かに振り回されてしまうとそこでアウト!ほんとすごいスピードですぐに見失ってしまうパッセージが山ほどだったんです。そのため、オーケストラにしっかりついていくのがポイントだと学びました。3回、4回とこなすと、さすがに長いオペラでも、ちょっぴり息抜きできる部分や、ミスする心配のない部分などがわかってくるので、何もオペラの序曲から最後まで神経はりつめてなくてもいいんだということがわかり、多少楽になりました。さらにちょっぴり余裕がでてくると、合間にとなりにいる音声のクリストフとおしゃべりしたりして、タイミングが悪いと「ちょっと!どこかわかんなくなったじゃんか!」と人のせいにして一瞬あせったりしてました。(笑)

オペラの字幕担当という仕事、普段はたいていどこのオペラ座でも、オペラ座の練習ピアニストがする仕事ということになっています。というのも、ピアニストはずっと練習に参加してきてて曲を知っていますし、オペラ公演当日は仕事が終わって空いてますからね。まさに今回の「L'Indien des neiges」での私。このオペラは私も練習に参加して、楽譜をくまなく知っていたからこそ、字幕操作を担当できたものの、もし知らなくて最後の通しリハでいきなりぶっつけで操作しろと言われたら、難しくていくつかミスをしたことだろうと思います。練習ピアニストのスケジュールの都合で誰か他の人が必要になると、私がチェネレントラでやったように外部の人に声がかかるわけです。人選基準は楽譜読解力をカギとした即戦力とのことなので、やっぱりその点強いのはピアニストでしょう。日本でもそうなんでしょうかね。日本のオペラ界を全く知らないままここにいるので、日仏比較ができません。。。

この仕事を初体験して、意外と学んだおもしろさが、オペラの数回ある公演のそれぞれの違いの発見でした。さすがにオーケストラは日によってできが違うということもそうありませんが、まず歌手のみなさんはその違いが明白。疲れや体調、エネルギーの違いが声にも歌にも演技にも出ます。そしておもしろかったのは観客の違い。おもしろいところでのウケ方、歌手への拍手など反応の仕方、それぞれ日によって違うんです。前にも言ったように、日本でオペラを見たこともなかった私が、こうして一本のオペラを6回続けてみるなんて、思ってもいなかった経験で、いろいろ発見できました。なにより6回通して聴けば、「このオペラを知っている」と多少言えるようになるもんです。

それに今回の公演は演出が現代バージョンとでもいうような、おもしろい設定で掃除機や冷蔵庫、オートバイまで出てきて、一口に同じオペラとは言っても演出によってずいぶんと印象も変わるんだろうなと思いました。ですから、本当の意味で「このオペラを知っている」と言うには、同じオペラをいくつも違った演出で見た、とかでないとまだまだ甘いかな?


この「チェネレントラ」には王子様の従者役で、韓国人歌手のPaul Kong が出演してました。お互い舞台裏ですれ違ってあいさつしてるうちに、アジア人同士の親近感からか、ちょっとカフェに一杯飲みに行くことになりました。話していると私達は年齢もほぼ同じで、彼の方が少し前からフランスで生活しているとのこと。マルセイユのオペラ研修所で学んでから、各地のオペラに出演してがんばっているそうです。しかもなんと4年前にはオペラjrのオペラにも出演したというではないですか。意外なつながりで話もはずみましたが、なんといってもお互いアジア人の仲間意識でうれしかったのでしょう。彼が言うにも、フランスのオペラ界でアジア人と遭遇することは本当に滅多とないとのこと。特にオペラ歌手の場合は、役と関係した容姿も少なからず関係するので、仕事を得るのは本当に簡単じゃないと言ってました。それでも「チェネレントラ」でのKongさんは、そのバリトンの声も、超絶的な技巧も、さらには演劇的要素も、どれをみてもはまり役といった感じで、観客の声援もひときわ大きかったし、アーティストの出口でわざわざKongさんを待っていた人もいたぐらい、存在感大でがんばっていまいした。各地で歌っているといるけど、モンペリエが気に入って家族でモンペリエに住んでいると言っていたから、またいつかすれ違う機会もあることでしょう。

こうしていろいろな出会いも運んできてくれる新しい仕事体験。これからも大歓迎です!

2008年4月27日日曜日

オペラの舞台の裏側

みなさん、オペラを見に行ったことはありますか?

正直に言うと、私は小さい頃からずーっとピアノをしていて、高校も大学もクラシック音楽畑にどっぷりつかり、最後には音楽学という研究の分野にも踏み込んだにもかかわらず、実は長い間オペラが好きではありませんでした。多分、興味も持っていなかったというのが正しいか。理由は、私の性格上、わざとらしいこととか、おおげさなこととか、これ見よがしなこととか、そういった一連のことが好きじゃないんですが、オペラってまさにそれ(笑)、って思っていたんです。みなさんの中にはオペラ大好きな人や、私なんかよりもオペラに詳しい人もいるだろうから、「何を言ってるんだ」と思われるでしょうが、オペラは好きではなかったのが事実なんです。。。もちろんオペラの「音楽」は多少知っていました。有名なアリアだとか、有名な序曲だとか、耳では聴いて知っていたし、声楽科の友人たちの伴奏とかで勉強もしましたが、いつも部分部分だけだったのです。オペラを全幕見た、聞いたというのは、我らが大学の院生によるオペラだけなんです。しかもなぜか、私が在籍していた時はモーツァルト続きでしたね。この院オペラも楽しく見せてもらっていましたが、それ以上の興味はなく、自発的に本物のオペラを身に行くということは、日本にいたときに一度もなかったのです。

それが人生は不思議なもので、モンペリエに来てから本物のオペラの世界にどっぷり入り込んでしまったんです。「・・・しまった。」なんて言うと、嫌々こうなったと聞こえるかもしれませんが、そういうわけではなく、知らず知らずのうちに、何かの縁でこうなったんです。そして今では、「オペラなんて興味ない」という考えはがらっと変わり、オペラファンの人のように「オペラが大好き」というのとはまた違うんですが、オペラの舞台裏で働くようになったおかげで、オペラがもつ「いろいろな職業の人がチームワークでなしとげる大きな舞台芸術」という世界が大好きになりました。

この道のりは、まずオペラjrという団体のピアノ伴奏者になったことから始まりました。この団体についてはまた後日書かせてもらいたいと思いますが、彼らが子役や子供合唱などでオペラに参加するたびに、私も少しずつオペラの舞台の裏側に関わるようになったわけです。当初、自分自身は彼らのピアノ伴奏者でしかなかったわけですから、音楽的に関わるだけで、しかも実際のところは彼らが歌う部分だけ。それでも実際にオペラの指揮者がやってきて一緒に練習したり、オペラ座の合唱団との練習とか、本番前のオーケストラとの練習とかに立ちあうだけでも、オペラの音楽の裏舞台にじかに接することができたわけです。一本のオペラを準備するに当たって、どんな人たちが関わってるのかよくわかるようになりました。例えば、合唱には、Chef des choeur という合唱指導の人と練習ピアニストが欠かせませんし、オペラ歌手、ソロの人たちにとったら、chef de chant というピアニストが何よりも大切。日本ではドイツ語で「コレぺティ」と呼んでいるような気がしますが、このピアニストたちは本当にすごい。歌手よりもオペラをよく知り、歌手を指導するんですから。音楽的にだけでなく、言葉の発音、発声(しかも数ヶ国語です!)にも注意を配る、すごい職業です。
私も時々、chef de chantとしての仕事をすることもありますが、フランス人にとっての自国語が私にとっては外国語なので、道は厳しい。。。イタリア語、ドイツ語もあやつれたらいいな~なんて思いますが、まずは今いるフランスの言葉を、フランス人歌手に指導するなんてレベルを夢見る前に、普通にきちんと、外国人だからというごまかしをなくマスターしたいものですね。。。

オペラ音楽に関して、フランスで豊かだな~と思ったのはやっぱりそのレパートリーの幅の広さです。小さなオペラ座であるモンペリエでさえ、モーツァルト、ロッシーニ、プッチーニ、ワーグナーといった王道オペラだけではなく、バロックオペラから現代オペラまで幅広く公演しています。バロックオペラでは、オーケストラもバロック楽器によるバロックオーケストラが演奏します。私としてはコダーイの「ハリー・ヤーノス」を見たときに、その新鮮さに驚きました。他にも、これはオラトリオとしてジャンル分けされてますが、オネゲルの「火刑台のジャンヌ・ダルク」は演出も含め、とてもよかったです。

音楽以外についてはというと、もう発見の連続です。オペラの演出家の仕事ぶりを見るのもとても興味深いし、舞台照明というものがいかに大きな効果をもたらすのかということも初めて知りました。でもオペラの裏側発見の一番のできごとと言えば、オペラのトップを務める指揮者と演出家に加え、Régisseur généralという職業の人がいることを知りました。日本語では舞台監督と呼ぶのか、舞台マネージャーと呼ぶのかよくわからないんですが、このRégisseur général というのは、オペラの進行をとりしきるために、すべてのことを把握し指示を出す、とても大切な役目なんです。つまり、指揮者、歌手、オーケストラ以外にも、大道具、小道具、衣装、メイク、照明、音声、などといったいろいろな人がオペラのために働いています。これらすべてを把握して、オペラの進行がスムーズに行われるために、舞台裏の作業についても時間を調整し指示を出しますが、舞台で実際に進行中のこともとりしきるのです。つまり歌手の登場、退出、舞台セットの変換などのキュー出しに加え、照明のすべての変換のキュー出し、音声効果のキュー出しなどなど、すみからすみまでを取り仕切っているのです。 このため、このRégisseur généralは、オペラ制作の一番最初である会議、歌手のオーディション、などなど、オペラができあがるまでのすべての工程に参加して、その一本のオペラについて知らないことはないという文字通りの状態ですべてを知り尽くしています。
大きな舞台や手の込んだ内容のときは、Réggiseur général の下にアシスタントのような形で Régisseur de scène、 つまり舞台上で実際に行われることだけを管理するRéggiseur が配置されます。

Régisseur という言葉、職業は、オペラだけでなく、演劇やテレビ業界、また映画の分野にも存在する大事なポストですが、フランスでも、演劇の世界のシステムと、オペラの世界のシステムは違うということを聞きました。演劇の分野では、Regisseur generalがすべてを指揮するのではなく、音声、照明の人たちも自立的にそれぞれ任務を行うそうです。私はこうしてフランスで初めてこの世界を知ったので、日本のオペラの裏側がどんな様子なのか知りません。基本的に、ヨーロッパにはこうしてオペラ座、オペラハウスがあって、そこにはオペラのための組織が常時存在するのに比べ、日本にはそういった組織が常時存在して、常時オペラ公演を行っているということではないから、きっと舞台の裏のシステムも違うんだろうな、と思います。どうなんでしょうか。ご存知の方、どうぞ教えてください。

とまあ、オペラJrと行動を共にして2、3年の間に一通りのことを目にしてきたつもりでいたんですが、昨年から、オペラjrとは関係なく、しかもピアノ伴奏者としてではなくて、モンペリエのオペラ座から他の任務を頼まれることがちょこちょことあるようになってきたんです。そしてつい最近は、先述のRégisseur de scène の仕事をこの私自身経験する機会を得たんです。そのときのことはまた近々報告したいと思いますが、もうこうなるとまさに身をもって学ぶ「体験」です。発見の連続。
よく思うことですが、「知らないこと」って、その物事の存在すら知らない時って、自分がそのことを知らないこと自体、知らないんですよね。今こうして、新しい物事に触れて接して吸収させてもらってるからこそ、自分がいかにたくさんのことを知らずにいたのかがよくわかります。

フランス語では舞台裏のこと、舞台袖のことを「Coulisse」(クリス)というのですが、パリに住む友人で音楽学者のLaurenceロランスは、このクリスの魅力にとりつかれて、オペラに関わる職業についての本を2005年に出版しました。





もちろん全てフランス語ですが、写真やイラストも満載で、フランス人のオペラファンの人にはとても好評でした。興味のある方はどうぞ!

ロランスのこの本を読んだ時には、自分がこの世界に足を踏み入れるかもなんて思ってもいなかったことですが、彼女が書いたことを、現場で目のあたりにして、実体験として学んでいる真っ最中です。新しい体験をする度に、自分の思い出のためにも人にみせるためにも写真をとりたくて、でも真剣な仕事の場で一人カメラでカシャカシャと撮ってたらひんしゅくかうよな~、、、といつも迷うんですが、でもやっぱりこれは「Reportage! 」(ルポルタージュ)ということで思い切って、できる限り写真を撮らせてもらってます。ですからこのブログの場を、私のルポルタージュの発表の場にしていけたらいいなと思っています。

2008年4月26日土曜日

うれしい間違い。

昨日、高校時代からの友人Eちゃんからメールが届きました。彼女はパソコンでインターネットはしていなくて、携帯電話からのメールでした。久しぶりのことでうれしくて、「お、何かな何かな?」とメールを開いてみると、「誕生日おめでと~!」メールでした。彼女も忙しいし、実際のところ毎年誕生日を祝い合ってきていたわけではないので、「わ~覚えていてくれたんだ」とめちゃくちゃうれしかったんですが、でも実はその日じゃないんです、私の誕生日!(笑)うれしいと同時に笑わせてもらいました。25日は25日だけどちょっぴりフライング。高校時代なんて今となってはもう15年前のこと。。。それでも日にちを覚えてくれてたんですね。

実は私にとって、誕生日を間違えて祝ってもらったことがこれで2回目でした。フランスにきてできた一番目の友人レイラも、2004年のある日、「うちに食べにおいでよ」と半ば強制的に招待してくれたことがありました。ごはんを食べて、さらに手作りケーキまで出してくれて、私が「わ~すごい、今日は何?特別な日?」とか真剣に言うと、「もうわかってるんでしょ」という感じで、プレゼントまで取り出してくれて「お誕生日おめでと~!」と言ってくれるではありませんか。ちょっと反応が鈍く「??」と思ったあとで、失礼ながら私は大笑い!「違うよ~、今日じゃないよ~私の誕生日!」、「え===!!??」とレイラ。彼女も一か月間違えたのでした。でも間違えたからこそのサプライズでうれしさも倍。微笑ましくうれしい思い出です。
だからEちゃんもうれしいサプライズをありがとねー。

2008年4月25日金曜日

L'Indien des neiges 3

ピアノとの練習も終えて、ついに水曜日にはチェリスト達がやってきました。彼らは 「L'Octuor de violoncelles de Beauvais」 という、とてもオリジナルなチェロの8重奏団です。そしてなんとこの日、作曲者である Jacques Rebotier 氏も様子をみにやってきたのです。練習もいよいよ大詰めの雰囲気。チェリストたちも舞台上にしっかりおさまって稽古です。




作曲者 Rebotier氏は私の予想外にも、背の高くないムッシューでした。CDのジャケットにのってた顔写真だけみたことがあって、勝手に大きな人を想像してたんです。。。一応練習ピアニストだったもので、紹介してもらうと、「素晴らしい仕事をしてもらってありがとう」と言ってもらいました。そういえば、私も作曲者の前で作曲家自身の作品を演奏した経験といえば、我らがボス、ウラジミールのオペラだけで、それ以外では、作曲者の作品に取り組んだことがあって、さらにお会いする機会を得たのは、フランス人作曲家のMichel Damaseに続いてこのRebotier 氏が二人目。改めて考えるとそうそう機会もないものですね。
このRebotier氏、何がすごいかというと、彼は何が本職なのかと思うほど、いろんなことを第一線でこなしているすごい人。作曲家かと思えば、作家としても詩人としても、さらには演出家としても活躍。こんな話を聞けば、音楽はちょこっと横手間で書いた軽い音楽家と思うのが大間違い!彼の音楽はほんものの現代クラシック音楽といっていいのか定義に自信がないので少し戸惑いますが、精密に、厳密に、練って書かれた楽譜なのです。それにチェロ8本のためというだけあって、チェロに関する知識も半端じゃこんな楽譜書けませんよね。チェロの演奏法、演奏技術、チェロという楽器がだせる音を網羅した音楽になってます。
チェロの弦の間に定規みたいな、バチのようなものをはさみ入れて、それを「びよ~ん!」と振動させつつ、さらに弓で弾く、とか、いろんな技が満載です。こちらがその楽譜。



私はこうしてピアノに向かってたわけですが、ページをめくればわかります。


そう、練習ピアニストとしてなにが大変だったかというと、実はピアノ用に編曲された楽譜がなかったんです(涙。。。)歌とチェロのための楽譜しか存在しなくて、この仕事に取り掛かる前にボスであるウラジミールに言われたのは、「自分でアレンジできるか?」でした。「うん、まあやれることはやってみるけども、、、」と言いながら、結局文字通り、「やれることをやってみてます」という状態でピアノジェネラルまで終えました。拾える音を拾って弾きつつ、ピアノたたいたり、変な不協和音してみたり、、、。



みんな私の仕事に「よくやった!」と言ってくれたけど、やっぱり音質的にも、実際の聞こえる音の面でも、8人のチェリストがそろったらそれはすっかり別のもの。チェロ特有のやわらかな深みのある音に包まれて練習を開始すると、「ああ、作曲者はこれを得たくて書いたのだな」と納得。
この楽譜はリズムの面でもいろいろと複雑で、かつ、歌詞というか、台本、テキストのフランス語のもつリズムを尊重しているので、聞いてみるとすんなりと入る。ほんとよく書けてます。



さて、話をこのチェロのグループに移します。作曲者は彼らのためにこの楽譜を書いたそうですから、リーダーのJacques Bernaertさんなり、もともと親交もあったのでしょう。リーダーを筆頭に、8人のうち5人は、7年前の初演でも演奏した人たち。メンバーの半分が演奏経験済みなら大丈夫だろうと思いたいところですが、やはり難しい楽譜なだけにそうも簡単にはいかない。。。楽譜が精密にできてるだけに「正確さ」必須の音楽。8人での練習はもちろんしてきているだろうけど、彼らにとって、今回の指揮者であるウラジミールとは初対面。彼の指揮さばき、音楽の表現の仕方などを早く理解してなれないといけないし。まあ、何はともあれプロだし、なんとかなるでしょう。。。

彼らはこの編成もオリジナルだけど、彼らのチェロもオリジナルなんです。下の写真でみえますか?普通のチェロではなく、特別にデザインされたおそろいのチェロで演奏するんです。



まだまだ改良すべきこともありますが、とにかく作曲家であるRebotier氏が私たちの仕事、準備に大満足されたからよかった!彼は水曜、木曜と二日間、練習を見に来て、私たちにとったら、彼が出すちょっとした意見やアドバイスから、作曲者自身の描いたものとか意図とかがわかったし、彼は彼でうれしそうに 「Merci beaucoup! Bravo!」 といって帰られました。

2008年4月24日木曜日

L'Indien des neiges 2

オペラ L'indien des neiges の練習の様子をひき続き報告します。
先日の火曜日に、ピアノとの練習の最後になるGeneral Piano ジェネラル・ピアノが行われました。通しリハーサルです。この日、初めて子供たちもテノール歌手も、本番同様の衣装と化粧をして舞台にあがりました。



リハを開始する前に子供たちの様子を見に、彼らの控室に行くと、みんなもうすっかりペンギン!



衣装はタキシードとペンギンをうまく混ぜ合わせた感じ。水泳用の水中メガネに手をほどこして、そこにペンギンのくちばしをつけて、 ペンギンの出来上がり。


控室で出番待ちをしてる子供たちは、この恰好のまま輪になってゲームをしてました。



ペンギンのクラスって感じでかなりウケました。(笑)

このペンギン衣裳、聞いてみると相当暑いそうです。ぬいぐるみとかの中詰めと同じような素材ですっかり密閉されてしまうそう。舞台で照明に照らされてただでさえ暑いのに、歌って動いてさらにこの衣裳。ちょっと手直しが必要なようです。

窓から外にいる人としゃべってる子供たち、ペンギンの後ろ姿もかなりウケます。


彼女はリディア。ちょっぴりソロの役もあって、張り切ってます。衣装もペンギンというよりタキシード調です。「こんな恰好いやだ~!」とか言いながらもカメラポーズはばっちりじゃん!


2008年4月21日月曜日

フランス人の日本認識

フランスではここ数年、「日本ブーム」のようなものがあります。お寿司をはじめとし、日本レストランはどこの街でもおおはやり。マンガも今の若者の間では避けてはとおれないほどの大人気。ニンテンドーなどのゲームもファンは多し。日本車や日本のパソコン、テレビなどへの信頼度は高いし、フランス人も「**は日本生まれ、**は日本製」といったことはよくわかっています。


でも、私がフランスに来て理解したことの中で、日本とフランスについて「へえ~、そんなものか、、、」と思ったこととして、「フランス人が日本を知らない」という実態があげられます。このことをフランス人に言うと、「日本人だって、フランス人と言えばバゲットにベレー帽にワインと思ってるんだろう?」と言い返してきますが、そこで私の反論は、「でもそれ間違いじゃないじゃん!」つまり、なにも「フランス人みんながベレー帽をかぶって、バゲットパンを持って街を歩き、ワインを飲んでる」わけじゃないけれど、事実、食事時にはみんなバゲットパンを小脇にはさんで歩いてるし、ベレー帽かぶった年配の人たちは多いし、ワインはみんな大好き!それに対して、日本について彼らはいまだに「芸者、腹切り、サムライ、相撲」といった知識しかもっていない。つまり、現代の超ハイテク日本と、サムライの時代の日本とがどう関係してるのかわかっていない感じなのです。


まあ、意地悪なつっこみはさておき、フランスという国は、自国語を愛し、自国語を守る政策を実際にとっている国です。日本のように外来語大好きで、アルファベット表記をしたりカタカナにおきかえて使いまくるという国に住んでいると想像しにくいことですが、外来語の使用について規制があるのです。まあさすがに最近は日本と同様、「外国語をつかうとちょっとカッコいい~」という考えが若者の間では主流になっています。もちろん年配の人たちの間では自国語を愛する精神も強く、変な外来語の浸透を嘆くこともよくあることです。そしてフランス政府もフランス語を守る方針は緩めていないので、広告のキャッチコピーに外国語を使ったら、その広告のはしっこにはフランス語訳を表示するとか、まあ規制は規制として徹底しています。


そんな中、フランス人の間で日本語がそのまま使われている単語がいくつかあります。代表例をあげてみると、HARAKIRI (腹切り)。日本語を知らない外国人の口からまず出る日本語がこれだと、こっちは相当へこみます。。。KAROUSHI (過労死)も、バカンス天国のフランス人からは想像もできないことばなので、日本語をそのまま使うというのはわかりますが、悲しい。。。さらに特にニュースでよくきく日本語単語として KAMIKAZE (神風) がありますが、日本人であれば戦争時の神風特攻隊のことを指しているとわかるものですが、フランス人は「自爆テロ」という意味で使っているのです。だから中東で絶えない自爆テロがあるたびに、ニュースからは「KAMIKAZE がまたおきて、、、、」、「さらに新しいKAMIKAZEがどこそこで、、、」と聞こえてくるのです。ちなみにフランス人は「カミカゼ」とは発音せず「カミカズ」と発音しています。
結局、日本語の単語とはいっても、こんな風にちょっと意味が変化したまま使われている言葉が多いですね。
空手とか柔道といったスポーツがそのまま呼ばれているのは正しいですが、相撲に関しては、SUMOU がスポーツの名前としてではなくて、お相撲さんのことを呼ぶのに使っていますね。そういえば、テレビコマーシャルなどで、お相撲さんをネタに使ったCMいくつかあって、日本人としては笑えませんね。 シラク前大統領が日本好きだということはフランス人の間でも知られていて、彼の愛犬は「SUMOU」だそうです。

日本の着物が美しいということは世界中で認められていると思うし、フランス人も大好きですが、着物姿の女性のことを「GEISYA」と呼んでいるという事実を理解するのには私も時間がかかりました。。。もともと、「GEISYA」という言葉は西洋で使われる、間違った認識から出る日本語であることは私もわかっていたので、当初はただ単に「芸者、芸者、、ってまだ言ってるの?」くらいにしか思ってませんでしたが、着物姿が芸者って、これもちょっと間違いを訂正せずにはいられません。でも問題は少しやっかいで、というのも、彼らも「KIMONO」という単語はすでに使ってるんですよね。さて何にを指しているかというと、柔道着、空手着などをKIMONOと呼んでるんです。だから、まずKIMONOがなんなのかということから説明しないといけない始末。。。


一方、完全にフランス語として定着し、ここ数年好んで使われる言葉に「ZEN」という言葉があります。「禅」からきているのにかわりはありませんが、禅宗や坐禅を指しているのではなく、「落ち着いた様子」を表すのに使われます。フランスでもここ数年、社会が変化してきて、ストレスが多くなったり、イライラしてる人が増えたことから、心の健康、心の落着き、穏やかさを求めるようになったのか、ZENであることを良しとするようになった感じで、何かとZENを求めています。インテリアとかでもZENなスタイルとか、まあつっこんでみれば、日本風なスタイルをZENと呼んでるだけだったりもするので、要は、伝統的な和風のもの=ZENなイメージと思ってるんでしょうね。
例えば、インテリア系の店の広告にはこんな写真で、和風っぽいものがならんでました。



私の家では私が小さい頃から、父のチョイスだったのか、和紙でできたぼんぼりのようなランプがありましたが、あれは日本で流行ったものだったんでしょうか?私はあまり流行ったものという認識はなくて、家にあったな~というものなんですが、実はフランスでははやっています。


そういえば、和紙のことを「Papier de riz」、つまり 「お米の紙」と訳しているとは知りませんでした。

まあ、ZENブームはここ5年、6年、おさまる様子はないですね。

個人的に、私は日本にいるときからなにかと「leonardoちゃんは落ち着いてるよね~!」とか、「leonardoちゃん、ちょっと落ち着きすぎじゃない?」とまで言われてきました。そんな私のキャラは今も変わらず、というか、フランス人の中にいればさらにその傾向は強まり、フランス人から見た私は「スーパーZEN」だそうです。(笑)

2008年4月20日日曜日

L'Indien des neiges 雪のインディアン

現在、オペラJrで準備中のオペラは、Jacques Rebotier (ジャック・ルボチエ) 作曲で Joel Jouanneau による台本の 「 L'Indien des neiges」 (雪のインディアン)という作品です。7年前にリヨンオペラの委託によって制作、リヨンのオペラ座子供合唱団によって初演されました。音楽は8本のチェロのために書かれており、大変独特で興味深い音楽です。
物語は、名声とお金の欲におぼれたオペラテノール歌手の登場で始まります。ある日、大舞台を控えた彼が、突如あらわれた不思議なペンギンとのやりとりを後に、気を失います。そして彼が意識を取り戻した時、そこはこのペンギンたちの国「アモーク」だったのです。偉大なアルナックを中心に、この国の住民であるペンギンたちは、欲にまみれたこの歌手の精神を改良すべく、治療をほどこす、、、、といった具合にストーリーは展開します。
リヨンでの初演同様、台本を書いたジョエル自身が演出を務め、テノール歌手役も初演で歌ったEric エリックが出演し、衣装なども初演と同じものを使う、つまり再演をオペラjrの子供たちとモンペリエオペラ座のスタッフで行うというわけです。
指揮は、オペラJrのディレクターであるわれらがボス V氏が行いますが、チェロのオーケストラは、作曲者が彼らのためにこの作品を書いたといい、七年前の初演でも演奏した八重奏団がやってきます。私の仕事はというと、このチェリスト達がやってくる本番間近までの、練習ピアニストというわけです。

このオペラは、モンペリエオペラのシーズンの中の一作なので、町のいたるところでポスターが見られます。

なんと言っても驚くのはこの楽譜の難しさ。現代音楽というと難解なものとはよく言いますが、この音楽はただ難解というのではなく、とても精密によく書けているんです。言葉遊びのような部分が多い台本をもとに、リズムの面でもハーモニーの面でもとても厳密で、楽譜を読めるとは限らないオペラJrの子供たちに求められたものは中途半端なものではありませんでした。最初はちょっと苦手意識のようなものもあって、なかなか波にのらないこともあったけれど、よくここまでがんばってきたと思います。なんせ、年間に様々な計画、舞台があるのがオペラJrなので、このオペラの準備だけをしてきたのとは違うのですから。

さて、次の写真が舞台ですが、ペンギンのような動物の国ということで、北極がイメージされたのでしょう。しっかりと寒い場所という雰囲気がでてますね。

この舞台、一段高くなってるところに、透明の楽譜たてが八本並んでるのが見えるでしょうか?これが実はチェリスト達のための楽譜たてで、彼らはこうして舞台上、舞台セットの一部分として演奏することになります。

初演が行われたリヨンの劇場がモンペリエの今回の舞台よりもだいぶ小さかったことや、モンペリエの舞台の構造上の問題のため、指揮者は舞台下から、つまり舞台上で歌う子供たちからもチェリストたちからもかなり遠く離れた場所で指揮をふることになってしまいました。でもまあそれも練習でなんとかなるでしょう。

この六日日間、月曜日からぶっ通しで舞台稽古をしてきました。今日と明日は貴重なお休み。火曜日にはピアノジェネラル、つまりオーケストラがくる前の最後のピアノとの通しリハーサルで、衣装もメイクも含め、すべて本番通りに行います。舞台にまつわる全てのスタッフにとって、時間と作業の流れを実際に確認する初めての日で、とても大事な日だとよくいいます。このピアノジェネラル、日本ではなんと言ってるのでしょうか、ゲネプロピアノとかかな?それかピアノ通しリハでしょうか。
まあ、明後日の火曜日で私のピアニストとしての役は終わりになります。でもその後また別の仕事で、このオペラに参加するのでその話もまたぜひ今度。

2008年4月17日木曜日

オペラ座コメディー 2

さて今日はオペラ座のホール内をご案内します。

全部でおよそ1200席ある、小さくてかわいらしい素敵なホール。1888年にマイヤベーヤの戯曲でこけら落としが行われて以来、本日まで使用されてきています。1897年には、マスネが自作の「タイス」のモンペリエ初演を観に訪れていますし、1900年にはサンサーンスが自作の指揮に来ているなど、フランス音楽史のページをしっかりといろどってる劇場です。さらに歴史資料によると、1900年代後半には、ボクシングの試合を行ったり、手品師のショーにも使われていたこともあるそうです。 先日お伝えしたように、現在はモンペリエ国立オペラの本拠地として、主に、バロックや古典派時代のオペラの舞台として使われています。モンペリエオペラのシーズンスケジュールに興味がある方はどうぞこちらのサイトを覗いてみてください。
http://www.opera-montpellier.com/



一階席から二階のバルコニー席、ボックス席を経て、3階、4階と続き、最後は天井間近の5階席です。3階の中央には音声と照明のミキサー室があります。



壁や柱が一面金色なのですが、ピカピカときらびやかというよりはむしろ落ち着いた金色で、天井絵の水色と、照明の光とうまく溶け込んで、ホール内全体が温かい色合いになっています。 この天井画は、マルセイユの画家、Arnaud d'Urbec アルノー・ドゥルベクの作品です。



最上の5階席から見たら、このように目の前がシャンデリアになるのですが、ホール全体を見下ろせて誰もがちょっとはしゃぎたくなりますね。実際に私もよく若者の集団が5階席ではしゃいでるのを見かけますが、現実的な話、やはり舞台上で見えるものが角度の問題でだいぶ限られてしまいますし、せっかくの字幕も見えなかったりします。席によっては何も見えない、、、というところもあります。そのため、チケット販売の時点で、「このエリアからは舞台はよく見えませんよ」と一応良心的にことわっているようです。

舞台正面はどのような感じかと言うと、同じくこの落ち着いた金色が周囲の柱、ふちにふんだんに使われています。そして古ーい幕がたれていますが、中央右のところ、見えるでしょうか?こけら落としの行われた「1888年」が織り込まれています。この幕の汚れ具合というかぼやけ具合も、歴史を感じさせる大切な一品ですね。


ここで舞台上の写真も、と言いたいところですが、今日もうすでに、今回のオペラの舞台セットができていたので、客席から見た舞台の様子はまた次回にお預けにします。

2008年4月15日火曜日

オペラ座コメディー



今日はモンペリエのオペラ座コメディーを紹介します。

この劇場は、モンペリエ国立オペラの本拠地。モンペリエオペラが「国立」というタイトルを掲げるようになったのはつい最近の2001年からのことです。それ以前はというと、本格的に一年分のシーズンプログラムを発表するようになったのは1985年からのことでした。まあ今も「国立」というランクを得てますが、国が100パーセント運営しているのではなく、むしろ逆で、国が何パーセントかの出資をして援助しているというのが事実です。母体はあくまで、モンペリエ市、モンペリエアグロメラシオン、エロー県、そしてラングドック地方といった、この土地の自治体からの出資で成り立つアソシエーションに変わりはありません。
現在、大規模なオペラや現代オペラには新しいホール施設のCORUMが使われますが、その他のオペラ公演は、ここオペラ座で行われ、時々他の団体の公演に舞台を貸し出したりしています。

このイタリア様式のオペラ座は、Joseph-Marie Cassien-Bernard ジョゼフ=マリー・カシアン=ベルナールの設計によるもので、1884年7月に工事が始められ、1888年10月に完成しました。このカシアン・ベルナールは、1875年に完成したパリのオペラ座を設計した Charles Garnier シャルル・ガルニエの協力者だった人物で(弟子という説もあります)、パリオペラ座の建設工事の検視官の務めました。彼は、パリのアレクサンドル三世橋の建設にも携わった人で、当時を代表する建築家であったことがわかります。この劇場が建設される以前にも、同じ場所に劇場があったのですが、二度の火事にみまわれ、その後、急遽建設された三代目の劇場が、今日のオペラ座です。カシアン=ベルナールがパリのオペラ座建設に加わっていたこともあって、その影響は大きく、モンペリエのオペラ座コメディーはパリのオペラガルニエの縮小版だともよく言われています。
縮小版というだけあって、大きさはこじんまりとしていて、とてもかわいらしい私のお気に入りです。


正面玄関から入ってすぐに広々とした吹き抜けのロビーがあります。大理石のらせん階段を上がると、二階のラウンジロビーがあり、大きなガラス窓から光が入っているので、とても明るい空間です。


このロビーの窓からは、コメディ広場を行き交う人々が見えます。外の音は聞こえないし、歴史的な建物の中にいる自分が、向こうの外の世界とは違う世界にいるような気にさせられます。


二階席の人はここからそのまま劇場ホール内に入って行き、3階、4階、5階席の人はここからさらにロビー横手にある階段で上がって行きます。

次回はホール内部へご案内します!

2008年4月14日月曜日

バカンス天国フランス。でも私にとっては働きどき。

今週から二週間、モンペリエの地方では春休みともいえる4月のバカンスとなりました。フランスはバカンスの国としてよく知られていますが、現状は想像を超えるのだからもうびっくり!バカンスを中心に国が機能していると言っても過言ではないんじゃないかしら。
まず、フランスで働いている人は基本的に年間5週間の休みを確保する権利を持っています。日本人は、少しずつ社会が変わってきてるとは言え、有給休暇すべてを実際に取る人はまだ少ないと言われているし、そもそも一週間もまとめて休みをとれるというチャンスは全ての人に与えられてはいないですよね。休みを一週間まとめてとれたら、それはもう素晴らしいことであって、二週間も三週間もまとめて休みが取れる人なんて、ごく少ない職種の人に限られていることだと思います。その点フランスは5週間が最低なんですから、この違いは大きい。日本では有給休暇をすべて利用しない人がほとんどだと話すと、みんなあいた口がふさがらない、、、という感じですよ。
そして子供たちもすごいのです。小、中、高の学校では、夏休みの2か月にわたる大バカンスと、年末年始の二週間のクリスマスバカンスの他にもなんと、秋にはトゥッサンと言って先祖のお墓参りをする、日本でのお盆のような時期に10日間の休み、冬休みとして2月に二週間の休み、そして春休みとして4月に二週間の休みがあるのです。
私が働く音楽学校では、この学校のバカンスシステムと同じリズムでレッスン回数が決められているうえ、年度はじめと最後に余裕をもたせているので、年間のレッスンの数を言うと、なんとたったの32週なんです!ちょっとレッスンして生徒の調子が上がってきたかな、と思うとバカンス!また再開してリズムを整え出したらまたバカンス!そしてまた数週間後にはバカンス!!ほんとにこの繰り返しで、一年はあっという間に終わってしまうのです。日本人が42週レッスンをしているとして、この差は10週分!しかもフランス人のバカンスは文字通りバカンスですから、バカンス明けには「ごめん、練習できなかった。。。」と言う生徒の多さ。しかも「練習しなかった。」ではなくて、「練習できなかった。」ですからね(笑)

そして日本との違いが教師の労働環境に見られます。こちらフランスでは、学校の先生たちは子供と同じだけ休みがあるんです。親が教師の家庭ではもう文字通りのバカンス天国。親と子供が一緒に過ごす時間がないなんて、現代社会ではよく聞く話ですが、彼らにとったらそんな心配はないことでしょう。

フランス人は普段質素に暮らしているけど、一体何にお金を使っているのだろうか、、、という疑問は、このバカンスの様子を見ていたらわかります。そうです。バカンスにお金を使うのです。子供づれの家族にとって、バカンスは避けてはとおれないシーズンです。もちろん裕福な家庭、そうでない家庭と差は大きくあるのでしょうが、いずれにせよ、子供たちが学校に行かない週が、年に16週もあるのですから大変です。そもそも、フランス人が一泊二日だとか、二泊三日でスキーにいくなんてことはまずありません。一週間スキーに行くのです。さすがに冷静に考えてみて、4人家族が一週間スキーに出かけたら、そりゃあ費用も大した額だろうな。

こうしてバカンスが多いだけに、国もきちんとそれに対応した制度をとっています。2月の冬休みと4月の春休みには、バカンスシーズン中の観光地、行楽地への人の集中を緩和するために、フランス全国が地理的に人工的にもまんべんなく三つのゾーンに分けられて、一週間ごとずらしてバカンスシーズンをとるのです。そのために今日の記事の冒頭で、モンペリエの地方はバカンスに入りました、と書いたのです。モンペリエはゾーンAに分けられていて、他にはトゥールーズ、リヨン、ナンシー、ナント、レンヌといったように地理的にもばらばらな地域がゾーンAのグループです。もっとも人口の多いパリ地方は唯一ボルドー周辺の地域と組んでゾーンC。そして残りすべてがゾーンB。こうやって人工的にもバランスがとれるよう配慮されているのです。このシステムに従って、ディジョンの人達は来週から二週間バカンスで、モンペリエでバカンスが終わった時に、パリの人たちがバカンスをスタートさせるのです。

さて、このバカンスのために、私も音楽学校での仕事は二週間お休みなんです。私がこの仕事しかしてなかったら、私もバカンス天国を地で行くところですが、現実は現実なわけで、よっぽどハイクラスな仕事でない限り、労働時間が少ないということは、それだけお給料もおさえぎみになるわけです。そのため、例えば日本で教師と言えば、しっかりした収入を得ていると思いますが、実質的な労働時間が少ないため、フランスではそうとも言えないところがあります。
そんなわけで、私にはオペラjrでの仕事もあるおかげで、ありすぎる(?)バカンスをうめると同時に収入の方もおぎなっています。というのも、オペラjrでは、日頃から土日を利用して練習をしているのですが、特に大きな舞台の本番のためには、バカンスを利用して集中的な仕上げの稽古をして本番に備えるというリズムがベースとなっているのです。 そのために、バカンス天国フランスにいるにもかかわらず、結局私のバカンスは夏の8月と年末年始の10日ほどだけになってしまうことが多いです。とまあ言っても、これだけ休みがあれば日本人にとったらすでにすごいことです。自分のこのバカンスの日数を、他の人と比べて少ないなんて感じてしまってる分、すっかりモンペリエ色に馴染んでしまっていますね私も。

今回のバカンスも、このバカンス明けに本番を迎えるオペラのために、今日から二週間は集中的に練習が組まれているのです。今回の舞台は Jacques Rebotier (ジャック・ルボチエ)が2001年に発表した「L'indien des neiges (雪のインディアン)」という子供のための現代オペラです。オペラjrの9歳から16歳までの子供グループ Choeur d'enfants の出演で、モンペリエのオペラ座で4月29日、30日、そして5月3日の3回の公演があります。私は練習ピアニストとして参加していますが、現代オペラなだけに難しいんです。でも言葉遊びもりだくさんの台本と、8つのチェロのために特別に書かれた音楽はとても興味深く、ぜひとも成功させなければいけない大きな舞台です。
普段はCORUMという近代的な文化ホール施設の練習場で練習しているのですが、今日からオペラ座の舞台での稽古を開始しました。昨日紹介したコメディ広場のオペラ座です。1888年にこけら落としをされた劇場をそのまま今日も使っているのですが、劇場内は一見の価値のある、私のおすすめスポットでもあります。今週は月曜から土曜まで6日日間連続で練習をするので、しばらくの間、このオペラネタで報告したいと思います。

2008年4月13日日曜日

モンペリエの中心地



さて、上の地図はモンペリエ中心地 Centre ville の地図です。関西出身のY君は「センター街!」と訳してましたが(笑)、地図中央の黄色い部分が旧市街地とも言える、昔ながらの中心地です。面積的には小さなもので、東西南北それぞれ1.2キロほどでしょうか。
モンペリエは海にも近いので、平坦な街を想像しがちですが、実は丘の上にできた町なのです。そのため旧市街地内には急な坂も多く、そして何よりも小さな路地が複雑にからみあっているので、慣れるまでは自分が今どこにいてどの方向にむかっているのか、ちょっと方向感覚のつかみにくいのが特色ですね。
この地図で下中央部分にモンペリエ駅があり、TGVも乗り入れています。ここからパリまで直行で3時間半。そのおかげで仕事の人など、パリ-モンペリエの日帰りも可能な距離となりました。

モンペリエ市民にとって街の中心地となるのが、この地図上で私が「1」の印をつけた「コメディ広場」です。次の写真の奥に見えるのが「オペラ座コメディ」。今現在この広場はトラムの一番線が乗り入れるほかは、車の進入も禁止された歩行者専用エリアとなっています。


この広場から北側に続くのはエスプラナードと呼ばれる並木道の広場です。並木道にそって噴水がいくつかある広々とした空間で、プラタナスの緑が青空とよくマッチした気持ちのよい場所です。隣接した公園には池もあり、池のほとりの芝生でピクニックする人、寝ころんで読書する人、池の周囲をジョギングをする人、犬を連れた人などなどみんながリラックスしています。子供向けのエリアもあって、家族連れも多いですね。

私は現在、先の地図で旧市街地のすぐ北側にある「L」の文字があるあたりに住んでいるので、街に出るときにはトラムも使わずに、このエスプラナードを通って10分~15分でコメディ広場までこれます。下の写真の通り、この広々とした空間が日本にはなかなかないものだな~と毎回感じながら通りますが、私にとってcentre villeの中でお気に入りのエリアの一つです。

2008年4月11日金曜日

私の行動範囲


これはモンペリエ周辺の地図です。先日の書き込みで伝えた、モンペリエ周辺全体の人口というのは、この地図で色がぬられた市町村を全部合わせた人口ということになります。この地域全体を「Montpellier Agglomeration 」(モンペリエ・アグロメラシオン)といい、いわゆる地域共同体といいますか、行政のいろいろな面で協力しあっているわけです。
今現在、私はモンペリエの中心地のすぐ近くに住んでいます。私のメインとなる仕事は、音楽学校でのピアノの先生と、オペラJrという団体でのピアノ伴奏者です。このオペラJrというのは、モンペリエの市街地にあるCORUM (コローム)という総合文化ホール施設で普段の練習を行っていて、なんと私の家からそこまで徒歩10分という距離です。なんとめぐまれた通勤距離でしょうか!
そして一方の音楽学校はというと、この地図上でモンペリエの西側に広がる村々、Pignan(ピニャン)、St.Georges d'Orques(サンジョルジュドルク)、Laverune(ラヴェルンヌ)、Murviel-les-Montpellier(ミュルヴィエル・レ・モンペリエ)、Sausan(ソーソン)、Fabregues(ファブレグ)に、教室が分散してあります。私の仕事場はサンジョルジュドルクなのですが、今年は水曜日の午後だけピニャンにも行っています。
この学校での仕事は、私にとってフランス生活二年目であった2003年の秋に、産休をとる先生の代理に来てくれないかという依頼をもらったのがはじまりです。その時、もちろん車は持っていませんでしたから、不便なバスを利用して、帰りは同僚の先生に送ってもらうという方法をとっていました。そしてその後、私を正式に雇ってくれるという話になったときに、「それじゃあ車が必要だな」ということになったわけです。日中1時間に一本あるかないかという本数で、さらに夜はモンペリエに戻る最終バスは18時なんていうバスは本当に不便で、さらにはフランス名物のストライキがあって、本当にあてにしてられなかったのです。それに同僚の先生たちに毎回「乗せてって」と頼むのも、私の性格上ちょっと便利ではなかったのです。。。今の私の家からは車で30分弱でいけて、まあ苦にならない距離ですね。
モンペリエを一歩出ると、すぐにワイン畑などのどかな風景がひろがり、それぞれの村には昔のままの古い街並みの中心地があり、その周辺を新しい家々が広がる住宅地となっています。これまでで私が見て理解する限り、フランスでは普通のフランス人家庭はこうした郊外の村に家を持っています。そしてその一軒一軒の土地の広いこと!南仏なだけに、大きなプールがある家がほとんどで、日本人からいったら「なんてリッチな家!」ということになります。まあ、フランス人社会の中で低所得者層の人はこんな家はもてないだろうけれど、だからといってこういった村に住んでる人たちが特別リッチかというとそうでもないのです。ですから中層階級というか、普通のフランス人家庭というまとめにしちゃいます。加えて言えば、「リッチ」という言葉ですが、何をもってリッチというか、リッチであるととらえるかということに関しては、日本とフランスで本当に大きな違いがあります。「豊かさ」を何にもとめているかというのが違うからです。この辺のことはまた次回記事にしたいと思います。
さて、フランスにはコンセルヴァトワールと言われる、国が運営しディプロムを出す音楽学校の他、コンセルヴァトワールに入学する以前のレベルや趣味で楽しむ人のための音楽学校として、市町村が独自で運営する音楽学校、そして私が働く音楽学校のようにアソシエーションとして、基本的には生徒が払う授業料、会費で運営がなりたっている学校があります。私が働く学校はL'Internoteという名前で、生徒人数が350人を超える、ラングドック地方で一番大きなアソシエーションとしての音楽学校です。楽器もピアノ、ヴァイオリン、ギター、フルート、クラリネット、トランペット、ドラム、チェロ、アコーディオンと豊富にそろっていて、ピアノとギターには先生が4人ずついて生徒の数もたいしたものです。ピニャンをはじめとする村々は、施設提供やささやかな援助を共同で行ってくれてはいるのですが、運営をなりたたせてるのはあくまで生徒が払うお金です。フランスは国の文化、教育政策、援助がとても充実しているので、日本人の私から言わせたら、文化、教育に関するものはほとんどタダ同然なのですが、それが当然と思っているフランス人にとったら、この音楽学校の会費は高く、これ以上値上げをするというのは理解を得られないということで、運営、存続をかけたかなりの問題や不安をかかえた団体であることも事実です。それでも先生たちの熱心さや、とくに生徒、生徒の親、そして先生と学校のみんなで手作りといったアットホームな雰囲気のよさはとても評判がよく、誰もが存続を願っています。何かと行事も多いので、これから時々音楽学校ネタをお伝えしていきます。

2008年4月7日月曜日

モンペリエ紹介 

せっかくブログをスタートしたけれど、車のことで頭がいっぱいになっていたので車ネタが連続してしまいました。今日は気をとりなおして、私が住むモンペリエの紹介をしたいと思います。

まず、私が引っ張り出してきたのは「中学校社会科地図」!ヨーロッパのページを開くと、どど~んと場所をとってるのがフランスですね。そして南の方に目をやると、きちんと載ってます「モンペリエ」!そう、私はここで生活をし始めて5年半になります。中学生の時には夢にも思っていなかったなあ~。
モンペリエはラングドック地方の首都で、フランス第8番目の都市です。1999年の統計によると、モンペリエ市の人口は22万5300人、郊外も含めての人口は45万9916人でした。しかしその後、TGVの開通に始まり、市街地の再整備も急ピッチで進められて、企業はもちろんですが、多くの人が太陽の恵みを求めて北フランスから、そしてイギリス、ドイツなどからもモンペリエにやってきたのです。そのため人口も増え、2007年にはモンペリエ市と周囲全体の人口は53万1000人と発表されています。
日本人にとってはマルセイユ、ボルドー、プロヴァンスなどとは違って、あまり名の知られていない街ですね。でも数年前に日本人として初めてサッカーのひろやま選手がモンペリエのチームと契約してプレーして、彼の活躍は日本のテレビも熱心にニュースで伝えていたし、ラングドッグ地方のワインもここ最近、日本で見かけるようになってきたと友達も言ってたし、10年前よりは徐々に知られるようになってきたんじゃないかな。

この街の魅力はなんといっても「青い空、輝く太陽」そして「山あり、海あり」の恵まれた自然でしょう。街から地中海まで10キロです。そして反対側にはガリーグと呼ばれる岩山や、セヴェンヌ山脈の山々がつらなります。ちょっとドライブがしたい時にはそれこそ「今日は海にする?山にする?」といった感じです。そして海といってもそれは地中海。私も初めて地中海を見た時は、その穏やかぶりに感動しました。波がざっぷ~んの日本人にとっての「海」とはやっぱり違うもんです。気候も温暖で、晴天の日の多さと言ったらもう驚きです。年間300日以上が晴天らしい。。。ここに住みだしてから、気候とその土地に住む人の気質、性質とのつながりは明らかだと納得するようになりました。ここに住む人は、おおらかでのんびりとしていてetc。でもなまけもの、とかよく言われますが、でも当然です!だってあまりにも天気がいいのだもの(笑)そう言えば、私のピアノの生徒に、高校生で自転車でレッスンにやってくる男の子がいるんですが、彼はある雨の日、無断でレッスンにこなかった。心配したし気になったからあとで理由を聞いてみると、「ああ、だって雨じゃこれないよ!」だって(笑)まあ自転車だからというのはわかるけど、それでもあんたはハメハメハ大王かその息子か?!って(笑)まあ日本じゃありえない、このお気楽ムード。

ただでさえ人口密度の高い日本ですが、その中でも大阪、東京、名古屋の大都市圏で小さい時から生活してきた私にとったら本当に小さな街です。でも日本と比較して驚くのは文化の充実度。それから公共設備の充実度。スポーツ施設や文化施設、コンサートなど、国や地方自治体がほぼ全面的にバックアップをしているので、なんでも料金が安い。それにモンペリエは大学都市でもあるので、若者がたくさんいて活気のある街です。
いろんな面を考えてみても、大きすぎず、小さすぎず、でも必要なものはある。本当に住みやすい、住むのに適した街だと思います。そんなモンペリエ紹介の記事をこれから時々書いていきたいと思います。

2008年4月5日土曜日

超ハード。でも超充実。感無量。

普通、人にとって一番ゆっくりくつろげる日である土曜日(翌日も休日という意味で)が、私にとっては一番の仕事日。だって、午前は音楽学校でピアノの先生、午後はオペラjrでピアノ伴奏者という二つの異なる仕事を、移動と簡単な昼食のためのわずかな時間をはさんで連続するからです。そして今日は格別にハード。なんせ、そのわずかなお昼休憩の間に私にとっての一大イベントがあって、さらに午後の仕事は18時までは子供たちのグループ、その後22時まで若者のグループとこれまた連続したからです。

さて、そのお昼の一大イベントとは?もちろん、あの車をお買い上げ頂いて、お見送りをしたことです!ああ、本当に感無量。
彼らはやっぱり私の想像通り、できたての複合家族。これはフランスによくある、それぞれ前のパートナーとの間に子供がいる二人が、子供を連れて新しい家族を再結成したときにできた家族の形をいいます。今日の彼は「僕の娘です。」と言って、かわいい女の子と二人で来ました。13時45分に約束してあったんですが、私が音楽学校から帰ってきた13時半にはもう私のマンションの前にいて、二人でひなたぼっこしてました。パパが「ほら、これが僕らの車だよ」と見せると女の子もうれしそう。
お金をいただき、私は彼がこれから県庁でする新しい登録手続きに必要な書類などにサインをして渡しました。そこで、私のサインを見て話が展開。日本は印鑑社会ですが、フランスはサイン(署名)社会です。みんなくねくねっとした解読不明のサインをしてますが、私は漢字でそのまま私の苗字と名前を書いて、サインとしています。その漢字を見て、この父娘も「わっ!?」とびっくり。私が「日本語のままで使ってるの」というと、「あなた日本人なの?この子の母親の兄は、日本人女性とと結婚して大阪に住んでるんだよ。」というではありませんか。「わー、ほんとに?私、大阪地方の出身ですよ。」とかなんとか日本ネタで楽しみました。結構意外や意外と、ここモンペリエにも日本となにかしらゆかりのある人多いんですよね。オペラJrで一緒に仕事してるセネガル出身のセナブーは、お兄さんがセネガル語ペラペラの日本人女性と結婚して日本に住んでると言ってたし、その他にもたくさん話を聞いたことがあります。やっぱり世界はせまいというか地球は小さい?

さて、私も今日はあまり時間がないだけに、いよいよお見送りとなりました。本当に修理費がかさんで、悩まされた車ではありましたが、それでもその分、思い出もいっぱい。彼もそんな私の気持も感じてくれて、「この車もモンペリエに残るから。」と。「ちなみに僕は画家で、モンペリエにアトリエをもってるから、よかったらいつでも寄ってみてよ。」と言うではないですか。「あれ?オペラ座でも働いてるけど、画家としても活動してるの?」と聞くと、オペラ座の方がちょこっとで、あくまでも彼の職業は画家だって。場所も私がよく知ってるところだから、またいつか寄せてもらおう。
彼ら家族を見ていて、心に曇りのないいい人達だなとつくづく感じました。きっとそんなにお金は持ってないのだろうけど、何が自分たちにとって大事かわかってる、そんな感じの人達です。こうなってはこの車ができる限り長い間、ちゃんと動いて彼らが安全にドライブを楽しめるように祈るばかりです。父娘そろって本当にうれしそうに出発していきました。そして私も車が見えなくなるまで見送っていました。

今、仕事から帰ってきて22時半。朝は9時に家を出たから疲れているはず。でもこの家族が買ってくれたおかげで本当にうれしい。なんだか心に青空を感じます。ありがとう。

2008年4月4日金曜日

モンペリエの空の色

見てください、この色。文字通りの空の色です。今日18時のモンペリエの空の色です。
今は四月。日本では桜とともに、誰もが「春」を感じていることだと思いますが、こちらモンペリエでも、一応は「春」なんです。気温が上がって、もう寒さを感じることはなくなったので、冬が過ぎ去ったことは確か。でも、日本人である私にとって、今の気候はただ「春」というよりは、「もう夏が近いぞー!」という知らせに感じるのです。初夏と言ってしまっては、言いすぎかな?と多少迷いますが、でもやっぱり日本の春とは違う。日本の四季の彩りはやっぱり特別です。こちらでは、夏と冬があって、その間の移行期間をなんとなく春と秋といったらいいかな?という感じです。街ゆく人の服装を見ても、もう男の子はみんなTシャツになっちゃってるし、女の子ももう薄着。すっかり夏モードはいってます。
フランス人に言わせたら、フランスにだって四季はあると言いますが、日本とフランスを知ってる私にとったら日本の四季の季節感の違いは格別。この点ではすっかり日本びいきです、私。先週の日曜日に、こっちのTVのニュースで、東京のお花見の様子が取り上げられてました。映像を見て、私も一人「ああ、これぞ日本の春!」とうれしかったです。3年前には4月のバカンスを利用して日本に帰りましたが、今の仕事のリズムではなかなか思うように日本に帰る時期を選べません。次に日本の桜を見るのはいつになるかな?「春」は、すっかりこちらになじんだ私にとっても、日本が懐かしくなる大事な季節です。

2008年4月3日木曜日

新しい季節。新しいページ。

すっかり風邪をひいてしまいました。火曜、水曜と仕事がんばったけどそれでぶり返しが来たのか、今朝目覚めたら、かなり意識もうろう。これはゆっくり休むぞと思っていたところ、8時過ぎに誰かが「ブーッブーッ。ブーッブーッ。」とインターホンを繰り返し鳴らす。。。私の部屋のインターホンがかなりびっくりするような鳴り方をするので、朝っぱからほんとドキッとさせれられる。誰だか知らないけど、私はもう今朝はゆっくり休むと決めたのでもちろん居留守!「ブーッ。ブーッ。」誰だか知らないけど早いところあきらめてください。。。

さて、18時に例の家族3人組がやってきました。時間にルーズで有名な南フランスだけど、彼らはぴったりかっきりやってくる。18:00。私が予定してた段取りでは、みんなで私の車整備士さんのところに行って説明を聞いて、納得いってもらえたら今日お買い上げいただき、車と一緒に帰っていくのを見送る。。。というものでしたが、彼らは「自動車保険を土曜日からスタートにしたから、今日は乗って帰れない」と。まあ、そうは言っても、やっぱり車の状態が大丈夫か確認する時間が欲しかったんじゃないかなと私は理解しました。
それでも雰囲気はいたって和やか。4人で例のガソリンスタンドに向かい、私は整備士のおじさんに、「結局、彼らと一緒に来たから、先日のこと説明してもらえますか?」と頼みました。おじさんは他のお客さんの相手をしてたから、それが終わるの待ちながらも私たちはおしゃべり。「私自身は車のことなんてわからないうえに、こんな古い車は乗ったことなかったから、どんな状態をよしとしていいのか全然わからない。信頼できる整備士さんを見つけるほかないよね。。。」というと、彼らは私の整備士さんに引き続きお世話になるつもりだと言うではないですか。

整備士のおじさんは、きっと私が彼らにごねられて困ってると思ったのでしょう。ちょっといつもと違うひきしまった感じでやってきましたが、オイルの漏れについて説明してくれて、とにかくこの車が年数とキロ数のわりにはいい状態だということと、私がしっかりメンテナンスをしてきたことを強調してくれました。彼らも知りたかったことを質問などをして、これでOKということになりました。「Tout va bien !」
結構意外だったけれど、このカップルも私と同じくらい、車のメカのことはよく知らないという感じ。彼らも整備士のおじさんがよさそうな人で気に入ったようです。

今日は朝から天気もよく、穏やかな午後となったのですが、私たちがこのちょっぴりドライブをした18時ごろはとても気持ちがよかったおかげもあってか、私たちみんな笑顔。彼らも「Je suis content」「 On est content」を繰り返し、うれしさ、満足さを表してくれました。土曜日に車を取りに来るという約束でこの一件は落着。
聞いてみたら、彼らは特に車が欲しくて探していたというわけではなく、ほんのタイミングが成した出来事だったというのです。私がオペラ座のNさんにこの車の広告を託した日の午後、彼女がNさんのところへ顔を出しに寄ったときに、Nさんが「あなたたちにこの車いいんじゃない?」と、私の広告を見せたんだって。そこで、この値段と写真をみて、「あ、これはよさそうだから彼にしゃべってみるわ。」ということになったとのこと。Nさんは掲示板に張り出そうと思っていたのだけど、彼らが「自分たちが見てきて決めるまで張り出さないで」と頼んだのだそうです。もしも気に入らなかったら張り出すという約束で。彼らにとって、この値段だったらなんとかできる金額だったそうです。フランス人はオートマ車は嫌いだというけれど、彼らにとってそのことは別にどうでもよかったのです。実際に車を見ていい状態だしきれいだし大満足だと。

本当にこういうことって、私にとっても彼らにとっても言葉では説明のできないタイミングの積み重なりで起きた出来事。まさに私が言う「ご縁」です。
奥さんのことは仕事で顔見知りになってけど、息子君のことも後になって思い出してみたら、私がオペラ座の音響ルームで字幕操作の仕事をしていた日に、ちょっぴり見学にきた男の子が彼だったことが判明。彼に話してみると、「あー、あの時右側に座ってたあの人だー。うんうん思い出した!」って。
私が推測するに、彼らはまだ生まれたてのカップルなんじゃないかな?きっと新しい家族計画の中でこの車購入が大きな一歩となるのではないかしら。ほんとにラブラブだけど、この900ユーロの車を前に、彼らの幸せそうなことと言ったら。見てて私までうれしくなりました。

フランスではこの前の日曜日をもってサマータイムに切り替わったんです。土曜日から日曜日にかけての夜の間に1時間時計の針を進めました。だから実際には一時間失ったことになるんですが、先週までの18時が今週からは19時だということ。だから、日が長くなってきていたところに加え、一段と日が長くなって、まだ4月だけれど20時ごろまで明るいんです。
車を送り出すというのは土曜日までもちこされましたがなんのその。お買い上げが確定して、私は感無量。だって、あの車を買ったときから今日に至るまでの数年の間でも、私には数々の思い出があるんですから。あんなこともあった、こんなこともあったって。苦しいこと、悔しい思いもたくさんあった時期に重なるだけに、感無量です。まさに本で言ったら、一つの章が終わって、また新しいページをめくる感じです。そしてタイミングよく新しい季節。かわいらしい家族のおかげで心の奥まですっと笑顔になれました。そんな気分で見上げた空をパチリ。2008年4月3日19時半のモンペリエの空です。



2008年4月1日火曜日

とりあえずひと安心。。。

自分が思ってたよりも車の修理のことが気になってたみたいで、昨夜はよく眠れなかった!
しかも昨日どこかで風邪のウィルスをひろってしまったみたいで、昨日午後からのどがすごく痛くなって、一晩明けたらすっかり風邪モード。仕事に行くまでゆっくり休んでいたかったけれど、「今日は何が何でも一時もはやく車の整備士に見せないと。」と言い聞かせて、行きつけのおじさんのところに行きました。この彼は整備士?修理工?フランスでは単純にgaragisteというけれど、ガソリンスタンド経営と同時に修理整備をあつかってる人です。友人の紹介をとおして、私が今住んでいるところに引っ越してきて以来、あの車にまつわるすべてのトラブルを見てもらってきました。
正直言ってあまりにも修理がかさんだ時期は、「このおじさんの前でも私はカモか?」という疑問もあったけれど、オルタネーターがいかれて、おじさんのところに向かう直前の信号で車が止まってしまったときに電話で助けを求めたら、彼はもう日も落ちて雨が降る中、「すぐに行くよ!」と言って迎えにきてくれました。あの時のことを考えるとやっぱり親切ないい人だと思います。
前回に会ったのは12月の車検のときだから少しひさしぶり。それでもおじさんはしっかり私と私の車を覚えてくれててにっこりと出迎えてくれました。「どうしたの?」って。私は前回会ったときに、「この車のことでお世話になるのはこれが最後です!」なんて宣言してただけに、ちょっとバツが悪い。「実はまたこの車なんですけど、、、」と言いつつ、「ようやく買い手がみつかったのだけど、ちょっと気になること二つ発見してしまって。。。」と手短に説明。早速エンジンルームを開いて見せると、一つはあっけなく解決!私たちが昨日、切れかかったチューブと思ったものは、チューブでもパイプでもなくて、あんな形をした電気系統の接触口でした。「じゃあこれは最初からこういう形をしてるのね。あ~よかった。」と胸をなでおろす私。
一方、なにかが漏れているという指摘に関して、「あーこれはサスペンションオイルだけど、まあ、多少は漏れてあたりまえだよ。この程度じゃなんの心配もないよ。」と彼は言います。ただここは私も古い車に慣れていない日本人。買い手の人に対して、「多少は漏れてても当たり前」という説明でいいんだろか。。。と気になったために、ちょっとしつこくおじさんに確認。彼も私が外国人であることわかってるし、私が何を気にしてるのか察してくれて、「この車は、年数とキロ数を考えたらよい状態。新車のようにはありえないんだから、中古としてこの状態で売るのは大丈夫。もしも買い手の人がしつこく言うようだったら、ここにこの車と来たらちゃんと説明するし、手当もするよ。どのみち費用のかさむ大事な修理とかにはならないから。」と言ってくれました。いずれにせよ私が売る前に費用をかける必要はないとおじさんは断言。それを聞いて心強く感じた私は、心晴れやかにお礼を言ってガソリンスタンドを出ました。

買い手カップルとの昨日のやりとりが、最後突然調子が狂ったようになったから、それから彼らが気を変えてないといいな、、、と気になったので、お昼休憩を見計らって早速電話をしました。「今、修理工に見せてきたからあなたがたにも安心してもらおうと思って、、」ただ私のフランス語と、さらに私自身が車のことわかってないから、やっぱり説得力はないよね。それに私自身、あの漏れについてはあまり強気でいられない。。。だからとっさに、「もしこの説明が不十分だと感じるなら、一緒にこの整備士さんのところに行って説明を直接きいてもらったらいいし」と提案しました。そしたら彼も「うん、それがいい」と。「具体的にいつごろどんな修理が必要になる話なのか僕もわかるから」と。それはごもっとも。
私は内心、この修理のことでまた私が支払うのか彼らが支払ってくれるのかめんどうなことになったら嫌だな~と思ってましたが、どうやらそんなこと気にしなくていいみたい。私の心配はよそに、彼らは彼らで県庁や自動車保険のこときちんと問い合わせし始めたようで、木曜日に会う約束は変わらず。お互いに気持ちよくさよならを言って電話を切りました。

車を売るなんてはじめての経験、、、と思ってたけど、実は日本を去る時に、自分の愛車を半分託す感じで友達に買ってもらったことを思い出しました。まあ、そのことを忘れていたわけではなくて、あの時は、自分が新車で買って、2年ほど乗っただけでの売却だったから、車の性能に問題がないことは明らかだったし、自慢の車だったから安心してた。その後A氏がかわいがってくれるであろうこともわかってたし。(ありがとA氏!)つまり、そんなわけで今回のこの状況とは全く違うのです。14年もたった、18万2千キロ以上も走ってる車。。。しかも店とか通さずに、直接個人間での売買。でも、取りかかったらすぐに反応がきて、そして試運転してもらって、お買い上げ予約済みまでぽんぽんと進んだではありませんか。もうここまできたら、最後まで順調にいくことを願うほかありません。そしてなによりも、買ってくれた彼らが、ほどほどの期間、たいした問題もなく、この車でドライブできることをほんとに祈るばかりです。
まあそこまではまだ気が早いか。じゃあ木曜日までつつがなくことが進みますように。