2008年9月29日月曜日

Oh ~ c'est très joli !

いろんな人に心配してもらった脂肪腫騒ぎですが、今朝、外科医に会って来て、「手術は必要ないね。」と言われました。


会ってまず脂肪腫痕を見せたのですが、そこで言われたのが今日のタイトルの「Oh c'est tres joli !」。つまり「うわ~、きれいだねえ。」です。お医者さんののんきおとぼけキャラがわかると思いますが、とりあえず私の脂肪腫は勝手に破裂したうえに、勝手に中身を全部外に出し切って、きれいに傷となってふさがろうとしているとのことです。これって自然治癒力ですよね。大したもんだ。

まあ、あんなにでっかくはれ上がるまでほっといたのがいいとも思いませんが、限界を通り越したから自分で肌を押し破って外にでてきた脂肪腫くん。みごとなエネルギーです。


もし手術となっても、肌の表面間近のことなので、なんのリスクも心配する必要ない手術だとはわかっていたので軽く考えてましたが、たった一泊とはいえ、手術、入院するとなるとやっぱりめんどう。とくに、朝7時45分に来いと言われていたので、「そんなに朝早いのいやだ~。。。」とすでにストレスになってました。仕事も休まないといけなかったけれど、これで晴れて何にもなし。祝・手術入院回避です。

この一週間、自分自身でガーゼ交換などしてきましたが、今日は念のために、看護師の処置をうけるための処方箋を頼みました。消毒液やガーゼなど必要なものをお医者さんが処方箋として明記してくれて、それをそれぞれ患者が薬局で買いそろえて、フリーの看護師さんに訪問治療にきてくれるよう頼むというシステムです。
ぽっかりと穴があいたような傷口なので、これまで消毒は傷の周辺だけにしてきましたが、やっぱりきちんと処置しないとバイ菌がさらに入ったりしたら大変です。そのためにも看護師に頼んだ方が賢明なのはわかっているんですが、今日も改めて「自分でやったほうがいいんじゃ。。。」と思わされることが。

病院の看護師さんが消毒とガーゼ交換をしてくれたのですが、なにやらビシャッと液体を私の背中にこぼし、「まあ、単なる水だから」とだけ言って謝らなかった。うん、これがフランス人。
そこで思い出したのが、フランスの美容院のこと。フランス在住の日本人でフランスの普通の美容院に行っている人はあまりいないといいます。パリなんかでは日本人ヘアスタイリストさんがひっぱりだこだし、地方都市では仕方なく現地の美容院に行き、みなさん日本に帰国した時に美容院に行くのが決まりごとのようなもの。しかも私のような人物は、自分で切ってしまいます。。。

まあ私の例は別として、なぜ日本人はフランスの美容院を避けるのか。
それはまず日本人とフランス人では髪質が全然違うために、フランスのふつうのテクニックでは髪が傷んでしまい、みなさんこれをいやがります。しかも、フランスのその大雑把さといったら。よっぽど高級でハイレベルの美容院でない限り、髪を洗ってもらうと顔はびっしょびしょ、耳の中にも水が入るわ入るわで大変だそうです。(笑)
サービスという概念が違いますもんね。
配慮とかいう概念が違いますもんね。

そんなことを思い出し、看護師さんの処置の似たようなんじゃ、、、と思ってしまったわけです。
しかしおしゃれの領域の美容院と、私の今回のことは領域が違いますから、やっぱり看護師さんに見せるべきですよね。家に来てもらうとかいろんなことが面倒に感じるのですが、周囲の強い忠告もあり仕方ないか。
きっとまもなく「フランス看護師さん初体験」のご報告をすることになるかと思います。

とりあえず手術がなしになったという報告でした。
みなさん心配してくれてありがとう。

2008年9月28日日曜日

イタリア旅行 8  フィレンツェ 二日目

フランスではすっかり気温が下がってしまって、もう秋。パリやリヨンなどでは厚手のコートをはおってる人がたくさんいるらしく、もう冬?って感じですね。

ふと、「暑い~~~。。。」と言っていたこの夏のある日を思い出しました。

それは7月のイタリア旅行中、フィレンツェでのこと。

インターネットで予約したホテルに二泊した私たち。スタッフも感じがよく、部屋にシャワーとトイレもついていて、朝食付き二人で二泊100ユーロだったホテルにも大きな落とし穴がありました。

それは暑さ。

エアーコンディショナー付きと書かれていたのだけど、実は冷房はなくて扇風機があっただけだったんです。
私たちが滞在した一週間、イタリアではかなりの猛暑日が続いてて、とくに盆地のフィレンツェは暑かった。日本までとは言わないけれど湿気を感じましたから。
で、モンペリエ暮らしの私はともかく、ブリュッセル暮らしのSにとってはかなりつらかったようで、夜も寝れずにいました。当然、窓を開けっ放しにするしかないのだけど、すると今度は蚊が!これには私もまいりました。蚊に悩まされるなんて本当に久しぶりのこと。二人して暑さと蚊に悩まされる夜となってしまい、朝もゆっくりなんて寝てられず、行動開始となりました。

まずはメディチ家の礼拝堂があるサンロレンツオ教会。


続けてすぐ近くにあるサンタマリア・ノヴェッラ教会も見学したかったけど、閉まっていて入れませんでした。
そのため中心地にもどって有名なドゥオモのある広場へ。
大学時代のS先輩がイタリアに留学して、この広場に面したアパートに住んでいると言っていたけど、今頃どこにいるのかな?


最近、日本人学生が壁に落書きしたとかで話題になりましたね。残念ながら落書きをする人は あとをたたないみたいで、世界各国の言語で数十年前のものから、つい最近の日付つきの落書きがありました。
ドゥオモのクーポラに上る前にまずは教会内部を見学しましたが、二回目となる私は、15世紀のこの建築技術に改めて興味をもちました。クーポラの完成は1436年だそうです。この淡い色が独特な教会のファサードは、19世紀になってから完成したそうです。

この教会でも内部を見学するのにふさわしい服装が求められましたが、私がミラノで経験したような「即アウト!」ではなくて、肌をおおう水色のかぶりものを配っていました。真夏日のフィレンツェでしたから、軽い服装の人は当然多くて、教会の内部ではかぶりものをはおったこんなかっこうの人たちがたくさんいました。

意外とかわいい。男も女も老いも若いも水色かっぽう着。
続いて教会から出て、クーポラに上るための列に並びました。思っていたよりも早く列は進み、私たちもグループの最後尾で中に入れてもらえました。最後尾だったおかげでマイペースで登れてラッキー。

果てしなく続く階段の途中地点が、教会内部の天井付近。
こうして内部の見学者たちが小さく見えます。
そして天井画も近くで見えます。
ここから天井のカーブにそってせまい階段を上っていくと無事に屋上に到達。

私が前回ここを訪れたのは21歳のときなので、ちょうど10年前。
きれいな景色や上り切った時のよろこびなどはかわりなかったのですが、ひとつだけ大きな変化が。それは私の体力。。。 夏の暑さもあってか、しんどかった~。うん、暑さのせいというよりは、単に10年という年の変化の現れですね。。。

となりの鐘楼も上まで登れますが、やっぱりドゥオモの方が少し高いですね。

10年前と同じく、屋上でしっかり時間をとって休憩。ぼ~っと座ってフィレンツェの町並みを眺めていました。
ほいほいと勢いよく階段を降りてから二人が口にしたことは「お腹がすいた。」
ちょうどお昼でしたからね。
軽くお昼を食べてから私たちが向かったのは町の東側エリア。私も前回は行かなかったサンタクローチェ教会を見学しました。
今回の旅行で私が気に行ったのは、教会の回廊。
静寂のためにスペースが設けられてる感じで、どこの教会でも小鳥の声が響いててオアシスみたいでした。


この日はウィンドーショッピングもたくさんして、というか、二人とも奮発してワンピースを買っちゃいました。というのも、フィレンツェのマドモワゼルたちはとってもフェミナンでかわいかったんです。普段、モンペリエの気取らず飾らず開放的なマドモワゼルたちを見慣れてるので、国と場所が変わればこうも変わるか?と印象深かったんです。触発されちゃったのかもね。

夕食までにはまだ早かったのですが、ヴェッキオ橋付近を歩いていて、ふと、かわいらしいお惣菜屋さんを見つけました。しかも、近寄って見てみると日本人らしい家族が中に入っていき、しかも日本人観光客が下見にきてました。きっと日本のガイドブックで紹介されてるんでしょうね。そうとわかると、なんだか今さら日本人観光客でベタな感じが嫌だなーとも思ったけれど、かわいらしい雰囲気と、店の奥は川に面してるロケーションから入ることに決めました。
中に入ると人のよさそうなおじさんが一人で早めの客の相手をしてました。
店の奥のテーブルにつくと、そこからはヴェッキオ橋が目の前。

なんだかこの景色をみていると、「京都の鴨川みたい!」と思いました。ところせましと川沿いに建物が並んでいて、イタリアと日本と違うけど雰囲気は瓜二つ。Sと二人で日本語でしゃべってると京都にいるような錯覚がしておもしろかったです。
二人ともいくつかお惣菜を選んでごらんのような夕食が用意されました。
時間に追われずにのんびりと気ままな二人ふらり旅のようで、エコノミーだけどなんだかリッチな気分になりました。

2008年9月25日木曜日

ラクダさんが破水?

今からちょうど一週間前のこと。
朝起きて着替え終わったころに、何やら異変に気が付きました。シャワーを浴びたわけでもないのに背中に液体を感じたのです。おかしいなあと思って、着たばかりの服を脱いで見てみると、背中の上の部分に液体がベターっとついてたんです。?。それを見ても何かすぐにはわからなかったけれど、「背中の上の方???」と思って鏡をのぞいてみると、例の脂肪腫から液体が垂れていました。

!!!

8月末に赤くなって腫れ始めた脂肪腫。9月頭に外科医に見せに行った時に、ぐいぐいとかなり押されてしまい、それからは急ピッチで赤みと腫れが増し、先週の頭には、もうそれはそれは大きくはれ上がり真っ赤で内出血しまくりの、見るにも痛々しい大きなコブとなってしまっていたのでした。実際に腫れてるために痛いし、周囲の神経や筋肉もつっぱって痛いし、寝るにも椅子にもたれるにも痛いし、やっかいな存在になっていました。

手術で除去することになって、手術予定日の9月30日を待っていたのですが、限界まで腫れた脂肪腫さんは、自分から爆発をおこし、勝手に外に流れだしたわけです。

手術の麻酔のことなどでもともと質問もあったので、異変に気がついたあと、すぐに病院に電話をしました。あれこれと質問したあとで、「で、実はですね、さっき脂肪腫がつぶれちゃったみたいで、液体やらなにやら流れだしちゃったんですけど、これは絆創膏かなにかで手当てして、手術まで待ってたらいいんでしょうかね?」なんて、のんきな質問をしたもんだから、外科医の秘書は驚いて、「それはだめですよ!先生に見せないと!今日、今からこれますか?」ってことで、すぐに病院に行きました。

お医者さんに見せた時は、液体も一時的に落ち着いてたので、簡単な処置をされ、たいした指示もなく家に帰ってきました。
ガーゼもそのままで一晩すぎた次の日。ある友人に会って、「ねえねえ、破水ってフランス語でなんていうの?ほら、出産の最初のさあ、、」って聞くと、一瞬驚きながらも、「perte des eaux だよ。」と教えてくれました。「ドロマデールさんが破水したよ。」というと、さらに目をまんまるにして、「Quoi ?」と言われました。日本語で言うと「はあ?」ってな感じです。「leonardoは相かわらず変なオリジナルなことを言うなあ。」といいながらも、この友人はすぐにわかったみたいで、「脂肪腫がどうかしたの?」と聞いてきました。で、あれこれ事情を説明して、「・・・てなわけで、突然ながら看護師さんになってくださいまし。」と頼んで、ガーゼの交換などの処置をしてもらいました。
といっても、この時の私は傷口は乾いていると思ってたんですね。ところがこの友人、可哀そうなことに、ガーゼをとろうとしたとたんに中から勢いよく流れだすものを見て、簡単なことじゃなかったことに気がついたようでした。「噴水みたいに噴き出してるじゃん。」というから、てっきり血が流れだしてるんだと思いました。「こぼれるから動いちゃだめ」だの「下をむいてて」だの大騒ぎし、さらには「気を失う。。。」とか言いながら処置をしてくれたから、やっぱり血とかが苦手な人もいるし、悪いことをしたなあと思ったんです。

が、しかし、翌日、実態がわかったんですね。私自身。

土曜日、朝から仕事でどたばたして、ようやく仕事終了が近づいた18時ごろ、鏡を見てびっくり。頑丈そうな大きなガーゼの絆創膏をしていたにも関わらず、全体に血が広がっていてあふれてる感じだったんです。だから18時半に仕事を終えて、一目散に家に帰って見てみると、やっぱり服がよごれてしまっていました。そしていざ、自分でガーゼを変えようとしてみると、、、

!!!

単に血やらリンパ液らしい液体が出てただけじゃなかったんです。
脂肪腫なだけに、脂肪がでてたんです。。。あらら、脂肪ってやっぱり脂肪なんですね。白い脂肪。
ちょっぴりグロイ話でごめんなさい。でも、びっくりしたんですよ、私自身。
そりゃあ「気を失う。。。」とか言うわな、と納得。

で、これを見て、さすがの私も「こりゃやばいぞ」と思い、申し訳ないとは思いながら、また別の友人に処置をお願いすることにしました。かわいそうに次に選ばれたのは日本人のAさん。電話でお願いして、翌日の夕方にしてもらうことにしました。
Aさんもかわいそうに、看護師じゃないのにこんなことさせられて、、、。でもおかげで周囲の消毒をきちんとしてもらえました。

そんなこんなでやっかいだった脂肪腫は、さらに数倍もやっかいなものとなってしまったのでした。

月曜日の朝、病院に予約も予告もなしに直行すると、お医者さんは「来週の月曜日にまたおいで。」ってな感じでのんきで、「月曜日の様子をみて手術のことを話しましょう。」ということでした。

一人暮らしで、しかも背中の上というやっかいな場所。自分で処置をするのは簡単ではありません。
フランスにはフリーの看護師さんというのがいて、ちょっとした処置とかは彼らが訪問治療にきてくれます。が、それにも処方箋がいるわけで、私のお医者さんは処方箋もなにもくれなかったんです。お医者さんに「今日まで誰がしたの?」と聞かれたときに、「自分でしたり、友達がしてくれたり、、、」と言ってしまって、「きちんときれいにできてるからそれでいいよ!」なんて笑われて終わってしまったからでした。でも私だって、毎日誰かにこんなこと頼んでられないし、仕事のリズムが人とずれてるから頼みにくい。だったら仕方ないやと思って、二枚の鏡を使って自分でガーゼ交換をするようになりました。鏡越しの背中の上下、左右の移動って全部逆だから、ほんと簡単じゃないけれど、回数を重ねるごとに慣れていくもので、今では我ながら器用にきちんとできるようになりました。細かい消毒とかまではやってられないけど、月曜日の朝にはお医者さんに見せるのだし、ほんの数日の間くらいこれでいいや、と思ってしまう私。

でもほんと慣れっておもしろいものです。この1年間で、私もすっかり背中のこぶつきの姿に慣れてしまっていたようで、中身が外に流れきってすっかりしぼんでしまった脂肪腫をみるとなんだか違和感があるくらい。一週間前なんて、らくらく3センチ以上はとびでてたもんな~。今ではすっきり、普通のまっすぐな背中になりました。

じゃあもう手術なんていらないじゃん、と思うところですが、私の周囲の医療関係者の方に言わせると、脂肪腫を作っている膜のような、袋のようなものを取り出さないと、またすぐに膨らみだしちゃうそうです。それにしても、傷口が大きく開いたままでも手術しにくいだろうし。。。そのために、お医者さんは月曜日の様子を見てから決めたいんでしょうね。

この脂肪腫のおかげでひと仕事もふた仕事もできてしまいました。やっかいなものです。でもこぶとはもうさようなら。

Au revoir、 Dromadaire。
さようなら、ひとこぶラクダ。。。

2008年9月23日火曜日

フランス医療界事情通に聞く

フランスで生活する日本人、フランスに限らなくても海外で生活する人なら皆、一応気に掛けることと言えば、健康管理。もしものときには現地の医療にお世話にならざるを得ないから。そのため、どんなガイドブックでも、健康管理について、現地の医療事情について数ページがさかれています。
しかしフランスについて言えば、私はかなりの事情通を知っています!この人物は独り身でありながら、医者通いから精密検査までを経験してきました。そのため、フランスの社会保険のしくみ、医療費の実情など、かなりのことに詳しいのです。

さて、その人物とは、実は私自身!

病院事情に詳しいということは、健康問題がからんでいるので何も自慢できることではありませんが、「質問があったらどうぞ!」と言えると自負しております。まあ、経験してないのは大手術と出産くらいですね。出産と言えば、フランスで出産、子育てをしている日本人女性はたくさんいるので、私はお呼びではありません。

私はちょっとやっかいな問題をかかえてますが、二年前に心ない医者というか、私にとってアレルギー反応をおこしそうな波長の合わない医者に出くわし、彼の言動、指示のせいで、いろんなことにうんざりして以来、しばらく口をとざしていました。私は気分を害したり、人への不信がつのると口をきかなくなるという性質なんですね。で、実際のところは痛いみやしびれが毎日24時間中24時間といえるほどあったのだけど、「まあ私はこんなもんか」と思うように努め、慣れるようにがんばってきました。が、つい最近、例の脂肪腫のことで思いがけず病院通いが必要となって、いつもと違う痛みや対応を経験したのをきっかけに、普段私が我慢しようとしてきた痛みの話も、実は相当強い痛みだぞ、と気がつき、気持ちを新たに新しいお医者さんのところでちょっと話してみたんです。それから専門医のところに送られ、この専門医から2、3検査を指示されて、自分の健康問題をかまうこととなったのです。

そこで、5年前に初めてフランスでお医者さんに行った時のこととかを思い出し、今やこなれたもんだな~と実感したわけです。もちろん私だって、日本を出た時にはフランスで医者の世話になる予定もつもりもなく、日本の海外用保険に加入してやってきました。それが今ではフランスの保険に加入し、まったく無駄がないと言えてしまうくらいに駆使しています(笑)。そこで、「ああ、これだったらフランスの医療事情について本がかけてしまうわ。」と思ったのでした。

まあまた時間があるときに、ちょこちょこと話のネタにしていきたいと思います。

2008年9月21日日曜日

また新しい一年が、、、

仕事やら健康問題やらで、すごく忙しかったこの一週間。土日の仕事も終わり、やっと一息。

今週の木曜日のお昼前、出先から家に帰ったときに県庁からの手紙がポストに入っているのを見つけました。開けてみるとそれは滞在許可証をとりにきなさいという通知でした。7月末に申請の書類を出してから2か月がたち、去年度の許可証の期限があと1週間にせまったところでした。期限を過ぎてしまうと、口では「申請中です、返事待ちです」と説明できたって、証拠となる保証となるものが何もない身分になってしまい、sans papier と呼ばれる不法滞在の外国人の仲間になりかねません。忙しい合間を縫って、また県庁に行かないといけないか、、、と気にしてたところでした。10年カードの話も出たために、警察から面接の呼び出しが来るのか、移民局から健康診断の通知が来るのか、どんな段取りで進んでいのか全くわからなかったのですが、県庁から直接の、しかも「滞在許可証ができました。」という最終的な呼び出しです。そのため、まあ10年カードではなかったな、とは予想がつきました。

こういった呼び出し状がない場合、前にもブログで書いたように、朝早く県庁に行って、列に並んで数時間待つ我慢大会に参加しないといけないわけですが、通知が来たおかげで、朝ではなくて「外国人担当課」の午後の受付時間にいかないといけません。それは13時45分から16時までという枠。しかも対応される外国人の人数が限られているので、結局は整理券をとるためにお昼過ぎから列をつくって待たなくてはいけません。普通、外国人はこういった事情を知らないわけですから、誰もが出直しをせざるを得ない体験をして、身をもって学んでいくのです。。。で、私の午後の時間も限られているし、「行くなら今だ、これを逃すと一週間とか遅れちゃう」と思って、すぐに県庁に向かいました。

運良く1時間ほどで私の番になりました。というか一時間待ちで早いと感じたあたりが、モンペリエ生活にも慣れてきている証拠ですね。滞在許可証を申請する時、普通はレセピセという短期間の期限付きの仮許可証のようなものが発行されます。でも私は直接、本物の滞在許可証をいただきました。予想通り、一年ものの滞在許可証。10年カードがすぐにもらえるとはあまり思ってなかったから、今の私にはこれで十分です。しかも、フランスにきて6年目にして初めて、前年度の許可証の期限を過ぎることなく、きちんと更新がなされました!これは画期的なこと。

今回の申請で提出した書類で、音楽学校とオペラjrのCDI(期限なしの終身契約)を出したこと、そしてその給料の合計が一応ぎりぎり最低基準の収入額をカバーしてたので、これで給料取得者として働く権利を得る条件を満たしていることが確証された感じです。今回は、この二つのCDIに加え、臨時で単発でしてきた仕事の契約書や給料明細もだしたので、だいたい私の活動内容、活動状況が表示できたと思います。とにかく二つのCDIは、この先も変わらないわけですから、たとえ今回もらったカードが一年ものでも、これから先の更新を毎回心配する必要はなくなりました。まあ法律が変わるとか、政治状況が変わるとか、もちろん何がおきるかはわからないけれど。。。

まもなく私のフランス生活6年目が終わります。そして7年目に突入します。

6年というと小学校の6年間と同じ期間。自分でもびっくりです。
しかも私は小さい頃に親の転勤で何度か引っ越しをしているので、故郷といえるような街がなく、一つの街に長いこと生活したことがありません。もしかしたら、そのうちモンペリエが一番長く住んだ町になるかもよ?なんて思うとおもしろいもんです。

まあ、これからもいろいろ冒険続きだとは思いますが、新たな一年を迎える権利をいただいたので、そのご報告でした。

2008年9月15日月曜日

Foire aux Associations

9月14日日曜日はFoire aux Associationsの日でした。Foire (フォワー) というのは日本語だと見本市というところ。Association(アソシアシオン) は英語にもあるアソシエーションのことですが、いろんな分野のいろんな活動をひっくるめて、非営利で活動する団体のことをいいます。文化、スポーツのならいごとをはじめ、趣味の仲間、同好会、またはボランティア活動、社会活動をするグループなど、その内容、その規模、その数、まさになんでもありです。





新年度がはじまったばかりの今、様々なアソシアシオンが、それぞれ自分たちの活動を披露して仲間を増やすための宣伝をし、一方、市民は日ごろから興味があった活動をしているグループの様子や情報を得て、新たに参加してみるきっかけを得るための大見本市。今年で28回目を迎えたモンペリエのFoire des Associations。新市街地一帯に、それぞれの団体がスタンドをもうけて、宣伝、勧誘をするのです。

私もモンペリエに来て以来、毎年9月になるとこのFoireの話を耳にしていたのですが、足を運んだことは今までありませんでした。このところ「何か新しいことを始めたいな、、、」と思っていたので、今年のFoire をちょっと気にしてました。そこへタイミングよく、今日久々に会っておしゃべりした友人のPが、関わっているアソシアシオンのスタンドに顔を出すといったものだから、「私もいく!」といってルポルタージュにくり出しました。




場所はアンティゴーン。ショッピングセンターのポリゴーンを出てから川までの新市街地一帯にすごい数のスタンドが並んでいました。
まずは地図をゲット。

この細かく仕切られて番号が振られたマスがスタンド。こんな地図が数ページにわたってありました。どうやら今年は1200くらいの団体が参加しているようです。

まずはPがダンスを教えている演劇スクールのスタンドにいきました。









フランスではこどもの習い事として演劇も人気ですが、彼らの学校はプロフェッショナルを目指す者のための学校で、国立演劇学校などに優秀な若い役者たちを送り出しています。

このスタンドの周りには世界各国のダンスの団体が所狭しと踊ってデモンストレーションをしてました。











まずはタンゴ。
ここではPのタンゴ仲間でタンゴのプロであるRを発見。実は彼は昨年、オペラjrのタンゴのスペクタクルのためにタンゴのダンス指導に来てくれてたのでした。


続いてフラメンコ。








ここまえは日本でもおなじみだけど、












激しいパーカッションとともにアフリカンダンス。これはまだまだ日本ではあまりみないのでは?











さらにはオリエンタル・ダンス。

それぞれもちろん音楽に合わせて踊っているわけで、このエリアの騒音はすごかった。。。










世界各国の音楽、楽器のグループもいます。











ダンス、音楽と陽気で賑やかなエリアをぬけると、一転してのどかで地味~な趣味のグループのスタンドを発見。


たとえば、ミニチュア鉄道コレクション!



文化的な活動の例をあげると、こちらのオキシタン・サークル。

モンペリエからスペイン国境一帯は、かつてオキシタンと呼ばれる土地でした。オック語と呼ばれる言葉を話、その土地の風土色豊かな文化でも知られていますが、そのオキシタンの文化を絶やさないように活動するグループです。



近くでは生け花のサークルがいました。



スポーツ団体の数もすごかった。



Pが「これleonardoにいいじゃない?」と言って指差したのはこちら。


トランポリン!

ぼよ~ん!びよ~ん!って気持ちよさそうですね。

そういえば、うちの母親がやりたいといつか言っていたような。。。空飛ぶうちの母さん(笑)

ちびっこのカヌー教室も体験レッスンをしていました。



このごろ私は何か日本のスポーツがしたいと思っているので、そちらのほうにいってみると、、、。


いましたいました。まずは剣道グループを発見。







つづいて合気道。









柔道、空手など一連の武術武道のスポーツをフランス語ではArts Martiaux (アールマルシオ)と言いますが、その人気はすごいものです。オリンピックでもよく柔道なんかで日本人選手がフランス人選手に苦しめられたりしてますが、柔道も空手も、日本よりもフランスでのほうが愛好家は多いと聞きました。柔術、合気道、さらには弓道、剣道だってもちろん、しまいには私がしらない武道まで。







棒禅道って知ってますか?







やっぱりいつの時代も、日本のサムライにあこがれる人々は多く、しまいにはなぜか鎧を展示するスタンドも発見。






そういえば、日本語か日本文化のアソシエーションもあるはず、と思って探してみるとありました、ありました。「とらのまき」というグループ。しかも、近寄ってみたら私も3年ほどまえに出会ったMさんが主宰者で、スタンドをきりもりしてました。

モンペリエ在住日本人の中でも大ベテランの一人であるMさん。こうして話すのはほんと3年ぶりで、思いがけない久しぶりの再会でしたが、元気そうでなりより。武道だけでなく、テレビゲームはあるは、今はマンガの大ブームですからね。フランスの若者も日本文化にはくびったけです。Mさんは今は日本語の先生として忙しくしていると言ってました。マンガが好きな若者は、日本語に興味をもって勉強しはじめることが多いですからね。

「とらのまき」のスタンドをパチリ。




そんなこんなで歩き疲れました。

それにしても、予想をはるかに上回る人出でしたね~。日本の大人の習い事事情はよく知りませんが、こうしてあらゆるジャンルの活動団体が一堂にそろうというのもいいもんだなと思いました。まるで日本だと大学祭って感じのノリでした。何か好きなこと、のめりこめることがあるのはいいことです。私はなにをみつけるかな?

2008年9月14日日曜日

再開 / 再会

長いバカンスを終えて、いよいよ音楽学校も2008-2009の活動をスタートさせました。
昨日土曜日、生徒の親との顔合わせ、そして先生と学校運営事務の会議があったんです。

2ヶ月半以上のバカンスをはさむと、どの顔と向かい合っても「久し振り!元気?!」と自然と盛り上がります。特に子供なんてしばらく見ないうちに大きくなってたり、顔つきが変わってたりするから驚かされます。

私は午後はオペラjrでの仕事があるため、他のクラスはみんな午後に集まるなか、私のクラスだけが11時に集合ということだったのですが、もとから私の生徒さん、新人さん、他の先生のところから移ってきた人、みなさん入り混じっていて、本当だったら皆さんを前にきちんとあいさつして、それなりにまとまったことを言ってみたいところだけど、一番の目的はレッスンの時間決め。こればっかりは個々に対応しないといけないから、どうしてもしっちゃかめっちゃかの会合になってしまう。。。

でも、毎年のことながら時間を決めるのは簡単じゃない!フランスの学校は、というか学校だけでなく社会全体に言えるけど、お昼に2時間の休憩をとるものだから、午後の活動時間がずれるわけです。そのため、日本みたいにみんなで給食なりお弁当なりさっさと食べて、午後の授業をしていれば15時とかに下校できるのに、小学校一年生からみんなそろって17時まで授業があるのです。だから子どもたちは平日17時以降しか習い事に来れないのです。さらに子供相手に夜遅くなってもだめ。だから誰もが17時から19時の間のレッスンを希望します。一方、フランスではたいていの小学校で水曜日の授業がなく、中学校では午前だけ、高校では選択授業などがあるのみといった感じ。じゃあこの水曜日にレッスンをすればいいじゃないかというと、水曜日はほとんどの子供たちにとって習い事の日なので、何時には○○がある、何時には○○がある、とすでにスケジュールはいっぱい。グループでする習い事だと、すでに時間が設定されているのに対し、個人レッスンだとどうしてもみんなそれぞれの都合のいい時間を要求する。まああたりまえだけど。

もともと6月の時点で各クラスの先生が時間枠を提示してあります。私の場合、基本的にオペラjrの仕事の時間割を優先して、私が今年度のためにつくった時間枠は、火曜日の午後、水曜日の朝から15時まで、木曜日の午後、土曜日の朝から14時まで。でも、ちょっぴりいる個人レッスンの生徒さんもどこかに組み込まないといけません。それに私にだって希望や都合があります。去年、夜の帰りが遅い日ばかりだったので、ただでさえ週末の仕事が多いのだから、せめてもう少し平日が普通のリズムにできたらな~と思っているのです。
一方、音楽学校の生徒さんたちも、一応6月末に仮登録という形で、私の提示した時間枠から早いもの順で希望の時間枠をとって、そのリストは作ってあります。でも、9月にならないと学校の時間割がわからないという子供も多いもの。だからやっぱり9月半ばにならないと決められないわけです。案の定、「水曜日の9時って言われてたけど無理です!」とか、「毎日授業が18時まであります!」とか、いろいろ言われてしまいました。まるでパズルの組み直しみたいな作業。

私はやっぱり日本人だからか、働き盛かりだからか、できる限りたくさんの生徒をもって多く働きたいし、少しでも収入を安定させたいと思っているため、多少、自分の予定や理想からずれてしまっても、結局は生徒さんの希望にそってなんとかしてしまいます。 そのため、お昼を食べる時間がないとか、移動の時間が30分のはずが15分になった、、、とかになってしまいます。

そんなこんなでなんとか無事パズルのはめ込みは完了し、30人の生徒さんと新たな年をスタートさせることになりました。音楽学校で30人という人数は、フランスで働き出して5年目にして過去最高。というか、おかげさまで毎年、順調に少しずつ増えてきています。ここまできたら、あとはもうこれ以上は無理かなと思います。あともう一日、月曜日もレッスンするようにすれば増やせるけど、土日の仕事が多い私としては、すくなくとも月曜日だけ、仕事ゼロの日を確保しておきたいからです。平日の日中の仕事があったらいいけど、今いる分野ではまず無理ですね。。。

30人の生徒さんのうち10人が新人さんです。どんな感じになるかな?

さて、各クラスの先生と生徒の顔合わせの後、18時からは先生一同、そして学校運営、事務をしてくれているメンバーとの会議がありました。運営、事務をしてくれているのは、生徒の親代表で、ボランティアで参加してくれているのです。私たちの学校は、6つの村にまたがっている広範囲な団体で、それぞれの村の代表もかねて、学校の活動のために熱心に力をそそいでくれているのです。
生徒数は今年ほぼ300人、先生の数もソルフェージュやアンサンブルも含めて18人。大会社や大手楽器店が運営するような日本の音楽教室のシステムとは違うフランスの音楽教育事情の中で言うと、私たちの音楽学校はかなりの大所帯なんです。必然的に問題も数多く。。。
会議では予算などの運営問題、今年度の企画、計画、そして諸問題について話し合ったのですが、普段は発言しない私も、今回ばかりは言わざるを得ないことがありました。それは私がレッスンをしている教室というか部屋の環境問題。これは年々深刻になってきている問題で、話せば長くなるのでまたいつか別クチでお伝えしたいと思います。

「そろそろ、、、」と言って会議をお開きにしたあとは?というと、みんなで一緒に飲んで食べてのパーティーでした。日本だったら、「飲みに行きましょう!」といってくりだすなり、料亭に行くわけですが、なんでも手作りでお金のかからない楽しみのプロであるフランス人はどうするかというと、事務メンバーの一人の家にみんなで行って、みんなが持ち寄ったものを飲んで食べての立食パーティーをするのです。

今年の場所はMさんの家。庭にはプールもあって広々としたテラスもあるのだけど、昨日の夜は寒かった!とても外ではいられずに、結局室内立食パーティーとなりました。





もとからおしゃべりな南フランス人も、お酒が入ればますます止まりません。



食べ物も大方、事務のメンバーが用意してくれたのですが、ピザやらお肉やらライスサラダやらでお腹いっぱいになったところへ、さらにケーキも二種類。手作りでとってもおいしかった。



私たち先生はみんな、なんとかこうにかして音楽の分野で生活をしていこうとしている人ばかりで、言ってみれば貧乏人集団(笑)。ついつい給料が悪いだの、文句を言ってしまう先生もいます。かたや、生徒の親代表のメンバーたちは、みなさん立派な仕事をもち、立派な収入があって、音楽が大好きという思いと、自分たちの子供がこの音楽学校で楽しく音楽を身につけているのがうれしくて、じゃあ学校のために、みんなのために、とボランティアで参加してくれているわけです。会議や行事のたびに時間をさいてくれて、こんなパーティーと称しては自宅を提供してくれて、料理をしてくれて、本当に「気持ち」があってこそのありがたい行動。
事務のメンバーの顔触れも毎年、入れ替わるわけですが、今年のメンバーはここ数年力を注いでくれているメンバーで、フレンドリーでなおかつ頼もしい人たち。昨年度の大きなスペクタクルという行事を成功させたこともあって、先生側と事務メンバーとの間にすごくいい関係ができてきていて、いい雰囲気です。予算の大問題がすべての問題にかかわって、学校の運営は厳しいのが現状だけど、このメンバーでなんとかいい方向にもっていけたらいいな。
今週の火曜日から私もフル活動再開です。

2008年9月11日木曜日

下がる下がるどこまで下がる?

一気に下がっていきますね!

何が、ってユーロと円のレートのことです。このところずっとユーロ高で1ユーロ=170円までいっていたのに、ここ2、3週間で下がり、今日はついに1ユーロ=149円まで下がっていることに気が付きました。

日本からヨーロッパに旅行に行く人、日本から留学している子供にお金を送っている人にはうれしい知らせでしょう。私もこれまで「円が下がった」だの「円が上がった」だの何かにつけて口にはしてましたが、フランスの収入で生活しているため、実際には円の上がり下がりに影響は受けてないのです。ただ、バカンスで日本に帰国する時、フランスからユーロを持って帰り日本で両替していたので、ユーロが上がれば上がるほど得した気分になっておいしい思いをしていたのでした。


そもそもこの外貨レートの変動というのは、実際のお金の価値を理解するのにややこしい存在です。たとえば私の収入や生活ぶりのことを話すのに、「だいたい月収は○○ユーロ」と言うと、うちの親は「×170だから、〇○円か!悪くないじゃん、大したもんじゃん!」みたいに言いますが、フランスの物価、生活費、収入の相場などと比較すれば、私の収入はごくごく控え目な小市民ランクなのです。100ユーロ=17000円の価値かというと、まったくそんなことはないわけです。
実際、フランスのいろいろなもの値段を考えてみると、街でサンドイッチを買えば今や4ユーロ以下でみつけるのは難しいくらい。3.5ユーロのサンドイッチを買って、×170にしたら600円もしてしまう。ワンルームマンションの家賃が450ユーロで、×170にすると76500円になってそれも高い。モンペリエの住宅事情は厳しく、家賃がどんどんあがる一方なのは事実だけれども、、、、それから一回バスやトラムに乗ると1.3ユーロ。これはフランスで市町村の公共サービスが充実していることが反映しているから、日本でいえば130円とかの値段と思っていいはず。こうやっていろいろ例を挙げだすと、本当に日仏の物価の比較は簡単ではないです。日本の教員はベテランさんになると月収50万くらいは軽くいくのにたいし、フランスの小学校の先生は2000ユーロにいくかどうかくらい。これを×170してしまっては34万円になって、まあ悪くない?って思うかもしれないけど、フランスで月収2000ユーロというのは決して特別いい給料ではありません。

それが、今日のように1ユーロ=149円になってしまったら、すべてが目減りしますよね。普段から、時々は自分の収入を日本円に単純計算でなおしてみて自分をはげましていた私は、当然、まるで自分の収入が減ったかのように懐の寂しさを感じます(笑)

思い出してみれば、私がフランスに来た時、2002年は1ユーロ=113円でした。あれからいっきに170まであがったということは、50%増以上の変化だったわけです。それはやっぱりいくらなんでも急激だった。はたしてこのまま下がりつづけるのでしょうか?それともまた少しは持ち直すのでしょうか?
このお金のからくり。ささいなことのようで、タイミングによっては大きな影響もうけるもの。私にとったは、日仏の比較をさまたげるやっかいな謎の存在です。

2008年9月10日水曜日

イタリア旅行 7 フィレンツェ

7月3日の夕方、ヴェネチアからの電車でフィレンツェに到着しました。

ここでのホテルもインターネットでおさえたのですが、駅から荷物とともに歩いていける範囲であったとはいえ、思っていたよりもちょっと遠かったかな。。。そしてエレベーターなしの4階に荷物と上がるのはちょっとえらかった。。。まあそれもそのはず、実は部屋の予約をしたとき、私は二人で一泊100ユーロだと思ってたんです。それが二人で二泊で100ユーロという激安だったもんだから、後でびっくり。

駅からの移動で少し疲れたけれど、観光のためにはなかなかいいロケーションで、町の中心地まで道一本を歩いてすぐ。ヴェネチアについたときと同様、二人してはりきって散歩に出ました。


てくてく歩いて行くと、ドゥオーモの広場に出て、さらに続けるとウフィッツィ美術館で有名なヴェッキオ宮殿前の広場まですぐです。





夕暮れ時になってきていたけど、観光客はまだまだいました。夏の夕方はやっぱり快適ですからね。

完全に暗くなってしまう前に、イタリアは初めてのSに、11年前の私が恋に落ちた景色を見せようと先を急ぎました。私のお気に入りの景色とは、、、



それはこの橋。ヴェッキオ橋です。
橋の上に商店が並ぶとともに、メディチ家の宮殿と宮殿を結ぶ渡り廊下を備えていて、フィレンツェ1、2を争う有名スポット。私は11年前に来た時に、この暖色系の微妙なつぎはぎみたいな色合わせにすっかり魅了されてしまったのでした。
夕暮れの色に照らされて、さらに一段と暖色になってる感じ。
それもそのはず、反対方向を見たら絶妙の夕暮れ時でした。



せっかくなので、少し遠目で橋の全様を見るために次の橋へ。


川面にきれいにヴェッキオ橋が写ってます。
なんだか知ってるような知らないような、本物みたいなウソものみたいな不思議な景色。
この橋を11年ぶりにしてまた見れるというのも感慨深い。なかなか贅沢な話です。

もう一度反対側をみると、まもなく沈んでしまいそうな夕日。


空の色と、雲に反射する夕日と川面に映る色。
なかなかきれいな自信作が撮れました。今回の旅のベストショットになるかな?

2008年9月9日火曜日

私はDromadaire...?

Dromadaire とは何か?

ドロマデールと発音しますが、フランシス・プーランクの歌曲に「dromadaire」という曲があって、この8月に仕事中に初見して、「ドロマデール」ってなんのことだろう?と気になりました。すぐに辞書を開けばよかったのだけど、そのまま日が過ぎてしまっていたのですが、ある日、ある人がいいました。

「Bonjour, Dromadaire!」

そう、私のことです。

「あら、ドロマデールって何か知りたいところだったからちょうどいいけど、それは何?」と聞くと、



ご覧のとおり、「ひとこぶラクダ」のことだったんです。
で、なんで私がひとこぶラクダかというと、実は私、背中に大きな脂肪腫ができて、炎症をおこして腫れて膨らんでしまったんですねえ。それがちょうど背骨の上に重なるようにできていて、最初は痛くもなかったし、お医者さんにいっても害はないと言ってて、私もたいして気にしてなかったんだけど、2週間前になんだか一層ふくれて固くなって「こりゃちょっと様子がおかしいぞ?」という感じになり、お医者さんにも見せに行ったら「取り除かないとだめでしょう。。。」という話になり、今日は外科医さんに診てもらって、プチ手術で除去することとなりました。病院で一泊するプチ入院つき。予定は9月末。新年度がスタートしたばかりなので、スケジュール的にちょっとめんどうな話。でも今ではあおむけで普通に寝るときに痛いし邪魔だし、もとからこってる肩が余計にこってしまって、いいことは何もないので仕方がないや。

ドロマデールなんて呼ばれて「失礼しちゃうわ」と思っていたけど、ラクダならまだかわいいもの。
ところが、ある人は言いました。
「Ca va ? mon petit zebu ? 」
今度はなんだ?ゼブって何だ?
フランスに来て6年になろうとしているけど、正直言って、私は魚の名前や花の名前のフランス語バージョンにはちょっと弱いのです。同じく、動物の名前にもちょっと弱い。
だからゼブって何かわかりませんでした。それで辞典を開いてみると、、、。
じゃじゃ~ん。こぶつき牛のことでした。
インドにいる白い牛なかにこうしてこぶがある小柄な牛がいるそうです。

それにしても、あんまりかわいくない。。。ラクダのほうがまだかわいいような。。。
そんなこんなで、ただいま私はこぶつきleonardo。
みなさん、大事にかわいがりましょう。

2008年9月8日月曜日

Héliade

この週末、私はHéliade(エリアードゥ)という女声コーラスのグループと仕事をしてきました。

仕事として参加させてもらうのはこれが初めてだけど、以前からちょっぴりと交友、交流はあった人たち。HéliadeはSète(セート)の町に基盤をおき、エレーヌ(Elene Golgevit)に指導、指揮される女声コーラス。2005年、2006年にフランス、イタリアの大きなコンクールで大賞を獲得して、今やあちこちにひっぱりだこで大活躍をしているグループなのです。メンバー14人の顔ぶれはバラエティーに富んでいてとってもユニーク。というのも、まず年齢からいって、20歳の学生から58歳までという幅の広さ。そしてメンバーの中には、プロの歌手として活躍するもの、プロを目指して修行中のもの、すでに声楽を教えている人、ピアニスト、ソルフェージュの先生、といった音楽畑のプロの人から、生物学者、コンピューター技師など、音楽を趣味で楽しむ上級アマチュアなど、ほんとみんなそれぞれです。しかも現在、セート在住、モンペリエ在住だけでなく、ジュネーブに住む人、パリに住む人、リヨンに住む人、さらにロンドンに住む人までいて、そんなみんなが「歌が好き」ということと、「エレーヌと歌いたい」、「この仲間と歌いたい」という思いだけを理由に、なんとかして練習のスケジュールを組み、コンサートなどで発表の場を広げているのです。

私がなんで彼女たちと知り合ったかというと、6年前、私がモンペリエに来た時に出会った友達レイラが、当時セートのコンセルヴァトワールでエレーヌの生徒だったからなんです。当時、まだ勉強中とは言え、周囲を驚かせる声の持ち主だったレイラのピアノ伴奏をしていたので、レイラのエレーヌとのレッスンについて行ったりして、エレーヌの門下生、さらにはエレーヌの家族ともちょっぴり交流したのでした。当のレイラはリヨンのコンセルヴァトワールに進んだあと、見事にストレートで卒業し、今いろいろなオーディションにも通って、パリの劇場で歌ったり、華々しいキャリアがスタートしようとしている真っ最中。彼女も忙しいだろうし、コンタクトはキープしているけれど、去年の夏から会ってないな、、、。

まあこういうわけで、最初はレイラの友達として彼女たちのコンサートを聴きに行ったり、彼女たちが日本語の歌を歌うというので日本語指導に顔出したりしたこともありました。でも正直言って、ほんの数年でこんな立派なグループに成長するとは思ってもいなかった。。。2005年に彼女たちが大賞をとったコンクールというのは、毎年Tours (トゥール)で行われる有名な国際合唱コンクールで、いろいろなカテゴリーに分かれて賞が与えられます。日本の合唱団も参加していたと聞きました。このコンクールで優勝してから、CDはプロデュースされるは、フランス各地に招かれるだけでなくイタリアにも招待されるは、モンペリエのラジオフランスノフェスティバルでは歌うは、その活躍はとんとん拍子です。 

Héliadeのサイトもあるので見てみてください。

http://heliade34.free.fr/


で、このグループを率いるエレーヌ。まだ40代前半の若い人なのだけど、レイラをはじめ若い歌手を上手に導く人で、才能があって芯はあるけど優しい人柄もあって、彼女の周りにはとても温かい人の輪があります。これまで長年セートのコンセルヴァトワールを中心に指導してきたけれど、この夏、一大決心をしてパリに居を構えることにしたそうです。この先、どんどん活躍してますます忙しくなっていくことでしょう。

さて、今回のお仕事はこのエレーヌからいただきました。「普段のピアニストが都合がつかないので代わりで来てくれないか」と。

今、彼女たちが取り組むのは「BISTANCLAC !」という室内オペラ。19世紀の紡績工場で働く女性たちをテーマにしたオペラで、作曲者はJean=Marc ・Boudet。彼はモンペリエオーケストラのトロンボーン奏者でもあります。モンペリエのすぐ北に広がるセヴェンヌという地方がありますが、一世紀前、ここ一帯は紡績業が盛んで、大きな工場がありました。そこで働くのは11歳から70歳までの女性たち。この彼女たちを取りまとめるための規則があったわけですが、その文を知ったジョン=マルクが、音楽をつけるアイディアを得て、さらに女性だけのコーラスHéliadeと出会ったものだから、Héliadeに捧げる女声コーラスとピアノのための室内オペラの作曲に取り掛かったのでした。

来年の2月が初演ということで、演出を含めた練習を、各地に散らばるメンバーが久しぶりに集結して集中練習をしたのがこの週末だったのです。普段はセートで練習する彼女たちだけど、この週末はモンペリエのCORUMでした。 残念ながらレイラはパリで仕事があって不参加だったけれど、他のメンバーと会うのもすごく久し振り。



演出を担当するのはベラ・クジュポン。私の名前を聞いた彼は、「僕の名前もちょっぴりエキゾチックなんだ。」といってハンガリー系だと説明してくれました。そういえば、ベラという男性と出会ったのはこれが初めてだけど、ベラという有名人がいましたね。そう、作曲家のバルトークの名前はベラです。

私はどんな曲かも、どんな背景かも知らないまま練習の場にいき、初見で体当たり。これがなかなかおもしろい曲で、自分は初見真っ最中だから余裕もなく、大したことはできなかったけれど、これからの仕上がりがとっても楽しみです。土曜の夜には作曲者のジョン=マルクも来て、いろいろと指示を出してました。

ネット上でこのオペラの一部分が出てたんでぜひのぞいてみてください。

http://fr.youtube.com/watch?v=62Oq81GlmKE


歌詞とセリフは基本的に工場の規則の文なんです。そこに機械のメカニックな感じや女性の要素が混ざって、おもしろい音楽ができあがっています。

やっぱり自分で作曲する人こそが、本物のミュージシャンだと改めて思いました。工場の規則からオペラを作るその発想力。ほんとに英語で言う「It's interesting !」のように、フランス語では「c'est intéressant !」、日本語では(興味深い!)の意味で「おもしろい!」
そして、もちろん演出家の仕事もほんと知れば知るほどすごいと思います。オペラなんかの場合、音楽の存在を十分に配慮して活用しないとだめですからね。さらに新作初演のオペラなんかだと、テーマとテキストについての勉強をし、音楽を聞いて、作曲者の意図を理解し、そこからアイディアをどんどん出して一つの舞台にもっていく。しかもそこには現実的な予算や時間の問題もあります。すべてをうまく融合して統括できてこそ、一流の演出家。
さて、どんな舞台ができあがるんでしょうか。

私自身はこの週末の練習で頭の集中ですごく疲れたけど、クリエイティブな場にいるとわくわくしちゃいます。11月の練習にも声をかけてもらったので、次回が楽しみです。

2008年9月6日土曜日

やられた。。。 税関編

皆さんはインターネットで買い物をよくしますか?
フランスでも今では相当な数の人がインターネットでショッピングしてるようです。私はどちらかというとあまりしません。値段の情報収集にいろいろ見ることはあってもね。例えば、服はかなり癖のある体型をしているので、実際に着てみないと選べないし。。。
そんな私がインターネットを利用するとしたら、それはCDや本を買うときです。去年まで、一応私は研究にも取り組んでいたので、資料、材料となる本やCDはインターネットで注文してました。モンペリエの本屋、CD屋などは、日本の大都市に慣れている私にとったらまだまだ品ぞろえも不十分で、研究用なんて専門的なものはありません。どうせ注文して待つのなら、インターネットで直接したほうが早いし安いし。今思えば、日本にいたときの私はCDをすぐ買う人で、CD一枚3000円として、かなりのお金をCDにつかってました。が、フランスに来てからは、まず貧乏生活をしたことで、CDなんて買わずに図書館でレンタルするもの、という考えになったことと、生活が安定しているわけではないので、引っ越しや移動のことを考えると荷物は増やさないほうがいいと思ってるため、極力CDも買わないようにしてきました。フランスの音楽界にうといというのもあるけれどね。

そんな私が久しぶりにCDを買いたくなりました。クラシックを何枚か。そこでインターネットをのぞいてみると、AmazonやAlapageといった大手も、今は中古新品ともに個人販売者の情報ものせてるんですね。同じCDでもいろんな値段があるのがわかります。
最近、なにかと日常のなかの節約を心がけている私は、自然と値段が安い個人販売者に惹かれてしまいました。イギリスの人だったりアメリカの人だったりいろいろだけど、名前から言ってもCD販売業の人っぽかったからあまり深読みもせずに、送料込みでの値段が一番安いところをを選んでしまいました。

さて、支払いも済み、発送通知のメールも受取り、小包が届くのをまつだけとなったとき、一通の封書が届きました。Douane (税関)かららしい。いやな予感。。。

実はこの夏、友人から「このところいろんな小包が税関でひっかかてるらしいよ。」と聞いてたんです。でもインターネットで買ったCDなんて、その業者がそういったことも含めてきちんと対処対策してると思ってました。でも届いた手紙をあけてみると、やっぱり注文したCDのことでした。関係書類を送れと言っているので、私はインターネットでの注文と支払い完了通知のメールを送りました。この時点ではまだ甘かった私は、小包の説明が不十分で証明書が必要だっただけだと思ってました。

しかーし、やっぱり甘かった甘すぎた。数日後、うちのポストに配達不在の通知が入っていて、そこには税がどうのこうのという一言メモが。。。あまり解釈したくなかったけど、受け取るのに19ユーロ払えと言っているようです。

もし私が19ユーロ払わないといけないのなら、合計金額がを考えてもばかばかしい話です。だって私が買ったCDの額のほぼ35パーセントですよ。安い業者と思って買って、実は普通より高くつくわけです。うそでしょ~。これはうれしくありません。客として不満いっぱいです。なのですぐにメールでアマゾンに説明を要求しました。するとアマゾンからは一言もなく、彼らは直接私のメールを実際の販売者に送ったのでした。で、アメリカのこの業者から返事が。アメリカ人ががんばってフランス語で書いてくれたのはいいけれど、私よりもさらに劣る感じのフランス語で、私の一番の要求と質問には答えてなくて、最近の税関の説明が書かれ、「めんどうなことになってお気の毒さまです。」ってなしめくくり。

「はあ~。。。」ためいきです。

もし私が受取拒否!とかして送り返したところで、ちゃんと払い戻ししてくれるのかわからないし、いろいろ主張するにも私が英語で流暢に正確にメールが書けるならそうしたらよかったけど、相手のフランス語の様子から、このままフランス語でやりとり続けてもスムーズにはいかなさそう。しかも、頼んだCDのうち一枚は仕事にかかわるものなので、一日も早く受け取りたかったんです。 この業者と税関とを相手にいろいろいうにはエネルギーがいるのは必至。もうすでにがっくりきてそのエネルギーもないので、普通より高くついたことを承知のうえ、トボトボと郵便局にむかいました。

私は郵便局員さんに「最近、どんな小包もコントロール受けてひっかかってるんですか?」と質問しました。そしたら「そうですよ。払わされてるのはあなただけじゃないです。」という。そこで隣にいた他の客が話に入ってきたから、私は「私、これインターネットで普通に注文して買ったから、税金払わされるのに納得がいかないの。」と言いました。すると郵便局員が「インターネットでは税関のことまで説明してないんでしょう。サイトでは全部のことは言わないのよ。用心しないとね。」と言い、もう一人の客が「アマゾンに言ったら?」というから、「一応不満のメールはしたんだけど、販売者にまわされて、、、」と説明すると、「きっと彼らも負担がけっこうあって、こういうところでお金を取り返してるんじゃない?」という。まあ、いずれにせよ、やっぱり私になりサイトになり、この税関というシステムに対して落ち度があったわけだ。ぼそっと「二度としません。。。こうしてまた一つ学びました。。。。」という私のセリフがみなさんの笑いを誘い、「そうそう。経験して学んでいくもの。」って励まされました。

あ~あ。。。

せっかく節約と思っていろいろしてるのに、こうしてあっけなくお金は消えていく。。。やっぱり人生はプラスマイナスゼロの原理に基づいてるのでしょうか。

2008年9月5日金曜日

カミナリ

昨夜の雷雨はすごかった。。。

つくづく、南フランスってなにかと大味だなーと思っていますが、カミナリもそうなんです。特に昨夜のこの雷雨は激しくて派手で、なんだか身の危険を感じました。
もともと日本とフランスでは気候が違うので、一口に雨と言ってもその量も降り方も全然違うわけですが、日本でのカミナリや雷雨の記憶というと、どんなに激しいときでも、たいていは稲妻が光ってから数秒後にドッカーンと音がして、それなりに距離があると感じてました。光と音が同時で「あ、どこかに落ちたね、今の。」というようなのは、よっぽど激しい局所的雷雨のときだけで、比較的めずらしかったように思います。が、モンペリエで雷雨というと、光と音が同時の近距離カミナリばかりで、めちゃくちゃ激しいように思います。これは地理的地形的問題なんでしょうかね。
ピカピカゴロゴロなんてのはまだまだのんきな雷で、ドッカーンくらいが普通だとは思ってましたが、激しい雷のバリバリバリ!!!!という音はやっぱり危険を感じますよね。モンペリエの稲妻は、このバリバリバリ!!!の連続なんです。昨夜、21時くらいから雨が強くなって雷の音がしてきたのですが、またたくまに、光と音が同時でバリバリバリ!!!の連続になりました。私の家の目の前にはサッカー場があるのですが、そこにめがけて雷が降ってきてるような気がして、次はうちのマンションか?停電か?ヒューズがとぶか?火花がとぶか?とけっこうヒヤヒヤさせられました。念のためと思って、できる限りのコンセントを抜いて対応しました。雷はあの勢いで二時間くらい続いていたように思います。何事もなく去っていってくれて何より。ほんとに激しい雷雨でした。

2008年9月2日火曜日

イタリア旅行 6 ベネチア ムラーノ島

7月3日、この日もとてもいい天気でした。
午後には電車でベネチアを離れるので、午前中からベネチア滞在を満喫せねばなりません。ホテルも「部屋のチェックアウトはしてもらわないとだめだけど、荷物はおいていってもらって全然かまいません、トイレも自由に使ってください!」というから助かった。

前回ベネチアに来た時は、実はベネチア数時間の滞在で、本島を足早に一周しただけだったんです。だから今回は「周りの島にも行きたい!」と言い張り、Sも水上バス体験と島めぐりに同意してくれました。

私たちがとまったホテルは駅ちかくなので、駅前の水上バス乗り場から出発することに。水上バスにもいろいろ路線があって、各駅から快速まであったけれど、まずは運河をゆっくり楽しむために各駅のサンマルコ広場行きに乗りました。



町中の入り組んでる細い運河と違って、メインの大運河はダイナミック。波もかなり大味で船もかなり揺れます。観光客がほとんどのなか、現地で普通に暮らしている人もいるわけで、彼らにとっては極日常の行動。老人が多くて、車掌さんならぬ船頭さん?(運転するのではなくて、船の停車出発と乗客の乗り降りを担当してる人)とも親しく声をかけあっていました。私たちが乗った船の車掌さんは若いお兄ちゃんで、一見「お、ベネチアのヤンキーか?」とか思えるけど、元気に声を出してお客さんに気配りをする働き者の好青年でした。彼を見ているとディズニーランドのアトラクションのお姉さんお兄さんを思い出しましたが、ここは観光地であると同時に日常の場なんだよなーと感じました。杖をついたおじいさん、車いすに乗って付き添われているおばあさん、教会のシスターさんたち、ここに長年住んでいる人にとったら、普通の町の暮らしのほうが特別に見えるんでしょうね。




前日に私たちがカットフルーツを食べた市場が見えてきました。私たちが通った時はもう夜で閉店してたけど、こうしてみるとかなり賑わってるのがわかりました。

そして運河をカーブすると、次に見えてくるのがリアルト橋。



サンマルコ広場についてから、水上バスの路線図もあまり理解しないまま、次の水上バスに乗り込みました。今度は運河を離れてアドリア海に船出するみたいで、船も豪快にスピードを上げておもしろかった。

島についてちょっぴり問題発生。実は私はベネチアングラスで有名なムラーノ島に行きたいな~と思っていたのですが、ムラーノ島に向かうルートと今自分たちがいる島は、行き来するコースがなく、ほとんど関係ないことが判明。午後の電車の時間が決まっているだけに、時間にも限りがあります。路線図をにらめっこしてても、本数の少ない路線とかあるから注意しないといけない。。。結局通りかかった運転手を捕まえて「ムラーノ島に行きたいんですけど、、、」と助けを求めました。そしたらすんなり「〇番に乗って、〇○で○番に乗り換えて、、、、」とわかりやすくルートを説明してくれました。なんとか行けそうです。

ムラーノ島って、本島の駅から裏側に向かう方向だったんですね。それを観光のためにぐるっと一周してサンマルコ広場にでたものだから、かなりの遠回りをしたわけです。でも水上バスぐるっと鈍行ツアーが楽しかったし、ちゃんと目的地にいけるのなら結果オーライ。

水上バスの乗り換えを続ける中で、やっぱりそろそろ、、、、と思っていた時間が来ました!


そう、もちろんジェラートタイム!
おいしいし、思ってたよりも安くて、ついつい手が出てしまいます。
二人ともペロッと食べて、次の船に乗り込みました(笑)

ベネチアって本当に小さな島がたくさんあるんですね。中には墓地、お墓専用の島とかもあります。お葬式をして、皆で船でこの島に向かうことを想像すると、それもまるで映画のようですが、現地の人にとってはここに行くこと=最後のお別れなんですね。

さて、やっとのことで目的地、ムラーノ島に到着。
この島はそんなに大きくはないけれど、ベネチアングラスで世界中に知られてますから、やっぱり観光客は多いです。
なんだかテーマパークに迷い込んだみたいでした。

帰りの水上バスの時間に気をつけつつ、ウィンドーショッピング~、お昼~、と短い時間で満喫しました。ウィンド~ショッピング~と思っていたつもりだけど、結局二人ともお買いもの~。そんなこんなで、予定にしてた水上バスめがけてダッシュしましたが、乗り遅れてしまいました。。。
このあとホテルに戻って荷物をとって、駅に向かわないといけないので、それなりに時間は迫る。。。やばい??と思いつつも、私たちがしたのはまたしても。。。
ジェラート!
のんきな二人組ですね(笑)
だっておいしいんだもん。
運良く高速船が次にきたので、それで10分もかからずにサンタルチア駅前に戻れ、走ってホテルに戻り、荷物をひきとって、無事、電車に間に合いました。ふう~。
ああ楽しかった。また来たい!やっぱりベネチアンマジックといえそうな何かがありますね、ここには。

2008年9月1日月曜日

イタリア旅行 5 ベネチア

7月2日、Yと別れた私たちはミラノで電車を乗り換え、ベネチアをめざしました。



電車の中で食べるお昼にといって、Aさんが持たせてくれた特大サンドイッチ。本当にこまめに気を配ってもらってありがとう。

コンパートメントの席でSは爆睡。私は景色を楽しみ、3時間くらいだったかな、ベネチア本島、サンタ・ルチア駅に到着。水の都です!
今回、ホテルはインターネットで探してとったんですが、選んだ基準は「安い、でも荷物があるから駅に近いところ、シャワー・トイレが部屋にあるところ、朝食つき」でした。で、ベネチアで泊まったホテルも、駅から5分もかからないところで、大観光地ベネチアにしては安かったです。しかし、部屋は極小でした。部屋に入って「え?」ってくらいせまかった。けど、クーラーがついてたし、ま、この場所でこの値段だとこんなもんか。ホテルはこんなせまい路地にあって、まるで京都みたい!と思ってしまいました。



一人散歩中の犬と私みてたら、京都かベネチアかわかんないよね?

私たちは夕方にベネチアに到着したわけですが、たった1泊のベネチア滞在。無駄にしてはいけません。日も長いわけだし、夕方~夜散歩にでかけました。

Sはベネチアというかイタリアは今回が初めて。普通、ベネチアの街の中の移動というとヴァポレットという水上バスが有名ですが、疲れやすいくせに歩きが好きな私の提案で、サン・マルコ広場まで歩いて行くことにしました。
細い路地、細い水路、ほんとに迷路みたいに入り組んでます。私たちはベネチアの町の地図ももってなかったので、駅とかサン・マルコ広場とかのおおまかな方向案内の表示だけが頼り。

途中、市場のところでもうほとんどの店が店じまいをしたなか、カット・フルーツを売ってる屋台を発見。安くて量がたくさんあっておいしい!二人とも大満足。

この写真の奥に見えてる白い屋根がリアルト橋です。16世紀に造られた橋で、橋の上に商店がならぶ姿は昔から変わらないそうです。こんな超超観光地のところですが、ベネチアにまた来たうれしさから気分を良くしてた私は、いろいろと自分のためのおみやげを買ってしまいました。

リアルト橋の下を流れるのがメインの運河、カナル・グランデ。この運河沿いには超超ゴージャスホテルやレストランがぎっしり。

Sとも「今度くるときは、星の数が一つ増えたランクのホテルかねぇ。前来たのが10年前として、次も10年後。40歳だ!40歳だったら3星ホテル。50歳だったら4星ホテルか~。」なんて夢を描いてみました。ていうか、30歳で3星ホテルに泊まる日本人のほうが多いだろうから、私たちなんて質素な善良小市民でかわいいもんですね。

さて、迷路のような路地をぬけて、ついにサン・マルコ広場にたどりつきました。ベネチアといえばこの広場。カーニバルの映像とかでも有名です。サンマルコ寺院に入りたかったのだけど、今日は何かの団体に貸し切りだったようで入れませんでした。じゃあ、何しよっか?と思った私が見上げたのはこの塔。

サンマルコ寺院の鐘楼です。もちろんお金を払って登ればすばらしい景色の展望台があるわけです。階段を昇るのかと思ったけどエレベーターがあるらしく、一瞬のエレベーターに払う値段も値段だったので、どうしようかと迷いましたが、二人で登ることに。
そしたら、、、、


のぼって良かった~。ベネチアが一望できるどころか、ベネチアの島々は見渡せるわ、アドリア海の方向も見渡せるわで大感激。

サンマルコ広場もこんな感じで見下ろせて、


夕暮れ時の空の色と、ベネチアの町の屋根の色と、運河に映る色。

ほとんど昔から変わらないままの姿だろうから、自分たちは今2008年にいとるというのを忘れてしまう感じ。


ベネチアの水面が上昇しているという話は有名で、この町もいつかは水没してしまうというのは、なんとか手をうって回避しないとだめですね。

逆に、数百年前は水面も少し低かったことを思いながら、このサンジョルジョ・マジョーレ島の教会なんかには手漕ぎのボートのった人々が来てたんだな~と空想していると、そのシーンが簡単に目に浮かんでくるから不思議です。

ベネチアマジックですね。景色をみてぼ~っとしてしまいました。
この塔に上って大正解。また来たい!
実はここでちいさな出会いもありました。せまいエレベーターに乗り込んで上がっていくとき、ついつい私は「私、高いところが好きなんよね~。。。」とつぶやいてしまいました。そしたら、私の前にいた女性が振り返って、「日本の方ですか?」とほほ笑んできたんです。後姿だったし、白人の紳士といたから、まさかその人が日本人とは思いもしなかったのでびっくりしてしまったのですが、エレベーターから出てちょっぴりおしゃべり。彼女は九州の出身だけど、長年カナダに住んでいるとのこと。旦那さんとヨーロッパを北から南下する大旅行の真っ最中でした。ちょっと話してみてさらに不思議な感覚がした私。だってこの女性は日本人ぽくないからです。もう長年英語で生活をしているだろうから、時々日本語が苦手な感じもしましたが、そんなことよりも彼女がエレガントでありチャーミングであり、娘さんももう大きいという年齢と若々しさが一緒に融合してて、、、。うまく説明できませんが、こんな人は日本にはいない!と言いたかったのです。なんでだろう。。。
彼女は私たち二人の写真を撮ってくれて、私たちもお礼にカップルご一緒に撮ろうと提案すると、旦那さんはすごくシャイなのか、すごく控え目で穏やかで優しい感じの旦那さんからも、強い印象を受けました。こんな旦那さんと生活していると女性はああなるのか?とにかく二人そろって穏やかーなオーラで、かつ女性の目がキラキラしてたのが印象深いです。
ひょんなところで、素敵な日本カナダカップルに出会えました。
鐘楼の上でぼ~っとしてたら、「もう全員降りてください。」という時間がきてしまいました。閉館ならぬ閉塔ですね。日もしずみかけ、町全体が不思議な色につつまれてました。
それもそのはず、気がつけばもう22時近い。私たちはホテル目指して帰途につきつつ、夕食どうする?ジェラートどうする?とキョロキョロしながら。
結局、簡単な夕食とジェラートと両方制覇して、0時のベネチアの町を足早に歩きました。10年前の旅行では0時に町を歩くなんて考えもしなかったけど、、、。私たちもヨーロッパの街で生活して慣れたのもあり、日が長いというのもあり、ベネチア0時散歩しちゃいました。

運河の水面に映る光がとてもきれいでした。